1993/08/06 - 1993/08/15
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SUR SHANGHAIさん
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★2024年9月:掲載画像情報をアップデートして再アップします。★
これまでの引越し荷物の中からバラバラになって出て来る紙焼き写真時代の旅記録。
写真や記録がある程度溜まったら、『ちょっと昔の×××』シリーズに仕立てようと思います。
残っているネガや写真、記録や記憶も完全ではなかったりしますが、想い出旅行記としてアップ。
これはそのフランス編の一つで、ノルマンディー地方からブルターニュ地方を巡った時のお話。
珍妙・奇妙な出来事が多かった旅で、見て回った場所の印象よりも強くインプットされて今も憶えているほど。(;^ω^)
そのお話は本文中でご紹介します。
さて、その旅路とは…。
――前置き――
この時の旅の起点は、当時滞在していたドイツのデュッセルドルフ。
今はあまり列車旅をしないSUR SHANGHAIですが、この時は主に列車を利用して、パリからモン・サン=ミシェルを含むノルマンディー地方をかすめ、ブルターニュ地方を回ってみました。
列車もバスも便数が少ない地方で移動に一苦労。 ―これは今も同じ状況かも?
この旅で出遭った出来事のほとんどが交通関連、というのが忘れがたい想い出になってます。(ノω`*)
表紙の画像は、ブルターニュ地方に行ったらぜひ見たいと思っていたカルナック列石。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
写真と一緒に出て来た旅記録によると、このノルマンディー地方+ブルターニュ地方の旅では列車を主に使っていたSUR SHANGHAI。
今ではほとんど列車を使わないので、この記録を見つけた時には自分の事なのにちょっとびっくり。
初日の8月6日は、ドイツのデュッセルドルフからECで6時間かけてパリ北駅へ。運賃は112.40ドイツ・マルク。
パリは今回は素通り。
すぐに列車を乗り換えて、2時間かかってバス=ノルマンディ地域圏の首府カーン到着。運賃は153フラン。
この頃はまだユーロは無くて、300ドイツ・マルクを969フランに両替したという旅の記録の記述が懐かしい。(*^。^*)
ドイツ・マルクやフランがユーロに完全移行したのはもうずいぶん前のような気がするけど、確かめてみたら2002年からだった。
これにも Σ(・ω・ノ)ノえっ!そんなに最近だったっけ?と驚く。
カーンは第二次世界大戦の終盤にはノルマンディー上陸作戦の後で激戦地になった街なんですが、今回の旅では戦争関連の史跡巡りは見送り、単なる旅の中継地点になったような。
写真と一緒に出て来た記録も、主に移動とホテル関連の内容で、観光について書いた記録は出て来ていないのでお許しを。<(_ _)>
カーンでの宿になったのは、駅から近かったHOTEL DE ROUEN。当時1泊100フラン。
どんな宿だっただろう。
まだあるかな?と名前と住所で調べてみたら、今もあり。
さすがに改装とかはされてるんでしょうけどね。
カーンでの写真は行方不明。
で、この画像は?と言えば、これは翌日8月7日にカーンから列車で20分ほどのバイユーの街の水車なんです。
画像検索で判明しました。 -
この写真は、以前はカーンで撮ったものと思い込んでいたSUR SHANGHAIですが、画像検索してみたところ、これはカーンから列車で20分ほどのバス=ノルマンディー地域圏カルヴァドス県にあるバイユーのバイユー大聖堂だったと判明。
ゴシック様式の尖塔が目を引く造りで、内部にはノルマンディーがイギリス侵攻した時の様子を描いた長さ70mものタペストリーが有名。
バイユーについては、次のウィキペディアのページでどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%A6%E3%83%BC -
イチオシ
バイユー大聖堂の内部は、その装飾も見事。
しんしんとその美しさが身に染みる雰囲気の場所でした。 -
これもバイユー大聖堂の内部だったかな。
ステンド・グラスを通した光が床のモザイク画を赤く染める。
薄闇に並ぶ椅子の風情もいい。
信仰する宗教は持たないSUR SHANGHAIだけど、シンと心が静まるこういう空間は好きだったりする。 -
さて、2日目の8月7日の最終目的地は、モン・サン=ミシェルへの玄関口になっているポントルソンの街。
バイユー大聖堂を見学した後のバイユーから、さらに列車で2時間かけてバス=ノルマンディー地域圏のポントルソン到着。
宿を決めた後は速攻でモン・サン=ミシェルへ。
バスで片道10分くらいで、運賃は当時20フラン。
SUR SHANGHAIが訪れた1993年のこの頃は、まだ世界遺産という言葉は聞いたことが無かったけれど、モン・サン=ミシェルが世界遺産の文化遺産として登録されたのは1979年だったそうな。
そのモン・サン=ミシェルを撮った写真で残っているのは、これと次の1枚だけ。
そのうちにまたどこからか出て来るかも?
