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日本統治時代花蓮縣にはいくつもの移民村がありました。日本からの移民による村です。最も早期には賀田組という会社による民営の「賀田移民村」が建設されましたが、資金不足や厳しい自然環境に阻まれ失敗に終わりました。<br />その後官営の移民村が作られることになり、その最初が現在の吉安にあった「吉野村」。日本の農村の貧困、人口問題を解決する国策事業であり、台湾の風土病、原住民族との紛争、度重なる天災といった非常に厳しい状況下においても続けられました。移民した日本人も大変でしたが、生活の場を移民村にされた原住民族もまた苦難を強いられたことでしょう。<br />その後、花蓮においては豐田村(現壽豐郷豐裡村・豐坪村・豐山村)、林田村(現鳳林鎮)と増えて行き、台東縣を含め十数もの村がありました。<br />今回の沿線観光で移民村の痕跡を見ておこうと調べてみると、豐田の移民村が駅から近かったので、ここで時間をとることにしました。

2025冬 花東線北段の旅 07 豐田站と豐田街歩き

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2025/12/18 - 2025/12/21

318位(同エリア592件中)

旅行記グループ 2025年12月 花東線北段の旅

7

80

binchanさん

日本統治時代花蓮縣にはいくつもの移民村がありました。日本からの移民による村です。最も早期には賀田組という会社による民営の「賀田移民村」が建設されましたが、資金不足や厳しい自然環境に阻まれ失敗に終わりました。
その後官営の移民村が作られることになり、その最初が現在の吉安にあった「吉野村」。日本の農村の貧困、人口問題を解決する国策事業であり、台湾の風土病、原住民族との紛争、度重なる天災といった非常に厳しい状況下においても続けられました。移民した日本人も大変でしたが、生活の場を移民村にされた原住民族もまた苦難を強いられたことでしょう。
その後、花蓮においては豐田村(現壽豐郷豐裡村・豐坪村・豐山村)、林田村(現鳳林鎮)と増えて行き、台東縣を含め十数もの村がありました。
今回の沿線観光で移民村の痕跡を見ておこうと調べてみると、豐田の移民村が駅から近かったので、ここで時間をとることにしました。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 12月19日金曜日、旅行二日目<br />9:53<br />7分ほど遅れて區間車4517は豐田站到着。<br />豐田という駅名は移民村時代の名残で、現在の行政区分に豐田村はなく駅の所在地は壽豐郷豐山村です。

    12月19日金曜日、旅行二日目
    9:53
    7分ほど遅れて區間車4517は豐田站到着。
    豐田という駅名は移民村時代の名残で、現在の行政区分に豐田村はなく駅の所在地は壽豐郷豐山村です。

  • ホームの様子。

    ホームの様子。

  • ホームから見た駅舎方面。

    ホームから見た駅舎方面。

  • 地下道で改札へ向かいます。

    地下道で改札へ向かいます。

  • 地下道は隔壁で仕切られてます。外側に別の地下道があるようです。

    地下道は隔壁で仕切られてます。外側に別の地下道があるようです。

  • 改札への通路。

    改札への通路。

  • 待合室。南平に似てますね。

    待合室。南平に似てますね。

  • シンプルな内装に、角にある窓口、古い駅舎の大理石板は流用するというのがよくある改装のパターンらしいです。

    シンプルな内装に、角にある窓口、古い駅舎の大理石板は流用するというのがよくある改装のパターンらしいです。

  • 昔の券売機はすでに使用中止。意図して残してあるみたいですけど、記念にとっとくのかな?

    昔の券売機はすでに使用中止。意図して残してあるみたいですけど、記念にとっとくのかな?

