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静岡市美術館で開催されている「わたしたちのルノワールー日本が愛した、幸せの画家」に行ってきました。<br />同館HPより~<br />フランス印象派を代表する画家・ピエール?オーギュスト・ルノワール(1841?1919)。幸福な雰囲気に満ちた作風が日本でよく知られ、最も愛されている画家の一人です。わが国でルノワールが親しまれる理由は、今日多くの美術館でその作品を直接観ることができるからともいえるでしょう。本展では、日本国内に所蔵されているルノワールの作品39点を、梅原龍三郎(1888?1986)や山下新太郎(1881?1966)ら彼を敬愛した日本近代洋画家の作品や、モネやセザンヌといったフランス近代美術の巨匠たちの作品と共に紹介、あわせて約80点を展示します。<br />なお、展覧会は4章からなっていますが、3・4章のほとんどの作品は写真撮影OKでした。なお、撮影NGのうち所蔵美術館や他展覧会で撮影したもの。静岡会場では出展されていないものの他会場で見ることができるものは※を付けアップしておきました。

2026.9 わたしたちのルノワールー日本が愛した、幸せの画家

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2026/09/26 - 2026/09/26

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静岡市美術館で開催されている「わたしたちのルノワールー日本が愛した、幸せの画家」に行ってきました。
同館HPより~
フランス印象派を代表する画家・ピエール?オーギュスト・ルノワール(1841?1919)。幸福な雰囲気に満ちた作風が日本でよく知られ、最も愛されている画家の一人です。わが国でルノワールが親しまれる理由は、今日多くの美術館でその作品を直接観ることができるからともいえるでしょう。本展では、日本国内に所蔵されているルノワールの作品39点を、梅原龍三郎(1888?1986)や山下新太郎(1881?1966)ら彼を敬愛した日本近代洋画家の作品や、モネやセザンヌといったフランス近代美術の巨匠たちの作品と共に紹介、あわせて約80点を展示します。
なお、展覧会は4章からなっていますが、3・4章のほとんどの作品は写真撮影OKでした。なお、撮影NGのうち所蔵美術館や他展覧会で撮影したもの。静岡会場では出展されていないものの他会場で見ることができるものは※を付けアップしておきました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス JRローカル
  • 1.ルノワールとの出会い<br />ピエール=オーギュスト・ルノワール「水浴の女」1907年頃 アーティゾン美術館<br />二科会および一水会創立者のひとり山下新太郎は、ルノワールの影響を受けていますが、この作品は山下がルノワールから直接買い求めたものです。山下は、日本にあるルノワール作品としては最高のものと評価した作品です。<br />※本展での撮影ではありません。

    イチオシ

    1.ルノワールとの出会い
    ピエール=オーギュスト・ルノワール「水浴の女」1907年頃 アーティゾン美術館
    二科会および一水会創立者のひとり山下新太郎は、ルノワールの影響を受けていますが、この作品は山下がルノワールから直接買い求めたものです。山下は、日本にあるルノワール作品としては最高のものと評価した作品です。
    ※本展での撮影ではありません。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「すわる水浴の女」1914年 アーティゾン美術館<br />本作は1919(大正8)年に日本の実業家コレクター岸本吉左衛門がパリのベルネーム=ジュネ画廊から購入したもの。<br />※本作は静岡会場には出展されていません。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「すわる水浴の女」1914年 アーティゾン美術館
    本作は1919(大正8)年に日本の実業家コレクター岸本吉左衛門がパリのベルネーム=ジュネ画廊から購入したもの。
    ※本作は静岡会場には出展されていません。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「木かげ 」1880年 国立西洋美術館<br />モネやシスレー、ピサロなどの他の印象派の画家たちに比べ、人物を好んで描いたルノワールには、風景画は決して多くはないですが、筆触分割によって明るい外光を捉えようという試みは、いくつかの優れた風景画を生みだしました。ここでは、点描にも似た細かな筆触で、林の緑と大気の存在が、見事に表現されています。<br />※本展での撮影ではありません。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「木かげ 」1880年 国立西洋美術館
    モネやシスレー、ピサロなどの他の印象派の画家たちに比べ、人物を好んで描いたルノワールには、風景画は決して多くはないですが、筆触分割によって明るい外光を捉えようという試みは、いくつかの優れた風景画を生みだしました。ここでは、点描にも似た細かな筆触で、林の緑と大気の存在が、見事に表現されています。
    ※本展での撮影ではありません。

    国立西洋美術館 美術館・博物館

  • 2.ルノワールと日本の洋画家たち<br />梅原龍三郎「若き羅馬人」1909年 愛知県美術館<br />梅原龍三郎がフランス留学中に描いた初期の人物画。<br />※本展での撮影ではありません。

    2.ルノワールと日本の洋画家たち
    梅原龍三郎「若き羅馬人」1909年 愛知県美術館
    梅原龍三郎がフランス留学中に描いた初期の人物画。
    ※本展での撮影ではありません。

    愛知県美術館 美術館・博物館

  • 梅原龍三郎「黄金の首飾り」1913年 東京国立近代美術館<br />1913年に制作された裸婦画の代表作です。この作品は、師であるルノワールから受け継いだ豊満な女性像の表現と、梅原独自の鮮やかな色彩感覚が結実しています。モデルの柔らかな肌の質感は、温かみのある色彩と巧みな筆触によって見事に表現されています。タイトルの通り、女性の首にかけられた黄金の首飾りが画面のアクセントとなり、作品に華やかさを加えています。<br />※本展での撮影ではありません。

    梅原龍三郎「黄金の首飾り」1913年 東京国立近代美術館
    1913年に制作された裸婦画の代表作です。この作品は、師であるルノワールから受け継いだ豊満な女性像の表現と、梅原独自の鮮やかな色彩感覚が結実しています。モデルの柔らかな肌の質感は、温かみのある色彩と巧みな筆触によって見事に表現されています。タイトルの通り、女性の首にかけられた黄金の首飾りが画面のアクセントとなり、作品に華やかさを加えています。
    ※本展での撮影ではありません。

