2025/11/15 - 2025/11/16
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kirinbxxさん
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南京市観光の続きです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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こちらが本日のお宿「谷西院子酒店」です。大通りに面していて分かり易い場所にあります。
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が、フロントまでは門をくぐってからずいぶんと歩きます。まるで京の町屋のようです。本当にホテルなの?って感じの入り口です。
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お部屋は、普通で広々としています。このホテルバスタブがあるというので選んだのですが、なんと栓が無くてお湯が溜められません。なんのこっちゃ。
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宿は、大通りに面していて、地下鉄1号線と5号線の「三山街駅」から歩いて5分位。周りにコンビニは見かけませんでしたが、交通の便は良いです。夕暮れの街の散策に出かけます。
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こちらは、中華門。明代初期(14世紀)に作られた南京城の正門です。中国最大の城郭式城門で1931年に「中華門」と命名されました。四重の門構造で、三つの閉鎖式中庭と四つのアーチ型門を持ちます。
入場料は、8:30~17:00が一人50元、17:00~22:00が90元です。はて17時ちょうどに入るといくらなんでしょ。中華門 城・宮殿
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写っている人の大きさで、城門の巨大さがお分かりいただけると思います。今日は朝からさんざん階段を登ったので、ここはパスです。
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しばらく歩くと、老門東歴史街区に着きました。
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ここにも「南京大牌档」がありましたが、ここもまた長蛇の列。本当に人気店なんですね。おそるべし南京大牌档(夫子廟老門東店)。
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通りは、どこも人人人。
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夜桜ならぬ夜紅葉。美しいです。
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こちらが、老門東の入り口の様です。
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まあとにかくすごい人。
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さくっと夕食を頂いて退散しましょう。「前来」と言うお店です。
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「塩水鴨」と言うのも南京の名物の様です。ビールのおつまみに良い味でした。
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名前にひかれて蟹味噌面と
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小籠包を頂きました。この蒸篭、下に木の板が通してあって素手で持てるようになっていました。グッドアイデア!
蟹味噌面は想像していたのとまったく違う味でした。二度と注文することはないでしょう。小籠包は何度かチャレンジしましたが、旨い奴には今だあたらず。 -
さて翌朝。朝食を求めて早朝ホテルの周辺を歩くと、3軒並んで営業しているお店がありました。向かって一番右のお店が混んでいましたが、待つのも嫌なので一番左の空いているお店に入りました。
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店のおじさんがワンタンを包んでいて、「旨いぞ」と言っているようなのでワンタンを頂きました。
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南京名物の鴨血入りワンタンです。熱々であったまります。
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本日の観光は、「南京総統府」から。最寄りの駅は「大行宮駅」。2号線と3号線が交わっています。ここの5番出口を出ます。
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地上に出るとすごい数の人達が大声を出しています。時節柄、すわ反日デモかとビビりましたが・・・
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南京マラソン大会でした。しかし、これが大問題。なんと南京総統府は道路の向こう側にあるのです。つまりマラソンご一行が通り過ぎるまで道路を渡れないと言うことで、プランBに変更です。
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目的地を変更して、夫子廟の近くにある科挙博物館(江南貢院)に向かいます。
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こちらの科挙博物館は、二つの場所に分かれていて、まずこちらの「江南貢院」と書かれた門から入ります。入場料は、40元です。
2022年までは高校では世界史が必修だったので「科挙」という言葉は多くの人が聞いたことがあるでしょう。隋から始まり清朝まで(途中で途切れることはありましたが)続いた中央官僚登用のための試験です。 -
扁額にある解元などの言葉は、地方試験などの一位合格者を示すものだそうです。三段階の試験すべてで一位になった超秀才は「大三元」と呼ばれ、後に麻雀の役の名に。(ちなみに四喜和も科挙に関係しています)
柱に書かれているのは合格を願う漢詩の一部です。 -
科挙の科目や、制度の変遷、それに関わった人物についての展示です。「官僚登用のための試験」というと文官だけかと思いきや、軍人を採用する科挙もあったのですね。歩射とか、騎射とかの科目があったそうです。
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歴代科挙名人!面白い表現です。。
