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金前寺は天箇山の西の麓にあり、<br />「45代聖武天皇の霊夢により、泰澄大師が天平八年(736)に開創。<br />十一面観音の座像を本尊として寺を建立した。<br />天皇親筆による金光明経を金櫃に封じて丘陵に埋めたことにより金ヶ崎と名づけられ、寺名を金前寺と号した。」(金前寺のHPに依る)<br /><br />歓喜天堂の前に建つ芭蕉鐘塚があり、”南北朝時代、この辺りは後醍醐天皇の皇子恒良親王(つねながしんのう)、及び尊良親王(たかながしんのう)を守護した新田義貞一族と、足利氏の軍との激烈な古戦場で、敗れた新田義貞が金ヶ崎沖に戦鐘を沈めた”、と云う伝説を宿の主人から聞いた芭蕉が詠んだ句が刻まれた句碑が建つ。<br /><br />  月いづく 鐘沈めたる海の底  芭蕉<br /><br />金前寺は南北朝時代と戦国時代の2度の戦禍と、町の大火に加え、第二次大戦の空爆と何度も全焼し、現在の本堂は平成元年に再建が終わったものだ。<br /><br />金前寺の直ぐ脇を、明治末期から昭和の初期かけて大陸交易の橋渡しとして、新橋駅ー敦賀港駅を結ぶ”欧亜国際列車”が走っていたらしい。<br /><br />金前寺の昔ながらの堂宇の前に、対称的なモダンな赤煉瓦の「旧国鉄敦賀港駅駅舎」が ”敦賀港駅ランプ小屋”と名付けられ遺されている。<br />

奥の細道を訪ねて最終回(第16回)13敦賀散策その4芭蕉の句に因む”鐘塚”が立つ金前寺

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2012/10/20 - 2012/10/20

436位(同エリア474件中)

WT信

WT信さん

金前寺は天箇山の西の麓にあり、
「45代聖武天皇の霊夢により、泰澄大師が天平八年(736)に開創。
十一面観音の座像を本尊として寺を建立した。
天皇親筆による金光明経を金櫃に封じて丘陵に埋めたことにより金ヶ崎と名づけられ、寺名を金前寺と号した。」(金前寺のHPに依る)

歓喜天堂の前に建つ芭蕉鐘塚があり、”南北朝時代、この辺りは後醍醐天皇の皇子恒良親王(つねながしんのう)、及び尊良親王(たかながしんのう)を守護した新田義貞一族と、足利氏の軍との激烈な古戦場で、敗れた新田義貞が金ヶ崎沖に戦鐘を沈めた”、と云う伝説を宿の主人から聞いた芭蕉が詠んだ句が刻まれた句碑が建つ。

  月いづく 鐘沈めたる海の底  芭蕉

金前寺は南北朝時代と戦国時代の2度の戦禍と、町の大火に加え、第二次大戦の空爆と何度も全焼し、現在の本堂は平成元年に再建が終わったものだ。

金前寺の直ぐ脇を、明治末期から昭和の初期かけて大陸交易の橋渡しとして、新橋駅ー敦賀港駅を結ぶ”欧亜国際列車”が走っていたらしい。

金前寺の昔ながらの堂宇の前に、対称的なモダンな赤煉瓦の「旧国鉄敦賀港駅駅舎」が ”敦賀港駅ランプ小屋”と名付けられ遺されている。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス 新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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