  • 梅原龍三郎「ナルシス」1913年<br />本作は留学中の1912年イタリア旅行で目にしたポンペイの壁画から着想を得て描かれた作品です。<br />※本展での撮影ではありません。

    梅原龍三郎「ナルシス」1913年
    本作は留学中の1912年イタリア旅行で目にしたポンペイの壁画から着想を得て描かれた作品です。
    ※本展での撮影ではありません。

  • 山下新太郎「白耳義の少女」1909年 愛知県美術館<br />山下がパリ滞在中に描かれた人物画。<br />※本展での撮影ではありません。

    山下新太郎「白耳義の少女」1909年 愛知県美術館
    山下がパリ滞在中に描かれた人物画。
    ※本展での撮影ではありません。

  • 山下新太郎「靴の女」1910年 東京国立近代美術館<br />山下新太郎は1909(明治42)年、梅原龍三郎や有島生馬とともにフランスでルノワールを訪ね、その柔らかな色彩表現に強い感銘を受けた直後に制作された作品。<br />※本展での撮影ではありません。

    山下新太郎「靴の女」1910年 東京国立近代美術館
    山下新太郎は1909(明治42)年、梅原龍三郎や有島生馬とともにフランスでルノワールを訪ね、その柔らかな色彩表現に強い感銘を受けた直後に制作された作品。
    ※本展での撮影ではありません。

    東京国立近代美術館 美術館・博物館

  • 山下新太郎 「供物」1915年 アーティゾン美術館<br />モデルは作者の妻・誉花。山下が留学晩期にフランスで感銘を受けたルノワールの影響が強くうかがえる作品。<br />※本展での撮影ではありません。

    山下新太郎 「供物」1915年 アーティゾン美術館
    モデルは作者の妻・誉花。山下が留学晩期にフランスで感銘を受けたルノワールの影響が強くうかがえる作品。
    ※本展での撮影ではありません。

    アーティゾン美術館 美術館・博物館

  • 満谷国四郎「樹下裸婦」1921年 ポーラ美術館<br />樹下美人図は《鳥毛立女屏風》(正倉院)に代表される日本の伝統的なテーマであり、近代になってもよく描かれました。テーマは伝統的ですが、この作品の描法は新しい試みに満ちており、それは形のとらえ方に表われています。やわらかな丸みを帯びた裸婦の身体の肌色と布の白、地面の褐色や緑のコントラストなど、色と色を並べることによって物の境界が明らかにされています。このような単純化や平面化はときに「装飾的」と呼ばれる、新しい表現でした。<br />※本展での撮影ではありません。

    満谷国四郎「樹下裸婦」1921年 ポーラ美術館
    樹下美人図は《鳥毛立女屏風》(正倉院)に代表される日本の伝統的なテーマであり、近代になってもよく描かれました。テーマは伝統的ですが、この作品の描法は新しい試みに満ちており、それは形のとらえ方に表われています。やわらかな丸みを帯びた裸婦の身体の肌色と布の白、地面の褐色や緑のコントラストなど、色と色を並べることによって物の境界が明らかにされています。このような単純化や平面化はときに「装飾的」と呼ばれる、新しい表現でした。
    ※本展での撮影ではありません。

  • 中村 彝「裸体」大正 5(1916)年 茨城県近代美術館<br />大正5年、新築した下落合のアトリエに引っ越した8日後から、中村彝がこの作品の制作に取りかかったということから、この時期の彝は、新しい場を得て制作意欲に溢れていたことがうかがえます。モデルは親友の彫刻家中原悌二郎が使っていたお島という女性です。彝は彼女について、「頗る天真で、健康で、所謂『ワ゛イタルフォース』(生命力)が強くて気持ちいいが、甚だ下品なので弱って居ります。然しその肉の弾力的丸みや、光沢の魅力には確実なものがある」と友人の伊藤隆三郎に手紙を送っています。<br />※本展での撮影ではありません。

    中村 彝「裸体」大正 5(1916)年 茨城県近代美術館
    大正5年、新築した下落合のアトリエに引っ越した8日後から、中村彝がこの作品の制作に取りかかったということから、この時期の彝は、新しい場を得て制作意欲に溢れていたことがうかがえます。モデルは親友の彫刻家中原悌二郎が使っていたお島という女性です。彝は彼女について、「頗る天真で、健康で、所謂『ワ゛イタルフォース』(生命力)が強くて気持ちいいが、甚だ下品なので弱って居ります。然しその肉の弾力的丸みや、光沢の魅力には確実なものがある」と友人の伊藤隆三郎に手紙を送っています。
    ※本展での撮影ではありません。

    茨城県近代美術館 美術館・博物館

  • 中村彝「田中館博士の肖像」1916年 東京国立近代美術館<br />新宿中村屋の相馬愛蔵・黒光夫妻を中心に中原悌二郎や柳敬助らと過ごした所謂「中村屋時代」が夫妻の娘俊子を巡る激しい葛藤に終わり、下落合へアトリ工を移したのが大正5年。同年の第10回文展で特選第一席となった作品です。航空工学の権威であった田中館愛橘博士の肖像を頼まれた彝は、ガウン姿の博士が自宅の一室で研究に耽る様子を描きました。柔らかな室内の光につつまれた画面はルノワールの筆触と色彩の暖かみを感じさせ、博士の息づかいやぬくもりが伝わってくるようです。丁寧に筆を重ね、豊かな感触と奥行きを生み出しています。<br />※本展での撮影ではありません。

