somtamさんへのコメント一覧(24ページ)全388件
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国体路線
ご無沙汰しております。
「チケット取れない」程、売れているモノが廃止の憂き目を見るのは
「国鉄細分化」の影響でしょうか。
細かく別れた各JRへの「路線使用料」がネックと聞きました。
JR貨物が今ひとつ「エコロジー」の波に乗れないのもコレだと思っています。
事実上、リニアを自前の予算だけで賄える某JRの蓄えがあれば旧国鉄時代の
北海道の廃止路線は存続できたでしょうね。
インフラは国の誇りです。
国民の負担で継続する意味はあったと、今でも思っています。
私の故郷には終ぞ鉄路が来る事はありませんでした。
旧国鉄牟岐線のあとほんの少し先…。
古い地図では『阿佐線』と白い破線で記されていました。
「地元のセンセー(国会議員)がおらんかったき。」と婆ちゃんが言ってました。
今のJR四国は「いろいろ押し付けられた」ではなく、最初から何も無かった
『最弱JR』です。
「路線の保持」「貨物の割当」「自前でサービスの向上」等、『押し付けられた』
パターンであろうJR北海道の「本音」が何となくかわる気がします。
Om Koiご無沙汰しています
Om Koi様、メッセージありがとうございます。
> 「チケット取れない」程、売れているモノが廃止の憂き目を見るのは
> 「国鉄細分化」の影響でしょうか。
全くその通りですよね。
> 細かく別れた各JRへの「路線使用料」がネックと聞きました。
それプラス、一般的に言われているのが、新幹線開通に伴う、
青函トンネルの電圧アップと、車両の老朽化。
国の補助金に制約があり、電圧アップした新型のEH800は、
客車をけん引出来ないと、何かに書いていたと思います。
> JR貨物が今ひとつ「エコロジー」の波に乗れないのもコレだと思っています。
ちょっと、ルールがせこいと言うか、コマカイと言うか、
複雑過ぎますね。
> 事実上、リニアを自前の予算だけで賄える某JRの蓄えがあれば旧国鉄時代の
> 北海道の廃止路線は存続できたでしょうね。
そうそう、ケッタイな区分け。(笑)
> インフラは国の誇りです。
> 国民の負担で継続する意味はあったと、今でも思っています。
各々意見はあります。
> 私の故郷には終ぞ鉄路が来る事はありませんでした。
> 旧国鉄牟岐線のあとほんの少し先…。
そうですか、それは残念でしたね。
牟岐線は8620。雑誌でしか知りません。
> 古い地図では『阿佐線』と白い破線で記されていました。
> 「地元のセンセー(国会議員)がおらんかったき。」と婆ちゃんが言ってました。
センセーの力は、ばく大なり。
そのためのセンセーかぁ。(笑)
> 今のJR四国は「いろいろ押し付けられた」ではなく、最初から何も無かった
> 『最弱JR』です。
> 「路線の保持」「貨物の割当」「自前でサービスの向上」等、『押し付けられた』
> パターンであろうJR北海道の「本音」が何となくかわる気がします。
なるほど、四国と北海道は別パターンのヒガイシャですね。(笑)
ということは、多度津工場に置いているC58333の復活は
夢のまた夢ということですね。
somtam2014年07月03日00時47分 返信する -
しっかりせー、JR北海道
somtamさん、おばんでした☆
今回の来道では、何もお役に立てず、申し訳ありませんでした…。
さて、表紙の列車、うまくお撮りになっていますね!
でも宇宙軒のS字カーブは、初めて知りました。
礼文付近の風景は、なんとなくわかります。
鉄橋の上に、集結する鉄の方々30名、想像すると、ふふふ・・・、すごいです(笑)。
露天風呂の中の、鉄の熱い語らいも、ふふふ・・・、すごそうですね(笑)。
初対面でも、同じことに興味を持たれるお仲間同志、すぐに打ち解けちゃうのでしょうね。
私も胆振線と言えば、泊まったことのある北湯沢YHを思い出します。
それ以外、何も知りません(笑)。
あの頃は、北湯沢も人気でしたよねー。
今は、大きな温泉ホテルが有名になっています。
美々駅で、夜を明かそうとする箇所に、笑っちゃいました!
