デリー旅行記(ブログ) 一覧に戻る
1月28日の旅行写真、クトゥプ・ミナールの見学の続きです。(ウィキペディア、るるぶワールドガイド・インド)

2008冬、インド旅行記(21/27):1月28日(3):デリー、クトゥブ・ミナール複合建築群

3いいね!

2008/01/25 - 2008/01/29

1527位(同エリア1965件中)

旅行記グループ 2008冬、インド旅行記

0

30

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

1月28日の旅行写真、クトゥプ・ミナールの見学の続きです。(ウィキペディア、るるぶワールドガイド・インド)

同行者
一人旅
交通手段
観光バス
  • ムガル帝国以前の北インドを支配したデリー・スルタン王朝(1206年-1290年)は、奴隷王朝と呼ばれています。初代の君主が、奴隷身分の軍人(マムルーク)の出身であったためです。

    ムガル帝国以前の北インドを支配したデリー・スルタン王朝(1206年-1290年)は、奴隷王朝と呼ばれています。初代の君主が、奴隷身分の軍人(マムルーク)の出身であったためです。

  • デリー・スルタン王朝は10代続きました。初代のアイバクにはじまり、最後の王はカイクバードでした。インドの奴隷王朝は、「インドのマムルーク朝」とも呼ばれます。

    デリー・スルタン王朝は10代続きました。初代のアイバクにはじまり、最後の王はカイクバードでした。インドの奴隷王朝は、「インドのマムルーク朝」とも呼ばれます。

  • アイバクの娘婿であった2代目の君主、イルトゥミシュは奴隷王朝の安定化に成功しました。彼はマムルークの出身ではあっても、もともと中央ユーラシアのテュルク系の有力部族イルバリーの遊牧貴族の出自とされます。

    アイバクの娘婿であった2代目の君主、イルトゥミシュは奴隷王朝の安定化に成功しました。彼はマムルークの出身ではあっても、もともと中央ユーラシアのテュルク系の有力部族イルバリーの遊牧貴族の出自とされます。

