1997/09/05 - 1997/09/09
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SUR SHANGHAIさん
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★2011年4月: 旅記録や写真が新たに出て来たので、これまで1編だけだったチベット旅行記を三つに分けて再編集します。★
以前、ポスターでポタラ宮の様子を見てから、一度は行ってみたいと思い続けていたチベット。
チベットって、自分にはとてもとても行けそうがない辺境の地と思っていたのに、この年には「ネパールもついでに行ってみようか。」と、あっさり決定してしまった。
SUR SHANGHAIにとっては初めてのチベットでも、旦那は二度目。
これで不安は半分になって、旅行の許可証の手配が済んだ後は、どんどん期待が高まるばかり。
さて、どんな旅になるのやら。
ネパールに抜ける直前には大きなトラブル話もあったんですが、それは後回しにして、まずは出だしのラサの様子をアップします。
表紙の画像は、マルポリの丘の麓から見上げたポタラ宮。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
これは、この時のチベット〜ネパール旅のメモ代わりに使っていた便箋。
SUR SHANGHAIにとって貴重な旅記録が出土しました。
この一連の旅行記に出す料金などの数字はこの記録内のものになります。
個人的なメモもあるので、画像は縮小してアップします。
この便箋の左上の方にはホリデイ・インのロゴが出ていますが、以前のホリデイ・イン・ラサ(拉薩假日酒店)が使っていた物です。
1997年にはホリデイ・インとの合弁は解消されて、SUR SHANGHAIたちが泊まったときには拉薩飯店になっていたんですが、部屋にはまだこの便箋が置いてありました。
この旅行記の出だしは、四川省の省都成都から。
成都で泊まったのは[王民]山飯店で、朝食付きツインが786元。
当時そのホテルに入っていた旅行社で、チベットへ行く旅行許可証を取ったんだと思います。
まだメールは使われていない頃だったから、事前の資料請求や申し込みはファクスと電話だけで、ホントに大丈夫かと思った記憶が…。(^^ゞ
それでも手続きは無事に済み、その料金は当時サービス料金込みで600元。
成都からラサへは、当時の中国西南航空で2時間で、片道1200元。
飛行機からの山々の眺めがよかったのは覚えていますが、ネガや写真が不完全で行方不明。
そのうちにまた、これまでの引越し荷物の中から出土するかも。(~_~;) -
成都からの飛行機は無事にお昼前にはラサ・クンガ空港に到着。着いた時の気温は9℃。
飛行機から出たとたんに酸欠で倒れる人もいると聞いていたので、降りる時にはちょっとドキドキ。(~_~;)
でも、気を張っていたせいか、ラサ市街地まで1.5時間のバスではSUR SHANGHAIとその旦那は問題無し。このバスの料金は当時25元。
途中、水の流れのそばの崖に仏像が浮き彫りになっている所があった気がするけど、どうだったかな。
998元のツインを取った拉薩飯店にチェックイン後は、ただちにラサの最大の見所のポタラ宮殿が見えるポタラ宮広場や、パルコル(八角街)へ。
拉薩飯店から3路のミニバスだと、当時は2元、タクシーだと10元。 -
それまで秘境中の秘境と思っていたラサのポタラ宮。
自分にはとても行けない場所のはず、と思っていたそのポタラ宮が、広場向こうのマルポリの丘の上にあっけらかんと姿を見せた。
感激! と言うよりも、あんまりあっけなさ過ぎて、本当の景色とは思えなかったSUR SHANGHAI。
「あれ? ホントに来ちゃったの?」と、拍子抜け。(^^ゞ
この日は、高度に順応するためにポタラ宮には上らずに、このポタラ宮広場やパルコル(八角街)のあたりだけ歩いてみます。
何と言っても、いきなり3650mの高さまでやって来たんだから、これまで未経験の高山病には要警戒。
拉薩飯店の部屋にも酸素ボンベとかが置いてあるのを見ていたので、自分も使う羽目になるんじゃないかと初日はドキドキ。(・_・;)
結局はSUR SHANGHAIもその旦那も使わずに済みました。 -
ラサには、着いた日を含めて4日間の滞在。
ポタラ宮広場あたりの写真も毎日撮りましたが、まとめてアップします。
日付はバラバラになりますが、お許しを。m(__)m
マルポリの丘の上に傲然とも言えるほど巨大な姿を見せるポタラ宮。
ポタラ宮の規模は13階建てで建築面積は1万3千?、部屋数は2千はあるそうな。
ポタラ宮の元になった建物は、ソンツェン・ガンポ(チベットを統一した吐蕃33代の王だった人物)が7世紀に建てた宮殿で、後世のダライ・ラマ5世が大きく広げたんだそう。 -
自分は行くこともできない場所と思っていたポタラ宮が、今は目の前にあるというのが信じられなかったSUR SHANGHAI。
そんなポタラ宮を見渡せる広場にも市場が出ていた。
地元の人たちで賑わっているのを見たら、ポタラ宮も一気に身近な存在になった気分。 -
同じくポタラ宮広場。
あそこに集合しているのは、ポタラ宮周辺の見学に来た修学旅行の生徒たち?