  • 駅前風景。ここは駅前商店街が現役。

    駅前風景。ここは駅前商店街が現役。

  • 駅舎外観。駅名の揮毫銘板を撮影するのを忘れました。

    駅舎外観。駅名の揮毫銘板を撮影するのを忘れました。

  • 駅前に地図があったので、そこに今回見て回ったルートを赤線で示してみました。

    駅前に地図があったので、そこに今回見て回ったルートを赤線で示してみました。

  • 10:02<br />駅前からまっすぐ伸びる中山路を歩きます。<br />民家の軒先で売られている野菜や果物。

    10:02
    駅前からまっすぐ伸びる中山路を歩きます。
    民家の軒先で売られている野菜や果物。

  • 中山路と交差する豐裡二街。<br />ERICさんの動画によると、かつてはここに製糖鉄道が走っていたそうです。集落を囲んで耕作地があり、それがいくつか集まって村となっていました。中山路沿いにはそれらの集落を結ぶ軽便鉄道があったそうです。

    中山路と交差する豐裡二街。
    ERICさんの動画によると、かつてはここに製糖鉄道が走っていたそうです。集落を囲んで耕作地があり、それがいくつか集まって村となっていました。中山路沿いにはそれらの集落を結ぶ軽便鉄道があったそうです。

  • 水車発見。用水路から田畑へと水をくみ上げるもの。

    水車発見。用水路から田畑へと水をくみ上げるもの。

  • 多くのお店に彩繪が描かれています。ここは鉄道がテーマ。

    多くのお店に彩繪が描かれています。ここは鉄道がテーマ。

  • バス停発見。まだ花蓮客運の站牌が残ってる。

    バス停発見。まだ花蓮客運の站牌が残ってる。

  • 豐裡村麵店<br />ERICさんの動画でこの店に行列ができているのを見たのですが、この時間は客少なめ。おなかが空いていたら食べたかったな。

    豐裡村麵店
    ERICさんの動画でこの店に行列ができているのを見たのですが、この時間は客少なめ。おなかが空いていたら食べたかったな。

  • 鮮魚の移動販売車<br />戦後移民村から日本人が去った後、西部から客家人らが移住してきました。そのため旧移民村の多くがいまでは客家集落。昔ながらの生活スタイルが残っている感じは、この夏に訪れた新竹の客家集落に似ています。今巡っている駅の東側のエリアにコンビニは一軒も見かけませんでした。

    鮮魚の移動販売車
    戦後移民村から日本人が去った後、西部から客家人らが移住してきました。そのため旧移民村の多くがいまでは客家集落。昔ながらの生活スタイルが残っている感じは、この夏に訪れた新竹の客家集落に似ています。今巡っている駅の東側のエリアにコンビニは一軒も見かけませんでした。

  • 可愛らしい外観の家。空き家かな?

    可愛らしい外観の家。空き家かな?

  • 見事な3D彩繪のお宅。<br />ここで民族路へ左折。

    見事な3D彩繪のお宅。
    ここで民族路へ左折。

  • 数年前までは豐田文史館と言われていた建物。移民村時代は農家の住宅だったそうです。左手にあるのは旧牛舎。

    数年前までは豐田文史館と言われていた建物。移民村時代は農家の住宅だったそうです。左手にあるのは旧牛舎。

  • 母屋の軒先には農具も置かれています。<br />立ち入り禁止ではないようですが、特に公開されているわけではなさそう。

    母屋の軒先には農具も置かれています。
    立ち入り禁止ではないようですが、特に公開されているわけではなさそう。

  • 再び中山路。<br />お肉屋さんとその彩繪。

    再び中山路。
    お肉屋さんとその彩繪。

  • 彩繪も何もない古い家。50~60年くらい前の建物かな?保存修復もされないこんな建物が時代のリアルを見せてくれるのかも。

    彩繪も何もない古い家。50~60年くらい前の建物かな?保存修復もされないこんな建物が時代のリアルを見せてくれるのかも。

  • 旧豐田神社の鳥居<br />中山路と民權路の交差点にあります。

    旧豐田神社の鳥居
    中山路と民權路の交差点にあります。

  • 周辺の道沿いには古い写真が展示されています。

    周辺の道沿いには古い写真が展示されています。

  • 狛犬も健在。

    狛犬も健在。

  • 客家文化も紹介されています。

    客家文化も紹介されています。

  • この一帯は「森本」という集落で、ここに軽便鉄道の乗降場がありました。

    この一帯は「森本」という集落で、ここに軽便鉄道の乗降場がありました。

  • このあたりにあったんでしょうか?

    このあたりにあったんでしょうか?

