2026/07/24 - 2026/07/24
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kojikojiさん
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ラジシャヒ(Rajshahi)での夜が明けました。「ロイヤル ラージ ホテル&コンドミニアム/Royal Raj Hotel & Condominium」での朝食は午前6時30分に始まりました。料理については特筆する物はありませんでしたが、パックの紅茶の横に小さな容器が並び、細切りされたジンジャーやシナモンや丁子などが入っています。レストランのスタッフに尋ねるとこれらを混ぜるとマサラチャイになるということで、説明しながら作ってくれました。昨日のチャエル・ドカン(Chayer Dokan)で飲んだミルク入りのものも美味しかったですが、ミルク抜きのマサラチャイも美味しかったです。別のホテルではMASARA TEAと書かれたティーバックもあり、これも美味しかったので最終日にスーパーで探しやすいようにいくつか袋をもらっておきました。食事の後も出発まで時間があったので1人でホテルを出て散歩に行きました。グーグルマップで見てみると歩いて10分ほどの所に昨日も渡ったパドマ川が流れています。この川はガンジス川の下流でもあり、川の対岸はインドの西ベンガル州だということは昨夜ガイドさんから聞いていました。川辺は「パドマ公園/Padma Park」となっていて多分夜は賑やかであろうバーやレストランも数軒ありました。早朝は近所のお年寄りの散歩場所のようで、くつろいでいる姿が見えました。ちょうど雨季ということもあり川の水は増水しているようで、春に行ったインドのバナラシでガンジスの夜明けと沐浴を見に行ったことが思い出されます。流れていくホテイアオイや川漁師の舟を眺めていると大沢たかおが若い頃に出演していた「深夜特急」というテレビ番組を思い出しました。ヘッドフォンは持って来ていませんでしたが、周りには誰もいないのでスマホに入れてあった井上陽水の「積み荷のない船」を流してみると感慨深いものがありました。沢木耕太郎の「深夜特急」の第3集が出版されたのが1992年で、テレビ版は1996年から3年に分けての放映でした。あれから30年語ったのだという想いとコマ切れではありますがパキスタン以外はほぼ足取りをたどったなと思います。午前8時30分にホテルを出て午前中は「クスンバ・モスク/Kusumba Mosque」に向かいました。このイスラム寺院はバングラデシュの5タカ札にも描かれ「バングラデシュの黒い宝石」とよばれるほど有名なようです。モスクの建設は1558年に始まり、1559年に完成したとモスクの外壁の碑文に記されています。この時期のバングラデシュにはアフガニスタンの支配者が相次いでいました。クスンバ・モスクは最後のスリ王の1人であるギヤスッディーン・バハドゥル・シャーの時代に建てられました。モスクはスリ朝の支配下で建てられましたが建築様式は北インドの以前のスリ建築の影響を受けず、バングラデシュのモスクの様式で建てられバングラデシュやミャンマーの後に建てられたにモスクのインスピレーションを与えています。ここでも寺院の見学よりもバングラデシュの人たちとの交流が面白く、我々11人に対して日本人を見に集まった人が50人以上いたと思います。入れ代わり立ち代わりでお互いのスマホで写真を撮ったり撮られたりでした。挙句にはバスに乗り込んだ後も手を振って見送ってくれました。さらにトラックの荷台に乗って寺院を参拝に来た人たちも荷台から手を振ってくれます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- マレーシア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- JTB
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ラジシャヒ(Rajshahi)で宿泊した「ロイヤル ラージ ホテル&コンドミニアム/Royal Raj Hotel & Condominium」の朝食は午前6時30分からでした。
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ブナ・キチュリ(Bhuna Khichuri )はベンガル地方やバングラデシュで食べられる米と豆を使った濃いめのキチュリです。地元の野菜炒め、ダール豆とマトンのレバー煮込み、アル・トルカリ(Alur Torkari)というジャガイモの煮込み料理などをいただきます。
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面白かったのはこのホテルでは自分でアレンジしてマサラ茶を作ることです。左上は砂糖で、真中がシナモンや丁子などのスパイスを淹れたものです。右側は細切りした生姜が入っています。
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要領が分からなかったのでホテルのスタッフに尋ねるとこんな風に入れてくれました。そして普通の紅茶のパックを添えて熱湯を注ぎます。
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バングラデシュでもミルクを入れたマサラ茶が好まれるようですが、ミルクを入れないのも有りなようです。今回はミルクなしで飲んでいましたが、この砲がすっきりして美味しいです。そして今日もマンゴーをたっぷりいただきます。
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朝食を食べた後は集合まで1時間以上あったので1人で町に出てみることにします。そう思ったのは町の南側にパドマ川が流れていて、その対岸がインドのベンガル地方だとガイドさんに聞いていたのを思い出したからです。
