2025/11/02 - 2025/11/02
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kirinbxxさん
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今日は姜櫃博物館を訪問しました。姜櫃というのは、泰州市の「姜櫃区」のことです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日の朝ごはんは、こちらのお粥屋さんで頂きます。
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香港では粥麺屋さんは大抵朝から混んでますが、こちらでは、お粥は朝食としては人気がないようでガラガラです。
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注文は机のQRコードから。
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懐かしの豚ピータン粥(皮蛋痩肉粥)と春巻きを注文しました。このお粥恐ろしいくらいグラグラに煮立っていて最後の方には御飯になってました。香港のと違って米粒ありで、お味はまあまあ。
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お店の前のバス停から、バス旅を再開します。
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こちらのバス停で乗り換えます。
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こういう三輪車型のタクシーもあるんですね。
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博物館は、ずいぶんと立派な建物です。
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姜櫃博物館、泰州市姜堰区に関する博物館なのでしょう。「文化惠民 免費開放」人々に対して文化的恩恵を、ということで、無料開放中。入ってみます。
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まずは、現在は泰州市姜堰区となっているこのあたり一帯の歴史のお勉強からです。秦による中華統一の前は、呉、越、楚と支配する国が変化したんですね。
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それでは展示を見ていきます。
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麋鹿、というのはヘラジカのこと。このあたりにいるのでしょうか。
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ヘラジカの骨格標本です。
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「新石器遺址遺跡分布図(姜堰地区)」、姜堰地区で発見された新石器時代の遺跡についての簡単な説明図がありました。どれも1990年代に調査が始まっています。2003年にも、さらに古い新石器時代の遺跡が見つかったそうで、今後の詳しい調査が待たれます。
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都市遺跡の模型もありました。
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打製石器と磨製石器の比較図です。
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縄紋(縄を押し当てたような模様)の灰色陶製壺、西周時代(紀元前11世紀~紀元前8世紀頃)、天目山にて出土(中国・浙江省)とありました。
日本の縄文土器とはもちろん無関係です。しかし、天目山は泰州市から直線距離で2000kmも離れていて文化圏も違います。このあたりでは、遺跡は見つかってもまだこういう復元できるほどの土器は見つかっていないのでしょうか。 -
夏・商(殷)・周の中国古代三王朝と、春秋・戦国時代にこのあたりを支配したと思われる3つの国の説明です。呉は越に併合され、その越は楚に征服されました。そしてその楚はやがて中華の統一を目指した秦によって滅ぼされるのです。
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春秋戦国時代には、いろいろな形をした青銅の貨幣が用いられました。これは越の時代に使われていた「刀銭(貨)」です。
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唐の時代になると、みなれた形の貨幣が用いられるようになっています。
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遺跡からは土器も沢山出て来たようです。
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左の二つは「鬲(れき)」という、新石器時代から古代の中国で製作された器種のひとつで、袋状の三足を備えた形を特徴としています。もとは穀物を蒸すための調理用具でしたが、時代によって用途が多様化しました。右端のは「簋(き)」といい、穀物を盛って神への供え物などにした器です。どちらも最もよく使われていたらしい西周時代の物です。
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作陶の様子。
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隋から六朝の時代に作られた焼き物達です。
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宋朝の時代の焼き物です。
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こちらも、宋代に用いられた韓瓶です。韓国とは何の関係もありません。宋の名将韓世忠の軍内で酒瓶あるいは水筒としてつかわれたもの。この人は、方臘の乱を鎮圧し、金の侵入時には皇帝を逃がすなど、金と戦い続けました。妻とともに8千の兵で10万の金軍と戦い、2万以上の損害を与えて勝利を収め、中興の武勲第一とされた名将です。しかし岳飛のように殺されこそしなかったものの、罷免されてしまいました。
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これも宋の時代のものです。その形から「鶏腿瓶」と呼ばれました。鶏の頭を模した蓋のある鶏頭瓶というのもあり、当時の中国人にとっても鶏が身近な生き物であったことがわかります。
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泰州は塩の生産と貿易で栄えたため、学問が盛んとなり、学者や文化人も沢山輩出しています。
泰州学派は、王陽明の直弟子で泰州出身の王艮から始まった陽明学の支派で、明の中期から後期にかけて栄えました。彼は塩商人の出であり、陽明学が庶民階層にまで伝播した事例として注目されてきたそうです。その根本理念は早坂俊廣先生によれば「人の心はもともとハッピー。それをエンジョイするのが学問さ!」なのだとか。 -
こちらは時代が下って清朝の衰退が始まった「嘉道中衰」と呼ばれる時期に周太谷という人から始まった思想運動「太谷学派」についての展示です。泰州一帯でも広く支持された、門弟相互の学術・伝承結社でしたが、次第に教団化・宗教化。その分派の一つは1850年代後半に山東・黄崖山で教団的組織を形成したため、警戒した清朝軍によって攻撃されてしまいました。日本での研究はないようですが、儒・道・仏の要素を統合し、宇宙論と倫理・修養を結びつけるというなかなか壮大な思想だったようです。
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こちらは清朝で使われていた綿襖甲、分厚い綿など布地の中に、鉄の甲片を仕込んで銅の釘を打って固定した鎧です。兜とブーツで一揃い。
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これは「補子」という品級(清時代の階級)を示す徽章で武官は獣の文様で表していました。これは豹で三品を示すそうです。この地位は広東省広西総督とか、広東省知事などを務めることもできる、なかなか高い位です。ちなみに武官の一品は麒麟、文官の方は鳥類で表し、一品は鶴でした。
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その文官、自宅の書斎でくつろいでいるようです。机の上には「文房四宝」や書物が載っています。
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こちらは茶荘、お茶を売る店です。福建鉄観音とか、鳳凰水仙、西湖龍井のような今でもポピュラーな中国茶の名札がかかっています。
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こちらは布地屋のようですね。
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いろんな店が並んでいる小路の様子です。
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この武官のような人は「抗倭英雄・王天錫」さん。倭は倭寇のことです。明の時代に倭寇がこのあたりを襲ったとき田畑を売って軍資金を調達して、郷兵を組織して戦った「郷土の英雄」だそうです。しかし背後にある説明文には「王天錫不幸犠牲后」の文字が・・・「不幸な犠牲の後」って・・・この人も岳飛などのように功績を妬まれて冤罪でも被せられたのでしょうか???
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この人は高二適、泰州市出身の学者、詩人、書家です。1965年、彼は郭沫若と『蘭亭序文』の真贋をめぐって論争したことで知られています。
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宋王朝の初期に建造された堰は流域の洪水被害の軽減に役立ったそうです。江堰と呼ばれたこのあたりは塩と穀物の重要な輸送路でもあり、宋朝は役所を置いて管理しました。
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泰州市の北東にある十里溱湖では、毎年4月上旬の清明節の頃、10万人以上の観光客を集める、湊潼船祭という船のお祭りが開かれています。祭りの起源については、「南宋時代に戦没将士(殉国者)を追悼・顕彰するための儀礼として始まった」との説があります。悲運の忠臣として名高い岳飛がこのあたりで金を迎え撃ったときの話だという説も。
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夕食は、こちらのお店(魚你在一起)で頂きました。
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酸菜魚(スワンツァイユィ)という、酸味のある漬け野菜と白身魚を煮込んだ料理が有名なチェーン店です。トッピングが二つ選べますが、今回ははきくらげと豆腐にしてみました。
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御飯は食べ放題です。酸菜魚は当たり外れがなく、ワンタンとともに現在マイブーム中です。
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