1993/04/09 - 1993/04/11
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SUR SHANGHAIさん
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★2020年12月、新たに出て来た画像をアップします。★
チェコスロバキアがチェコとスロバキアに分かれた年のイースター。
当時住んでいたドイツから車を駆って、プラハに行ったSUR SHANGHAIとその旦那を待ち受けていた宿とは…。
余談ですが、当時は西欧からの観光客を狙ったお姐さんたちがプラハへ向かう幹線道路脇に並んでおりました。
車種やナンバープレートで西欧からの客とわかるとコートの前をはだけたり。中は…、という光景が見られました。
同性としては見たくなかったんですが…。
観光地の駐車場にもそれとわかる仕種の女性が…。今はそういう事が無いようにと願います。
さて、プラハに着いたSUR SHANGHAIたち。
その頃の個人旅行者は中央駅のインフォメーションで宿を紹介してもらう決まりになっていたので、さっそく駅へと向かいます。
ところがイースターの休日でどこも満員。
「じゃ、車中泊か?。せっかく中世の雰囲気あふれる街に来たのに全然ロマンチックじゃないけど、イースターの時期に予約しないで来たこっちにも非があるし。」とあきらめていたところ、インフォメーションの係員が知り合いの民宿に連絡してみると言う話。
一泊、日本円にして二人で5千円とか。
願ってもない!と頼んだのは、SUR SHANGHAIたちのほかにも後から来たドイツ人中年カップル。
案内の先導でそれぞれの車でその民宿へと向かいます。
着いたのは住宅街の中の一軒。
こういう所に泊まってみるのもおもしろいかも、と思っていると、中から一人のおばあさんが出てきて案内人と何やら言葉を交わし、そのまま中へ。
SUR SHANGHAIたちはシャットアウト。 「 (?_?) ??? (・・? 」
その間にも日が暮れてきてあたりには家々の明かりが。
案内人は「一歩遅れで満員になったらしい。仕方ないから俺の知ってる所でいいか?値段は同じ。」と言います。
もうここまで来たら承諾する以外ありません。またまた彼の先導で先へと進みます。
あたりもすっかり暗くなった頃、辿り着いたのは工事現場。
その日二回目の「 (?_?) ??? (・・? 」
案内人が「こんな所だが…。」と済まなそうに指差すのは作業員用プレハブ宿舎。普段の住人は休暇で里帰りしてると言う話。
なんとなく騙されたような気がしたけど、「これはこれで滅多に経験できないこと!」と切り替えの早いSUR SHANGHAI。
もらった部屋はきちんと整理整頓されていてシーツも真っ白。
壁にはちょっとセクシーな雑誌の切抜きが貼ってありましたが…。 ま、それは仕方ないかもしれません。
大変だったのはもう一組のドイツ人カップル。
あてがわれた部屋の住人が散らかしっ放しにしていたらしくて、何やら大声で怒鳴っていましたが、諦めがついた模様。
こうしてプラハの春の一日は暮れたのでした。
表紙の画像は、春まだ浅いプラハの街角
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
これは、当時ドイツで取っていったチェコのビザ。
1993年の1月1日にチェコスロバキアがチェコとスロバキアに分裂することを表明したばかりの頃だったので、チェコスロバキア・ビザとなっていますが、左側にドイツ語で赤く≪チェコ共和国だけに有効≫、と但し書きがしてあります。
ドイツから車を運転していったSUR SHANGHAIとその旦那。
ドイツも1990年10月3日に統一されたあとで、旧東ドイツ側に入ったアウトバーンは整備が悪い、という印象でした。 -
プラハに入った初日、表紙に出した宿探しの話の挙句に泊まったのがこの工事現場内のプレハブ宿舎。(^^ゞ
これは一夜明けてから撮った写真。
今から思うと、もっと内部の写真も撮っておけばよかったんですが、この頃はフィルム節約が第一だったので写真はこれだけ。 -
その工事現場入口付近にいた猫ちゃん。
この日は気を取り直して、プラハの街並み探索へ。 -
旧市街広場に建つティーンの聖母聖堂は14世紀に建てられ、≪百塔の街≫と呼ばれるプラハでも一番美しい教会と言われているのだそう。
この二本の尖塔は高さが80mあるのだとか。
