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13回目の東京そぞろは、飯田橋駅から九段を経て、竹橋駅へと歩いてみる。飯田橋駅は、学生時代に毎日のように利用していた。その駅から、九段坂の方へ抜け、九段、一ツ橋界隈を巡る。この界隈は、江戸城の北西に当たる街で、徳川家や幕府に関係のある史跡や、鬼平犯科帳の舞台となった場所が多い界隈である。<br /><br />(2023.02.19 投稿)

東京そぞろ 其の13 富士見・九段・一ツ橋界隈

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2023/02/12 - 2023/02/12

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旅猫

旅猫さん

13回目の東京そぞろは、飯田橋駅から九段を経て、竹橋駅へと歩いてみる。飯田橋駅は、学生時代に毎日のように利用していた。その駅から、九段坂の方へ抜け、九段、一ツ橋界隈を巡る。この界隈は、江戸城の北西に当たる街で、徳川家や幕府に関係のある史跡や、鬼平犯科帳の舞台となった場所が多い界隈である。

(2023.02.19 投稿)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
グルメ
3.5
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
JR特急 JRローカル 徒歩

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  • 飯田橋駅からそぞろ歩きを始める。降り立った西口は、学生時代に通っていた頃とは、見違えるような姿になっていた。以前、ホームが曲線上にあったため、安全上から新宿側に200m移動させ、令和3年に新装されたそうだ。二階には、史跡眺望テラスもあるようだ。

    飯田橋駅からそぞろ歩きを始める。降り立った西口は、学生時代に通っていた頃とは、見違えるような姿になっていた。以前、ホームが曲線上にあったため、安全上から新宿側に200m移動させ、令和3年に新装されたそうだ。二階には、史跡眺望テラスもあるようだ。

  • 一階にも史跡案内板が複数置かれ、歴史を学ぶことが出来るようになっている。その一角からは、かつてこの場所にあった江戸城牛込御門の石垣も望める。

    一階にも史跡案内板が複数置かれ、歴史を学ぶことが出来るようになっている。その一角からは、かつてこの場所にあった江戸城牛込御門の石垣も望める。

  • その北側の石垣の傍らに、『阿波守内』と刻まれた大きな石が置かれている。その石は、阿波徳島藩蜂須賀家が牛込門を整備したと言う記録を証明するものである。

    その北側の石垣の傍らに、『阿波守内』と刻まれた大きな石が置かれている。その石は、阿波徳島藩蜂須賀家が牛込門を整備したと言う記録を証明するものである。

  • 南側の石垣の先には、かつて牛込駅の駅舎があったそうだ。飯田町駅と統合され、現在の飯田橋駅が出来たために廃止されたが、当時の駅舎両側にあった石垣が今も残されている。

    南側の石垣の先には、かつて牛込駅の駅舎があったそうだ。飯田町駅と統合され、現在の飯田橋駅が出来たために廃止されたが、当時の駅舎両側にあった石垣が今も残されている。

  • その向かいの歩道上に、牛込御門の枡形の位置を示す表示が設けられていた。以前は無かったのだが、富士見教会の建て替えの際の発掘調査でわかったそうだ。

    その向かいの歩道上に、牛込御門の枡形の位置を示す表示が設けられていた。以前は無かったのだが、富士見教会の建て替えの際の発掘調査でわかったそうだ。

  • その富士見教会の脇を走る早稲田通りを歩き、九段を目指す。途中の富士見二丁目から一丁目にかけては、かつて旗本の屋敷が多く集まっていた場所であるが、面影はまったく無い。

    その富士見教会の脇を走る早稲田通りを歩き、九段を目指す。途中の富士見二丁目から一丁目にかけては、かつて旗本の屋敷が多く集まっていた場所であるが、面影はまったく無い。

  • 九段北へ入ってすぐの所に塀に囲まれた大きな屋敷があった。その屋敷は、小間物商で財を成した山口萬吉の私邸として、昭和2年(1927)にスパニッシュ様式で建てられたものだそうだ。なかなか洒落た造りの建物だが、会員制の施設で、見学は出来ないようだ。

    九段北へ入ってすぐの所に塀に囲まれた大きな屋敷があった。その屋敷は、小間物商で財を成した山口萬吉の私邸として、昭和2年(1927)にスパニッシュ様式で建てられたものだそうだ。なかなか洒落た造りの建物だが、会員制の施設で、見学は出来ないようだ。

  • そのまま早稲田通り沿いに歩いて行くと、九段坂に突き当たる。今は緩やかな坂だが、江戸時代はかなりの急な坂道だったようだ。坂上からは、かつて江戸湾や遠く房総半島まで望むことが出来、月見の名所でもあったそうだ。今はビルが立ち並び、その眺望はまったく無い。

    そのまま早稲田通り沿いに歩いて行くと、九段坂に突き当たる。今は緩やかな坂だが、江戸時代はかなりの急な坂道だったようだ。坂上からは、かつて江戸湾や遠く房総半島まで望むことが出来、月見の名所でもあったそうだ。今はビルが立ち並び、その眺望はまったく無い。

  • 坂の向い側に、灯台のようなものが建っている。明治4年(1871)に、招魂社(靖国神社)の燈籠として設置されたもので、常灯明台と呼ばれたものだ。設置された当初は、靖国神社側に建っていたそうだ。当時は東京湾からも見えたので、灯台としても役立っていたらしい。

    坂の向い側に、灯台のようなものが建っている。明治4年(1871)に、招魂社(靖国神社)の燈籠として設置されたもので、常灯明台と呼ばれたものだ。設置された当初は、靖国神社側に建っていたそうだ。当時は東京湾からも見えたので、灯台としても役立っていたらしい。

  • この辺りは、江戸城内郭の最北端に辺り、北の丸の入口である田安門が設けられていた。寛永13年(1636)に建てられた門が現存するが、上部の渡櫓は復元されたものである。

    この辺りは、江戸城内郭の最北端に辺り、北の丸の入口である田安門が設けられていた。寛永13年(1636)に建てられた門が現存するが、上部の渡櫓は復元されたものである。

  • 田安門を後にして、九段坂を下る。右手に見えているのは、牛ヶ淵である。その向こうには、旧九段会館の一部と昭和館が見えている。その手前の濠端は、『鬼平犯科帳』第5話『老盗の夢』の終盤の舞台である、葭簀張りの居酒屋があった場所である。

    田安門を後にして、九段坂を下る。右手に見えているのは、牛ヶ淵である。その向こうには、旧九段会館の一部と昭和館が見えている。その手前の濠端は、『鬼平犯科帳』第5話『老盗の夢』の終盤の舞台である、葭簀張りの居酒屋があった場所である。

  • 九段会館は、昭和9年(1934)に軍人会館として建てられたものである。現在は、北側と東側の一部だけを残し解体され、その敷地は、2022年10月に、『九段会館テラス』と言う高層ビルとなってしまった。牛ヶ淵側から見ると、かつての重厚な姿は無く、ビルにはめ込まれた飾りのようになってしまった。

    九段会館は、昭和9年(1934)に軍人会館として建てられたものである。現在は、北側と東側の一部だけを残し解体され、その敷地は、2022年10月に、『九段会館テラス』と言う高層ビルとなってしまった。牛ヶ淵側から見ると、かつての重厚な姿は無く、ビルにはめ込まれた飾りのようになってしまった。

  • 北側に建つ昭和館との間に小さな公園があり、そこには、解体された九段会館の鉄鋼などが保存されていた。他にも、貝塚の碑など、いくつかの石碑が置かれていた。この辺りも再開発で大きく変わり、以前の姿はわからなくなってしまった。

    北側に建つ昭和館との間に小さな公園があり、そこには、解体された九段会館の鉄鋼などが保存されていた。他にも、貝塚の碑など、いくつかの石碑が置かれていた。この辺りも再開発で大きく変わり、以前の姿はわからなくなってしまった。

  • 何度も前を通ったものの、これまで立ち寄ったことが無かった『昭和館』を見学することにする。館内の6階と7階が常設展示室となっていて、戦中戦後の生活に関する展示を観ることが出来る。見学者は高齢の方が多いかと思っていたが、20代30代の若い人ばかりであった。

    何度も前を通ったものの、これまで立ち寄ったことが無かった『昭和館』を見学することにする。館内の6階と7階が常設展示室となっていて、戦中戦後の生活に関する展示を観ることが出来る。見学者は高齢の方が多いかと思っていたが、20代30代の若い人ばかりであった。

  • 見学後、九段坂の一本北側にある中坂に鎮座する築土神社に向かう。坂の両側は、元飯田町と呼ばれた街であった。その社は、ビルの敷地に取り込ま、風情はまったく無い。

    見学後、九段坂の一本北側にある中坂に鎮座する築土神社に向かう。坂の両側は、元飯田町と呼ばれた街であった。その社は、ビルの敷地に取り込ま、風情はまったく無い。

  • それでも、境内には、安永9年(1780)に元飯田町の人たちにより奉納された狛犬が残されていた。しかし、打ちっ放しのコンクリートの壁や柱を背にして立つ姿は、まるで美術館の展示物の様である。

    それでも、境内には、安永9年(1780)に元飯田町の人たちにより奉納された狛犬が残されていた。しかし、打ちっ放しのコンクリートの壁や柱を背にして立つ姿は、まるで美術館の展示物の様である。

  • 築土神社の元々の祭神は、平将門である。実際に、将門の首を祀っていたと云われ、かつては首桶や肖像画、坐像などが社宝として伝えられていたそうである。それらは、戦災で社殿と共に焼失してしまったそうだ。

    築土神社の元々の祭神は、平将門である。実際に、将門の首を祀っていたと云われ、かつては首桶や肖像画、坐像などが社宝として伝えられていたそうである。それらは、戦災で社殿と共に焼失してしまったそうだ。

  • 築土神社に参拝した後、中坂を下り、日本橋川の方へと向かう。その途中に、『南総里見八犬伝』で知られる滝沢馬琴所縁の井戸の跡があった。30年ほど、この地に住んでいたそうである。井戸は大正時代まで残っていたそうだが、関東大震災で失われてしまったそうだ。

    築土神社に参拝した後、中坂を下り、日本橋川の方へと向かう。その途中に、『南総里見八犬伝』で知られる滝沢馬琴所縁の井戸の跡があった。30年ほど、この地に住んでいたそうである。井戸は大正時代まで残っていたそうだが、関東大震災で失われてしまったそうだ。

  • 日本橋川と並行して走る道を南へと歩くと、俎橋に出る。その橋の上を、九段坂から続く道が通っている。江戸時代、ここには同名の橋が架かっていた。

    日本橋川と並行して走る道を南へと歩くと、俎橋に出る。その橋の上を、九段坂から続く道が通っている。江戸時代、ここには同名の橋が架かっていた。

  • 道を渡ると、千代田区役所の方へ細い道が続いている。この辺りは、清水門の外に当たり、幕府の御用屋敷などが建ち並んでいた場所である。『鬼平犯科帳』の『谷中・いろは茶屋』の中で、役宅を抜け出た同心木村忠吾が駆け抜けた道である。

    道を渡ると、千代田区役所の方へ細い道が続いている。この辺りは、清水門の外に当たり、幕府の御用屋敷などが建ち並んでいた場所である。『鬼平犯科帳』の『谷中・いろは茶屋』の中で、役宅を抜け出た同心木村忠吾が駆け抜けた道である。

  • 『鬼平犯科帳』の中での長谷川平蔵の役宅は、清水門外の現在千代田区役所が立っている場所と思われる。この地は、明治初期に、大隈重信が邸宅を構えた場所でもある。ちなみに、実際の役宅は、当時平蔵の屋敷があった、現在の都営新宿線菊川駅北側である。

    『鬼平犯科帳』の中での長谷川平蔵の役宅は、清水門外の現在千代田区役所が立っている場所と思われる。この地は、明治初期に、大隈重信が邸宅を構えた場所でもある。ちなみに、実際の役宅は、当時平蔵の屋敷があった、現在の都営新宿線菊川駅北側である。

  • 清水門にも立ち寄ってみる。この門も、田安門と同様に櫓門上部は復元されたものであるが、高麗門などは、万治元年(1658)に建てられたものと考えられている。創建当初の姿が偲ばれる貴重な遺構のひとつである。

    清水門にも立ち寄ってみる。この門も、田安門と同様に櫓門上部は復元されたものであるが、高麗門などは、万治元年(1658)に建てられたものと考えられている。創建当初の姿が偲ばれる貴重な遺構のひとつである。

  • 一旦日本橋川を渡り、雉子橋通りに出る。その通りを竹橋の方へ進むと、雉子橋を渡る。この橋は、関東大震災後に架けられたもので、江戸時代には、現在の橋のすぐ上流に、東西に架けられていた。

    一旦日本橋川を渡り、雉子橋通りに出る。その通りを竹橋の方へ進むと、雉子橋を渡る。この橋は、関東大震災後に架けられたもので、江戸時代には、現在の橋のすぐ上流に、東西に架けられていた。

  • さらに歩いて行くと、歩道の脇に石垣が現れる。地図上では、雉子橋門の石垣跡とされているが、古地図と比べると位置がずれている。そのため、明治時代に撤去された後、積み直されたものではないかと考えられる。

    さらに歩いて行くと、歩道の脇に石垣が現れる。地図上では、雉子橋門の石垣跡とされているが、古地図と比べると位置がずれている。そのため、明治時代に撤去された後、積み直されたものではないかと考えられる。

  • その先で、竹橋交差点に出た。角には、有名なパレスサイドビルが立ってる。昭和41年(1966)に竣工した建物で、毎日新聞社などが入っている。ひと際目立つ円柱の部分は、エレベーターなどが設けられている。屋上に庭園があるだが、平日の昼時しか解放されていないのが残念である。

    その先で、竹橋交差点に出た。角には、有名なパレスサイドビルが立ってる。昭和41年(1966)に竣工した建物で、毎日新聞社などが入っている。ひと際目立つ円柱の部分は、エレベーターなどが設けられている。屋上に庭園があるだが、平日の昼時しか解放されていないのが残念である。

  • 帯曲輪を右手に見ながら濠沿いを歩いて行くと、大きな石碑があった。江戸城築城550周年を記念して、平成19年(2007)に建てられた『追慕の碑』と呼ばれるものだった。太田道灌が江戸城を築城したのは、長禄元年(1457)であった。当時は、江戸湊を望む小さな城であったが、家康により、今観られるような巨大城郭に整備されたのだ。

    帯曲輪を右手に見ながら濠沿いを歩いて行くと、大きな石碑があった。江戸城築城550周年を記念して、平成19年(2007)に建てられた『追慕の碑』と呼ばれるものだった。太田道灌が江戸城を築城したのは、長禄元年(1457)であった。当時は、江戸湊を望む小さな城であったが、家康により、今観られるような巨大城郭に整備されたのだ。

  • その石碑のすぐ先には、江戸城三の丸の正門であった平川門がある。現在は東御苑の入口のひとつとなっているが、今回は入らず通り過ぎる。

    その石碑のすぐ先には、江戸城三の丸の正門であった平川門がある。現在は東御苑の入口のひとつとなっているが、今回は入らず通り過ぎる。

  • その平川門の外には、御三卿のひとつである一ツ橋家の広大な上屋敷があった。現在の大手町一丁目3番と4番の全域に当たる。水戸家出身の最後の将軍慶喜は、一ツ橋家を相続後、この屋敷に入っている。現在、遺構は残っていないが、小さな石柱が立っていた。

    その平川門の外には、御三卿のひとつである一ツ橋家の広大な上屋敷があった。現在の大手町一丁目3番と4番の全域に当たる。水戸家出身の最後の将軍慶喜は、一ツ橋家を相続後、この屋敷に入っている。現在、遺構は残っていないが、小さな石柱が立っていた。

  • その屋敷の西側には、一ツ橋御門があった。門があった場所は、現在道路となっているが、日本橋川の川縁に、僅かだが石垣が残っている。

    その屋敷の西側には、一ツ橋御門があった。門があった場所は、現在道路となっているが、日本橋川の川縁に、僅かだが石垣が残っている。

  • その門の前に架けられていたのが一ツ橋である。家康入府前からあったそうだ。現在の橋は、震災復興橋梁のひとつで、ラーメン橋台の橋として12造られたものの内、唯一当時の姿を残す橋だそうだ。それにしても、都心の河や橋は、頭上に高速道路が走り、どこも薄暗いのが玉に瑕である。

    その門の前に架けられていたのが一ツ橋である。家康入府前からあったそうだ。現在の橋は、震災復興橋梁のひとつで、ラーメン橋台の橋として12造られたものの内、唯一当時の姿を残す橋だそうだ。それにしても、都心の河や橋は、頭上に高速道路が走り、どこも薄暗いのが玉に瑕である。

  • そこそこ歩いたので、切り上げることにする。近くの竹橋駅に向かい。東西線で日本橋駅へ抜け、銀座線で上野駅へ出た。

    そこそこ歩いたので、切り上げることにする。近くの竹橋駅に向かい。東西線で日本橋駅へ抜け、銀座線で上野駅へ出た。

  • まだ昼を食べていなかったので、上野駅で軽く食べることにする。入ったのは、かなり前にも一度だけ入ったことがあるサントリーの直営店だ。ウイスキーが売りの店だが、そこそこ料理もある。今は出汁カレーが名物のようだが、重いので酒とつまみをいただく。とりあえず頼んだのは、生麦酒と好物の鯖の燻製だ。

    まだ昼を食べていなかったので、上野駅で軽く食べることにする。入ったのは、かなり前にも一度だけ入ったことがあるサントリーの直営店だ。ウイスキーが売りの店だが、そこそこ料理もある。今は出汁カレーが名物のようだが、重いので酒とつまみをいただく。とりあえず頼んだのは、生麦酒と好物の鯖の燻製だ。

  • 続いて、『翠』と言うジンを使ったジントニックと、おすすめだと言う『やみつきチキン』を注文した。最近は、国産のジンが増えたが、大手のものでも悪くは無い。

    続いて、『翠』と言うジンを使ったジントニックと、おすすめだと言う『やみつきチキン』を注文した。最近は、国産のジンが増えたが、大手のものでも悪くは無い。

  • 最後に、先月訪れた知多半島に因んで、『知多』を使ったハイボールをいただく。合わせたのは、アンチョビのピザである。このピザがなかなか美味しく、ちょっと気に入った。さて、次のそぞろ歩きはどこにしようか。

    最後に、先月訪れた知多半島に因んで、『知多』を使ったハイボールをいただく。合わせたのは、アンチョビのピザである。このピザがなかなか美味しく、ちょっと気に入った。さて、次のそぞろ歩きはどこにしようか。

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この旅行記へのコメント (8)

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  • 前日光さん 2023/02/26 22:15:50
    歩いているはずなんですけど。。。( ;∀;)
    こんばんは、旅猫さん、お久しぶりです。
    この界隈、けっこう歩いているはずなんですが、パレスサイドビルと白い円柱ぐらいしか、これだ!とはっきり分かるところがありません"(-""-)"
    すぐそばに国立近代美術館とか、国立公文書館とかあるところですよね?

    昔よく東京街歩きをやっていたのですが、2016年末の腰椎骨折以来、歩くと腰が痛くなってしまい、楽しい街歩きができなくなりました。
    今はだから、旅猫さんやpedaruさんの町歩きを羨ましく眺めている次第です。
    それから東京は意外に坂道が多くて、うっかり歩いているとダラダラ上り坂でしまった!ということになります。
    東京タワー周辺とか緩い上り坂ですよね?

    漱石の「こころ」の舞台になっている「小石川」とか歩きたいのに、今となっては無理だなぁと思っています。

    今回旅猫さんが歩かれたところって、「ブラタモリ」なんかでも、たぶん取り上げられていたような?
    石垣とか石畳の道とか、東京は大都会の割には、案外昔の面影が残っているところもありますよね?
    日本橋川などを覆っている高速道路は、2040年までに撤去されると、この間テレビでやっていましたが、あと17年も生きていられるかどうか分かりません(;^_^A
    できればすっきりした青空の元の日本橋界隈なんか見てみたいのですがねぇ。


    前日光

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2023/02/28 07:56:50
    RE: 歩いているはずなんですけど。。。( ;∀;)
    前日光さん、こんにちは。

    お久しぶりです。
    書き込みありがとうございます!

    パレスサイドビルがあるのは竹橋ですね。
    おっしゃる通り、堀を挟んで向かいに国立近代美術館があります。

    pedaruさんも、精力的に街巡りをしていますね。
    自転車だと、かなり行動範囲が広がるようですね。

    東京は、坂道ばかりですからね。
    東京タワーは、三方とも緩い坂道ですね。

    小石川は、4年前に歩きました。
    あの辺りは、まだ風情のある場所が少しありましたよ。

    「ブラタモリ」でも歩いていましたか。
    私は、地図を見ながら適当に歩くので、行き当たりばったりです。
    今回も、そこそこ風情のある場所があり、面白かったです。

    首都高は、今となっては邪魔者ですね(笑)
    都心の街歩きをしていると、川の上には首都高があるので、とても目障りです。
    薄暗く、川も水路のようですし。
    日本橋が日の当たる場所になるのを、観てみたいですね。

    旅猫
  • ポテのお散歩さん 2023/02/21 13:28:35
    江戸の遺構
    旅猫さん こんにちは。

    飯田橋駅、お洒落になっていますね!
    初めて富士見周辺を歩いた時、東京は平地だと思っていたので
    起伏があるのに驚きました。
    富士見というくらいなので、富士山が見えたのだろうと納得しました。

    地図を見ながら拝見していると、江戸は馬と徒歩でじゅうぶん歩ける
    大きさだったと同時に、その中で多くの人が住んでいた事を
    改めて感じます。

    今みたいに、自由に藩外に引っ越す事が出来なかった時に
    一から築いた徳川家康と徳川幕府の繁栄に目を見張ります。
    参勤交代で各藩の藩主が江戸へ来る毎に、その力を思い知らされたのですね。

    東京大空襲と関東大震災が無かったら、江戸から現在にかけての遺構が
    もっと残っていたでしょうから、自然災害は仕方が無いとしても
    戦争はダメですね。

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2023/02/21 21:43:47
    RE: 江戸の遺構
    ポテさん、こんばんは。

    いつもありがとうございます。
    飯田橋駅は、学生時代に通った駅ですが、いつの間にか綺麗になっていました。
    関東平野は平らで起伏が無いようですが、東京の都心部は、起伏が多く、無数の坂道があります。
    歩いてみると、登り下りが多くて、なかなか大変です。
    富士見と言う地名がある場所は、江戸時代には富士山が見えていました。
    今は、ほとんどの場所で観ることが出来ません。。。

    所謂江戸は、今の山手線内とその東側の下町一帯です。
    新宿と秋葉原の間は6km足らずなので、1時間半もあれば歩けますね。
    江戸j代は徒歩が当たり前で、車が無いので信号待ちもありませんから、快適だったことでしょう。
    今の方が、時間が掛かりますね。

    当時、江戸は世界一の都市でした。
    人口が多いのに、ごみがほとんど出ない街と言うのも凄いです。
    260年もの間、戦争が無かったという世界的にも稀有な国で、江戸幕府の統治能力の素晴らしさが分かりますね。

    東京大空襲と関東大震災が無かったら、美しい町並みが今でも観られたことでしょう。
    重ね重ね残念です。

    旅猫
  • yuririnさん 2023/02/19 19:50:13
    東京そぞろ
    旅猫さん こんばんわ~
    都内の散歩楽しいですよね。
    旅猫さんは、まめに更新されていますよね。
    私も、時々散策に出掛けておりますが、なかなか旅行紀をアップ出来ません。

    九段ハウスですが、会員制ですが時々イベントが開かれていて一般でも中を見ることが出来ます。
    ご興味があれば、時々九段ハウスのホームページを覗いてみてください。
    予約制ですが、本当に素晴らしいです。

    yuririn

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2023/02/20 06:43:37
    RE: 東京そぞろ
    yuririnさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    旧江戸市街地を歩くのが楽しく、学生の頃から続けています。
    かなり街並みが変わってしまい寂しい所ですが。
    旅行記は、旅から帰ってすぐにやらないと、億劫になってしまうので、頑張ってすぐに更新しています。

    九段ハウスで一般向けにイベントをやっているのですね!
    予約制と言う所が面倒ですが、機会があれば是非訪れてみたいです。
    貴重な情報をありがとうございました!

    旅猫
  • pedaruさん 2023/02/19 05:42:00
    そぞろ歩き
    旅猫さん おはようございます

    私など寒さを言い訳にして、東京散歩をなかば中止にしておりますが、旅猫さんは
    各地を歩き、東京まで歩かれていますね。本当の旅人だと尊敬しております。

    九段会館が情けない格好になってしまったとのお話を伺いました。こういう佇まいの建物は残してもらいたいですね。
    九段会館は次兄が結婚式を挙げたところなのでよく覚えています。戦前は軍人会館と呼ばれていたのですね。
    いろいろ回られて、最後の食事、いつも感心しております。酒を楽しみ、食事も通好みのものを召し上がってますね。私も見習いたいものです。

    pedaru

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2023/02/19 08:11:29
    RE: そぞろ歩き
    pedaruさん、おはようございます。

    いつもありがとうございます。
    まだまだ寒さが続いていますが、日によっては春めいてきましたね。
    15度近くまで上がる日も増えて来たので、街歩きも汗ばむような時もあります。

    九段会館は、東日本大震災で損傷してから閉鎖されていましたが、去年、外壁の位ch治部を残して。高層ビルへの建て替えが完了しました。
    表通りから見ると残っているように見えますが、九段坂から見ると、ビルに貼り付いているような姿で、悲しい格好になってしまいました。。。

    旅でも街歩きでも、やはり食と酒は楽しみです。
    多くの人は、旅先で食事をするところは予め決めているようですが、私は旅先で目に付いたところに入るので、当たりはずれがあります。
    それも旅の醍醐味だと思っています。

    旅猫

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