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スペイン、北アフリカそしてシルクロード6ケ月(11/最終章)

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1976/10/31 - 1976/12/04

7007位(同エリア9056件中)

旅行記グループ ヨーロッパ

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悠遊人(ゆうゆうじん)

悠遊人(ゆうゆうじん)さん

10/31インドに入る。

10/1にアテネからラワルピンジ/パキスタンに飛び、陸路ペシャワールを経て、カイバル峠を越えアフガニスタンへ。

 カブールではしばらく優雅な時を過ごす。なにせ物価が安いのだ。毎日王侯貴族が出入りするような?レストランで豪勢な食事を楽しむ。ステーキやメロン、ぶどう、石榴・・・今までの貧乏旅行は一体どこへ行ってしまったのか。しかしここら辺りで体力もつけておかねばならぬ。カブールはシルクロードを歩く連中にとってオアシスのようなところだ。東から来た者と西から来た者がすれちがい、お互いの健闘を称え、情報を交換する。

 体力も回復したころ、あの大仏のバミアンに向かう。偶像崇拝をしないモスリムに、顔だけ削り取られた大小2体の立像。崖を削りこんで彫られている。ここで一定数乗客が集まるまで3日ほど待たされ、トラックの荷台に乗り込みBandi・Amirへ。---砂漠の中の奥の奥、幻の湖というべきところ。今までもっとも感激した場所のひとつとなる。

 アフガニスタン、パキスタンに約1ケ月滞在。ペシャワールから鉄道でラホールを抜け、インドに入る。ラホールにはヨーロッパからバスを仕立てた旅行者がインド、ネパールを目指してやってくる。特にドイツや北欧の連中が多いようだ。女一人でやって来て、次の目的地まで男の相棒(用心棒を兼ねる)を掴まえ、出かけていく。自立した北欧の女は強いものだ。

11/2 バスでパタンコットへ、そこから乗り込んできたスウエーデンの女、風邪で咳がひどい。背中をたたいてやると咳が止まったようだ。Dharmsaraに着いたのは夕方5時ころ。ここにはチベットを追われ、亡命したダライ・ラマ14世やリンポチェが住み、布教している。

11/3 朝4時、目を覚ます。隣のベッドでスウエーデン女が咳込んでいる。僕のバスは5:15発なので、しばらく彼女の背中をさすってやる。表の空を見上げればオリオンや大熊座、小熊座、カシオペアがくっきりと見えていた。

 Dharmsaraから私はひとり北に向かう。そこには桃源郷Manaliがあるという。

 Mandi乗換えで夕刻Manariに到着。標高2050m、クタ渓谷の一番奥。おんぼろバス揺られ、崖っぷちをやっとすり抜けてきた。この険しい渓谷に落ちれば、もちろん命の保障はない。
 日本の太古の上高地とはこんなだろうか?客引きの兄ちゃんに案内され、町から歩いて10分ほど登り、芝生に囲まれた一戸建て(二階)の一階を借りきる。1泊5Rp.(180円ほど)だと。とても広い部屋だ。山小屋風木造りで2ツのベッドと炉ばた、テーブル、椅子2つ、そして広い芝生の庭がある。二階はオランダ人が住んでいるらしいが会ったことはない。ヤツはいつもいないのだ。

 Manariの町へはときどき餃子やラーメンを食べに降りて行く。ラーメンは麺をさっと茹で、炒めた玉ねぎなどの野菜をのせ、最後にスープをかけ、箸で食う。これらの料理は日本の山岳隊におそわったとか。でもなんか味が足りず塩をぶっかけて食うのだが、日本の醤油が恋しい。ここは柿やリンゴ、バナナが一緒に生っているほど不思議で豊かな土地だ。高台に登ると遠くに雪を被ったインドヒマラヤが見える。