よって、モン・サン=ミシェルについては、次のウィキペディアのページで見てみるといいですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB
この訪問の帰り道で、モン・サン=ミシェル自体よりもSUR SHANGHAIの記憶に強く焼き付いてしまった事件発生。(;^ω^)
それは何かと申しますと…、 -
…モン・サン=ミシェルを見終え、SUR SHANGHAIは呑気に『さあ、ポントルソンへ帰ろうか。』とバス停へ。
そのバス停には、ほかにも数人の観光客の列。
待つことしばし。 けれど、バスは来ない…。
待ちくたびれた頃、通りかかった地元フランス人おじさんが「もう今日のバスは終わりだよ。」
エ━━━(;゚д゚)━━━・・と驚くSUR SHANGHAIたち。
乗ろうと思っていた最終便(と言っても午後4時頃)は、週末のこの日にはお休みだった。(◎□◎)
さあ、どうする! -
「じゃ、タクシーを呼ぼうっと。」
「誰かの車に便乗させてもらう。」
…と、それぞれに解決策を見出したバス待ち客。
SUR SHANGHAIはどうしたかと言うと…、 -
…モン・サン=ミシェルからポントルソンまで歩いていくことにしたんです。(。・w・。) ププッ
これが、坂がきつかったり、草木が鬱蒼と茂って分岐点も多い道だったらSUR SHANGHAIも躊躇したんでしょうが、こんな平らな畑が続く一本道で、バスだと10分くらいの距離。
自分の感覚では決して歩けない距離ではなかったし、これもちょっと変わった経験になると思って歩き通し、ポントルソンの宿に生還。
2時間はかかった気がする…。(ノω`*)
この時のポントルソンの宿はHOTEL LE VAUBAN。当時190フラン。
どんな宿だったかは記憶に無し…。
今もまだあるようです。 -
こんな窓辺とゼラニウムの花が満開の鉢、商店の看板の雰囲気が、いかにもフランス!
-
3日目の8月8日(日)は、ブルターニュ地域圏の首府レンヌを目指す日。
まずはその途中、サン・マロという街に寄ってみます。
ポントルソンからサン・マロまで、列車でどの位時間がかかったかは記録漏れ。(^^;
サン・マロはレンヌと同じくブルターニュ地域圏の街ですが、イギリス海峡に面した港町。
サン・マロの歴史などについては、次のウィキペディアのページで見てみるといいと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AD
サン・マロは、城壁に囲まれた旧市街地の風情と海辺の景色が美しい所。
SUR SHANGHAIはレンヌへの途中で数時間立ち寄っただけでしたが、『ああ、ここにも泊まればよかった!』と思いました。
イギリス海峡に面したサン・マロの街には、各国の大きな船も出入りしていて、これはドイツ北部のハンブルクの船。
ここでふと、イギリス海峡とドーバー海峡って同じだったっけ?
…と疑問が湧いたSUR SHANGHAI。
ちょっと調べてみたら、ドーバー海峡はイギリス海峡の北端で、幅が一番狭まっている場所だと判明。
イギリス海峡はそのほかにも英仏海峡と呼ばれたり、フランス語ではラマンシュ海峡という名前だったり。
へ~、そうだったんだあ。 -
イギリス海峡に面したサン・マロの旧市街地は、防潮堤も兼ねたような城壁で囲まれていて、その城壁の上が遊歩道になっていました。
お天気がよければ、海沿いの城壁の上を歩いてみるといいですよ。
この画像で見えているのは、岩礁の上に砦が乗ったようなプチ・べ島。
引き潮の時にはご覧のとおりに城壁外側の砂浜と砂州で繋がって、歩いて行き来ができます。 -
上記と同じプチ・べ島をパノラマにしてみた。
この頃のフィルム・カメラって、パノラマ機能が付いてるのってあっただろうか。
少なくてもSUR SHANGHAIが持っていたカメラには付いていなかったから、パノラマ写真にしたい時には何枚かに分けて撮って、後でこんな風に切り貼りしていたっけ。
アナログだったなあ。(。・w・。) ププッ -
角度を変えて見てみたプチ・べ島を、さらに長~いパノラマ仕立てにしてみた。
画像をクリックして元画像で見てみると大きく表示されます。
細かく何枚にも分けて撮らないと、後でつぎはぎにした部分がギクシャクしてしまうから、フィルムがもったいないような気もしたのよね。
でも、こうしてその時の苦心の跡のある写真が出て来ると、とても懐かしい。(*^。^*) -
サン・マロの旧市街地を囲む城壁の上からイギリス海峡を眺める。
穏やかに広がる平らな海。
ずいぶん遠浅なのね。
引き潮のビーチに寄せる波の音も心地よし。
サン・マロが、かつては凶悪な海賊の根城だった事もあるなんて信じられない平和な景色。 -
城壁の上から眺めるサン・マロの浜辺。
ずいぶん杭が多い。
これってどうして?
