1997/09/10 - 1997/09/11
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- #ドライブ・ツーリング
- #ちょっと昔の中国とネパール
- #カロラ峠(カロー峠)の氷河
- #ギャンツェのパンコル・チョエデ
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★2011年4月: 旅記録や写真が新たに出て来たので、これまで1編だけだったチベット旅行記を三つに分けて再編集します。★
今日からは、ラサで雇った運転手さん付きのランドクルーザーでネパールとの国境を目指すSUR SHANGHAIとその旦那。
そのルートを大雑把に言うと、ラサ→ナンカルツェ→ギャンツェ→シガツェ→テングリ(ティンリー)→ザンムー(ダム)を三日間で走破してもらう約束で、当時4800元。
今日は、そのうちのシガツェが一泊予定の目的地。
そのスケジュールをもう少し詳しく言うと、ラサ→ヤムドク湖近くのナンカルツェ→ロカ地区とシガツェ地区の境になっているカロラ峠(カロー峠)→パンコル・チョエデ(白居寺)があるギャンツェ→そして、タシルンポ寺があるシガツェに一泊。
高山病で息切れや頭痛が始まっていたSUR SHANGHAIとその旦那。
それでも、これから先ではどんな景色や街並みが見られるのかと思うだけで期待感が高まって高山病とは違う動悸でドキドキ…。
この時の旅以前にチベットに来たことのある旦那も、ラサ以外は見ていなかったようなので、今日からは2人のうちどちらにとっても未知の旅路。
ランドクルーザーの運転手さんにこの先の旅の安全を託して、さあ出発!
表紙の画像は、標高5000mほどのカロラ峠(カロー峠)近くで出会ったチベットの少女。その後には氷河の一部も見えています。
●注: カロラ峠(カロー峠)の標高の数字は資料によってまちまちなので、5000mほどとしておきます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
これは、この時のチベット〜ネパール旅のメモ代わりに使っていた便箋。
SUR SHANGHAIにとって貴重な旅記録。
この一連の旅行記に出す料金などの数字はこの記録内のものになります。
個人的なメモもあるので、画像は縮小してアップします。
この便箋の左上の方にはホリデイ・インのロゴが出ていますが、以前のホリデイ・イン・ラサ(拉薩假日酒店)が使っていた物です。
1997年にはホリデイ・インとの合弁は解消されて、SUR SHANGHAIたちが泊まったときには拉薩飯店になっていたんですが、部屋にはまだこの便箋が置いてありました。
この日の出だしはラサ。事前に手配しておいた運転手さん付きランドクルーザーで、この後はネパールとの国境まで行ってもらう手はずになっていますが、この編では途中のシガツェ(日喀則)までをアップします。
ラサでは、旅行社でチベットの後で訪れるネパールのヴィザ取得。
当時、15日間のシングル・エントリーの観光ヴィザが135元でした。
そのほか、ラサでは上記の運転手さん付きランドクルーザーの手配も旅行社で無事に完了。
ラサ→ナンカルツェ→ギャンツェ→シガツェ→テングリ(ティンリー)→ザンムー(ダム)を三日間で走破してもらうことにして、当時4800元。 -
上に出した旅記録によると、拉薩飯店まで迎えに来てくれたランドクルーザーで出発したのは朝8時。
運転手さんは、もう何十回もネパール国境までのルートを走った大ベテラン。安全運転をしてくれた以外にも、旅のこぼれ話やアドバイスまでしてくれた温厚な性格のおじさんでした。
名残惜しいラサを去ったあとは、ひとまずラサ・クンガ空港方向に向かったランドクルーザー。
空港への分岐点になるチュシュ(曲水)のあたりまでは舗装がしてあったと思うけど、そこから先は未舗装道だった。
これは、ロカ地区クンガ県とナンカルツェ県の境にあるカムパ峠付近から見下ろしたヤムドク湖。
ちなみにカムパ峠の標高は4749m、ヤムドク湖の標高は4250mだそう。
ちょうど霧が流れて行ってくれたので、ずいぶん遠くの方まで見えたヤムドク湖。 -
上記のカムパ峠の辺り。
標高3650mのラサより1000m以上も高い!