右の人物は、中国史上でも屈指の名将、郭子儀です。唐の時代、安史の乱と吐蕃・ウイグルの叛乱を平定、外征から戻ると皇帝が門を出て迎え、「尚父」と呼んだほど。庶民や平定したウィグルの人々からすらも慕われ、30年にわたって唐という大国を支えました。中国だけではなく、日本でもその名と業績が知られていて、丸山応挙、高村光雲などが彼を題材にした作品を生み出しています。
後の二人は倭寇討伐に功ががあった武官です。科挙合格者には他にも多くの「歴史的偉人」がいるんですが、この人選は南京だからかな。 -
「歴代状元名録」という扁額がありました。状元とは、唐の時代の科挙で殿試(皇帝臨席の最終試験)の首席合格者に与えられる称号ですね。扁額の下には、状元となった秀才達の名が刻まれていたのでしょう。
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江南貢院、私が利用した入り口にも書かれていました。ここは別の入り口です。貢院とは、科挙の試験場のこと。つまり江南地域の試験会場ですね。ここはとても規模が大きく、清代の江南貢院試験区の合格者(状元)は全体の半部以上だったそうです。
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博物館は夫子廟(孔子廟)を中心とした「夫子廟秦淮河風光帯」と呼ばれる広大な景勝エリアの一部となっていて「南京の母なる河」と呼ばれることもある秦淮河に面しています。なかなか美しい景観です。
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しかし、受験生はのんびりと河畔でお弁当、というわけにもいかなかったようです。
こちらが試験会場。現代の試験のように大きな部屋に受験生が机を並べているのではなく、煉瓦の壁で仕切られた狭苦しい空間です。 -
「耕読為本」これは右に書いてあるように祝一族の家訓です。古代中国では、文人は学ぶために読書をしながら、家族を養うために農業も行うという、基本的な生活を送っていました。その人達にとって生涯の目標ともなったのが科挙合格。夜も勉強に励み、「青雲直上」という科挙合格という意味の銘を入れた青磁を縁起物として使いながら挑みました。
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「三元及第」は本人にも、一族にとっても極めて誇らしく、めでたいこと。科挙での成功と一族の繁栄を願う吉祥文様として住宅や一族の祠堂などにこのようなレリーフが飾られることもありました。
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博物館の裏側は、水路に面しています。
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こちらは、泮池(はんち)と呼ばれる孔子廟によくある池ですが、他とは違って秦淮河の自然の流水をそのまま池として利用されています。
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熟練の職人によって石を一つひとつ手作業で埋め込んで作られた、非常に手の込んだ装飾的な石畳です。受験者の成功や、長寿を願う意味が込められた亀甲紋でしょうか。
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立派な太湖石に囲まれた建物がありました。
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魁星閣です。魁星とは北斗七星の第一星「魁」を神格化したもので、「文運を司る神」として科挙合格祈願の対象となっていました。
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許願帯と呼ばれる、願いを書いて結びつける赤いリボン。
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またもや南京大牌档がありました。夫子廟貢院街店です。
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科挙博物館には3つの入り口があります。先に紹介した江南貢院と書かれた入り口から入るとまずは保存・修復された遺構を見学することになります。そしてこれが21世紀になってから建設された新館への入り口です。
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孝悌有聞、孝悌は儒教における基本的な徳目の一つ、「親や兄姉といった年長者に対する崇敬」のこと。
「狭いランプを下りていくと、訪れる人は街の喧騒から徐々に離れ、心の衝動を洗い流し、かつて科挙合格への道のりの苦難を体験し始める」と説明がありました。
ランプ全体の長さは130メートルで、科挙制度の1300年にわたる歴史を象徴しているのだとか。 -
狭い・・・・
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ランプの左側は広大な瓦壁で、魚の鱗のような瓦が重なり、「魚龍変化」と「魚が龍門を飛び越える」を象徴し、どちらも「根本的な変化」を意味します。
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地下へ続くスロープ沿いにはこんなものが。一見するとダイスアート、そしてよくよく見るとダイスではなくて活字・・・これは馬に乗った合格者、状元の姿なんだとか。
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で、エスカレーターで地下深くへ降りていくと・
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立派な門が待ち構えています。これは、明代の初代状元(首席合格者)である呉伯宗という人物の居宅の門です。曾祖父、祖父、父がそれぞれ元の時代に進士に合格、従兄の一人も明代に第二位で合格している「学者一家」だったそうです。その誇りが上部の「科第世家」という句に表されています。
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館内案内図を見ると、地下4階にいるようです。墨池の地下部分に建造したのですね。中国では唯一の地下博物館でもあります。
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床に瓦がびっしり。
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よくある人形を使っての状況展示です。
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回廊を歩いて、科挙以前の古代中国の人材登用制度について学びましょう。漢の武帝時代に始まった郷挙里選は中央の求める人材を地方から推薦する方式。そして三国志演義の悪役、曹操が建てた魏が始めたのが、九品中正制です。これは中央から派遣された中正官が郷里で官吏候補者を選んで中央に報告する制度。どちらも不正の道が沢山あり、豪族や門閥貴族という層を生むことに。
