1997/09/12 - 1997/09/21
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SUR SHANGHAIさん
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★2011年5月: 旅記録や写真が新たに出て来たので、これまでのチベット旅行記に追加します。★
前編でのチベットからネパールへの最後の一昼夜は…、
…寒さと酸欠で眠れなかったテングリ(ティンリー)、その後ニェラムからザンムー(ダム)への道筋では大雨による崖崩れで悪天候の中の徒歩下山。
さらにネパール側の国境からカトマンズへ向かう車のエンスト事件…、と果てしなくトラブルが続いた。
夜になって着いたカトマンズのホテルでは、シャワーを浴びるのももどかしく、倒れこむが如く眠りに就いたSUR SHANGHAIとその旦那。
その翌日の全身筋肉痛!
ベッドから起き上がって着替えをするのも、立ち上がって腰を伸ばすのも、足を踏み出すのもやっとと言う状況。
そんな中でも、カメラを持っていざ外へ。
チベットでの最終日に体験したヘヴィーな出来事とは裏腹に、穏やかな人々と日々のネパール。
表紙の画像は、カトマンズのボダナートの仏塔に付いている仏陀の眼。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- タクシー 徒歩 バイク 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
これは、この時のチベット〜ネパール旅のメモ代わりに使っていた便箋。
SUR SHANGHAIにとって貴重な旅記録。
この一連の旅行記に出す料金などの数字はこの記録内のものになります。
個人的なメモもあるので、画像は縮小してアップします。
この便箋の左上の方にはホリデイ・インのロゴが出ていますが、以前のホリデイ・イン・ラサ(拉薩假日酒店)が使っていた物です。
1997年にはホリデイ・インとの合弁は解消されて、SUR SHANGHAIたちが泊まったときには拉薩飯店になっていたんですが、部屋にはまだこの便箋が置いてありました。
ネパールで撮った写真はまだまだ目下行方不明のものが多いので、ここでは以前アップした旅行記に画像を追加する形で再編集しようと思います。
これまでに出て来たネガも完璧ではないので、どこで撮った写真か覚えていないものもありますがご容赦を。 -
チベットからネパール入りした時のトラブルの数々を乗り越えて、カトマンズ到着。
その詳しいいきさつについて知りたい方は下記の旅行記をご参照下さい。
★チベットからネパールへ(3) −国境越えまでのへヴィな一昼夜
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10560854/
もうすっかり暗くなってから、ぐちゃぐちゃの格好でカトマンズにやって来たSUR SHANGHAIとその旦那を迎え入れてくれたのはホテル・マナン。
お土産屋さんや食堂がひしめく地区の中にある中規模ホテルだったと思う。
そのホテル関連の写真は行方不明なのに、記念にもらったステッカーが未使用のままで出て来たのが不思議。仏具を紋様化させた図案がおもしろい。
●注: 電話番号などの連絡先は、もうだいぶ前の事なのでスキャン後に消してあります。
上に出した旅記録では、当時のホテル・マナンのトイレ・シャワー付きのこざっぱりしたツインは39米ドル。
妙に歪んだガラスがはまった窓からは、カトマンズ盆地の町並みがよく見えたっけ。
到着した夜には、もうシャワーを浴びるのが精一杯の疲労困憊。
あとは泥のように眠り込んだSUR SHANGHAIとその旦那。 -
カトマンズのホテル・マナンで心ゆくまで安眠をむさぼったSUR SHANGHAIもその旦那も、この日はひどい全身筋肉痛。
普通に歩くのもままならない…。しんど〜。
それでもどうにかホテルからヒョコヒョコと街の中へ。
これはダルバール広場の片隅だったような。
この町並み風景が、ネパールでの第一印象。 -
カトマンズのダルバール広場。
ダルバールと言うのは、宮廷とか王宮を表わす言葉らしいので、ダルバール広場は王宮広場の意味。
カトマンズ以外にも、パタンやバクタプルの町にも同名の広場があります。
立ち並ぶ建築物は、これまでに建てられてきた寺院群。
生き神様とされるクマリが住む≪クマリの館≫や、旧王宮のヌマン・ドカもここにありますよ。 -
