![★2017年8月:新たに出てきた画像をアップします。★ <br />★2023年9月:新たに出て来た記録に依り、旅程の日付などを変更・追加しました。★<br /><br /><br />当時長期滞在していた台湾から香港経由で、一人フェリーに乗り込み向かった中国。<br /><br />香港の船着場では台湾での学友が半分羨ましげ、半分不安げにSUR SHANGHAIを見送ってくれた。<br />いよいよ乗り込む時にゲートで<br />「写真撮ってあげるから、手を振って!」<br />と言われ、思いっきり元気に手を振ったはずのSUR SHANGHAIも、帰って来たあとでその写真を見せてもらうと無理に作った笑いのように見えた。<br /><br />いよいよ初の中国。<br /><br />まだあまり旅行情報の無かった頃の中国。<br />SUR SHANGHAIが唯一の道しるべとして携えたのは、なぜかドイツ語のガイドブックの切れ端。<br />この頃は中国語も片言程度だったし、はっきり言って不安だらけ。<br /><br />船内3泊。<br />そのあとは上海⇔蘇州(日帰り)⇒北京⇒広州を列車旅。<br />全部で2週間あまりの、これが初めての大掛かりな一人旅でした。<br /><br />その頃はまだ運賃も入場料も外国人料金と言う物がありましたが、台湾の学生証も使えてずいぶん節約でき、助かりましたよ。<br /><br />その頃はFEC(FOREIGN EXCHANGE CERTIFICATE)と言う兌換券があり、外国人が両替するとこれをもらいました。<br />当時、外国からの輸入品を置いていた唯一の所と言える友誼商店ではFECしか使えなかったので、中国一般の人たちはどうやってこれを手に入れようかといろいろな苦心談があったようです。<br /><br />その頃白地に赤い字で「没有FEC」(FEC無いよ)とプリントされたTシャツが外国人に人気でした。<br />外国人と見れば何とかしてお近づきになって、FECを手に入れようと企んでいた人を皮肉る文句が受けたんでしょうね。<br /><br />表紙の画像は、北京にある紫禁城(故宮)の入り口付近。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/01/23/650x_10012366.jpg?updated_at=1694861984)
1987/08/20 - 1987/09/05
4529位(同エリア45667件中)
SUR SHANGHAIさん
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★2017年8月:新たに出てきた画像をアップします。★
★2023年9月:新たに出て来た記録に依り、旅程の日付などを変更・追加しました。★
当時長期滞在していた台湾から香港経由で、一人フェリーに乗り込み向かった中国。
香港の船着場では台湾での学友が半分羨ましげ、半分不安げにSUR SHANGHAIを見送ってくれた。
いよいよ乗り込む時にゲートで
「写真撮ってあげるから、手を振って!」
と言われ、思いっきり元気に手を振ったはずのSUR SHANGHAIも、帰って来たあとでその写真を見せてもらうと無理に作った笑いのように見えた。
いよいよ初の中国。
まだあまり旅行情報の無かった頃の中国。
SUR SHANGHAIが唯一の道しるべとして携えたのは、なぜかドイツ語のガイドブックの切れ端。
この頃は中国語も片言程度だったし、はっきり言って不安だらけ。
船内3泊。
そのあとは上海⇔蘇州(日帰り)⇒北京⇒広州を列車旅。
全部で2週間あまりの、これが初めての大掛かりな一人旅でした。