  • 朝から雨が降ったりやんだり、山にはずっと雲がかかっています。

    朝から雨が降ったりやんだり、山にはずっと雲がかかっています。

  • 旧豐田神社(現碧蓮寺)<br />1915年に建てられた移民村の神社。1958年の台風で社殿などは壊れてしまいましたが、鳥居や狛犬、一部の燈籠はオリジナルが残っています。

    旧豐田神社(現碧蓮寺)
    1915年に建てられた移民村の神社。1958年の台風で社殿などは壊れてしまいましたが、鳥居や狛犬、一部の燈籠はオリジナルが残っています。

    豊田碧蓮寺 寺院・教会

  • 中華式の新しい燈籠と神社時代の燈籠が混在しています。

    中華式の新しい燈籠と神社時代の燈籠が混在しています。

  • 神社の燈籠は文字が消されています。<br />このような碑文の消去には「清除臺灣日據時代表現日本帝國主義優越感之殖民統治紀念遺跡要點」というガイドラインがあったとのこと。それでも、消し方にばらつきがあるので厳格なものではなかったのかな。

    神社の燈籠は文字が消されています。
    このような碑文の消去には「清除臺灣日據時代表現日本帝國主義優越感之殖民統治紀念遺跡要點」というガイドラインがあったとのこと。それでも、消し方にばらつきがあるので厳格なものではなかったのかな。

  • 現在は立派なお寺。

    現在は立派なお寺。

  • 入口に残る狛犬の台座には神社時代に刻まれた文字がそのまま残っています。「野口佐次郎 小松兼太郎 奉納 昭和二年 十月二十五日」

    入口に残る狛犬の台座には神社時代に刻まれた文字がそのまま残っています。「野口佐次郎 小松兼太郎 奉納 昭和二年 十月二十五日」

  • 開村記念碑も残っていますが台湾総督の名前などは削り落とそうとした跡が見られますね。

    開村記念碑も残っていますが台湾総督の名前などは削り落とそうとした跡が見られますね。

  • 10:53、次へ向かいましょう。<br />このあたりの田んぼは収穫後ですね。

    10:53、次へ向かいましょう。
    このあたりの田んぼは収穫後ですね。

  • 用水路沿いの小道を進みます。水田に水がなくても水量は潤沢。

    用水路沿いの小道を進みます。水田に水がなくても水量は潤沢。

  • 次に向かうのは移民村の墓地。日本人の墓があります。<br />豐裡國小前にあるこの脇道を進みます。

    次に向かうのは移民村の墓地。日本人の墓があります。
    豐裡國小前にあるこの脇道を進みます。

  • 4基の墓石が確認できましたが、そのほかに基台だけのものもあり、おそらくもっと多くの墓跡があるものと思われます。

    4基の墓石が確認できましたが、そのほかに基台だけのものもあり、おそらくもっと多くの墓跡があるものと思われます。

  • こんな道を進みます。ERICさんの動画でこの道を整備しているのは自分たちですと言って紹介していたので、入っていいものと判断してます。

    こんな道を進みます。ERICさんの動画でこの道を整備しているのは自分たちですと言って紹介していたので、入っていいものと判断してます。

  • ひときわ大きいのがこのお墓。上部の文字は仏教の言葉らしいです。<br /><br />納骨室の石の隙間にミツバチが巣を作っていました。刺されないようにしなくちゃ、と思っていたら、蜂じゃなくて蚊が刺してきた!そう言えばERICさんが冬でも虫刺されに注意と言っていたっけ。蒸し暑くて半袖だったため、そりゃあもう刺されまくりました。一か月間痒かった。

    ひときわ大きいのがこのお墓。上部の文字は仏教の言葉らしいです。

    納骨室の石の隙間にミツバチが巣を作っていました。刺されないようにしなくちゃ、と思っていたら、蜂じゃなくて蚊が刺してきた!そう言えばERICさんが冬でも虫刺されに注意と言っていたっけ。蒸し暑くて半袖だったため、そりゃあもう刺されまくりました。一か月間痒かった。

