2026/07/22 - 2026/07/22
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kojikojiさん
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「パナム・シティ/Panam City」は正式には「パナム・ナガル/Panam Nagar」と呼ばれるようで、起源は13世紀にまで遡ります。かつては繁栄した商業の中心地でしたが17世紀に首都がソナルガオン(Sonargaon)から遷都したことで衰退してしまいます。19世紀のイギリス植民地時代には裕福なヒンドゥー教徒の商人たちが再開発し、綿織物貿易の中心地としての商業的重要性を活性化させました。しかし「インド分割」でパキスタンの中の東パキスタンとして独立したこととと1964年の暴動により放棄されてしまいました。その後は近くまで整備されていた運河も廃れてしまっています。2000年代に考古学的遺跡に指定され、現在は1本の通り沿いに荒廃した建物が集まった廃墟の町として残されています。これは廃墟好きにはたまらない光景で、シュンドルボン国立公園のクルーズよりもこちらに来て良かったと思えるほどでした。ガイドさんについて町中を歩くよりも写真が撮りたかったので1人先に進みましたが、高校生くらいの男の子と女の子が遊びに来ているのに出会いました。彼らはこちらの興味津々でしたが、こちらから「写真撮ってもいい?」と尋ねると二カーブ(Niqab)というイスラム教の目の周りだけを出す衣装を着ている女の子は「ヤダ~、恥ずかしい。」と横を向いてしまいましたが、同じ二カーブの女の子は男の子とカップルのようでこちらを向いてポーズを決めてくれました。バングラデシュの人々は日本人とわかるとどんどん集まってきて、遠慮しながらもスマホを向けて写真を撮り始めます。そのうちに一緒に写真を撮ってほしいと言われます。何でこんなに日本人が人気があるかというと、インドから独立した東西パキスタンの時代に遡るようです。東西パキスタンには経済格差があり、外国援助の2/3は西パキスタンに投下されていいましたが、日本は援助の2/3を気候風土が近似し、親日的な極貧の東パキスタンに注ぎました。この東パキスタンが後のバングラデシュになります。また71年3月にパキスタン軍は市民に武力弾圧をおこなうと日本国内の世論がバングラデシュへの同情一色となり、大量の難民の窮状に支援運動が高まりました。この市民の募金活動はバングラデシュ国民の琴線に触れて今に語り継がれているそうです。ここでも日本語を勉強しているという青年が来て、一緒に写真を撮ってほしいという申し出もありました。彼の輝いた眼を見ているとこの国の未来は明るいなと思いました。ここまでが予定変更した観光で、バスに乗ってバケルハット(Bagerhat)を目指します。途中ガンジス川の一部であるパドマ川に架かる「パドマ橋/Padma Bridge」近くの「LEAF LOUNGE」という美しいガーデンレストランで昼食になりました。個室に案内されて出てくる料理は店のスタッフが全てお皿に盛りつけてくれます。これはバングラデシュの巣なんだ―どのようでこれ以降も同じサービスが続きました。料理は中華風の料理でとても美味しくてびっくりです。やはりインドよりもミャンマーが近いと感じさせました。半日だけでもすっかりバングラデシュにハマってしまい、もう妻のことは思い出さなくなりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- マレーシア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- JTB
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「ゴールディ・モスク/Goaldi Mosque」からバスに乗って20分ほどで「パナム・シティ/Panam City」と看板のある駐車場に着きました。
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この日は予定変更になって行き先も分からないミステリー状態ですが、到着した場所もミステリーな場所でした。
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ただ映画のセットのように見事に廃墟になった街並みに不思議な魅力を感じます。このエリアに入るのには入場料が必要なようで、1人300タカのようで、日本円にすると400円弱です。
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バングラデシュの農村などで広く使われている伝統的な土や泥製のかまどで、「チュラ(Chula)」や「マティル・チュラ(Mathir Chula)」などと呼ばれます。
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先ほど見学してきた「ゴールディ・モスク/Goaldi Mosque」のように数百年前の意識化と思いましたが、キャノピーを支えるアイアンワークの支持金物が見えます。
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興味深そうにこちらを見ていた男の子2人と女の子3人に声を掛けて「写真撮ってもいい?」と尋ねると女の子2人は「恥ずかしい~。」と逃げてしまいましたが、カップルらしい2人はポーズを取ってくれました。
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遺跡の奥には古い沐浴場があり、向かい合うようにレンガ造りの階段がありました。バングラデシュでは水を使って体を洗う習慣がとても一般的で、とくに地方では川、池や井戸、水くみ場などで体を洗う光景が見られます。さすがにここは使われていません。
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ここでガイドさんの説明を聞いていると日本語を勉強しているという学生が声を掛けてきました。少し日本語で話をしたいということと一緒に写真を撮ってほしいということでした。いずれは日本企業で働きたいと言っていましたが、輝くまなざしにこの国の将来は明るいなと思いました。
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「パナム・ナガル/Panam Nagar」の起源は13世紀に遡り、かつては繁栄した商業の中心地でしたが17世紀に首都がソナルガオン(Sonargaon)から移転したことで衰退しました。
