2025/11/08 - 2025/11/08
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kirinbxxさん
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今週末は、泰州市を出て西隣の揚州市にお邪魔しました。高鐵で一駅、ワンコイン(五百円)で行けます。
現代の揚州市は、人口500万人足らずの地方都市です。中華人民共和国建国後、この都市は特に重要視されることはありませんでした。経済発展促進政策がとられたのはやっと1993年になってから。この年、揚州経済開発区が設けられ、近代産業の育成に取り組み始めました。
さらに2014年、あるものが世界文化遺産に登録されたことで中国政府が俄然力を入れはじめました。それは私たちが世界史で習った「大運河」です。中国政府は2017年「大運河文化ベルト」「大運河国家文化圏」なる計画をうちたてました。
ですが揚州は唐の時代には中国でもっとも重要な都市の一つでした。海上貿易の拠点であり、アラビア商人、日本からの遣唐使をはじめ、外国の使節団、僧侶、宣教師、冒険家などがこの街を訪れました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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泰州駅まで始発のバスで向かいます。街路樹のようにバラが植えられていてきれいです。
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久しぶりの泰州駅。お天気がイマイチです。
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南京行きは1番線の「橘黄色」が号車番号表示だと電光掲示板に書かれています。
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しかーし、ホームには「黄、緑、紫、藍」で橘黄色の標識は無し。
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いつもの和諧号(CRH)、とは言っても乗るたびに微妙に座席などの仕様が違います。
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今回の列車は前座席の下にコンセントが一つありました。
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最高速度は196km/hでした。
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約30分で揚州駅に到着。この駅もスロープで地下通路に降りてゆきます。
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列車の駅前にはバスターミナルがあります。
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早速バスで博物館に向かいます。バスは泰州市のバスと似た構造で、前方と左上の電光掲示板に次の停留所が表示されます。
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こちらが「揚州文化芸術中心」。揮毫されたのは、揚州市で幼少期を過ごした江沢民さんです。
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ここには、揚州博物館、揚州中国雕版印刷博物館、美術館、コンサートホールと図書館等が集まっています。
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揚州博物館前の広場には、揚州の歴史に大きく貢献した人物を題材にした彫刻10体が展示されています。
まずは史可法(1602-1645)から。明王朝末期、李自成の乱で最後の皇帝が自殺してしまうという国難の時代の軍人です。清の降伏勧告を拒否して揚州城で徹底抗戦、甚大な被害を与えましたが陥落、処刑されました。見事な指揮と人心掌握で清軍に大きな損害を与えましたが、結果的にこれが揚州大虐殺を引き起こしたのは皮肉な話です。 -
こちらは、中学校でちゃんと授業を聞いていた日本人なら誰でも知っているお方。
唐招提寺を開いた鑑真大和上です。私たち日本人には、目を閉じた木像の写真(中学2年の社会の教科書に掲載されていた)がお馴染みですが、ここのは立像でした。
唐の玄宗皇帝が手放したがらず渡航を禁じたため、密航を試みては失敗、6度目についに遣唐使とともに来日したのは753年のことです。以後、5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごし、聖武上皇や孝謙天皇にも授戒をされました。揚州のお生まれだったのですね。 -
欧陽脩(1007-1072、字名は永叔、号は醉翁)は、北宋時代の古文運動の指導者であり、唐宋八大家の一人です。揚州の行政官を務めた際には、平山堂という景勝地や史跡を築き文化運動を推進し、これらの活動は歴史に深い影響を残しました。