  • その隣のお墓<br />墓石の側面、後面に葬られた人の名と享年が刻まれていますが、一歳を含む若年者の名前もありました。

    その隣のお墓
    墓石の側面、後面に葬られた人の名と享年が刻まれていますが、一歳を含む若年者の名前もありました。

  • こちらの墓石は、文字が薄れてほとんど読み取れませんでした。素材も石ではなくコンクリートのように見えます。

    こちらの墓石は、文字が薄れてほとんど読み取れませんでした。素材も石ではなくコンクリートのように見えます。

  • 南無阿弥陀仏と刻まれた墓。大正12年没と彫られていました。

    南無阿弥陀仏と刻まれた墓。大正12年没と彫られていました。

  • 墓地の近くに菸樓(煙草の加工工場)の遺構があるのですが、中山路からこんな風に見える(写真中央の赤い屋根の建物)だけで近寄ることもできませんでした。文化財なのでいずれは修復されるのでしょうか。

    墓地の近くに菸樓(煙草の加工工場)の遺構があるのですが、中山路からこんな風に見える(写真中央の赤い屋根の建物)だけで近寄ることもできませんでした。文化財なのでいずれは修復されるのでしょうか。

  • 菸樓の写真。

    菸樓の写真。

  • 続いて旧派出所。

    続いて旧派出所。

  • 現在は壽豐郷文史館という客家文化を紹介する施設のようなのですが、

    現在は壽豐郷文史館という客家文化を紹介する施設のようなのですが、

  • 内部公開はされていないようです。

    内部公開はされていないようです。

  • ガラス越しに撮影した内部。集会所のような感じですかね。

    ガラス越しに撮影した内部。集会所のような感じですかね。

  • 豐裡國小にある旧豐田小学校の剣道場。現在はこの小学校の講堂です。<br />学校の裏門は開いていましたが、授業時間中の学校に入っちゃだめだろうと思って外から見るだけ。

    豐裡國小にある旧豐田小学校の剣道場。現在はこの小学校の講堂です。
    学校の裏門は開いていましたが、授業時間中の学校に入っちゃだめだろうと思って外から見るだけ。

  • 校門の方から見ると、校舎の奥に正面入口が見えます。

    校門の方から見ると、校舎の奥に正面入口が見えます。

  • 道沿いに1998年当時の写真もありました。

    道沿いに1998年当時の写真もありました。

  • 11:15<br />旧豐田村移民指導所事務室(現花蓮縣考古博物館二館)<br />1913年に開設されたこの指導所は、移民村の役場のようなものでした。指導所と呼ばれていたのは5年ほどで、その後は花蓮港廰の出張所となりました。

    11:15
    旧豐田村移民指導所事務室(現花蓮縣考古博物館二館)
    1913年に開設されたこの指導所は、移民村の役場のようなものでした。指導所と呼ばれていたのは5年ほどで、その後は花蓮港廰の出張所となりました。

  • 現在は花蓮縣考古博物館の別館(二館)となっています。本館は駅の北側にあり、後ほど外観だけ見学します。<br />この時、別館(二館)では大昔の食生活についての展示(史前餐會)が行われていました。

    現在は花蓮縣考古博物館の別館(二館)となっています。本館は駅の北側にあり、後ほど外観だけ見学します。
    この時、別館(二館)では大昔の食生活についての展示(史前餐會)が行われていました。

  • 移民村の配置図<br />豐田移民村には中里、森本、太平、山下の4つの集落があり、指導所があったのは中里集落。写真右上が村の全体、下半分が中里集落の地図。煙草畑までが碁盤目状に区画され、畑にも軽便鉄道が走っていたんですね。

    移民村の配置図
    豐田移民村には中里、森本、太平、山下の4つの集落があり、指導所があったのは中里集落。写真右上が村の全体、下半分が中里集落の地図。煙草畑までが碁盤目状に区画され、畑にも軽便鉄道が走っていたんですね。

  • 指導所裏手にあった屋根組。何の跡なんでしょう?

    指導所裏手にあった屋根組。何の跡なんでしょう?

  • 隣にあった朽ち果てた建物。取り壊していないということは文化財扱いなのか?

    隣にあった朽ち果てた建物。取り壊していないということは文化財扱いなのか?