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ソナルガオン(Sonargaon)は歴史的ベンガル地域の古い首都の1つであり、かつては東ベンガルの行政の中心地で、川の港湾都市でもありました。その内陸部はベンガルのムスリン貿易の中心地であり、織工や職人が多く住んでいました。
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デリー・スルタン朝時代に重要性を増し、ここはファフルッディーン・ムバラク・シャーとその息子イクティヤルッディーン・ガジ・シャーが統治したソナルガオン・スルタン国の首都となります。この地域にはベンガル・スルタン国の王室と造幣所を置き、ギヤスッディーン・アザム・シャーの治世下のベンガル・スルタン国の首都でもありました。
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ソナルガオンはベンガルで最も重要な町の1つとなり、多くの移民がこの地域に定住しました。スルタンたちはモスクや墓を建て、イサ・カーンとその息子ムサ・カーンの指導のもと、ムガル帝国の拡大に抵抗したバロ・ブヤン連合の本拠地となります。
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近世のイギリス植民地時代になると商人たちはパナム地区に多くのインド・サラセン様式のタウンハウスを建てました。
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「パナム・ナガル/Panam Nagar」においても19世紀には裕福なヒンドゥー教徒の商人たちがイギリス植民地時代に再開発し、綿織物貿易の中心地としての商業的重要性を活性化させました。
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しかし「インド分割」と1964年の暴動により放棄されました。1947年の「インド分割」は英領インドがインド連邦とパキスタン自治領という2つの独立した自治領国家に分割されたことを指します。インド連邦は現在のインド共和国であり、パキスタン自治領はイスラム共和国パキスタン及びさらに分割したバングラデシュ人民共和国です。
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イギリス領インドの分割とイギリスのインド亜大陸からの撤退により、インド独立法により藩王国はイギリスへの従属同盟やその他の義務から解放され、イギリスは諸邦への義務を放棄し、支配者たちはインドかパキスタンに加盟するか、両国以外で独立を維持するかを決定することとなっていきます。
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政治交渉の結果1947年8月にパキスタンとインドという2つの国家が公式に誕生し、イギリス撤退後にそれぞれムスリムとヒンドゥー教徒に恒久的な居住地を与えたと考えられます。パキスタン自治領は東西に地理的と文化的に分かれている2つの地域で構成され、その間にインドが位置することになります。
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西部地域は西パキスタンと呼ばれ、東部地域は当初は東ベンガル、後に東パキスタンと呼ばれました。両地域の人口はほぼ同様でしたが政治権力は西パキスタンに集中しており、東パキスタンが経済的に搾取されていると広く認識され、多くの不満が生じました。2つの非連続領土の行政も課題と見なされていました。
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「バングラデシュ独立戦争」は東パキスタンにおけるベンガル民族主義と民族自決運動の台頭によって引き起こされた武力紛争で、インドの支援によりバングラデシュの独立が実現されました。
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そんな歴史背景を知っておくとバングラデシュの旅をする上で物の見え方も変わってくると思います。特にここ「パナム・ナガル/Panam Nagar」や後に行くプティア(Puthia)の遺跡群や宮殿とその周辺の建築遺跡を見学するには必要です。
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「パナム・ナガル/Panam Nagar」にはムガル様式、イギリス植民地様式、そしてハイブリッド様式という、2つの歴史的時代にまたがる3つの異なる建築様式が見られます。
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古代の前イスラム時代の遺物は見当たらず、ムスリム時代の遺構も乏しいもののムガル建築の要素は依然として識別できます。
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主な建造物は植民地様式で建てられたヒンドゥー教の地主の邸宅です。これらの建物は西洋の技術と構造的原理と古典的なムガル設計要素を融合させています。建物は西洋的な装飾美学を持ちながらも空間計画は基本的に地域的な性格を保っているようです。
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初期植民地時代にはムガルと植民地建築伝統の過渡的な橋渡しとして、双方の特徴を取り入れたハイブリッド様式が登場しました。この中間期に建てられた建物は大胆で支配的なムガル様式を維持しつつ、徐々に当時のヨーロッパ建築の特徴を取り入れていきました
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敷地内は2階建てと3階建ての建物が向かい合う52棟の建物で構成されています。そのうち31棟は通りの北側に、21棟は南側に建っています。
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いろいろ調べてみましたが、個別の建築について詳しく案内されたものは無く、現地にもパンフレットや案内図なども置いてありませんでした。