ついさっきまでヤムドク湖が見えていたと思ったら、また霧で視界が閉ざされた。
チベットでは、天に近い神聖な場所とされる所にはマニ石を積み上げて木の枝を立てたオボーが見られます。
峠もそんな神聖な場所の一つとされているようなんですが、このカムパ峠では霧のせいなのかオボーは見つからず。
その代わりに小さい塔のような石積みだけがいくつもいくつも並んでいて、異様な雰囲気。
≪賽の河原の石積み≫という言葉を思い出してしまったSUR SHANGHAI。 -
ヤムドク湖畔に近いナンカルツェの町で休憩。
写真も何枚か撮った記憶はあるのに目下は行方不明。
ナンカルツェは、当時は町というより村に近い規模で、日干しレンガと石の素っ気無い平屋建てが並んでいる感じだった。
町自体には見所も無いし、人通りもごくわずかで、なんだか急に人知れぬ辺境に迷い込んでしまったかのよう。
民家の前に座っていた女性が、ヨード不足による甲状腺肥大らしい外見だったのも、この土地の医療が行き届いていない象徴のような気がした。
民家の居間のような食堂でそそくさと簡単な食事を済ませた後はすぐに出発。
あのナンカルツェの町と女性はあれからどうなったかと思う。 -
ナンカルツェの町を出て、ロカ地区とシガツェ地区の境になっているカロラ峠(カロー峠)を目指す道。
この時のナンカルツェからギャンツェまでの道の状態は決してよかったとは言えなくても、よくこんな場所に道路を造ったなあ!と驚く眺め。
この道も今では立派に舗装されているんでしょうね。
タンクローリーも同じ方向に向かってひた走る。どこまで行くんだろ。 -
カロラ峠(カロー峠)を目指す道の脇には、高原牧場風の場所が続いているところもあった。
短い草が一面に生えていても、さすがに木は一本もない高地。
放牧されたヤクの群れがいるということは、この近くにはそのヤクを世話する人々も住んでいるはずなのに、民家や人の姿は見えなかった。
見落としただけ? -
草すらも生えない岩山が行く手に見えてきて、だんだんにカロラ峠(カロー峠)が近づいてきた、といった雰囲気。
右手にちょっとだけ写っているのが、SUR SHANGHAIたちの雇ったランドクルーザー。運転手さんの普段からの点検や手入れが行き届いていたようで、一度もトラブルは無し。
昔、或るトラック運転手が、冬の荒野の真っ只中でエンストして凍死してしまった…、という辛い思い出話もしてくれ、こんな場所で車に問題が起こったら、死に直結することもありえると了解している運転手さんでした。 -
さて、今日のハイライトの一つのカロラ峠(カロー峠)のあたり。
この道筋を通る人たちは、お天気が良ければ必ず車を停めて降りる場所になっているんですが、この時には観光用設備は一切ありませんでした。
今はどうか分かりませんが、最低でも車内用の飲み物・スナック、それにトイレ用ペーパーとウェットティッシュ位は準備していくのが○。
カロラ峠の標高は資料によってまちまち。5000mから5100mくらいの幅で出ているので、ここでは5000mほどとしておきます。
カロラ峠のあたりでは、お天気の運がよければ大小の氷河が見えますよ。
この画像の氷河もその一つ。
上段の画像手前の川は、このあとヤムドク湖まで流れていくのかなと想像してみたSUR SHANGHAI。 -
カロラ峠(カロー峠)のあたりの氷河で有名なのはこのノジン・カンツァン氷河。
標高7200mほどのノジン・カンツァン山にへばりついている雪のよう。
もう少し上の方まで霧が消えたら、もっと氷河らしく見えたのかも。
SUR SHANGHAIたち以外にも、車を降りてあたりを歩いている人がちらほら。
お天気が今ひとつなのに加えて、寒いのと空気が薄いのとで、みんな早々に車に戻る。
カロラ峠(カロー峠)は少なくても5000mはあるから無理も無し。
いつもならもう少し歩き回るはずのSUR SHANGHAIも、これ以上息切れや頭痛がひどくならないうちに車に退散。 -
左右から折り重なるように続く山々の合間を縫って道は続く。
行く手にはまた、雪をかぶった岩山が見えてきた。 -
一瞬霧が晴れ上がったこの景色は、チベットと言うよりヨーロッパあたりの高原+雪山リゾート地のようにも見えてしまう。
-
カロラ峠(カロー峠)からの続きの雪山風景。
この写真の雪山の名は失念しましたが、その威容に見とれてここでも下車。
ふと気付くと、こんな人里離れた場所なのに、山の裾野を誰かがこっちに向かって歩いてくるのが見えた。
下段の画像右下の青い○の中の人影がその人物。
え? (◎◇◎)!!