    中村彝「田中館博士の肖像」1916年 東京国立近代美術館
    新宿中村屋の相馬愛蔵・黒光夫妻を中心に中原悌二郎や柳敬助らと過ごした所謂「中村屋時代」が夫妻の娘俊子を巡る激しい葛藤に終わり、下落合へアトリ工を移したのが大正5年。同年の第10回文展で特選第一席となった作品です。航空工学の権威であった田中館愛橘博士の肖像を頼まれた彝は、ガウン姿の博士が自宅の一室で研究に耽る様子を描きました。柔らかな室内の光につつまれた画面はルノワールの筆触と色彩の暖かみを感じさせ、博士の息づかいやぬくもりが伝わってくるようです。丁寧に筆を重ね、豊かな感触と奥行きを生み出しています。
    ※本展での撮影ではありません。

    東京国立近代美術館 美術館・博物館

  • 中村彝「エロシェンコ氏の像」1920年 東京国立近代美術館<br />この作品のモデルとなっているのは盲目のロシア人青年エロシェンコです。彼は、魯迅の短編にも登場するエスペランティストの詩人で、日本には1914年から7年間ほど滞在して創作童話を書き、一時新宿中村屋に身を寄せていました。当時彝が強く傾倒していたルノワールの作風を思わせる柔らかい筆致が特徴的で、すべてが穏やかな光につつまれながらモデルの人間性を余すところなく伝えています。<br />※本作は静岡会場には出展されていません。<br />

    中村彝「エロシェンコ氏の像」1920年 東京国立近代美術館
    この作品のモデルとなっているのは盲目のロシア人青年エロシェンコです。彼は、魯迅の短編にも登場するエスペランティストの詩人で、日本には1914年から7年間ほど滞在して創作童話を書き、一時新宿中村屋に身を寄せていました。当時彝が強く傾倒していたルノワールの作風を思わせる柔らかい筆致が特徴的で、すべてが穏やかな光につつまれながらモデルの人間性を余すところなく伝えています。
    ※本作は静岡会場には出展されていません。

  • 3.印象派の時代<br />カミーユ・ピサロ「春、朝、曇り、エラニー」1900年 東京富士美術館<br />晩年のピサロの制作拠点となったのは、1884年から移り住んでいたエラニー=シュル=エプトの家で、彼は林檎の果樹園に続く庭の納屋を改造したアトリエで、1903年の死の年まで制作を続けました。

    3.印象派の時代
    カミーユ・ピサロ「春、朝、曇り、エラニー」1900年 東京富士美術館
    晩年のピサロの制作拠点となったのは、1884年から移り住んでいたエラニー=シュル=エプトの家で、彼は林檎の果樹園に続く庭の納屋を改造したアトリエで、1903年の死の年まで制作を続けました。

    東京富士美術館 美術館・博物館

  • カミーユ・ピサロ「秋、朝、曇り、エラニー」1900年 東京富士美術館<br /> この年、エラニーで描かれた風景は春の絵が5点、秋の絵が4点ありますが、この中の春と秋の1点ずつが東京富士美術館に所蔵されています。

    カミーユ・ピサロ「秋、朝、曇り、エラニー」1900年 東京富士美術館
    この年、エラニーで描かれた風景は春の絵が5点、秋の絵が4点ありますが、この中の春と秋の1点ずつが東京富士美術館に所蔵されています。

  • アルフレッド・シスレー「牧草地の牛、ルーヴシエンヌ」1874年<br />ルーヴシエンヌはパリの西郊約25キロの静かな村で、以前はのどかな風景が広がり、風景画を描くには絶好の場所でした。おそらく最も早くここを訪れた印象派の画家はピサロで、1868年秋にポントワーズからルーヴシエンヌに移り、普仏戦争が始まる1870年までと、その後の1871~72年の間ここに住みました。

    アルフレッド・シスレー「牧草地の牛、ルーヴシエンヌ」1874年
    ルーヴシエンヌはパリの西郊約25キロの静かな村で、以前はのどかな風景が広がり、風景画を描くには絶好の場所でした。おそらく最も早くここを訪れた印象派の画家はピサロで、1868年秋にポントワーズからルーヴシエンヌに移り、普仏戦争が始まる1870年までと、その後の1871~72年の間ここに住みました。

  • アルフレッド・シスレー「サン・マメスのロワン河畔の風景」1881年 鹿児島市立美術館<br />1839年、フランス生まれのイギリス人である印象派アルフレッド・シスレー。穏やかな作品を好んだ彼は、作品の大部分をパリ周辺の風景を題材にして描きました。この作品は、ロワン川周辺に住んでいた頃に描いた作品。<br />

    アルフレッド・シスレー「サン・マメスのロワン河畔の風景」1881年 鹿児島市立美術館
    1839年、フランス生まれのイギリス人である印象派アルフレッド・シスレー。穏やかな作品を好んだ彼は、作品の大部分をパリ周辺の風景を題材にして描きました。この作品は、ロワン川周辺に住んでいた頃に描いた作品。

    鹿児島市立美術館 美術館・博物館

  • アルフレッド・シスレー「積み藁」1895年 公益財団法人諸橋近代美術館<br />1889年、フランスの小さな村であるモレ=シュル=ロワンに移り住んだシスレーは、その生涯を終えるまでの約10年を風光明媚なこの地で過ごしながら風景画を描き続けました。初期には暗い色彩を使って風景画を描いていたシスレーでしたが、徐々に明るい色彩を使って爽やかな青空や清澄な光の表現が成され、本作でもその傾向がうかがえます。

    アルフレッド・シスレー「積み藁」1895年 公益財団法人諸橋近代美術館
    1889年、フランスの小さな村であるモレ=シュル=ロワンに移り住んだシスレーは、その生涯を終えるまでの約10年を風光明媚なこの地で過ごしながら風景画を描き続けました。初期には暗い色彩を使って風景画を描いていたシスレーでしたが、徐々に明るい色彩を使って爽やかな青空や清澄な光の表現が成され、本作でもその傾向がうかがえます。