カトマンズのダルバール広場の一画で一休み&客待ちしていた人力車のおにいさんたち。
声を掛けてもらったのに、乗ってあげなくてごめんね。 -
頭の上に荷物を乗せて、カトマンズのダルバール広場を横切って来る男性。
頭の上に物を乗せて運ぶ方法は、思っていたより広範囲で使われているらしい。
ネパールでも見かけるとは思わなかった。 -
これもカトマンズのダルバール広場の片隅。
花を売っている少女がいた。
それは、ヒンズーの神々に捧げるためのもの? -
これもカトマンズのダルバール広場にあった柱だと思うんですが、ネガが不完全なので間違っていたらお許しを。
柱の上の蛇と人物像は、仏教の守り神の蛇神ナーガと悟りを開いた仏陀かな、と思ったんですが、これまた間違っていたら罰当たりなSUR SHANGHAIでございます。m(__)m -
カトマンズのダルバール広場にある生き神様クマリが住む≪クマリの館≫や、寺院の写真は出て来ていないのでお許しを。
クマリと言うと、ただ一人しかいないものだと思っていたら、ネパール各地にローカル・クマリが存在するんだそう。
その中でもカトマンズのロイヤル・クマリが格が一番上のようです。
クマリの選ばれ方などについては、下記のウィキペディアのクマリのページで見てみるといいですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%AA
で、これはダルバール広場近くにあったお土産屋さん。外壁にはお面がずらり。
魔除けの面と言うより、客除けの面になっている気がする…。(~_~;) -
これもカトマンズのダルバール広場近くだったと思う。
観光客向けのモダンなカフェ。
カラフルな丸や三角四角の構図がおもしろいと思ってカメラを構えると、窓辺に現れたカフェのスタッフ。
期せずしてお気に入りの写真になった1枚。(*^。^*) -
ネパールには、あちこちにさまざまな神々が祀られていると気付かされた最初の光景。
後年になってから行ったインドでもそうだったっけ。
カトマンズのこの込み入った道に面した場所でも、盛大に飾り付けをされていた神様が鎮座。
この神様はどちら様かは分かりませぬが、お誕生日かなにかのイベントが近づいていたんでしょうか。 -
カトマンズで買ったお土産は、紙製品が多かった。
まだ手元に残っているものをご紹介。
上段の画像は、古風な色合いの手刷り絵はがき。
左側は釈迦牟尼像。
右側はヴィシュヌ神の足裏で、秘密めいた紋様が描かれているのがエキゾチック。
下段の画像は、これまた手刷りの和紙風の紙。
これは1枚ずつでも売られていますが、ランタン・シェードなどの小物に加工されたものも多数。
SUR SHANGHAIもランタン・シェードで買ったり、一枚ずつ買った紙では、帰ったあとで卓上スタンドのシェードにも作ってもらいました。
今も使ってますよ。柔らかい風合いと光が目に優しくて気に入ってます。(*^。^*)
下段右側に写っているのは、木彫りスタンプ。
数cm位の大きさで、絵柄はさまざま。
SUR SHANGHAIはネパールの仏陀の目のモチーフが好きだったのでお買い上げ。よく手紙の便箋や封筒に押してました。
メールになってしまってからは出番が無くなってしまってお蔵入り。
同じモチーフのTシャツもいいですよ〜。布地の質も確かめてからどうぞ。 -
ヒマラヤ山脈の山々を見るのにはいい季節とは言えなくても、せっかくネパールまで来たならポカラの町周辺の雰囲気も見ておこうと一ッ飛び。
ポカラはカトマンズの西200kmほどの所にあるペワ湖畔の町。
上の方に出した旅記録によると、この当時ルンビニ・エアウェイズで片道40分。チケットは61米ドルでした。
上段の画像は、サランコットの丘から見たペワ湖とポカラの町。
ポカラはネパール第二の都市、と言っても、町と呼んだ方がピッタリ来るサイズと雰囲気。
そんなポカラが有名なのは、ヒマラヤ山脈の眺めが美しく、アンナプルナ方面のトレッキングの出発地になっているため、なんていまさら言う必要も無いですよね。(^^ゞ
この通り、ポカラの周囲は全部緑の山々。
土地の人も穏やかだし、ずいぶん気持ちが落ち着いて、旅の疲れが緩やかに解けていく場所だったっけ。
今もこの時と同じ雰囲気かな? -
ポカラでの宿は、飛び込みで泊まってみたホテル・ミーラ。
季節はずれだったので、コテージ風の居心地がいいツインが24米ドル。
ヒマラヤ山脈の景色は全然期待していなかったのに、明け方には雪山のてっぺんが顔を出していたのが部屋からも見えたのにはビックリ。(◎o◎)!