その頃はまだ運賃も入場料も外国人料金と言う物がありましたが、台湾の学生証も使えてずいぶん節約でき、助かりましたよ。
その頃はFEC(FOREIGN EXCHANGE CERTIFICATE)と言う兌換券があり、外国人が両替するとこれをもらいました。
当時、外国からの輸入品を置いていた唯一の所と言える友誼商店ではFECしか使えなかったので、中国一般の人たちはどうやってこれを手に入れようかといろいろな苦心談があったようです。
その頃白地に赤い字で「没有FEC」(FEC無いよ)とプリントされたTシャツが外国人に人気でした。
外国人と見れば何とかしてお近づきになって、FECを手に入れようと企んでいた人を皮肉る文句が受けたんでしょうね。
表紙の画像は、北京にある紫禁城(故宮)の入り口付近。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 自転車 タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
8月22日12:30にチェックインを済ませ、香港から上海号に乗り込む時、当時の学友に撮ってもらった写真が出て来たのでアップ。
初めはうれしさより怖さ半分だったのが、西洋人バックパッカーも結構いたのでホッと一息。
行ってきま~す!(^^)/~~~ -
フェリー上海号が出発したのは8月22日の16:00で、その日はすぐに日が暮れた。
上海を目指すフェリーから見た東シナ海。
SUR SHANGHAIの不安を語るかのような色の空。
夕食は18:00からで、「開飯了~!」の掛け声が合図。
この日の夕食は酢豚風の定食。 -
イチオシ
明けて8月23日は好天気。
朝食は7:30からで、内容はおかゆ。
上海号内を探検。
簡単な造りながらも小さなプールがあってビックリ。
同室だったのは、孫を連れた中国人のおばあちゃん。
あまり話し掛けられたくないようで、気詰まりだった。
この頃はこのおばあちゃんに限らず、一般の人は外国人との接触を避けるようなところがあったから、仕方ないかも知れませんが。 -
8月23日11:30からの昼食は牛肉の牡蛎油炒め定食。
18:00からの夕食は豚肉の辛子炒め定食。
そう聞くといい感じですが、上海号の食事はかなり質素。
でも、食べられない、というほどでもなかったので体力を落とさないためにも完食。
同席していた人が塩の容器に箸を突っ込み、舐めてご飯を食べてはまた突っ込むを繰り返していたので、げんなり。(^^ゞ
8月24日の朝食はおかゆ、昼食は豚肉のブラウンソース炒め定食、夕食はいり卵定食。
この三晩目には夕食後、乗組員による歌などの披露。
乗船記念に青い手提げ袋をもらったのは覚えてますが、これがケミカルな異臭を放つ代物で、そのまま船室に置いてきてしまいました。^^; -
8月25日の朝食は5:30。
その後、6:00頃、ついに上海に入港。
黄浦江に入ったフェリーを朝日が迎える。 -
タグボートに曳かれる数珠繋ぎになった伝馬船が珍しかった。
-
黄浦江沿いにある外灘のこの石造りの建物の風景は今もほぼ同じ。
右手にある三角形の屋根の建物がかの有名な和平飯店。
後述する宿で出会った人とも、話のタネに一度昼食を食べに。
海鮮汁麺を食べてお値段は24.5元。
そのお値段の割りにお味のほうは…という印象。
でも、和平飯店のその重厚なインテリアには眼が(◎o◎)。 -
当時既にバックパッカーの間で知られていた上海の浦江飯店には9:00チェックイン。
当時ドミトリー三泊で57元でした。
今は浦江飯店の内部は改装されましたが、この頃はだだっ広い部屋にベッドが20以上も並んでいるドミトリー。
この時、たまたま隣のベッドだった女性とは今も交流があります。
浦江飯店に着いた時、