    諸橋近代美術館 美術館・博物館

  • クロード・モネ「橋から見たアルジャントゥイユの泊地」1874年 三重県立美術館<br />普仏戦争の混乱を避け欧州に居を転々としたモネは、1871年の暮れに祖国に戻るや、パリ近郊のアリジャントゥイユを制作の地と定めました。プティ・ジュヌヴィリエの入り江は毎夏週末に開かれるヨットレースで賑わっていました。沈み行く夕日はまだ名残惜しい気な空の青さを染め、夜の装いを急がせます。水面に反射する短い夏の黄金の光は、さながら繻子織りのごとき輝きを見せました。

    クロード・モネ「橋から見たアルジャントゥイユの泊地」1874年 三重県立美術館
    普仏戦争の混乱を避け欧州に居を転々としたモネは、1871年の暮れに祖国に戻るや、パリ近郊のアリジャントゥイユを制作の地と定めました。プティ・ジュヌヴィリエの入り江は毎夏週末に開かれるヨットレースで賑わっていました。沈み行く夕日はまだ名残惜しい気な空の青さを染め、夜の装いを急がせます。水面に反射する短い夏の黄金の光は、さながら繻子織りのごとき輝きを見せました。

    三重県立美術館 美術館・博物館

  • クロード・モネ「海辺の船」1881年 東京富士美術館<br />1880年代の初めにモネは、ある転機を迎えていました。1879年、妻を失い、翌80年にはサロン出品をめぐってドガと対立、印象派展への出品をとりやめました。本作が描かれた81年も参加を断っています。そうした時期にモネを引き寄せたのは、幼い頃から親しんだノルマンディーの海でした。本作はこの年の春、滞在したフェカンで描かれたもの。心の暗雲を吹き払うかのような陽光満ちわたる空と、岸に乗り上げた帆船の黒いシルエット。ノルマンディーの明るい空と海はモネの画興を誘い、翌年のプールヴィルの連作へと続いてゆきます。

    クロード・モネ「海辺の船」1881年 東京富士美術館
    1880年代の初めにモネは、ある転機を迎えていました。1879年、妻を失い、翌80年にはサロン出品をめぐってドガと対立、印象派展への出品をとりやめました。本作が描かれた81年も参加を断っています。そうした時期にモネを引き寄せたのは、幼い頃から親しんだノルマンディーの海でした。本作はこの年の春、滞在したフェカンで描かれたもの。心の暗雲を吹き払うかのような陽光満ちわたる空と、岸に乗り上げた帆船の黒いシルエット。ノルマンディーの明るい空と海はモネの画興を誘い、翌年のプールヴィルの連作へと続いてゆきます。

  • クロード・モネ「プールヴィルの断崖」1882年 東京富士美術館<br />明るい太陽の光に照射された空、海、切り立った断崖。まばゆいばかりの光の乱舞に、刻々と変容する自然の諸相。移ろいゆく色彩の戯れを短いタッチの積み重ねの上に記録したこの作品は、モネの絵画制作の真髄を魅せます。 従来の固有色という色彩の観念を捨てて、自分の眼に見える通りの色をカンヴァスの上に置いてゆく方法は、印象派の画家たちによる全く新しい描き方でした。この年の夏、モネはこの海岸を集中的に描いています。

    クロード・モネ「プールヴィルの断崖」1882年 東京富士美術館
    明るい太陽の光に照射された空、海、切り立った断崖。まばゆいばかりの光の乱舞に、刻々と変容する自然の諸相。移ろいゆく色彩の戯れを短いタッチの積み重ねの上に記録したこの作品は、モネの絵画制作の真髄を魅せます。 従来の固有色という色彩の観念を捨てて、自分の眼に見える通りの色をカンヴァスの上に置いてゆく方法は、印象派の画家たちによる全く新しい描き方でした。この年の夏、モネはこの海岸を集中的に描いています。

  • クロード・モネ「アヴァルの門」1886年 島根県立美術館<br />フランス、ノルマンディー地方にある景勝地・エトルタの光景。アヴァルの門・エギユ(針)島などの白い断崖や奇岩が海にそそり立つエトルタは、ノルマンディー海岸一帯の景勝の地のなかでも最も広く親しまれていました。この作品では、水面のきらめきと断崖のごつごつした質感が、印象派特有の幅の広い筆遣いと、色鮮やかな色彩で巧みに表現されています。

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    クロード・モネ「アヴァルの門」1886年 島根県立美術館
    フランス、ノルマンディー地方にある景勝地・エトルタの光景。アヴァルの門・エギユ(針)島などの白い断崖や奇岩が海にそそり立つエトルタは、ノルマンディー海岸一帯の景勝の地のなかでも最も広く親しまれていました。この作品では、水面のきらめきと断崖のごつごつした質感が、印象派特有の幅の広い筆遣いと、色鮮やかな色彩で巧みに表現されています。

    島根県立美術館 美術館・博物館

  • クロード・モネ「睡蓮」1907年 和泉市久保惣記念美術館<br />1883年、モネは終の住処となるジヴェルニーに腰を落ち着けました。1893年には水のある庭を造るため邸宅の南側の土地を買い足しています。池を描き始めたのは引っ越しから十年ほど経った1895年になってからですが、それまでと違い、自らの意思により造られた庭を描く、という新たな創造活動が始まったのです。 ジヴェルニーの庭は、植えられた花々の色にしても、緻密に練られた庭のプランにしても、池の造成にしても、自然に秩序を持ち込むものでした。<br />※本作は静岡会場には出展されていません。

    クロード・モネ「睡蓮」1907年 和泉市久保惣記念美術館
    1883年、モネは終の住処となるジヴェルニーに腰を落ち着けました。1893年には水のある庭を造るため邸宅の南側の土地を買い足しています。池を描き始めたのは引っ越しから十年ほど経った1895年になってからですが、それまでと違い、自らの意思により造られた庭を描く、という新たな創造活動が始まったのです。 ジヴェルニーの庭は、植えられた花々の色にしても、緻密に練られた庭のプランにしても、池の造成にしても、自然に秩序を持ち込むものでした。
    ※本作は静岡会場には出展されていません。