アイスバーグ・ビールの看板が一緒に撮れたのはご愛嬌。
この山は?と調べてみたら、アンナプルナの頂上付近の輪郭に似ていた。
もし違っていたらご勘弁を〜。 -
今回見つかったネパール関連の写真の中にあった1枚。
わ! ずいぶん迫力のある滝!
画像右上の滝の落ち口あたりに人が平気で立っているのが怖い。((+_+))
でも、この場所がどこなのか写真だけでは全然思い出せなかったSUR SHANGHAI…。
上の方に出した旅記録が出土しなかったら、これがポカラにあるパタレ・チャンゴ(地獄の滝)だったなんて永遠に忘れていたに違いない。
10ルピーって書いてあったのは、入場チケット代かな。
この滝は、以前ここで転落して流されたデヴィというスイス人女性の名を取ってデヴィス・フォールとも呼ばれているんだそう。 -
ポカラでも写真は何枚も撮ったはずなのに、ネガも写真も不完全。
そのうちにどこからかまた発見できるかな。
ポカラのお土産屋さんの前に、大きな黒いウシの置物が…、と近寄っていったら、生きているウシだった。
あんまりジッとしているから、銅像かと思ったよ。(~_~;)
そこに現れたお土産屋さんの気さくな白髭おじさん。
「ワシも一緒に撮ってくれ。」だって。
他のお土産屋さんの店先では、子牛が商品をかじっていた。
コラコラ! 売り物をかじっちゃダメでしょ。
ポカラはずいぶん長閑だった。
…かと思うと、ポカラの町を見下ろしに行った丘の道では、ふくらはぎからダラダラと血を流しながら歩いていた少年がいた。
気付いていないようなので教えてあげたら、「あ、またヒルにやられた!」
指差された少年の両脚を見てみたら、これまでにヒルに血を吸われた痕という変色した部分が点々。
足元から這い上がってくるヒルにはご用心。 -
ポカラの町でも、ちょっと凝ったお店では外壁ペイントが某清涼飲料水のCMみたいになっていた。
このロゴを知らない人は、世界中どこにもいないんじゃないかと思ってしまう。 -
2泊したポカラを後にして戻って来たカトマンズ。
ポカラからのネコン・エアの飛行機は、当時片道30分で61米ドル。
またもや舞い戻ったホテル・マナンを拠点に、二人乗りできるバイクを借りて世界遺産になっているカトマンズ渓谷のあちこち見て回ったんだよね。
バイクは当時1日500ルピー。
まず行ってみたのは、世界のチベット仏教の中心地と言われるボダナート。
ネパールではヒンズー教とともにチベット仏教も共存していて、あちこちで仏塔も見られます。
ボダナートの仏陀の目が四方に付いている仏塔を囲んで、5色のタルチョが万国旗のように盛大に飾られていた。
5色は物質の五大元素を表していて、黄色は地、青は水、赤は火、緑は風、白は空なのだそう。
タルチョには経文とルンタ(風の馬)と呼ばれる馬の絵が付いていて、風に翻るたびにルンタが空を駆けて仏法を広めてくれるんだそうです。 -
イチオシ
ボダナートは、四角い基壇に直径が27mという石造りのドームが載せられ、さらにその上に仏塔が立っています。
その形が、ネパール独特の形だなあと思うSUR SHANGHAI。
ドームの下から見上げてみると、四角い仏塔の4面にはこの画像のように仏陀の目が描かれていて、この角度から見ると「いないいないバア〜。」をしているような雰囲気。(*^。^*)
これには、仏陀の知恵の目で四方を見渡すという意味があるんだそうです。
チベット仏教独特の波打ったまぶたが印象的。 -
ここもバイクで訪れてみたカトマンズ北郊外のブダニールカンタ。
聖なる蛇の上に横たわって瞑想するヴィシュヌ神像が有名な場所ですが、その写真は目下行方不明。