「よし、頑張って中国語使うぞ~。」と張り切っていたのに、
受付のおにいちゃんに「日本語使って。」と日本語で要請されがっかり。(^^ゞ
船の中で読んだ日本の雑誌を持っていかれた。(ーー;)
この画像は浦江飯店から見た蘇州河に架かる外白渡橋。
左に数分歩くと行くと外灘、右に行くと昔日本租界があった虹口地区。
左手にちょっとだけ写っているのは、現在はロシア総領事館になっている建物。
この浦江飯店もこの日は満員に。
夕方になってからこの辺りで見かけた半泣きの日本人のおじちゃんが、「今日はどこに泊まればいいんだ~?」と言っていたけど、SUR SHANGHAIには助けてあげられず。
あの後、うまくお宿は見つかったのかなあ...。
7:00からの朝食は下の食堂の大きな丸テーブルに大皿に山盛りの中身の無いふかし饅頭、卵料理、漬物、野菜炒めがドスンと置かれた。
戸惑った様子の西洋人バックパッカーたち。
チラチラとSUR SHANGHAIの様子を見ながら、真似して食べてたのが可笑しかった。 (^○^)
その卵料理は日替わりで、最初の朝はハムエッグ、次はゆで卵(一人三個!)、そしてオムレツだったな。 -
8月26日には、上海から日帰りで蘇州へ。
これは軟座の車内で8.7元。一番乗りで誰も乗っていなかった。
軟座は短距離専用なので、この際乗ってみました。
お茶のサービスもあり、長距離の硬座の混雑を極めたすさまじい様相とは大違いの優雅さ。
蘇州に行く時、浦江飯店ドミトリーで出会った彼女も一緒で、
「一般人の窓口で切符を買ってみよう。」
という話になったのに、小さな窓口が開くや否や殺到してきた大衆から逃れるのが精一杯…。(^^ゞ
結局、外国人窓口で切符を買った、当時は中国初心者のSUR SHANGHAIたち。
この列車に乗る時、蘇州では外国人に見られたくないという気持ちで相当洗い晒したTシャツとジーンズという格好で出かけたら、列車の入り口にいる服務員に
「本当にこれに乗るの?」と疑わしげに問い質され、パスポートの提示を求められてしまった…。(ーー;) -
柳の枝が垂れる蘇州の運河を行く小舟。中国画の風景…。
今は蘇州も近代化の波が押し寄せて、網の目のような運河に面した街中も新しく建てられた復古調の家が増えました。 -
蘇州の町。この頃はどこを見ても灰褐色のイメージが強かった。
それだけ、あとで出てくる故宮の黄色い屋根瓦と赤い壁が強烈な印象として残りました。
糧票という切符が無ければ、街の食堂でも気軽に食べに行くということが出来なかった頃。
一度行列して麺を食べに。灰色の食堂で、汚れるだけ汚れた長いすと長いテーブルに就いて黙々と食べるだけの人々も灰褐色の濃淡の影法師と言う印象。 -
ふと見かけた民家の窓辺には淡紅色の花。
小さい花ながら、ホッとする潤いを感じさせる色。 -
蘇州の庭園の一つで見た睡蓮。
これだけ見ると爽やかな印象。
実際は、口にする水分がすぐに汗になって噴出すようなサウナ状態。 -
イチオシ
蘇州の庭園。網師園だったかな。
開け放された亭の扉。小さな光景の中にふと現れた小さな影。 -
塀越しに見た、蘇州の双塔。
この塀も今は無い。 -
蘇州の留園の内部だったような…。
写真や記録が度重なる引越しで分散・紛失しています。間違ってたらごめんなさい。 -
路上でよく見かけた、竹製の椅子。
こういう物も今は古典家具屋さんで結構いい値がついています。
人力車も初体験。
人力車のおじさんには初め「4元!」と言われていたのに、下りる時には10元に。
「4元って言ったでしょ。」
「10元って言った!!」
4と、訛った時の10の発音が似ているので、当時は中国語初心者の自分たちが間違えたのか?と思ったけど、これはおじさんにやられてしまったらしい。
でも、おじさんは大汗かいてくれたし、今は許す!