とっても賑やか。
いかめしいポタラ宮も、その歓声の中では子どもたちをしっかりと見守るお父さんのよう。
ポタラ宮のうち、中央の一際高くて赤く塗られた部分は紅宮(ポタン・マルポ)と呼ばれる宗教的な聖なる領域。代々のダライ・ラマの霊塔が安置されてあります。
この画像で、紅宮(ポタン・マルポ)の右手に見えている、白くて高い建物部分が白宮(ポタン・カルポ)で、ダライ・ラマの住居であると共に俗世の執政の場だったんだそうです。 -
これは、ポタラ宮が立つマルポリの丘に向かって右側(東側)を通っている康昴路。
今はどうか分かりませんが、1997年にはこの康昴路に沿って日用品の露店的お店がずらり。
こんな角度で見上げると、マルポリの丘の上にあるポタラ宮の高さがよく分かると思います。 -
上記の康昴路とポタラ宮広場を通る北京中路の角近くには、小さな廟のような建物が。
チベット仏教のお坊さんたちも通りがかりにこんな感じで拝んでいく。
「中には仏像が?」 と、SUR SHANGHAIも覗き込んでみたところ…、
…暗くて何も見えなかった…。(−−〆) -
その廟のような建物は、人々にとっては礼拝対象以外にも休憩場所となっているらしくて、こんな和やかな風景も。
後に見えるポタラ宮が世界遺産の文化遺産として登録されたのは1994年のこと。
その後、同じラサ市内にあるジョカン(大昭寺)が2000年に、同じくノルブリンカ(ダライ・ラマの離宮)が2001年に世界遺産の文化遺産に追加登録されて、≪ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群≫と総称されるようになったようです。 -
イチオシ
マニ車を手にした地元の女性たちも、ポタラ宮の南の麓を通る北京中路の歩道で一休み。
この歩道から見上げるポタラ宮は、その高さに加えて強固な壁面がずいぶん威圧的に見える。
薄闇に包まれた内部の二千以上もあるという部屋を想像すると、計り知れない立体迷路という感じで、ちょっと怖くなったSUR SHANGHAI。 -
祈りのスタイルも、宗教によってさまざま。
チベット仏教の礼拝方法は、五体投地と呼ばれています。
五体と言うのは、両手、両膝、それに額のことなんだそう。
その五体を地面に投げだして礼拝するので、そう呼ばれているようです。
これは、ポタラ宮の南の麓を通る北京中路で見た五体投地をする人々の様子。
何度も立ち上がって手を合わせる方向は、もちろんのことながらポタラ宮。 -
お祈りをしているお母さんを歩道の片隅で待つ子たち。
あ! チベットにも子どもの股割れズボンがあったんだ! (◎o◎)!
さすがに右側の子くらいの年頃になると穿きませんが、2歳過ぎくらいまでは、男の子も女の子も穿いているような気がします。
北京や上海も例外ではありません。
しゃがめばズボンを下ろすことなく用足しが出来るように考案されたとか聞くけど、抱っこやおんぶをしている時にお漏らしされたら…、という心配のほか、こんな風に地面にベッタリ座ったりして大丈夫?
