2025/11/15 - 2025/11/16
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kirinbxxさん
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南京市観光の続きです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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こちらは、南京夫子廟。孔子を祀っている廟です。入場料は30元。
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西晋の337年に学宮(学問の為の施設)として設立され、宋代の1034年に孔子廟として改築されました。中国国内にある孔子廟はこういう、学宮や府学(官吏や士大夫の子弟向けの官立学校)から改築されたものが多いのです。
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中国最大といわれる孔子の像が大成殿の前にあります。
高さ4.18m、重さ2,500kg、1993年1月8日に完成しました。 -
大成殿は孔子を祀り、追悼する正殿です。殿の中央には、高さ6.5m、幅3.15mのこれまた中国最大の孔子の肖像画が飾られていました。「萬世師表(ばんせいしひょう)」とは、「永遠の(万世)人々の模範となる(師)先生(表)」という意味を持つ言葉です。要するに孔子の尊称です。
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またまた大量の赤いリボンです。「好人一生平安」(善良な人々が平和な生活を送れますように)「健康平安」「財源廣進」「吉祥」「如意」などと表にプリントされていて、裏には奉納した人が思い思いの願文を手書きしてあります。たとえば「万事如意」とか「幸福美満」とか。日本の絵馬と同じようなものですね。
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英語、日本語、ハングルの説明パネルもありました。ありましたが、日本語が明らかに変です。日本語にはない漢字が使われていたり、一ヶ所だけ「学」の字が旧字体になっていたり、ついには「東南アジアの一番学校」だの「ゲートプラーク看板」だの「南京チャンピオン」だのとおかしな表現が・・・・・
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建物自体はよくある普通の寺院建築ですね。
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「仰聖亭(ぎょうせいてい)」と呼ばれていた東屋です。聖はもちろん孔子、孔子を仰ぎ見る、ということですね。太鼓が吊されていて、ここが学宮だったときは学生たちに日課の区切りを知らせたり、精神を引き締める音として使われていたとか。
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この建物は「尊経閣(そんけいかく)」と呼ばれ、現在は「中国書院歴史陳列館」として利用されています。
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お次に見学するのは、太平天国歴史博物館です。江南四大庭園のひとつ「瞻園(せんえん)」にあります。
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ここが太平天国歴史博物館の入り口です。金陵は南京の古い呼び名です。入場料は30元。営業時間は、8:30~17:30。
瞻園 太平天国歴史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ガイドツアーもあります。Bluetoothのイヤホンを使い、所要時間60分、まぁここまではどの国でもよくあるガイドツアー。
しかし、10人までのグループは300元ですから少人数で来たら割高になるか、ここで他の人を誘って10人にするか。3ではイヤホンを紛失したら766元の賠償と書かれています。17,000円ほどですね、これは気をつけないと。 -
中国で唯一の太平天国専門博物館であり、太平天国運動(1851~1864)の歴史を体系的に展示し、当時の史料や遺物を保存する重要な施設です。
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最初に出てくる像はもちろん、洪秀全。客家の出身で科挙にたびたび失敗(今では不正があったというのが定説らしい)し、1837年頃、夢の中で神の声を聞きキリスト教の影響を受けた宗教団体を創設。貧しい農民などが多く参加し、やがて武装蜂起して「太平天国」を建国、清朝を揺るがす大反乱「太平天国の乱」を起こしました。
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当時の中国は清朝の力が衰え、1840年には英国による侵略を受け半植民地状態へと陥り、国内も権力争いでガタガタの状態でした。洪秀全の思想は下層民や客家の人々に浸透し、清朝への不満に結びつき、ついに1850年秋に挙兵しました。
などということが、絵や文章で説明されていました。 -
1850年秋、拝上帝会信徒は広西省金田村に集結して、その地で挙兵しました。これはその時に信徒が使っていた兜のレプリカです。1851年には洪秀全が自ら天王と称して国号を太平天国と定めました。
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同じくレプリカですが鞍。
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1853年3月に太平軍が南京を包囲し、陥落させた際の軍の進路や攻撃方向を示しています。南京を占領した後、太平天国はここを「天京」と改称し、1864年に清軍によって奪還されるまで約11年間にわたり首都としました。
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数少ない実物展示の目玉、太平天国軍の装備です。
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太平天国が発行した通行証。
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天都太平宝庫の、龍と鳳凰をモチーフにした金箔張りの梁です。太平天国は初期は私有財産は持たずすべては公共の利益の為に使い、必要なものはすべて聖宝庫から支出していました。首都となった南京には「天王国総聖宝庫」が置かれました。
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太平天国における五軍の主将組織図を示したものです。1851年に洪秀全が「天王」を称したとき、中央軍、前軍、後軍、右軍、左軍の五軍制としました。これは最初の五軍の将が戦死したり、内紛で殺されたりしたあとに再編されたときの名簿です。
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欧米諸外国は、太平天国がキリスト教を標榜していたこともあってはじめ好意的であり、使節を派遣することもありました。戦闘では中立を保っていましたが商人達は当然こんなものを売ったりしていました。