その後は7:20の列車で上海に戻ったのはいいけれど、疲れ切ったSUR SHANGHAIたちは、楽しようと乗った駅からのタクシーのおじさんにも10元ボラれたような。( ̄m ̄〃)ぷぷっ! -
8月27日には上海市内をぶらついてみた。
自転車にリヤカーを付け、荷物を積めるだけ積んで道を行く。
これは今もあまり変わってないですが。
豫園は事情があってこの時は訪問はパス。
玉佛寺に行く道が今と違ってごちゃごちゃとした下町の真っ只中。
散々道に迷った末、立ち寄った店で噴出す汗を拭うためのタオル購入。
表紙に書いたFECを出すと、そのおばさんはFECが何なのか分からなかったらしく、近所に問い合わせ。
やっとその何たるやを知ったおばさんはニコニコ顔。
玉佛寺への道もちゃんと教えてくれました。
玉佛寺の当時の写真は今のところ行方不明。 -
上海市内の街並み。
南京路近くだったような…。
画像には道の名を書いた標識も出ているんですが、読み取れなくて残念。
このころはトロリー・バスが普通だったな。
まだまだ一般の車なんて言うのは無くて、画像奥に見えているのはタクシー。 -
これは今も同じようなスタイルで中国のあちこちで見かけるゴミ箱。
この頃は痰壺も傍らに置いてあった。
現在の上海の中心部では一応分別ゴミ箱になっているところが多いです。 -
こっちはゴミ箱のパンダ・バージョン。
洗い晒したTシャツにコットンパンツという目立たない服装で歩いていても、やはり外国人だと分かってしまう時代。
あちこちから“CHANGE MONEY?”の声。
でも、SUR SHANGHAIは、ちゃんとした両替商で、上海では100米ドルを、北京では150米ドルをFEC(兌換券)に替えました。 -
上海で知り合った彼女は日本へ帰るとのことで、SUR SHANGHAIは8月28日には上海→北京の長距離列車硬臥内で一泊して北京入り。
この切符は上海に着いた25日に、真っ先にCITSへ行って購入。
この時、台湾の学生証を浦江飯店に忘れたので、一旦は正規の外国人料金(100元)を取られましたが、あとで学生証を提示したら学生料金(56元)にしてくれました。
あの時の窓口のおじさん、ありがとう!!
上海駅を出る前に噂のトイレ確認。
一応外国人用西洋式トイレもありましたが、なぜか便器が全部破壊されてました。
一般のトイレは前後に仕切りがありましたが、噂どおりのドアの無いトイレ。
またぐ部分には溝がついていて、自分の前の仕切りに入っている人の排泄物が次々に流れていく仕組み。
ここも長蛇の列。
SUR SHANGHAIは別に切羽詰ってはいませんでしたが、経験のため使ってみました。
「次に待ってる人たちが顔見知りだったらちょっと…。」とは思いましたが、全然知らない人ばかりだと、案外抵抗無かったですよ。
使用料を払ってもらった紙はバリバリの代物でした。 -
イチオシ
さて、こういう話の後は、8月29日9:00に着いた首都北京です。
泊まったのは紫禁城に近く予算内の新僑飯店で113元。
この日はさっそく北京駅に行き、9月3日19:04発の広州行き列車の硬臥切符を購入。
学生証提示で61元でした。
北京駅で切符購入の時、上海からの列車で一緒の車両にいたバックパッカーに再会。
当時は駅に行くと、旅の途中で見かけた旅行者に会えました。
それだけ外国人同士が出会える所が限られていた頃。
中にはナンパ目的で駅に出入りしていた人もいたようで、SUR SHANGHAIも声を掛けられましたが…。(^^ゞ
30日には、9月1日の万里の長城外国人用ツアーチケット(15元)も手に入れてほっと一安心。
やっと行った紫禁城(故宮)周辺の建造物の大きさに圧倒されました。 -
紫禁城(故宮)の入り口を見上げる。
その威圧感のある赤い城壁と青い空が対照的。 -
1406年に明の永楽帝によって建てられ、ラスト・エンペラーとして知られる清朝最後の皇帝薄儀まで皇帝の居城だった紫禁城(故宮)は、それまで見た蘇州の庭園とは規模が違う!
