2010/10/01 - 2010/10/01
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旅人のくまさんさん
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古都京都の世界文化遺産の一つ、石庭で有名な龍安寺の紹介です。宝徳2年(1450年)、細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受けて建立したお寺が起源とされます。
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『大雲山・龍安寺全景』のタイトルがあった境内の案内図です。境内の周りも表示されていました。竜安寺を建立した細川勝元(1430~1473年)は、室町時代中期の武将で守護大名です。
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もう一つ、案内図を紹介します。こちらには、『世界遺産「古都京都の文化財」』のタイトルがありました。南に位置する池は、周囲が回遊式庭園になっている、『鏡容池(きょうようち)』です。
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イチオシ
先程の案内図にも表示されていた、『鏡容池(きょうようち)』の光景です。池を半ば覆った、睡蓮の花が咲いていました。石庭を見学する前に、最初に簡単な説明をしておきます。日本庭園史に燦然と輝く枯山水の庭が、竜安寺の『石庭』デス。方丈の前面に白砂を敷き、大小15の庭石を5群に分けて配置した、広さ100坪の小宇宙です。
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同じく、木陰から眺めた、『鏡容池(きょうようち)』の光景です。『石庭』の謎は、大きく分類すると次の五つになるようです。
① 石庭が創建された時期
② 石庭を設計した作者
③ 石庭の作成意図(テーマ)
④ 『五群十五石』の解釈。
⑤ 『秘密の構図』の解釈。 -
イチオシ
竜安寺の入口に向かう途中の参道光景です。石畳の両脇の竹垣が風情を醸します。先程の5つの謎の内、①と②は大きく関連しますから、代表的な説を最初に紹介します。
<細川勝元・義天玄詔説>
龍安寺を創建した、武将の細川勝元、あるいは創建開山の義天玄詔が、宝徳2年(1450年)に石庭を設計したとする説です。最も自然で、有力な説です。 -
『鏡容池(きょうようち)』に浮かぶ小舟の光景です。作者・時期の二つ目の説を紹介します。
<細川政元・特芳禅傑説>
勝元の嫡子・政元あるいは中興開山の特芳禅傑が、『応仁・文明の乱』が終わって龍安寺を再興した明応8年(1499年)に、石庭を設計したとする説です。細川家は代々、作庭の趣味を持ち、また、禅僧が立石僧を兼ねるのは、夢窓国師以来の習いとされます。 -
竜安寺の入口門が近付いてきたようです。作者・時期の三つ目の説です。
<金森宗和、あるいは小堀遠州説>
江戸時代初期の茶人の金森宗和(1584~1657年)、あるいは作庭家・建築家で大名の小堀遠州(1579~1647年)とする説です。最初の二つの説に比べますと、時代は150年以上下ります。 -
少し寄り道になりますが、<金森宗和>について少し補足しておきます。金森重近の号は『宗和』、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将で茶人です。飛騨高山藩主・金森可重の長男として誕生しましたが、大坂の陣で徳川方につく父・可重らを批判したことで廃嫡されました。大徳寺で禅を学び、剃髪しました。古田織部や小堀遠州の作風を取り入れながらも、柔らかく優美な茶風は、「姫宗和」と呼ばれました。
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<小堀遠州>についても少し寄り道します。「遠州」は武家官位の遠江守に由来する、後年の呼び名、本名は小堀政一(こぼり・まさかず)です。安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家で書家です。備中松山藩第2代藩主、のち近江小室藩初代藩主も務めました。遠州流茶道の祖で、数多くの名庭を残しました。
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まだ入口門には達していません。その途中の建物の光景です。『石庭』の作者・時期についてのその他の説です。
<相阿弥など、その他の説>
足利将軍家に仕えて諸芸能を司った絵師の相阿弥、二群七番石にその名を刻む山水河原者の小太郎と清二郎(または彦二郎)、画僧の雪舟を師とした子建寿寅、僧の鉄船宗煕などの説もあります。
<今後の見通し>
龍安寺は3度の大火に遭い、創建当時の設計資料やその後の改築資料が焼失してしまいました。今後も作者や時期を巡っての議論が続きそうです。 -
『歴史的風土特別保存地区』の文字が刻まれた石碑の光景です。『古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法(昭和41年1月・法第1号)に基づき指定された、『御室・衣笠』地区に含まれるようです。
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京都府名で建てられた『定』の看板です。お寺や神社、名勝地などで見かける禁止項目三か条です。最近は、喫煙・火気禁止が加わることも多いようです。
① 魚鳥を捕る事。
② 竹目を伐る事。
③ 荷車を通行する事。 -
『世界遺産・古都京都の文化財』のタイトルがあった、世界遺産の登録標識です。ユネスコマークが入っていました。京都市名の標識で、登録年月日や登録エリアなどが記されていました。
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石庭の謎解きの話に戻ります。①『石庭の作成意図(テーマ)、②『五群十五石』の解釈、③『秘密の構図』の解釈については、纏めて紹介します。数えきれないくらいの説がありますから、その内の10件に絞って紹介します。
