1994/09/10 - 1994/09/10
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SUR SHANGHAIさん
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★2025年9月:新たに出てきた画像をアップします。★
山東省の省都の済南と言ってもピンと来ないでしょうが、孔子の故郷で世界遺産に登録された曲阜の街や、これも世界遺産に登録された泰山へ行く時の拠点になる街として通過する人は多いかも。
そのほか、済南は泉が数多くあることで泉城と呼ばれたり、北郊外を黄河が流れていることでも知られる街。
初夏には断流現象で干上がる黄河も、表紙の画像のように満々と水を湛える時期もあって、この時の訪問ではその浮橋と鉄橋を渡ってみました。
これまでの引越しで分散・紛失している昔の旅写真や旅記録。
この訪問は9月だったのは覚えていても、日付までは覚えていないので、とりあえずこの頃だったなあと言う日を選んでアップします。
表紙の画像は、済南市街地寄りの黄河南岸から見た下流方向。
川を横切っているのは黄河洛口浮橋。
済南についての詳細は、次のウィキペディアのページで見てみるといいと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%8D%97%E5%B8%82
●備忘録: 1995年6月の黄河断流との比較画像付き。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
これよりちょっと前に黄河を訪れた時は、大勢だったり数人だったりしたけど、今日は一人でじっくり歩いてみようと思っているSUR SHANGHAI。
済南市内からは、黄河南岸の洛口までのミニバスもありましたが、この日のSUR SHANGHAIは面包車と呼ばれていた黄色いワンボックス型のミニヴァン・タクシーで行ったような。
市内から距離にして10km足らず。
南岸の堤防の上に立って見下ろす黄河。
9月に入った黄河は満々と水を湛えていた。
この翌年の初夏には断流現象で干上がった黄河も見て、その違いにびっくり。 -
イチオシ
済南市街地がある側の黄河南岸。
その堤防に立って見下ろす黄河とその北岸。
この画像だと、奥が下流方向。
済南の市街地は盆地の低い位置にある上、このあたりの黄河の川底は黄土の堆積で天井川になっているので、南岸にはずっと堤防が造られています。
北岸は平べったい農地が続いていて堤防は無し。
黄河を横切っているのは、船型の浮きを横に繋ぎ合わせて造った洛口浮橋。
この画像を見ると、黄河はいつも滔々と水を湛えているような印象ですが…、 -
...1995年6月に同じ場所から見た黄河は、断流現象で川底がすっかり干上がっていました。
干上がった川底に船が取り残されていたり、その傍らを歩いて行く人や遊んでいる子どもたちも見えています。
洛口浮橋も、川底に造られた一本の道のよう。
上掲の画像の1994年9月とは全く別の黄河の風景。
●注: 1995年6月の黄河の写真は2枚しか出て来ていないので、比較のためにこの旅行記に一緒にアップしておこうと思います。
●注: 1999年からは中国政府が黄河の断流対策に乗り出したため、2006年までの7年間は断流現象が発生しなかったそうです。 -
黄河を渡る洛口浮橋のあたりをアップで。
北岸に見えている岩山は、鵲山という名前らしい。
鵲(カササギ)の棲み家になっている山なのかな。
この浮橋は、トラックやバスの大型車以外に歩行者や自転車、リヤカーなども通行可。
大型車が通る時には、ガガーン! ガタターン! ガタガタ! と凄まじい音。 -
黄土を溶かし込んで、文字通りに黄色く見える黄河。
こうして水が溢れるばかりにある時には、全長が5464㎞ある中国第二の大河というのを実感。 -
それが、断流現象が起きた1995年の6月には…、洛口浮橋の辺りもこの通りカラカラ。
すっかり干上がった川底を歩いている人も見えています。
この画像は、黄河南岸から北岸方向を見た様子。
左手が上流側。