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1854-55年に全盛期を迎えた太平天国は1864年に滅亡しました。短命で終わったとはいうものの、中国史上初めて"平等"・"民族精神"を意識した洪秀全の革命政権は後世に大きな影響を与えました。毛沢東、孫文、カール・マルクスらにも影響を与えました。
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喫茶店もありました。
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博物館を抜けると庭に出ます。
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立派な門をくぐって進みます。
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明中山王徐達文物史料展が開かれていました。瞻園は明代初期の武王府だったものを朱元璋が皇帝になったあと徐達に居所として与えたものだそうです。
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こちらが徐達さん、明帝国最大の功臣です。朱元璋の若い頃からの親友で、1353年の紅巾軍参加以来、大活躍。明という大帝国の版図のほぼ半分は徐達の軍勢によって征服されました。元の皇帝を大都から駆逐したのも彼です。
長女は永楽帝の皇后ですが、この女性も父に似て皇后になっても驕ることはなく、自らの一族を重用することは決してなかったといいます。 -
この絵は、病に伏した徐達を皇帝自らが訪ね、その手を握って労う様子を表現しているそうです。といえば美談ですが、何しろ洪武帝は「功臣で生き残ったものは殆どいない」と言われる程、何度も大粛清をやって十数万人もの犠牲者を出した人物です。
病に倒れた徐達の死についても洪武帝の意志が働いていたという伝説があります。で、死後に「中山王」という最高の爵位を与え、大いに悼んだとか。 -
中国の伝統的な庭園でよく見られる奇岩、太湖石です。江蘇省の太湖周辺の丘陵や湖底から産出される石灰岩で水の浸食によって、多くの穴が開いた複雑で奇妙な形状になっています。これには「雪浪石」という名が刻まれていて、それを書いたのは蘇東坡だそうですが、真偽は不明です。
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扇亭(扇面亭)の脇に立つ倚雲峰と呼ばれている太湖石です。
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逐月楼と名付けられた東屋です。
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お土産コーナーも完備されています。
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案内図を発見。いやはや広いですねぇ。
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続いて訪れたのは、南京総統府博物館。8時30分から夏場は18時、冬場は17時まで開館しています。この日の入場料は17.5元でした。
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こちらが総督府の正門ですが、ここからは入れません。
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正門から西へ進むと入り口がありますが、その間の路上はお土産屋さんやレンタサイクルや、タクシー乗り場があってなかなかの混雑ぶりです。
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そうしてたどり着いたのが、こちらの総統府景区の入り口。たくさんの人、人、人です。
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「近代史の一世紀を振り返る」と題した展示があるようです。詳しいガイドマップ、QRコードつきですね。
「漫巻」という表現は面白いですね。さらりと見学してきました。 -
1945年に重慶で撮影された、アメリカ大使パトリック・ハーリー、国民党の蒋介石、共産党の毛沢東が並んだ有名な写真や毛沢東の書簡など。
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中華人民共和国成立の歴史です。
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二階建ての建物がロの字に建てられています。
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一階も二階も中庭も人人人です。
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なんでこの軍だけこんなものが、と思って調べたら皖南事変という共産党が「国民党(蔣介石)・南京(汪兆銘)政府・在華日本軍によるクーデター」と国際的に宣伝した事件の当事者だったようです。
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ここは南京。お約束の写真や新聞記事に説明パネルです。殆どが文字だけの展示、得に興味を惹くものもなく、ほんの10分ほどで見学は終了です。
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総督府全体の模型がありました。
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天王府とは、南京攻略戦で破壊された清の総督府跡地に「天王」を称した洪秀全が建設させた宮殿です。太平天国は南京を天京と改名しました。
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そしてこちらが孫文が打ち立てた中華民国、南京国民政府のあった場所であることをしめす碑です。
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人の流れに乗って、大堂に入ります。
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「天下為公」の扁額が 中央に掲げられています。これを書いたのは中華民国の国父である孫文、その意味は「世界はすべての人々のものである(天下は公のためにある)」です。
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ここが孫文が中華民国の臨時大総統に就任した場所、禮堂です。
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孫文。14才で華僑として成功していた兄のいるハワイに渡り、19才で帰国、香港で医学を学ぶも「危機の中国を救う国医となる」ことを決意。1894年から数度にわたる蜂起失敗→亡命を繰り返し1911年ついに辛亥革命を成功させ、1912年、ここ南京に中華民国を樹立した「国父」です。その理念は「三民主義」として知られています。
中華民国樹立後も北京で袁世凱や北方軍閥と戦ったり、ソ連に接近したり、国共合作を行うなど、苦労の方が多く、また毀誉褒貶の激しい人生でしたが1925年死去。最後に残した言葉は「革命いまだ成らず」でした。 -