① 「虎の子渡し」説
② 「七五三」説
③ 「七転び八起き」説
④ 「石隠し」説
⑤ 「カシオペア」説
⑥ 「五大・二大・三眼・二眼・三宝」説
⑦ 「黄金比」説
⑧ 「遠近法」説
⑨ 「豊臣秀吉石狩り」説
⑩ 「中心軸の法則」説 -
『石庭』と記した案内矢印が見えて来ました。先ほど紹介した12件の『石庭』のテーマ説の中から、特に有名なものを選んで紹介します。
*「虎の子渡し」説
最も知名度が高いとされる、虎が子を連れて川を渡る姿に見立てた「虎の子渡し」説です。延宝9年(1681年)に発行された歴史書、『東西歴覧記』が文献上の初見のようです。 -
鬱蒼とした木立の中の庭園光景です。苔庭の様相になって来ました。
*「七五三」説
十五の石は、東側から五石、二石、三石、二石、三石と、五つの群に分かれて並びます。このうち最初の五と二を足して七石、次の三と二を足して五石、最後をそのまま三石と数える説です。三つの群れに組分けの七五三です。 -
苔庭の木漏れ日光景です。
*「七転び八起き」説
東側から五石、二石、三石、二石、三石と並ぶ石のうち、最初の五と二を足して七石、次の三、二、三を足して八石と数え、『七転び八起き』に見立てる説です。 -
唐風の造りの出入口ですが、閉まっていました。唐風の造りの出入口ですが、閉まっていました。勅使門でした。
*「石隠し」説
石庭には十五の石が配置されています。これを方丈の縁側から眺めると、何個かの石は必ず手前の石に隠れてしまうため、『石隠しの庭』と呼ばれています。なかでも一番見えにくいのが、西端に位置する十五番石です。
*「石隠し」説
石庭には十五の石が配置されています。これを方丈の縁側から眺めると、何個かの石は必ず手前の石に隠れてしまうため、『石隠しの庭』と呼ばれています。なかでも一番見えにくいのが、西端に位置する十五番石です。 -
*「カシオペア」説
五つの石組を『星座カシオペヤ』、白砂を『天の川』に見立てる説です。カシオペアは五個の三等星β、α、γ、δ、εから構成され、北極星から見るとMの字、反対から見るとWの字を描きます。 -
*「五大・二大・三眼・二眼・三宝」説
石庭に並ぶ五石二石三石二石三石を、禅宗の『五大・二大・三眼・二眼・三宝』に見立てる説です。これは、『七大・五眼・三宝』から派生した説です。七大は『一切にあまねく満ちる七種の要素』、五眼は『認識の働きを眼になぞらえた五種の要素』、三宝は『仏と経典と僧を宝に例えた三種の要素』を言います。 -
*「中心軸の法則」説
京都工芸繊維大学のハルト・ヤコベス・バン・トンダ准教授はじめ、三人の研究者が石組の『中心軸』を発見、世界的な影響力を持つイギリスの科学雑誌『ネイチャー』に、2002年に発表し建説です。国内でも各新聞などが採り上げました。分かり易い解説を探してみましたが、まだ見つかりません。 -
右の石碑には、『史蹟・名勝・龍安寺方丈石庭』の文字が刻まれていました。左の立札は、『龍安寺』のタイトルがあった、京都市名の説明文です。
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左側にあった立札のズームアップ光景です。『龍安寺』のタイトルがあった説明立札でした。豊臣秀吉や徳川家の庇護を受け、最盛期には塔頭23を数えたと紹介されていました。
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薄いピンク色の花を咲かせた、『ハギ(萩)』のズームアップ光景です。マメ科ハギ属の落葉低木です。秋の七草の一つです。
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『龍安寺(りょうあんじ)石庭』の拝観入口に到着しました。その近くから振り返って眺めた石畳の参道光景です。
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枯山水の庭園として著名な、『龍安寺(りょうあんじ)石庭』の拝観入口の光景です。石庭は、方丈庭園とも呼ばれています。国の史跡及び特別名勝に指定されています。『方丈(ほうじょう)』は、1丈四方の面積を指します。1丈は10尺ですから、約3メートル、1方丈は、約3メートル四方になります。仏教には、文殊菩薩の故事から、方丈に全宇宙が内在するという考え方があります。また、鴨長明(1155~1216年)の鎌倉時代の随筆、『方丈記』の名前でも有名です。
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イチオシ
漢学者で篆刻家の寺西彭(1860~1945年)の『雲關(うんかん)』の書の衝立です。号は乾山、燕翁、紫芝山人、得応居士などです。尾張藩医青木頼山の次男として生まれ、美濃の瑞龍寺に参禅して仏学を修めました。明治15年(1882年)、寺西易堂(1826~1916年)に就いて漢学詩文を修め、寺西家を継ぎました。
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『雲關(うんかん)』の書のズームアップ光景です。『雲関(うんかん)』は禅語で、『雲門禅師の境地に至って、はじめて通過できる関』のことのようです。『石庭』の見学の前の戒めの言葉のように感じました。
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こちらも寺西乾山筆の屏風卯でした。末尾に乾山の落款がありました。乾山(けんざん)は、明治21年、妙心寺派中学林教師の嘱託以来、明治29年に妙心寺派普通学林教授に就任、明治44年に臨済宗大学教授を嘱せられ、昭和11年に教授、講師等の職を辞任するまで、およそ40余年間、妙心寺派の子弟の薫育に一生を捧げた人です。
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大雲山・龍安寺の玄関近くの広間の光景です。『石庭』が見学できる場所までは、室内での移動でした。衝立の書は、陶淵明が酒を詠んだ漢詩の一つです。『結廬在人境 而無車馬喧 問君何能爾 心遠地自偏 采菊東籬下 悠然見南山 山氣日夕佳 飛鳥相與還 此中有眞意 欲辨已忘言』
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