画像奥に見えている林は黄河森林公園なんですが、SUR SHANGHAIはその中までは行った事がありません。 -
黄河を渡る洛口浮橋。これは、渡り終わって北岸から南岸の方向を見た様子。南岸に沿って続く堤防が見えています。
この浮橋は、船形の浮きがいくつも繋がっていて、その上に鉄板が敷いてある感じ。
通行料ってあったかなあ。覚えていないSUR SHANGHAI。
この頃の浮橋は、車道と歩道が分かれていなかったから、渡る時には怖かった。
大型車が来た時の、ガターン! ガガガガン! の轟音にもビクビクしたし、上下左右に結構揺れるんですよ。
一度、知り合いと2人この橋を通った時には、その知り合いは半泣きになったっけ。(^^ゞ
この写真に見えている注意書きの看板には、自転車は乗ったまま渡ってはいけないと出ています。で、草を積んだ自転車のおじさんたちも押しながらの通行。 -
洛口浮橋から1㎞足らず下流に架かっている鉄橋。
これは北岸から見た様子。
浮橋だけなら渡ったSUR SHANGHAIも、あの鉄橋は渡ったことが無い。
果たして渡れるのかどうかも分からなかったし。
で、それを確かめて、出来れば渡ってみるというのが今日のミッション。
一人だからいいチャンス! -
イチオシ
洛口浮橋の下流に架かるこの鉄橋は黄河鉄橋というらしい。これも黄河黄河北岸から見た様子。
かつての日本軍が1930年代に造った物だと聞いたことはありますが未確認。
列車が通るのを見たことが無くて不思議だと思っていたこの鉄橋。
このあと近寄って行った時、鉄橋の前後で線路が断ち切られた形になっているのに気付きました。
2008年に再訪した時には、北京⇔上海を結ぶ列車が通る鉄橋になっていていたのにはびっくり。 -
黄河北岸沿いに歩いて黄河鉄橋に近づく。
この当時は列車は通っていない鉄橋で、地元の人や家畜たちが北岸と南岸の行き来に使っていました。
この画像でも、二人の人影が見えています。
あ、渡れるんだな、と分かったのでさらに前進。
鉄橋の上に出るきちんとした道があった訳ではないんですが、踏み分け道がついていて、土手から上れた記憶が。 -
黄河鉄橋の上に出たSUR SHANGHAI。ずいぶん立派な造りで驚き。
写真は数枚撮った記憶がありますが、目下これだけしか出てきていません。
前を行く人に倣って、SUR SHANGHAIも南岸へと渡ってみます。
渡り始めは枕木もびっしり並んでいたのに、真ん中に進むにつれて間隔が広くなっていたので、さすがのSUR SHANGHAIもドキドキ。
これまでに転落事故とか無かったんだろうか。((+_+))
足元に集中して一歩一歩進む…。
途中では、南岸からのウシの群れともすれ違って一層ビクビク…。 -
黄河鉄橋の南岸近くの土手までやって来たところで、やっと緊張がほぐれた。(~_~;)
ちょっと立ち止まって見下ろすと、黄河の流れが淀んで沼地のようになっている場所が。
そのほとりにたたずむ2人の少年。
この画像だと分かりにくいでしょうが、右側の少年は釣竿を持っています。
こんなドロドロした黄河で何が釣れるんだろう。 (・・? -
黄河鉄橋を渡り切って、ホッと一息。
黄河に落ちずに済んでよかった~。
渡っている間は、足元に集中していたので写真を撮る余裕無し。
一息ついて南岸の堤防上から眺める黄河は、悠久の構え。 -
南岸の堤防に戻った後は、振り出しの洛口浮橋方向へテクテク。
黄河南岸の堤防と岸辺の間には、民家も数軒。
洛口浮橋や黄河を渡る船を管理している人たちの家だったのかも?
自給自足の野菜類を作っているらしい畑もあるし。
上掲の画像では、その畑で働いている人の姿も見えています。 -
黄河南岸の堤防から、北岸方向を見る。
河川敷のように広くなった岸辺には、廃船も並ぶ風景。
この後は無事に洛口浮橋へと戻ってめでたしめでたし。
済南市街地へはまた面包車(ミニヴァン・タクシー)で帰った気がするなあ。
黄河鉄橋を渡ったことを旦那に事後報告すると、「ま、お前のことだからそのうち渡るとは思ってた。」で、おしまいです。
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