 秋の終わりと共に、私の旅も終わりが近づいてきたようだ。曇った空と時に吹く冷たい風に一抹のわびしさが募ってくる。

 11/6 朝、お茶を持ってきてくれた少年に起こされた。ライスビア(どぶろくのようなもの)を朝飯代わりに飲む。

 今日は近くのDhongriに出かける。ここにはヒンズーの寺院がある。森の中の道を登っていくと、薪を背負って一休みしている少女と会った。耳輪をいくつも着けていてとてもかわいい。そういえば、このあたりは時に美人を見かけハっとする。

 夕、となりの宿のオーナーに誘われ、ライスビアをご馳走になる。暖かい暖炉で飲む酒は、とても美味しいものだ。彼はまだ26歳で近くに農園を持っているそうな。お礼をしようとバッグに入れておいた土産を探すと、小物や現金2万円がないのに気づいた。Manaliのあまりの平和さについ油断してしまったようだ。2万円あればここでは1ケ月は悠々暮らせる。隣のオーナーは、今度来たら全部タダにしてやるといって慰めてくれたが、果たしてこのような奥地にもう来れるだろうか。

 いよいよ所持金も底をついてきたので、いつまでもここにはいられない。インド巡りに向け、明日はSimuraに向かう。

 11/7 SimuraまでMandi経由で約12時間。遠くにはヒマラヤが見える。ここは高級避暑地だ。なかなか落ち着いたいい町だが、少し物価が高い。Afganの安さが懐かしい。ステーキ、メロン、ぶどうなどほんとうに安くて旨かった。

 泊まったProspect Lodge の娘は中1か中2。本当は僕と話したいらしいが、話しかけるとソッポを向く。それでいて僕から一定の距離をおいて付いてくる。君がもっと大人ならいいのに。そういえば20代の若い娘はあまり見かけない。

 11/9 デリーに向かう。僕のちょうど前に座っていた25.6の女。美人である。手提げを持っているので人妻か。後ろ脇から1時間じっと彼女の目を見つめ、肘を握ったら、しっかりと手で握り返してきた。インドの女も情熱的なようだ。

 その後、20日間アグラやVARANASI(ベナレス)を廻り、再びデリー、そして再度国境を越え、ラワルピンジからカラチ経由でバンコクへ。そこで5日ほど半年間の疲れをとり、12/4帰国

 6ケ月は長いようだが、実際は人生の1%にも満たないものだ。それでもこの旅で、これからの人生の多くを体験をしてしまったように思う。これ以上の旅はもうありえないかも知れない。
 25歳で出かけたのもよかった。世間もわからぬ学生時代や、わかりすぎた40過ぎなら全然ちがった旅になっただろう。また何年か後に再び同じルートを辿っても、もう同じような感慨はありえないし、もしかしたら泊まったホテルさえ覚えていないのかも知れない。自分だけじゃなく世の中も変わっていくのだ。

 キリスト教の世界からモスリムの世界を抜け、仏教国に戻ったことになるが、実にいろんなものを見てきた。多くは人々の優しさに助けられ、時には騙され、病気に苦しんだりしたのだが、終わってみれば実にアッという間の出来事であった。そして気づいたことは、自分がこの世でいかに小さい存在にすぎないということが。もっともっと大きな人間にならなければ、と思う。

 人はひとつの道しか行けない。右に行くか、左にするか、あるときは自分で決断するが、あるときはどちらかに流され、あるときは気づかないままどちらかに向かっている。
 ただ、どちらに行くかはすでに決められている様にも思える。運命というヤツだ。だから迷わず運命に身を委ねる場合もある。そうやってとにかく今もこうして生きている。

 あるときは以前来た事があるような、かつて住んでいたような
気分になることがある。デジャブというヤツだ。これは自分ののDNAが記憶してたものと勝手に解釈している。自分の遠い先祖が、かつてここを辿って日本まで来たんだと。

 ともかく今回の旅は終わった。これからの生活と、次の旅に向けてひと稼ぎをしなくてはならない。もうすぐ雪が降りそうだ。明日から春までの3ケ月間、再びスキー場のアルバイトに向かう。

 --- 終 --- ここまで読んでいただきまして感謝!感謝!

http://www.janal.co.jp/asian-walker.html
  

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