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淡島寒月旧居跡

名所・史跡

浅草

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淡島寒月旧居跡 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11343287

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施設情報

施設名
淡島寒月旧居跡
住所
  • 東京都墨田区向島5-4
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
giani さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(28件)

浅草 観光 満足度ランキング 321位
3.3
アクセス:
3.04
人混みの少なさ:
3.68
バリアフリー:
3.38
見ごたえ:
2.23
  • パトロンでもあった

    • 4.0
    • 旅行時期:2023/01(約1年前)
    • 0

    向島の興福寺の前に、この淡島寒月さんの旧居があった看板があります。
    淡島寒月さんは、挿絵などを描く画家で、今でいうイラス...  続きを読むトレーターでしょうか。
    また、ほかの芸術家の支援などもしていたそうで、いわゆるパトロンのような活動もしていたとか。  閉じる

    投稿日:2023/01/18

  • 弘福寺山門入口に説明板が置かれています

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/12(約1年前)
    • 0

    隅田川に架かる桜橋から5分ほどの弘福寺の山門前に説明板が置かれています。それによると、煎餅店を営み、ピアノの演奏や画を趣味...  続きを読むとしていた父親の影響を受け、寒月も作家や画家として活躍、小説や江戸にまつわる話などを洒脱なタッチで表現して好評を得ていたそうです。隠居後は父親が所有していた弘福寺の隠居所を使用し、悠々自適な生活を送っていたとのことです。寒月が梵雲庵と命名した隠居所跡地には、現在、美家古という料亭が建っています。堂々とした弘福寺山門と本堂は見ごたえがあります。  閉じる

    投稿日:2022/12/30

  • 見どころとしてはイマイチ

    • 1.0
    • 旅行時期:2022/08(約2年前)
    • 0

    向島近辺を散策していた途中で、黄檗宗弘福寺に立ち寄りました。この場所は、明治のころに趣味人として知られていた淡島観月の旧居...  続きを読む跡だったので、案内板も門前にあります。とはいえ、現在は建物などの痕跡もないので、見どころとしてはイマイチの感じでした。
      閉じる

    投稿日:2022/08/29

  • 七福神で

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/01(約2年前)
    • 0

    2022年のお正月も、昨年に引き続き、隅田川七福神を回ることになった。
    この淡島寒月の旧住居跡を示す看板は、その七福神の...  続きを読むひとつでもある布袋様をまつった弘福寺の前にある。
    いろいろな芸術を支援したという人物だが、今は、住居の跡はなく、看板で見るしかない。  閉じる

    投稿日:2022/01/31

  • 弘福寺内

    • 1.0
    • 旅行時期:2022/01(約2年前)
    • 0

    弘福寺の問の前には説明看板があり、紫と白色の看板で、本人の白黒の写真が掲載されていました。多彩な趣味をもっている人のようで...  続きを読む、寺内に隠居所遠を建てて住んでたようです。作家、画家でもあり安政時代から大正時代の人です。  閉じる

    投稿日:2022/01/11

  • 今は説明板のみがたてられています。

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/07(約3年前)
    • 0

    この淡島寒月旧居跡は今は説明板のみです。その説明板は弘福寺の山門の場所にたてられています。この弘福寺の境内に隠居所を構えて...  続きを読むいたのです。淡島寒月は明治時代の文化人です。作家で画家で古物収集家でもあります。特に幸田露伴や尾崎紅葉など文壇に紹介したのです。  閉じる

    投稿日:2021/09/05

  • 文人の住居

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/07(約3年前)
    • 0

    浅草の対岸にある東向島には、江戸時代から明治、大正にかけて、多くの文人が居を構えていたそうで、その跡を示す看板がいくつもあ...  続きを読むり、その中のひとつが、淡島寒月のものです。
    淡島寒月は、様々な分野に趣味をもっていた人物で、
    いろいろな文人の発掘や支援もしていたそうです。  閉じる

    投稿日:2021/08/11

  • 明治時代に活躍した作家であり画家

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/06(約3年前)
    • 0

    淡島寒月は、明治時代に活躍した作家であり画家です。その旧居跡を記す案内板が、墨田区にある弘福寺の山門前に設置されています。...  続きを読む
    案内板によると淡島寒月は、弘福寺の敷地に隠居所を建てて住んでいたとのことです。収集家としても知られており、数々の収集品があったそうですが、関東大震災で全て焼失したというのが悔やまれます。  閉じる

    投稿日:2022/09/03

  • 俗にいう趣味人だったらしい

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/06(約3年前)
    • 0

    弘福寺というお寺の山門の前に、案内板が建てられていたので寄ってみました。淡島寒月の住居跡でしたが、そもそも誰なのか、何をし...  続きを読むた人なのかも不明でした。明治の頃の俗にいう趣味人だったらしく、有名な文学者や小説家に影響を与えた方だったようです。  閉じる

    投稿日:2021/07/16

  • 明治時代に活躍した作家であり画家だった人物

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/05(約3年前)
    • 0

    東武スカイツリーライン曳舟駅から徒歩15分程度、墨田区向島5丁目の弘福寺の山門脇に説明板があります。淡島寒月は明治時代に活...  続きを読む躍した作家であり画家だった人物だそうです。収集家としても有名で明治26年この場所にあった隠居所で生活し、三千点を超える玩具や江戸関連の貴重な資料を収集していましたが、関東大震災で焼失してしまいました。   閉じる

    投稿日:2023/03/03

  • 梵雲庵と名づけられた隠居所でした 

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/01(約3年前)
    • 0

    東武伊勢崎線曳舟駅が最寄り駅。
    曳舟駅西口から西へ約880m、弘福寺の境内に説明板があります。
    淡島寒月(1859~1...  続きを読む926)は、明治時代の日本の作家、画家、古物収集家。
    説明板によると、父の淡島椿岳は、江戸時代に大流行した軽焼きせんべいの名店「淡島屋」を経営する実業家で大地主でした。
    明治17年(1884)、向島の弘福寺地内に隠居所を建てて住んだそうです。
    息子寒月は明治26年(1893)頃、父の使っていた隠居所を梵雲庵と名づけ隠居。
    「梵雲庵寒月」と号し、悠々自適な生活に入ったそうです。
    向島と隠居所ってなぜか似合う気がします。

      閉じる

    投稿日:2021/08/30

  • パトロン

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/01(約3年前)
    • 0

    隅田川七福神のひとつでもある弘福寺の門前に、この淡島寒月の看板がある。
    淡島寒月は、明治から大正にかけて、玩具などの収集...  続きを読むで知られた人物で、
    実家がかなり裕福だったこともあり、文人たちの紹介にその資力を使ったそうだ。
    いってみれば、パトロンのような人物であったようだ。  閉じる

    投稿日:2021/03/31

  • 弘福寺

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/10(約4年前)
    • 0

    隅田川七福神のひとつ、弘福寺の門前に、この淡島寒月の住居跡の碑があります。
    淡島寒月は、いろいろなことをしたことで知られ...  続きを読むていますが、
    優れた文学作家を世に紹介するなど、今でいうプロデューサー的な活躍をしました。  閉じる

    投稿日:2020/12/03

  • 名前しか知りませんが

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/07(約4年前)
    • 0

    あまり日本史には詳しくないので、淡島寒月という名前も、耳にしたことがあるくらいのものです。
    その彼は、弘福寺のあたりに住...  続きを読むんでいたそうで、看板だけが残されています。
    芸術に造詣が深く、価値の高いものを収集していたほか、
    若いアーチストを支援したりもしていたそうです。  閉じる

    投稿日:2020/07/20

  • タニマチ的?

    • 4.5
    • 旅行時期:2020/05(約4年前)
    • 0

    浅草の中でも、隅田川の対岸にある、向島にある弘福寺の前にあります。
    淡島寒月という人は、江戸時代からお菓子屋さんを経営し...  続きを読むていた実業家で、
    明治に入ってから、文学者を発掘して支援したりする、いわばタニマチのような活動をしていたそうです。
    ここは、彼の住居があった場所だとか。
      閉じる

    投稿日:2020/05/16

  • 趣味人

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/01(約5年前)
    • 0

    隅田川七福神のコースの中に入っている、弘福寺の山門の前に建っている碑です。
    淡島寒月という方、明治時代に活躍した人で、
    ...  続きを読む
    玩具の収集家だということ。
    お仕事は何なのか、知りませんが、結構な資産家だったのかもしれません。  閉じる

    投稿日:2019/01/18

  • 明治時代の作家

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/09(約6年前)
    • 0

    淡島寒月旧居跡の説明板は弘福寺の山門の脇にある。説明板には淡島寒月の白黒の絵ととともに解説文が掲載されている。お勧めの点は...  続きを読む、淡島寒月は明治時代の作家、画家、古物収集家であること、広範な知識を持った人で井原西鶴を再評価するとともに幸田露伴や尾崎紅葉など文壇に紹介したこと、住居の梵雲庵には3000余りの玩具と江戸文化の貴重な資料を収集していたこと、父親が建てた隠居所が弘福寺境内にあり淡島寒月もここに住んでいたこと、このように江戸時代の優れた作家、古物収集家であり特に淡島寒月や明治時代の文学に関心のある人にとっては訪問する価値があることである。  閉じる

    投稿日:2018/12/25

  • 趣味人・寒月の隠居所

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/09(約6年前)
    • 0

    弘福寺にお参りした際に、門前に「淡島寒月旧居跡」の案内板がありました。淡島屋とは江戸時代にこの地にあった軽焼きせんべいの名...  続きを読む店で、当時は大地主だったそうです。寒月は趣味人として知られ、井原西鶴の再評価のきっかけを作った人で、この地で悠々自適な生活を送っていたとか。隅田川沿いの桜を見ながらの羨ましい生活が目に浮かびました。  閉じる

    投稿日:2018/10/06

  • 弘福寺境内にありました

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/03(約6年前)
    • 0

    墨堤通り沿い、長命寺隣に建つ黄檗宗寺院・弘福寺の山門下に説明板が立っています。初めて知った名前でしたが、明治時代に新聞や雑...  続きを読む誌に寄稿し好評を得ていた方で、玩具などの収集家としても知られていたそうです。父親が建てた隠居所が弘福寺境内にあったことから、本人も隠居所として使用、収集物を保管していたそうですが、戦災ですべて焼失してしまったとのことです。現在、弘福寺内には隠居所の面影は全く見られません。残っていれば貴重な収集物が見られたと思うので残念な限りです。  閉じる

    投稿日:2018/03/16

  • 好事家

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/01(約6年前)
    • 0

    2018年のお正月、浅草から、恒例の「隅田川七福神」を回っている途中で見ました。

    淡島寒月という名前、最近知ったばか...  続きを読むりなのですが、
    玩具コレクターにしてコラムニスト、
    今でいうなら山田一郎さんみたいな方だったようですね。
    もっとも今は、この看板しか残っていませんが。  閉じる

    投稿日:2018/04/26

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