普通の人にしてはずいぶん体の横幅も厚みもある感じだし、歩いて来るスピードがなんだか怖くなるほどに速い。(@_@;)
まさか、ヒマラヤの雪男じゃあるまいし…、と思いつつも、いつでも逃げ出せる体勢で見ていると、どんどん飛ぶような速さで近づいて来る。
ひゃ〜〜、何々??!! ((+_+)) -
イチオシ
やっと、その人影の衣服や顔立ちが分かる距離になったあとは一安心。
雪男かと見間違えたのは、背中に柴を積んだチベット人少女でした。
車道が通っているとは言え、この環境の中に暮らす人々もいると言うのが凄まじく思える。
自然に囲まれた暮らしと言えば美しく聞こえるけど、この少女の実際の暮らしぶりはどうなんだろう…。
カメラは向けていなかったのに、カメラを指差して「お金、お金。」と、片言の普通話(北京語)で催促してきた少女。
「モデルになるからモデル料をちょうだい。」という意味だと分かったので、氷河を背景に一枚パチリ。
ポケットに入っていた小銭を渡してあげると、ニコリともせずにまた飛ぶような速さで去っていった…。 -
イチオシ
カロラ峠(カロー峠)を過ぎ、お次の目的地ギャンツェへ向かう道沿い。
思いがけなく菜の花が満開の場所があった。
向こうに見える禿山はなだらかに見えても、全体の標高は結構高い。
カロラ峠が5000m位、ギャンツェが4000m位らしいから、その間を取ったとしても4500m!
そんな高地でも、菜の花が咲くとは意外。
か弱く見える草花の秘められた逞しさを見た思い。
そして、そんな風景の中にも延々と引かれている電線と電柱。
この地に電気を引く工事が行われたのはいつのことだったんだろう。
工事に携わった人々の逞しさにも驚くばかり。 -
さて、この当時は未舗装で状態の悪かった道をたどってギャンツェの街に到着。
上の方に出した旅記録だと午後の3時に着いたようだから、ラサからは途中の休憩や見学を含めて7時間。
運転手さんは、「ギャンツェの見学時間は1時間ね。じゃないと、シガツェへの道が真っ暗闇になるから時間厳守だよ。ここで休みながら待ってるから行っておいで。」
「は〜い。(^o^)丿」
この画像で見えているのは、ツォン山(宗山)とその上のギャンツェ・ゾン(宗山城堡)跡。
ギャンツェ・ゾンは、元々はこの地方の王だった人物が14世紀に建てたお城で、遠目には司馬台長城(万里の長城の一部)のような雰囲気。
ここで、1903年にこの地に侵入してきたイギリス軍とチベット軍との間に大きな戦いがあり、結局はチベット軍の敗北に終わったと言う歴史があるんだそうです。
ギャンツェ・ゾン(宗山城堡)跡には、城の廃墟以外にもその戦争当時の大砲などの遺構も残っているんだそうですが、SUR SHANGHAIたちがやって来た1997年には立ち入り禁止だったような…。記憶違いだったらごめんなさい。
今では誰でも上って行けるようですよ。ただし、高山病にはご注意を。
いずれにせよギャンツェでの持ち時間が1時間だけなので、SUR SHANGHAIとその旦那はもう一つの見所のパンコル・チョエデ(白居寺)へ行ってみます。
個人的な結論から先に言うと、パンコル・チョエデ(白居寺)周辺の雰囲気もよかったので、このギャンツェの街にも泊まってみたかったなあという感想でした。 -
ギャンツェの街の見所パンコル・チョエデ(白居寺)へ向かう道筋。
上段の画像左上の岩山に見えている赤い城壁のような塀が、お寺の境内をぐるりと囲んでいます。
当時の民家は、日干し煉瓦造りの2階建てがほとんど。
この街並みも、今は見違えるように新しくなっているのかも?