砂の流出防止になっているのかな? ―無知なSUR SHAGHAIで申し訳ありません。<(_ _)> -
イチオシ
これも、城壁の上から見下ろしたサン・マロの浜辺。
これは、浜辺の杭に寄りかかって座る二人の女性なんですが、この光の感じがサルバドール・ダリの描くシュールな絵に似ている。…と思うのはSUR SHANGHAIだけ?
何となくお気に入りの写真。 -
サン・マロの城壁内側には民家の他、レストランやカフェも多し。
このカフェの様子を撮ろうと立ち止まってカメラを構えたら、左手のボーダーシャツの男性が気付いて笑いながら手を振ってくれた。(^o^)丿
そのお隣の赤いドレスの女性は急にムッツリ…。(?"?)
失礼いたしました~。(;´・ω・`)ゞ -
城壁の内側にあったアパルトマン。
窓辺で語りあうサン・マロの恋人たちの姿。
ちぎれて小さな切れ端だけになった写真だから、拡大したらボケボケ。
でも、いい絵になるこの二人。
この後は列車で50分のレンヌの街へ移動。
う~ん、サン・マロはあんまり期待していなかったのに、城壁を挟んだ浜辺と旧市街地の取り合わせが素敵な街だったな。
次にこのあたりに来ることがあれば泊まってみたい。 -
イチオシ
サン・マロからは列車で50分のレンヌに到着。運賃は61フラン。
レンヌは、ブルターニュ地域圏の首府。
レンヌの歴史などについては次のウィキペディアのページでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%8C
レンヌの街の中心のシャン=ジャケには、規模の大きい木組みの建物が多数あって見ごたえあり。
この画像でも一目見て分かるように、ヨロヨロと傾いた家々が、文字通り身を寄せ合っていました。
こんなに傾いていたら、住むのに不便と言うより危険な気がする。
この当時は住民が多数入っているようだったけど、今はどうだろう。 -
これも、レンヌの木組みの建物が並ぶ街並み。
街並み景観維持のために修復費用とかが関係機関から出されているんだろうけど、もうどうにも持ちこたえられなくなった時には…?
今もこの街並みは残っているだろうか。
話は変わって、レンヌでの宿はHOTEL LE SEVIGNE。当時180フラン。
この頃は自分の泊まったホテルの写真はほとんど撮らなかったし、どんな感じだったか憶えていない…。(ノω`*)
このホテルも、今も営業しているようです。 -
ここから先数枚の街並み写真は、レンヌだったのか、次に行ったヴァンヌだったのかちょっと曖昧なものも混じっていますがお許しを。<(_ _)>
花屋さんもこんな古びた街並みの中にあると、やたらとフォトジェニック。 -
レンヌにもヴァンヌにも、旧市街地にはこんな可愛い童話に出てくるような木組みの家々が連なる街並みがあって街歩きが楽しい。
一口に木組みの家と言っても、表に露出している木材の見せ方はそれぞれまちまち。
建てた当時の大工さんのセンスの見せ所だったんでしょうね。
壁の色合いも一軒ごとに微妙に違っていて楽しい眺め。
中世以来変わっていないような街並みの中に並んでいるのは現代の商店。
車が何台も停めてあるのもおもしろい。(*^。^*)
昔は馬が並んでいたんだろうな。 -
イチオシ
レンヌやヴァンヌの木組みの家は、窓辺に花やカーテンが見えないと、物置のように使っているのかなと思う。
この一角は、どの窓にも人が住んでいる気配がある。
古い家だと斜めに傾いたりしているから建て付けも狂っているだろうし、水周りの設備を取り替えるのも大変なんじゃないだろうか。
それでも、文化財保護の規則があって、勝手に取り壊したり外観を変えちゃいけないようになっているに違いない。
ヒョイと窓辺の一つに姿を現した住人らしき女性。
「住み心地はどうですか~?」と聞いてみたくなった。 -
8月9日は、レンヌからヴァンヌへと列車移動。所要時間は1時間20分で運賃は88フラン。
ヴァンヌもブルターニュ地域圏の街。
歴史などについては次のウィキペディアのページでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%8C
この画像と次の画像の庭園は、ヴァンヌのエルミーヌ城の庭園。
城壁に並ぶように佇むエルミーヌ城は、ネオクラシカル様式の石造りの城。
14世紀後半にブルターニュ公ジャン4世によって築かれ、16世紀までブルターニュ公の住居として使われていたという歴史があります。
今見る姿になったのは、1785年に再建されてからのようです。
ここは、きれいに手入れされた庭園がちょうど花盛りで美しかった。 -
これもヴァンヌのエルミーヌ城の庭園。
幾何学模様に区切られた花壇が花盛りで見事。
緑の中の赤や黄色が強烈な印象。
う~ん、きれいな事はきれいだけど、SUR SHANGHAIは日本庭園の情緒の方が好きかな。 -
ヴァンヌの街角の一軒。
屋根にこういう風に作られた窓っておもしろい。
なんて言うスタイルの造りなんだろ? -
ヴァンヌも中世からの街並みや城壁がきれいな街でしたが、SUR SHANGHAIが目指していたのはカルナック列石。
カルナックの村周辺に並ぶ列石は、紀元前数千年前に造られた巨石遺構。
大きな岩が列を成して並んでいる様子に驚きます。
建造目的は今もよく分かっていないらしくて、古代のミステリーの一つになっています。
ヴァンヌからカルナックへはバスで1時間20分。当時の運賃は37フラン。 -
カルナック列石と一口に言っても、主な列石群が三つあって、西からメネク列石、ケルマリオ列石、ケルレスカン列石と分布しています。
その規模などについては、次のウィキペディアのページでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%83%E3%82%AF%E5%88%97%E7%9F%B3
この画像の列石は、道の両端に並ぶ石像のよう。
中国だと、古代の陵墓に向かう参道脇に死者を守る石像が並んでいるのを思い出す。 -
カルナック列石は、巨石が密集して列を成しているとは限らず、草原の中にポツポツと残っている場所も。
後世になってから持ち去られた石もあるんだろうな。
一つだけポツリと草原に立つ石は、古代の石碑か石像のよう。 -
イチオシ
草原の中に立ち並ぶカルナック列石。
民家が近くにあると、その大きさがよく分かる。
庭石を並べた公園みたい。(^◇^)
今は、カルナック列石のそばに家を建てるのは規制されてるんでしょうね。 -
カルナック列石が野原を埋め尽くす。
その様子も残しておきたくて、やはりつぎはぎでパノラマ仕立てにしてみたSUR SHANGHAI。
実際にはもう少し長いパノラマなんですが、スキャナーに収まりきれず、この長さになりました。
画像をクリックして元画像にすると大きく表示されます。
カルナック列石も、これだけの数が並んでいる場所はまるで墓地のよう。
列石が分布している地域は結構広いので、SUR SHANGHAIが徒歩で見て回れたのはその一部だけ。 -
カルナック列石の内、現存する巨石では高さ6mのものが最大だそうですが、その場所へは車が無いと行けない距離だったのであきらめました。
全部見て回りたい方は車で行くのがいいですよ。
道を歩いている時、「ヒッチハイクする?」と声を掛けてもらったSUR SHANGHAIですが、男性だったので丁重にお断り申し上げました。
いや、下心は無いおにいちゃんだったのかも知れませんが、旅の安全は自分で管理するのが一番。
で、この後ヴァンヌに帰る途中でトラブルが。(;^ω^)
帰りもバスにしようと停留所で待ったのに、バスは来ず。
ええ~、これってモン・サン=ミシェルでのバス来ない事件と同じパターン!
たまたま一緒にバスを待っていたイギリス人学生カップルが、
「そこの民家で様子を聞いてタクシーを呼んでもらおうと思うけど、一緒に来る?」
もう夕暮れだったし、このまま夜になって路頭に迷うのはイヤだったのでありがたく快諾。
結局、3人揃ってタクシーで近くの町AURAYへ。10分位かかったかな。
運賃は割り勘で50フランずつだったっけ。
あの時のカップルさん、サンキュ──ヾ(*'∀`*)ノ──♪
その後はまた一人になってAURAYからバスでヴァンヌへ。
ふう~、フランスの地方バス旅はしんど。(^^; -
ヴァンヌの街角にいた観光用ポニー。
ヴァンヌの宿はHOTEL DE VERDUN。
当時110フランで、この日と翌日の二日間の連泊。
ここも写真は撮らなかったし、印象にも残っていないな。
写真だけでも撮っておけばよかった…。 -
8月10日は、ヴァンヌからカンペール経由の列車日帰り旅で海辺の街コンカルノーへ行ってみたSUR SHANGHAI。
ヴァンヌ→カンペールは1時間20分で運賃は168フラン、そこからコンカルノーまでは35分で運賃は43フラン。
コンカルノーも、ブルターニュ地域圏の街の一つ。
コンカルノーについては、次のウィキペディアのページでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BC -
これはカンペールの街並み。
カンペールは、ブルターニュ地域圏の街でフィニステール県の県庁所在地なんですが、中世に戻ったかのような木組みの町並みも残っていて不思議な雰囲気。
その向こうに見えるのは、サン・コランタン大聖堂の尖塔。
今もこの町並みは健在だろうか。 -
木組みの建物1階には現代のお店も入っていて、こんなディスプレーも見かけました。
箒を逆さまに立てるアイディアがいいね。(^◇^) -
コンカルノーは、ブルターニュ地域圏のフィニステール県にある港町。
イギリス海峡に面しています。
フィニテールは≪大地の終わり≫という意味なので、勝手に最果ての寂れた海辺の町を想像して行ったら、瀟洒なボートが並ぶ入り江があってちょっと肩透かし。
でも素敵な街でしたよ。(*^。^*) -
この旅ももうすぐ終わりの8月11日は、2泊したヴァンヌを去り、ル・マンへ向かう途中でナントの街に寄り道。
ヴァンヌから列車で1時間20分位で運賃は93フラン。
ナントはブルターニュ半島の付け根にあるんですが、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏の首府。
詳しくは次のウィキペディアのページでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%88
ナントで一旦途中下車したSUR SHANGHAIが行ってみたのは、ブルターニュ公爵城。
平地にあるお城だと、やっぱりお堀を巡らしてあるんですよね。
ナント関連の写真で、残っているのはこの一枚のみ。 -
ナントでお城を見たついでにもう一ヶ所寄ってみたのは、同じくペイ・ド・ラ・ロワール地域圏のアンジェという街。
ナントから列車で50分で運賃は65フラン。
アンジェについてのウィキペディアのページはこちら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7
アンジェの街にも、こんなみごとな木組みの家があった。
これは≪アダムの家≫と呼ばれる建物。
これまで見て来た木組みの家と違うのは柱の装飾。
精巧な人物像などで飾られています。 -
アンジェでは、アンジェ城が観光の目玉。
中世より遥か以前から要塞があった場所に、今のような大規模な城が造られたのは13世紀になってからだそうです。
この画像は、そのアンジェ城の城壁に取り付けられた巨大な塔。
17本あるというこの円筒形の塔が迫力あり。 -
アンジェ城の塔の下には、これまた幾何学模様通りに植え込みをした花壇が。
その植え込みを手入れしている人たちの姿も見えた。
一部でも枯れたら図形が台無しになるから、お手入れは大事ですよね。 -
アンジェから今日の宿泊目的地のル・マンまではちょっとTGVにも乗ってみたSUR SHANGHAI。
所要時間は40分で運賃は89フラン。
その車中と、着いた先のル・マンの宿で立て続けにトラブルがあったんですよ。(ノω`*)
TGVの車中でSUR SHANGHAIに話しかけてきた一人の女性。
フランス語は出来ませんと言っても止めてくれない…。
単語を拾ってみると、次の駅で一緒に降りようと言っているらしい。
(;゚д゚)ェ. . . . . . .
困って周りを見ると、皆さん、『相手にしちゃダメ!』の目配せ。
その女性は、アジア人好きのレズのおねえさんだったんでしょうか、それとも…。
果たして次の駅では袖を引っ張られて、ヒエー!(((;゚д゚)))!
