2011/09/11 - 2011/09/11
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倉橋直街歴史街区 ハイライト:ユネスコのアジア太平洋 遺産賞受賞(文化遺産保存の部)
倉橋直街歴史街区は紹興市の中心部で、府山の東側にあたります。この歴史街区を訪れる人は、伝統的な住居とともに素晴らしい紹興の古い文化を体験することになります。歴史街区は、伝統的な生活のほか、ビジネスや観光の機能ももっていて、通りに面して店、レストラン、いろいろな博物館があります。それらの施設を見学すると、何世紀も前の紹興を良く理解できるでしょう。倉橋直街歴史街区は、運河と伝統的な家屋と石畳の街です。環山河は、歴史区の中心を流れ、歴史的に重要なものです。倉橋直通りは2.2kmの長さがあり、勝利西路に通じ、南は魯迅道路に
通じます。運河に面した家々は、清朝後期に建てられたもので、この地域の伝統的な「台門」様式の家が43棟あり、昔ながらの建築方法や紹興市の生活様式を伝えています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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魯迅西路との交差点。
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倉橋直街南入口の角に建つ老舗料理店。
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魯迅故里の近くにある半圓型石拱橋です。間違い易い橋で凰儀橋と書いてあるが,市民は黄泥橋と呼んでいる。。
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清の嘉慶の頃は王儀橋と記される。後に凰儀橋となる。 始建は嘉泰以前の古橋であろう。
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此橋拱高さ3.00m,橋の孔径7.30m,橋面幅3.05m,橋の長さ10.55m。東側の坡石段は15段,西側の坡石段12段。凰儀橋の名は“風凰来儀”の意味です。
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魯迅西路の脇にひっそりと残る橋です。
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拝王橋は浙江省紹興城内府山直街南端に位置する。現在の橋は清康熙二十八年(1689年)に再建されました。
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古い言い伝えでは呉越の戦いの王の名前に由来し、以後、登蕭橋、豊楽橋となり現名に戻る。 -
長さは26.3m、幅は3.7m、高さは3.55m、アーチの高さは3.25m、スパンは5.7m。五辺形アーチが特徴の単孔の石拱橋です。
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橋の周りに石碑が見当たらず特定するのに苦労する。
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解放路から府山横街への入口の牌紡。
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1917年7月16日朝、秋瑾はここで処刑された。碑は辛亥革命勝利後に建立されたもので、正面に「秋瑾烈士紀念碑」 の題字が彫ってある。紹興市の解放路のちょうど真ん中 あたりの軒口亭
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秋瑾(しゅうきん、1875年11月8日−1907年7月15日)は、清朝末期の女性革命家。詩人。原名、閨瑾(けいきん)。日本留学時(1904年)に「閨」を削って「瑾」とした。幼名は玉姑。字(あざな)は璿卿(せんけい)、号は旦吾。紹興の人物。秋瑾とは、「秋の美しい玉」の意味である。
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解放路沿い、秋瑾記念碑の隣の人気店。
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大勢の人が並んでいる。生煎。
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大勢の人が並んでいる。包子。
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食堂、さすが水の都、紹興です。入口が石橋です。
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お持ち帰りの包子を後から見ました。山と積んで奮闘してます。
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店内は混雑しています。包子と生煎を表で買って中で食べる事もできます。安くておいしい店、混雑してますので落ち着いて食べる店ではありません。
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青菜肉糸面、14元。を食べました。ご覧のように青菜が山のように入っています。黒く見えるのが豚肉、緬は細緬でスープの味も良くたいへん美味しくいただきました。
