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舞い競う古き世の花の太刀、と読んでください。<br />「なにそれ?」By妻。<br />しらざあ言って聞かせやしょう。<br />新橋演舞場の新歌舞伎「刀剣乱舞」の大喜利所作事「舞競花刀剣男子」舞い競う花のつわもの、のもじりです。<br /><br />詳しくはこちら、真ん中あたり。<br />歌舞伎刀剣乱舞と煉瓦亭の金銭登録機 (勝手にフェスティバル3)<br />https://4travel.jp/travelogue/11994027<br /><br />今回の目玉は「江田船山古墳・銀象嵌銘太刀」(ぎんぞうがん・たち)<br />競う相手はさいたま史跡の博物館「金錯銘鉄剣」(きんさくめい・てっけん)でござい。<br /><br />瀕死の老夫婦、ホテルで昼寝して息を吹き返し、東博入りびたり午後の部です。<br /><br />投稿日:2025/11/01<br />

上野の東博に入り浸る、舞競古代花太刀 @勝手にフェスティバル13

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2025/08/26 - 2025/08/28

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旅行記グループ 勝手にフェスティバル

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しにあの旅人

しにあの旅人さん

舞い競う古き世の花の太刀、と読んでください。
「なにそれ?」By妻。
しらざあ言って聞かせやしょう。
新橋演舞場の新歌舞伎「刀剣乱舞」の大喜利所作事「舞競花刀剣男子」舞い競う花のつわもの、のもじりです。

詳しくはこちら、真ん中あたり。
歌舞伎刀剣乱舞と煉瓦亭の金銭登録機 (勝手にフェスティバル3)
https://4travel.jp/travelogue/11994027

今回の目玉は「江田船山古墳・銀象嵌銘太刀」(ぎんぞうがん・たち)
競う相手はさいたま史跡の博物館「金錯銘鉄剣」(きんさくめい・てっけん)でござい。

瀕死の老夫婦、ホテルで昼寝して息を吹き返し、東博入りびたり午後の部です。

投稿日:2025/11/01

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
JRローカル
旅行の手配内容
個別手配
  • 午後2時ホテル発。<br />ただしタクシーで行きました。歩いて10分をタクシーは贅沢ですが、命には替えられません。<br />千葉のトシヨリ熱中症で病院に搬送、というのは避けたい。<br />

    午後2時ホテル発。
    ただしタクシーで行きました。歩いて10分をタクシーは贅沢ですが、命には替えられません。
    千葉のトシヨリ熱中症で病院に搬送、というのは避けたい。

  • 平成館です。<br />フライパンの上を歩くような暑さ。<br />歩いたことはありませんが。<br />そこで、新兵器を投入しました。<br />

    平成館です。
    フライパンの上を歩くような暑さ。
    歩いたことはありませんが。
    そこで、新兵器を投入しました。

  • 日傘!<br />男が日傘とは何ごとだ、と思っていました。<br />そんなこと言っていられない。<br />使ってみたら快適でした。<br />

    日傘!
    男が日傘とは何ごとだ、と思っていました。
    そんなこと言っていられない。
    使ってみたら快適でした。

  • 三谷幸喜が初めて日傘をさしたとき「もう雨はあがったかな?」などと一人芝居したそうです。たしかに照れ臭いもので、気分は分かります。<br />だれも見ていません。<br />男の日傘はいっぱいいました。完全に市民権を得たようです。<br />相合日傘もいっぱい。<br /><br />一書に曰く、<br />暑いです。<br />これが毎年毎年になるのでしょうか。<br />今年だけのことで済むのでしょうか。<br />絶滅した生物とか、古代文明の滅亡とかは、実は、天候不順に原因があるらしいですね。<br />あ~われわれの文明も滅亡するのか?<br />などと思いながら、灼熱の上野を歩きます。<br />日傘?いえ、ただの雨傘なのですが、これでも日陰を作りますからね。<br />男が日傘をさして歩いているのを、乃木将軍は、何と思うでしょう。<br />西郷隆盛は、なんと言うでしょう。<br />ま、何と言おうといいや。ひからびて死にたくないもンね。<br />By妻<br />

    三谷幸喜が初めて日傘をさしたとき「もう雨はあがったかな?」などと一人芝居したそうです。たしかに照れ臭いもので、気分は分かります。
    だれも見ていません。
    男の日傘はいっぱいいました。完全に市民権を得たようです。
    相合日傘もいっぱい。