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エントランスの一部には入れる部分もありますが、基本的には扉には施錠されており、板でふさがれた建物や後からレンガで塞いだ壁もありました。
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この建物もフェンス越しに手を差し込んで写真を撮ったもので、中に入ることは出来ません。
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1947年までに上流階級住民の多くはカルカッタ(現在のコルカタ)へ移住していました。1964年の東パキスタン暴動と1965年の印パ戦争の後にヒンドゥー教徒はインドへ移住しました。その結果としてパナムナガルは無人の町になり放棄されました。
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1965年に放棄された土地は「敵国所有物」に指定され、この宣言により理論上は町の所有権は政府に移転されました。しかし建物は徐々に地元住民によって再び入居していきました。
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2001年に考古学局がこの地域の修復作業を開始し、2003年には保護考古学遺跡に指定しました。しかし、改修工事は建物の考古学的美しさを損なうと批判され、地元の市民社会や専門家の反対により最終的に中止されました。
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不法占有者は2009年までに完全に排除され、訪問者は2015年10月6日からチケットの購入が義務付けられています。
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以前は自由に建物の中に入れたようですが、荒らされることもあり現在は外観だけの見学に留められています。
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建物の多くはレンガだけの痛々しい姿になっていますが、それでも何軒かは往時を想像できるような白漆喰の残った建物もあります。
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基本的には構造体である柱も全てレンガで造られています。歴史的には先ほど見学した「ゴールディ・モスク/Goaldi Mosque」のような中世イスラム建築にもレンガ造の伝統が見られます。装飾的な壁面やアーチの扱いにその系譜がよく表れています。
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バングラデシュでは石材があまり豊富ではない一方で粘土が得やすいため、伝統的に建築には焼成レンガが広く使われてきました。近代建築でもその流れが強く残り、外壁や構造、日射調整までレンガでまとめる建築が多く見られるようです。
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確かにダッカに到着して以来山を見ることは無く、それは旅の終わりまで同じことでした。
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ゴーグルマップを見てみてもヒマラヤに近い山岳地帯は全てインドの領土で、唯一東南部のミャンマー寄りの方に標高1,000メートルほどの山があるだけのようです。
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完全な形でスタッコ装飾が残っている部分もあります。スタッコ装飾は石灰や石膏、セメント系の材料を使って壁や天井に浮彫や縁取りや模様をつくる装飾です。建築では表面を塗る仕上げでもあり、同時に立体的な意匠にもなります。
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1軒の建物はほとんどの漆喰が剥離していましたが、ベンガルの伝統的な農家の藁ぶき屋根を模した四隅が垂れ下がる湾曲したバングラ屋根(バンガルダール屋根)の部分だけきれいに残っていました。雨の多い気候に対応した独特の建築様式は理にかなっているなと思いました。
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このバングラ屋根(Bengal roof)は正式にはチャラ様式(Chau-chala)と言い、後に行くプティア(Puthia)にあるにあるジョール・バングラ建築のヒンドゥー寺院でも見ることが出来ました。タブbbこの家の個人的なモスクとして使われたのではないでしょうか。
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現在のバングラデシュは衣料産業が大きい一方で綿花の国内生産は少なく、原料の多くを輸入に頼る国です。ただ、19世紀のイギリス統治時代は綿織物で栄えていたのでその倉庫に使われたのではないかと思いました。
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この町を少し東に行くとメグナ川が流れてベンガル湾に注いでいます。川までは運河も整備されていたようですが、現在はその残骸のような池が残るだけでしたが、往時は船による輸送が盛んだったようです。
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「パナム・シティ/Panam City」はダッカ(Dhaka)からも近いこともある若者のデートスポットのようです。バングラデシュでは恋愛そのものはあるものの、家族の同意や結婚との結びつきが強い傾向があり、公の場で自由に交際するより目立たない関係になりやすいようです。
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イスラム文化の影響が強く、結婚は親や親族の意向が大きいことは珍しく、お見合いに近い形や家族紹介を通じた結婚も広く見られるようです。
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ダッカなどの都市部では大学や職場、SNSを通じた出会いも増えていますが、交際を公にしすぎないほうが無難という空気は残りやすく、恋愛はしていても外では控えめなようです。