    久保惣記念美術館 美術館・博物館

  • ポール・セザンヌ「オーヴェールの曲がり道」1873年 東京富士美術館 <br />セザンヌが最初にオーヴェールに滞在した時期に制作された作品の1つ。<br />※本展での撮影ではありません。

    ポール・セザンヌ「オーヴェールの曲がり道」1873年 東京富士美術館 
    セザンヌが最初にオーヴェールに滞在した時期に制作された作品の1つ。
    ※本展での撮影ではありません。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「ルーベンス作「神々の会議」の模写」1861年 国立西洋美術館<br />ルノワールの最も初期の頃の作品の1枚、シャルル・グレールのアトリエ(画塾)に入った頃のものか。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「ルーベンス作「神々の会議」の模写」1861年 国立西洋美術館
    ルノワールの最も初期の頃の作品の1枚、シャルル・グレールのアトリエ(画塾)に入った頃のものか。

    国立西洋美術館 美術館・博物館

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「花」1910年代後半頃 泉屋博古館東京

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「花」1910年代後半頃 泉屋博古館東京

    泉屋博古館東京 美術館・博物館

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「麦わら帽子を被った女」1880年 北九州市立美術館<br />本作の描かれた1880年代は、印象派の活動から距離を置き始めたルノワールにとって模索の時期でした。

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    ピエール=オーギュスト・ルノワール「麦わら帽子を被った女」1880年 北九州市立美術館
    本作の描かれた1880年代は、印象派の活動から距離を置き始めたルノワールにとって模索の時期でした。

    北九州市立美術館 美術館・博物館

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「胸に花を飾る少女」1900年頃 熊本県立美術館<br />この頃ルノアールの病状はますます悪化しますが、カーニュとエッソワの転地先のアトリエで制作を続けます。1909年ルノアールをカーニュに訪ねた梅原龍三郎によれば、「松葉杖をついて歩き、車椅子で制作していた。指は右も左も変形しており、指の間に筆を強く握りしめて、9歳のクロードと赤いコサージュをつけたガブリエルを描いていた」そうです。この絵は胸のコサージュと帽子の花飾りのバラが構図の中心で、これからポーズも色調も決められています。

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    ピエール=オーギュスト・ルノワール「胸に花を飾る少女」1900年頃 熊本県立美術館
    この頃ルノアールの病状はますます悪化しますが、カーニュとエッソワの転地先のアトリエで制作を続けます。1909年ルノアールをカーニュに訪ねた梅原龍三郎によれば、「松葉杖をついて歩き、車椅子で制作していた。指は右も左も変形しており、指の間に筆を強く握りしめて、9歳のクロードと赤いコサージュをつけたガブリエルを描いていた」そうです。この絵は胸のコサージュと帽子の花飾りのバラが構図の中心で、これからポーズも色調も決められています。

    熊本県立美術館(本館) 美術館・博物館

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「帽子の娘」1910年 SOMPO美術館

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「帽子の娘」1910年 SOMPO美術館

    SOMPO美術館 美術館・博物館

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「パリスの審判」1913-14年頃 ひろしま美術館 <br />3人の女神ヘラ、アテナ、アフロディテ(ヴィーナス)が名乗りをあげた美女選びの場面。<br />※本作は静岡会場には出展されていません。<br />

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「パリスの審判」1913-14年頃 ひろしま美術館 
    3人の女神ヘラ、アテナ、アフロディテ(ヴィーナス)が名乗りをあげた美女選びの場面。
    ※本作は静岡会場には出展されていません。

    ひろしま美術館 美術館・博物館

  • 「麦わら帽子の女」1915年 ひろしま美術館<br />1915年、ルノワールは通称デデと呼ばれた赤毛の少女アンドレ=マドレーヌ=ウシュランを新しいモデルとして描き始めます。快活な彼女は最晩年のお気に入りのモデルとして多くの作品に登場しており、本作もその一点とされます<br />※本作は静岡会場には出展されていません。

    「麦わら帽子の女」1915年 ひろしま美術館
    1915年、ルノワールは通称デデと呼ばれた赤毛の少女アンドレ=マドレーヌ=ウシュランを新しいモデルとして描き始めます。快活な彼女は最晩年のお気に入りのモデルとして多くの作品に登場しており、本作もその一点とされます
    ※本作は静岡会場には出展されていません。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「ジャンヌ・ボドーの肖像」1896年 山梨県立美術館 寄託<br />ルノワールの弟子であったジャンヌ・ボドーをモデルとする肖像画。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「ジャンヌ・ボドーの肖像」1896年 山梨県立美術館 寄託
    ルノワールの弟子であったジャンヌ・ボドーをモデルとする肖像画。

    山梨県立美術館 美術館・博物館

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「三人の浴女」1917-19年 埼玉県立近代美術館<br />ルノワールの最晩年の作品です。持病のリウマチに苦しめられながら、時には手に絵筆を縛り付けてまで制作を続けたと伝えられるように、旺盛な制作意欲は最後まで衰えませんでした。この作品では豊満で生命力に満ちた三人の裸婦が、赤や橙、黄などの暖色系の色彩と流れるような柔らかいタッチで描かれています。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「三人の浴女」1917-19年 埼玉県立近代美術館
    ルノワールの最晩年の作品です。持病のリウマチに苦しめられながら、時には手に絵筆を縛り付けてまで制作を続けたと伝えられるように、旺盛な制作意欲は最後まで衰えませんでした。この作品では豊満で生命力に満ちた三人の裸婦が、赤や橙、黄などの暖色系の色彩と流れるような柔らかいタッチで描かれています。