    一書に曰く、
    暑いです。
    これが毎年毎年になるのでしょうか。
    今年だけのことで済むのでしょうか。
    絶滅した生物とか、古代文明の滅亡とかは、実は、天候不順に原因があるらしいですね。
    あ~われわれの文明も滅亡するのか?
    などと思いながら、灼熱の上野を歩きます。
    日傘?いえ、ただの雨傘なのですが、これでも日陰を作りますからね。
    男が日傘をさして歩いているのを、乃木将軍は、何と思うでしょう。
    西郷隆盛は、なんと言うでしょう。
    ま、何と言おうといいや。ひからびて死にたくないもンね。
    By妻

  • 浴衣で東博に来られた方少なからず。粋ですね。<br />By妻によると浴衣は涼しいのだそうです。<br /><br />一書に曰く、<br />浴衣では、まだまだ暑いです。<br />昔、クーラーが普及していないとき、ご婦人方は、和服をやめて、簡易洋服を着ていたものです。アパッパーと、呼んでいました。<br />あの頃の気温は、どのくらいだったのでしょうかね。<br />夏目漱石が、脱いで脱いで、皮も脱いで骨だけになりたかった暑さは、何度くらいだったのでしょう。<br />とにかく暑さから逃れて、クーラーの中へ。<br />ありがとう。現代文明!<br />By妻<br />

    浴衣で東博に来られた方少なからず。粋ですね。
    By妻によると浴衣は涼しいのだそうです。

    一書に曰く、
    浴衣では、まだまだ暑いです。
    昔、クーラーが普及していないとき、ご婦人方は、和服をやめて、簡易洋服を着ていたものです。アパッパーと、呼んでいました。
    あの頃の気温は、どのくらいだったのでしょうかね。
    夏目漱石が、脱いで脱いで、皮も脱いで骨だけになりたかった暑さは、何度くらいだったのでしょう。
    とにかく暑さから逃れて、クーラーの中へ。
    ありがとう。現代文明!
    By妻

  • 平成館の1階考古展示室の一角に、ほかと仕切られた一室がありました。<br />ほの暗い照明に浮き上がって、錆びた鉄剣が展示されていました。<br /><br />熊本県玉名郡和水町の江田船山古墳(えたふなやま・こふん)から、1873年に出土した太刀。銀錯銘大刀(ぎんさくめいたち)と呼ばれます。<br />国宝です。国宝が撮影OKです。さすが東博。<br /><br />一書に曰く、<br />抜けば玉散る氷の刃って、言いません?<br />でも、この暑さのせいか、氷は溶けちゃった。<br />ただ美しい。<br />工芸品でしかない。<br />まさか、これ本来の目的に使われたことないよね。<br />え?本来の目的って、なんだろう?<br />近藤勇の、今宵の虎徹は、、、の虎徹とは、違うよね。<br />虎徹のように、血にまみれていたのか?<br />いやいや、まさかね。<br />権力の象徴、神の宿るものとして飾られたのですよ。<br />そう思いたい。<br />そう思いたい。が、何回かは、血に塗れたのか?<br />そう思うと、ちょっと、ゾっと。<br />涼しくなったかも。<br />By妻<br />

    平成館の1階考古展示室の一角に、ほかと仕切られた一室がありました。
    ほの暗い照明に浮き上がって、錆びた鉄剣が展示されていました。

    熊本県玉名郡和水町の江田船山古墳(えたふなやま・こふん)から、1873年に出土した太刀。銀錯銘大刀(ぎんさくめいたち)と呼ばれます。
    国宝です。国宝が撮影OKです。さすが東博。

    一書に曰く、
    抜けば玉散る氷の刃って、言いません?
    でも、この暑さのせいか、氷は溶けちゃった。
    ただ美しい。
    工芸品でしかない。
    まさか、これ本来の目的に使われたことないよね。
    え?本来の目的って、なんだろう?
    近藤勇の、今宵の虎徹は、、、の虎徹とは、違うよね。
    虎徹のように、血にまみれていたのか?
    いやいや、まさかね。
    権力の象徴、神の宿るものとして飾られたのですよ。
    そう思いたい。
    そう思いたい。が、何回かは、血に塗れたのか?
    そう思うと、ちょっと、ゾっと。
    涼しくなったかも。
    By妻

