2009/05/20 - 2009/05/29
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Berg Heilさん
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プラハ城 別名:ハラチャニ城
8世紀頃からの伝説に依ればその予言力で有名だった リブシェ王女は、プラハの町が大きな運に恵まれている事を予告したという。彼女はヴィシェラド城にあるその住まいから眺め下ろし、反対側の岸の森を眺めながら、「その名が天に迄達する偉大な町が見える」と、神がかった声で予言した。「一軒の家の入り口(チェコ語で prah)を建てている一人の百姓(premysl)を見つけた所に、一つの町を築くように」との命で、彼女は召使達を森に派遣した。この事からプラハという町の名前と、プジェミスリディ家の名前が生まれた。
最初の城の建設は丘の斜面の下に住み着いたチェコ族に対抗して、ボジヴォイ公爵が城壁を囲む事にした9世紀後半に迄遡る。
(プラハ:歴史と美術・Tim Porter 1992 チェコ発行日本語版から抜粋)
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
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モルタヴァ川右岸よりプラハ城を望む。中央の尖塔は聖ヴィード大聖堂。ボヘミア国王 神聖ローマ帝国皇帝の居城でもあった。現在チェコ大統領府が置かれている。
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ストラホフ修道院 現在「民族文学博物館」
(ここには立ち寄っていない) -
カレル橋から城を望む
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プラハ城正面 この彫像のある門柱の前に儀仗兵が直立不動の姿勢で立っており、門衛交代式には大勢の観光客がカメラを持って押し寄せる。
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プラハ城入場券
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正面門柱の戦う巨人像(向かって左側)18世紀後半の作、現在のものは20世紀のレプリカ
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向かって右側の巨人像
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どんな男性でも軍服だけはそれなりに似合うそうだ。
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選抜された儀仗兵はそれなりに「イケメン」なのは世界共通。
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マティアス門の方から交代の衛兵がやってきた。観光客はカメラアングルの良い位置に早くから陣取ってレンズを向ける。
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やはり指揮刀のサーベルを持った士官のほうが格好いい!!
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隊列を組んでどうどうと行進する兵達にカメラが向けられる。
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正門から第一の中庭を抜けて、最初にくぐるのがマティアス門 銘文はラテン語の為解読出来ず。
ヨーロッパを旅すると、ラテン語の銘文に良く出会う。大学でラテン語の初歩くらい勉強していったならば、とつくずく考える。 -
大統領官邸に翻るチェコの三色旗
初代共和国大統領 マサリクがこのバルコニーに立ったが、彼の死後 次にここに立ったのはアドルフ・ヒットラー。そして戦後は共産党政権、やっとチェコに自由と民主主義が訪れたのは1989年の壁の崩壊。
この中欧に位置する国も苦難の長い歴史を背負っている。 -
マティアス門を抜けて第二の中庭に出ると、そこに「コール噴水」
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聖ヴィート大聖堂
そのルーツは、初めてこの場所に926年、ロマネスクのロトウンダ教会が建てられたが、その後935年 ボヘミアの守護聖人 チェコ全国民の守護者であるヴァーツラフに依ってプレミスリデイ家の為に建てられたが、973年 プラハが司教区となって司教区の教会となった。
1344年 カレル4世がプラハの大司教管区にしたとき、この聖ヴィート教会が建てられた。
その後幾多の変遷を重ね、今日の姿になったのは19世紀末である。 -
西の入り口
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入り口上部のティンパヌム(Tympanum:古典建築の破風の三角壁)
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外壁を飾る壁画
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見事なステンドグラス
19世紀 プラハのガラス職人に依って作られた。 -
大聖堂祭壇
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誰の棺なのか不明
ここで残念ながら見落としたのが「カレル4世の王冠」。このとき観光客で混雑していて、地下の歴代王族の墓所や礼拝堂を見落としてしまったのは返す返すも残念であった。
プラハ見物の二日間はブダペスト同様、予備調査不足で、消化不良であったので次回はブタペストと共に、再訪するつもりである。 -
聖ヤン・ネポムツキーの墓
2トンの純銀で作られているそうだ。」 -
彫像 その1.
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彫像 その2.
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彫像 その3.
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第3の中庭にある 聖イジーの噴水
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聖イジー教会
最も古い教会 ボヘミアで最も良く保存されているロマネスク建築。ファサードはバロック、公爵ヴァラティスラフ1世に依って、912年創設。内部はロマネスク時代のもとの姿が出来るだけ忠実に再現されているという。 -
黄金の小路。1597年に出来たという。最初は城の召使達が住んだが、その後錬金術師達が住むようになり、この名前が付いたそうだ。
土産物屋が立ち並び、観光客で賑わってはいるが別にそう見るべきところではなさそうだ??? -
「歩き方」に依れば No,22の家にはフランツ・カフカは1916年11月から17年5月まで、ここに通ってしごとをしたそうだ。
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