普陀山旅行記(ブログ) 一覧に戻る
これまでの引越し荷物の中から、バラバラになって出てくる昔の旅記録や紙焼写真。<br />少しずつ整理して、ある程度写真がまとまったものは≪ちょっと昔の旅行記≫としてアップしようと思います。<br /><br />この旅行記では、1995年に上海から普陀山を訪れた時の様子と、2012年4月現在の周辺情報を織り交ぜてご紹介。<br />そのうちに、記録やネガ、写真が出て来る事があれば追加して行こうと思います。<br /><br />まず、普陀山についての説明を少しだけ。<br />普陀山は、浙江省の寧波市沖に浮かぶ舟山群島の一つで、中国四大仏教名山の一つに数えられた聖地。<br />その他の仏教名山(五台山、九華山、峨眉山)とは違って、海上の島にあることから海天佛国とも呼ばれるのだそう。<br /><br />そんな普陀山へ行ってみようと、1995年のSUR SHANGHAIとその旦那は上海⇔普陀山を結ぶフェリーで訪れてみます。<br /><br /><br />表紙の画像は、普陀山の東側にある百歩沙周辺の海岸線。<br /><br /><br />●注: 旅行時期については、1995年10月までは確実ですが、日にちについては記録が出て来ていないので、この頃だったなあという日付を選んでアップします。<br /><br />●注: この旅行記を投稿する2012年には、杭州湾を跨ぐ杭州湾跨海大橋も寧波沖の島々を結ぶ橋も既に出来て、上海⇔普陀山への道もグッと便利になっています。<br />普陀山に渡るには今もフェリー。<br />ちょっと天候が悪いと欠航になったりすようなので、お天気がいい時を狙って寧波あたりから行ってみるといいと思います。<br />

★ちょっと昔の中国 浙江省、海天佛国の普陀山へ

10いいね!

1995/10/10 - 1995/10/13

8位(同エリア45件中)

SUR SHANGHAI

SUR SHANGHAIさん

これまでの引越し荷物の中から、バラバラになって出てくる昔の旅記録や紙焼写真。
少しずつ整理して、ある程度写真がまとまったものは≪ちょっと昔の旅行記≫としてアップしようと思います。

この旅行記では、1995年に上海から普陀山を訪れた時の様子と、2012年4月現在の周辺情報を織り交ぜてご紹介。
そのうちに、記録やネガ、写真が出て来る事があれば追加して行こうと思います。

まず、普陀山についての説明を少しだけ。
普陀山は、浙江省の寧波市沖に浮かぶ舟山群島の一つで、中国四大仏教名山の一つに数えられた聖地。
その他の仏教名山(五台山、九華山、峨眉山)とは違って、海上の島にあることから海天佛国とも呼ばれるのだそう。

そんな普陀山へ行ってみようと、1995年のSUR SHANGHAIとその旦那は上海⇔普陀山を結ぶフェリーで訪れてみます。


表紙の画像は、普陀山の東側にある百歩沙周辺の海岸線。


●注: 旅行時期については、1995年10月までは確実ですが、日にちについては記録が出て来ていないので、この頃だったなあという日付を選んでアップします。

●注: この旅行記を投稿する2012年には、杭州湾を跨ぐ杭州湾跨海大橋も寧波沖の島々を結ぶ橋も既に出来て、上海⇔普陀山への道もグッと便利になっています。
普陀山に渡るには今もフェリー。
ちょっと天候が悪いと欠航になったりすようなので、お天気がいい時を狙って寧波あたりから行ってみるといいと思います。