これは、その同じ敷地にあった石像と鐘だったと思います。
ヴィシュヌ神は、ヒンズー教の重要な神様の一人で、10の化身(アヴァターラ)を持っているとされています。
それについては、下記のウィキペディアのヴィシュヌに関するページを見てみるといいですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8C -
パシュパティナートは、カトマンズにあるヒンズー教寺院。
元々はシヴァ神が滞在したと言う言い伝えがある聖地に建てられた寺院で、ネパールでは最大かつ最も聖なるヒンズー教寺院なのだそう。
信者以外はその境内には入って行けません。
シヴァ神については、下記のウィキペディアのページで見てみるといいですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B4%E3%82%A1%E7%A5%9E
宗教を持たないSUR SHANGHAIとその旦那は、パシュパティナート寺院の門の所でストップ。
そこから垣間見た境内には、聖牛の像がこちらにお尻を向けて座っていたような気がする…。(~_~;)
記憶違いでしたらお許しを〜。
境内には信者以外には入って行けないパシュパティナート寺院ですが、その一画にある火葬場は見学可能。
寺院脇を流れているバグマティ川はガンガ(ガンジス川)の上流にある支流に当たるため、ここで火葬されて遺灰を流してもらうのがネパールのヒンズー教徒の願いなんだそうです。 -
カトマンズのパシュパティナート寺院一画にあるバグマティ川沿いの火葬場。
ここで火葬され、遺灰が下流の聖なるガンガ(ガンジス川)に合流することを願いとしているヒンズー教徒の人々。
SUR SHANGHAIたちが訪れた時も、いくつも並ぶ火葬台の上から煙が立ち上っていました。
遺族らしき人々、葬儀に携わる人々のほかにも、地元の信者の人々、そしてSUR SHANGHAIたちのような旅行者も含めたその目の前で淡々と進行して行く儀式は、まるで舞台劇のようにどこか現実離れしていた…。 -
このネパール旅行がヒンズー教との初めての遭遇だったSUR SHANGHAI。
カトマンズのパシュパティナート寺院周辺では、サドゥと呼ばれる世俗を捨てたヒンズー教の修行僧とも初接近。
こう言っては何ですが、その異形の風体と奇矯な行動には初心者のSUR SHANGHAIには刺激的過ぎるほどで、写真を撮るのも忘れたほど。
初耳でピンと来ない方は、サドゥやサドゥーで画像検索をすると、たくさん出てきます。
このおじいさんサドゥは、穏やかな物腰。
一人静かに道端で縫い物をしていました。衣がほつれたのかも。
真っ赤な衣装の間に見えている真っ白なお髭が印象的。 -
カトマンズのパシュパティナート寺院付近の道。
お参りのための花を売っている露店も並んでいた。
スパイシーな光景続きの後だと、花の色まで強烈に見えてしまう。 -
これはカトマンズのどのヒンズー教寺院だっただろう。
お参りの前(?)に足を洗い清めている人々。
日本でも、神社に向かう前の手水舎で口をゆすいだり手を洗う風習があるのと似ている。 -
カトマンズの東郊外にある古都バクタプルにもバイクで行ってみた。
緻密な彫刻で飾られた由緒ある建築物も、保護の手を入れないと崩れ落ちてしまいそう。 -
不思議な神々の像が多いネパールの町角。
古都バクタプルは、その歴史が長い分、神様の数が一層多いような気がしたSUR SHANGHAI。
前の日にでもお祭りがあったのかどうか、十字架型の台があちこちに立っていた。
右下の像は、碑のように道端に立っていたけど、これも神様なんだろうか?
