1997/07/14 - 1997/07/17
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SUR SHANGHAIさん
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フィルムカメラ時代の山西省(太原と平遥周辺)の画像や資料が、ある程度まとまって出て来たので、旅行記として記録しておこうと思います。
今ではすっかり世界遺産の古都として有名になった平遥も、この頃はまだまだ観光開発が進んでいなかった頃。
平遥の列車駅から城壁に囲まれた古城内への道も、ずいぶん埃っぽい田舎町の風情だったような…。
それがその後、08年に再訪した時には観光地として発展していてびっくり!
今こうして一昔前の写真と比べて見てみると、以前訪れてみた場所を再度訪れてみるのもおもしろいなあと思ったSUR SHANGHAI。
当時を振り返りつつ、まとめてみようと思います。
表紙の画像は、平遥近郊の双林寺天王殿にある金剛像の一体。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
これは、今回山西省あたりの紙焼き写真と一緒に出て来た旅行記録。(*^。^*) この頃は紙切れに手書きだったのが懐かしい。( ..)φメモメモ
こういうメモが思いがけなく出て来ると、「へえ!この時にはこんな旅だったんだ!」と我ながら驚くSUR SHANGHAI。(^^ゞ
で、この時の旅の始まりは、
7/14(月)山東省の省都済南から472次の列車で山西省の省都太原へ。8:19発で18:20着。
もうすっかり忘れてしまったけど、この記録を見ると最初は66元の硬座の無座だったのを、列車内で145元プラスして軟臥に替えてもらったらしい。
硬座の無座とか聞いて、ピンと来る方は年季の入ったトラベラーさんですね。(^^)v
中国バックパッカー旅行が流行り始めた頃の80年代中頃〜90年代前半には、硬座での中国旅行にこだわった方々も多いのでは? -
上に出した旅行記録には、宿の名前と感想も簡単に書いてあった。
太原一泊目は賽特飯店。これって太原の列車駅から延びる迎沢大街にあったような気がする。
確か駅前で客待ちしていたタクシーの運転手さんに教えてもらったような記憶が…。
朝食付きで400元って、今から見ると半端に高い所に泊まったなあ。
で、感想に「(・へ・)値段の割りに汚い。設備が悪い。」なんて書いてあるし。(^^ゞ
で、この画像は、迎沢大街に面した五一広場前にあった像。
これは08年に再訪した時にも健在でした。
08年の太原の様子を知りたい方は、下記も併せてご覧ください。
★山西省一人歩き(1) −太原のあたり 晋祠と市街地
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10429831/ -
太原に着いた日はそのまま暮れたので、歩き始めたのは二日目の7/15(火)から。
この日は最初にミニバスで南郊外にある晋祠へ。
当時、1時間かかって2元というお値段。
見学のチケットは2段構えで、公園風の敷地部分が8元、文物が博物館風に展示してある部分は15元というお値段でした。
晋祠と言うのは、唐叔虞(周の武王の子)を祀るために北魏の時代に創建されたと言う祠。
広い庭園風の敷地にはそのほかにも唐叔虞の母を祀る聖母殿などの建物、巨大な柏、水が湧き出している難老泉などもあって、地元の人も地域交流が出来る公園感覚で集まってきていました。
夏の暑い日差しの下、晋祠敷地内の屋根の修理は大変ですねえ。お疲れ様〜。 -
晋祠の敷地内には金人台という場所があった。
四角の台の四隅に鉄で作った人型の像が立っているんですが、これは水を鎮めて晋祠を守るためのもの。
像の大きさは等身大より一回り二回り位大きめ。
これはそのうちのひとつの頭部。
四体とも健在というわけではなく、破損が進んでいるものもあったと思います。
この画像の説明に見えているとおり、それぞれの像の製造年には違いがあるようです。 -
晋祠の敷地に公園風に並ぶベンチ。
その上に寝転んで休む人たちもいるけど、ベンチの幅が狭いから落ちないように気を付けて。
晋祠関連の写真はもう少し撮ったはずなんですが、今回はこれくらいしか見つかっていません。 -
これも晋祠の敷地だったかなあ。
歩道の両脇に植えてある木から木へと鮮やかな色の布地が張り渡してあった。
何か特別なお祭りがあったんだろうか。
周りに誰もいなかったので、聞くにも聞けず正体不明。 -
この日はとても暑かった。
太原の子たちも木陰で一休み一休み。
3人とも、大人になった時の顔立ちや雰囲気がもう想像できる。(*^。^*) -
山西省の省都太原と言っても、この当時は至ってのどか。
白や赤の車が見えてますが、これはこの当時一般的だっタクシーの車種で、中国語だと面包車(パン車の意味)と呼ばれてました。
手前の自転車のお二人はお買い物帰り?