必死に無視し、あきらめたおねえさんは一人で下車。
果たして彼女の正体は?
もし一緒に降りていたら、どうなっていたんでしょ。((;゚ェ゚;))
その後到着したル・マンでは、駅前近くに1泊。
ホテルと言っても、1階がバーで2階に質素な部屋が並ぶ宿だった。
別にそれ自体は気にならなかったのに、真夜中になってSUR SHANGHAIの部屋のドアをコツコツ…と叩く音が。
ギョッ!! (;゚д゚)
覗き穴も無い薄っぺらな扉の向こうに人の気配がする。
無視しても無視しても、ノックの音が続く…。
そのうちに、別の部屋の客の 「うるせえ!<丶`Д´>」 の怒鳴り声が響いてピタリ。
ホッと一息。 へろへろ… ε-(´ωノ|┬
アジア人の女が一人で泊まっているのに気付いたバーの客だったのか…?
ドアは部屋の内側に開く構造。
ひょっとして、合鍵でも持って戻って来るんじゃないかと怖くなったSUR SHANGHAIは、ドアの前に椅子やソファを並べて真夜中のバリケード作り。(。・w・。) ププッ
結局、その後は誰も来ませんでしたが。(^^;
今だと笑えるそんなシーンでも、あの時は怖かった~。
これを教訓にして、バー兼宿屋スタイルのホテルには泊まらなくなったSUR SHANGHAIです。
一人旅愛好家の女性の皆さんも、旅先ではあれこれ気を付けましょうね。 -
トラブル続きだった日も過ぎて、8月12日は、ル・マンからパリを素通りしてベルギーの南部のモンスへ。
モンスについては、次のウィキペディアのページでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B9
ル・マンからパリ北駅までは2時間20分で運賃は137フラン。
そこで乗り換えて向かったモンスへの所要時間は記載漏れでしたが運賃は194フラン。
モンスで泊ったホテルの名も記録されていませんが、宿泊費は1250ベルギー・フラン。
この時の両替が、200ドイツ・マルク→3900ベルギー・フランだったという旅の記録が懐かしい。
●注: 1993年にはまだユーロは無く、ベルギーでユーロが一般に流通し始めたのは2002年から。
ベルギーは、フランスのすぐ北隣の国とは言っても、建物の造りがずいぶん違います。
国境を越えるごとに、異なった街の様子が見られるのがヨーロッパ旅の楽しみの一つ。 -
これは、モンスの鐘楼。
17世紀に建立されたバロック様式の鐘楼ですが、この時には一部が修復中。 -
これは、モンスの教会の一つの内部。
その教会の名前は残念ながら失念しましたが、祭壇付近の彫刻とステンド・グラスが美しい。
翌日の8月13日にはモンスから50分のブリュッセルに移動して運賃は230ベルギー・フラン。
8月15日にはドイツのデュッセルドルフに戻ったという夏のフランス旅もこれでおしまいです。
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2004/08/20~
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この旅行記へのコメント (2)
-
- eahawkさん 2012/05/31 02:24:05
- こんばんは!
- SUR SHANGHAIさん
写真の色調がとても綺麗で、旅情を掻き立てられました。
なんとなく切ないような、懐かしいような。
とても良い写真ですね。
楽しんで拝見させていただきました。
eahawk
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2012/06/01 18:08:18
- RE: こんばんは!
- ご訪問、ありがとうございました。<(_ _)>
ちょっと昔の紙焼き写真の色は、褪せかけた風合いがいいなあと思います。
セピア色ほどのレトロさは無くても、時と共に淡い想い出になっていく途中のような感じの切なさがありますよね。
eahawkさんも、昔の旅行思い出写真を発掘してみてはいかがでしょう?(*^。^*)
旅行記にコメントを入れるのに時間がかかる私ですが、自分なりに納得できるものをアップして行きたいと思います。
> SUR SHANGHAIさん
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> 写真の色調がとても綺麗で、旅情を掻き立てられました。
> なんとなく切ないような、懐かしいような。
>
> とても良い写真ですね。
>
> 楽しんで拝見させていただきました。
>
> eahawk> SUR SHANGHAIさん
>
> 写真の色調がとても綺麗で、旅情を掻き立てられました。
> なんとなく切ないような、懐かしいような。
>
> とても良い写真ですね。
>
> 楽しんで拝見させていただきました。
>
> eahawk
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