2026/06/20 - 2026/06/20
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+mo2さん
この旅行記のスケジュール
2026/06/20
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20世紀を代表する画家パブロ・ピカソ(1881~1973)と、イギリスを代表するファッションデザイナーであるポール・スミス(1946~)。アートとデザインという領域を横断し、ふたつの才能が時を超えてコラボレーションする展覧会「ピカソ meets ポール・スミス 遊び心の冒険へ」が、東京・六本木の国立新美術館で6月10日(水)より開幕したので行ってきました。
写真がおおくなったので、旅行記を分割した後半です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線 私鉄
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06古典主義の画家
「初聖体拝領者たち」1919年 パリ国立ピカソ美術館
1910年代末から1920年代初頭にかけて、「秩序への回帰」という具象表現や古典的主題を復活させる風潮が芸術界に起こりました。こうした中で、1920年代にピカソはきわめて古典主義的な方法で、人物像を油彩とデッサンに描いています。国立ピカソ美術館/戦争と平和 博物館・美術館・ギャラリー
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「アンドレ・ドランの肖像」1919年 パリ国立ピカソ美術館
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「シスレー家、オーギュスト・ルノワールの《婚約者たち》に基づく」1919年後半 パリ国立ピカソ美術館
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「ベッドに横たわる裸婦」1920年6月16日 パリ国立ピカソ美術館
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「握り合う二つの手」1921年1月17日 パリ国立ピカソ美術館
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「布を纏った浴女」1923年夏 パリ国立ピカソ美術館
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「オルガとパウロ」1922‐23年 パリ国立ピカソ美術館
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「握り合う手の習作」1919年 パリ国立ピカソ美術館
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07子ども時代
「子供時代」をテーマにした部屋では、ピカソが自身を投影していた存在である道化師(アルルカン)の衣装を息子に着せた「アルルカンに扮したパウロ」や、遊びに夢中になる子供の姿を描いた「トラックの玩具で遊ぶ子ども」など、ピカソの「子供」へのまなざしを表した作品群が並びます。国立新美術館 美術館・博物館
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「アルルカンに扮したパウロ」1924年 パリ国立ピカソ美術館
展示壁の壁紙には、本作の衣装と同じ菱形の水色と黄のパターンが用いられ、作品世界を空間全体で感じさせます。 -
「人形を抱くマヤ」1938年1月16日 パリ国立ピカソ美術館
マリー=テレーズ・ワルテルとの娘マヤを描いた作品 -
「トラックの玩具で遊ぶ子ども」1953年12月27日 パリ国立ピカソ美術館
ピカソはスペインでの幼少期に親しんだ闘牛やフラメンコ、パリのキャバレーやサーカスの鑑賞体験を通じて、生涯にわたり舞台芸術に深い関心を持ち続けました。 -
「踊るアルルカン」「アルルカン」1950年頃 パリ国立ピカソ美術館
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08闘牛
ピカソは生涯を通じて闘牛を重要なテーマとし、その力強さに焦点を当て続けました。 -
「コリーダ:闘牛士の死」1933年9月19日 パリ国立ピカソ美術館
1930年代には牡牛が馬や闘牛士を襲う激しく悲劇的な瞬間を好んで描き、闘牛場を生と死、あるいは性と死が交錯する象徴的な劇場として表現しました。 -
「牡牛の頭部」1931年 パリ国立ピカソ美術館
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「コリーダ」1923年末-1924年初頭 パリ国立ピカソ美術館
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「野原の牡牛たち(ペペ・イーリョ『ラ・タウロマキア(闘牛術)あるいは闘牛の技芸』のための挿図、第1葉)」1957年5月 パリ国立ピカソ美術館
ヴァロリスに滞在した戦後に制作した軽快な筆致の版画の連作〈ラ・タウロマキア〉では、闘牛の儀式の躍動感や祝祭性を巧みに捉えています。 -
「牡牛たちへ(『ラ・タウロマキア(闘牛術)』のための挿図、第2葉)」1957年5月 パリ国立ピカソ美術館
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「ドン・タンクレドの妙技(『ラ・タウロマキア(闘牛術)』のための挿図、第4葉)」1957年5月 パリ国立ピカソ美術館
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「ケープで牡牛を召喚する(『ラ・タウロマキア(闘牛術)』のための挿図、第6葉)」1957年5月 パリ国立ピカソ美術館