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グーグルマップを見てみると歩いて15分くらいで河岸に出られそうでした。繁華街を抜けて住宅街に差し掛かるとたくさんの野犬が群れを成して走ってきます。こんな光景を見るのは50年ぶりくらいではないでしょうか。
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何故か1軒の家の庭先の支柱の隙間から頭を突っ込んでしっぽを振っています。そしてそのまま走り去っていきました。
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「パドマ公園/Padma Garden」に着きました。夜は賑わうであろうレストランバーみたいな店も何軒か並んでいましたが、早朝にはお年寄りが数人散歩しているだけです。
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川の場合は中州が正しいのかもしれませんが島状にはなっていないので砂州でしょうか?その隙間にホテイアオイが一面に群生しています。
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そんな中を竹で組んだ橋が架かっています。日本の竹のイメージだとすぐに割れてしまいそうですが、バングラデシュの竹の中でも肉厚なものが使われています。多分バイクで走っても大丈夫だと思えます。
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河岸の退席した砂の上からパドマ川を望みます。この川はバラナシから続くガンジス川でもあります。春に行ったバナラシで船に乗って朝日が昇るのを眺めたことが思い出されます。
バラナシ:https://4travel.jp/travelogue/12038385 -
あの時に船の上から流した蝋燭を灯した花の乗ったフラワー・ディヤ(Flower Diya)もここを流れて行ったのでしょうか…。流れているのはホテイアオイだけのようです。
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対岸にはインドの西ベンガル州が薄っすらと見えています。州都はコルカタ(Kolkata)ですが、子供の頃に社会科で習った地名はカルカッタ(Calcutta)でした。ミャンマーのヤンゴンも昔のラングーンの方が聴き心地が良かったりします。
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砂州は湿地帯も形成しているようで水生植物もたくさん見えます。もっともこの時期は雨季なので乾季になるとその姿は変わってしまうのかもしれません。
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ホテイアオイの花は季節ではないのか数えるほどしか咲いていませんでした。これが満開だったらすごい美しいのだと思います。
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公園は延々と続いているようですがそこまで歩いている時間はありません。
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ホテイアオイの中に川舟が何艘も泊っています。
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パドマ川はガンジス川がバングラデシュに入ってからの区間を指す大きな川で、各地に漁村や船上生活に近い漁業者がいます。主な漁獲対象にはバングラデシュで特に重要な魚として知られるヒルサなどがあります。
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ヒルサは(Hils)は海と川を行き来する魚で、ふだんは海や河口近くにいて、産卵期に大きな川をさかのぼる性質があり、パドマ川でも重要な漁獲対象です。
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漁師の多くは小舟を使い、流し網、投網、そのほか地域ごとの漁具で魚をとります。パドマ川の漁民の68パーセントで漁業が主な収入源とされ、家計が川の漁に大きく依存していることが分かります。
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パドマ川の漁は雨季と乾季で条件が大きく変わります。増水期と減水期で狙う魚や使う漁具が変わり、川岸の砂州や中州の変化も仕事に直結します。
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資源の減少要因としては過剰漁獲、土砂の堆積、堤防や上流の水管理施設の影響などの問題もあるようです。
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公園では誰かが鶏を飼っているようで元気に走り回っていました。これはバングラデシュのデシ鶏(Desi)と呼ばれる在来種の鶏で値段も高いようです。翌日市場を散策してガイドさんに聞いた話しでは、一番安いのが白っぽいブロイラーだそうです。
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リスも走りまわっていますが、動きが早くてうまく写真が撮れません。
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再び川岸に戻ってみました。近くを行く川舟が見えました。この風景を見ていたら大沢たかおが若い頃に出演していた「深夜特急」というテレビ番組を思い出しました。