ざっと通り抜けるだけでも1時間。
広さも広し、暑さも暑しで汗みどろ。 -
紫禁城(故宮)の草茫々の敷地内。
もっと整備されているかと思っていたけど…。
展示物も、その展示方法が乱雑で埃っぽいので、ガッカリした想い出が。
本当に貴重な宝物は、蒋介石が台湾に持ち出してしまったということで、台北の≪故宮博物館≫の方が展示品も展示方法も○。 -
紫禁城(故宮)の黄色い屋根瓦、赤い壁が青い空に映える。
この写真はラミネート加工していたので、スキャン後は画面が荒れて見えます。
屋根の上の彫像は火事などの災厄から建物を守る、守り神。 -
イチオシ
紫禁城(故宮)敷地内の延々と続く壁。
後年見た映画≪ラスト・エンペラー≫の中では、侍女と引き離された溥儀が「アーモー!」と叫びながらこの道を走ったという設定だった。
ちょっとジョルジオ・キリコの絵の中に出てきそうな長~い壁。ここを歩くと圧迫感がありました。 -
紫禁城(故宮)の赤い壁の装飾。
-
紫禁城(故宮)には、唐三彩と同じ彩りの壁の装飾も。
-
8月30日には、北京北西郊外の頤和園へも行ってみた。
ここで見えているのは昆明湖畔の万寿山と仏香閣。
ここに行く前に訪れた明・清朝の皇帝陵墓群で撮ったフィルムに災難。
台湾に持ち帰り、現像してもらったのはいいんですが、お店のミスでネガも写真もだめになってしまいました。
フィルムを弁償してもらったけど、あの時の画像は永遠に戻っては来ない…。 -
上の画像の昆明湖は、清の時代の乾隆帝が造成させた巨大な人工の湖。
歩き回るにはあまりに暑いので、その片隅に架かる橋の方が風情ありと見たSUR SHANGHAI。 -
頤和園、昆明湖に浮かぶかのように造られた石舫。
絶対に沈まない船=絶対に覆ることない国の意味が込められているのだとか。
大理石部分は乾隆帝によって建てられ、1860年の英仏連合軍に焼き払われた上層部分を西太后が洋風に改造したとのこと。
覗いてみると、確かに洋風のステンドグラスがありました。 -
8月31日には新僑飯店から光華飯店へお引越し。
ここは3泊で216元。
どうして引っ越したのかは忘却の彼方。
これは北京の街角。
石造りの教会が顔を覗かせていたのが意外だった。 -
9月1日には、すでにチケットを購入していた外国人用ツアーで、万里の長城を見に北京郊外の八達嶺へ。
天安門広場近くから8:00出発だった。
この画像の遠くの山並みが不自然に見えるのは、元の写真を山の形に沿って切り抜いていたから。
この長城の規模にも感激したけど、途中休憩した場所でSUR SHANGHAI隣に座っていた西洋人おばあさんが姿を消した時には皆がはらはら。
業を煮やした運転手さんがエンジンをかけて動き出したら、お土産屋さんからおばあさんが走り出て来たので呆れるやらホッとするやら。(笑)
17:30には無事に光華飯店に帰着できました。 -
当時はまだ結婚していなかった旦那が仕事で北京に来ていたので、長城ツアーの後で落ち合った。
長城観光に行くため、約束の時間に遅れる旨を伝えてくれるように、旦那が泊まるホテルにメモを渡しておいたけど大丈夫かな…、と心配していたのも杞憂だった。
あの時のフロント担当のおじさん、ありがとう。(^◇^) -
広~い天安門広場を自転車で走り回ってみた。
-
8月2日には10:00に自転車を借りて旦那と二人で天壇へも行ってみた。
いつも思うんだけど、旦那はカメラには詳しいのに、写真は下手。 -
これは天壇の後で行ったラマ寺、だったような。
前後の写真が行方不明で不確実。
建物の修復の足場に竹ざおを使っているのはよく見たけど、ここは別。 -
イチオシ
日も傾き始めた北京の街の中を歩み去って行く西洋人の後姿が一つ。
当時、中国での国営の店員の態度にはあきれ返るものがありました。
この写真に写っている道の近くの友諠商店ではSUR SHANGHAIもついに爆発。
電池を買いに行って、「有没有…」(〜は有る?)と言いかけたら、カウンターの中のおねえちゃんはいとも無愛想に「没有!!」
「まだ言い終わってないでしょ!」と抗議すると
「あんたが欲しい物は無い!」
こんな態度でもこの頃は客は売っていただく立場でした。