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「跳躍(『ラ・タウロマキア(闘牛術)』のための挿図、第8葉)」1957年5月 パリ国立ピカソ美術館
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「牡牛を誘う(『ラ・タウロマキア(闘牛術)』のための挿図、第10葉)」1957年5月 パリ国立ピカソ美術館
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「刺した後で牡牛の死を告げる闘牛士(『ラ・タウロマキア(闘牛術)』のための挿図、第21葉)」1957年5月 パリ国立ピカソ美術館
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「牡牛の死(『ラ・タウロマキア(闘牛術)』のための挿図、第22葉)」1957年5月 パリ国立ピカソ美術館
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「牡牛を引きずる(『ラ・タウロマキア(闘牛術)』のための挿図、第23葉)」1957年5月 パリ国立ピカソ美術館
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「ファンの肩に乗って去る闘牛士(『ラ・タウロマキア(闘牛術)』のための挿図、第24葉)」1957年5月 パリ国立ピカソ美術館
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「槍で牡牛を召喚する(『ラ・タウロマキア(闘牛術)』のための挿図、第25葉)」1957年5月 パリ国立ピカソ美術館
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「牡牛を槍で突く(『ラ・タウロマキア(闘牛術)』のための挿図、第26葉)」1957年5月 パリ国立ピカソ美術館
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09 ストライプ
続いて広がるのは、ポール・スミスらしい明るい色のストライプの壁で作られた展示空間。ピカソがストライプ模様を実験的に用いた1930年代の肖像画の実践に光を当てます。 -
「読書」1932年1月2日 パリ国立ピカソ美術館
1930年代にピカソはストライプ模様を実験的に用いて、愛する女性たちの肖像を描きました。 -
「腕を重ねて座る女」1937年 パリ国立ピカソ美術館
柔らかな曲線とパステル調の色彩で描かれたマリー=テレーズ・ワルテルは官能性と安らぎを象徴します。 -
「帽子をかぶった女」1939年5月27日 パリ国立ピカソ美術館
鋭角的な形と暖色で描かれたドラ・マールは強い存在感を示していました。 -
「ストライプの帽子をかぶった女の胸像」1939年6月3日 パリ国立ピカソ美術館
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10 戦時中
「ロブスターを持つ少年」1941年6月21日 パリ国立ピカソ美術館
ピカソはスペイン内戦から第二次世界大戦にかけて、ファシズムや抑圧への抵抗を続けました。 -
「帽子をかぶった女の胸像」1941年6月9日 パリ国立ピカソ美術館
女性像は、スペイン内戦やファシズムの影が色濃くなるにつれ、「泣く女」の連作に代表されるような苦しみをあらわにしたものに変容していきました。 -
「座る女」1945年3月5日 パリ国立ピカソ美術館
戦時下で描かれた作品群も、歪んだ人体のパーツや暗い色調を特徴とします。 -
「室内のフクロウ」1946年 パリ国立ピカソ美術館
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11 一点もの
1948年に南仏ヴァロリスに定住したピカソは陶芸に没頭し、マドゥラ工房で1954年までに数千点におよぶ作品を制作。皿や花瓶などに動物や踊る女性たち、闘牛の情景といったモチーフをユーモラスに施しました。 -
ここでは、ナイフとフォークと果物、音楽家、騎士などが1枚ずつ生き生きと表現されたプレートが、無数の白い皿の中央に展示され、「一点もの」としての存在感を際立たせる演出がなされています。
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「イワシのある長方形の陶器の皿」1947-48年 パリ国立ピカソ美術館
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「髭をはやした牧神の頭が装飾された長方形の陶器の皿」1948年1月21日 パリ国立ピカソ美術館
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「中央に小さな顔と様式化された葉が装飾された皿」1957年2月19日 パリ国立ピカソ美術館
「表面に牧神の頭、裏面に花が装飾された長方形の陶器の皿」1948年3月12日 パリ国立ピカソ美術館 -
「甲冑を着た騎士と従者を描いた馬上槍試合の場面が装飾された皿」1951年1月26日 パリ国立ピカソ美術館
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「甲冑を着た騎士を描いた馬上槍試合の場面が装飾された皿」1951年1月29日-2月1日 パリ国立ピカソ美術館
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「ナイフ、フォーク、半分に切ったリンゴと皮が乗った皿」1947-48年 パリ国立ピカソ美術館