民家の外壁には、燃料とする牛糞(ヤクの糞?)を乾かすために、いくつもいくつも丸いお煎餅状に貼り付けてありました。
下段の画像だと、茶色いうろこ状に壁を覆っているのが見えると思います。
この頃はまだインドには行っていなかったSUR SHANGHAIも、あとになってから「あ、チベットもインドも同じ牛糞燃料文化圏だったんだ!」と気付いた一場面。
上段の画像では、地元の人々が全員何かを背負っていますが、これは汲んできた水を運んでいる場面。
この後行ってみたパンコル・チョエデ(白居寺)境内に井戸か水汲み場があるようでした。 -
これは、パンコル・チョエデ(白居寺)の広〜い境内。チケットはこの当時20元。
後の岩山の稜線までが境内なのか、赤い城壁状の塀がぐるり。万里の長城みたい。
チベット独特の何とも言えない青い空との対比が鮮やか。 -
パンコル・チョエデ(白居寺)の境内。
宇宙が近いのを思わせる濃い空の色と、渦巻く白い雲。
お寺にお参りに来る人たちがその空の下を歩いて来る様子は、夢に出てくるような非現実的風景。 -
イチオシ
パンコル・チョエデ(白居寺)境内。お参りに来る人々とは別に、水汲みに訪れる人も多数。
左手の白い塔がパンコル・チョルテンで、右手の赤い壁の建物がパンコル・チョエデ大集会堂。
このお寺は、1418年に当時のギャンツェの王と僧侶が協同創建したと言われています。
チベット仏教のお寺さんなんですが、宗派はこれと決まっていず、各宗派が共存しているんだそう。 -
パンコル・チョエデ(白居寺)では、先に右手の大集会堂へ行ってみます。
-
パンコル・チョエデ大集会堂内部。
普通ならチベット仏教寺院内部の撮影は禁止のはずなのに、何枚か撮った記憶があるのは、ここでは撮影OKだったのかも。
祭壇の仏像だけが撮影禁止になっていたのかな。
大集会堂の垂れ込めた闇の中に、うずくまった形に置いてある僧衣がずらり。
今にもムクムク起き上がってきそうで怖かった。 -
これもパンコル・チョエデ大集会堂内部。
ヤクのバターで作られたバター彫刻や、灯心がいくつもあるロウソク。
その揺らめく明かりにつれて立ち込める独特の匂い。 -
大集会堂と隣のパンコル・チョルテンの間を歩く。
大集会堂の側面にはマニ車が並んでいた。 -
パンコル・チョルテンの脇から、後の岩山を見上げる。
岩山の中腹にある建物も、パンコル・チョエデ(白居寺)付属のお堂になっているんだろうか?
よく見てみようと思って、時計回りとは逆にパンコル・チョルテンの裏へ回り込みかけたら、通りかかったお坊さんに叱られてしまったSUR SHANGHAI。(^^ゞ
うっかりとは言え、失礼いたしました〜。m(__)m お許しを。
チベット仏教では、聖なる場所を回り込む時には、時計回りに回るのがルール。マニ車も時計回りに回すんだそうですよ。
これを読んだ皆さんは気をつけましょう。 -
マニ石が積まれたパンコル・チョルテンの正面。
この塔はてっぺんまで上れるので、高山病の症状と相談してから行ってみるといいですよ。
この日のSUR SHANGHAIたちは、ラサを出た頃は息切れと重苦しい頭痛がしていたのに、ラサより標高が高いギャンツェのあたりでは一旦症状が消えていました。
どうしてなのかは分かりません。 -
パンコル・チョルテンのてっぺんから見たパンコル・チョエデ(白居寺)境内とギャンツェの街。
左に少し写っている建物がパンコル・チョエデ大集会堂。
街は土色なのに空気は透明なので、遠景のツォン山(宗山)とその上のギャンツェ・ゾン(宗山城堡)跡もくっきり。 -
これはパンコル・チョルテン内の仏像だったはず。
左の画像の仏像は、お顔だけがピカピカ。
やっぱりチベット仏教の仏像は、その波打ったような輪郭の目が特徴。
実際の人の目がこんな形だったらどうだろう。 -
台形の縁取りがされた窓を持つチベットの建物。
白壁だから、背後の空の色が一層色濃く見える。 -
イチオシ
パンコル・チョエデ(白居寺)の裏手にある岩山。
その中腹に点々と建てられているのも、お寺に付属した建物?