不思議に思ったのは、その正面部分が他の建物でさえぎられていたこと。
この画像だとカフェのパラソルで見えにくいですが。
広場の屋外カフェは、店開きするにはちょっと早い時間で閑散。 -
イチオシ
旧市街広場の片隅に立っていた大道芸人さん。
水(?)の入ったグラスを共鳴させて、不思議な音色を奏でているところ。
道行く人も、どうやってそんな音が出るのか不思議顔で覗き込んでいましたよ。 -
同じく旧市街広場のヤン・フス像が立つ部分。
ヤン・フスは、1415年に火刑に処せられた神学者、宗教改革者で、聖書をチェコ語に翻訳した人物。
今も英雄としてチェコ人に尊敬されているらしい。
その像の下に、日向ぼっこ(?)の人々が集まっていた。
向こうに見える白い教会は聖ミクラーシュ教会。
現在の物は18世紀に再建された姿なのだとか。 -
旧市街広場に面して建つ旧市庁舎の壁には不思議な形の天文時計がある。
旦那が指差して説明しても、メカに弱いSUR SHANGHAIはどう見ればいいのか分からず(・・?
毎正時に、12使徒の人形が出てくるカラクリ時計でもあるこの天文時計。
15世紀の終わりに作られた、というのには驚き。 -
言わずと知られたプラハ城の遠景美観。
手前を流れるのはヴルタヴァ(モルダウ)川。
ああ、これが中学生だった時に音楽の時間に習ったモルダウ川か〜。
♪ボヘ〜ミア〜の か〜わよ〜、モ〜ルダウよ〜… -
イチオシ
このヴルタヴァ(モルダウ)川のほとりにスラブ民族が集落を作ったのがプラハの始まりで、今のプラハ城の基礎が造られたのは9世紀中頃からだったのだそう。
14世紀のカレル4世の時代に今の姿になったというから、歴史の長さにこれまた驚き。
その14世紀には神聖ローマ帝国の首都になり、≪黄金のプラハ≫の繁栄を誇ったのだとか。
王宮がそびえるプラハ城遠景。 -
プラハ城の下、ヴルタヴァ(モルダウ)川ほとりのカフェ。
春の日差しが暖かく見える。
実際には少し寒かったように覚えていますが。 -
木立もまだ芽吹かない早春のプラハ。
-
ヴルタヴァ(モルダウ)川に架かっているカレル橋はプラハで一番古い石橋。
プラハ城と同じく、カレル4世の命を受けて1357年着工、完成までに60年ほどかかったのだそう。
幅10m、長さは500mを超える橋で、橋の両側に15対の聖人像が立っています。
この橋の上は、観光客はもちろんですが、こんな絵描きさんも大勢見かけました。 -
カレル橋全景の写真が出て来たのでアップします。
この頃は、パノラマ写真を撮ろうと思ったら、こんな風に何枚も撮った画像を接ぎ合わせていたのがずいぶんアナログ。(笑) -
プラハ城周辺の写真も今のところ行方不明。
出て来たら、またアップし直します。
これは黄金小路で撮った一枚。
黄金小路というのは、1597年に出来た細い路地で、プラハ城で働く人々が住んでいたのだとか。
錬金術師が住んでいたからこの名が付いたと言われていますが、本当は金細工職人が住んでいたから、とも言われているようです。
『変身』などで有名なフランツ・カフカが住んでいたのは22番地の青い家。
その写真も今のところ出て来ていません。 -
イチオシ
後は気ままに歩いてみたプラハの街。
まだ新しい芽が出ていない木々の向こうに見える教会がいい感じ。 -
市電が通る街角もあれば…、
-
…馬車がやって来る道もあるプラハ。
-
あれ? いつの間にか道に迷ってしまったらしい。
観光客の姿が見えない街角。
でも、SUR SHANGHAIとその旦那は、こういう道を歩いてみるのも好き。
街灯の影が落ちる壁。
この角を曲がって行けば、どんな風景に出会えるのかと思わせる。 -
黄色い壁、赤い瓦屋根、ランタンが黒いシルエットになる街角。
-
古びた色の壁に囲まれた窓。
どんな人が中に住んでいるのかと想像してみるSUR SHANGHAI。 -
このシンプルな壁の中の窓、ランタンのシルエットと影がいいなあ。
-
イチオシ
この写真を見るたび、≪プラハの春≫と名付けたくなる。
青い空と黄色い壁の対比。 -
ランタンが出てくる写真はこれで終わりなのでご勘弁を…。 (^^ゞ
この青、赤、黄の構図が気に入ってしまったんです。 -
またプラハ市街に戻ってくると、壁面の絵が消え残る建物。
-
中世の香り漂うプラハの街角にも、現実の生活の匂いが漂う眺め。 −それはゴミ箱。
-
工事現場に泊まったのは一晩だけ。
この晩は小さいホテルに空きを見つけて泊まったような気がするけど、もう覚えていない。
工事現場のプレハブ宿舎のインパクトが強かったから?