「酔っ払い老人」というニックネームは、彼の号「醉翁」に由来します。これは彼の詩文に見られる、酒を愛し自然を楽しむ風流な人物像を表しています。 -
阮元(1764-1849、字名は伯元、号は雲台)は、揚州の海寧出身の文人・官僚です。清代中期に活躍し、文壇の指導者として、古典文献の編纂・修訂に尽力しました。書籍の出版や講義に熱心で、特に揚州学派において活動し、生涯を通じて、文化財や歴史的遺跡の修復事業に献身しました。
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こちらは董仲舒、中国史上最大の学者の一人とも言われている前漢の儒学者です。「3年間一歩たりとも庭に下りたことがない」と言われるほど勉学に励んだ努力家だとか。「漢書」という後漢時代に書かれた前漢賛美の歴史書では、前漢最盛期の景帝・武帝に仕え、儒教の官学化や元号制度を提言したとされていますが、「史記」によれば朝廷では不遇だったとされています。碑文によると、揚州の宰相を務めていたようです。
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さていよいよ入館します。こちらの博物館の営業時間は9時から17時まで。予約不要で月曜日は休館です。
揚州双博館 博物館・美術館・ギャラリー
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最初の展示室では、地元の古琴演奏家・芸術家の?固定氏の作品展が模様されていました。
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コインロッカーの横には医務室がありました。珍しいですね。
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次の展示は「絲路珍道」=「シルクロード・貴重な道」。
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古代貨幣の流通図。長安から西の地域で古代貨幣がどの都市を経由して流通したかを示す地図です。ところどころ場所がおかしいのはご愛敬。
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そして主な貨幣の紹介へと続きます。まずは、その後日本も含めた周辺地域に大きな影響を与えた銅貨から。
589年に隋によって中華が統一され、313年に西晋が事実上滅亡してからの長い分裂の時代が終わりました。隋は新疆地域までその支配を広め、五銖銭や銀銭という中華で使われていた貨幣が西域でも使われるようになりました。
唐は621年に大規模な通貨改革を行い開元通宝銭を発行しました。658年、唐王朝は西域支配をさらに強めるため、それまで高昌にあった都護府を700kmほど西にあるクチャに移設。これにより、開元通宝銭・乾元重宝銭が西域で広く流通し始めました。 -
上段は、唐代の西域地方の貨幣です。
唐は征服した異民族の住む地域に州・県をおき、それらは現地異民族の有力者に統治を任せ、いくつかの州や県をまとめて監視するために都護府を置いて中央から長官・官吏・軍を派遣するという方法で広い国土を統治しました。それぞれの州や県では、独自の通貨が発行されていました。
時代が下り、宋・元・明のころになると、ギリシャ由来の鋳造法で、アラビア文字の彫られた西域通貨もあらわれました。
地方の貨幣
宋元時代になると、西域の地方貨幣は中央政府の貨幣制度の影響を受けるようになりました。これらの貨幣は地域間の交易に使用され、制度的にも中原の貨幣体系に近づいていきました。 -
清の乾隆帝はウィグル人国家の内紛に乗じて新疆を征服、1760年から、新疆南部で新しい銅貨が鋳造されました。納税や多額の取引には銀を、少額取引にはこの新しい銅貨が使われました。この新しい銅貨は銅の含有量が90%を越え、表は満州語、裏はウィグル語の文字が刻まれているのが特徴で、「新疆紅銭」「新疆赤貨」などと呼ばれています。清朝崩壊後、これらの硬貨は鋳造と流通を停止されましたが、1980年代、
日本の古銭収集家の間でブームとなり1枚1万円以上の値がついたことがあります。(その後ベトナムで大量に発見されたため、現在は数百円で買えるものも) -
ペルシア帝国の銀貨たちです。交易が盛んだったため、イスラム圏内の通貨も多く入ってきました。ササン朝銀貨と銅貨の交換比率は1:32でした。
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次のコーナーへ、と思ったら突然、揚州中国雕版印刷博物館の看板が現れました。
「文字の発明が、思考の保存を可能にしたのだとすれば、印刷技術は知識を個人のものから人類文明の共有の成果とした」なんて説明がありました。ふむふむ、と読み続けると「この文明の源流が中国の木版印刷にあったことを忘れてはならない」と続きます。
まぁ、「紙」というものがそもそも2世紀頃に中国で発明されたというのだから、印刷技術が中国で最初に発明されたのも納得です。 -