人の気配が無い建物って、白昼の光の中でもちょっと怖い感じがする…。 -
パンコル・チョエデ(白居寺)の裏手にある岩山。
しばらく見ていても、全然人の気配がしなかったギャンツェの昼下がり。 -
ギャンツェの街のこの空の青さと雲の白さは低地では見られない。
いつまでも眺めていたくなる風景。
そうは言っても、ギャンツェの街での持ち時間はすぐに過ぎ去って、またランドクルーザーの運転手さんと落ち合ったSUR SHANGHAIとその旦那。
う〜ん、ギャンツェで一泊するコースにすればよかったなあ、名残惜しい…。
午後の4時にギャンツェを出発した車が、この日の宿泊地シガツェに到着したのは午後6時半。
ギャンツェとシガツェの間の道は埃だらけでも、それまでよりは状態はよくて一安心。運転手おじさん、お疲れ様!
シガツェで宿泊したのは、この旅行記の出だしの旅行記録によるとシガツェ飯店のツイン450元。
濃い色彩と図案のチベット家具が印象的だったのに、その写真は目下行方不明。
これでこの日のラサ→シガツェの行程を無事に終えたSURSHANGHAIたち。 -
一夜明けたシガツェの街。
上の方に出した旅記録によると、シガツェでの宿になったシガツェ飯店を出たのが朝の9時。
最初にシガツェの見所のタシルンポ寺に向かってもらいます。
これがシガツェの見所の一つになっているタシルンポ寺の入り口。
この寺は、チベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパの高弟(後のダライ・ラマ1世)によって、1447年に創建されたと言う由緒ある歴史があります。
シガツェ自体も、チベットでは第二の街と言われるだけの規模があり、そのせいもあるんでしょうが、タシルンポ寺の境内は広大。
高山病が出ていると、歩いて見学するのに時間がかかります。SUR SHANGHAIたちは1時間かけて見て回りました。
タシルンポ寺のチケットはこの当時20元。 -
シガツェのタシルンポ寺境内。
画像の奥に見えている金色の屋根を持つ一際高い建物がパンチェン・ラマ10世霊塔殿。
パンチェン・ラマ10世は、ダライ・ラマ5世時代にタシルンポ寺の僧院長だった人物なんだそう。
この日は、どこかのVIPがタシルンポ寺を訪れていたようで、ずいぶん立派な車列が出て行くところでした。 -
シガツェのタシルンポ寺境内。
赤い壁を持つ似たような霊塔殿や僧坊などの建物が多数あって、一大迷路のよう。
建物内部はこの当時は撮影禁止だったのかどうか、一枚も撮った覚えがありません。
タシルンポ寺の境内背後には結構高くて険しい岩山があるのがこの画像で分かると思います。
シガツェの街自体の標高もかなり高いんじゃない? と思うかも知れませんが、実はそれほどでもなく、3900m位なんだそう。
ちなみにラサの標高は3650m。 -
これも同じくシガツェのタシルンポ寺。
タシルンポ寺はこのあたりの正治・宗教の中心として栄え、僧侶も多いと聞いていたのに、ほとんど誰にも出会わない建物もあった。
SUR SHANGHAIたちが的外れな場所を歩いていただけ?(^^ゞ -
岩山の裾野に広がるタシルンポ寺。
上に出した画像のように人の気配が無い建物もあって、異次元の世界に踏み迷ってしまったんじゃないかと思う場所もあった。
建物から建物へと、上ったり下りたりの道の先で、人の姿が見えると一安心。 -
タシルンポ寺境内で出会った少年僧とSUR SHANGHAIの旦那。
まだまだいたずら好きそうな少年たち。
これからずっとこのお寺で修行生活を送るんだろうか。 -
境内の片隅をほじくり返している人がいた。
そして、その様子を見守る人も。
何をしていたんだろう。 (・・? -
広いタシルンポ寺の敷地を横切っていく僧の赤い衣と岩山向こうの青い空との対比が鮮やか。
お天気もよくなっていくみたいだし、これからのネパール国境方面への道筋もいい旅になるかも? …と思っていたSUR SHANGHAI。
この後のテングリ(ティンリー)からが大変だったんですよ〜。
そのお話は、次編へと続きます。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- kumさん 2011/06/25 17:48:12
- ご、ごせん・・・・?