  • 11:35<br />再び中山路を通って駅方面へ。煙草の葉を干している絵が描かれた建物。

    11:35
    再び中山路を通って駅方面へ。煙草の葉を干している絵が描かれた建物。

  • 昔の雑貨屋さんが描かれてます。

    昔の雑貨屋さんが描かれてます。

  • この建物、今でも大光商號という雑貨屋さんです。

    この建物、今でも大光商號という雑貨屋さんです。

  • 駅まで戻ってきました。地下通路を通って駅裏に移動。

    駅まで戻ってきました。地下通路を通って駅裏に移動。

  • 隔壁の向こう側はホームの行き来に使う通路。こちら側は駅裏と行き来する通路。ホームから直接駅裏へは出られない構造。

    隔壁の向こう側はホームの行き来に使う通路。こちら側は駅裏と行き来する通路。ホームから直接駅裏へは出られない構造。

  • 駅裏に出ました。

    駅裏に出ました。

  • ファミマでお茶を購入。蒸し暑くてそれなりに喉が渇きます。

    ファミマでお茶を購入。蒸し暑くてそれなりに喉が渇きます。

  • 11:55<br />大同戲院址<br />1960年に建てられた劇場兼映画館。この頃の豐田は玉(ぎょく)の産地として繁栄していました。劇場として使われなくなった後も、玉産業従事者の宿舎として使われていたとのこと。

    11:55
    大同戲院址
    1960年に建てられた劇場兼映画館。この頃の豐田は玉(ぎょく)の産地として繁栄していました。劇場として使われなくなった後も、玉産業従事者の宿舎として使われていたとのこと。

  • 現在は町おこし団体の管理下にあり、イベントスペースやカフェにリノベーションされている様子。

    現在は町おこし団体の管理下にあり、イベントスペースやカフェにリノベーションされている様子。

  • 戲院側面。町おこし団体の事務所とかがあります。

    戲院側面。町おこし団体の事務所とかがあります。

  • 戲院裏手にあるカフェ。

    戲院裏手にあるカフェ。

  • 駅前の案内地図で「牛犂協會辦公室」と書いてあった建物。今はクリーニング屋さん。

    駅前の案内地図で「牛犂協會辦公室」と書いてあった建物。今はクリーニング屋さん。

  • 駅裏側は移民村で最初に成立した山下集落があった場所です。古そうな建物もあるけれど、さすがに移民村時代のものじゃないでしょうね。

    駅裏側は移民村で最初に成立した山下集落があった場所です。古そうな建物もあるけれど、さすがに移民村時代のものじゃないでしょうね。

  • 花蓮縣考古博物館<br />2005年に開設された博物館で、以前は市場があった場所だそう。ちょうど玉についての企画展示が行われていて、見学したかったのですが時間不足。前半のんびりしすぎた!

    花蓮縣考古博物館
    2005年に開設された博物館で、以前は市場があった場所だそう。ちょうど玉についての企画展示が行われていて、見学したかったのですが時間不足。前半のんびりしすぎた!

  • 戻りは鉄道のガードをくぐって駅前へ。

    戻りは鉄道のガードをくぐって駅前へ。

  • 客家文化を描いた壁画。

    客家文化を描いた壁画。

  • 12:09<br />ちょっとだけ時間があるので駅前のお店を覗きます。「五味屋」というリサイクルショップで、建物は移民村時代のもの。<br />(この写真は豐田到着時に撮影)

    12:09
    ちょっとだけ時間があるので駅前のお店を覗きます。「五味屋」というリサイクルショップで、建物は移民村時代のもの。
    (この写真は豐田到着時に撮影)

  • 地元の子供たちの集まる場所としても使われているそうです。店内で撮影していいですかと聞いたら、この方向がおすすめと教えてくれました。

    地元の子供たちの集まる場所としても使われているそうです。店内で撮影していいですかと聞いたら、この方向がおすすめと教えてくれました。

  • 2025年秋に洪水被害が甚大だった光復地区を励ますメッセージ。<br /><br />この後は列車で三民站へ向かいます。

    2025年秋に洪水被害が甚大だった光復地区を励ますメッセージ。

    この後は列車で三民站へ向かいます。

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2025年12月 花東線北段の旅

この旅行記へのコメント (7)

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  • かおかおさん 2026/02/14 08:53:03
    豐田村は…
    binchan様
    おはようございます。

    楽しく拝読させていただいてます。
    豐田村は8年前に行きました。
    日本人墓地に行きたくて豐田村に行ったんです。
    宿の自転車で村の中をグルグルと…村が碁盤の目の様になってるから本当に同じところをグルグルしてたんです…景色が同じで…。それを地元の客家のお爺さんがそっと見守ってくれてたみたいで、時々出会うんです。
    日本人墓地に行く時も「ここかなぁ」と彷徨いてたら突然出てきて「あっち」と教えてくださいました。
    日本人墓地に行くと目の前の畑から蝶々が一斉に飛び始めてびっくりした記憶があります。

    宿のオーナーのお母様のお話も楽しくてまた行きたい場所です。   かおかお


    binchanさん からの返信 2026/02/14 15:08:14
    RE: 豐田村は…
    かおかおさん、こんにちは。
    豐田、一泊すると朝夕の素晴らしい景色も堪能できて魅力三倍増ですね。
    アンジーさんの民宿も素敵。そこを予約して、コミュニケーションもちゃんと取れるかおかおさんならではの旅ですよね~。飲食店がすべて駅の向こうに集中しているのに納得。

    日本人墓地、かおかおさんが行かれた時に倒れていた墓石も立て直されていたと思います。蝶は亡くなった人の魂だと言いますよね、九州人の血が流れるかおかおさんを慕って飛び出したのでしょうか。私を慕ってくれたのはは蚊だけでしたけど…

    なんか、かおかおさんの旅行記にコメントすればいいのに、っていう内容ですみません。

    かおかお

    かおかおさん からの返信 2026/02/16 09:17:19
    Re: 豐田村は…
    binchanさん
    おはようございます。

    やはり日本人墓地は綺麗になったんですね。
    binchanさんの旅行記を見て「私は違うところに行ったのかな」と思いました。

    アンジーさんのお母様が私の母と同い年だったので昔のことをたくさん聞かせていただきました。
    その時に帰りに花蓮に行くと良いよと言われて8年経って昨年秋にようやく行けました。
    そして私も蚊にボコボコにされました。

    早く旅行記アップしないと。  かおかお 

    binchanさん からの返信 2026/02/16 16:32:18
    RE: Re: 豐田村は…
    かおかおさん、返信ありがとうございます。

    墓地の後、エン樓に行かれてますよね。私も道を探せば行けたのかな?
    10年くらい前までは日本時代を知る方に出会う機会もありましたが、もうそんなこともなくなってきました。経済発展前の台湾を知る方もおそらく減ってますよね~。貴重なお話、たくさん聞けて幸せでしたね。
  • tanichanさん 2026/02/05 23:59:51
    久々の4トラベルのコメ投稿です
    私も豐田駅周辺を散策しましたが荷物を持ってうろつくのも大変なので駅のロッカーに預けてと思ったが当時は駅及び周辺にはロッカーも無し、反対側に7/11があったが荷預けはしていないので駅長さんに話をしたら快く預かってもらい身軽で豐田文史館等を散策しました。

    binchanさん からの返信 2026/02/06 16:59:02
    RE: 久々の4トラベルのコメ投稿です
    こんにちは。
    tanichanさん、もう80代なのですね。それで年に何度も台湾へ行かれているとは、お元気でなによりです。
    自分はもう少しで60歳になろうという年齢ですが、若い頃より今の方が旅行で得るものが多いような気がします。20年、30年前との違いを感じたり、変わっていないことを見つけたり。そのご齢まで旅行は楽しめるなんて羨ましい限りです。

    tanichan

    tanichanさん からの返信 2026/02/06 17:33:35
    RE: RE: 久々の4トラベルのコメ投稿です
    > こんにちは。
    > tanichanさん、もう80代なのですね。それで年に何度も台湾へ行かれているとは、お元気でなによりです。
    > 自分はもう少しで60歳になろうという年齢ですが、若い頃より今の方が旅行で得るものが多いような気がします。20年、30年前との違いを感じたり、変わっていないことを見つけたり。そのご齢まで旅行は楽しめるなんて羨ましい限りです。
    >
    最近は足腰がさすが80の声を聴くとガタついてきますね、イセンは2万3万ぽ歩いてもそんな苦になりませんが、ということで旅のスタイルを変えてですね。

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