  • 根元から左側。<br />全長90.9㎝。<br />

    根元から左側。
    全長90.9㎝。

  • 反対側。

    反対側。

  • 太刀の左側、根元に近い部分に彫られていた文様。馬だそうです。

    太刀の左側、根元に近い部分に彫られていた文様。馬だそうです。

  • 馬に見えます。銀象嵌。

    馬に見えます。銀象嵌。

  • 反対側。左から魚、鳥。

    反対側。左から魚、鳥。

  • かわいい。笑っている。<br /><br />一書に曰く、<br />鳥は、鵜ですよね。<br />長良川の鵜飼いの鵜。<br />鷹匠というのもあります。<br />犬も狩りに使いました。<br />古代人は、獲物を狩るために、様々な工夫をしたのですね。<br />ああ、だから、海幸彦は山幸彦に負けたんだ。<br />海幸彦には、鵜しかいないのに、山幸彦は、犬、鷹がいるのだものね。<br />By妻<br />

    かわいい。笑っている。

    一書に曰く、
    鳥は、鵜ですよね。
    長良川の鵜飼いの鵜。
    鷹匠というのもあります。
    犬も狩りに使いました。
    古代人は、獲物を狩るために、様々な工夫をしたのですね。
    ああ、だから、海幸彦は山幸彦に負けたんだ。
    海幸彦には、鵜しかいないのに、山幸彦は、犬、鷹がいるのだものね。
    By妻

  • 太刀の背の部分、棟(むね)は幅8ミリ。

    太刀の背の部分、棟(むね)は幅8ミリ。

  • 真上から。

    真上から。

  • 根元の部分を拡大してみました。文字が彫られています。<br />「張安也」が読めます。銘文の末尾です。<br />刀身部全長85.3㎝に75文字です。<br /><br />原文出典はウィキペディア。<br /><br />★台天下獲□□□鹵大王世、奉事典曹人名无(利)弖、八月中、用大鐵釜、 并四尺廷刀、八十練、(九)十振、三寸上好(刊)刀、服此刀者、長壽、子孫洋々、得□恩也、不失其所統、作刀者名伊太(和)、書者張安也★<br /><br />東博の解説に現代語訳がありました。書き起こします。<br /><br />★ワカタケル大王(雄略天皇)が天下を治めておられた時代に、文書を司る役所に仕えた人、その名はムリテ(无利弖)が、八月に、精錬用の鉄釜を用いて、4尺(約1m余り)の立派な太刀を製作した。八十回、九十回に至るほどに丹念に打ち、また鍛えたこの上もなく上質の太刀である。この太刀を身に着ける者は、長寿を得て子孫が繫栄し、恩恵を受けることができ、その支配地を失うこともない。命じられて太刀を製作した者の名はイタワ(伊太和)で、銘文を書き記した者は張安である。★<br /><br />4トラベラーPedaruさんは彫金の専門家ですが、銅と違って鉄に文字を刻むのは難しい。<br />現代なら超硬のタガネで刻むそうです。そのタガネはダイアモンドの粉末を吹き付けた電動砥石でしか磨げません。<br />もちろん当時そんなものはありません。<br />こんな狭いところによく75文字も彫ったものです。<br />以上私たちのブログ「六国史の旅 天武チルドレン8 東博の文祢麻呂(ふみの・ねまろ)」のPedaruさんのコメントで教えていただきました。<br />虎の威を借るネズミといいますが、ネズミとしてはたまにはいいことを言ったと思います。<br /><br />作るのが大変だったと力説する気持ちわかります。職人の名までわざわざ書いたくらいです。<br />ムリテ(无利弖)もイタワ(伊太和)も当時の日本人の名で、漢字を強引にあてております。<br />銘文を描いたのは張安、和名がありません。生粋の中国人でしょう。5世紀後半には、熊本に中国人がいたのです。<br />製作過程とちがってさらっと書いています。あんまり感謝をした感じではないので、中国人は珍しくなかったのではないか。<br /><br />□が読めなかったので、「獲□□□鹵大王」がだれかでいろいろ議論されました。百済の王から北九州の王に与えたものだと主張した朝鮮の学者もいたそうです。<br />1978年に埼玉県行田市の稲荷山古墳から発掘された鉄剣に「獲加多支鹵大王」と刻まれていたので、決着がつきました。「わかたける・だいおう」と読むそうです。雄略天皇に比定されます。<br />

    根元の部分を拡大してみました。文字が彫られています。
    「張安也」が読めます。銘文の末尾です。
    刀身部全長85.3㎝に75文字です。

    原文出典はウィキペディア。

    ★台天下獲□□□鹵大王世、奉事典曹人名无(利)弖、八月中、用大鐵釜、 并四尺廷刀、八十練、(九)十振、三寸上好(刊)刀、服此刀者、長壽、子孫洋々、得□恩也、不失其所統、作刀者名伊太(和)、書者張安也★