それともこれから野菜売りのお仕事? -
道端の鉢に植えられていたスイレンだったような…。
ハスの花に比べたらずっと小さくて豪華さは無いけど、水面に映るその色形がきれいな花。 -
太原の五一広場脇にある道教のお寺さんの純陽宮。
太原の列車駅からだと徒歩で10分位。
明代の創建という純陽宮は山西省博物館の一部になっているんですが、この時は建物もだいぶ損傷していたし、展示物の展示方法もずいぶん古臭くて残念だった…。この時のチケット3元。
その純陽宮は08年に再訪した時には補修が済んでいてだいぶきれいになっていました。
この画像で見えている境内外側に出来かけていた円筒形の建物は、この時の太原ではとてもモダンに見えたっけ。
08年にはもちろんすっかり出来上がっていて、ガラス張りの姿を見せていました。 -
この時の純陽宮は、建物も文物の展示も上に書いたように期待はずれだった。
で、これは何かと申しますと、壁に掛かる純陽宮の防火バケツ。
何の変哲も無いかのようですが、そのバケツは縦に二つ割にしたような形になっているんです。
初めて見た不思議な形のバケツ。
確かにこの形のほうが壁に掛けやすい。
この形のバケツは山西省のあちこちで見かけました。
ひょっとして、山西省の特許製品?(^◇^) -
山西省は麺の故郷。
いろんな種類の麺があるのであれこれ頼んでみるといいですよ。
中国語の簡体字では、≪麺≫は≪面≫と書くので、≪牛肉面≫なんて書いてあっても驚かないように。
≪猫耳面≫というのもありますが、これはパスタでいうとシェル型のように形作ったもの。猫の耳が具になっているわけではありません。
この画像は、最近は日本でもお馴染みになった刀削麺を作っているところ。
画像のように形作った生地を包丁で手早く削いで沸騰した鍋へと飛ばし入れ、茹で上げます。モチモチシコシコした食感がおいしい麺。
山西省ではスープ入りで食べるより、トマト・ソースやミート・ソース風のソースを掛けていただくことが多いみたいです。
もちろん味のほうはイタリア風とはひと味もふた味も違う山西省風。ピリ辛の醤油味だったり塩味だったり。香菜(コリアンダー)も乗っかってきます。 -
7/15の〆に行ってみたのは明代創建という双塔寺。
太原の列車駅裏手南側にあります。
そろそろ歩き疲れたので、往きは純陽宮のあたりからタクシーで5元。
入場料は6元でした。
その境内にいた石造りの獅子は前足や顔面が破損。
まるで大口を開けて笑っているようにも見えるけど、これって文化大革命の時にでも壊されたのかも?
この後行ってみた古都平遥でも、民家の門口に対になって置かれている獅子が壊れているのをよく見かけ、文化大革命時に破壊されたという話を聞きました。 -
双塔寺にあった別の石像は…、(・・? …正体不明。
首が長くて、ラクダの様でもあり、草食恐竜の様でもあり…。不思議。 -
双塔寺の謂れとなった二本の塔。
この時には一本が補修中のようでした。
遠目には木造のように見えるこの塔は、実は8角13層レンガ造りなのだそう。 -
これも双塔寺の境内。
ここで見えているレンガ造りの建物は大雄宝殿。
規模自体は決して大きくは無いんですが、細部の装飾が精巧な建物。
ここからだと双塔の一つも美しい姿。 -
この時の太原でよく見かけたサル回しの大道芸。
この画像では和やかな感じに見えても、お猿さんがちょっと失敗すると飼い主のムチが容赦なく飛ぶのが怖かった。
最近は極端な動物虐待的見世物はあんまり見かけなくなったような気がするけど、実態はどうなのかな。
この日は自分で見つけた迎沢賓館の新館に移動。
ここも迎沢大街にあった宿だったような。
シングルが430元だったけど、旅行の記録には「(*^_^*)良い。」と出ていた。 -
イチオシ
さて、7/16(水)には太原から平遥へ日帰り旅行。
平遥が世界遺産の文化遺産に登録されたのはこの97年。
当時は平遥の観光開発は進んでいなかったから、外国人観光客がヒョイと来て気軽に泊まれる宿は無かったような気がする。
太原からはミニバスで8:00出発。
平遥までは当時2.5時間で、正規のミニバスだと9元。
非合法な私営ミニバス(?)が横行してしていた頃で、それだと車体が多少新しくても15元。
太原のターミナルで隣り合ったバスの中からジッとSUR SHANGHAIを見ていた子。
あんまり子どもらしくないその表情。
この頃の中国の子って、よく言うと大人びた子、悪く言うと老けた感じの子が多かった。
今は逆に甘やかされて育っている感じの子が多い。
中国の子どもの世界も社会の変遷とともに変わって来ています。 -
平遥に着いて真っ先に行ってみたのは、平遥の南西郊外6kmほどの橋頭村にある双林寺。
境内にある一つ一つの建物自体の規模は小さいんですが、そこにある明の時代の塑像や彫刻群が美しいお寺さん。
画像奥に見えているのがその山門。
チケット売り場はその右手の赤い建物。
この画像に出ているサイドカー付きのオートバイ・タクシーを平遥の列車駅から往復で雇って20元。
双林寺のチケットは12元でした。
08年に双林寺を再訪した時の様子も知りたい方は、下記も併せてご覧ください。
★山西省一人歩き(5)−晋商の豪邸を見て回る。王家大院+双林寺編
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10430279/ -
双林寺境内に入ってSUR SHANGHAIが最初に目を奪われたのは、国宝級とも呼ばれる塑像や彫刻群ではなく、このアナログな火消し道具。
江戸の火消し組の七つ道具は、纏、竜土水、大団扇、梯子、鳶口、刺又、玄蕃桶。
平遥双林寺の火消し道具は、シャベル、バケツ、鳶口と刺又の中間的道具か〜。
このほかにも小さな袋詰めになった消火用の砂、消火器も見かけました。 -
双林寺境内に点在する天王殿、釈迦殿、羅漢殿、大雄宝殿、千仏殿、菩薩殿などの建物には国宝級の塑像や彫刻群があるんですが、天王殿の外を守る金剛像以外の像は撮影不可の内部にあるので、意地になって火消し道具を撮るSUR SHANGHAI。(^^ゞ
これは大雄宝殿の入り口脇の柱と火消し道具。
建築に詳しくないSUR SHANGHAIは、屋根を支えている柱の基部が無いのはすごい!と思うんですが、これって普通?
その柱に出ているのは、≪火気厳禁≫を表す≪厳禁煙火≫。
ちなみにこの大雄宝殿が双林寺の本殿ということで、内部には阿弥陀仏、文殊菩薩、普賢菩薩などの像がありました。 -
双林寺の境内には、規模は小さいながらも上に書いたように建物がいろいろあるので、この画像の壁画がどの建物のものだったのかまでは覚えていないSUR SHANGHAIで失礼します。
双林寺の塑像や彫刻群は明代のものらしいけれど、この壁画もその頃のもの?