結局、有るだけの電池を出させる事には成功しましたが、いかにも面倒臭そうに投げ出されましたね〜。これが普通でしたが。
現在はこういう態度も上海あたりの外資系や大きい店では格段に改善されてきてはいますが、それでも時々ムッとする時が。ま、これも中国での体験の一つとして捉えましょう。 -
北京の工事現場をシルエットにして夕日が落ちて行く。
-
9月3日の昼間、天安門広場で毛主席の遺体参観の行列に並んだ時は、待つのは30分、参観できたのは居丈高な警備員に追い立てられて3秒ほど。
ケンタッキー・フライド・チキンの一号店が前門に既にオープンしていましたが、その頃はまだ特定の人しか入れないような店でした。
その後の天安門事件の時にはケンタおじさん人形は無事だったんでしょうか。
その後、一人になって北京19:04発広州行き列車の人となったSUR SHANGHAI。
広州行きも硬臥の列車。
日本の文庫本を読んでいたら、周りの人に取り囲まれて話題の種となりました。
車中二泊で9月5日の明け方に着いた広州。
広州に着いたのは6:30。
まだ早い時間なのに、フェリー乗り場もこの人の波。 -
どこへ行くのか、広州駅での行列もすごかった。
-
広州の公園で孫(?)と遊ぶおじいちゃん。
見た場所が偏っていたかもしれませんが、この頃は香港に近い広州が一番開放的だったような気がします。 -
広州の街では黄色い壁の西洋風建物が目に付いた。
-
広州で一息付いたあと、香港に列車で移動したのは9月5日11:00。
九龍には14:00頃着いて、バックパッカー定宿のチョンキン・マンション16階のドミトリー(22香港ドル)に泊ったなあ。
6日の8:45には、啓徳空港からさらに台湾へと飛び、汗まみれの夏の中国への初旅行を終えたSUR SHANGHAI。
は~、しんど。
今も手元に残っているのは…、 -
この時の旅行で使い残したFECが数枚。
-
そのFEC10元札の裏側。
FECについての説明が記されていますが、この画像で読み取れるかな。
ア、よかった。縦位置にすると、ちょっと首は疲れますが、どうやら読み取れますね。
なお、このFECは使用されなくなってからも90年代半ばまで人民元に両替可能でしたが、記念に何枚か取っておいてよかった?。こうしてご紹介できるわけですから。
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この旅行記へのコメント (16)
-
- 多良さん 2011/07/14 08:41:06
- 1987年!\(~o~)/
- はじめまして、多良と申します。
ご訪問ありがとうございました。
すごくたくさん旅行されていますね〜♪
古くて新しい国、近くて遠い国中国。
そんな中国に最近なんだかちょこっと興味を持ち始めている私です。
時間のある時に、他の記事もぜひ読ませていただきたいです\(~o~)/
また来ますので、どうぞよろしくお願いしますm(__)m
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2011/07/14 19:59:00
- RE: 1987年!\(~o~)/
- こちらこそ、はじめまして。m(__)m
しばらく留守にして帰ってまいりましたら、多良さんの足跡がありましたので、お伺いさせていただきました。
多良さんもこれからドンドン旅行記など投稿して、ブログ更新を楽しんでくださいね。(*^。^*)
中国は日本から遠いようで近い国ですから、そのうちに一度訪れてみてはいかがでしょう?行き先によってずいぶん印象が違う国ですよ。
> はじめまして、多良と申します。
> ご訪問ありがとうございました。
> すごくたくさん旅行されていますね〜♪
>
> 古くて新しい国、近くて遠い国中国。
> そんな中国に最近なんだかちょこっと興味を持ち始めている私です。
>
> 時間のある時に、他の記事もぜひ読ませていただきたいです\(~o~)/
> また来ますので、どうぞよろしくお願いしますm(__)m
-
- イーハンさん 2007/04/19 12:12:41
- 同じところで!