冬にはしもやけで真っ赤なお尻になっている子もいるし…。(~_~;) -
さ、ジョカン(大昭寺)や、お土産屋さんがずらりと並ぶパルコル(八角街)へ行ってみよう。
ポタラ宮広場からパルコル(八角街)までは1kmちょっと位の平坦な道なので、高山病がひどくなければ十分に歩いて行ける距離。
ちなみに、ラサ初日のSUR SHANGHAIとその旦那は、ちょっと息切れがし始めた程度だったので徒歩移動。
高山病を抑えるには、お酒やタバコを控えて、水分をたくさん摂るのがいいそうですよ。
途中の交差点では、こんな小さい男の子が交通整理。
「ボクちゃん、1日お巡りさんになってるの?」と聞きたくても、≪公務執行妨害≫で検挙されたら大変なので、話しかけずに通り過ぎたSUR SHANGHAIとその旦那。(^◇^) -
ポタラ宮広場からジョカン(大昭寺)や、それを取り囲むパルコル(八角街)への道筋。
どの道だったかな。
歩道にはずらりと足踏みミシンが並んで、露店仕立て屋さんが店開き。
気候・天候が悪い時にはどうするんだろ。
この露天仕立て屋さんは今もまだあるんだろうか。 -
いかにもチベット的なスタイルの民家。
アパートになっているような感じで、それぞれの窓辺に住人の個性が出ている気がする。
右上の窓辺に立っている子がいるけど、落ちないように気を付けて! -
チベットで最も聖なる寺院と言われるジョカン(大昭寺)や、それを取り巻いているパルコル(八角街)のお土産屋さんの写真もたくさん撮ったと思いますが、発掘できた写真は少ないのでお許しを。
ジョカン(大昭寺)は、ポタラ宮の元を建てたソンツェン・ガンポ王に嫁いだ文成公主によって建立されたチベット仏教寺院で、トゥルナン寺とも呼ばれるんだそう。
2000年には、≪ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群≫の一つとして、世界遺産の文化遺産にも追加登録されたお寺さんです。
よく知られているジョカンという呼び名は、≪本堂≫を意味する言葉なんだそう。名前がたくさんあって、混乱しそう。(^^ゞ
そのジョカン(大昭寺)前でも、熱心にお祈りをする女性がいた。
一生懸命にお祈りの作法を真似している子は、この女性のお子さんなのかも。 -
「さ、もう帰るよ。おいで。」といった感じで立ち上がった女性。
そのお下げ髪、長いスカート、横縞の前掛け、手に持ったマ二車…の全てが、イメージの中にあったチベット女性とぴったり一致。 -
ジョカン(大昭寺)の近く(だったかな)にあった、廟のような建物。
その外壁周辺で見られた、地元の人の日常風景。 -
イチオシ
ジョカン(大昭寺)のあたり(だったかな)で見かけたマニ石。
マニ石がある風景は、チベットで印象に残る物の一つだと思います。
マニ石というのは、チベット語の経文やオムマニペメフム(大いなる蓮の花の宝珠よ)などの真言が彫られた石で、聖地では塔のように積まれてあったり、あちこちに置かれているのを見かけます。大きさや石の材質はさまざま。
このマニ石にはハーダー(カタ)がたなびいているのがいい風情。
ハーダーは、白いシルクのスカーフのような布。ちょっとしたイベントの時に贈ったりするほか、神聖な場所には巻かれたり結び付けられています。 -
上の画像の場所と同じ建物外壁に置かれていたマニ石。
下の方に下がっている色とりどりの布はタルチョ。これも神聖とされる場所に巻きつけてあるのをよく見かけます。
チベットの風景として印象に残る人は多いかも。
ここには三色の布地しか見えていませんが、このほかに白と青もあり。
その五色は物質の五大元素を表していて、黄色は地、青は水、赤は火、緑は風、白は空なのだそう。
タルチョには経文とルンタ(風の馬)と呼ばれる馬の絵が刷られていて、風に翻るたびにルンタが空を駆けて仏法を広めてくれるんだそうです。 -
これは、ジョカン(大昭寺)を取り巻いているパルコル(八角街)の一部。
地元の人たち御用達のお店や、観光客相手のお土産屋さんがずらりと並んでいるので、ぐるりと一回りしてみるといいですよ。一周1km位です。
お店の並ぶ写真はたくさん撮ったと思うんですが、目下はこの1枚しか出て来ていません。
これは地元の人たちの日用品を売っている一画。
ずいぶんごちゃごちゃした場所だったけど、今はきれいに整備されているのかも。 -
この時のパルコル(八角街)には、ずらりと並ぶお店に混じって家畜を繋いである場所もあった。
シュールな町角だあ。
赤い耳飾りを付けてもらったお顔がヌボ〜っとしたウシ。
鼻の下の黒い斑点が、生え始めた不精髭のようでおかしい。(^◇^) -
ジョカン(大昭寺)前の広場の片隅には、上階からの眺めのいいカフェがあった。何て言う名前だっただろう。
最近はこのあたりのカフェも増えたんじゃないかな。
ジョカン(大昭寺)や、広場を行き来する人々がこんな風に見える席に陣取って、一休みしていくといいですよ〜。
お勧めは、チベット風うどんのトゥクパ。野菜なんかと煮込んであって、日本人好みの味だと思います。
モモと呼ばれる羊肉まんじゅうは、人によって好き嫌いが分かれそう。
外国人旅行客相手のお店だと、この当時からヤク肉を使ったハンバーガーなんかの西洋風メニューもありました。
ハード・ロック・カフェをもじったハード・ヤク・カフェがあったのは拉薩飯店だったかな?