時代と共に、様々なことが変わっていきますね。
貝塚のことも、知りませんでした。
地元のことなのに、知らないことばかりで、恥ずかしいね・・・。
いろいろ教えてもらったり、何よりも楽しい旅行記でした(@^▽^@)
でも、脱線事故の影響で、本当に残念でしたね(涙)。
私もまだ、トワイライトには、乗ったことないんです。
トワイライトに乗って、長岡で早朝に下車、なんてことを考えた時もありました。
是非リベンジなさって下さい!
というより、きっと、もうすでにリサーチ済みですよね(笑)。
町子
しっかりせー、JR北海道←地元の方が言うと説得力があります!!!
町子さん、こんばんは。
> 今回の来道では、何もお役に立てず、申し訳ありませんでした…。
え〜、そんなぁ〜。
今回は急に、たまたま行っただけですよ。
その内、また急に行くことがあるかも。(笑)
> さて、表紙の列車、うまくお撮りになっていますね!
これは「鉄」の定番写真です。
> でも宇宙軒のS字カーブは、初めて知りました。
これは「鉄」しか、知らないと思いますよ。
国道37号線沿いに「宇宙軒」という、
廃業になったラーメン屋があり、そこを曲がり、
撮影ポイントの斜面を目指します。
> 礼文付近の風景は、なんとなくわかります。
あの辺りは有名ですね。
学生時代、町子さんに初めてお会いした時の前後に
礼文にも「鉄」出動していました。
> 鉄橋の上に、集結する鉄の方々30名、想像すると、ふふふ・・・、すごいです(笑)。
この時期は一年で一番日が長く、
そのポイントから夕日が当る北斗星も
撮れるので、皆さん、集まるのでしょうね。
> 露天風呂の中の、鉄の熱い語らいも、ふふふ・・・、すごそうですね(笑)。
熱く語っていましたよ。
彼らも翌日、脱線の為に撮影出来ないとは、
その時、夢にも思っていなかったでしょうね。(笑)
> 初対面でも、同じことに興味を持たれるお仲間同志、すぐに打ち解けちゃうのでしょうね。
自身ですが、30年前の初対面から未だ続いている方も居ますよ。
そうですよね、「下呂の鉄人」さん、Tさん。(爆)
> 私も胆振線と言えば、泊まったことのある北湯沢YHを思い出します。
> それ以外、何も知りません(笑)。
北湯沢と言えばジンギスカンですね。
あとはスキー場に
そう言えば、徳舜別山に登りました。
> あの頃は、北湯沢も人気でしたよねー。
静かでよかったです。
> 今は、大きな温泉ホテルが有名になっています。
それは知りませんでした。
> 美々駅で、夜を明かそうとする箇所に、笑っちゃいました!
たぶん、「鉄」だと思います。
> 時代と共に、様々なことが変わっていきますね。
そのとおりですね。
> 貝塚のことも、知りませんでした。
現地でいろいろと知りました。
> 地元のことなのに、知らないことばかりで、恥ずかしいね・・・。
私も地元のことはあまり知りませんよ。
> いろいろ教えてもらったり、何よりも楽しい旅行記でした(@^▽^@)
いつも読んで頂きありがとう☆
> でも、脱線事故の影響で、本当に残念でしたね(涙)。
特に冬ですが、天候の影響で、運休がありますので、
週間予報には目を向けていました。
数週間前にも、大雨で運休がありました。
でも、まさか脱線事故で運休とは、
まさしく想定外。(笑)
> 私もまだ、トワイライトには、乗ったことないんです。
> トワイライトに乗って、長岡で早朝に下車、なんてことを考えた時もありました。
時期にもよりますが、B寝台のコンパートメントでしたら、
比較的取りやすいですよ。
ご存じかもですが、JR北海道のHPの空席状況で、
その状況が分ります。
> 是非リベンジなさって下さい!