赤く染められたその色がおどろおどろしい。
そしてその不思議な造形と表情がおもしろいような怖いような、と言ったら罰が当たりそう。
こういうものも信仰の対象になる宗教それ自体が不思議だな、とここでも思う。 -
町のどこにでも、神様がいるネパールの町角。
バクタプルの町歩き途中でも、ちょっと目を留めた彫刻の浮き彫りの中に神様らしきお姿が。 -
イチオシ
バクタプルでは、商店の戸口になる板に手描きの商品の絵があるのをよく見かけた。
レトロな感じがたまりません。(*^。^*)
たまたまその前にワンちゃんが陣取っていたのが映画の1コマのよう。 -
ん? このお宅は人間の代わりにニワトリが住んでいるんだろうか?
ニワトリが窓辺に留まって、道行く人を高みの見物。 -
イチオシ
これはバクタプルにある寺院の池だったんだろうか。
覚えていない…。
水草で覆われた池に入って行く少年。
何か見つけたのかな?
池に注がれる水が円を描く池の面。 -
バクタプルの町では、色鮮やかに染め分けられた糸が路上で干されていた。
埃まみれになっちゃうような気がするんだけど…。(^^ゞ -
大きな道の脇でも家畜が繋がれていたバクタプルの町。
今は、バイクがずらり…という光景になっていたりして? -
バクタプルの町の広場では、穀物を地面に広げて干していた。
人々が集まるためだけの広場ではなく、公共の穀物干し場にもなっているようだった。
子どもたちが、手に掬って遊ぶ。
こらこら、砂遊びとは違うんだよ。 -
イチオシ
スワヤンブナートは、カトマンズの西郊外の丘の上にあるチベット仏教寺院。
その丘は、大昔は湖だったカトマンズが盆地になった時に真っ先に現れた土地と言われているようです。
階段を結構上って行かなければならない上にモンキー・テンプルの別名があるほどサルが多いお寺さんでした。
ドームの上に立つこの仏塔の形は、やっぱりネパール独特。
仏塔の規模では、ボダナートより小さいんだそうですが、お寺として格はこちらが上だそうです。
そうそう、チベット仏教では、仏塔をぐるりと回ってみる時は、この画像に写っているお坊さんのように時計回りに進んでいくのがルールです。 -
カトマンズの南郊外にあるパタンも、古い歴史を持つ古都。
陶器作りが盛んなようで、SUR SHANGHAIたちが訪れた時には、あちこちの広場や道の上に壺などがずらり。
それらの写真は行方不明。
これは、パタンの町角にあった祠のようなお参り場所。
本当にネパールでは神様の数が多い! -
ここは、町歩きをしていて見つけた場所だったんですが、どこの何と言う場所だったのか全然覚えていないSUR SHANGHAI。
一つ強烈に印象に残っているのは、集まって来ている人たちが全員女性で、まるでお寺さんへの捧げ物の作り方講座のように色とりどりの花や果物を盛り付けていたこと。
こんなに大勢の女性が集まっているんだから、さぞかし賑やかと思うでしょうが、皆さん静かに作業に取り組んでいました。
ここはお寺さん、だったのかな…。 ミステリ〜。 -
上の画像と同じ場所。
不意に入って行ったSUR SHANGHAIを見咎めることもなく、カメラを向けても淡々と花を盛る作業を続けていた女性たち。
まるで自分が透明人間にでもなった気がしたSUR SHANGHAI。
不思議な光景だったなあ。
ほんとにここは、何だったんだろう…。 -
カトマンズの南郊外の山中にあるダクシンカリ寺院は、ヒンズー教の女神カーリーを祀る寺院。
カーリーは血と酒と殺戮を好む戦いの女神で、参拝する人々は生きたニワトリやヤギを生贄として捧げていくのだそう。
その生贄を捧げる儀式は、土曜日が特に盛んらしいので、SUR SHANGHAIたちも土曜日を選んで行ってみました。
寺院近くを流れる川辺では女性たちが生贄とは別の捧げ物をお皿に盛っている和やかな光景も見られましたが…、 -