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ヘッドフォンは持って来ていませんでしたが、周りには誰もいないのでスマホに入れてあった井上陽水の「積み荷のない船」を流してみると感慨深いものがありました。
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沢木耕太郎の「深夜特急」の第3集が出版されたのが1992年で、テレビ版は1996年から3年に分けての放映でした。あれから30年語ったのだという想いと、コマ切れではありますがパキスタン以外はほぼ足取りをたどったなと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=mLntdNytrlw&list=RDmLntdNytrlw&start_radio=1 -
テレビ版の「深夜特急」はたまにケーブルテレビで再放送することがあり、何か月か前に録画したものを見る機会がありました。そのスタートで友人と新宿の居酒屋で賭けをするシーンがありました。
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その店が新宿の「どん底」だったのにはびっくりしました。ちょうど1カ月ほど前に行ったばかりだったからです。1951年に開業した新宿3丁目の居酒屋で、三島由紀夫や黒澤明らの文化人が訪れたことでも有名な店です。映画「どん底」を撮り終えた黒澤明はここで打ち上げをし、詩人の金子光晴はどん底のカクテル「ドンカク」について「ドンカクの唄」という詩を書いています。
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金子光春の詩も好きで、マレー半島を旅した際は「マレー蘭印紀行」を読んだりしていました。「ニッパ椰子の唄」が好きで、ここでもその一節が浮かんできます。「なげやりなニッパを、櫂〔かい〕が おしわけてすすむ。まる木舟の舷〔ふなばた〕と並んで川蛇がおよぐ。 バンジャル・マシンをのぼり バトパハ河をくだる 両岸のニッパ椰子よ。ながれる水のうへの静思よ。はてない伴侶よ。文明のない、さびしい明るさが 文明の一漂流物、私をながめる。胡椒や、ゴムのプランター達をながめたやうに。「かへらないことが最善だよ。」それは放浪の哲学。」
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バスは午前8時30分にホテルを出てクスンバ(Kusumba)に向かいます。朝からリキシャ・バンの荷台にマンゴーを乗せた人が行き交うのが見えます。
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バングラデシュのマンゴーは前の旅行記でも紹介したように、大小幾つもの種類があります。そして旅したタイミングはマンゴーの最盛期でした。
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ここでも線路は重要な舗装道路として使われているようです。
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ラジシャヒ(Rajshahi)は温暖で乾いた気候なので、マンゴー栽培に向いた地域だとガイドさんが教えてくれました。
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特にファズリ(Fazli)とヒムサガル(Himsagar)がよく知られ、ファズリはとても大きく、遅めに熟すのでジャムやピクルスにも使われます。ヒムサガルは果肉がなめらかで繊維が少なく甘みが強い品種だそうです。
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町を抜けると田植えの真っ最中でした。苗は特に苗床を作らずに田んぼに植えたものを取り分けているようです。
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バングラデシュのキンマの葉は現地の食文化と結びついた大事な換金作物として広く栽培されています。キンマの葉はつる性なので、竹や木の支柱を立てた棚のような畑で育てるのが一般的です。バングラデシュではこの栽培地をパーン(Paan)の畑として管理し、日差しをやわらげながら葉を育てます。
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南アジアでは作物畑に入る時の禁忌が信仰と実用の両方を持つことがよくあり、ガイドさんの話しではパーンの畑に入る際は身を清め、服も着替えなければならないそうです。これは傷みやすい歯を保護するのが目的のようです。
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雨季の雑炊の水が引いた田んぼでは田植えがどんどん進んでいます。
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今日も元気にたくさんのリキシャ・バンが移動する人や荷物を運んでいます。
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この辺りはまだ水が引けていないようですが、水面に縁系が映り込んでとてもきれいです。
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稲わらを積み上げたリキシャ・バンは交差点でも我が物顔で左折していきました。
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脇道に目をやると活気がある路地だということが感じられます。何となくぶらりと歩いてみたくなります。
