2009/05/20 - 2009/05/29
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Berg Heilさん
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プラハ5泊 ブダペスト3泊の旅。天候に恵まれ初夏の旅を満喫。持参したカメラは オリンパスSP−510UZ/デジタルと オリンパスL3のフィルムカメラ、(このL3は10数年来愛用、全く手になじんでおり旅には絶対欠かせない愛機)しかし今回の旅でフィルムカメラを使っていた人は皆無であった。
基本的に景色はフィルム、室内はデジタルと使い分けた。
5/20 セントレアーフランクフルトープラハ(ルフトハンザ)
5/25 プラハーブダペスト(チェコ航空)
5/28 ブダペストーフランクフルト(ルフトハンザ)
5/29 セントレア
翌30日には上京して、4トラの「独逸常連卓」コミの第三回オフ会に出席 独逸好きの皆さんと独逸レストランで大いに楽しんだ。
チェコ関係の参考文献(旅の予習とコメントを入れるに付いて)
「コンサイス・外国人名事典」三省堂
「物語・チェコの歴史」薩摩秀登 中公新書
「プラハの異端者たち」薩摩秀登 現代書館
「黄金のプラハ」石川達夫 平凡社選書
「私はチェコびいき」大鷹節子 朝日新聞社
(大人の為の旅案内)
「チェコとドイツ」 大鷹節子 読売新聞社
(愛と憎しみの関係)
「地球の歩き方・A260」ダイヤモンド
「プラハ・チェコ」旅名人ブックス 日経PB社
その他現地の観光局から直接取り寄せたパンフレット(英・独文)
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
-
チェコ国立博物館
1891年 (M24)ネオルネッサンス様式で建築
外国の大きな都市を訪れると、必ず真っ先に行くのが「国立博物館」 この中にはその国の歴史がいっぱい詰まっているから 本で学んだ歴史が実際に実物で確認できる。
ちょうど企画展として「チェコ・スロバキア共和国」をテーマに第一次大戦後独立してから第二次大戦までの現代史の展示がなされていた。 -
博物館のテラスから眺めたヴァーツラフ広場(通り)。
長さ750M 幅60M 14世紀に馬市場跡に造られたという。
1968年8月 ソ連を先頭とするワルシャワ条約機構軍が進入、自由を求めたプラハ市民の「プラハの春」を弾圧、多くの市民がここで殺戮された。
1989年11月 民主化を求める学生のここでのデモが発端となり、共産党政権が倒され、無血の革命、世に言う「ビロード革命」が成功。今日の民主主義国家が設立された。 -
博物館の前、ヴァーツラフ広場に立つ 聖ヴァーツラフ(907頃〜1035年頃)プシュミルス王朝出身、チェコ諸公のドイツ帝国への封建関係を認め、チェコでのキリスト教勢力の拡大を支持。弟ボレスラフの兵士によって殺害された。(コンサイス外国人名事典より抜粋)
この広場はこの王の名に由来する。 -
博物館前の彫像、それにしても排気ガスなのかススなのか真っ黒に汚れている。建物の上部も同じよう。
デッキブラシに洗剤をつけてゴシゴシとやりたくなる。 そんな予算が無いのかも? -
建物正面のレリーフ
ヴァーツラフ?世(聖ヴァーツラフの息子のオカタル?世か?) 1257年、プラハ城下の新しい市を作り、外国人(特に独逸人)の入植を奨励して、プラハ発展の基礎を築く。 -
建物正面のレリーフ
ルドルフ?世(1552〜1612)
1583年 宮廷をプラハに遷都、プラハの栄光を高め、1609年 「信仰の自由の勅令」を発し、信仰の自由がチェコ王国の法となる。 -
自分の国の歴史の勉強か?
子供達が先生に引率されて来館した。 -
自国の近代史を教えるには絶好の企画展。
子供達も屈託が無く元気!!ワイワイガヤガヤ どこの国の子供達も一緒。 -
博物館正面の正面階段ホール。実に見事である。
ネオ・ルネッサンス様式の最高傑作」といわれる。1891年建築家ヨゼフ・シュルツの設計 -
このホールではコンサートも開かれるという。
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ホールにある歴史画 チェコの歴史物語には疎いのでコメント遠慮。おそらく長い間語り継がれた民族の歴史物語や伝説であろう。
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教会では聖書物語の絵が多いが、ここでは聖書の一シーンではなさそうである。
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この人物 正面ホールの特等席に立つ、反対側に対でに立っている人物が「聖エリーザベト」としてあったから おそらくアルブレヒト?世(1397〜1439)と思われる。(正面のレリーフにもあった) チェコ王朝の系図で想像(間違っていたらどなたかご指摘を)
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聖エリーザベト ルクセンブルク家の出身
ハプスブルク家出身のアルブレヒト?世の妻
チェコ王朝の系図にエリーザベトの名前は、彼女と彼女の娘しか出てこないから おそらく間違いないと思う。 この時代のややこしい歴史は「プラハ異端者たち」薩摩秀登・現代書館 の164〜172ページを参照されたし。大変面白い本である。チェコをこれから旅する方には 「黄金のプラハ」石川達夫著 平凡社 と共にお薦め。 -
まずは見学の最初、こんな奴が出迎えてくれた。
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1世紀から6世紀にかけての出土品の展示、なかなか立派な黄金の王冠なのか兜なのか分からないが大変目をひいた。 何せ説明文がチェコ語では全くお手上げである。
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考古学発掘はその国のルーツを知る上では欠かせない。
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わが国の和ハサミとそっくりである。おそらく羊の毛をかるのに使用したのだろう? それにしても人間の考える事は、全く文化の縁の無い国でも同じようなものだと痛感。これも1〜6世紀の展示場にあった。
他に当時の住居の模型も。 -
どこかで見た記憶がある。たしか「傷ついた戦士」ではなかったか? チェコ語の説明では全くお手上げ。せめて英語や独逸語での表記があったなら!!