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
ホテル
3.0
交通
3.5
同行者
カップル・夫婦
交通手段
高速・路線バス タクシー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 上海からフェリーで普陀山へ行ってみようと決めたSUR SHANGHAIとその旦那。<br />1995年には旅行社で高速艇のチケットを予約すると、上海の外灘(バンド)近くの十六舗から郊外の船着場までバスで送ってくれました。<br />その船着場まで1時間ほど。<br />そのあと、普陀山までは高速艇で4,5時間かかったと思います。<br />それらの写真は出て来ていないのでごめんなさい。<br /><br />この画像は、普陀山到着後に、百歩沙という砂浜近くで撮った多宝塔。<br /><br /><br />2012年現在では、寧波沖の島々にも立派な橋が架け渡されて、寧波からの行き来が楽になっています。<br />2012年4月中旬に普陀山へ行きたいという客人があり、車で上海から杭州湾跨海大橋経由でまず寧波へ。<br />その後、寧波⇔金塘島⇔冊子島⇔舟山島⇔朱家尖島間を往復してみました。各島を結ぶ橋は新しくて立派。それらの橋を見に行くだけでもちょっとした価値あり。<br /><br />普陀山へは、舟山島の沈家門港からのフェリー以外にも、朱家尖島の蜈蚣峙埠頭からもフェリーが出ていて所要時間は10分程度。<br />蜈蚣峙埠頭近くには空港もあるので、飛行機利用も考慮に入れてみては?<br />舟山島には、シェラトン・ホテル(舟山喜来登緑城酒店) も出来ています。普陀山参拝の拠点にしてみるのもいいですよ。<br /><br />ただし、上記の2012年の再訪計画は、蜈蚣峙埠頭まで来て参拝客の多さに恐れを成した知人が乗船を拒否して不成立。<br />エ━━━(;゚д゚)━━━・・ せっかく目の前まで行ったのに!! ヾ(*`Д´*)ノ<br />結局、寧波に引き返してしまいました…。(−−〆)

    上海からフェリーで普陀山へ行ってみようと決めたSUR SHANGHAIとその旦那。
    1995年には旅行社で高速艇のチケットを予約すると、上海の外灘(バンド)近くの十六舗から郊外の船着場までバスで送ってくれました。
    その船着場まで1時間ほど。
    そのあと、普陀山までは高速艇で4,5時間かかったと思います。
    それらの写真は出て来ていないのでごめんなさい。

    この画像は、普陀山到着後に、百歩沙という砂浜近くで撮った多宝塔。


    2012年現在では、寧波沖の島々にも立派な橋が架け渡されて、寧波からの行き来が楽になっています。
    2012年4月中旬に普陀山へ行きたいという客人があり、車で上海から杭州湾跨海大橋経由でまず寧波へ。
    その後、寧波⇔金塘島⇔冊子島⇔舟山島⇔朱家尖島間を往復してみました。各島を結ぶ橋は新しくて立派。それらの橋を見に行くだけでもちょっとした価値あり。

    普陀山へは、舟山島の沈家門港からのフェリー以外にも、朱家尖島の蜈蚣峙埠頭からもフェリーが出ていて所要時間は10分程度。
    蜈蚣峙埠頭近くには空港もあるので、飛行機利用も考慮に入れてみては?
    舟山島には、シェラトン・ホテル(舟山喜来登緑城酒店) も出来ています。普陀山参拝の拠点にしてみるのもいいですよ。

    ただし、上記の2012年の再訪計画は、蜈蚣峙埠頭まで来て参拝客の多さに恐れを成した知人が乗船を拒否して不成立。
    エ━━━(;゚д゚)━━━・・ せっかく目の前まで行ったのに!! ヾ(*`Д´*)ノ
    結局、寧波に引き返してしまいました…。(−−〆)

  • これは普陀山のほぼ全体の地図。<br />●注: これは1995年の普陀山訪問の際に手に入れた地図です。<br /><br />普陀山は南北に細長い形の島で、別名の海天佛国の名のごとく、島中にお寺さんが散在しています。<br />島の南端近くに≪新客運站≫と出ているのが船着場。<br />画像をクリックして元画像画面で拡大してみると、文字まで読み取れるようになります。<br />島の東側にきれいな砂浜が連なっていて、お寺さん巡りの途中の散策路にピッタリ。<br />上海あたりの海は泥色ですが、同じ東シナ海でもここまで来るときれいな青色だったのが印象的でした。<br /><br />1995年当時は島の宿泊施設は少なくて、息耒小庄という宿に宿泊。<br />写真が出て来ていないのが惜しいですが、当時は白壁に黒い瓦を乗せたシンプルな造りの宿で、すぐ近くに四角い池があったと思います。<br />この地図だと、島の南端から山を越えた普済禅寺近くに名前が出ています。<br />船着場からはミニバスと徒歩で行ったような思い出が。<br /><br />

    これは普陀山のほぼ全体の地図。
    ●注: これは1995年の普陀山訪問の際に手に入れた地図です。

    普陀山は南北に細長い形の島で、別名の海天佛国の名のごとく、島中にお寺さんが散在しています。
    島の南端近くに≪新客運站≫と出ているのが船着場。
    画像をクリックして元画像画面で拡大してみると、文字まで読み取れるようになります。
    島の東側にきれいな砂浜が連なっていて、お寺さん巡りの途中の散策路にピッタリ。
    上海あたりの海は泥色ですが、同じ東シナ海でもここまで来るときれいな青色だったのが印象的でした。

