1996/01/20 - 1996/01/23
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SUR SHANGHAIさん
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これまでに何度も引越しを経験してきて、そのたびに散り散りになっていく昔の旅記録。
それでも、あちこちから少しずつ出て来る旅の写真や記録をまとめて分類しておくと、どうにか旅行記に仕上がりそうな物もポツポツ。
この1996年冬の西安旅行もその一つ。
これがSUR SHANGHAIが初めて西安を訪れた旅だったのかな?
旦那のお供で行って、その合間に西安の見所をいくつか回ってみた覚えあり。
どうやって西安の街を巡り歩いたか記憶に無いのは、ちょっとミステリアス。
1996年の1月か2月だったのは前後の旅の記録で分かっても、正確な日付までは…。(・・?
そのうちにガラクタ箱から発掘される記録が増えれば分かるかも。
ここでは、とりあえずこの頃だったなあという日付でアップしようと思います。
表紙の画像は、大雁塔がある大慈恩寺境内(?)で撮ったお坊さんの姿。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ちりぢりばらばらになっている昔の旅行記録や写真。
でも、この画像の場所は華清池なのは一目で思い出したSUR SHANGHAI。
華清池は、唐の玄宗皇帝に寵愛され過ぎ、安史の乱の元になったとされる傾国の美女楊貴妃が湯浴みをしたと言われる温泉地。
場所は西安市街地の東郊外で、秦始皇兵馬俑博物館へ行く途中にあります。
華清池は白居易(白楽天)の『長恨歌』の一節にも出て来て、楊貴妃が『…温泉水滑洗凝脂(…温泉水滑らかにして凝脂を洗う)』場所なんですが、この時は周辺も殺風景でただただ埃っぽい場所。
それでガッカリした思い出が…。(−−〆)
この頃の中国の街って、どこに行っても埃っぽかった気がする。
特に冬は燃料に使う石炭の粉塵・煤塵がひどかった。
それでよく喉をやられたSUR SHANGHAI。
今は緑化が進んでいるし、観光地はどこもずいぶんきれいになったと思う。
華清池へはこれ以来行っていないけど、今では温泉観光地として整備されているんだろうな。 -
上の画像の華清池を訪れたということは、秦の始皇帝陵を車窓から見ながら通り過ぎ、秦始皇兵馬俑博物館にも行って帰りには半坡博物館にも寄るのが一般的見学コースのはずですが、写真は未発掘。
見学場所が撮影禁止だったり、この頃は写真もあんまり撮らなかったから、写真自体が無いのかも。
で、これは西安城外南東の大慈恩寺境内にある大雁塔。
大雁塔は、唐代の玄奘三蔵(『西遊記』の三蔵法師)が、天竺(インド)から持ち帰った仏教経典などを保存するために652年に建てた塔。
SUR SHANGHAIが境内見学とは別料金を払ってこの塔に上ったのもこの時だった気がする。
ただ、お天気がこのとおりで、黄土の土埃や燃料に使う石炭の煤塵で空気もどんより。
何にも見えなくてここでもガッカリ。(−−〆)
この頃の中国の見所は、歴史的には超有名な所でも、設備や環境が整備されていない所が多かった。
それはそれで中国らしさもあったから、懐かしい気持ちも強いSUR SHANGHAI。
2008年に数度目の西安を訪れた時の様子と比べてみたい方は、下記をご参照下さい。
★春の始めの陝西省(2、完) −西安の昼と夜
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10550589/ -
イチオシ
これは、大雁塔がある大慈恩寺境内で撮った写真だったような。
このお坊さんのレトロな装束は、天竺への往来を果たした三蔵法師を連想させる。
純粋な漢族とは違う中近東風のお顔立ち。
西安は、かつては長安と呼ばれたシルクロードの街だったというのを実感したSUR SHANGHAI。 -
90年代半ばの冬は、中国のどこでも皆、この写真のおじいさんと同じように着膨れファッションだった。
一体何枚重ね着していたのやら、モコモコブクブク。
腕が曲がらないくらい着ていた人もいたっけ。
この旅行記を書いている2011年の今は、都会ではもうあんまりこういう格好は見られなくなったと思う。
若いおねえさんたちは着る物もお化粧も飛躍的におしゃれになって、日本以上と思うことも。
元々のスタイルがいいし、かつては見られなかった愛想の良さも出て来たからかもね。 -
これは一目で西安城内の北院門街近くにある清真大寺と分かる写真。
清真大寺は、北院門街からだとバザールのようなお土産店が並ぶ化覚巷の211号にあります。
中国語で清真寺と言うのはイスラム教のモスクの事。
ついでに言うと、中国語ではイスラム教は伊斯蘭教、ムスリムは穆斯林と言います。
画像に写っている信者らしき男性をよく見ると、すでにシルクロード風の風貌。
清真大寺の礼拝大殿入り口の黒く塗られた柱にはアラビア語を図案化した紋様が描かれているし、壁に掛かっているのは1日5回の礼拝時間を示す時計。
これは、数度目の2008年に訪れた時も変わっていなかったっけ。
まだこの時の西安写真は出て来るかな。
今回はここまでにしておこうと思います。
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