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そこで587年、隋の初代・文帝が始めたのが「学科試験」によって官吏を登用する制度でした。隋は短命に終わったため、実質的には唐の時代に整備されました。試験内容として儒学の経典が課されたので儒学・儒教は官吏を目指すものに必須となり、詩文の能力も重視して漢詩の創作を競わせたことが「唐詩」の興隆をもたらしました。
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宋の時代に作られた陶器です。タイトルは「唯有読書高」
宋代の詩人、王璋は『神童詩』の中で「皇帝は英雄を重んじ、 文学を教える。他の職業はすべて劣っていて、学問だけが優れている」と書いたとか。宋はその建国の事情から文治主義をとりましたが、その典型的な現れです。 -
しかし、国家は文官だけでは成り立ちません。
武挙は、古代中国で軍人を選抜するために特別に考案された試験です。702年、唐の則天武后の治世に始まり、1029年、北宋の仁宗皇帝の治世に復活しました。元の時代には廃止されましたが、1464年、明の英宗皇帝の治世に復活しました。清朝は明の制度を踏襲し、比較的充実した兵試制度を確立しました。1901年、清朝政府は兵試を廃止しました。 -
科挙に合格するのは大変な名誉ですが、同時に極めて難しい事でした。となれば当然、その準備のための教育機関が必要となります。私塾や、書院と呼ばれる民間の学校があちらこちらにできました。合格者を多く出した学校には人が沢山集まるのは今も昔も同じです。
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「試験」というテーマを判りやすく説明するため、映像や人形、模型などを駆使していました。まぁ、子どもに長々とした説明を丹念に読め、というのは無理ですし。
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これは、最後の首席合格者が学んでいた書院が作った摸擬試験問題です。彼は1890年に県の科挙に合格し、保定の連池書院で10年間学びました。1902年に省の試験に合格し、その後1904年に科挙首席となり、中国科挙史上最後の首席合格者となりました。
県の科挙合格からでも14年・・・長い受験勉強期間ですね。 -
なんとも美しい書庫です。
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清朝光緒20年(1894年)に行われた科挙の最終合格者名簿である「金榜(きんぼう)」のレプリカです。
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明清代における南京の郷試(科挙の地方試験)と、それが都市の発展に与えた影響についてまとめたもの。古代風に竹に書かれていました。
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地下3階から地下2階へ向かう通路は、「文創街」と呼ばれる明清時代の街並みを再現したスペースがあります。当時の受験生諸君が文房具や参考書を買い求めた店の様子を展示しつつ、筆や紙、当時の問題集(今ならさしずめ赤本)を模したノートなどを買うこともできます。
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地下2階には、ごく普通の雑貨などを売るお店もありました。
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地下1階で突如怖そうな人に遭遇!説明パネルにあった名前は「金毘羅王 こんぴらおう」でした。仏教では水運の神、薬師如来十二神将の筆頭。またの名を宮比羅(くびら)大将。
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こちらは閻魔大王さま。二人ともぎょろ目でちょっと愛嬌もあります。
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ここは特別展示ホールで、ちょうど9月20日から「沢州万像・山西省金城市古代彩色彫刻・壁画芸術展」が開かれていたのでした。中国山西省晋城市にある青蓮寺(せいれんじ)の「唐代彩塑(とうだいさいそ)」などが展示されていました。
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この博物館全体の案内図です。「主館」が新しく建てられた部分、その両側は明清時代の遺構や復元された部分ですね。
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貢院北区の案内図、中央が明遠楼、試験官が受験生を監督するために使われた建物です。
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これのことです。
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別の方向から。
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康熙三十八年(1699年)に康熙帝が江南貢院を巡幸した際に五言律詩を詠み、なおかつ自らの「御筆」で書かせて碑に刻ませた石碑。
人才當義取,王道豈紛更。
放利來多怨,徇私有惡聲。
文宗濂洛理,士仰楷模情。
若問生前事,尚憐死後名。
「人材は正しい道理にもとづいて登用すべきで、王道が利害や私情で揺らぎ、入り乱れるようなことがあってはならない」とはじめ「「生きている間の得失を問うな、むしろ死後に残る名をこそ惜しめ」と結んでいます。ごもっとも。 -
その理想を掲げて行われた科挙、このように壁で区切られた小さな部屋で試験に取り組みました。
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大きく書かれた文字は、それぞれの列につけられた記号です。
何しろ科挙に合格すれば立身出世間違いなし、でも超難関の試験、ということで康煕帝が示した高い倫理観など無視して不正に走る受験生も出て来ました。カンニングペーパーの持ち込み、替え玉受験、別の受験者による代筆など現代でも行われている事も。カンニング道具の展示もあったのですが、暗すぎておまけにガラスの向こうなのでフラッシュも使えず写せなくて残念。 -
突然ゲーセンが。飽きた子供は、こちらへ?
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マッサージチェア・コーナー。疲れた大人は、こちらへ?
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出口は、なんと立派なお土産屋さんでした。
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水に沈めて鑑賞する小石がここの押しのようです。
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