    埼玉県立近代美術館 美術館・博物館

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「青い服を着た若い女」1876年頃 三重県立美術館<br />ルノワールの絵に微妙な色彩の輝きがあるのは、白いキャンバスの上にまず透明な色を施し、それを生かして描き分けるからです。この作品の場合、まず緑色を油で薄めて塗り、茶褐色の絵の具で人物のおおまかなスケッチをし、それが乾いてから服や肌の色を乗せています。また、薄塗りで仕上げられているにもかかわらず、絵の具の厚みを微妙に調節することによって、前後の位置関係を表現しています。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「青い服を着た若い女」1876年頃 三重県立美術館
    ルノワールの絵に微妙な色彩の輝きがあるのは、白いキャンバスの上にまず透明な色を施し、それを生かして描き分けるからです。この作品の場合、まず緑色を油で薄めて塗り、茶褐色の絵の具で人物のおおまかなスケッチをし、それが乾いてから服や肌の色を乗せています。また、薄塗りで仕上げられているにもかかわらず、絵の具の厚みを微妙に調節することによって、前後の位置関係を表現しています。

    三重県立美術館 美術館・博物館

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「赤い服の女」 1892年頃 東京富士美術館 

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「赤い服の女」 1892年頃 東京富士美術館 

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「浴後の女」1896年 東京富士美術館<br />ルノワールの裸婦の中でも特に肉感的な女性。1896年5月、ルノワールはパリのデュラン=リュエル画廊で個展を開催し、そのあと7月にモンマルトルのラ・ロシュフーコー街に転居しました。本作はその年に描かれ、3年後の1899年1月にデュラン=リュエルの手に渡り、それから更に3年たった1902年6月にパリのデュラン=リュエル画廊で行われた「ルノワール展」で展示されたものです。<br />※本作は静岡会場には出展されていません。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「浴後の女」1896年 東京富士美術館
    ルノワールの裸婦の中でも特に肉感的な女性。1896年5月、ルノワールはパリのデュラン=リュエル画廊で個展を開催し、そのあと7月にモンマルトルのラ・ロシュフーコー街に転居しました。本作はその年に描かれ、3年後の1899年1月にデュラン=リュエルの手に渡り、それから更に3年たった1902年6月にパリのデュラン=リュエル画廊で行われた「ルノワール展」で展示されたものです。
    ※本作は静岡会場には出展されていません。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「読書する女」1900年頃 東京富士美術館 <br />ルノワール作品にしばしば描かれる読書をする女性。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「読書する女」1900年頃 東京富士美術館 
    ルノワール作品にしばしば描かれる読書をする女性。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「バラ色の服を着たコロナ・ロマノの肖像」1912年頃 鹿児島市立美術館<br />70歳を過ぎた晩年のルノワールが描いた肖像画。モデルは当時人気の舞台女優のコロナ・ロマノ。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「バラ色の服を着たコロナ・ロマノの肖像」1912年頃 鹿児島市立美術館
    70歳を過ぎた晩年のルノワールが描いた肖像画。モデルは当時人気の舞台女優のコロナ・ロマノ。

    鹿児島市立美術館 美術館・博物館

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「マドモワゼル・フランソワ」1917年 茨城県近代美術館

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    ピエール=オーギュスト・ルノワール「マドモワゼル・フランソワ」1917年 茨城県近代美術館

    茨城県近代美術館 美術館・博物館

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール(左)「タンバリンを持った踊り子」(右)「あし笛を吹く人」1918年 神戸市立小磯記念美術館

    ピエール=オーギュスト・ルノワール(左)「タンバリンを持った踊り子」(右)「あし笛を吹く人」1918年 神戸市立小磯記念美術館

    小磯記念美術館 美術館・博物館

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「パリ郊外、セーヌ河の洗濯船」1872-73年 公益財団法人諸橋近代美術館<br />パリに洗濯船が登場したのは15世紀末頃。それ以前、市民は直接セーヌの土手で洗濯をしていました。しかし、汚染水が流出した衛生上よくない場所でも洗濯する人が多くなったことから洗濯船が誕生します。これには市民も喜び、当初パリ中心で営業していた洗濯船も19世紀後半には郊外へ進出していきます。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「パリ郊外、セーヌ河の洗濯船」1872-73年 公益財団法人諸橋近代美術館
    パリに洗濯船が登場したのは15世紀末頃。それ以前、市民は直接セーヌの土手で洗濯をしていました。しかし、汚染水が流出した衛生上よくない場所でも洗濯する人が多くなったことから洗濯船が誕生します。これには市民も喜び、当初パリ中心で営業していた洗濯船も19世紀後半には郊外へ進出していきます。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「バラ色のブラウスを着た女(ガブリエル)」1914年頃 個人蔵<br />本作のモデルはルノワールの妻アリーヌ・シャリゴのいとこで16歳のころから乳母兼メイドを務めたガブリエール・ルナールと考えられています。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「バラ色のブラウスを着た女(ガブリエル)」1914年頃 個人蔵
    本作のモデルはルノワールの妻アリーヌ・シャリゴのいとこで16歳のころから乳母兼メイドを務めたガブリエール・ルナールと考えられています。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「ロバに乗ったアラブ人たち」1881-82年頃 ポーラ美術館<br />1881 年の 2 月末、ルノワールはアルジェリアへの一度目の旅に赴いています。その滞在中に制作されたと考えられる本作品には、伝統的な衣装に身を包んだおそらく現地の人々 の、ロバに乗って海岸沿いを進む光景が描かれています。目を引くのは、彼方の街並みから棕櫚を思わせる南方の植物にいたるまで、随所に施されたハイライトです。ルノワールは後年、アルジェリア旅行の成果として「白の発見」を挙げ、事物の姿を一変させる「太陽の魔力」に言及しています。現地で日常にみられる光景が輝きを帯びて描き出された本作品は、ルノワールのアルジェリア体験を物語る作例といえます。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「ロバに乗ったアラブ人たち」1881-82年頃 ポーラ美術館
    1881 年の 2 月末、ルノワールはアルジェリアへの一度目の旅に赴いています。その滞在中に制作されたと考えられる本作品には、伝統的な衣装に身を包んだおそらく現地の人々 の、ロバに乗って海岸沿いを進む光景が描かれています。目を引くのは、彼方の街並みから棕櫚を思わせる南方の植物にいたるまで、随所に施されたハイライトです。ルノワールは後年、アルジェリア旅行の成果として「白の発見」を挙げ、事物の姿を一変させる「太陽の魔力」に言及しています。現地で日常にみられる光景が輝きを帯びて描き出された本作品は、ルノワールのアルジェリア体験を物語る作例といえます。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「水浴の女」1887年 ポーラ美術館<br />ルノワールは、最初に感動を覚えた絵画として、18世紀フランスの画家フランソワ・ブーシェの「ディアナの水浴」(1742年、ルーヴル美術館、パリ)を挙げています。「水浴する裸婦」は古来、表されてきた主題であり、伝統に対するルノワールの強い意識をうかがうことができます。1860年代後半からモネとともに印象派の手法で描きましたが、やがて行き詰まりを感じたルノワールは、1880年代初頭のイタリア旅行を機に、この主題に本格的に取り組むことになります。本作品はその頃に制作された1点です。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「水浴の女」1887年 ポーラ美術館
    ルノワールは、最初に感動を覚えた絵画として、18世紀フランスの画家フランソワ・ブーシェの「ディアナの水浴」(1742年、ルーヴル美術館、パリ)を挙げています。「水浴する裸婦」は古来、表されてきた主題であり、伝統に対するルノワールの強い意識をうかがうことができます。1860年代後半からモネとともに印象派の手法で描きましたが、やがて行き詰まりを感じたルノワールは、1880年代初頭のイタリア旅行を機に、この主題に本格的に取り組むことになります。本作品はその頃に制作された1点です。

