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等栽宅に2泊し、芭蕉は名月を敦賀の港で見たいと旅立つ。<br /><br />これに等栽が”裾おかしうからげて”喜び勇んで案内役を買って出る。<br /><br />しかし奥の細道での芭蕉達は、福井南端の”玉江橋”と”朝六ッ橋”を越えると、あっけなく”湯尾峠”を越え、最後の難関だったと思われる程なく現れる”木の芽峠”は何の記載も無く、”十四日の夕ぐれつるがの津に宿を”取っている。<br /><br />前掲の「おくのほそ道の旅」によれば、福井から敦賀までは十五里。<br /><br />いくらなんでも一日の行程にしては長過ぎると、”湯尾峠”を下った今庄で一泊したと思われると書かれている。<br /><br />我々の奥の細道を訪ねての最終回の旅は東京駅からのスタートで、東海道新幹線で西に向かい、米原で下車。<br /><br />東京駅発はこの旅では私にとって最初で最後であった。<br /><br />米原から北陸自動車道と北陸道を乗り継ぎ、武生まで一挙に北上、武生の最初の訪問地は芭蕉の色紙塚が建つ芳春寺。<br /><br />芳春寺の南側を真っ直ぐ南に伸びる「ふるさとを偲ぶ散歩道」と、それに続く「紫式部公園」を周遊し、昼食後向かった”湯尾峠”で芭蕉達と合流する。<br /><br />”湯尾峠”とその後の”木の芽峠”も芭蕉に倣って徒歩で山道を越え、芭蕉と同じく敦賀が初日の宿。<br /><br />芭蕉は敦賀に5泊するが,敦賀到着の翌日、早速北陸の総鎮守・気比神社に参拝。<br /><br />芭蕉は敦賀で望みどおり満月に巡り合え、敦賀3日目は、舟で敦賀湾の対岸の西行の歌碑が残る”色の浜”に遊ぶ。<br /><br />敦賀に戻った芭蕉を待ち受けていたのは、当初曾良の役を務める予定だった路通。<br /><br />此処で福井から供をしてくれた等栽と別れ、敦賀から大垣までは路通が案内役を引き受ける。<br /><br />「おくのほそ道の旅」に寄ると敦賀から大垣まで80km、約20里の道程を木之本と春照に2泊したと書かれている。<br /><br />我々は琵琶湖の畔に建つ長浜ロイヤルホテルで奥の細道を訪ねての旅の最後の夜を過ごし、真っ赤な夕日に見とれ、十五夜ではなかったが、三日月が湖面に描く光の帯を初めて目にする機会に恵まれた。<br /><br />そしていよいよ”奥の細道の結び地”大垣に到着。<br /><br />奥の細道を訪ねて最終回(第16回)結びの地・大垣まで 目次<br /><br />01米沢に向かう新幹線の窓に写った富士山<br />02芭蕉の色紙塚が建つ芳春寺<br />03日野山を望む武生の「ふるさとを偲ぶ散歩道」<br />04紫式部が青春時代の一時期を過ごした館跡”紫式部公園”<br />05”湯尾峠”に挑む前の腹ごしらえ<br />06旧北陸道の要衝だった”湯尾峠”<br />07”湯尾峠”の南の麓・今庄で出合った人々<br />08”越の国”と”美濃の国”の国境の難所”木の芽峠”<br />09奥の細道を訪ねて最終回初日の宿泊地・敦賀で名物”浜焼さば”の夕食<br />10敦賀散策その1芭蕉が逗留した”出雲屋敷跡”と 待望の中秋の名月を眺めた”気比神宮”<br />11敦賀散策その2日本3大松原の一つ気比の松原<br />12敦賀散策その3敦賀で芭蕉を案内した天屋玄流の旧宅跡<br />13敦賀散策その4芭蕉の句に因む”鐘塚”が立つ金前寺<br />14敦賀散策その5新田軍と足利軍の激戦の跡地に建つ金ヶ崎宮<br />15敦賀散策その6織田信長の妹お市の方に纏わる金ヶ崎城跡<br />16敦賀散策その7国宝”朝鮮鐘”を所有するという常宮神社<br />17敦賀散策その8西行が詠み芭蕉が「源氏物語」の「須磨」の段に準えた”種の浜(色の浜)”と本隆寺<br />18敦賀散策その9西福寺の名勝”書院庭園”<br />19奥の細道の素龍清書本を所蔵する西村家経営レストラン”民芸茶屋孫兵衛”で昼食<br />20西村家ご当主の案内で奥の細道の素龍清書本を拝観<br />21浅井長政に嫁いだ小田信長の娘”お市の方”と娘茶々・初・江三姉妹縁の小谷城跡<br />22日本最大の芭蕉句碑が建つ”慶雲館”と「長浜きもの大園遊会」帰りの長浜美女たち<br />23奥の細道を訪ねての旅の最後の宿・長浜ロイヤルホテルの庭から眺めた琵琶湖の夕日と三日月<br />24長浜びわこ大仏とパノラマ<br />25芭蕉の句碑が建つ長浜天満宮<br />26姉川の古戦場<br />27豊臣秀吉と石田三成出遭いの場所・観音寺<br />28大垣フォームラホテル直営レストラン”めしや”で昼食<br /><br /><br />

