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古都・京都の世界文化遺産、下鴨神社の紹介の続きです。

2010秋、下鴨神社(3/5):境内、幣殿、三つ葉葵紋、舞殿、糺の森、祭祀遺跡、奈良の小川

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2010/10/01 - 2010/10/01

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旅行記グループ 2010年秋、京都散策

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旅人のくまさん

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古都・京都の世界文化遺産、下鴨神社の紹介の続きです。

交通手段
高速・路線バス 新幹線

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  • 『輪橋(そりばし)』をバックに、『光琳の梅』の枝先をアップしましたが、中途半端な写真になってしまいました。

    『輪橋(そりばし)』をバックに、『光琳の梅』の枝先をアップしましたが、中途半端な写真になってしまいました。

  • 下鴨神社の境内光景です。正面奥に見えるのが『舞殿(まいどの)』、左端が『橋殿(はしどの)』、右が中門だったようです。

    下鴨神社の境内光景です。正面奥に見えるのが『舞殿(まいどの)』、左端が『橋殿(はしどの)』、右が中門だったようです。

  • 桧皮葺らしい屋根の上から頭を出した、薄っすらと黄葉が始まった公孫樹の樹の光景です。

    桧皮葺らしい屋根の上から頭を出した、薄っすらと黄葉が始まった公孫樹の樹の光景です。

  • 金色の三つ葉葵の御紋のズームアップ光景です。もともと、賀茂神社の氏子であった『三河三豪族』と呼ばれる松平、本多、伊奈氏などが、賀茂神社の神紋である葵を家紋として使用していました。徳川家康は、その松平の支族ですから、賀茂神社に三つ葉葵の紋があってもおかしくないのかも知れません。

    金色の三つ葉葵の御紋のズームアップ光景です。もともと、賀茂神社の氏子であった『三河三豪族』と呼ばれる松平、本多、伊奈氏などが、賀茂神社の神紋である葵を家紋として使用していました。徳川家康は、その松平の支族ですから、賀茂神社に三つ葉葵の紋があってもおかしくないのかも知れません。

  • 天井の飾り金具のズームアップ光景です。蔓草風に図案化された葵の紋様でした。

    天井の飾り金具のズームアップ光景です。蔓草風に図案化された葵の紋様でした。

  • 国の重要文化財の建物、『幣殿(幣殿)』の軒先光景です。

    国の重要文化財の建物、『幣殿(幣殿)』の軒先光景です。

  • 風流な雪洞のような照明器具があった建物入口付近の光景です。

    風流な雪洞のような照明器具があった建物入口付近の光景です。

  • 『幣殿(へいでん)』の入口光景だったようです。この先に本殿があるようですが、写真撮影はここまでです。幣殿は一般の神社の拝殿に相当する場所とされます。

    イチオシ

    『幣殿(へいでん)』の入口光景だったようです。この先に本殿があるようですが、写真撮影はここまでです。幣殿は一般の神社の拝殿に相当する場所とされます。

  • フタバアオイと共に描かれた、干支の虎の絵です。葵紋は、家康が将軍となった時、その葵の家紋を権威の象徴とするため、徳川御三家などの一門だけの独占使用権を決め、他の家の葵紋は、別のデザインに変えさせました。享保8年(1723年)2月25日には、葵の紋をデザインした品物の販売を禁止する法令も出されました。

    フタバアオイと共に描かれた、干支の虎の絵です。葵紋は、家康が将軍となった時、その葵の家紋を権威の象徴とするため、徳川御三家などの一門だけの独占使用権を決め、他の家の葵紋は、別のデザインに変えさせました。享保8年(1723年)2月25日には、葵の紋をデザインした品物の販売を禁止する法令も出されました。

  • 檜皮葺の屋根の『舞殿(まいどの)』の建物光景です。北側から眺めた光景です。建物の先に見えるのは楼門です。

    イチオシ

    檜皮葺の屋根の『舞殿(まいどの)』の建物光景です。北側から眺めた光景です。建物の先に見えるのは楼門です。

  • 『橋殿(はしどの)』の建物光景です。団体客がやって来たところでした。左奥に見えるのが『細殿(ほそどの)』です。

    『橋殿(はしどの)』の建物光景です。団体客がやって来たところでした。左奥に見えるのが『細殿(ほそどの)』です。

  • 『舞殿(まいどの)』の破風のズームアップ光景です。北側からの光景です。

    『舞殿(まいどの)』の破風のズームアップ光景です。北側からの光景です。

  • 同じく、『舞殿(まいどの)』の建物のズームアップ光景です。破風の飾りは、葵の葉を図案化したもののようです。

    同じく、『舞殿(まいどの)』の建物のズームアップ光景です。破風の飾りは、葵の葉を図案化したもののようです。

  • 第33回式年遷宮の立札です。左から高松宮喜久子妃殿下をはじめ、すべて皇族方の名前でした。下鴨神社の式年遷宮は、21年に1度、社殿を修復し、御装束や御神宝を新調して、御神体を新宮に遷す祭事です。第33回式年遷宮は、平成6年(1994年)に行われました。

    第33回式年遷宮の立札です。左から高松宮喜久子妃殿下をはじめ、すべて皇族方の名前でした。下鴨神社の式年遷宮は、21年に1度、社殿を修復し、御装束や御神宝を新調して、御神体を新宮に遷す祭事です。第33回式年遷宮は、平成6年(1994年)に行われました。

  • 『昭和27年式年遷宮・世界文化遺産賀茂御祖神社』のタイトルがあった案内看板です。写真には、普段目にすることができない国宝の西本殿と東本殿が紹介されていました。