- SUR SHANGHAIさん、こんにちは
チベットからネパールへ陸路で行かれたんですね。
どちらも行ってみたい地域なので興味深く読ませていただきました。
ドライバーさんは3日間で4800元とのこと。
今の為替レートだと6万円弱ですが思ったよりも高いんですね。
まぁ、帰りもあることを考えるとやむを得ないのかもしれませんね。
しかし5000mくらいですか・・・・!
ペルーのチチカカ湖の4200mでもきびしかった私たち夫婦にはちょっと無理かも・・・orz
でもこの素晴らしい風景が見れるのだとすると行きたいなぁ。
kum
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2011/06/28 10:48:29
- RE: ご、ごせん・・・・?
- お返事が遅れて失礼しました〜。m(__)m
この旅行記の内容は、もうずっと前の事ですから、車のレンタルも今はいくらくらいなのか…。
今では道がずいぶんよくなったようなので、今は幹線道路を外れなければ普通車でも通れるのかも? 要確認ですね。
高山病は、人によって症状がまちまちのようですね。
こればっかりは、行ってみなければ自分がどの程度の症状になるかも不明。
私たちはお医者さんのお世話になるほどではなくてラッキーでした。
私の知人は、ツアーでエベレストのベース・キャンプまで行ったようですが、途中で足腰が立たなくなってしまったそうです。(^^ゞ
これさえ克服できる方法があれば、チベットもお勧めですよ。(*^。^*)
> SUR SHANGHAIさん、こんにちは
>
> チベットからネパールへ陸路で行かれたんですね。
> どちらも行ってみたい地域なので興味深く読ませていただきました。
>
> ドライバーさんは3日間で4800元とのこと。
> 今の為替レートだと6万円弱ですが思ったよりも高いんですね。
> まぁ、帰りもあることを考えるとやむを得ないのかもしれませんね。
>
> しかし5000mくらいですか・・・・!
> ペルーのチチカカ湖の4200mでもきびしかった私たち夫婦にはちょっと無理かも・・・orz
>
> でもこの素晴らしい風景が見れるのだとすると行きたいなぁ。
>
> kum
-
- Rockyさん 2011/04/23 10:40:10
- 便箋。
- SUR SHANGHAIさん、こんにちは
貴重な旅記録がこの便箋に...
当時の旅が甦ってくるとは、なんとも楽しい事でしょうね。
今回の滞在型タイ旅では、PCでの旅日記(メモ程度)記録しました。
でも、なんと消されてしまったんです。
PC故障で修理出す際、バックアップし忘れてました。
今回は、写真みながら少しづつ思い出しながらの旅行記作成でした。
そんな訳で、SUR SHANGHAIさんにとって貴重な旅記録『便箋』
に基づく旅行記楽しく拝見でした。
次回は、メモ記録執っておかねばと思いました。Rocky
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2011/04/24 08:08:35
- RE: 便箋。
- おはようございます。ご訪問、ありがとうございました。m(__)m
この旅の便箋メモも、今ではボロボロの古文書になって出土。(^◇^)
それでも、その内容で連鎖的に思い出す事柄も多いので、うれしく思っています。
よくぞ、出て来てくれた! という感じですね。
> 今回の滞在型タイ旅では、PCでの旅日記(メモ程度)記録しました。
> でも、なんと消されてしまったんです。
> PC故障で修理出す際、バックアップし忘れてました。
デジタル記録って、ほんの一瞬のミスでもかき消えてしまいますから、要注意ですね。悔やんでも悔やみきれなかったのでは?
私もデジカメの使い始めの頃、まだバックアップを取っていないメモリーカードの内容を自分の手で全削除してしまった経験あり。(−−〆)
あれ?っと思った時にはすでに遅しでした。(~_~;)
お互いにデジタル記録の取り扱いには注意しましょう。
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