    1995年当時は島の宿泊施設は少なくて、息耒小庄という宿に宿泊。
    写真が出て来ていないのが惜しいですが、当時は白壁に黒い瓦を乗せたシンプルな造りの宿で、すぐ近くに四角い池があったと思います。
    この地図だと、島の南端から山を越えた普済禅寺近くに名前が出ています。
    船着場からはミニバスと徒歩で行ったような思い出が。

  • これは、普陀山南端にある船着場あたりの町並みだったかな。<br /><br />フェリーから降りて、町の中に入って行く女性の後姿に何かしら物語を感じたSUR SHANGHAI。<br /><br />都会での夢に敗れて里帰り…的な演歌を連想させる一風景。

    これは、普陀山南端にある船着場あたりの町並みだったかな。

    フェリーから降りて、町の中に入って行く女性の後姿に何かしら物語を感じたSUR SHANGHAI。

    都会での夢に敗れて里帰り…的な演歌を連想させる一風景。

  • 普陀山は全体的に岩山が多い島。<br />あんまり農業には適した土地とは言えないと思うんですが、それでもあちこちに畑が点在。<br />自家用程度の野菜は自給自足している感じでした。<br /><br />畑仕事をしているのはお年寄り。<br />海の男を引退した後で、畑仕事に転業したんだろうか、と想像してみる。

    普陀山は全体的に岩山が多い島。
    あんまり農業には適した土地とは言えないと思うんですが、それでもあちこちに畑が点在。
    自家用程度の野菜は自給自足している感じでした。

    畑仕事をしているのはお年寄り。
    海の男を引退した後で、畑仕事に転業したんだろうか、と想像してみる。

  • 青々と野菜が育つ畑の向こうに普陀山の海岸や東シナ海が見える秋の日。<br /><br /><br />眺めがいい場所に畑をお持ちですね。(*^。^*)<br /><br />

    青々と野菜が育つ畑の向こうに普陀山の海岸や東シナ海が見える秋の日。


    眺めがいい場所に畑をお持ちですね。(*^。^*)

  • 普陀山の東側には、金沙、百歩沙、千歩沙と名付けられたきれいな砂浜が続いているんですよ。<br />これはそのうちの百歩沙のあたり。向こうの小さい岬に見えているのは、仙人井そばの廟。<br /><br />この1995年にはまだまだ観光開発されていなかったっけ。<br />今は普陀山参拝を兼ねた旅行客用のホテルが並んでいるのかも?<br /><br />2012年の春にはそれも確かめたいと思っていたのに、家尖島の蜈蚣峙埠頭まで行って乗船拒否した客人にはひそかに(−&quot;−怒)。

    イチオシ

    普陀山の東側には、金沙、百歩沙、千歩沙と名付けられたきれいな砂浜が続いているんですよ。
    これはそのうちの百歩沙のあたり。向こうの小さい岬に見えているのは、仙人井そばの廟。

    この1995年にはまだまだ観光開発されていなかったっけ。
    今は普陀山参拝を兼ねた旅行客用のホテルが並んでいるのかも?

    2012年の春にはそれも確かめたいと思っていたのに、家尖島の蜈蚣峙埠頭まで行って乗船拒否した客人にはひそかに(−"−怒)。

  • 同じく百歩沙から見た普陀山の北方向。<br /><br />画像奥に見えている山にもお寺さんがたくさん。<br />代表的なのは、麓にある法雨禅寺とてっぺんにある慧済禅寺(佛頂山)。<br />人がすれ違える位の山道を旦那と二人上って行った覚えがあるのに、写真の方は行方不明。<br /><br />慧済禅寺(佛頂山)に向かう途中、五体投地で山道を上って行く人に出会って、普陀山にはチベット仏教寺院もあるのかとびっくりしたSUR SHANGHAI。<br />実は、五体投地はチベット仏教に限った礼拝形態ではなく、仏教においては一番丁寧な礼拝方法で、絶対的帰依を表わす行為になるんだそうです。

    同じく百歩沙から見た普陀山の北方向。

    画像奥に見えている山にもお寺さんがたくさん。
    代表的なのは、麓にある法雨禅寺とてっぺんにある慧済禅寺(佛頂山)。
    人がすれ違える位の山道を旦那と二人上って行った覚えがあるのに、写真の方は行方不明。

