2025/12/18 - 2025/12/21
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binchanさん
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萬榮站の阿美語アナウンスはこの駅を「もりさか」と発音します。旅行中、阿美語の駅名は阿美族がこの地を呼び習わす地名だと思っていたので、阿美族はこの地を古くから「もりさか」と呼んでいたのだと思い込んでいました。
林田山林業文化園區のある地域は、日本時代「森坂(もりさか)」と呼ばれていました。日本時代の地名は、もともとその地で使われていた呼び名に日本の漢字を当てることが多いので、原住民族が「もりさか(ローマ字でMurisakaと表記)」と呼んでいた地を「森坂」とするのは全く不思議ではありません。なので文化園區見学中に民家の軒先に「我的故郷摩里沙卡(私の故郷もりさか)」と書かれているのを見て、このお宅は阿美族の方のお住まいなんだと思ったのでした。
ちょうど家の前におばあさんがいらっしゃったので、「お尋ねします。「もりさか」というのは阿美族の地名なのですね?」と聞いてみました。するとその方は「いいえ違います。「もりさか」は私たち排灣族の地名です。」と胸に手を当てて誇らしげにおっしゃったのです。
しかし旅行記を書くにあたり調べてみると、臺灣原住民族事典というサイトにMurisakaというのは太魯閣族の地名だと書いてありました。ではなぜ太魯閣語の地名を阿美語のアナウンスで用いるのか。排灣族の地名だというのは本当なのか。そもそも萬榮站の日本時代の駅名は萬里橋(まりばし)で、それも太魯閣語由来の地名であるのに、なぜ駅は「もりさか」なのか。疑問は尽きません。
上記のサイトによると文化園區にある集落(現在は森榮部落という)は、全住民102人中、排灣族は1%とのこと(2016年の数字)。話を聞けたおばあさんが(私の聞き間違いでなく)排灣族の方だとしたら、集落に1~2名しかいない貴重な方に会えたことになります。地名の謎は深まるばかりですが、思いがけないことを調べるきっかけとなりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
12月20日土曜日、旅行三日目
9:38
鳳林站をタクシーで出発。 -
9:53
林田山林業園區着。
こんなに人が多い観光地だとは思わなかったのでびっくり。
ここに来る路線バスはないので、タクシーで来るか萬榮站から40分歩くかしかありません。運転手さんはそれを知っているので「帰りは電話してね」と言って名刺をくれました。ありがとうございます。でも、私は駅まで歩く予定。
私がタクシーを降りる前に、帰りのお客さんが運転手さんに声をかけてました。お互いラッキーだね。 -
日本時代に開発された林場(林業産業域)が廃業後に観光地となりました。広大な森林から伐採された木材を集積し、加工したり鉄道車両に積み込む役目を果たしていたのがこの場所です。
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園内は広くどこから見学していいのかわかりません。それっぽい線路とか重機とかが周りにあるのですが…。
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出店があります。今日はイベントがあるからこの人出なのかな?雨なのにね。
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園内案内図発見。さてどう見て回るか。
林田山林業文化園區 博物館・美術館・ギャラリー
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まずは文物展示館。
林場でどんな作業をしていたかを展示しています。元は倉庫だった建物。 -
林業が盛んな頃の生活の様子。
林場が開かれたのは戦前ですが、最も栄えていたのは1950~1960年代でした。木材の用途は主に製紙材料とのこと。 -
1957年当時の様子を示したジオラマ。
最初にタクシーを降りた駐車場は中央あたりの貯木場跡。最盛期には500戸近くの家があり2,000人を超える集落だったとのこと。 -
文物館の隣にあるのが機関車庫。
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機関車庫を通り抜けると、
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当時の機関車と客車が展示されていました。
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修復された日式宿舎。
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窓から中を見て、リアルに復元されてるな~布団まで敷いてあるよ、と感心したのですが、もしかして本当に誰か住んでる?
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未修復の家屋もあります。
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これらも今後何かに利用するのかな。
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文化園區となって人は誰も住んでいないと思っていたのですが、明らかに生活感のある住居もありました。
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木彫館(もとは食堂)の脇を通って、
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萬里溪沿いの道に下りてみました。
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治水紀念碑でしょうか。
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再び園區方面へ。
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山の方へ上がる階段があるので行ってみますか。
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かつては山の斜面に沿って住宅が立ち並んでいました。
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上りきったところ。
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そこからの眺め。
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住宅のある路地を進みます。このあたりは実際に人が住んでいるエリアです。
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ここで民家の軒先に掛る「私のふるさと摩里沙卡(もりさか)」という札を発見。
家の前にいたおばあさんに写真を撮る許可をいただき、「もりさか」という地名について教えていただきました。 -
林場作業のパネル展示がある、
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こんな場所を通り抜けたり、
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再び民家を通り抜けたりして、
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林業生活館へ。
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内部は山の生態についての展示かな?
建物はかつての宿舎群の一部。 -
生活館前の広場はイベントで大賑わい。こうやって商業利用することで文化資産を継続的に保護していけるんでしょうね。
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アイスクリーム屋さん、暇そうです。冬だからね。
このお店は当時から冰店でした。 -
上に線路が見えます。そうそう、これが見たかったんですよ。
でも、工事中で階段を上ることはできません。 -
奥の方に旭東亭という東屋も見えています。どこから行けるんだろう。
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山側の道を歩いていたら交誼館と言う建物を発見。当時のジオラマでも交誼館という名前なので、住民の集会所だったのでしょうか。扉に「会議中」という札が掛けられているので、現在は運営側の会議室かな。
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醫務室、これは現役じゃありません。
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内部の様子が再現されてます。歯科もあったんですね。
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運営側の建物。当時も辦公室(事務室)として使われた建物でした。
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ジオラマにも同じ形の建物がありました。当時そのまま、おそらく現役で使われているんでしょう。(用途は不明)
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線路のある方へ行きたいのですが、こちらの階段も通行止め。
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この階段は大丈夫、上って行けます。
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ありました、線路です。でも鉄橋の方には行けないようになってました。旭東亭の方にも行けないってことですね。とても眺めの良い場所だと言うので残念。
この先に延びる鉄道線は「温泉線」と呼ばれていたそうです。確かに地図を見るとこの先に野溪温泉がありますね。 -
鉄橋の構造展示?ここに高架線があったわけではないようです。
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倉庫でしょうか。
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坂の下の様子。
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さらに階段を上って中山堂へ。
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映画などの娯楽を提供するホール。1954年建設。
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映写機。導入された1961年当時、台湾東部で最新だったそう。
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中山堂の裏手の道を進みます。
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その先の階段を上るとキリスト教の教会があるのですが、この時は気づかずに見過ごしてしまいました。
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火災紀念
園區の最も奥にあるこの集落(康樂新村)は、2001年の火災により焼失しました。幸い人的被害はなかったようです。
この鐘楼、左の看板に「火災紀念」とあるので、火災の後に建てた紀念碑だと思っていたのですが、どうやら焼け残ったもののようです。 -
教訓を活かして消火栓がたくさん設置されていました。
1972年にも大規模な森林火災がありました。一か月燃え続けたその火災で、設備には甚大な被害が出たのだそうです。そして萬里溪上流にある大觀という集落から人々がこの地に移住することにもなりました。
火災の損害から自力復興できなかった経営側は権利を林務局に売却。台湾では1987年に天然木の伐採が全面禁止となり、全土で林場経営が終息するのですが、その時林務局の管理下にあったために、現在このように総合的に設備が保存され文化園區として再生されたのかもしれません。 -
斜面に沿って並んでいた住宅。今は基礎部分だけが残されています。
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ここはお風呂だったのでしょうか。浴槽のようなものが見えます。
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中山堂の裏手まで戻ってきました。
このあたりに、かつては森榮國小がありました。 -
ここが校庭だったのでしょうか。滑り台があります。その左側が校門。
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校庭付近に台灣好行303Dのバス停があります。このバスは郵輪式(遊覧型)の運行で一日一便。12:30に花蓮轉運站を出発し3か所の観光地でそれぞれ40~69分停留したのち18:00に花蓮に戻るというもの。この文化園區では入口付近のバス停に14:50に到着、16:00にこのバス停(入口は16:01)で乗客をピックアップします(2025年12月の情報)。路線バスとしては利用しづらい運行です。
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ここの地名、日本時代は「森坂」でしたが、現在は「森榮」となっています。日本語であれば坂と榮に同じ「さか」という音を当てるので、戦前にすでにその字に変えられていたのかもしれません。
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坂を下っていくと教会を発見。先ほど見学しそびれた教会はプロテスタント。こちらはカトリック(天主教)の礼拝堂です。原住民族の方はキリスト教徒多いですからね。
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露徳聖母朝聖地(ルルドの聖母巡礼地)と書いてありますね。
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上にある聖母像をルルドの聖母に見立ててるんですね。
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登り口にあるこの牌を見るとキリストの道行きにも思えますが。
魅力的な階段ですが上りませんでした。雨で足元が悪いのと、信者じゃないので。 -
機械修理工廠
修理工場の様子が展示されているのは右奥の建物。左の建物は原藝館という看板が掛けてありましたが閉まっていました。 -
説明書きを見てくるのを忘れましたが、外にも展示がありました。
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当時の設備が紹介されています。
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とてもきれいに整備されていて展示も多いのですが誰もいません。私もちょっと時間が押してきて、じっくり見ることができませんでした。
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中山堂の前から貯木場跡(現在は駐車場)を回り込むように線路が続いています。森林の中に線路があるととっても美しく見えます。
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園區の山側をぐるっと回って入口付近に戻ってきました。奥に見えるのは現在も人が住んでいる住宅。ジオラマで見た建物配置と似ているので、往時の建物をそのまま使っているものと思われます。
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右の細い道へ。
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製材工廠跡
日本時代に建てられた木造の製材所は1960年に失火により焼失。道路が整備されていなかったため消防車が入ることができず、全焼してしまったそうです。その後鋼鉄材で再建されましたが、1975年に操業停止し解体されました。 -
基礎部分が残っています。
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地下の構造物もあったんでしょうか。
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写真奥が外部に通じる線路跡で、萬榮站付近で台鐵線路に接続していました。木材は羅東へ運ばれていたそう。旅客運送も行っており、物資を運んだり人々の交通手段でもありました。
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これは、シイタケのホダ木?
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使われなくなった機械がアートになっていました。リアルなトンボで怖いな。
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案内地図では機具展示館となっている建物ですが、展示かあるようには見えませんでした。
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原子炭工廠
製材時に大量に排出されるおがくずを再利用して木炭を製造したのだそうです。 -
不純物を除いたおがくずを乾燥させ圧縮して棒状の製品にするらしい。どの段階で「炭」になるのか解読できず。
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氣旋式分離機と煙突。
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篩(選別機)と乾燥機。
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もとは何の建物か不明ですが原子炭工廠に隣接していた展示館。
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こんなものが展示されていました。右のイラスト地図が最も新しい園内図。表紙の写真がそのアップです。
スマートボールやってみたら40点でした。 -
もう一つ建物があり、当時の生活用品が展示してありました。写真がうまく撮れなかったので外観のみ。
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園區入口、入園料は無料です。
11:12
そろそろ駅方面へ向かいます。 -
付近の道には露店が出ていました。地元の産品を売っています。
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バス停。台灣好行303Dはここにも停車します。
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立派な消防署があり、何台もの消防車が火災に備えてます。
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雨は小止みになってますが、靴の中はちょっとした池。
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萬榮の街でコンビニ発見。靴下ゲット。お茶も買った。
朝からミカン一個しか食べてないのでおにぎりも買うか迷ったけれど、ちゃんとしたものが食べたくてやめときました。 -
スポーツ施設の壁の絵。原住民族の街って感じ。
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萬榮郷の中心らしく、立派な公共施設が並んでいます。
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萬榮郷の古い呼び名は馬里巴西(まりばし 日本時代は萬里橋)。太魯閣語の地名だそうです。
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文化園區にあった森榮里とここ萬榮村を併せて摩里沙(莎)卡だったのでしょうか。ここにも摩里莎卡と書かれています。
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郷公所(役場)の門に書かれた「Mqaras Smtrung Sunan」をAIに聞いてみると、太魯閣語で「あなたに会えてうれしい」と言う意味とのこと。便利な世の中になったもんだ。
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11:45
踏切。このあたりで林場からの線(萬森線)が接続していました。
すぐ先に萬榮站が見えますが、もう一か所見に行く場所があるので、まずはバス停へと向かいます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- へけけさん 2026/02/10 09:47:09
- これぞbinchan旅 やっぱり只ものじゃない(いい意味です)
- binchanさん こんにちは。
今回のシリーズも毎度おなじみの地元民に心配されたり、バスの運ちゃんに先生と間違えられたりして、楽しいです。キャリーバッグをゴロゴロさせて、写真撮りまくってる日本人女性、しかも台湾華語を喋れるって、実に怪しい笑
宜蘭から南は清水断崖とかがあって開発はかなり遅れたんでしょうが、花蓮は船で行けたので、日本人が林業、精糖業、温泉とかを開発させたんでしょうか。宜蘭クレオールは有名ですが、ここらへんも共通語としての日本語が使われたんでしょうか?
松本清張の小説で「亀嵩」と「亀田」が出てくるのがあって「もりさか」「森坂」「摩里沙卡」って見ると、小説の題材になるなって思いました。こういう不思議な地名って何で?って疑問が湧いてきますよね。残ってる建物は日本風が多いし、古い映写機とか(当時最先端)映画好きの日本人でもいたのかなって想いはつきません。
宮脇俊三が花東線に乗った時に隣のおじさんが原住民のごつい人で「再見」って言ったら「あなた北京に行ったことあるか?」って聞かれて「再会」って言いなおされたくだりがあるんですが、あいまいなので今、調べてみます。とにかくbinchanさんの探求心は凄いです。今更驚きませんが笑 へけけ
- binchanさん からの返信 2026/02/10 17:26:22
- Re: これぞbinchan旅 やっぱり只ものじゃない(いい意味です)
- へけけさん、松本清張も出てくるなんて文学青年だったんですね。
現地の方の間で日本語が共通語化していたというのは聞いたことがあり、実際台東の田舎で日本語っぽい言語で会話していらっしゃるのを聞いたことがあります。花蓮も同様だった可能性はありますよね~。
花蓮と台東は比較的早期に港まで鉄道がひかれているので、台北などとの行き来は船が基本だったんでしょう。
台湾千公里はまだ日本時代の影響が色濃く、國民黨政府の教育が浸透しきっていない雰囲気がありますよね。花蓮のタクシー運転手さんがなぜあれほど流ちょうな日本語を話すのか決して語らなかったこととか、へけけさんご指摘の「再見」に対する微妙な反応とか、気になることがたくさん書かれています。(「再見」を「再会」と言い直したのは平溪線の青年で、「北京へ行ったことがあるのか」と言ったのは台東への光華號の隣席のおじさん。どちらもドキっとさせられるやり取りでした。)
ところで、宜蘭クレオールの村は意外とバスの本数もあって、観光できるところもあるのですね。
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