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窓かこういうことになります。抵はこういうことになります。白い歯と笑顔を見るだけでこちらも嬉しくなり手を振ります。
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とても耕運機が入れないような田んぼが続きます。二との乗る耕運機はたまに見かけるだけで、いまだに手で植えるのが当たり前のようです。
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前から来るリキシャ・バンからは何やら声が聞こえてきます。スピーカーの役割は商品の移動販売・広告: 衣服、日用品、食べ物などの販売告知や、新しくオープンしたお店の宣伝などだそうです。地元のイベント、お祭り、新しく公開される映画のプロモーション、選挙活動・政治宣伝: 選挙期間中、候補者の名前や公約を流して地域を回るための政治的な街宣活動、行政やコミュニティからの連絡事項などを住民に伝える役目もあるようです。
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町の市場へマンゴーを卸しに行くのでしょうか?日本だったらこれでひと財産になりそうです。この時期で1キロ50タカから100タカくらいのようです。日本円にして70円から130円くらいです。持って帰れるなら1ケース持って帰って友人に配りたいです。
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街道贈位の集落を通過すると途端にこのように賑やかになります。
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バングラデシュではこのような木製の小舟を見掛けることが多かったです。1艘の値段は8000タカから12000タカくらいのようです。
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前を行く荷台のおじさんと目が合いました。ンコリと笑ってくれますが、撮りたかったのは足元にある木の棒です。これはゴボレル・ラティと呼ばれるもので、薪に使う木の棒に牛の糞を巻き付けたものです。これにはなかなか出会えませんでした。
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この辺りは水が引くのが早かったのかかなり前に田植えが終わっているようです。青々とした稲が美しいです。
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子供の頃のかなり初期の頃の記憶が1つあり、それは大阪から東京へ飛行機で帰って来る時のものでした。もう60年以上前の3歳くらいだったと思います。飛行機の窓から見えた眼下の田んぼの緑が奇麗だったという記憶です。その当時はYS-11で高度が低かったのだと思います。
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今回の旅で一番立派な顎鬚だったのはこのおじさんでした。イスラム教徒が多数派のバングラデシュでは、男性の顎鬚は主に「信仰心や敬虔さを示す宗教的シンボル」として理解されることが多いようです。とくに敬虔なムスリム男性ほど顎鬚を伸ばす傾向があります。預言者ムハンマドが「顎鬚を伸ばし、口ひげを短くする」ことを勧めたとされ、これをスンナ(預言者の慣行)として守っているそうです。
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交通ルールを守りましょうと書かれた看板の下はだいたい6車線になっていました。
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ホテルを出て1時間ほど経った午前9時30分にクスンバ(Kusumba)に到着しました。
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バングラデシュの5タカ紙幣です。肖像画はバングラデシュの初代大統領のシェイク・ムジブル・ラフマンです。かつての東パキスタンにおけるベンガル人政治指導者で独立運動家でもありました。バングラデシュの大統領(初代及び第4代)及び首相を歴任しています。
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重要なのはその裏側で、こちらにはこれから見学する「クスンバ・モスク/Kusumba Mosque」が描かれています。それほど重要な場所だというのがガイドさんの説明でした。
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この日は金曜日だったので礼拝用の赤いテントがモスクの前に火除けとして渡されていたので写真が採りにくかったのが残念です。
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モスクの建設は1558年に始まり1559年に完成したと、モスクの外壁の碑文に記されているそうです。この時期のバングラデシュ周辺にはアフガニスタンの支配者が相次いでいました。クスンバ・モスクは最後のスリ王の1人であるギヤスッディーン・バハドゥル・シャーの時代に建てられました。
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モスクはスリ朝の支配下で建てられましたが、建築様式は北インドの以前のスリ建築の影響を受けていませんでした。このモスクは他のバングラデシュのモスクの様式で建てられ、クスンバ・モスクはバングラデシュやミャンマーの他のモスクのインスピレーションの源となりました。
