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17箇所の京都の世界文化遺産の一つ、宇治平等院鳳凰堂紹介の続きです。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ねていましたが、現在は特定の宗派に属さない仏教寺院です。

2010秋、平等院(4/5):十一重石塔、阿字池に架かる赤い橋、源頼政顕彰碑、最勝院本堂

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2010/11/20 - 2010/11/20

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旅行記グループ 2010年秋、京都散策

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旅人のくまさん

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17箇所の京都の世界文化遺産の一つ、宇治平等院鳳凰堂紹介の続きです。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ねていましたが、現在は特定の宗派に属さない仏教寺院です。

交通手段
新幹線 JRローカル

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  • 漢文で記された立派な石碑です。負う柄の方に見える大きな文字は、『源三位頼政卿顕彰之碑』らしい文字です。源頼政は、平安時代末期の武将で歌人です。平家の治世下、三位にまで叙されましたが、以仁王の挙兵で平氏に敗れ、宇治平等院の戦いで敗死しました。

    漢文で記された立派な石碑です。負う柄の方に見える大きな文字は、『源三位頼政卿顕彰之碑』らしい文字です。源頼政は、平安時代末期の武将で歌人です。平家の治世下、三位にまで叙されましたが、以仁王の挙兵で平氏に敗れ、宇治平等院の戦いで敗死しました。

  • 境内にあった小さな祠です。何が祀られているのかは、確認できませんでした。

    境内にあった小さな祠です。何が祀られているのかは、確認できませんでした。

  • 十一重の石塔です。平等院近くの宇治川の中州、宇治公園中の島に建つ『十三重石塔』は高さ約15メートル、現存する日本最大の最古の石塔とされます。こちらの石塔の謂れは確認できませんでした。

    イチオシ

    十一重の石塔です。平等院近くの宇治川の中州、宇治公園中の島に建つ『十三重石塔』は高さ約15メートル、現存する日本最大の最古の石塔とされます。こちらの石塔の謂れは確認できませんでした。

  • 十一重の石塔の上部のアップです。

    十一重の石塔の上部のアップです。

  • 『太敬庵通円之墓』の文字が刻まれた石碑です。初代通円は、源頼政の家臣で、武術に優れた古川右内という武士でした。晩年隠居をし、頼政の政の一字を賜って、『太敬庵通圓政久』と名乗り、宇治橋東詰に庵を結びました。

    『太敬庵通円之墓』の文字が刻まれた石碑です。初代通円は、源頼政の家臣で、武術に優れた古川右内という武士でした。晩年隠居をし、頼政の政の一字を賜って、『太敬庵通圓政久』と名乗り、宇治橋東詰に庵を結びました。

  • 台座の部分に、先祖代々の戒名が刻まれた墓です。石碑の大きな文字は『南無阿弥陀仏』と刻まれているようです。『太敬庵通円之墓』と隣り合っていました。

    台座の部分に、先祖代々の戒名が刻まれた墓です。石碑の大きな文字は『南無阿弥陀仏』と刻まれているようです。『太敬庵通円之墓』と隣り合っていました。

  • 十一重の石塔などが見える、境内の光景です。

    十一重の石塔などが見える、境内の光景です。

  • 平等院の建物に向かって架かる赤い橋です、静かな湖面に、その逆さの姿が写り込んでいました。平等院の周りを一回りしてきての撮影です。

    イチオシ

    平等院の建物に向かって架かる赤い橋です、静かな湖面に、その逆さの姿が写り込んでいました。平等院の周りを一回りしてきての撮影です。

  • 平等院の正面に向かって右手の建物の側面からのアップです。鳳凰堂は、中堂の鳳凰が有名ですが、建物全体も鳳凰が羽根を広げた姿にも見えます。この建物は、その一翼です。10円硬貨でその姿を見ることが出来ます。

    平等院の正面に向かって右手の建物の側面からのアップです。鳳凰堂は、中堂の鳳凰が有名ですが、建物全体も鳳凰が羽根を広げた姿にも見えます。この建物は、その一翼です。10円硬貨でその姿を見ることが出来ます。

  • 後方に一対の鳳凰が見える方角からの撮影です。逆光だったようです。シルエットになってしまいました。鳳凰が羽根を広げたと例えたのは俗説の方です。正式には、極楽を描いた浄土変相図の宮殿を模したものとされます。

    後方に一対の鳳凰が見える方角からの撮影です。逆光だったようです。シルエットになってしまいました。鳳凰が羽根を広げたと例えたのは俗説の方です。正式には、極楽を描いた浄土変相図の宮殿を模したものとされます。

  • 同じ建物を、斜めから見上げた光景です。白壁と、朱塗りの軒下です。木材部分はすべて彩色してありますから、防腐処理を兼ねているのでしょうか。

    同じ建物を、斜めから見上げた光景です。白壁と、朱塗りの軒下です。木材部分はすべて彩色してありますから、防腐処理を兼ねているのでしょうか。

  • 建物の下部部分のアップです。阿字池は鳳凰堂の東西に広がり、建物はその池を渡るように基礎が作られていました。

    建物の下部部分のアップです。阿字池は鳳凰堂の東西に広がり、建物はその池を渡るように基礎が作られていました。

  • 平等院の建物に入場して見学することも出来ます。その順番待ちの行列です。300円の別料金です。

    平等院の建物に入場して見学することも出来ます。その順番待ちの行列です。300円の別料金です。

  • 入場の時間が来て、赤い橋を渡っていく見学者の皆さん方です。入場しての見学は止めにしました。池に橋を渡る人の姿が写り込んでいます。

    入場の時間が来て、赤い橋を渡っていく見学者の皆さん方です。入場しての見学は止めにしました。池に橋を渡る人の姿が写り込んでいます。

  • 側面から眺めた鳳凰堂の光景です。長い廂は建築技術の優秀さを示すとされます。この長い廂の効果で、基礎部分を覆うだけでなく、雨だれが直接池に堕ちるように建設されたようです。