デンマーク国境に近いシュレスビッヒの城の博物館では独逸語と並んでデンマーク語の説明文が併記してあった。 -
チェコ近代史の企画展
これは1936年9月 ミュンヘンで開かれたズデーテン問題の解決に関する英仏伊独の首脳会談が開かれ、チェコ・スロバキアのズデーテン地方のヒトラーの要求どうり、ナチス独逸への割譲が決まった時の文書である。(原本なのかレプリカなのかは不明)チェコとしては欧州の列強に翻弄された、正に屈辱の歴史の証である。
写真は独逸語文 他に英語 仏蘭西語 伊太利亜語の条文も並んで展示してあった。
当のチェコ・スロバキアも盟友のソ連もこの会談には参加していない。 -
多分 第一次世界大戦時代の将校の軍服と上流階級の婦人の服であろう。
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共和国時代の将校の軍服
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これは兵隊様か?
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軍人には勲章がつき物、祖国の為に命を落とすのだから。しかし「一将功なり、万骨か枯る」のことわざどうり、これら高位のを勲章を胸に着ける将校の背後に、多くの兵士の死があることを忘れてはならないであろう(これ今次大戦を知っているものの寝言かも?)
かって 芥川龍之介は「勲章をぶら下げて喜ぶのは軍人と子供だけだ」と喝破した。 -
各連隊の軍旗など。日本陸軍でも襟章の色分けで連隊の専門が区別できた。
歩兵は赤 騎兵は緑 砲兵は黄 憲兵は黒 など。 -
レトロな自動車とガソリンスタンド
チェコは大戦前はかなり工業が発達していた。機関銃はあまりにも有名だった。日露戦争ではチェコの機関銃で日本軍が散々な目に遭った。当時 日本軍は機関銃の存在すら知らなかったとか? 何かの本で読んだ記憶がある。 今でも自動車は「スコダ」がかなり走っている。確かロボットという名も、ホッチキスもチェコ発祥? -
今では懐かしいサイドカー
1959年に運転免許を取る頃「側車つき自動2輪車」という免許があった(今でもあるのかな?) -
消防自動車
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おそらく昔のスキー板?
1911年(M44) 日本の高田の連隊にスキーを持ち込んだのがオーストリアのレルヒ少佐である。 -
博物館の入場券 150コルナ
カメラ 50 コルナ(フラッシュ不可)
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この旅行記へのコメント (2)
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- 女一人旅さん 2009/06/17 00:37:30
- プラハ
- Berg Heilさんと丁度入れ替わりくらいでイタリアに行って帰って来ました。
私は、ほぼ前知識なしで行ってしまいますので(わざとと言う訳でもないのですが)
これから、プラハのお勉強、こちらでさせて頂きます。
ここで?本読めって?
はい。
それにしても「あー、ココ行った♪」だけでも楽しいけれど
同じ所を違う人の目を通して見るって言うのも、本当に楽しいですよね。
その辺り、フォートラってスゴく上手い事かんがえたなあ!?って思います(^-^)
- Berg Heilさん からの返信 2009/06/17 14:55:40
- RE: プラハ
- > Berg Heilさんと丁度入れ替わりくらいでイタリアに行って帰って来ました。
お便り有難うございます。
今回の旅は天候に恵まれましたが、ことのほか暑く、ただでさえスタミナ不足のカミサンが参ってしまいました(彼女は10年前、胃癌で胃を全摘)
従って かなり余裕のあるプランを立てたつもりですが、予定の半分くらいの達成率、いささか亭主にとっては消化不良、今秋か来年には同じコースにウイーン周辺の街を含めて再チャレンジの予定です。(へそくりが出来たらの話/予定はいつも立てていますが)
伊太利は女性に人気のある国、カミサンも2000年に長女、私の妹二人、と4人で北伊太利を楽しんできましたので、又行きたがっています。何せプラダを始め、ファッション、プディック巡りが一番の旅の楽しみのようです。(私は1976年、ローマに一泊しただけです)
チェコはプラハ3編、ピルゼン、チェスキークロムロフと投稿して、次はブタペストに移ります。良かったら又覗いてください。
Frau 女一人旅 の伊太利紀行楽しみにしています。一度独逸オフ会でお会いしたいと思っています。 Berg Heil
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