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日本留学時に孫文の中国同盟会の創立に参加し、帰国後清政府に対して蜂起を企てるが、事前に露見して逮捕投獄され処刑された。わずか31歳の命であった。この4年後に辛亥革命が成立した。
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1905年(明治38年)2月に一時帰国したが、春に再来日する。この一時帰国前、秋瑾は浙江派の革命団体「光復会」に入会すべく東京の責任者・陶成章に執拗に頼み、上海の光復会の会長・蔡元培と紹興の徐錫麟への紹介状を入手している。結局、蔡元培は入会を認めなかったが、徐錫麟は入会を認めるに至った。 -
この頃、孫文ら革命派が日本で力を増すことに警戒した清朝政府の要請と、大陸における利権確保に動いた日本政府により、中国革命運動に対する取締りが強化された。 -
この頃、孫文ら革命派が日本で力を増すことに警戒した清朝政府の要請と、大陸における利権確保に動いた日本政府により、中国革命運動に対する取締りが強化された。
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1905年(明治38年)11月2日に出された清国留学生に対する取締規定、「清国人ヲ入学セシムル公私立学校ニ関スル規定」の特に第十条が、他校が「性行不良」学生として一旦退学させた者に対し入学許可を出すことを禁止する規定を設けていることに清国留学生が反発。
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「性行不良」には革命運動も含まれる可能性があるとして授業のボイコット運動(同盟休校)が起きることになる。中国留学生会館で開かれた浙江同郷会の集会で、秋瑾は興奮しいつも身に付けていた短刀を演台に突き刺し、一斉退学に反対する学生達に「死刑」を宣告した。魯迅の弟である周作人はその様子を著書『魯迅の故家』で次の様に書いている。
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「留学生はこぞって反対運動を起こし、秋瑾が先頭になって全員帰国を主張した。年輩の留学生は、取締りという言葉は決してそう悪い意味でないことを知っていたから、賛成しない人が多かったが、この人たちは留学生会館で秋瑾に死刑を宣告された。魯迅や許寿裳もその中に入っていた。
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魯迅は彼女が一ふりの短刀をテーブルの上になげつけて、威嚇したことも目撃している」。全員総引揚げを主張した秋瑾は、1905年(明治38年)12月に帰国した。
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帰国後は、徐錫麟の活動範囲で秋瑾も少女時代を過ごした紹興に住む。1907年正月には大通学堂を開校し、秋瑾は代表者となった。開校祝いに戴いた対聯には「競争世界 雄冠全球」(世界に冠たれ。)が壁の掲げられていたという。この大通学堂は、光復会の幹部を訓練し組織化するために設立された革命拠点である。秋瑾はここを拠点として「体育会」を組織し、会党(政治的色彩を帯びた秘密結社)のメンバーや革命青年を集めて軍事訓練を行った。
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また、浙江省各地の会党と連携して「光復軍」を結成し、武装蜂起に向けた準備を進めていった。また、1907年1月14日には秋瑾らが中心となって、上海において『中国女報』を創刊している。目的は中国の女性解放運動を推し進めることだった。
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しかし、帰国からわずか1年半後、秋瑾の計画は頓挫することになる。1907年5月、徐錫麟は紹興から西北350kmほど離れた安徽省安慶で武装蜂起を計画。秋瑾も浙江で呼応すべく準備を進めたが、武装蜂起のため打ち合わせた日時の食い違いから、7月6日、先に徐錫麟が行動を起こしてしまった。徐錫麟は、安慶で蜂起し清朝政府の安徽巡撫である恩銘を刺殺したものの、たちまち鎮圧・処刑されてしまう。
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これにより、当局は秋瑾の浙江での蜂起計画も察知。同志らは秋瑾に一時避難するよう勧めたが、秋瑾は大通学堂に留まった。7月13日、学堂を包囲する清軍に秋瑾も逮捕。不意を衝かれたため、短刀を抜くことも一発のピストルを撃つこともできなかったという。2日後の1907年7月15日(清朝の旧暦では6月6日)早朝、紹興軒亭口の刑死場で斬首、処刑された。三十一歳の若さであった。
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秋瑾の遺句は「秋風秋雨、人を愁殺す」である。その後、多くの人に歌われた。女性革命家であった秋瑾の処刑は、清当局が想像もしないほど大きな反響を呼び、その後の中国革命運動の精神的支柱の一つとなった。
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1904年(明治37年)、家族を置き単身日本に留学することになる。当時、北京大学堂教授だった服部宇之吉夫人・繁子の勧めもあったとされる。
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老人半額、5元
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