> というより、きっと、もうすでにリサーチ済みですよね(笑)。
えーえー、いろいろとリサーチしていますよ。(笑)
しかし、9月末ぐらいまで、B寝台のコンパートメントですら、
厳しいので、個室寝台はかなり厳しそう。
再チャレンジするならば、秋以降か!?
somtam2014年07月03日00時11分 返信する -
まずいもの
somtamさん お早うございます。
カロリー摂取を気にする現代なのに、まずいものを食べた時の悔しさと言ったらありませんね〜
美味いものの記憶は薄いのに、逆は忘れませんね、ちなみに私は、群馬で食べたかけそば、イタリアのサンドイッチは生涯忘れられませんね。この記憶を引きずって、あの世に旅立のはやっぱり悔しい〜
pedaru -
メインは法事だったんでしょ?
ひょっとしたら撮影場所探しは海外旅行以上にエネルギーが要るんじゃないかしら?
撮って来た写真を肴に地酒か〜、、、、至福の時って日常の中に一杯有るんですね(^o^)2014年06月23日08時36分返信する -
法事+鉄
somtamさん、こんにちは〜
さすがですー!
時間を上手に使ってのご出勤(笑)。
私は、岡山県は、岡山市と倉敷市しか知らないのですが、夫のおススメの高梁やいい所いっぱいあるのでしょうね。
こんな風に、カメラを向けたくなるような列車がやって来るのですから(笑)。
今日は、年に一度の眼科検診に行きました。
遠くの文字を見る検査だけではなくて、手に本を持たされて、近くの文字が読めるかどうかの検査もあり(笑)、いやですねぇ〜。
町子 -
いい写真!
いい写真だなぁ・・・
昨今のタイ事情はどうなっているんでしょう。
タイは大好きなのにも関わらず随分行っていません。
マイレージでタイなら軽く2人購入できるんだけどなぁ。
欲が深いのでローマまで貯めてやる!なぁんて思ってるからいけませんね。
アジアの田舎に行きたくなりました。 -
表紙
somtamさん、おばんでした☆
表紙の一枚、裏側に切手をはられ、海を渡って我が家へ来てくれました!
ありがとうございます。
少数民族の衣装は、とても趣があるけど、子どもが着ると、これまた可愛くっていいもんですね〜。
表情も微笑みというよりも、はにかみなのかな(*^-^*)
授乳中のお写真、我が家にも届いています。
タイとラオスを自由に行き来できなかった時代。
そんな頃のラオスを対岸から眺めるのは、どんな気分でしたか?
あーーー、ラオスはまだです。
ルアンパバーンいきたいなぁ〜!
土曜日に、オフ会でラオスの滝を見たい方とお話ししました。
今では、そんな風に目的をもって、訪れる国になったのですね。
シルクロードの旅
タイ国内の旅
somtamさんの旅は、それぞれ味がありますね。
やっぱり宝物ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿
町子鉄写真を含め、お気に入り写真の、ひとつ☆
町子さん、メッセージありがとう♪
> 表紙の一枚、裏側に切手をはられ、海を渡って我が家へ来てくれました!
> ありがとうございます。
ナイスショットの、ひとつで、ポストカードにして
町子さん宅に送りました。
写真屋は、町子さんも、いっしょに行ったことのある、
インドラホテルの前の、あの写真屋さんです。
> 少数民族の衣装は、とても趣があるけど、子どもが着ると、これまた可愛くっていいもんですね〜。
村や民族にもよりますが、当時、すでに、あまり着ていない所も
ありました。外国人のトレッキングツアーが、村に着く前に
民族衣装を慌てて着るという村もあったらしいですね。
でも、今回のこの村は簡単に行けますが、その割には
外国人旅行者はまだ少なかったようで、
それなりに、自然な?写真を撮れたと思っています。
> 表情も微笑みというよりも、はにかみなのかな(*^-^*)
そうですね!
> 授乳中のお写真、我が家にも届いています。
オンパレードですよ。(笑)
放浪の旅の日記帳のような資料がなく、
なかなか旅行記を書くのは困難ですが、
また、山岳民族の旅行記を書こうかな、と思っています。
とりあえず、チェンコーンの続編は書きますよ〜。
ただ、ゲストハウスの写真が・・・(爆)
町子さん一家も遊びに来てくれた、私のバンコクの
アパートと同じような…(またまた、爆)
> タイとラオスを自由に行き来できなかった時代。
> そんな頃のラオスを対岸から眺めるのは、どんな気分でしたか?
それは、もう憧れでしたよ!
今では、皆さん、気軽に行っていますが、
当時は、鉄のカーテン、鉄のメコン川がありました。
28年前、中国・カシュガルのドミトリーで、
ニュージーランドの弁護士のバックパッカーが、
タイのムクダハンがベストプレイスだ、と言っていた意味が
分りません。当時、メコン川の対岸のラオスへは
行けませんでした。
私はムクダハンも行きましたが、
大変、小さな町で、彼は何に魅了されたのか?
もしや、フェーン??(笑)
その弁護士先生、私のバンコクのアジトへ、もし来たら、
エンジョイ出来ただろうなぁ。(爆)
> あーーー、ラオスはまだです。
> ルアンパバーンいきたいなぁ〜!
機会があれば、行って下さい。
> 土曜日に、オフ会でラオスの滝を見たい方とお話ししました。
> 今では、そんな風に目的をもって、訪れる国になったのですね。
そうですよね。皆さん、旅行記もたくさん書いているし、
気軽に行ける?国のひとつになったと思います。
> シルクロードの旅
> タイ国内の旅
> somtamさんの旅は、それぞれ味がありますね。
> やっぱり宝物ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿
いや〜、そういうことしかしていません。(汗)
町子さんも、これからも、いろいろとトライして下さい。
somtam2014年06月10日23時57分 返信する -
10月1日
somtam氏の旅日記を読むと、記録することって大切だなって思います。
あの旅の記録ノート、なくしてしまったんですよ。若かりし頃の写真さえも捨てようとして夫に「なんで捨てるんだこんないい写真を」と止められているくらいですから、もしかしたらエエイッて捨ててしまったのかも・・・
今となっては拙い脳の記憶と感覚での記憶のみです。
たしか10月1日は成都に居たと記憶しています。
私も旅の途中でドイツ人の老夫婦と出会いました。
日本人の同じお年頃の方ならあり得ない、まさかのドミトリーでした。
あまりに仲良しで別室は気の毒だったので、ご主人をこっそり女子部屋に泊めてあげました。10月1日→その頃、K君は、、、
ねーさん、こんばんは。
> somtam氏の旅日記を読むと、記録することって大切だなって思います。
あの長期旅行は、人生で最初で最後!?の日記を
書いていましたので、記録が残っています。
最初は、あまりヤル気がなく、ポイントしか書いていません
でしたが、それが日を追うごとに、文字数が増えました。
パキスタンに入った頃は、もうギシギシに書いていますよ。(笑)
夕食後は、特にすることもなかったし。。。
> あの旅の記録ノート、なくしてしまったんですよ。
ねーさんも、書いていたのですね。
若かりし頃の写真さえも捨てようとして夫に「なんで捨てるんだこんないい写真を」と止められているくらいですから、もしかしたらエエイッて捨ててしまったのかも・・・
そう言えば、見たことないので、T先生宅で
お会いする時、ぜひ、お見せ下さい。
> 今となっては拙い脳の記憶と感覚での記憶のみです。
> たしか10月1日は成都に居たと記憶しています。
ねーさんも、この旅行記どうですか?(笑)
> 私も旅の途中でドイツ人の老夫婦と出会いました。
> 日本人の同じお年頃の方ならあり得ない、まさかのドミトリーでした。
> あまりに仲良しで別室は気の毒だったので、ご主人をこっそり女子部屋に泊めてあげました。
ねーさん、ご存じかなぁ。
たぶん、T先生宅で1度ぐらい会っていると思いますが、
職人になったK君を。
そのK君は、オーストラリアの男性と日本の女性の
ハネムーンで同じ部屋に泊まっていました。
京都で英語教師していた男性と、その生徒の女性が結婚して、
京都から男性の故郷オーストラリアへ永住の為、
半年ぐらいかけて、中国、東南アジアをまわり、
オーストラリアを目指していました。
新婚旅行の、おアツイお二人の部屋に、いっしょに寝る〜。(笑)
でも、当時の大陸、当時の旅人は寛容で、何でもアリでしたね!2014年06月10日00時22分 返信する