最初にお出迎えしてくれるのが、こちらのお三方。偉大な思想家、アリストテレス、釈迦牟尼そして孔子。釈迦と孔子はほぼ同時代、アリストテレスはかなりあとですがソクラテスまで遡ると時代が近づきます。地球の遠く離れた地域で、もちろん互いの存在すら知らないままに、後世に大きな影響を与えた人達が活躍した時代があったんですね。現代のように、互いの思想を知る事ができたなら、どうなったでしょう。
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「印刷」に必要なもの。まずは紙づくり、そしてインク作り。そして文字を書く・彫るために使われる刃物、彫刻刀、定規、筆などです。もちろん文字自体も必要です。甲骨文、金文、小篆、隷書、楷書、簡化字それぞれの魚・馬・冊です。
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ある意味で、木版印刷の発明は仏教の拡大と教義の普及の必要性から生まれた、とあります。
木版印刷は隋代に発明され、7世紀初頭、仏像の木版印刷が最初期の印刷物として登場しました。8世紀には、仏教の経典や真言の印刷が大量に行われ、木版印刷は急速に進歩し、特に挿絵入りの「金剛般若波羅蜜経」の制作は、木版印刷技術の成熟を象徴しているのだとか。
残念ながら、複雑・多量の漢字を使っていた中国では活字化が困難で、印刷術は書物の大量生産による知識の大衆化には繋がりませんでした。それを成し遂げたのは、西洋、グーテンベルクの活版印刷です。 -
木版印刷は多くの工程を必要としていました。まず、原稿を薄紙に書き写し(左上)、二度の校正を経て最終原稿ができあがります。(右上)次に、版木に文字をきちんと彫るためのガイドラインを彫り(左下)文字を彫ります。彫られた反転文字は約1mmの高さになっていなければなりません。(右下)
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いよいよ木版印刷の最終工程である「刷り」と「色刷り」です。
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最後に印刷されたページを一冊の本に装訂します。
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古代中国木版印刷でよく使われた書体の例です。もちろん、書風は時代・用途・地域によって異なり、彫刻技術との相性も考慮されていました。
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中国における印刷技術の地理的な広がりと文化的中心地の分布を示す地図です。
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この人は畢昇さん。北宋の発明家で、1041年ごろ、活版印刷術を発明したとされています。北宋時代、博学で知られた沈括という政治家であり学者だった人が残した「夢渓筆談」(これは中国の科学技術史を知る上で非常に重要な文献で、東洋文庫に日本語訳があり、非常に面白い随筆です)の中で、「貨幣の縁ほどの薄い粘土に文字を彫り、一字一字を独立した版として焼き固める」という方法で印刷を行ったことが紹介されています。
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中国から世界へ広がった紙と印刷技術のルートを示す地図です。
唐がタラス河畔の戦いでアッバース朝イスラム帝国と戦い大敗を喫したとき、唐軍の捕虜によって製紙法がアラビアに伝えられたといいますが(現代では諸説あるようです)印刷術も中国から西へ伝わったという説があります。 -
お土産コーナーもありました。
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続いて実際の版木と印刷物の展示が続きます。
江沢民さんももちろんいらして、書物を手にとってます。 -
こちらは、白居易と元稹(げんしん)。白居易は、白楽天の方が通りがいいでしょう。漢文をちゃんと習った私の世代なら誰もが聞いたことがある高名な詩人。元稹は日本での知名度は低い(唐代文学研究の弱点、とまで言われています)ですが両者は「元白」と並称され、詩文を通じて深い友情と思想的連携を築いていたそうです。元稹は、杜甫の詩をいち早く評価した「杜甫の発見者」としても重要な人だとか。
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突然また一般的な博物館に戻って、マンモスです。
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1995年に黄河流域で発掘されたマンモスの化石。
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主に龍山文化における陶器の形態と時代的変遷を示すものです。紀元前2500年頃~紀元前1900年頃にかけて、黄河中下流域で栄えた新石器時代後期の文化で、黒陶(磨き上げた黒色の器)や高足杯に特徴があるそうです。
