2023/01/29 - 2023/01/29
77位(同エリア4153件中)
旅猫さん
東京そぞろ歩きの12回目は、浅草の花川戸と今戸界隈を歩く。この界隈は、浅草寺を中心とした寺町が広がっていた場所で、多くの江戸庶民が参詣に訪れ賑わった場所である。今回は、前回歩いた蔵前の北側から今戸まで歩き、そこから旧猿若町、浅草寺を抜け、蔵前駅に戻ることにした。
(2023.02.08 投稿)
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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と言うことで、今回も蔵前駅から歩き始める。地上へは、A5出口から外へ出た。江戸通りを渡り、厩橋の西詰から駒形2丁目へと入る。そこは、墨田川のすぐ西を走る道で、江戸時代には河岸に面していた場所である。
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『鬼平犯科帳』にも登場する諏訪町河岸を過ぎると、その先は浅草駒形町である。その向かいにあったのが駒形河岸である。今は雑居ビルなどが建ち並び、江戸の頃の面影はもちろん、地名すら残っていない。ところが、ふと電柱を見上げると、そこには『駒形河岸』の文字があった。
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駒形2丁目を抜けると、駒形橋の西詰に出た。その向かいに、艶やかな紅色を纏った御堂が立っている。駒形堂である。浅草寺の本尊が示現した場所に建立されたと云われている。関東大震災で焼失後、当初より北側の現在地に再建されたそうだ。
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その境内に、『浅草観音戒殺碑』がある。元禄6年(1693)に建てられたもので、その前年に出されたこの地を魚鳥殺生禁断の地と定めた法度を記念したものだ。倒壊して埋没していたものが、昭和2年に発見され、修復したものだそうである。
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駒形橋の上に出て景色を眺める。上流側には、青空を指すように聳える電波塔と、相変わらず目立っている金斗雲が望める。
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西詰の交差点を渡ると、その角に喜多方ラーメンの名店『坂内食堂』があった。喜多方には何度も行っているが、いつも行列が出来ているため、一度も味わったことは無い。開店直後で店内には一人も客がいなかったので、入ってみることにした。定番のラーメンを食べてみたが、脂がかなり強く、唇がぬるぬるするほどである。あっさり系の喜多方ラーメンが好みなので、これは好きにはなれなかった。
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食後、雷神門前広小路、現在の並木通りを歩いて行く。その先には、世界的にも名の知れた浅草寺の雷門が見えて来る。門の前には、観光客がひしめき合い、かなりの混み様であった。
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その混雑を避け、吾妻橋の方へと進む。その先左手に、10年ほど前に、昭和6年の開業当時の姿に復元された東武鉄道の浅草駅が見えて来た。その前にあった怪しげな地下街への入口は、いつの間にか綺麗になっていた。
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吾妻橋の西詰から、隅田公園と花川戸1丁目の境の道へと入る。左手は、浅草材木町から花川戸町があった場所で、右手は大川に面した河岸が続いていた。そのまま少し歩くと、東武伊勢崎線の鉄橋が近付いて来る。その鉄橋には、『あさくさリバーウォーク』と呼ばれる歩道が両側にあり、歩いて隅田川を渡ることが出来るようになっている。
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その鉄橋を潜ると、『山の宿の渡し跡』と刻まれた石碑があった。明治になってから設けられた渡船があった場所だそうだ。対岸の源森川に架かる枕橋の袂を結んでいたことから、『枕橋の渡し』とも呼ばれていた。
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展望広場の辺りまで歩き、一旦隅田川沿いを離れる。少し西へと進むと、右手に花川戸公園が見えて来た。その入口脇に、『姥ヶ池之旧跡』と刻まれた石碑がある。明治24年まで、この辺りには、姥ヶ池と言う大きな池があったそうだ。浅茅ヶ原の老婆に纏わる伝説の舞台である。
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言問橋の西詰で、隅田公園へと戻る。すると、その入口に、東京大空襲で亡くなられた方たちを追悼する石碑が建っていた。空襲の碑、言問橋は猛火に包まれ、大勢の方が亡くなられたそうである。当時の橋の石材の一部が、その傍らに保存されていた。
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その先では、紅梅と白梅が、競うように咲き始めていた。
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梅を観ながら歩いていると、山谷堀広場に出た。そこには、明治期に設けられた『竹屋の渡し跡』の碑が立っていた。そして、広場の西側には、山谷堀に架かっていた今戸橋の親柱も残されていた。