奥の細道を訪ねて最終回(第16回)その1福井から大垣まで (目次)

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2012/10/19 - 2012/10/21

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WT信

WT信さん

等栽宅に2泊し、芭蕉は名月を敦賀の港で見たいと旅立つ。

これに等栽が”裾おかしうからげて”喜び勇んで案内役を買って出る。

しかし奥の細道での芭蕉達は、福井南端の”玉江橋”と”朝六ッ橋”を越えると、あっけなく”湯尾峠”を越え、最後の難関だったと思われる程なく現れる”木の芽峠”は何の記載も無く、”十四日の夕ぐれつるがの津に宿を”取っている。

前掲の「おくのほそ道の旅」によれば、福井から敦賀までは十五里。

いくらなんでも一日の行程にしては長過ぎると、”湯尾峠”を下った今庄で一泊したと思われると書かれている。

我々の奥の細道を訪ねての最終回の旅は東京駅からのスタートで、東海道新幹線で西に向かい、米原で下車。

東京駅発はこの旅では私にとって最初で最後であった。

米原から北陸自動車道と北陸道を乗り継ぎ、武生まで一挙に北上、武生の最初の訪問地は芭蕉の色紙塚が建つ芳春寺。

芳春寺の南側を真っ直ぐ南に伸びる「ふるさとを偲ぶ散歩道」と、それに続く「紫式部公園」を周遊し、昼食後向かった”湯尾峠”で芭蕉達と合流する。

”湯尾峠”とその後の”木の芽峠”も芭蕉に倣って徒歩で山道を越え、芭蕉と同じく敦賀が初日の宿。

芭蕉は敦賀に5泊するが,敦賀到着の翌日、早速北陸の総鎮守・気比神社に参拝。

芭蕉は敦賀で望みどおり満月に巡り合え、敦賀3日目は、舟で敦賀湾の対岸の西行の歌碑が残る”色の浜”に遊ぶ。

敦賀に戻った芭蕉を待ち受けていたのは、当初曾良の役を務める予定だった路通。

此処で福井から供をしてくれた等栽と別れ、敦賀から大垣までは路通が案内役を引き受ける。

「おくのほそ道の旅」に寄ると敦賀から大垣まで80km、約20里の道程を木之本と春照に2泊したと書かれている。

我々は琵琶湖の畔に建つ長浜ロイヤルホテルで奥の細道を訪ねての旅の最後の夜を過ごし、真っ赤な夕日に見とれ、十五夜ではなかったが、三日月が湖面に描く光の帯を初めて目にする機会に恵まれた。

そしていよいよ”奥の細道の結び地”大垣に到着。

奥の細道を訪ねて最終回(第16回)結びの地・大垣まで 目次

01米沢に向かう新幹線の窓に写った富士山
02芭蕉の色紙塚が建つ芳春寺
03日野山を望む武生の「ふるさとを偲ぶ散歩道」
04紫式部が青春時代の一時期を過ごした館跡”紫式部公園”
05”湯尾峠”に挑む前の腹ごしらえ
06旧北陸道の要衝だった”湯尾峠”
07”湯尾峠”の南の麓・今庄で出合った人々
08”越の国”と”美濃の国”の国境の難所”木の芽峠”
09奥の細道を訪ねて最終回初日の宿泊地・敦賀で名物”浜焼さば”の夕食
10敦賀散策その1芭蕉が逗留した”出雲屋敷跡”と 待望の中秋の名月を眺めた”気比神宮”
11敦賀散策その2日本3大松原の一つ気比の松原
12敦賀散策その3敦賀で芭蕉を案内した天屋玄流の旧宅跡
13敦賀散策その4芭蕉の句に因む”鐘塚”が立つ金前寺
14敦賀散策その5新田軍と足利軍の激戦の跡地に建つ金ヶ崎宮
15敦賀散策その6織田信長の妹お市の方に纏わる金ヶ崎城跡
16敦賀散策その7国宝”朝鮮鐘”を所有するという常宮神社
17敦賀散策その8西行が詠み芭蕉が「源氏物語」の「須磨」の段に準えた”種の浜(色の浜)”と本隆寺
18敦賀散策その9西福寺の名勝”書院庭園”
19奥の細道の素龍清書本を所蔵する西村家経営レストラン”民芸茶屋孫兵衛”で昼食
20西村家ご当主の案内で奥の細道の素龍清書本を拝観
21浅井長政に嫁いだ小田信長の娘”お市の方”と娘茶々・初・江三姉妹縁の小谷城跡
22日本最大の芭蕉句碑が建つ”慶雲館”と「長浜きもの大園遊会」帰りの長浜美女たち
23奥の細道を訪ねての旅の最後の宿・長浜ロイヤルホテルの庭から眺めた琵琶湖の夕日と三日月
24長浜びわこ大仏とパノラマ
25芭蕉の句碑が建つ長浜天満宮
26姉川の古戦場
27豊臣秀吉と石田三成出遭いの場所・観音寺
28大垣フォームラホテル直営レストラン”めしや”で昼食