    『昭和27年式年遷宮・世界文化遺産賀茂御祖神社』のタイトルがあった案内看板です。写真には、普段目にすることができない国宝の西本殿と東本殿が紹介されていました。

  • 『賀茂御祖神社由緒記』のタイトルがあった立て看板です。足元にライオンズクラブからの寄贈であることが記されていました。御祭神から始まる基本事項や、神社の主な歴史が箇条書きされていました。

    『賀茂御祖神社由緒記』のタイトルがあった立て看板です。足元にライオンズクラブからの寄贈であることが記されていました。御祭神から始まる基本事項や、神社の主な歴史が箇条書きされていました。

  • 鉢植えで販売されていた、原種の『フジバカマ(藤袴)』です。キク科の植物で、秋の七草の一つです。万葉の時代から日本人に親しまれてきた植物です。

    鉢植えで販売されていた、原種の『フジバカマ(藤袴)』です。キク科の植物で、秋の七草の一つです。万葉の時代から日本人に親しまれてきた植物です。

  • 萩(はぎ)の花です。こちらも秋の七草の一つです。萩(はぎ)は、マメ科ハギ属の植物の総称です。

    萩(はぎ)の花です。こちらも秋の七草の一つです。萩(はぎ)は、マメ科ハギ属の植物の総称です。

  • まだ新しい造りの、『祭祀遺構』の案内標識です。

    まだ新しい造りの、『祭祀遺構』の案内標識です。

  • 『糺の森』の中に発掘、復元された祭祀遺跡の光景です。説明看板も立っていました。

    『糺の森』の中に発掘、復元された祭祀遺跡の光景です。説明看板も立っていました。

  • 『世界文化遺産・賀茂御祖神社境内・糺の森の祭祀遺構復元』のタイトルがあった説明看板です。平成13年(2001年)から始まった発掘調査で見つかった、12世紀後半の平安時代後期に造営された祭壇遺構『祭祀1〜7』の紹介です。

    『世界文化遺産・賀茂御祖神社境内・糺の森の祭祀遺構復元』のタイトルがあった説明看板です。平成13年(2001年)から始まった発掘調査で見つかった、12世紀後半の平安時代後期に造営された祭壇遺構『祭祀1〜7』の紹介です。

  • 『糺の森』の中に発掘、復元された祭祀遺跡のアップ光景です。木枠で囲われた中に、人為的に配置された石などが見つかったようです。

    『糺の森』の中に発掘、復元された祭祀遺跡のアップ光景です。木枠で囲われた中に、人為的に配置された石などが見つかったようです。

  • 同じく、『糺の森』の中に発掘、復元された祭祀遺跡のアップ光景です。変則的な範囲が木枠で囲われていました。

    同じく、『糺の森』の中に発掘、復元された祭祀遺跡のアップ光景です。変則的な範囲が木枠で囲われていました。

  • 『末社・祓社』のタイトルがあった立看板です。『祓社(はらいしゃ)』は、古代から鴨神道と称する独自の思想信仰を伝えていることや、旅行、交通安全や厄よけの守護神であることなどが紹介されていました。ご祭神は、『祓戸大神(はらへどのおおかみ)』等です。

    『末社・祓社』のタイトルがあった立看板です。『祓社(はらいしゃ)』は、古代から鴨神道と称する独自の思想信仰を伝えていることや、旅行、交通安全や厄よけの守護神であることなどが紹介されていました。ご祭神は、『祓戸大神(はらへどのおおかみ)』等です。

  • 『祓社(はらいしゃ)』の前にある駐車スペースです。車のお祓いの時に使われるものです。

    『祓社(はらいしゃ)』の前にある駐車スペースです。車のお祓いの時に使われるものです。

  • 表参道の西側を流れる『瀬見の小川』の光景です。表参道の東側には、並行して『泉川』が流れています。

    イチオシ

    表参道の西側を流れる『瀬見の小川』の光景です。表参道の東側には、並行して『泉川』が流れています。

  • 『賀茂御祖神社』の世界文化遺産登録の記念標識です。『古都京都の文化財』として平成6年(1994年)に登録された17件の内の一つです。

    『賀茂御祖神社』の世界文化遺産登録の記念標識です。『古都京都の文化財』として平成6年(1994年)に登録された17件の内の一つです。

  • 『史跡・賀茂御祖神社境内』の題字があった立看板です。指定は昭和58年(1983年)3月です。『糺の森』を含む広い範囲が国の史跡に指定されています。

    『史跡・賀茂御祖神社境内』の題字があった立看板です。指定は昭和58年(1983年)3月です。『糺の森』を含む広い範囲が国の史跡に指定されています。

  • 『史跡・賀茂御祖神社境内』の文字が刻まれた石碑です。先ほどの立て看板と同じ、昭和58年(1983年)3月の日付が側面に刻まれていました。

    『史跡・賀茂御祖神社境内』の文字が刻まれた石碑です。先ほどの立て看板と同じ、昭和58年(1983年)3月の日付が側面に刻まれていました。

  • 『復元された古(いにしえ)の小川「ならのおがわ」』のタイトルがあった、まだ新しい立看板です。発掘調査によって見つかった、古代の流れのルート60メートルほどの紹介です。平安から鎌倉期の頃の下鴨神社の様子を伝える、『鴨社古図』に描かれた小川の一部です。

    『復元された古(いにしえ)の小川「ならのおがわ」』のタイトルがあった、まだ新しい立看板です。発掘調査によって見つかった、古代の流れのルート60メートルほどの紹介です。平安から鎌倉期の頃の下鴨神社の様子を伝える、『鴨社古図』に描かれた小川の一部です。

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