その外壁の壁画は剥げかけてはいるものの、出来たばかりの頃の彩色の鮮やかさが偲ばれる。 -
双林寺の建物の一つ。
≪消防砂≫と書かれた小さい紙袋入りの砂が並ぶ窓辺。
こんなに小さい袋で、いざ火事の時には間に合うの?
その下に置いてある手作りらしい箒と塵取りもアナログな雰囲気。
建物内部にある塑像や彫刻群は撮影不可なのが惜しい芸術品。
なぜ、こんな片田舎にこんな作品群が!と思うほど。
個人的には、千仏殿(だったかな?)にあった韋駄天像の肢体と装飾、表情に力強い品格があったと思います。
これはぜひ見てみるといいですよ。 -
双林寺の外を見れば、ヒツジを追う人の姿もあるのどかな田舎風景。
-
イチオシ
双林寺の天王殿前を守る像は四体あって、金剛像なのだそう。これらは建物の外側にあって撮影OK。
全部塑像のようで、手などの破損が見られますが、目には瑠璃玉が入っていると言うことで、表情が思いがけなく生き生きとして見えます。
これは入り口の右手にある二体の内の一体。
この像が一番の美男金剛だと思ったSUR SHANGHAI。 -
イチオシ
双林寺の天王殿前を守る金剛像。
これは入り口の左手にある二体の内の一体。
その力強い表情。
やはり目に入れた瑠璃玉がその表情に一層生彩を添えていると思います。
双林寺を見終えたあとは、平遥の列車駅に戻って来たSUR SHANGHAI。
サイドカー付きオートバイの運転手さんともそこでお別れ。
ありがとうございました〜。(o'∀'人) -
●注: これは、08年に平遥を再訪した時に手に入れた山西科学技術出版社出版の『平遥の名勝』という冊子に出ていた平遥の地図をスキャンした物です。
これで平遥古城の様子が分かると思うので、この旅行記にも出しておこうと思います。
黒い線で四角く囲まれた部分が平遥古城。
列車駅は地図左手に出ています。
画像をクリックして元画像で見てみても地名などがはっきりしない場合は、コピー保存してさらに拡大して見るとはっきりすると思います。
注:中国語の≪古城≫は≪古い町≫の意味。日本語で言う意味の≪古いお城≫があるとは限りません。 -
平遥に戻って来た後は、お次は城壁で囲まれた平遥古城へ。
上でも言いましたが、中国語の≪古城≫は≪古い町≫の意味。日本語で言う意味の≪古いお城≫があるとは限りません。
平遥の列車駅から一番近い西側の門(鳳儀門)へは歩いても行ける距離。
交差点に立っていた新人お巡りさんらしい青年に道を確かめたら、「あちらです。」の言葉とともに、さっと片手を挙げた敬礼。
あの時の純朴地方青年らしい生真面目な服務態度と澄んだ瞳が今も懐かしい。
まずは城壁の上から平遥古城を見てみたかったSUR SHANGHAIは、駅から一番近い西側の門(鳳儀門)から入って時計回りに歩いて行ったはず。
この当時の城壁見学チケットは8元也。 -
平遥古城は万里の長城のような城壁で囲まれています。
城壁の高さは6〜10mで全長は6.4km。
この画像でも見えているように、規則的に櫓が並んでいます。
城壁の上は3〜6mの幅がある通路になっているので歩いて一周出来るようになっています。
97年当時は通路の上を人力車や自転車でも回れるようになっていました。(注:その後禁止されました。)
自力で歩き通そうと思っていたSUR SHANGHAIの後を人力車のおじさんがずっと付いてきたのが可笑しかったっけ。
97年の訪問の時にはあまりの暑さで、結局は残り3分の一の距離をお世話になりました。
08年に再訪した時には自力で一周してみたので、その時の様子も併せてご覧ください。
★山西省一人歩き(9) −平遥古城城壁を一周する
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10430362/ -