  • クトゥプ・ミナールの建設に使われた石材は、ヒンドゥー寺院を取り壊したものですが、それには戦闘用の象が使われたとも伝えられています。壁にあった文様です。

    クトゥプ・ミナールの建設に使われた石材は、ヒンドゥー寺院を取り壊したものですが、それには戦闘用の象が使われたとも伝えられています。壁にあった文様です。

  • 随分と赤っぽい石材です。彩色された感じもします。六角形と星型を組合わせた、幾何学模様が刻まれています。

    随分と赤っぽい石材です。彩色された感じもします。六角形と星型を組合わせた、幾何学模様が刻まれています。

  • ヒンドゥー寺院を壊して得られた石材は、イスラム教に相応しくないとされる偶像が、すべて削り取られました。残った文様は、偶像が含まれていないようです。

    ヒンドゥー寺院を壊して得られた石材は、イスラム教に相応しくないとされる偶像が、すべて削り取られました。残った文様は、偶像が含まれていないようです。

  • 全面に細かな文様が刻まれた柱です。祝ぶるなどをデフォルメしたイスラム様式のようです。縦方向に、同じ文様が続いています。

    全面に細かな文様が刻まれた柱です。祝ぶるなどをデフォルメしたイスラム様式のようです。縦方向に、同じ文様が続いています。

  • 金属製の足場が組まれた一角です。修復作業の途中のようです。世界遺産の修復作業の範囲は、難しい課題のようです。

    金属製の足場が組まれた一角です。修復作業の途中のようです。世界遺産の修復作業の範囲は、難しい課題のようです。

  • 同じ修復箇所ですが、視点を変えての撮影です。出来る限りオリジナルの石材を使うのでしょうが、新しく切り出した石材も必要なようです。

    同じ修復箇所ですが、視点を変えての撮影です。出来る限りオリジナルの石材を使うのでしょうが、新しく切り出した石材も必要なようです。

  • 廃墟の光景を続けてご覧下さい。可能な限り、修復されているように見受けました。新しい石材も混じっています。

    廃墟の光景を続けてご覧下さい。可能な限り、修復されているように見受けました。新しい石材も混じっています。

  • 中央付近には、更にその上に伸びていたと思われる大きな柱が見えます。その姿を想像しながらの見学です。

    中央付近には、更にその上に伸びていたと思われる大きな柱が見えます。その姿を想像しながらの見学です。

  • 石材の色に斑部分がありません。そのまま残った2連式のアーチのようです。その左には、更に大きなアーチがあったようです。

    石材の色に斑部分がありません。そのまま残った2連式のアーチのようです。その左には、更に大きなアーチがあったようです。

  • かなり綺麗に修復された遺跡です。その脇には、礎石らしいものが並んでいました。

    かなり綺麗に修復された遺跡です。その脇には、礎石らしいものが並んでいました。

  • 柱や壁にあった文様を纏めて紹介します。蔦の様な植物が題材にされた文様でしょうか。端の方は石が剥がれています。

    柱や壁にあった文様を纏めて紹介します。蔦の様な植物が題材にされた文様でしょうか。端の方は石が剥がれています。

  • 蔦のような文様の続きです。石材の痛み具合から見て、創建当時からのもののようです。文様は、ちゃんと上下の石材に繋がっています。

    蔦のような文様の続きです。石材の痛み具合から見て、創建当時からのもののようです。文様は、ちゃんと上下の石材に繋がっています。

  • 不思議な造形の文様です。調べたわけではなく、直感ですが、アラビア文字が装飾化されたようにも見えます。

    不思議な造形の文様です。調べたわけではなく、直感ですが、アラビア文字が装飾化されたようにも見えます。

  • アラビア文字のイメージが消えない文様の続きです。ところでアラビア文字は、横書のものしか、見た記憶がありません。

    アラビア文字のイメージが消えない文様の続きです。ところでアラビア文字は、横書のものしか、見た記憶がありません。

  • 何となく、上下の繋がりがすっきりしない文様の柱です。だるま落しの積み木のように見えてしまいます。

    何となく、上下の繋がりがすっきりしない文様の柱です。だるま落しの積み木のように見えてしまいます。

  • 祖の柱の続きです。こちらも、上下の文様の連続性が途切れているように見えます。ヒンドゥ教寺院の石材を流用したために生じたのでしょうか。

    祖の柱の続きです。こちらも、上下の文様の連続性が途切れているように見えます。ヒンドゥ教寺院の石材を流用したために生じたのでしょうか。

  • 見た目には、変化があって面白いのですが、柱としてみた場合には、凹凸が激しく、何となく頼りない感じもします。

    見た目には、変化があって面白いのですが、柱としてみた場合には、凹凸が激しく、何となく頼りない感じもします。

  • この部分は、少しすっきりとしています。しかし、上半分には、文様を削り取った跡が見えます。やはり、ヒンドゥ寺院の石材を流用したのが原因でしょうか。

    この部分は、少しすっきりとしています。しかし、上半分には、文様を削り取った跡が見えます。やはり、ヒンドゥ寺院の石材を流用したのが原因でしょうか。

  • 下部は赤さがんを使った建築のようです。色が斑なのは、新しい石材が追加されたためでしょう。その上には、修復されずに残った石材が、面白いコントラストになっています。

    下部は赤さがんを使った建築のようです。色が斑なのは、新しい石材が追加されたためでしょう。その上には、修復されずに残った石材が、面白いコントラストになっています。

  • 半ば崩れ落ちた石造建築です。修復されずに、そのまま残されたもののようです。重要な施設部分ではないためでしょうか。

    半ば崩れ落ちた石造建築です。修復されずに、そのまま残されたもののようです。重要な施設部分ではないためでしょうか。

  • 奥に黒っぽいドームが見えます。もし、壊れてしまえば、修復は難しい建物でしょう。背後の樹木が、廃墟の景色を和らげています。

    奥に黒っぽいドームが見えます。もし、壊れてしまえば、修復は難しい建物でしょう。背後の樹木が、廃墟の景色を和らげています。

  • 中央の奥に、ドームとは形状が違う三角屋根が見えます。円錐形かも知れません。

    中央の奥に、ドームとは形状が違う三角屋根が見えます。円錐形かも知れません。

  • これも修復されて原形を取り戻した建物でしょうか。吹き抜け構造も、当時のままかも知れません。

    これも修復されて原形を取り戻した建物でしょうか。吹き抜け構造も、当時のままかも知れません。

  • 遺跡の横に、少し黒っぽいポールが見えました。現地ガイドさんが、その謂れを説明してくれました。鉄製のポールです。

    遺跡の横に、少し黒っぽいポールが見えました。現地ガイドさんが、その謂れを説明してくれました。鉄製のポールです。

  • 「アショカ王の柱」と呼ばれる高さ約7m、地中部が約2m、直径約44cmの鉄柱です。推定重量は約6トンとされます。1700年ほどを経て、殆んど錆びていない不思議な塔です。

    「アショカ王の柱」と呼ばれる高さ約7m、地中部が約2m、直径約44cmの鉄柱です。推定重量は約6トンとされます。1700年ほどを経て、殆んど錆びていない不思議な塔です。

  • 「アショカ王の柱」は、4世紀頃、グプタ朝のインド統一を記念して製造されたと伝えられます。鉄の純度が99.72%と、極めて高いとされます。その付近の遺跡光景です。

    「アショカ王の柱」は、4世紀頃、グプタ朝のインド統一を記念して製造されたと伝えられます。鉄の純度が99.72%と、極めて高いとされます。その付近の遺跡光景です。

  • モスクは1192年に建設が開始され、6年がかりで完成し、クワトゥル・イスラーム(イスラムの力)と名付けられました。戦勝記念の塔以外は、殆んどが廃墟となっています。

    モスクは1192年に建設が開始され、6年がかりで完成し、クワトゥル・イスラーム(イスラムの力)と名付けられました。戦勝記念の塔以外は、殆んどが廃墟となっています。

この旅行記のタグ

3いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

2008冬、インド旅行記

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

インドで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
インド最安 306円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

インドの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP