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東京そぞろ歩きの8回目は、赤坂界隈を歩いた。かなり前に一度歩いたことがあるのだが、街並みも変わったであろうから、久しぶりに歩いてみることにしたのだ。今回は、溜池山王駅を起点に、坂と氷川神社を巡ることにした。<br /><br />(2022.02.19 投稿)

東京そぞろ 其の8 赤坂界隈

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2022/02/12 - 2022/02/12

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旅猫

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東京そぞろ歩きの8回目は、赤坂界隈を歩いた。かなり前に一度歩いたことがあるのだが、街並みも変わったであろうから、久しぶりに歩いてみることにしたのだ。今回は、溜池山王駅を起点に、坂と氷川神社を巡ることにした。

(2022.02.19 投稿)

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
交通
3.5
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 地元から乗った上野東京ラインの列車を新橋駅で降り、銀座線に乗り換えて溜池山王駅へ向かった。この駅で降りるのは二回目だが、前回は覚えていない。と言うより、地下鉄は、出口によって全く印象が違うのである。

    地元から乗った上野東京ラインの列車を新橋駅で降り、銀座線に乗り換えて溜池山王駅へ向かった。この駅で降りるのは二回目だが、前回は覚えていない。と言うより、地下鉄は、出口によって全く印象が違うのである。

  • 11番出口を出て、とりあえず、勝海舟の邸宅跡の方へと歩いて行く。ところが、坂を登るものと思い込み、出だしから道を間違えてしまった。坂の上まで行って間違いに気付き、事なきを得た。ちなみに、間違えて登った坂の右手は、江戸時代、筑前福岡藩黒田家の広大な中屋敷があった場所である。現在は、赤坂溜池タワーや衆議院議員宿舎などが建っている。

    11番出口を出て、とりあえず、勝海舟の邸宅跡の方へと歩いて行く。ところが、坂を登るものと思い込み、出だしから道を間違えてしまった。坂の上まで行って間違いに気付き、事なきを得た。ちなみに、間違えて登った坂の右手は、江戸時代、筑前福岡藩黒田家の広大な中屋敷があった場所である。現在は、赤坂溜池タワーや衆議院議員宿舎などが建っている。

  • 一旦坂下まで戻り、江戸時代、相良下と呼ばれた道へと入る。名前の由来は、道の南側に肥後人吉藩相良家の下屋敷があったからである。そこから屋敷跡に沿って南へと歩くと、今井台と呼ばれた界隈に出る。そこには、かつて氷川小学校があったのだが、今は廃校となっている。その敷地には、勝海舟の屋敷があり、明治5年から亡くなるまで住んでいたそうだ。その一角に、坂本龍馬と勝海舟の像が立っていた。

    一旦坂下まで戻り、江戸時代、相良下と呼ばれた道へと入る。名前の由来は、道の南側に肥後人吉藩相良家の下屋敷があったからである。そこから屋敷跡に沿って南へと歩くと、今井台と呼ばれた界隈に出る。そこには、かつて氷川小学校があったのだが、今は廃校となっている。その敷地には、勝海舟の屋敷があり、明治5年から亡くなるまで住んでいたそうだ。その一角に、坂本龍馬と勝海舟の像が立っていた。

  • 勝邸跡から少し歩くと、信濃松代藩真田家の下屋敷があった場所に出る。今は、アメリカに接収されているため、鉄格子と警備員で厳重に守られて近寄れない。その北側に沿って下る坂がある。南部坂である。江戸時代の初め、盛岡藩南部家の中屋敷があったことが名前の由来である。かの松の廊下の刃傷があった当時は、赤穂藩浅野家の下屋敷があり、浅野内匠頭の正妻阿久里が暮らしていたと云われているため、忠臣蔵『南部坂雪の別れ』が生まれているが、史実ではない。

    勝邸跡から少し歩くと、信濃松代藩真田家の下屋敷があった場所に出る。今は、アメリカに接収されているため、鉄格子と警備員で厳重に守られて近寄れない。その北側に沿って下る坂がある。南部坂である。江戸時代の初め、盛岡藩南部家の中屋敷があったことが名前の由来である。かの松の廊下の刃傷があった当時は、赤穂藩浅野家の下屋敷があり、浅野内匠頭の正妻阿久里が暮らしていたと云われているため、忠臣蔵『南部坂雪の別れ』が生まれているが、史実ではない。

  • 真田家中屋敷の西側に続く道を少し歩くと、右手に坂が現れる。氷川神社の正門前を下る氷川坂である。坂の北側には、陸奥泉藩本田家の中屋敷があり、南側には氷川神社の門前町が続いていた。

    真田家中屋敷の西側に続く道を少し歩くと、右手に坂が現れる。氷川神社の正門前を下る氷川坂である。坂の北側には、陸奥泉藩本田家の中屋敷があり、南側には氷川神社の門前町が続いていた。

  • 坂の途中に氷川神社の入口がある。徳川八代将軍吉宗の命により建立された氷川神社の当時の正門があった場所である。歴史好きとしては、現在の正門より、こちらから入るのは当然である。

    坂の途中に氷川神社の入口がある。徳川八代将軍吉宗の命により建立された氷川神社の当時の正門があった場所である。歴史好きとしては、現在の正門より、こちらから入るのは当然である。

    赤坂氷川神社 寺・神社・教会

  • 風情のある参道を歩いて行くと、左手に紅色の橋があった。橋の向こうは、繁華街である赤坂にいるとは思えないほど自然を感じる場所だった。

    風情のある参道を歩いて行くと、左手に紅色の橋があった。橋の向こうは、繁華街である赤坂にいるとは思えないほど自然を感じる場所だった。

  • 右手には、四合稲荷が建っていた。その社は、明治30年に、近くにあった四つの稲荷神社を合祀したものだそうだ。名の由来は、四つの社を合わせたことから、勝海舟により、『四合(しあわせ)』と名付けられたそうである。その後、さらに3つの稲荷が合祀されたそうだ。

    右手には、四合稲荷が建っていた。その社は、明治30年に、近くにあった四つの稲荷神社を合祀したものだそうだ。名の由来は、四つの社を合わせたことから、勝海舟により、『四合(しあわせ)』と名付けられたそうである。その後、さらに3つの稲荷が合祀されたそうだ。

  • そのすぐ左手に、西行稲荷神社があった。元は、赤坂田町四丁目(現赤坂三丁目12番)の自身番屋敷内にあったもので、大正10年にこの地に遷座したそうだ。火災除けの神徳があり、『火伏の稲荷』とも呼ばれている。ちなみに、西行法師とは無縁である。その社の下には、小さな洞穴があった。どこぞの狸穴のようであった。

    そのすぐ左手に、西行稲荷神社があった。元は、赤坂田町四丁目(現赤坂三丁目12番)の自身番屋敷内にあったもので、大正10年にこの地に遷座したそうだ。火災除けの神徳があり、『火伏の稲荷』とも呼ばれている。ちなみに、西行法師とは無縁である。その社の下には、小さな洞穴があった。どこぞの狸穴のようであった。

  • 四合稲荷と西行稲荷の間の歴史を感じる石段を登ると、氷川神社の境内に出た。登り切った場所に、特異な姿をした一対の狛犬が据えられていた。氷川神社には、七対もの狛犬があるそうだ。境内は広く、樹齢450年と云われる大銀杏もあった。氷川神社がこの地に遷座する前からあったそうで、東京大空襲にも耐え抜いたそうだ。

    四合稲荷と西行稲荷の間の歴史を感じる石段を登ると、氷川神社の境内に出た。登り切った場所に、特異な姿をした一対の狛犬が据えられていた。氷川神社には、七対もの狛犬があるそうだ。境内は広く、樹齢450年と云われる大銀杏もあった。氷川神社がこの地に遷座する前からあったそうで、東京大空襲にも耐え抜いたそうだ。

  • 境内の一角に、以前は無かった真新しい建物があった、中には、二基の山車と、神輿が展示されていた。山車は二基とも江戸時代のものだそうだ。

    境内の一角に、以前は無かった真新しい建物があった、中には、二基の山車と、神輿が展示されていた。山車は二基とも江戸時代のものだそうだ。

  • 楼門の両側に連なる築地塀には、虫籠窓のようなものが設けられている。寺院では多く見られる築地塀だが、神社にあるのは珍しい。熱田神宮の信長塀を彷彿とさせる。

    楼門の両側に連なる築地塀には、虫籠窓のようなものが設けられている。寺院では多く見られる築地塀だが、神社にあるのは珍しい。熱田神宮の信長塀を彷彿とさせる。

  • 赤坂氷川神社の社殿は、震災や戦災を潜り抜け、享保15年(1730)に建立され当時の姿を今に伝えている。こちらで、赤坂を訪れたご挨拶をする。思ったよりも参拝客の姿が多かったのは意外であった。社務所を覗くと、三種類の御朱印があったが、御朱印帳を持って来ていなかったので残念であった。月詣の御朱印とは、考えたものである。

    赤坂氷川神社の社殿は、震災や戦災を潜り抜け、享保15年(1730)に建立され当時の姿を今に伝えている。こちらで、赤坂を訪れたご挨拶をする。思ったよりも参拝客の姿が多かったのは意外であった。社務所を覗くと、三種類の御朱印があったが、御朱印帳を持って来ていなかったので残念であった。月詣の御朱印とは、考えたものである。

  • 楼門の内と外に、石灯篭が建っていた。外にあった二基は、遷座の年に老中職にあった岡崎城主水野忠之が寄進したもので、内側の四基のうちの二基は、遷座前から奉納されていたものだそうだ。なお、赤坂氷川神社の境内は、かつて、浅野内匠頭の正室阿久里の実家である備前三次藩浅野家の下屋敷があった場所である。また、岡崎藩水野家は、赤穂浪士九人を討ち入り後に預かった家であり、不思議な縁である。

    楼門の内と外に、石灯篭が建っていた。外にあった二基は、遷座の年に老中職にあった岡崎城主水野忠之が寄進したもので、内側の四基のうちの二基は、遷座前から奉納されていたものだそうだ。なお、赤坂氷川神社の境内は、かつて、浅野内匠頭の正室阿久里の実家である備前三次藩浅野家の下屋敷があった場所である。また、岡崎藩水野家は、赤穂浪士九人を討ち入り後に預かった家であり、不思議な縁である。

  • 氷川神社の周囲は、街並みこそ大きく変わっているが、町割りは江戸時代とほとんど変わっていない。そんな町を歩いて行くと、また坂が現れた。檜坂である。坂の名は、坂の西側にあった長門萩藩毛利家の下屋敷が、檜が多いことから檜屋敷と呼ばれていたことに由来する。

    氷川神社の周囲は、街並みこそ大きく変わっているが、町割りは江戸時代とほとんど変わっていない。そんな町を歩いて行くと、また坂が現れた。檜坂である。坂の名は、坂の西側にあった長門萩藩毛利家の下屋敷が、檜が多いことから檜屋敷と呼ばれていたことに由来する。

  • 毛利家下屋敷は、現在、東京ミッドタウンと檜町公園となっている。この辺りは、赤坂でも大きく景観の変わってしまった地域である。再開発される前は、防衛省の施設や赤坂中学校などが建ち、公園も今よりかなり小さかった。

    毛利家下屋敷は、現在、東京ミッドタウンと檜町公園となっている。この辺りは、赤坂でも大きく景観の変わってしまった地域である。再開発される前は、防衛省の施設や赤坂中学校などが建ち、公園も今よりかなり小さかった。

  • 檜坂の下はかつて清水谷と呼ばれていた場所で、道は江戸の頃とほとんど変わっていない。歩いて行くと、今井谷の辺りで、氷川神社の脇から下りて来る元氷川坂と出会う。坂の途中に、元氷川明神があったことに因む坂である。その坂下には、安政6年から明治元年まで、勝海舟が住んだ屋敷があった。坂本龍馬が勝海舟を暗殺しようと踏み込んだのも、この場所である。勝に説得され、考え方を変えることになった歴史の転換点である。

    檜坂の下はかつて清水谷と呼ばれていた場所で、道は江戸の頃とほとんど変わっていない。歩いて行くと、今井谷の辺りで、氷川神社の脇から下りて来る元氷川坂と出会う。坂の途中に、元氷川明神があったことに因む坂である。その坂下には、安政6年から明治元年まで、勝海舟が住んだ屋敷があった。坂本龍馬が勝海舟を暗殺しようと踏み込んだのも、この場所である。勝に説得され、考え方を変えることになった歴史の転換点である。

  • 勝邸跡の北側の界隈は、かつて、長谷川平蔵の父が暮らした長谷川家の屋敷があった場所である。長谷川家は、後に鉄砲洲本湊町に屋敷替えとなったので、平蔵が生まれた場所は、そのどちらかと云われている。ただ、当時は実家に戻って出産することが多かったので、実際の所は分からないようだ。歴史家の間でも、色々な意見があり、新たな資料が見つからない限り、確定は出来ないだろう。

    勝邸跡の北側の界隈は、かつて、長谷川平蔵の父が暮らした長谷川家の屋敷があった場所である。長谷川家は、後に鉄砲洲本湊町に屋敷替えとなったので、平蔵が生まれた場所は、そのどちらかと云われている。ただ、当時は実家に戻って出産することが多かったので、実際の所は分からないようだ。歴史家の間でも、色々な意見があり、新たな資料が見つからない限り、確定は出来ないだろう。

  • 足の指も完全ではないので、切り上げることにした。駅の方へと歩いて行くと、途中に蕎麦の名店『室町砂場 赤坂店』があった。大坂から江戸に進出した『砂場』の系列で、直系である南千住砂場から暖簾分けした室町砂場の支店である。並んでいる人が居なければ、立ち寄りたかった。

    足の指も完全ではないので、切り上げることにした。駅の方へと歩いて行くと、途中に蕎麦の名店『室町砂場 赤坂店』があった。大坂から江戸に進出した『砂場』の系列で、直系である南千住砂場から暖簾分けした室町砂場の支店である。並んでいる人が居なければ、立ち寄りたかった。

  • TBSや博報堂に近い赤坂駅がある交差点に出ると、その角に木々に囲まれた古い木造の民家が建っていた。もう人は住んでいないようだが、こんな繁華街のど真ん中に、武蔵野のような光景があるとは驚いた。

    TBSや博報堂に近い赤坂駅がある交差点に出ると、その角に木々に囲まれた古い木造の民家が建っていた。もう人は住んでいないようだが、こんな繁華街のど真ん中に、武蔵野のような光景があるとは驚いた。

  • その交差点を東へ進むと、山王下交差点で外堀通りと出会う。向かい側には、新興宗教の総本山のような佇まいの山王日枝神社が鎮座する。江戸三大祭りの一つである山王祭りで知られる神社であるが、江戸の風情は全くない。平成20年に、とんでもない事件が起きた場所でもあるので、参拝する気にはなれなかった。

    その交差点を東へ進むと、山王下交差点で外堀通りと出会う。向かい側には、新興宗教の総本山のような佇まいの山王日枝神社が鎮座する。江戸三大祭りの一つである山王祭りで知られる神社であるが、江戸の風情は全くない。平成20年に、とんでもない事件が起きた場所でもあるので、参拝する気にはなれなかった。