カレル橋から夜景を撮ろうとして、こんなになってしまったけど、これはこれでおもしろい写真。 -
プラハ三日目の最終日。
出発の前にヴルタヴァ(モルダウ)川のほとりを歩く。 -
川面を渡る風はまだ少し冷たくても、春めいた光が溢れる眺め。
-
ヴルタヴァ(モルダウ)川のほとりには、細い運河もあった。
そこを行き来する船。
左奥に見える橋はカレル橋のはず。 -
川沿いの散歩道。
塀がグラフィティでびっしり埋まる。 -
ヴルタヴァ(モルダウ)川そばの家にはこんな水車も。
用途は粉挽き? -
ヴルタヴァ(モルダウ)川を見下ろす塀に腰を下ろして、下を行く人に写真を撮ってくれと頼んでいた地元(?)の青年たち。
-
ドイツへの帰り道では、プラハから南西に30km足らずのカレルシュタイン城もチラリ。
やはり14世紀の半ば頃、カレル4世が造らせた夏の別荘だったのだとか。
丘の上に建つ城までだいぶ歩かなければならないようだし、この日のうちにドイツに戻りたかったので、ここからの眺めだけだったのが惜しい。 -
このチェコの旅で最後に寄ってみたのは、プラハから北へ50数kmほどの所の町、テレジン。
テレジンは、第二次世界大戦中にユダヤ人強制収容所があった所。
元々あった要塞を、1941年から収容所として使い始め、最終的にアウシュヴィッツに送り込む前の中継地点となっていたらしい。
その内部に残る寝台。 -
初めはボヘミア・モラヴィア保護領のユダヤ人を収容するゲットーと言う名目だったのが、その後間もなく強制収容所として使われ始めたらしい。
ここで8万もの人々の命が奪われ、1945年5月に当時のソ連軍に救い出されたのは、3万人だけだったという話。
今はがらんどうになって、靴音がコツコツと響くテレジンの強制収容所内の通路。 -
テレジンの強制収容所で最後に見たものは、絞首台の跡。
春の初めの日が差し込むこの場所で、身震いが出る…。
プラハで見た華麗な街並みからたった50数km離れたテレジンで見たものは恐怖。
どちらもチェコの歴史の一部として、未来に残さなければならない場所。
…そういう感慨を抱いてチェコを去ったSUR SHANGHAIとその旦那。
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この旅行記へのコメント (8)
-
- まみさん 2007/02/17 15:24:36
- セピア色のプラハ
- SUR SHANGHAIさん、こんにちは。
私が出かけたより約10年前のチェコ、とても興味深く拝見しました。
その間にどんどんプラハは人気の観光都市になって、観光客に見えないところはともかく、どんどん事情が変わったでしょうね。
宿泊事情なんか特に@
特に表紙に書かれたこと、たしかに同性として見たくないシーンや、なんとも東らしい宿の案内。
いまも決してそういう要素がなくなったとはいえないんでしょうけど、プラハの影の部分も目をそむけてはならないと思いました。
話はかわり。
いやぁ、この頃から、窓枠と街灯に注目されて、すてきな写真をとっていたんですね。
好みです@ごみ箱の写真すら、いいかんじ@
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2007/02/24 22:51:38
- RE: セピア色のプラハ
- 今日、出先から帰ってまいりました。
このプラハの旅行記は、私が4トラさんに入ったばかりの頃(まだトラベラーさんが5千人くらいしかいなかった頃)にアップした物で、その時には写真が7枚くらいしか見つかっていなかったんです。
暇な時、過去の写真を整理していたら、プラハ関連が出て来たので再アップしてみました。まだ出て来ないものもありますが。(^^ゞ
4トラさんのような旅行記サイトが出来て、過去の写真、記録、記憶を掘り起こすのが楽しい作業になってます。