    ポーラ美術館 美術館・博物館

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「髪かざり」1888年 ポーラ美術館<br />椅子に腰掛けた若い女性の後ろにもう一人の女性が寄り添い、髪に花かざりを着けています。当時、ブルジョワ階級の女性が家で過ごす際には、花の髪かざりを着ける習慣がありました。同様の髪かざりは座っている女性の手にも見られます。ルノワールは1890年前後、身づくろいのほかにも、同じ年頃の女性による奏楽や花摘みなどの情景をしばしば描いています。1880年代後半に印象派の描法を脱するべく取り組みました。アングル流の立体的な裸婦が画商や画家仲間に不評だったことで、ルノワールはこの時期、一般に受け入れられやすい近代生活を描きました。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「髪かざり」1888年 ポーラ美術館
    椅子に腰掛けた若い女性の後ろにもう一人の女性が寄り添い、髪に花かざりを着けています。当時、ブルジョワ階級の女性が家で過ごす際には、花の髪かざりを着ける習慣がありました。同様の髪かざりは座っている女性の手にも見られます。ルノワールは1890年前後、身づくろいのほかにも、同じ年頃の女性による奏楽や花摘みなどの情景をしばしば描いています。1880年代後半に印象派の描法を脱するべく取り組みました。アングル流の立体的な裸婦が画商や画家仲間に不評だったことで、ルノワールはこの時期、一般に受け入れられやすい近代生活を描きました。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「水のなかの裸婦」1888年 ポーラ美術館<br />水のなかでたたずむ裸婦のみせる恥じらいのポーズは、古来、アフロディーテの表象などに伝統的にみられます。ルノワールは、若き日よりルーヴル美術館に通っていたほか、 1880 年代前半のイタリア滞在により、裸体表現の伝統に深く通じていたと考えられます。ここでは、裸婦の背景を水面が覆い尽くす、大胆な画面構成がとられています。裸婦の身体には丹念に筆致が重ねられ、陰影とハイライトにより量感が作り出されています。それに対し、水面には光のきらめきや反映を表わす黄や赤、白の筆触が横方向に並置されており、違いはあきらかです。古典美術を参照しつつ、明瞭な形態と量感をそなえた裸体表現を追究しようとする意図が表われています。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「水のなかの裸婦」1888年 ポーラ美術館
    水のなかでたたずむ裸婦のみせる恥じらいのポーズは、古来、アフロディーテの表象などに伝統的にみられます。ルノワールは、若き日よりルーヴル美術館に通っていたほか、 1880 年代前半のイタリア滞在により、裸体表現の伝統に深く通じていたと考えられます。ここでは、裸婦の背景を水面が覆い尽くす、大胆な画面構成がとられています。裸婦の身体には丹念に筆致が重ねられ、陰影とハイライトにより量感が作り出されています。それに対し、水面には光のきらめきや反映を表わす黄や赤、白の筆触が横方向に並置されており、違いはあきらかです。古典美術を参照しつつ、明瞭な形態と量感をそなえた裸体表現を追究しようとする意図が表われています。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「ムール貝採り」1888-89年頃 ポーラ美術館<br />本作品は、1879年に制作された《ベルヌヴァルのムール貝採り》(フィラデルフィア、バーンズ財団蔵)をもとに、そのおよそ十年後に再び描かれた作品と考えられます。ノルマンディーの海岸沿いの町ベルヌヴァルには、ルノワールの擁護者であった銀行家のポール・ベラールの別邸がありました。1880年前後の時期、ルノワールは招かれて同地にたびたび滞在していますが、1880年代末に制作された本作品は、かつて滞在した際に残された習作等に基づきながらアトリエで描かれたものと思われます。牧歌的な自然を舞台とした群像表現は、ルノワールが愛好した18世紀のロココ絵画にしばしばみられます。加えて、女性と子どもによる労働の様子は、1880年代半ば以降、ルノワールが好んで主題に取り上げています。また、鮮烈な色彩に加え、明瞭な輪郭をもつ人物の形態はとりわけ、古典主義への意識を深めた1880年代ならではの表現の特徴といえます。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「ムール貝採り」1888-89年頃 ポーラ美術館
    本作品は、1879年に制作された《ベルヌヴァルのムール貝採り》(フィラデルフィア、バーンズ財団蔵)をもとに、そのおよそ十年後に再び描かれた作品と考えられます。ノルマンディーの海岸沿いの町ベルヌヴァルには、ルノワールの擁護者であった銀行家のポール・ベラールの別邸がありました。1880年前後の時期、ルノワールは招かれて同地にたびたび滞在していますが、1880年代末に制作された本作品は、かつて滞在した際に残された習作等に基づきながらアトリエで描かれたものと思われます。牧歌的な自然を舞台とした群像表現は、ルノワールが愛好した18世紀のロココ絵画にしばしばみられます。加えて、女性と子どもによる労働の様子は、1880年代半ば以降、ルノワールが好んで主題に取り上げています。また、鮮烈な色彩に加え、明瞭な輪郭をもつ人物の形態はとりわけ、古典主義への意識を深めた1880年代ならではの表現の特徴といえます。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「レースの帽子の少女」1891年 ポーラ美術館<br />レースの帽子の質感や軽やかさを伝える筆致からは、ルノワールの描く喜びが感じ取れるようです。袖口のヴォリュームが巧みに表現されたドレスの描写にもうかがえるように、ルノワールは衣装の質感をとらえて描き出すことを得意としていました。これには、仕立屋とお針子を父母にもつ生い立ちが関係していたのかもしれません。白いレースの帽子の清々しさは、夢見るような表情を浮かべた少女の甘美な魅力を引きたてています。ルノワールは、自らの選んだ帽子や衣装をモデルに提供することもあったようです。女性像にいっそう活き活きとした魅力をもたらすうえで、帽子をはじめとするファッションは、ルノワールにとってきわめて重要なものだったのです。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「レースの帽子の少女」1891年 ポーラ美術館