同行者
一人旅
交通手段
観光バス 新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • 01米沢に向かう新幹線の窓に写った富士山<br />

    01米沢に向かう新幹線の窓に写った富士山

  • 02芭蕉の色紙塚が建つ芳春寺<br />

    02芭蕉の色紙塚が建つ芳春寺

  • 03日野山を望む武生の「ふるさとを偲ぶ散歩道」<br />

    03日野山を望む武生の「ふるさとを偲ぶ散歩道」

  • 04紫式部が青春時代の一時期を過ごした館跡”紫式部公園”<br />

    04紫式部が青春時代の一時期を過ごした館跡”紫式部公園”

  • 05”湯尾峠”に挑む前の腹ごしらえ<br />

    05”湯尾峠”に挑む前の腹ごしらえ

  • 06旧北陸道の要衝だった”湯尾峠”<br />

    06旧北陸道の要衝だった”湯尾峠”

  • 07”湯尾峠”の南の麓・今庄で出合った人々<br />

    07”湯尾峠”の南の麓・今庄で出合った人々

  • 08”越の国”と”美濃の国”の国境の難所”木の芽峠”<br />

    08”越の国”と”美濃の国”の国境の難所”木の芽峠”

  • 09奥の細道を訪ねて最終回初日の宿泊地・敦賀で名物”浜焼さば”の夕食

    09奥の細道を訪ねて最終回初日の宿泊地・敦賀で名物”浜焼さば”の夕食

  • 10敦賀散策その1芭蕉が逗留した”出雲屋敷跡”と 待望の中秋の名月を眺めた”気比神宮”

    10敦賀散策その1芭蕉が逗留した”出雲屋敷跡”と 待望の中秋の名月を眺めた”気比神宮”

  • 11敦賀散策その2日本3大松原の一つ気比の松原

    11敦賀散策その2日本3大松原の一つ気比の松原

  • 12敦賀散策その3敦賀で芭蕉を案内した天屋玄流の旧宅跡

    12敦賀散策その3敦賀で芭蕉を案内した天屋玄流の旧宅跡

  • 13敦賀散策その4芭蕉の句に因む”鐘塚”が立つ金前寺

    13敦賀散策その4芭蕉の句に因む”鐘塚”が立つ金前寺

  • 14敦賀散策その5新田軍と足利軍の激戦の跡地に建つ金ヶ崎宮

    14敦賀散策その5新田軍と足利軍の激戦の跡地に建つ金ヶ崎宮

  • 15敦賀散策その6織田信長の妹お市の方に纏わる金ヶ崎城跡

    15敦賀散策その6織田信長の妹お市の方に纏わる金ヶ崎城跡

  • 16敦賀散策その7国宝”朝鮮鐘”を所有するという常宮神社

    16敦賀散策その7国宝”朝鮮鐘”を所有するという常宮神社

  • 17敦賀散策その8西行が詠み芭蕉が「源氏物語」の「須磨」の段に準えた”種の浜(色の浜)”と本隆寺

    17敦賀散策その8西行が詠み芭蕉が「源氏物語」の「須磨」の段に準えた”種の浜(色の浜)”と本隆寺

  • 18敦賀散策その9西福寺の名勝”書院庭園

    18敦賀散策その9西福寺の名勝”書院庭園

  • 19奥の細道の素龍清書本を所蔵する西村家経営レストラン”民芸茶屋孫兵衛”で昼食<br />

    19奥の細道の素龍清書本を所蔵する西村家経営レストラン”民芸茶屋孫兵衛”で昼食

  • 20西村家ご当主の案内で奥の細道の素龍清書本を拝観<br />

    20西村家ご当主の案内で奥の細道の素龍清書本を拝観

  • 21浅井長政に嫁いだ小田信長の娘”お市の方”と娘茶々・初・江三姉妹縁の小谷城跡

    21浅井長政に嫁いだ小田信長の娘”お市の方”と娘茶々・初・江三姉妹縁の小谷城跡

  • 22日本最大の芭蕉句碑が建つ”慶雲館”と「長浜きもの大園遊会」帰りの長浜美女たち

    22日本最大の芭蕉句碑が建つ”慶雲館”と「長浜きもの大園遊会」帰りの長浜美女たち

  • 23奥の細道を訪ねての旅の最後の宿・長浜ロイヤルホテルの庭から眺めた琵琶湖の夕日と三日月

    23奥の細道を訪ねての旅の最後の宿・長浜ロイヤルホテルの庭から眺めた琵琶湖の夕日と三日月

  • 24長浜びわこ大仏とパノラマ<br />

    24長浜びわこ大仏とパノラマ

  • 25芭蕉の句碑が建つ長浜天満宮<br />

    25芭蕉の句碑が建つ長浜天満宮

  • 26姉川の古戦場

    26姉川の古戦場

  • 27豊臣秀吉と石田三成出遭いの場所・観音寺<br />

    27豊臣秀吉と石田三成出遭いの場所・観音寺

  • 28大垣フォームラホテル直営レストラン”めしや”で昼食

    28大垣フォームラホテル直営レストラン”めしや”で昼食

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