    側面から眺めた鳳凰堂の光景です。長い廂は建築技術の優秀さを示すとされます。この長い廂の効果で、基礎部分を覆うだけでなく、雨だれが直接池に堕ちるように建設されたようです。

  • 阿字池の話題です。発掘調査でサルスベリの花粉が見付かりましたが、泥の中から、椿の種子も平成9年(1997年)に見付かりました。この種子は奇跡的に発芽し、『室町椿』として花が紹介されました。600年の時を経ての開花でした。

    阿字池の話題です。発掘調査でサルスベリの花粉が見付かりましたが、泥の中から、椿の種子も平成9年(1997年)に見付かりました。この種子は奇跡的に発芽し、『室町椿』として花が紹介されました。600年の時を経ての開花でした。

  • 阿字池越しに眺めた、鳳凰堂の中堂から西側に伸びる建物です。唐風の窓が2つ並んで、池に姿を映していました。

    阿字池越しに眺めた、鳳凰堂の中堂から西側に伸びる建物です。唐風の窓が2つ並んで、池に姿を映していました。

  • 平等院の建物を少しだけ右に入れての、周りの紅葉の光景です。常緑樹が一番多く、黄葉の木の姿も見えました。

    平等院の建物を少しだけ右に入れての、周りの紅葉の光景です。常緑樹が一番多く、黄葉の木の姿も見えました。

  • 平等院の建物を取り囲む阿字池の周りの紅葉です。平等院は、相次ぐ戦火により、長く廃れていた時代もあったようです。今は、世界遺産の建物も庭園の庭樹も見事です。

    平等院の建物を取り囲む阿字池の周りの紅葉です。平等院は、相次ぐ戦火により、長く廃れていた時代もあったようです。今は、世界遺産の建物も庭園の庭樹も見事です。

  • 紅葉した木々のアップです。

    紅葉した木々のアップです。

  • 平等院鳳凰堂に向かって伸びた赤い橋です。建物周囲の発掘調査を踏まえて、慎重に再現された橋のようです。古文書の絵図なども参考にされたかも知れません。

    平等院鳳凰堂に向かって伸びた赤い橋です。建物周囲の発掘調査を踏まえて、慎重に再現された橋のようです。古文書の絵図なども参考にされたかも知れません。

  • 古代のロマンを掻き立てる阿字池の池面のアップです。岸辺の丸く刈り込まれた植木の上には、紅葉の葉が降り注いでいました。

    古代のロマンを掻き立てる阿字池の池面のアップです。岸辺の丸く刈り込まれた植木の上には、紅葉の葉が降り注いでいました。

  • 鳳凰堂の建物光景です。すく面から眺めた姿も堂々としています。

    鳳凰堂の建物光景です。すく面から眺めた姿も堂々としています。

  • 屋根が重なり合うように見える方角からの撮影です。北東側からの撮影になります。平等院の起源は、9世紀後半に造られた源融(みなもととおる)の別荘とされます。藤原道長が長徳4年(998年)に譲り受け、その子藤原頼通が受け継ぎ、宇治殿と称されました。源融は、源氏物語の光源氏のモデルともされます。

    イチオシ

    屋根が重なり合うように見える方角からの撮影です。北東側からの撮影になります。平等院の起源は、9世紀後半に造られた源融(みなもととおる)の別荘とされます。藤原道長が長徳4年(998年)に譲り受け、その子藤原頼通が受け継ぎ、宇治殿と称されました。源融は、源氏物語の光源氏のモデルともされます。

  • ここからは、場所を代わって、鳳凰堂の近くにあった最勝院の境内からの眺めです。最勝院は、平等院塔頭の二箇寺の一つで、天台宗寺門派聖護院末です。

    ここからは、場所を代わって、鳳凰堂の近くにあった最勝院の境内からの眺めです。最勝院は、平等院塔頭の二箇寺の一つで、天台宗寺門派聖護院末です。

  • 支柱を使って、まるで能舞台で使われる鬘のように仕立てられた萩です。その萩が黄葉を迎えていました。

    支柱を使って、まるで能舞台で使われる鬘のように仕立てられた萩です。その萩が黄葉を迎えていました。

  • 最勝院の檜皮葺の屋根のアップです。唐風の造りになった玄関口です。檜皮葺の屋根の下に見える透かし彫りも凝っています。この藤の花の透板彫が施された欄間は、伏見城から移築されたものと伝えられています。

    最勝院の檜皮葺の屋根のアップです。唐風の造りになった玄関口です。檜皮葺の屋根の下に見える透かし彫りも凝っています。この藤の花の透板彫が施された欄間は、伏見城から移築されたものと伝えられています。

  • 最勝院の本堂の建物光景です。境内には、1180年5月の治承の乱における宇治での戦いで平家に敗れ、平等院で自害した源頼政のお墓があります。頼政の命日に当たる5月26日には『頼政忌』が執り行われています。

    最勝院の本堂の建物光景です。境内には、1180年5月の治承の乱における宇治での戦いで平家に敗れ、平等院で自害した源頼政のお墓があります。頼政の命日に当たる5月26日には『頼政忌』が執り行われています。

  • 藤棚の光景です。藤が満開の頃にも訪れて見たいものです。

    藤棚の光景です。藤が満開の頃にも訪れて見たいものです。

  • 藤棚から透かして眺めた平等院方面の光景です。

    藤棚から透かして眺めた平等院方面の光景です。

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