断片状のものもそのうちに繋がったらアップするのが楽しみ。
その分、最近の旅行記が中途半端になってます。(^^ゞ
私が最初の自前のカメラ(と言ってもズームも何もない、もらい物のバカチョン)で写真を撮り始めたのは20代半ばからですが、その頃から写真のテーマは壁が多いんですよ。(^○^)
-
- pennyarcadeさん 2004/11/01 00:20:19
- お金は大切。
- こんばんは。お越しくださいましてありがとうございました。
ナンチャッテ資本主義を始めて、いまだ10年に過ぎないチェコ。
めぼしい産業は、観光のほかになく、ただただ安い労働力として、他のEU諸国のみならず、極東の小国・日本や台湾の企業の下請け工場にならざるを得ない、という現状。
心なしか、こどもたちも、若い人たちも、何かを諦めているような、そんなふうに私の目には映りました。
経済的な理由で選択肢が狭められる現実があるのだとしたら、一日も早く改善されてほしい、そんなふうに思うのでありました。
すみません。長々と。
それでは、また遊びにまいりま〜す。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2004/11/01 15:37:57
- RE: お金は大切。
- この世には他にも大切な物はもちろんありますが、お金もある程度無いと「生計」と言う現実の問題もありますよね。それに、人間の欲にはきりがないから、生計が立ったら次は、その次は、となるわけですが、やはりその願望達成には「お金」が絡んでくるわけです。悲しい人類。
-
- のんえーびーさん 2004/10/28 09:59:29
- こんにちはー。
- お久しぶりです。有希子です。
プラハ・・・すごい体験しててちょっと羨ましいです。
97年にプラハに行った時、コートのお姉さんはさすがにいませんでしたが、国境
付近のドライブイン(?)のウィンドウ内で下着姿で踊るたくさんのお姉さん見ました。
とってもショッキングでした。
おおっぴらにそういう事があるってのが・・・・。
それに雪が残ってる季節なのにも関わらず、下着姿でお客さんらしい男性と外を歩いているのにも驚きました。寒くないんか・・・。
では、また楽しい旅行記を楽しみにしてますね!
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2004/10/28 17:16:15
- RE: こんにちはー。
- 「お金は必ずしも大切な物ではない」という考え方もありますが、これは多少なりとも余裕があるから言えることなんじゃないかな〜。やはり、世の中には「お金」のためにこういう職業(?)に就く人もいるし、犯罪に走る人もいます。学校施設や「お金」が無いばかりに、教育を受けられずに成長していく子供たちもいます。
それもこれも「お金」なんですね。複雑な気持ちです。−−今日はシリアスなSUR SHANGHAI
-
- カブト虫さん 2004/10/26 22:00:28
- 待ってました (^○^)
- これもまた大変な旅行でしたね(^.^)
この夏、プラハに行ったときは残念ながら、否、幸いにも、
道端のご婦人方にはお会いできませんでしたよ(^^ゞ
ちなみに6000番でした。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2004/10/26 22:55:07
- RE: 待ってました (^○^)
- 早速のお越し、ありがとうございました〜。6000番でしたか〜。次もキリのいい数字を当ててくださいまし。
次回は一変してマジメなお話をアップしますので、こちらもお楽しみに!
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