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「表面に太陽、裏面に葉が装飾されたスペインの陶器皿」1961年2月25日 パリ国立ピカソ美術館
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「音楽家が装飾された皿」1957年2月27日 パリ国立ピカソ美術館
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12 《草上の昼食》
芝生のような床が敷かれた緑の空間では、ピカソ版「草上の昼食」を紹介しています。西洋美術史上の名作を変奏する連作に取りかかったピカソは、1959年夏から62年にかけて、エドゥアール・マネによる名画の再解釈に取り組みました。「草上の昼食」の構図や人物像に基づき、絵画の平面性や装飾性を追求し、古典を大胆に変容させるこの挑戦は、27点の油彩、約140点のデッサンなど大規模な連作となり、さらに巨大なコンクリート彫刻へと発展していきました。 -
「草上の昼食(マネに基づく)」1960年3月3日-8月20日 パリ国立ピカソ美術館
ピカソは古典的な構図を解体し、人物の配置やポーズを大胆に変容し、絵画の平面性と装飾性を追求しました。 -
「草上の昼食(マネに基づく)」1961年7月13日 パリ国立ピカソ美術館
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「草上の昼食(マネに基づく)」1961年7月27日 パリ国立ピカソ美術館
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「草上の昼食:片腕に寄りかかり座る男」1962年8月26日 他 パリ国立ピカソ美術館
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「マネの《草上の昼食》の変奏」1961年7月4日-12月6日 パリ国立ピカソ美術館
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13ピカソのボーダーシャツ
ピカソがロベール・ドアノー撮影によるポートレイトで着用しているボーダーシャツをイメージした展示空間 -
「喫煙者II」1964年8月19日 パリ国立ピカソ美術館
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「縞模様のセーターを着た男の胸像が装飾された窯の仕切り」1950年9月23日 パリ国立ピカソ美術館
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14晩年:1969?1972
ピカソは 1961年以後、南仏ムージャンで過ごし、ここでも精力的に絵画や版画の制作を続けました。最晩年の並外れた創造性と生産性は大きな特徴です。このころ彼は、以前よりも筆の動きが自由になり、人物像を好んで主題に取り上げました。晩年の作品でも衰えを見せない技量を見せつけ、これらの絵画は新世代の画家たちにも大きな影響を与えました。 -
「座る老いた男」1970年9月26日?1971年11月 パリ国立ピカソ美術館
晩年のピカソは、衰えることのない創造性と生産性を発揮し、1969年から73年の死に至るまでで350点以上の油彩を完成させるなど、大量の作品を生み出しました。 -
「家族」1970年9月30日 パリ国立ピカソ美術館
この頃は以前にも増して自由になった筆の動きで人物像をとくに主題とし、溢れる色彩で男性や女性の肖像、家族などを描き出しました。 -
「女の半身像」1970年 ひろしま美術館
第二次世界大戦後ピカソは、南仏を転々とした後、45歳年下の2番目の妻、ジャクリーヌ・ロックと最後の住まいとなった南仏ムージャンで生活をはじめます。最晩年になってなお、旺盛な制作意欲をもっており「子供のように描きたい」と望んでいたピカソですが、まさにこの作品ではそれが実現しています。ひろしま美術館 美術館・博物館
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最後にスミスは、ピカソの展覧会ポスターで埋め尽くされた部屋を用意。ピカソが生前開催した展覧会は数百におよび、そのたびに街中で掲出されたポスターの多くにはピカソのデッサンや版画などグラフィック作品が使用されました。ピカソの飽くなきエネルギーを体現する展示空間で本展は幕を閉じます。
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「女の頭部 No. 3 ドラ・マールの肖像」1939年1-6月 パリ国立ピカソ美術館
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「枝を持つ牧神」1948年3月10日 パリ国立ピカソ美術館
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「クラーナハ(子)に基づく若い女の肖像 II」1958年7月4日 パリ国立ピカソ美術館
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「ポンポン帽子と柄ブラウスを着た女の肖像」1962年1-3月 パリ国立ピカソ美術館
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「小さな《草上の昼食》(マネに基づく)」1962年4月22日 パリ国立ピカソ美術館
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ミュージアムショップも充実していました。図録などを購入。
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