平遥古城の城壁を歩き始めたSUR SHANGHAIの後ろから、この当時はまだ通行禁止になっていなかった人力車のおじさんが付いて来た。
結局乗せてもらうまで、少なくても4kmはただでくっついて来たよね、おじさん。(^◇^)
よほど暇だったのか、歩きながらの話し相手にもなってくれたっけ。
これは、城壁から見下ろした平遥古城内。
97年当時の平遥古城内の道は、大きい通り以外は舗装されていない所がほとんどだった。 -
97年に撮った平遥古城内の写真は、ネガが不完全なので順番が分からなくなっているものもあります。
08年に撮ったものとも比べて並べてみました。 -
これは平遥古城城壁の東側にある親翰門と太和門の間から見下ろした平遥古城内。
左手には天主堂の十字架が付いた塔が見えているので間違いありません。
右手に見えている大きい建物は省クラスの接待用ホテルだったような。
この道は城隍廟街で、用水路の神を祀る城隍廟や孔子を祀った文廟もある古城内のメインストリートの一つ。
この当時すでに舗装が出来ていました。
この時にはこの城隍廟街は歩きませんでしたが、08年には天主堂、城隍廟、文廟も訪れてみました。
その様子を知りたい方は、下記も合わせてご覧ください。
★山西省一人歩き(7) −平遥の昼を歩く
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10430309/ -
平遥古城の城壁を南東の角に向かって歩く。
ちょっと振り向いて見下ろした古城内。
画像奥に見えている大きい屋根は城隍廟街にある文廟大成殿のものだと思うんですが、間違っていたらお許しを。 -
平遥古城城壁内の民家は、平屋建てか2階建て。
屋上に祠風の建物を乗せた民家もちらほら。
こういうお宅は平遥では名家のようでした。 -
城壁寄りの民家では、住む人がいるのかいないのか黒い瓦屋根もレンガの塀や壁も崩れかけた家も。
-
民家の黒い甍の波が続く平遥古城内。
黒っぽい家の間に緑が混じる町並み。 -
洗濯物が干してある民家の中庭に置かれているのは、穀物を動物に挽かせるための道具?
もう使われなくなったのかも。
その庭を横切っていく子どもの姿がある平遥の夏の昼下がり。 -
城壁から見下ろした平遥古城内。
この頃は、まだ舗装も石畳も敷かれていない道も多かった。
夏の日差しが一段と強くなった午後。
自転車をこいで行く人も苦しい暑さ。 -
城壁の南東の角近くまでやって来て、北の方向を振り返る。
城壁の内側は土がむき出しになった部分もけっこうある。
これだと雨で侵食されて崩れるんじゃないかないかと思ってしまう。
でも、侵食を心配するほどの雨は降らないからこのままにしてあるとも言えそう。 -
イチオシ
城壁の南東の角には奎星楼という塔が立っているので上ってみたSUR SHANGHAI。
やはり高い所から見ると、古城内も違った雰囲気。
この画像だと、城壁の左手が古城内で、城壁の右側は新市街地。
コンクリートの塔は給水塔ということでした。
新市街地にはこれ以外にも何本も立っていました。 -
これも城壁の南東の角にある奎星楼という塔から見下ろした眺め。
これは平遥古城を四角く取り囲んでいる城壁のうち、南側の城壁。
ここにも櫓が規則的に並んでいます。
この画像だと左手が城壁外側の新市街地。 -
城壁の南東の角そばに並ぶ平遥古城の民家。
中庭では、農作業もするのかなと想像してみたSUR SHANGHAI。 -
城壁のちょうど南東の角内側にある民家。
この画像で見えているお宅は08年に再訪した時にも健在でした。
ただ、城壁との間の通路はこの時には未舗装だったのが、08年には石畳に大変貌。
城壁南東の角に立つ奎星楼の写真も撮ったはずなんですが、その画像は行方不明。 -
これは、城壁の南門(迎薫門)から見た平遥古城。
画像奥に続いている道は、平遥古城の南半分を南北に貫いている南大街。
08年に再訪した時には、民家を改装した宿やお土産屋さん、食堂が連なる道になっていましたが、この時は普通の民家やお店が並ぶ道でした。
奥に見えているお城のような建物は、この旅行記の最後に行ってみる市楼で、古城内のランドマーク。
ここまで来て暑さにやられたSUR SHANGHAIは、それまでずっと付いてきた人力車のおじさんのお世話になることに。この南側の門(迎薫門)から、振り出しの西側の門(鳳儀門)+古城内案内で45元也。 -
振り出しの城壁西側の門(鳳儀門)まで戻ってきて、古城内のメインストリートの一つ西大街を見下ろす。
うだるような暑さの夏の日、石炭の塊を積んだ馬車がいる。
この石炭は、調理用竈の燃料になるんだろうな。
そのそばでは野菜売りらしいおじさんの姿も見えている。 -
城壁南側の門(迎薫門)から振り出しの城壁西側の門(鳳儀門)までSUR SHANGHAIを乗せてくれた人力車のおじさん。
この後は古城内の案内もしてくれるので、城壁内側に付けられた階段を下りて行きます。
その姿を後ろからパチリ!
●注: この97年には、人力車や自転車でも城壁の上が通行可能でしたが、その後は禁止になっています。 -
平遥古城内は歩いて見て回るだけならチケットは不要。これは08年に再訪した時にも同じ。
97年の平遥では、見所のチケットは個別に払うようになっていて、清の時代に中国初の個人の金融機構として設立された有名な日昇昌は8元也。
これは西大街沿いにありましたが、その写真は出てきていません。
人力車のおじさんは他にもいろいろ回って町並みを見せてくれたけど、写真が残っているのは市楼がある南大街だけ。
これは民家を改装した写真館のレトロな看板。
結婚記念写真がお得意のようです。
中国では今でも、結婚写真は衣装やセッティング、演技も派手に撮るのが当たり前ですが、この頃の平遥でもその兆しが見えています。 -
これが平遥古城内のランドマーク的存在の市楼。
南大街の北側にあります。
この時の市楼付近の南大街に並んでいたのは普通のお店や民家がほとんど。
観光的にまだあまり開発されていなかったので、全体的に埃っぽい印象で、壊れかけの建物も多かった。
08年に戻ってきた時にはお土産屋さんや民家をこぎれいに改装した宿がずらりと並んでいてびっくり。 -
イチオシ
このおじさんが城壁の三分の一と平遥古城内を人力車で回ってくれた。
市楼をバックにして撮ったこの写真が、こうして旅行記になるなんて思ってもいなかったね、おじさん。
(*^。^*)
あの時は暑い中をお疲れ様でした〜。m(__)m -
人力車のおじさんとも別れて、太原に戻るべく平遥を去ったSUR SHANGHAI。
この時には、いつの日にかまた戻ってくる日があるとは自分でも知らなかった平遥古城。
今回の旅は、このあと河北省の省都石家庄にも寄っておしまいです。
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この旅行記へのコメント (1)
-
- 一歩人さん 2010/02/15 10:44:57
- 路地裏を歩くって感じで好きです
- SUR SHANGHAIさんへ
好きシリーズを立ち上げている一歩人です。
今年は、歩くをテーマに投稿しています。
そう、これ、これ、こうした風景が大好きです。
特に、路地裏にも気配りしていませんか。
いいですねええ。
とってもなごみました。
ありがとうございました。
失礼しま〜す。
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