…ダクシンカリ寺院境内は、その日生贄となって捧げられた動物たちの鮮血で真っ赤。
あまりにその色が鮮やか過ぎるので、はじめは血とは思えなかったほど。
信仰深いネパールの人々にとっては女神カーリーを敬うための当たり前の儀式なんだろうけど、信仰心の無いSUR SHANGHAIから見ると、普段の穏やかな気質とは相反する行動のように思えてならない。 -
これはカトマンズの町中だったと思う。
旦那と2人歩いていると、前方の広場に人だかり。
何だろうと近寄って行くと、白昼の光に照らされていたのは、ヒンズー教の生贄の儀式だった。
白々とした光の中のやけに静かな一瞬。
一番ショッキングだっただろうと思われるシーンは既に過ぎ去っていても、地面を覆う赤が強烈。 -
白い衣のこの男性が、この生贄の儀式を司る僧侶らしかった。
祠の前に置かれた生贄に向かって、いたわるがごとき、悲しむがごときの動作を繰り返す。
何かをつぶやいているのは、この儀式の呪文?
あっけらかんとした昼下がりの光の中、奇妙に現実感の無い光景。 -
生贄の儀式が行われていた広場には、小さい祠が二つ。
介添えらしき男性と女性が、儀式の進行を手助けしている場面。
回りには観光客相手の土産物屋も並ぶ広場で、こんな強烈な儀式が公開で行われているのが不思議だった。 -
儀式の進行を助ける女性。
祠の中に頭を突っ込み、祈りを捧げる僧侶。
そのそばに寄って恐々と覗き込む少女。
この子は将来、この儀式を手助けする巫女さん的存在になるんだろうか。 -
僧侶の祈りが続く中、日の光が差し込んだ隣の祠の中の黒い彫像が見えた。
血と酒と殺戮を好む戦いの女神カーリーに似ている…、違うかな。 -
イチオシ
いつの間にか、仔ウシの頭は片付けられて、生贄の儀式があったことを示す赤い色だけが残る広場の石畳。
そろそろ街灯の影も長くなってきた時刻。
僧侶の祈りはいつまで続くんだろう。
これが旅の最後の印象になって残ったネパールでの日々。
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この旅行記へのコメント (3)
-
- ぶうちゃんさん 2008/10/20 23:09:11
- こんばんは
- こんばんは。
衝撃の映像でした。一瞬息を呑みました。
もう一度読み直し一安心しましたが・・・・・
残酷な話と思いますが自分も色々食しているわけで必ずこういう光景が知らないところで起きているのですよね。
それを知る、そして感謝すると言うことが大事なんですね。
と、解った風な事を書いてしまいました。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2008/10/21 15:25:17
- RE: こんばんは
- ふる〜い旅行記にもお越しくださってありがとうございます。
たまたま通りかかって見たいけにえを捧げる儀式だったんですが、白昼の光の下、血の海の中で淡々と進められる儀式に呆然としてしまいました。
私が見た時には子牛の首はもう切り離されていたので、最もショッキングな場面を見たわけではないのでしょうが、それでも十分に衝撃的でした。
これはいけにえの儀式ですが、私たちの食用となる動物たちのその命にも感謝すべきなんでしょうね。
- ぶうちゃんさん からの返信 2008/10/22 21:55:21
- RE: RE: こんばんは
- こんばんは
> これはいけにえの儀式ですが、私たちの食用となる動物たちのその命にも感謝すべきなんでしょうね。
そうですね。生命を感じますね。食べるほうは生きるため。食べられるほうは生命の終焉。生きるという事は犠牲の上に成り立っているのですね。改めて知らされました。
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