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旧東ヨーロッパの廃墟などにも行ったことのある友人にツアーの予定が変わって「パナム・シティ/Panam City」へ行ったと言うとほんの10秒くらいで「ここ?」と映像を見せてくれました。廃墟好きには有名な場所のようです。
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20分ほどのフリータイムでほとんど人のいない廃墟の町を歩くのは貴重な体験でした。もしかするとシュンドルボン国立公園のクルーズよりもこちらの方が良かったかなと思えました。
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インドでは女性が頭の上に荷物を載せる頭上運搬を見掛けることはありますが、バングラデシュでは男性も運んでいました。そこらで刈り取った雑草は家に持ち帰って家畜の飼料になるのだと思いますがすごい量です。
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先ほどの打ち捨てられた沐浴場は地元の子供のたまり場のようです。
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40分ほどの観光でしたが観光客の姿も少なく、板としても民族衣装を着ているので写真を撮っても絵になりました。
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家に空けられた窓は料金所の窓口ですが、普通の民家のようで分かりにくいです。予定変更の観光はここまでで、本来の予定ルートに戻ってバケルハット(Bagerhat)に向かいます。
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バスはパドマ川に架かるパドマ橋(Padma Bridge)を渡る手前にある「LEAF LOUNGE」というおしゃれなガーデンレストランで昼食になりました。
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お客はお金を持ってそうなバングラデシュの若い人たちばかりで賑わっていました。我々は一段上がったバンケットルームのような個室に通されました。
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料理はツアーを通して大体4人で1皿づつの料理が出てきました。基本的には店のスタッフが丁寧にお皿に盛りつけてくれるのがスタンダードなようです。この店はタイ料理のレストランのようで、ポーピア・トート(揚げ春巻き)が出てきました。
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続いてホットポット鍋に入ったトムヤムクンが出てきました。
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こうやってお店のスタッフが丁寧にサービスしてくれます。
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そのスープがとても本格的で美味しく、エビの養殖で有名な国なので大きなエビがゴロゴロ入っています。
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続いてプーパッペッというカニの辛味炒めが山盛りで出てきました。殻はそれほど硬くないのでバリバリ食べられました。盛りだくさんで食べ応えありました。
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続いてパッタイですが、これも本格的で美味しかったです。最後にタイ料理レストランへ行ったのはイギリス周遊クルーズの旅で行ったウインチェスターだったなと思い出します。
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プー・パッ・ペットはワタリガニの辛味炒めでしたが、これだけの料理を日本で食べたらすごい金額になりそうです。
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ラートナー・ガイは鶏肉と野菜の餡かけのうま煮のような料理で、これは辛くないのでご飯が進みます。
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タイカレーまで出てきて美味しいのですが、基本的にバングラデシュのレストランはアルコールを置いていないのでビールが飲めないのが悲しいです。
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インドの旅の延長のようなイメージを勝手に描いていて、ずっとカレーばかり食べるのかと思っていましたが、最初がタイ料理でいい意味で裏切られたようです。その後のレストランもミャンマーを思い出させるような味付けだったので、食文化はインドよりは東南アジアが近いのかと思えました。
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最期には甘いマンゴーが山盛りで出てきました。バングラデシュではマンゴーは代表的な夏の果物で、国内で広く親しまれています。収穫期はおおむね初夏から夏にかけてで、各地の市場でも多く流通します。まさにこの旅のタイミングがマンゴーの季節でした。有名な種類は10種ほどありますが、中でも甘みが強い人気種のヒムサガル(Himsagar)や定番品種のラングラ(Langra)、大玉のファズリ(Fazli)、早生種のゴパルボグ(Gopalbhog)が人気なようです。
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レストランを出るタイミングで雨が降ってきました。店には駐車場係の人がいて川を差しかけてバスまで送ってくれました。
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雨が降り出すと途端に土砂降りになりますがしばらくすrと止んでしまいます。観光中に雨に降られることが無かったのはいつもの事ですが、妻がいなくても雨には当たらないなと思いました。
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