- 同じ撮影場所に20年前のSUR SHANGHAIがたっていたのですね、この旅行写真での表紙写真は紫禁城東門近くの午門との間にある楼閣です、なんだか嬉しくなってしまいます20年の隔たりがあるとはいえ、感激です!私の日記「出発編」の中に同じアングルで写したものがあります。
次回の中国旅行では上海に始まって西安・カシュガルとシルクロードの旅を考えていますが、行きたいところばかりで毎晩眠れぬ夜を迎えています。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2007/04/21 00:50:33
- RE: 同じところで!
- ふる〜い旅行記で失礼いたしました〜。
故宮は、敷地内に入る前のあの黄色い屋根瓦の乗った、高くて赤い壁がまず印象に残りますね。
誰もが圧倒されるのではないでしょうか。
ここ数年、北京方面には出向いていません。
来年のオリンピックに向けてどう変化しているのか、見てみたいような、見るのが怖いような…。
-
- shima77さん 2007/03/02 20:52:42
- 香港から上海−蘇州−北京−広州の旅・・・見学させてもらいました
- SUR SHANGHAIさん 今晩は・・・今日は20年前の上海・蘇州・北京・を楽しまさせて頂きました・・・私は天安門事件の直前に行った写真がありましたが・・・やはり写真センスが悪い・・・でもSUR SHANGHAIさんの写真を沢山見て楽しめる写真を撮りたいと思います・・・今後とも宜しくお願いいたします・・・
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2007/03/06 22:25:25
- RE: 香港から上海−蘇州−北京−広州の旅・・・見学させてもらいました
- いや〜、古い旅行記で失礼しました。(^^ゞ
最近は、さらにアップできる枚数が増えたようなので、古い旅行記も徐々に出そうと思ってます。
-
- はんなりさん 2006/07/29 22:51:02
- 外白渡橋
- 二十年も前の画像を興味深く拝見!!
すでに目の付け所が確立されているSUR SHANGHAIさん
只者ではありませぬ!!ネ。
そんな中で
初めて外灘に行った時に渡った橋を見つけて
懐かしくて嬉しくなりました。
ありがとう!!
はんなり
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2006/07/30 12:38:24
- RE: 外白渡橋
- わははは! わたくしめの≪お年頃≫がバレバレ旅行記です。(^○^)
去年の引越しのドタバタのあとで大量に出てきた写真の整理が徐々に進んでいるので、まとまった分から追加や編集もしていくつもりです。
分散したり無くなった写真・ネガ・記録も多いので、まとめるのが大変ですが、昔の旅の記憶が甦るのは楽しいですよん。
次は何が出てくるやら、です。(*^_^*)
-
- まみさん 2006/02/07 08:54:46
- お帰りなさい
- SUR SHANGHAIさん、お帰りなさい。
いまの上海の写真のアップはこれからだろうと思いますが、ふと思いついて一番古い旅行記を拝見。
このころからすでに街角の壁に注目されているんですね。
あの可愛いゴミ箱も今でも中国のあちこちにありますか。
私も確か、パンダのゴミ箱の写真を撮った覚えがあります。
私が中国に行ったのは1992年の夏の10日間ほど、北京と西安のみ。
それっきりどうも目はヨーロッパばかりに向いてしまい。
あれから中国はどんどん変わっているでしょうねぇ。
-
- chinatravelさん 2005/09/21 23:32:57
- 兌換券
- 兌換券を見て、「おー」と思いました。なつかしさを感じました。
四川旅行記への訪問ありがとうございました。
よろしければ批評いただければ幸いです。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2005/09/22 19:33:27
- RE: 兌換券
- ご訪問と書き込み、ありがとうございます。m(__)m
兌換券は、先日行ったマルタの博物館で≪中国の通貨の歴史≫みたいな展示があり、そこで50元や100元の物も見かけました。
懐かしかったです。(*^_^*)
こういう物も取って置いてよかったな、と思っています。
- chinatravelさん からの返信 2005/09/24 12:15:35
- RE: 兌換券
- ヨーロッパの国で兌換券が展示されているというのも何かの縁かもしれませんね。いまとなっては懐かしいものです。
P.S. 先ほど、旅行記を2日分追加しました。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2005/09/24 23:16:39
- RE: RE: 兌換券
- お金の移り変わりも、その国の歴史の一部だな、と言うのを実感させられますね。
今からお伺いします。
-
- 井上@打浦橋@上海さん 2005/07/06 07:29:10
- 当時の中国
- SUR SHANGHAIさん、たびたび。
確か、兌換券は100元があったような・・・
私は84年から86年まで天津で働いていましたが、当時給料の一部を
兌換券でもらっていました。その中に100元札あったように記憶してますね。
兌換券は知らない人も居ましたが、知ってる人はやたらと欲しがりましたね。
北京ですと兌換券100元を人民元130元にしてくれるマネチェン兄さんもいました。
当時は、ホントに色のない世界でしたね。
特に蘇州にはガッカリしました。蘇州夜曲のイメージを引っさげて行ったんですが、
アチャーという感じでしたね。
私も当時、中国はアッチャコッチャ一人で行きました。
中国人に成りすまし、人民元で安く上げたこともありますが、
故宮などの有名な観光地の切符切りのオバちゃんには、何度も見破られました。
当時北京には、天津からよく遊びに行きました。そういうときにはいつもレンタサイクル。
レンタサイクルは友諠商店の斜め前にある掘っ立て小屋の自転車修理屋で借りました。
87年当時には、もうなくなっていたのでは、ないでしょうか?
では、また。
-
- BATT_MANさん 2004/12/14 22:55:10
- 昔のお写真もSUR SHANGHAIさん味ですね
- こんばんは。BATT_MANです。
私は、中国には仕事で一度だけ行ったことがあります。ただ10日間居ただけなので
ほとんど何も知りませんが、その時は残念ながらあまり良い印象を受けませんでした。
でもSUR SHANGHAIさんのお写真を拝見していると、この国の絵になるところ=
アジアの美しさがとてもよく伝わってきます。
今日、北京在住の知り合いが一時帰国していたので、食事などしていました。
彼曰く「お前は中国の魅力を全然分かっていない。もっと中国を知れ」と言っていました。
確かに、中国の「中国らしさ」についてもっと知るべきだと自分でも思います。
そんなときにSUR SHANGHAIさんの旅行記はとても楽しく、勉強にもなります。
話は変わりますが、もう17年も前なのにお写真のテイストがこのころから確立されている
ことにもビックリです。素晴らしいですね。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2004/12/15 11:52:58
- RE: 昔のお写真もSUR SHANGHAIさん味ですね
- 確かに中国では気持ちのめげる思いをすることもありますが、これも経験の一つとして捉えるようにしています。私の場合、どういう人に出会ったかによってその土地の印象が決まってしまう割合が高いので、中国に限ったことではないのですが。
中国歴が一番長くなった今、どのように旅行記をまとめていくか考慮中。他の国々もまたボツボツとアップしていきます〜。
新しい旅行記が出来たらお知らせください。ステキなお写真も沢山お願いします〜。(^○^)
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