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モスクの建設には砂岩と花崗岩、大理石の3種類の石材が使用されました。モスクの形状は丸みを帯びた基本的な長方形です。ここまで焼成煉瓦の建築ばかり見てきたので石造の建築物は不思議な感じがします。この石材はどこから運ばれてきたのでしょう。
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クスンバ・モスク内部で最も目立つ特徴は建物の中央にある大きく開けた開口部です。この開放的な建築様式によりモスク内部は日光に照らされ、風による換気も良好です。
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3スパンの開口部に対峙するように3つのミブラーフが設けてあり、その花崗岩で出来たニッチの部分の彫刻は驚くほど精緻です。石造建築の少ない地でここだけにこの技術があったとは思えないので、石材と共に職人もここへやってきたのでしょう。
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全てが石造なわけではなく、天井のドーム部分は既存のレンガの技術が用いられていますが、剥離して下地が露出していることでその積み上げる技術の高さがうかがい知れます。
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クシュンバ・モスクの一番右である北西の角にある石柱に支えられたこの高架の石造り構造(中二階のギャラリー)は「バードシャー・カ・タフト(Badshah-ka-Takht)」、「王の座(King's Throne)」と呼ばれています。
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その脇にある説教壇かと思ったものは石段で、「王の座」の上に登ることが出来ます。ただでさえモスクの場合は立ち入れないエリアが多いのですが、ここでは自由に登れることが出来ます。
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登った先には支配階層の人物のためのミブラーフが設けてあり、ここの彫刻はさらに精緻でした。
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「王の座」から眺めたモスクの内部です。お祈りしているのは1人だけで、後は我々のツアーのメンバーです。
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この時点で「日本人の団体が来ているらしい。」という情報が周辺の人に伝わり、日本人を見に来た人たちでモスクの中はこんな状態になっていました。田舎では外国人を見ることは少なく、さらに日本人だということで集まったようです。
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モスクの表にもたくさんの人が集まっていました。ガイドさんによると皆さんよくこんな遠いところまで来てくれましたと言う気持ちだったそうです。
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表に出ると一緒に写真を撮ってください状態になり、こちらも写真を撮らせていただきました。真ん中の子は女の子ですが頭を坊主にしています。南アジアでは子どもの最初の剃髪を一定の年齢で行う習慣や、バングラデシュ農村部の産後慣習では新生児や乳幼児の髪を不浄とみなし、剃ることで清めや魔除けになるという考えもあるようです。
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ずっと妹の手を繋いでいるお姉ちゃんの姿が微笑ましいです。下の子は安心しきって上の子と一緒にいればいいのですが、上の子はそれなりに大変なのは自分も弟がいたのでよく分かります。ヘンナはバングラデシュで メヘンディと呼ばれますが、この子たちも手の甲と指先に施していました。
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正面側は赤いテントが張られているので側面から写真を撮りました。4面とも石造の美しい建物です。4炭にミナレットがあるのは一昨日に行ったバケルハット/Bagerhatの「シャット・ゴンブス・モスジット」と同じです。
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「僕の家族と一緒に写真撮ってくれますか?」と言われて応じたご家族です。こちらも写真を撮らせてもらいました。
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ずっと近くにいた女の子達にもお願いして写真を撮らせてもらいました。屈託のない笑顔が素敵な子たちでした。
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この後はバスに乗り込んだのですが、モスクの前からずっと近くにいた人たちはバスの横に並んで手を振って見送ってくれました。
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余韻に浸る間もなくそこへ荷台にたくさんの人を積んだトラックが入ってきました。後で気が付きましたが、モスクへ礼拝に来た人たちだったのだと思います。
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カメラに気が付いた人たちはこの後一斉に手を振ってくれました。妻はバングラデシュに何があるんですか?と言いましたが今なら答えられます。「日本に無いものがたくさんあるよ。」
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