ヤクのバターと岩塩を入れた酥油茶(バター茶)にもトライしてみては?
初めから「おいしい!」と思う人はあんまりいないかもしれませんが、これも旅の経験の一つ。 -
ジョカン(大昭寺)前の広場を見下ろすカフェで一休みしつつ人物ウォッチング。
パルコル(八角街)に買出しに来たらしい人たちが、それぞれに荷物を持って帰っていく姿。
それって鍋の本体と蓋? -
赤い帽子をリヤカーの荷台に載せて売り歩いていたおじさん。
チベットでも、赤は縁起のいい色みたい。
我が子にそのうちの一つを買って、さっそくかぶせていたお母さん。
なんかいい雰囲気。(*^。^*)
子どもの背負い方が日本と違うのにご注目。
子どもの脚を伸ばしたまま背負っています。
これは、チベットから遠く離れた安徽省でもこういう背負い方をしているのを見たことがあるのでちょっと驚き。 -
イチオシ
ちょっと階段を上がっただけで息切れしやすくなって、「これが高山病なんだ。」と常に意識し始めたのはラサ2日目以降。
まだこの時には頭痛は出ていなかった。
試しにちょっと走ってみたら、すぐに息がハアハア、心臓ドキドキ。
やっぱり標高3650mのラサでは、ゆったり歩くのが正解。
これは、ポタラ宮を西側の麓から眺めた様子。
麓にあるお店に目をやると、「え! ラサにもモービル石油の看板が! (◎o◎)」と、びっくり。 -
ここは、ポタラ宮の立つマルポリの丘を西側からちょっと回り込んだ場所だったはずなんですが、記憶があやふや。
間違っていたらごめんなさい。m(__)m
道端に小さい廟があったほか、道沿いにはマニ車がずらりと並んでいて、地元の人たちがコルラ(巡礼)しにやって来る姿が見られました。 -
上に出した画像の続きの道。
道に沿ってマニコロ(マニ車)がいくつも並ぶ。
一口にマニ車と言っても、小はデンデン太鼓のように見える携帯用から、大は人の胴体より太いものまで色々。
中にはロール状に巻かれた経文が入っていて、回す度に経文を一度唱えたのと同じ功徳があるんだそう。
よって、この画像の女性のようにマニ車を回しながら道行く姿があちこちで見られます。
そうそう、チベット仏教ではマニ車は時計回りに回転させるのがルールだそうです。 -
小さい頃から生活の一部として宗教を持ち続けてきた人々の、生活習慣としての宗教活動。
チベットでは、人とマニ車が一緒になった風景がその象徴だと思う。 -
宗教を持たないSUR SHANGHAIも、何かに向かって手を合わせて祈りたくなる時がある。
こういう気持ちが、すべての宗教の根っこにあるものなのかも?