皆さん熱心に写真を見ていらっしゃいます。
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建物の外に出ると大きな庭です。
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立派な木もあります。
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こちらの煦園と名付けられた庭園は、かっては明の皇子の居宅の庭でした。清朝の時代には梁江省副王が利用し、康煕帝は江南巡察時に何度も訪れたといいます。瞻園とならんで南京を代表する二大庭園とされています。水と建物、木の配置が見事で、とても美しい庭園です。
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庭園の池には、木目を模した彫刻が施された長さ14.5mの灰色の石造りの船が浮かんでいます。乾隆帝によって不系舟と呼ばれ、庭園のシンボルとなっています。
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時々ビルが見えて都会にいることを思い出します。
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大きな池もありました。
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こちらは、孫文の臨時大総統事務所だった建物です。
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左上:孫文が臨時大総統だったころの会議室の復元。奥に懸かっている絵には中華民国建国に貢献した多くの人が描かれています。洋服、長袍、中山服、軍服など様々な服装は当時多くの階層、立場の人々が協力して建国したことを示しています。羽織袴の人がいるのは、多くの日本人が協力したことを示しているのでしょうか。
右上:孫文や蒋介石が使った執務室
左下:孫文の書
右下:居室 -
南京総統府・国民政府の参謀本部だった建物です。
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「世紀合作」と題されたブロンズ像。第一次国共合作のことです。中国共産党創設メンバーの一人李大釗、国民党左派の廖忠凱と孫文を表しています。孫文は、ソ連と急速に接近し、1924年に第1次国共合作を成立させました。
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中華民国臨時政府の要職にあった人達の写真が展示されていました。中には、孫文と蒋介石の側近で初代駐日大使となった蔣作賓さん(清朝の官費で日本に留学、陸軍士官学校を卒業)も。清朝の科挙に合格した人や、日本に留学した人など多士済々です。
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総督府の外に出ると色々な食べ物を売っていました。
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お土産物も売っていました。
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新街口(しんがいぐち)駅の出口案内です。この駅は南京地下鉄1号線と2号線が乗り入れる乗換駅で、アジア最大級の地下鉄駅の一つとして知られています。
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ちょうどOPPO Reno15 新発売でした。
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愛嬌あふれる象のロゴ、15万平米、地下一階から地上八階まであるショッピングプラザです。
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来週の食糧の調達にスーパーマーケットを求めてこちらに来たのですが、思っていたのとは違った巨大ショッピング・モールでした。
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最上階にはレストラン街。
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お寿司屋さんに
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満院山房というスイーツのお店が並んでいました。
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こちらはトイレの入り口。日本のデパートのトイレと変わりません。
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トイレに至る通路も豪華絢爛。ソファもあります。
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ビルの外に出るとBVLGARIや
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PRADAに
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DIORが並ぶ銀座みたいな所でした。
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お宿の近くのお店で南京最後の昼食を頂きます。
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こちらもワンタンが人気なのでしょうか?
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雪菜肉面を頂きました。こういうものははずれが無くて安心です。
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南京駅から和諧号に乗って帰ります。
南京駅 駅
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上海虹橋行きのC3778に乗ります。
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日立ベースの CRH2 系です。
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長江を渡ります。
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相変わらず新線の建設が続いています。
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外気温は24.7℃。11月半ばにしては暖かいですね。
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最高速度は、時速176kmでした。
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あっという間に泰州駅に到着です。これにて南京市観光の完結です。
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