  • 交差点から、外堀通り沿いに溜池山王駅へと戻る。11番出口の向いには、雑居ビルが建ち並んでいる。その脇には、飲食店が軒を連ねる路地もあった。このような場所も、いつかは再開発で失われてしまうであろう。日枝神社周辺のように殺風景な街並みになってしまうのは悲しいことである。久しぶりに歩いた赤坂界隈であったが、変わらぬ場所も少しは残っていたのが嬉しかった。

    交差点から、外堀通り沿いに溜池山王駅へと戻る。11番出口の向いには、雑居ビルが建ち並んでいる。その脇には、飲食店が軒を連ねる路地もあった。このような場所も、いつかは再開発で失われてしまうであろう。日枝神社周辺のように殺風景な街並みになってしまうのは悲しいことである。久しぶりに歩いた赤坂界隈であったが、変わらぬ場所も少しは残っていたのが嬉しかった。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • ポテのお散歩さん 2022/02/20 02:40:27
    江戸を感じる場所
    旅猫さん こんばんは。

    漠然となんですが。『南部坂雪の別れ』の南部坂に行ってみたいと
    思っていたのですが、史実ではないのですね。
    切ない場面なので、本当だったらよかったのですが。。。
    忠臣蔵自体どこまでが本当で、どこが脚色されているのかわからない
    のですよね。 本当の事は知らない方がいいかも。ですね(^-^;

    Google地図で勝海舟屋敷跡を調べたら、2つの場所が出てきたのですが
    近くに引っ越していたのですね。
    坂本龍馬が勝海舟に説得されて考え方を変えた話は、冗談のような 
    でも凄い話だと思います。
    それから歴史が変わって行くのですから。。。
    江戸を舞台にした歴史を追いながら歩く東京は楽しいですね。

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2022/02/20 14:49:05
    RE: 江戸を感じる場所
    ポテさん、こんにちは。

    いつもありがとうございます。
    南部坂の下屋敷は、刃傷事件後すぐに幕府に召し上げられています。
    ですが、すぐ近くに阿久里の実家、備前三次藩浅野家の下屋敷があり、そこに瑤泉院となった阿久里が住んでいたので、坂違いと言えます。
    『氷川坂又は元氷川坂雪の別れ』が正しいかも。

    勝海舟は、赤坂を愛していたので、赤坂内で三回も引っ越しています。
    坂本龍馬の凄い所は、自分の考えが間違っていたと分かれば、すぐに考え直し、さらにその先を見つめることが出来たというところですね。
    幕臣ながら、勝海舟も先見の明はありましたが。

    京都、江戸、鎌倉は、歴史的な事件の舞台となっているので、歴史好きが街歩きするには打って付けの場所です。
    旅猫
  • ohanaさん 2022/02/19 18:04:16
    非常に詳しいです
    旅猫さん
    こんにちは
    ohanaと申します。

    凄くマメに調べていますね。
    私が育った街。
    いまも本家はあります。

    砂場はいいですね~
    私もたまに行きますが~なんせ量が少ないので何枚かたべないとなりません。

    TBS入口の古い家、
    まだポストあります。
    女性姉妹(年配)と犬一匹で住んでいましたが今は誰かが引き継がれていますが、
    姉妹がお住まいのときもあまり表には出ない家でした。

    私は氷川神社で名前つけていただいていますので氏神様です。

    先日も初詣で行った来ました。

    しかし凄く赤坂を理解しているので脱帽です。

    また寄らせていただきます。

                        ohana

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2022/02/19 20:31:08
    RE: 非常に詳しいです
    ohanaさん、こんばんは。

    書き込みありがとうございます。
    ohanaさんのご実家は、赤坂なのですね!
    都心に実家があると言うのは、驚きです。
    しかも、氷川神社が名付け社とはびっくり。

    街歩きと歴史が好きなので、つい色々調べてしまいます。
    古地図と見比べて歩くのは、結構楽しいです。
    砂場は、美味しいと評判なので、一度は食べてみたいかなと。
    でも、量が少ないのですね。

    あの古民家、現役なのですね!
    人気が無いようでしたので、てっきり廃屋かと。

    旅猫

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