    レースの帽子の質感や軽やかさを伝える筆致からは、ルノワールの描く喜びが感じ取れるようです。袖口のヴォリュームが巧みに表現されたドレスの描写にもうかがえるように、ルノワールは衣装の質感をとらえて描き出すことを得意としていました。これには、仕立屋とお針子を父母にもつ生い立ちが関係していたのかもしれません。白いレースの帽子の清々しさは、夢見るような表情を浮かべた少女の甘美な魅力を引きたてています。ルノワールは、自らの選んだ帽子や衣装をモデルに提供することもあったようです。女性像にいっそう活き活きとした魅力をもたらすうえで、帽子をはじめとするファッションは、ルノワールにとってきわめて重要なものだったのです。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「カーニュの風景」1905年 ポーラ美術館<br />カーニュ=シュル=メールで本作品が制作された1905 年、ルノワールは町の中心部の郵便局の建物に居を置いていました。その名も「メゾン・ド・ラ・ポスト」と呼ばれたこの建物は、家主と郵便局長、そしてルノワール一家が暮らすアパルトマンを兼ねるほど大きかったようで、ルノワールの住まいは裏手の広いオレンジ畑に面していました。ルノワールが「メゾン・ド・ラ・ポスト」の近辺を描いた作品は数点残されていますが、本作品もその一点と考えられます。画面の中央を走る道には、連れ立って歩くふたりの人物の姿が描きこまれており、南フランスの日常の穏やかな空気を、さりげなく伝えています。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「カーニュの風景」1905年 ポーラ美術館
    カーニュ=シュル=メールで本作品が制作された1905 年、ルノワールは町の中心部の郵便局の建物に居を置いていました。その名も「メゾン・ド・ラ・ポスト」と呼ばれたこの建物は、家主と郵便局長、そしてルノワール一家が暮らすアパルトマンを兼ねるほど大きかったようで、ルノワールの住まいは裏手の広いオレンジ畑に面していました。ルノワールが「メゾン・ド・ラ・ポスト」の近辺を描いた作品は数点残されていますが、本作品もその一点と考えられます。画面の中央を走る道には、連れ立って歩くふたりの人物の姿が描きこまれており、南フランスの日常の穏やかな空気を、さりげなく伝えています。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「休息」1916-1917年 ポーラ美術館<br />入浴の後と思われる裸婦が寝台に横たわる、室内での休息のひとときが描かれています。横たわる裸婦とその傍らに着衣の人物がたたずむ舞台設定からは、ティツィアーノやマネによる作品が想起されますが、女性たちの様子からは親密でくつろいだ雰囲気が伝わってきます。ふたりの女性は画面の対角線上に置かれていますが、その位置関係を下支えするように V 字を作る裸婦の下半身は、どっしりとした安定感をそなえています。一方で、互いに引き立てあう赤と緑の補色の関係が随所に作り出されており、画面はあたかもあざやかな色彩の織物のようです。着衣の女性の背後にさりげなく用いられた黒もまた、この色彩表現に豊かな陰影をもたらしています。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「休息」1916-1917年 ポーラ美術館
    入浴の後と思われる裸婦が寝台に横たわる、室内での休息のひとときが描かれています。横たわる裸婦とその傍らに着衣の人物がたたずむ舞台設定からは、ティツィアーノやマネによる作品が想起されますが、女性たちの様子からは親密でくつろいだ雰囲気が伝わってきます。ふたりの女性は画面の対角線上に置かれていますが、その位置関係を下支えするように V 字を作る裸婦の下半身は、どっしりとした安定感をそなえています。一方で、互いに引き立てあう赤と緑の補色の関係が随所に作り出されており、画面はあたかもあざやかな色彩の織物のようです。着衣の女性の背後にさりげなく用いられた黒もまた、この色彩表現に豊かな陰影をもたらしています。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「アルジャントゥイユの橋」1873年 上原美術館

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「アルジャントゥイユの橋」1873年 上原美術館

    上原美術館 美術館・博物館

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「バラをつけたガブリエル」1906-19年頃 上原美術館

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「バラをつけたガブリエル」1906-19年頃 上原美術館

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「横になった婦人」1912年 上原美術館

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「横になった婦人」1912年 上原美術館

  • 本展に出展された作品を所蔵する美術館の地図です。

    本展に出展された作品を所蔵する美術館の地図です。

  • ミュージアムショップも充実しており図録やポストカードなど購入しました。

    ミュージアムショップも充実しており図録やポストカードなど購入しました。

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