チベット仏教にはなじみの無いSUR SHANGHAIも、ちょっとお祈りした気分になって回してみたマニ車。 -
ラサでの2日目は、北郊外10km足らずの場所にあるセラ寺も訪問。
乾いた岩山を背にしたセラ寺は、ツォンカパ(チベット仏教ゲルク派の開祖)の弟子の一人ジャンチェン・チョジェ・サキャ・イェシェが1419年に開いた寺院。ゲルク派の中では、代表的な寺院の一つになっています。
ゲルク派については、SUR SHANGHAIには説明不可能なので、下記のウィキペディアの≪チベット仏教≫のページで見てみるといいと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E4%BB%8F%E6%95%99 -
セラ寺見学のチケットは、当時15元。
寺院群の写真も撮ったはずですが、今回発掘できたのはこの画像も入れて三枚だけ。
創建以来、色の塗り直しも補修もしていないんじゃない?と思うほど色あせて壊れた箇所が多かった気がする。
今はきっと立派に建て直されたりしているんでしょうね。 -
セラ寺境内の建物。これは僧坊だったかな。
高い場所の窓辺には、高みの見物をしているチベットのネコちゃん。
大事にしてもらっているらしくて、福々とした体つき。 -
セラ寺からラサ市内に戻って来たSUR SHANGHAIとその旦那が行ってみたのは、市街地の南側を流れるキチュ川(ラサ川)の中洲。
その中州はジャマリンカと呼ばれていました。
当時は、お散歩に気持ちいい川岸が続いていたほかには特に何も無い場所だった気がしますが、記憶違いだったらお許しを。
石を積んだ川岸の斜面には、洗濯物がずらり。
お洗濯をするおじさんの傍らでは、髪の毛を洗う少女もいる岸辺。
これよりも6年後に行ったバラナシのガンガの岸辺と似た雰囲気。 -
これも、キチュ川(ラサ川)の中洲のジャマリンカ。
澄んだ川の冷たい水の流れ。
もう一人、洗濯も洗髪も済ませた少女が立つ川岸。その後姿が清々しい。 -
ラサの3日目は、まず旅行社でチベットの後で訪れるネパールのヴィザ取得。
当時、15日間のシングル・エントリーの観光ヴィザが135元でした。
その後は、いよいよお待ちかねのポタラ宮へ。
当時のチケットは、ポタラ宮45元、それにポタラ宮の紅宮の金頂が別料金で10元也。
ポタラ宮が立つマルポリの丘を上って行くと、途中のお店には飲み物や仏具のほか、なんだかずいぶんチャチな感じの酸素ボンベも売られていたのが印象的だった。(^^ゞ
SUR SHANGHAIたちは挫折することなく上れましたが、見学し終わった頃にはついに高山病独特の締め付けられるような重苦しい頭痛が降臨。(−−〆) -
イチオシ
ポタラ宮内部の写真撮影は禁止だったと思うので、紅宮内部の霊塔などの展示品の写真は無し。
こもったような薄闇の中に並ぶ霊塔が、ずいぶん異様な迫力だったと思う。
撮影可能だった場所の写真も、行方不明になっているものが多いのがちょっと残念…。 -
ラサのポタラ宮詣でに他のお寺さんからやって来たような若いお坊さんが三人。
上の画像では、どこから見て回る?という感じだったのが、その相談も決まったらしい。
舞台劇のような一場面。 -
これは、ポタラ宮の東側にあるデヤン・シャルと呼ばれる広いテラス風の場所から同じく白宮へと上っていく入り口。
内部はやはり撮影禁止だったような気がします。
雲南のポタラ宮とも呼ばれる香格里拉(シャングリラ)の松賛林寺(ソンツェンリン・ゴンパと比べてみたい方は、下記の旅行記をご参照下さい。
★雲南省数日(3) −香格里拉 松賛林寺(ソンツェンリン・ゴンパ)大殿周辺へ
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10191815/
★雲南省数日(4) −香格里拉 松賛林寺(ソンツェンリン・ゴンパ)の丘周辺へ
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10193439/ -
これは金頂(ポタラ宮の紅宮屋上)だったかな。
金頂に並ぶ金色の屋根の建物写真が出て来ないので、前後関係が不鮮明。
幟のように立ててある仏具(?)も、チベット仏教の色が濃い眺め。 -
イチオシ
あ、さっきの三人組お坊さんに追いついた。
お互いに記念写真の撮りっこ。
お坊さんとカメラと言う取り合わせがおもしろい。
上着は取ったほうがカッコいい、と決まったらしくて、ポイッと床の上に置く。
え? いいの? (◎o◎) -
ポタラ宮の上から見たラサ市街地。
こうして見ると、ずいぶん山が近くに迫って見えるし、市街地には高い建物は無いながら結構建物の密度が高い感じ。
歩いて回った時とは印象がずいぶん違ってびっくり。
山の麓と市街地の間に光って見えているのは、ジャマリンカがあるキチュ川(ラサ川)。 -
なんだか急に高山病の頭痛がしてきたSUR SHANGHAIとその旦那は、そそくさとポタラ宮のあるマルポリの丘を下り始めた。
強い痛みでは無くても、孫悟空の頭の輪っか=緊箍児(きんこじ)で徐々に頭を締め付けられたらこんな感じじゃないかな、というジ〜〜ンとした切れ目の無い痛さ。
薄い空気に慣れきっている地元の人は、何でもない顔で下りてくるのがうらめしや〜。
う〜ん、今日はもう無理はせずにホテルに帰った方がいいかも、とこの日はリタイア。 -
ラサでの4日目の朝。
いよいよ高山病の症状が進んできたらしくて、夜通し頭痛と動悸・息切れでよく眠れなっかた。
一瞬眠りに落ちても、すぐに息が苦しくなって目が覚めるのが辛い。
これからネパールに抜ける前には標高5220mの峠越えもあるのに…、とブルーになった朝。
それでも明日からの運転手さん付きトヨタのランドクルーザーの手配も旅行社で無事に完了。
ラサ→ナンカルツェ→ギャンツェ→シガツェ→テングリ(ティンリー)→ザンムー(ダム)を三日間で走破してもらうことにして、当時4800元だったっけ。 -
この日はもうあちこち歩き回るのは止めて、宿になった拉薩飯店からすぐ近くのノルブリンカへ。当時のチケット20元。
ノルブリンカはダライ・ラマの夏の離宮が置かれた場所。
2001年には、≪ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群≫の一つとして世界遺産の文化遺産に追加登録されました。
夏の離宮と聞いて、建物がポツンと一つだけあるのかと思ったら大間違い。36k?という広大な敷地には歴代のダライ・ラマの離宮が入っていました。スケールが違う〜。(^^ゞ
一番の見所になっているのは、ダライ・ラマ14世のタクテン・ミギュ・ポタン(永劫普遍の宮殿)。中は撮影禁止だったと思います。公開されているトイレが西洋式の水洗トイレだったのがとても意外。
で、この画像はその入り口を飾る布地。
中央に描かれているのは法輪。両側の動物は、釈迦が初めての説法をした鹿野苑を表わすシカのはずと思ったら、ウシにしか見えない…。
罰当たりで申し訳ありません〜。m(__)m -
ノルブリンカの敷地内にあった獅子像。
狛犬のように置かれている獅子像も、≪所変われば品変わる≫で、これはとってもコミカルな造りと色合い。
これでノルブリンカが守れるの?
さ、これでラサの見学はおしまいにして、明日からのランドクルーザー旅に備えよう。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- まーれさん 2005/08/31 15:10:47
- 今度の国慶節にラサ行ってきます
- 旅行記参考にさせていただきます。
久しぶりの旅なのでかなりわくわくしています。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2005/08/31 20:07:00
- RE: 今度の国慶節にラサ行ってきます
- 私もチベットはまた行きたいです。
今はどうなっているのか、後程旅行記でお知らせくださいね。(*^_^*)
私の以前のチベット旅行記は、「こんな事があった。」と言う内容なので、旅の参考にならないと思います。すみません。m(__)m
高山病、高地の気候など、お気を付けて行ってきてください。(^^)/~~~
-
- sitejmさん 2004/10/17 19:59:27
- こんにちは
- SUR SHANGHAIさん、
今日は書き込みありがとうございました。
チベット、素敵ですね(こちらでもまた大変な目に遭われたようですが)。
電柱がないって、なんて素晴らしい光景なんでしょう!
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2004/10/17 23:21:44
- RE: こんにちは
- その時は大変でも、私のプロフィールの言葉どおりの『過ぎてしまえば皆想い出』になり、こうして旅行記のネタになっております〜。
これからもマイペースでいろいろな所へ行ってみたいです。
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