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その斜向かいに、待乳山聖天がある。正式には、本龍院と呼ばれる浅草寺の支院である。寺の縁起に寄れば、創建は推古天皇9年(601)と言う古寺である。参道脇に続く築地塀は、広重の浮世絵にも描かれている。
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境内の一角には、大正12年(1923)、旧東京市浅草区聖天町で誕生した池波正太郎氏の生誕地の碑が立っている。その生家は、現在の浅草7丁目3番辺りにあったそうである。後で知ったのだが、今年は生誕100周年に当たるので、大好きな『鬼平犯科帳』を再読したいと思う。
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石段を登り、拝殿へと向かう。参拝者もそこそこいたが、浅草寺の喧騒とは比べ物にならないくらい静かである。
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境内のそこかしこに、大根と巾着の意匠が観られる。これは、この寺の御利益を表すもので、大根は家内安全を、巾着は商売繁盛を表している。そのため、お参りの際に、大根を奉納する習わしがあるため、寺務所では大根も売られている。
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この寺も、震災と戦災により本堂などの建物は焼失し、鉄筋コンクリートで再建されたものだそうだ。だが、思いの外風情を感じる建物である。しかも、寺であるのに、拝殿・幣殿・本殿で構成された権現造で、まるで神社のようである。そう言えば、雑司ヶ谷の鬼子母神も、同じ造りであった。
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参拝後、境内を散策する。拝殿のすぐ左手には、大きな石壇に載せられた宝篋印塔があった。銅で鋳造された珍しいもので、天明元年(1781)に、蔵前の札差16名によって奉納されたものだそうだ。
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本堂の裏手には、太田道灌が勧請した道灌稲荷の跡や、糸塚などの石碑が建っていた。その東側には、かつて天狗坂があった。その先に竹屋の渡しがあり、隅田川を望む風景は、江戸でも知られた名所であったそうだ。今は天狗坂も無くなり、石段が続いている。通常は通行禁止であるが、この日は何故か解放されていた。
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最後に庭園を拝観。待乳山聖天には何度か来ているが、庭園を観たのは初めてである。なかなか趣のある日本庭園であった。
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境内に吊るされた提灯にも、大根と巾着が描かれている。以前来た時にも下げられていたが、その提灯を個人的には気に入っている。
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境内の片隅に、歓喜地蔵尊が祀られていた。何度も火災に遇い、その姿は形を留めていないそうだが、周囲には、多くの地蔵が立っていた。
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聖天様の参拝を終え、そぞろ歩きを再開する。待乳山の西側を北へと向かうと、山谷堀公園に出る。そこには、かつて山谷堀に架かっていた聖天橋の跡が残る。現在は埋め立てられている山谷堀であるが、江戸時代には、新吉原へと向かう猪牙船が行き交っていた。今は、そのような光景を想像することすらできない。
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聖天橋を渡ると、すぐの場所に今戸神社がある。康平6年(1063)、源頼義、義家親子が奥州へ向かう際、鎌倉鶴ヶ岡と浅草今津(現在の今戸)に、京の石清水八幡宮を勧請したのが、今戸神社の始まりである。このことから、鶴岡八幡宮と今戸八幡宮は、双子の兄弟とも言える社である。
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昭和12年に合祀した白山神社の神徳により、いつしか縁結びの御利益を信じる参拝者が増え、今では夫婦の招き猫が境内に溢れている。鶴ヶ岡八幡のような賑わいは無いが、良縁を求める若い女性が多く訪れ、参拝者が絶えることは無い。
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今戸神社が建つ今戸橋場周辺は、江戸時代、今戸焼が生産されていた場所である。広重も、『名所江戸百景』の『隅田川橋場の渡し かわら窯』に橋場の窯を描いている。招き猫も焼いていたそうである。また、新選組の沖田総司は、当地で松本良順の治療を受けていたが、その甲斐も無く、亡くなったとされている。
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少し歩き疲れたので、そろそろ戻ることにする。山谷堀公園沿いに西へと歩くと、吉野橋跡に行き当る。江戸時代には新鳥越橋(山谷橋)と呼ばれた橋である。『鬼平犯科帳』にも登場している。橋の北側には浅草刑場があったそうだが、かつてあった石碑等は、撤去されてしまったようだ。
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橋を南へと走る吉野通りの西側は、浅草6丁目である。その吉野通りから二本入った道沿いには、かつて江戸三座を始めとした芝居小屋が建ち並ぶ猿若町があった。南へと歩いて行くと、守田座と市村座の跡を示す石柱が立っていた。
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中村座があった場所まで来たが、石碑は無かった。芝居を観に来る江戸庶民で賑わった街も、今はどこにでもある街並みとなっていた。一軒だけ残る芝居用の小道具を扱う店だけが、芝居町の名残りを微かに留めていた。
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言問通りを渡り、浅草寺の境内へと向かう。そして、慶安2年(1649)に建立された二天門から境内へと入る。その二天門は、以前境内にあった東照宮の随身門として建てられたものだそうである。初めて二天門から入ったが、こちらの方が風情がある。
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二天門から入ってすぐの右手に、浅草神社が鎮座していた。創建年代は不明だそうだが、明治元年に三社明神とされ、後に、浅草神社となったそうだ。祭神は、浅草寺縁起に所縁の三名である。それと知っていて参拝しているのか、参拝者の長い行列が出来ていた。
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その裏手は駐車場になっていたが、そこには、山東京伝の机塚の碑などがあった。柵も無く、車にぶつけられでもしたらどうするのだろう。その奥に、特徴的な覆屋を持った小さな社があった。新門辰五郎所縁の被官稲荷社であった。その屋根は、杉皮で葺かれ、とても優し気な社であった。
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本堂の西側に回ると、古びた石橋が架かっていた。元和4年(1616)に、東照宮の参道に架けられたもので、都内最古の石橋だそうだ。近くには、『六地蔵石燈篭』と言うものもあり、こちらは平安時代から室町初期に造られたものと考えられているようだ。かなり古いものらしいが、風化していて判別できないそうだ。
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その灯籠のすぐそばには、享保10年(1725)に建立された一言不動尊があった。願い事をひとつに限って祈願すれば、その願いが叶うとされるそうだ。本堂には参拝する人の長い行列が出来、境内にも大勢の観光客が歩いているのだが、そのすぐ脇だと言うのに、嘘のように静かであった。
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そのすぐ北側に建つ影向堂の脇にも、古風な御堂が立っていた。六角堂と呼ばれる建物で、元和4年(1618)に建立された浅草寺最古の建造物だそうである。祀られているのは、日数を定めて祈願すれば霊験があると言う日限地蔵尊である。戦災で多くの建物を失った浅草寺でも、本堂の西側だけは、歴史を受け継いでいるようだ。
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混み合う本堂には立ち寄らず、帰ることにする。本堂前には、平成16年に撤去された大きな石燈篭の一部が保存されていた。
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仲見世から続く宝蔵門は、参拝客でごった返している。そして、仲見世へ入ると、まっすぐ歩くことが出来ないくらい混み合い。雷門までかなり時間が掛かった。それにしても、外国人観光客の数が多かった。
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最後に、駒形橋を見学。関東大震災後の復興事業により架けられた橋のひとつで、他の橋と同様に、とても優美な姿をしている。架橋されてから、今年でちょうど百年となるが、まったく古さを感じない。この後、蔵前駅まで戻り、今回のそぞろ歩きを終えた。
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この旅行記へのコメント (6)
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- Decoさん 2023/02/24 11:29:59
- 池波正太郎先生
- 旅猫さん、こんにちは。
ちょっと遅くなりましたが、こちらの旅行記にコメント致します。
私も池波正太郎先生の小説が大好きです(先生と呼ばせていただきます)。
鬼平犯科帳に剣客商売、真田太平記、その他長編・短編。とても好きな作家です。
特に江戸ものの鬼平や剣客商売は大好きで、こちらの旅行記でも、このあたりも長谷川平蔵や秋山親子は歩いていたのだろうか…と思って、往時に思いを馳せたり、見ていてワクワクしました。
池波文学の登場人物、私は描き方が肉感的(適切な表現ではないかも知れませんが)で、息遣いまで感じるように思います。魅力的な人物が多くて、それもすぐ側にいるような臨場感も感じます。物語の展開も意外性があって、感動して…大好きな作家です。
待乳山聖天も、いつか上京できたら行ってみたいです。
浅草寺、田舎者の私は雷門から入ることが多いのですが、二天門から入る写真は、しっとり江戸情緒。あの賑やかな浅草寺にもこんな場所があったとは。
喜多方ラーメン、ちょっと脂っこかったのですね。写真からも脂が見えるような…。私は九州なので豚骨を食べる機会が多くて、それはそれで好きなのですが、昔東京にいた頃食べていた、あっさり醤油ラーメンが、時々無性に懐かしくて食べたくなります。
Deco
- 旅猫さん からの返信 2023/02/28 07:31:32
- RE: 池波正太郎先生
- Decoさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
出掛けていて、お返事が遅くなりました。
Decoさんも、池波正太郎氏がお好きでしたか!
私も、鬼平犯科帳や剣客商売など、愛読しています。
以前、鬼平犯科帳の舞台となった場所を全て回ろうと挑戦したことがあるのですが、当時は途中で挫折してしまいました。
最近になって、またやってみようかと思い、ちょこちょこやっています。
ただ、以前より、街並みが大きく変わってしまい。。。
藤井邦夫氏の『秋山久蔵御用控』シリーズも江戸の地名が多く出て来るので、江戸好きとしては面白いのですが、池波正太郎氏の描く江戸の街の方が、登場する人たちの深みのある描写と相まって、とても情緒豊かで、江戸の風情が活き活きと伝わってきます。切絵図や名所図会を観ながら読むと、さらに臨場感が増します。
浅草寺は、やはり雷門から入りますよね。
今回は、たまたま二天門側から入りましたが、江戸時代の門である上、空いているのでとても風情がありました。
『坂内』は、初めて食べましたが脂が強かったです。
喜多方ラーメン自体は、普通あっさりなのですが。
以前は、東京にいらしたのですね。
豚骨ラーメンは、癖があるので、慣れるまで時間が掛かったのでは。
ラーメンは、あっさり系が好きです。
旅猫
-
- ポテのお散歩さん 2023/02/08 15:29:26
- 江戸の痕跡
- 旅猫さん こんにちは。
花川戸 今戸界隈って何処なんだろうと思ったのですが
浅草周辺にあるのですね。
雷門は外国の方だけでなく、私から見ても江戸の風情を感じます(^^)
波正太郎氏は生粋の江戸っ子だったのですね。
江戸を背景にした物語に愛情を感じるのは、その為なんですね。
沖田総司も京都で病に侵された後 生きている間に江戸へ戻る事が出来たと知り
良かったと思いました。
一見、江戸の面影が無くなっているような 東京の発展と街の移り変わりですが
歴史は消せないので、そこで暮らした方々がいる限り、必ず歴史の痕跡は
残っているものですね。
ポテ
- 旅猫さん からの返信 2023/02/10 10:08:48
- RE: 江戸の痕跡
- ポテさん、こんにちは。
いつもありがとうございます。
花川戸と今戸は、浅草の影に隠れて、かなり地味な街になっています。
浅草寺と花やしき界隈だけが、恐ろしく混み合い、外国人も溢れています。
花川戸は浅草寺の東隣ですが、ほとんど人はいませんでしたが(^^;
池波正太郎氏は、どちらかと言えば浅草っ子ですね。
私の御先祖は深川に代々住んでいたので、広義の江戸っ子ですが、私自身は東京っ子ですらありません(^^;
池波正太郎氏は、江戸の街を切絵図と江戸名所図会を参考にして、まるで江戸に住んでいたかのように小説に描かれているので、とても魅力的ですね。
沖田総司の最後の地が今戸と云われてるのは、松本良順が当時今戸にいたからのようです。
東京は今、急速に再開発が進み、高層ビルが立ち並び、区画整理も進んでいます。
江戸はもちろんの事、昭和の面影すらすでに失われつつあります。
今の街を見ると、将来に残すものは何も無いなと感じてします。。。
それでも、江戸の名残りがずっと残ってくれることを望んでいます。
旅猫
-
- hot chocolateさん 2023/02/08 12:59:31
- 花川戸今戸界隈
- 旅猫さま
こんにちは。
立春を迎えてからというもの、とても暖かさを感じるようになりました。
梅や桜の季節が待ち遠しいです。
駒形といえば「どぜう」ですね。
あちこちの地名は知っているものの、実際には足を運んだところは数少ないです。
東京の近くに住んでいるものの、本当の「江戸」を知らない・・・
昨日、「鬼平犯科帳」をTVで見ました。
中村吉衛門が演じていました。
喜多方ラーメンの「坂内」、美味しそうですね。見た目は・・・
市川に、喜多方ラーメンの「坂内」があります。
私はさっぱり系のラーメンが好きなので、息子たちから「それなら喜多方ラーメンの坂内は好きかも」と言われましたが、そんなに脂が強いのですか・・・。
先日、ある有名店でさっぱり系のラーメンを食べたのですが、見た目さっぱり系なのに、脂が強くてやはりがっかりしました。
私もさっぱり系の喜多方ラーメンが好きですね。
hot choco
- 旅猫さん からの返信 2023/02/10 08:27:08
- RE: 花川戸今戸界隈
- hot chocoさん、こんにちは。
いつもありがとうございます。
急に暖かくなり、春の足音を感じるようになりましたね。
と言っていたら、今日は朝から寒く、ついに雪が降ってきました。
『駒形どぜう』は有名ですね。
食べたことは無いのですが。
江戸時代の地名の多くが姿を消し、今は統合されて〇丁目ばかり。
古地図を観ていると、寂しくなります。
『鬼平犯科帳』は、やはり中村吉右衛門が一番しっくりきます。
来年、松本幸四郎による5代目鬼平が公開されますが、どうなることか。
喜多方ラーメンと言えば「坂内」と云われるくらいの名店ですが、思ったよりも脂が濃くて、あっさり系が好きな私には少々残念な味でした。
市川にも支店がありましたか。
喜多方の本店は行ったことが無いのですが、全ての店が同じ味だとすれば、市川のも脂が濃いかと思います。
旅猫
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