    慧済禅寺(佛頂山)に向かう途中、五体投地で山道を上って行く人に出会って、普陀山にはチベット仏教寺院もあるのかとびっくりしたSUR SHANGHAI。
    実は、五体投地はチベット仏教に限った礼拝形態ではなく、仏教においては一番丁寧な礼拝方法で、絶対的帰依を表わす行為になるんだそうです。

  • 普陀山の金沙と百歩砂の砂浜の間には小さな岬があって、そこには南海観音像や不肯去観音院があります。<br />この画像が、東シナ海を望んで立つ不肯去観音院の遠景。<br /><br />不肯去観音院の≪不肯去≫というのは、≪行くのを嫌がる≫の意味。<br />その由来は、中国に渡来していた慧萼(えがく)という僧が、帰国の際に五台山からの観音像を携えてこの普陀山沖を通りかかったところ、突然天候が悪化。<br />これは観音像が日本へ行くのを拒んでいるという事になり、上陸したこの岬に観音院を建てたのが、普陀山が仏教聖地になった始まりなのだそう。

    イチオシ

    普陀山の金沙と百歩砂の砂浜の間には小さな岬があって、そこには南海観音像や不肯去観音院があります。
    この画像が、東シナ海を望んで立つ不肯去観音院の遠景。

    不肯去観音院の≪不肯去≫というのは、≪行くのを嫌がる≫の意味。
    その由来は、中国に渡来していた慧萼(えがく)という僧が、帰国の際に五台山からの観音像を携えてこの普陀山沖を通りかかったところ、突然天候が悪化。
    これは観音像が日本へ行くのを拒んでいるという事になり、上陸したこの岬に観音院を建てたのが、普陀山が仏教聖地になった始まりなのだそう。

  • 普陀山の集落。<br /><br />白壁に黒い瓦屋根を乗せた民家が美しい。<br /><br />今は、新築の現代的民家が並ぶ町になっているのかも?

    普陀山の集落。

    白壁に黒い瓦屋根を乗せた民家が美しい。

    今は、新築の現代的民家が並ぶ町になっているのかも?

  • 普陀山は海天佛国と呼ばれるほど大小のお寺さんが多い島なのに、今回は畑や風景の写真ばかりが出てきてしまってすみません。&lt;(_ _)&gt;<br /><br />海辺の近くの斜面にも、異なった緑の野菜があれこれ植えられている様子は期せずして出来たパッチワーク。<br /><br />

    普陀山は海天佛国と呼ばれるほど大小のお寺さんが多い島なのに、今回は畑や風景の写真ばかりが出てきてしまってすみません。<(_ _)>

    海辺の近くの斜面にも、異なった緑の野菜があれこれ植えられている様子は期せずして出来たパッチワーク。

  • 普陀山沖を行く船が見える斜面の畑。<br /><br />おじさんが天秤棒で運んでいくのは畑に上げるお水? それとも肥料?<br /><br />なんだかとっても懐かしい風景。<br /><br />美味しい野菜が出来るといいですね。

    普陀山沖を行く船が見える斜面の畑。

    おじさんが天秤棒で運んでいくのは畑に上げるお水? それとも肥料?

    なんだかとっても懐かしい風景。

    美味しい野菜が出来るといいですね。

  • 1995年にはこんなミニバスが普陀山内の足になっていた。<br /><br />天秤棒の振り分け荷物を運ぶ地元のおばちゃんが多くて、乗り込むのも降りるのも大変だった気がする。(;^ω^)

    1995年にはこんなミニバスが普陀山内の足になっていた。

    天秤棒の振り分け荷物を運ぶ地元のおばちゃんが多くて、乗り込むのも降りるのも大変だった気がする。(;^ω^)

  • 普陀山の南端近くにある船着場から上海に戻る日。<br /><br />そこで荷物運びの仕事に就いているおじちゃんたちの運搬用具も、1995年には天秤棒が主流だった。<br />そういう景色も今はどんどん減っているような気がするなあ。<br /><br />2012年の春にはほんの目と鼻の先まで行って行けなかった普陀山。<br />いつかまた戻って行ける日は有りや否や?

    普陀山の南端近くにある船着場から上海に戻る日。

    そこで荷物運びの仕事に就いているおじちゃんたちの運搬用具も、1995年には天秤棒が主流だった。
    そういう景色も今はどんどん減っているような気がするなあ。

    2012年の春にはほんの目と鼻の先まで行って行けなかった普陀山。
    いつかまた戻って行ける日は有りや否や?

10いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

中国で使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
中国最安 273円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

中国の料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP