2019/02/10 - 2019/02/10
43位(同エリア2779件中)
旅猫さん
東京そぞろの3回目は、最初に歩く予定にしていた西新宿界隈へ。
この街は、急激な再開発により、街の姿が大きく変わってしまった場所。
今でもその波は、元々そこにあった町を飲み込み、拡大しつつある。
今まさに消え去ろうとしているこの界隈を歩いてみた。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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-
今回は、3月の旅の指定券を取るために、まずは10時前に地元の駅の窓口へ。
無事に切符を手に入れた後、ちょうどやってきたのは新宿行きの特急『あかぎ10号』だ。
定期券に510円を追加して、快適に新宿駅へと向かう。 -
新宿駅の手前で信号待ちをしたため、6分ほど遅れて11:05に到着。
中央西口を出ると、そこに初めて見かける店があった。
『わおん』と言う定食屋で、お品書きが5品しかない。
しかも、唐揚げと生姜焼きが中心。
小腹も空いていたし、これから歩くので、ここで腹ごしらえをすることに。
頼んだのは、唐揚げと生姜焼きの合い盛り定食(880円)。
食べてみたが、正直550円ほどの値打ちしかないものだった。 -
質の悪い油のせいで胃がもたれたので、予定を少し変更し、歩いて西新宿へ向かうことにする。
まずは、駅西口の地下広場を抜けて高層ビル街の先へ。
ここからの景色も、大規模な西口再開発により姿を消す運命だ。 -
その再開発で去就が注目されているのが、『新宿の目』。
昭和44年(1969)に彫刻家の宮下芳子氏により制作されたものだが、すでに地上部分のスバルビルは解体が始まっているため、今後どうなるのか。 -
エルタワーから地上に出て、青梅街道沿いに歩きはじめる。
大ガードを潜って来た現在の青梅街道と駅西口からの道が出会う場所には、取り残されたように古い商業ビルが並んでいる。
その奥には、平成21年(2009)に竣工した住友不動産西新宿ビルが聳えている。
江戸時代には、街道沿いに町屋が並び、柏木成子町と言われていた場所だ。 -
その並び、住友不動産西新宿ビルの足元には、常泉寺と言う寺が建っている。
寛文年間(1661-1673)創建とされるが、江戸時代の地図には載っていない。
本堂の左隣に、子育鬼子母神が祀られていた。常泉院新宿鬼子母神 寺・神社・教会
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そして、屋根があるのにしっとり濡れている菩薩像が。
なんでも、水をかけることで心身が清められるという浄行菩薩だそうだ。 -
その常泉寺に隣接するのが常円寺。
こちらは、江戸時代の地図にもあり、この地の歴史を見つめて来た寺だ。常円寺 寺・神社・教会
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その境内には、幕臣筒井正憲が眠っている。
江戸時代後期、20年にもわたり江戸の治安を守って来た南町の名奉行だ。
最近は法要が行われていないのか、色褪せた卒塔婆が建っていた。 -
常円寺からしばらく歩くと、ビルに挟まれた参道が現れた。
その奥には、柏木の総鎮守であった成子天神社が鎮座している。
以前は、渋い社殿に春の桜が似合っていたのだが、別の神社のようになっていた。
高層マンションとの一体的な再開発により、平成26年に今の姿になったそうだ。成子天神社 寺・神社・教会
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かなり派手になった拝殿に参拝。
いつものように、お邪魔するご挨拶と大切なお願いを。 -
拝殿の前には、力石が5つほど置かれていた。
それぞれに、重さや名前が刻まれている。
名前は、奉納したか、持ち上げた者の名だろう。成子天神社の力石 名所・史跡
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高層マンションの裏手に回ると、大正9年(1920)に区内で最後に築造されたという富士塚があった。
区の登録文化財に指定されていたため、再開発からも生き残れたらしい。成子天神社の富士塚 名所・史跡
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この富士塚は長らく公開されていなかったが、今回の再開発以降、登頂できるようになったようだ。
本物の富士に登るのはきついので、こちらで登ったことに。
山頂付近は、なかなか険しい道だった。 -
その山頂には、小さな祠があった。
浅間神社の奥宮だろう。
他に木花咲耶姫命の像もあったそうだが、東日本大震災の際に落ちてしまったそうだ。
今は麓に建っているらしい。 -
山頂に立って眺めてみると、周囲は高層ビルやマンションばかり。
成子天神社の方角だけが開けているが、遠くには、やはり高層ビルが。
そもそも、神社と高層ビルが複合的に再開発されるというのはいかがなものなのか。
まあ、日比谷神社のように立ち退かされるよりはましと言うことか。 -
成子天神社の前を通る青梅街道は、この辺りから下り坂となっている。
坂の名は、成子坂。
もとは『鳴子坂』と書かれていたらしい。
享保12年(1727)、坂下に地蔵が建立されてからは、『地蔵坂』と呼ばれたそうだ。
現在、坂の両側には高層ビルが立ち並び、江戸時代の面影どころか、昭和の記憶すらほとんど残っていない。 -
坂を下り切ると、淀橋交差点。
ここから東へと別れる大通りは都道302号支線だが、手持ちの平成15年当時の地図には無く、かなり新しい道だ。
以前は道が無かったので、ここにあった街を潰して通したことになる。
低層のアパートが軒を連ねていた西新宿八丁目の西側と、北新宿二丁目の南端部分は完全に消滅してしまった。 -
淀橋交差点のすぐ西側には神田川が流れ、そこには淀橋が架かっている。
再開発に併せて架け替えられたようだが、親柱には大正13年当時の先代のものが流用されていた。
橋の名は、徳川家光が淀川の風景に似ていると言うことから名付けたと云われている。
江戸名所図会には、大小二つの橋があり、大橋の下を流れているのが神田上水だと書かれていた。淀橋 名所・史跡
-
橋の下には、今も名を変えた神田川が流れている。
覗いてみると、思っていたよりずっと綺麗な流れだった。 -
淀橋の南側、神田川右岸は西新宿五丁目になる。
西新宿の再開発は、今、この界隈が最前線らしい。
すでに空き地が目立ち始めていた。 -
江戸時代から残る道へ入ってみると、そこには静かな住宅街があった。
高層ビルが林立する西新宿とは思えない。 -
しかし、歩いてみると、人の気配がまったくない。
民家やアパートはあるが、すでに立ち退きが済んでいるようだった。
通学路の標識があったが、もう子供たちが通うことも無いだろう。 -
道幅の広い十二社通りに出ると、小さなお社があった。
伏見稲荷だったが、この社も再開発の波に呑まれてしまうことだろう。 -
通を渡り振り返れば、高層ビルの足元に並ぶ玩具のような小さなビルが並んでいた。
これらのビルもすでに無人のようで、取り壊しを待つだけのようだ。 -
渡った側は、西新宿六丁目。
すでに再開発も最終段階となり、大きなビルばかりが建ち並んでいる。
江戸時代に百人組与力の屋敷があった場所だとは想像もつかない景色だ。
空は狭く、妙な圧迫感すら感じる。
強いビル風が吹き、体感気温は先ほどいた五丁目よりかなり低い。 -
そんな六丁目でも、江戸時代から残る道が一筋ある。
その東側には、以前は幼稚園だったと思われる建物があった。
今は、新国立劇場の演劇研究所となっている。 -
そのすぐ先は、高級賃貸マンションと建設中の高層ビルに挟まれた区画。
殺風景な街並みだが、道がまっすぐにされず、江戸時代からの道筋がかろうじて残っているのがせめてもの救いか。
それにしても、角筈村と呼ばれ、一面田畑だったとは想像もつかない景色だ。 -
その六丁目の西南の角には、僅かに残された人の温もりを感じる街があった。
しかし、その目前には高層ビル街が壁のように迫っている。
まるで、再開発と言う名の重機が、人の住む街を押し潰そうとしているかのようだ。
ある意味、ここは、西新宿の今を表す風景と言ってよいだろう。 -
高層ビルから逃れるように、十二社通りを渡り西新宿五丁目へと戻る。
この五丁目の南側一帯は、西新宿の中で未だに再開発の波を受けていない場所。
振り返ると高層ビルが迫り、この街の姿が大きく変わるのも、そう先ではないような気がした。 -
旧角筈村の田畑の中に続く道だったその先に、小さなお堂があった。
淀橋庚申堂と呼ばれるもので、この辺りの里道の目印として建てられたものらしい。淀橋庚申堂 名所・史跡
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お堂の中には、石仏がいくつか祀られていた。
その中には、かなり摩耗してしまっているものもあった。
寛文4年の銘が刻まれていたらしいが、今は判読できないそうだ。
とぼけた猿の面差しが親しみを覚える猿田彦が彫られていたらしい。 -
庚申堂の手前の小道へと入る。
緩やかに曲がるその道沿いは、小さな商店街となっていた。 -
その先には、橋の欄干らしきものがある。
近くに案内板があったので読んでみると、柳橋と言う橋の跡だそうだ。
下を流れる川は暗渠になってしまったが、昭和7年に架けられた橋の欄干だけが残さされた。 -
その欄干も、暗渠が道となったため、一部を残して切断されている。
-
その橋跡から後ろを振り返れば、街並みの奥に都庁の第一本庁舎が聳えている。
ある意味、西新宿らしい風景だな。
それにしても、この小さな商店街はとても風情があった。 -
そこから少し歩くと、街角に狸の置物が。
『柳狸』と書かれていたが、由緒はわからない。 -
その狸が居た角は鋭角に切り込んでいる。
歩いて来た道は細く、商店街へと続いている。
反対側は、広い道だが行き止まりのようになっていた。
その先には、高層ビル群が迫る。 -
高層ビル群を背にして歩いて行くと、また三叉路に出た。
そこは、三つの区の境となっている場所だった。
角には、木造の古い民家があったが、どうも人が住んでいる気配は無かった。 -
渋谷区側に、すっと惹き込まれそうになる坂があった。
登ってみると、青空に吸い込まれそうな感じ。 -
振り返れば、そこには、高層ビル群に圧迫されそうな景色ではなく、人が暮らし、空が広がる街があった。
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坂の上の住宅街は静かで、猫たちが戯れている。
ここは、猫たちにも暮らしやすい街なのだ。 -
坂を下り、中野区側へと歩いて行く。
江戸時代からある道だが、その先にはマンションが立ちはだかっていた。
手元の地図では、まっすぐ山手通りに続いているのだが、やはり再開発で道が寸断されてしまったらしい。 -
その手前にあった宝橋で神田川を渡る。
江戸時代、神田上水は大きく蛇行し、もっと北側に橋があった。
下流の方には、新宿スクエアタワーが、空を断ち切るように聳えていた。 -
マンションを迂回し、山手通りから再び江戸時代から残る道へと入る。
相生通りと呼ばれているその道の北側は、江戸時代、成願寺と言う寺の境内だったところ。
現在は山手通りが貫き、寺は西側の一部を残すだけとなり、東側は住宅街となっている。
この道の奥も、新宿スクエアタワーが視界を遮っていた。 -
相生通りからもと本郷通りへと入る。
この道も、江戸時代からある道だ。
道は住宅街の中を緩やかに蛇行しながら続いている。
やはり、道はまっすぐより、曲がりくねっているほうが好きだ。
この界隈は、江戸時代、本郷村と呼ばれていたところだが、今は中野区本町一丁目となり、道の名前に辛うじて昔の名が残された。
道は青梅街道に突き当たり、坂を登れば、中野坂上駅だ。
今回のそぞろ歩きはこれでお仕舞。
さて、次はどこを歩こうか。
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この旅行記へのコメント (8)
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- Miyatanさん 2020/08/21 21:50:30
- 西新宿
- 旅猫さん、こんばんは。
今から20年ほど前、大学生時代に中野区に住んでいました。新宿はよく行きました。中野の青梅街道沿いに住んでいて、青梅街道突っ走って新宿までよく自転車で行きました。
最近新宿にはあまり行っていないのですが、景色本当に変わっていますよね。私の大学時代には、小滝橋通りの北新宿・百人町交差点から青梅街道に抜ける道がなかったです。あの当時で再開発中で、細い道はあったのですが、その横の建物が少しずつ道路建設で無くなり始めている頃でした。
静かな下町が再開発で景色がびっくりするほど変わってしまっています。新入社員の頃の勤務地が初台(住所は西新宿)で、西新宿界隈はよく歩いていたのですが、そちらもかなり景色は変わってしまいました。
時代の流れを感じます。
Miyatan
- 旅猫さん からの返信 2020/08/22 06:25:17
- RE: 西新宿
- Miyatanさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
中野区からならば、新宿は自転車でも行けますね。
新宿は、特に西側が大きく変わっていますね。
中野区との境にかけて、どんどん再開発が進んでいます。
区画整理が進んで、大きなビルばかりになっています。
北新塾の方も、かなり変わってきていますね。
人の住む町がなくなって、高層ビル街ばかりになってしまい寂しい限りです。
時代の流れですね。
旅猫
-
- 前日光さん 2019/12/28 23:00:19
- 私が知っている昭和40年後半の新宿
- 旅猫さん、こんばんは。
今年もお世話になりました。
いろんなヤボ用ができた今年は、4トラをかなりさぼってしまいました!
25日から北海道(登別温泉、地球岬、有珠山、昭和新山、洞爺湖温泉、小樽、などを巡って来ました。)
天気はほとんど曇りか雪、この時期はまたしてもモノトーンの北海道でした。
寒くても北海道はいいですね!
27日の夜9時過ぎに羽田着だったので、東京に後泊して、本日夕方帰宅しました。
ペットホテルに預けていた猫の梵ちゃんが体調を崩してしまい、今静かに近くで寝ています。可哀想なことをしてしまいました。
さて新宿、私の知っている新宿というのは、昔ながらの家やお店がまだまだ残っていた頃の新宿です。
高層ビルが立ち並んだ町というのは、どこかに嘘っぽさを感じてしまいます。
そもそも足が地面に着かない場所に部屋を造り、そこで暮らす。。。そんなことが普通となってしまった今の世の中ってどうなんでしょう?
猫さんが語り合いながら往来する町というのは暖かさを感じます。
すっきりと片付き、清潔に保たれた街並みには人のニオイが感じられないのです。
この旅行記は、江戸や昭和の面影を、近代的になりすぎた東京の中に感じ取ろうとしていて、「ブラタモリ」を見ているような気分になります。
大昔の新宿の、どこかに猥雑さや田舎くささの残ったあの街並みを懐かしむのは、今や懐古趣味以外の何ものでもないのでしょうか?
なかなか旅行記にご訪問できず、失礼しておりますが、来年もどうぞ宜しくお願いいたします。m(_ _)m
前日光
- 旅猫さん からの返信 2019/12/29 09:00:34
- RE: 私が知っている昭和40年後半の新宿
- 前日光さん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
こちらこそ、ありがとうございました。
2泊3日で道央の旅でしたか。
いいですね!
北海道は、どの季節もきれいですが、冬は一段と美しくなりますね。
関東の乾燥した寒さと違って、湿度があるので寒さも違いますし。
友人も猫を飼っていますが、長く預けると可哀想だと言って、最近は日帰りばかりになってしまったそうです。
生き物を飼うのは大変ですよね。
私は自分の管理で手いっぱいだし、旅好きなので生き物は飼えません(笑)
東京などの大都市は、超高層ビルばかりがもてはやされ、おかしなことになっていますよね。
まあ、日本中から人が集まってきて、住む場所がないので垂直にするしかないようですが。
そのおかげで、地方は人口が減って生活が成り立たなくなってきている。
日本はこれからどうなってしまうのでしょう。
この時歩いた西新宿も、また表情が変わっていると思います。
ものすごい勢いで街が消え、新しい街が生まれていっています。
今、防災上から、木密地域を無くし、燃えない街にするのが東京の基本姿勢。
消防車のは入れない狭い道を無くし、曲がった道をまっすぐにしなければと言いますが、個人的には、街に合わせて防火対策を取るほうが良いと思います。
下町に合わせた小型でも水圧の上げられる消防車とかね。
人が住む街を、車社会に合わせて四角くするのは、もう止めてほしいです。
昔を懐かしむと、懐古趣味と言われますよね。
でも、振り返る人がいないと、おかしな方向に前進してしまうと思います。
今年お残り少なくなりましたが、よいお年をお迎えください。
来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
旅猫
-
- 墨水さん 2019/04/28 22:12:57
- え~~っ!。
- 旅猫さん、今晩は。
スバルビル、無くなるんだ~~ッ、ビックリ!。
西新宿、北新宿界隈は、再開発との戦いの場で・・・・。(笑)
人情が行き交う町じゃ、無くなったよね・・・。
昭和の面影すら、見つけるのが大変ナくらい。(笑)
元号が改るこの時期に、此の旅行記は「粋」だね。
墨水。
- 旅猫さん からの返信 2019/05/01 16:53:22
- RE: え??っ!。
- 墨水さん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
ついに元号が変わりましたね。
そうなんです。
スバルビルはすでに地上部分は解体が始まっていて、外からは観られません。
西新宿界隈の一部は、すでに人影もありません。。。
ゴーストタウンとなっていました。
お年寄りや子供たち、そして猫たちが暮らしやすい街は、都心では失われつつありますね。
旅猫
-
- hot chocolateさん 2019/04/28 21:11:55
- 新宿そぞろ歩き♪
- 旅猫さま
こんばんは~
いよいよ連休に突入しましたが、どこかにお出かけですか。
未読の旅行記もありますが、最新の旅行記を拝見・・・
う~ん、新宿界隈は用事で出かけるだけで、そぞろ歩きはしたことがないなぁ。
でも、高層ビルの間に昔ながらの道があったり、お寺や神社もあったりで結構楽しめるかも・・・
本物の富士山に登るのは大変だから、富士塚に登ってその代りとする、こういった「本物の代わり」と言うのは谷川岳の天神峠にもあって、天満宮の鳥居の中を1周して、谷川岳プチ登山となるとのこと。
(実際、この鳥居の中には、プチ1周コースがあるのです。)
昔は、新宿の富士塚から富士山が見えたのでしょうね。
hot choco
- 旅猫さん からの返信 2019/05/01 16:44:25
- RE: 新宿そぞろ歩き♪
- hot chocoさん、こんにちは。
いつもありがとうございます。
連休は、ふらりと県内を日帰りで歩いただけです。
後半も、近間で終わりそうです。
西新宿は、江戸時代まではほとんど農地だったので、ある意味何もないです。
それでも、街道沿いの神社や寺院、昭和の町並みなど、なかなか楽しいです。
再開発により浸食され、ほとんど古い町並みは失われてしまいましたが。
富士塚が新宿に残っているのは驚きでした。
しかも、再開発で周囲をぐるりと高層ビルに囲まれていて。
あそこほど落ち着かない山頂は無いでしょうね(笑)
富士山が見えた頃に登りたかった。
旅猫
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