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紀元前770~476年の春秋時代における呉と越の領域分布を示す歴史地図です。
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戦国時代(紀元前475年~紀元前221年)の青銅剣。
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楚国(紀元前11世紀~紀元前223年)は、南方の強国で、独自の宗教・音楽・詩文化を持っていました。
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秦国の領域図。秦が辺境の小国から中華統一の覇者へと成長する過程を視覚的に示す歴史資料です。
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中国古代の貨幣。布幣(ふへい)、泉幣(せんぺい)、刀幣(とうへい)です。
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秦国時代には、何度も貨幣制度の統一が試みられました。秦で使われていた(写真の円の中央にある)圓銭に統一しようとしたのだそうです。まぁ、普通に考えればこれが一番まとめて持ち歩きやすいですし。すでに真ん中に四角い穴が開いてますね。
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玉衣は皇族や高官の遺体を玉片で覆う葬制具で、玉の浄化力で遺体を守ると信じられていました。この展示は、西漢の中山王・劉遂の墓から出土した玉衣に使用されていた、中国で唯一発見されたビーズ状の装飾技術だそうです。
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隋の第2代皇帝・煬帝(楊広)による中国史上最大級の土木事業=大運河の建設について解説しています。
揚州は大運河と長江の合流点に位置し、東南地域の交通・貿易の要衝となった。
揚州は外国貿易の港としても発展し、首都との通信・物流の中心でもあった。 -
唐代(618?907年)に制作された彩色陶製の女性騎馬俑。唐代は女性の社会的地位が比較的高く、騎馬姿の女性像は貴族女性の活動的な生活や儀礼的役割を反映している可能性があるそうです。
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「三彩犀形枕」
「三彩」とは、唐代に流行した鉛釉陶器の技法で、主に緑・黄・白(または褐)の3色を使う。陶枕は主に副葬品として使われ、生前の生活様式や地位を象徴していました。 -
「青釉枕」は、唐代に制作された青釉陶器の枕であり、実用性と美術性を兼ね備えた貴重な文化財とのこと。
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「飛天紋金梳」は、唐代の金工芸と宗教美術が融合した装飾品を再現したものです。金梳は貴族女性の髪飾り・儀礼用装身具として使用され、地位や美意識を象徴しています。
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「青釉褐緑彩辟邪」は、唐代(618?907年)に制作された辟邪像(霊獣像)。
「辟邪」は中国古代の霊獣で、邪気を祓い、墓や建物を守る守護獣として用いられました。獅子に似た姿で、墓門や副葬品として配置されることが多いものです。 -
唐代の、灰色粘土で作られたラクダの置物です。唐三彩にもラクダは多いですが、やはりシルクロードにおける最も重要な移動手段だったからでしょうか。
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鑑真和上は唐代の高僧。6度にわたる渡航失敗にも屈せず、最終的に日本に戒律を伝え、日本仏教の制度化に大きな影響を与え、奈良時代の宗教文化の礎となりました。
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1275年~1276年、李庭芝と姜才は数千の兵を率いて揚州を8ヶ月間守備。元軍の南下を阻止しようと奮戦したが、最終的に戦死。揚州の地は彼らの血で染まり、後世の人々は彼らを祭り、追悼しました。
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京劇の衣装と道具の一式。衣装や道具は役柄や物語の背景を象徴する重要な要素でした。
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京劇は、中国伝統演劇の代表格で、歌・舞・演技・武術が融合した総合芸術です。
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最後はお土産コーナーで終了です。なかなか見ごたえのある博物館でした。
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