    東博の解説に現代語訳がありました。書き起こします。

    ★ワカタケル大王(雄略天皇)が天下を治めておられた時代に、文書を司る役所に仕えた人、その名はムリテ(无利弖)が、八月に、精錬用の鉄釜を用いて、4尺(約1m余り)の立派な太刀を製作した。八十回、九十回に至るほどに丹念に打ち、また鍛えたこの上もなく上質の太刀である。この太刀を身に着ける者は、長寿を得て子孫が繫栄し、恩恵を受けることができ、その支配地を失うこともない。命じられて太刀を製作した者の名はイタワ(伊太和)で、銘文を書き記した者は張安である。★

    4トラベラーPedaruさんは彫金の専門家ですが、銅と違って鉄に文字を刻むのは難しい。
    現代なら超硬のタガネで刻むそうです。そのタガネはダイアモンドの粉末を吹き付けた電動砥石でしか磨げません。
    もちろん当時そんなものはありません。
    こんな狭いところによく75文字も彫ったものです。
    以上私たちのブログ「六国史の旅 天武チルドレン8 東博の文祢麻呂(ふみの・ねまろ)」のPedaruさんのコメントで教えていただきました。
    虎の威を借るネズミといいますが、ネズミとしてはたまにはいいことを言ったと思います。

    作るのが大変だったと力説する気持ちわかります。職人の名までわざわざ書いたくらいです。
    ムリテ(无利弖)もイタワ(伊太和)も当時の日本人の名で、漢字を強引にあてております。
    銘文を描いたのは張安、和名がありません。生粋の中国人でしょう。5世紀後半には、熊本に中国人がいたのです。
    製作過程とちがってさらっと書いています。あんまり感謝をした感じではないので、中国人は珍しくなかったのではないか。

    □が読めなかったので、「獲□□□鹵大王」がだれかでいろいろ議論されました。百済の王から北九州の王に与えたものだと主張した朝鮮の学者もいたそうです。
    1978年に埼玉県行田市の稲荷山古墳から発掘された鉄剣に「獲加多支鹵大王」と刻まれていたので、決着がつきました。「わかたける・だいおう」と読むそうです。雄略天皇に比定されます。

  • これがその稲荷山古墳の鉄剣。県立さきたま史跡の博物館に展示されています。撮影は2022年4月。<br />以下の訓読の出典はWikipedia。<br /><br />★(表)<br />辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、(名は)タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒ(ハ)シワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。<br /><br />(裏)<br />其の児、名はカサヒ(ハ)ヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケル(クヮクカタキル)の大王の寺、シキの宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。★<br /><br />これは私たちのブログで一度取り上げています。<br />ヤマトタケル空白の旅路 金鑚神社2 華奴蘇奴国とさきたま古墳郡、雄略天皇登場!<br />https://4travel.jp/travelogue/11889682<br /><br />概略の意味は、博物館の解説をまとめると、<br />「471年7月中に記す。乎獲居(おわけ)の臣の一族は先祖代々大王(天皇)に杖刀人(親衛隊)の隊長として仕えた。<br />乎獲居(おわけ)の臣は、獲加多支鹵(ワカタケル)大王が斯鬼(しき)の宮で天下を治めるのを補佐した」<br />となります。<br />

    これがその稲荷山古墳の鉄剣。県立さきたま史跡の博物館に展示されています。撮影は2022年4月。
    以下の訓読の出典はWikipedia。

    ★(表)
    辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、(名は)タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒ(ハ)シワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。

    (裏)
    其の児、名はカサヒ(ハ)ヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケル(クヮクカタキル)の大王の寺、シキの宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。★

    これは私たちのブログで一度取り上げています。
    ヤマトタケル空白の旅路 金鑚神社2 華奴蘇奴国とさきたま古墳郡、雄略天皇登場!
    https://4travel.jp/travelogue/11889682

    概略の意味は、博物館の解説をまとめると、
    「471年7月中に記す。乎獲居(おわけ)の臣の一族は先祖代々大王(天皇)に杖刀人(親衛隊)の隊長として仕えた。
    乎獲居(おわけ)の臣は、獲加多支鹵(ワカタケル)大王が斯鬼(しき)の宮で天下を治めるのを補佐した」
    となります。

  • 73.5cmの鉄剣の両側に、こういうような文字が金象嵌で、115文字彫られていました。<br />肝心の「獲加多支鹵大王」は撮影し忘れ。<br /><br />こちらは江田船山古墳の銀錯銘大刀(ぎんさくめいたち)とちがって、訓読だけでほぼ意味が分かります。<br />乎獲居(おわけ)さんからの系図がほとんどで、えらい一族なんだぞと言っています。製作の苦労話はなし。<br /><br />2振の鉄剣はほぼ同じ時代、5世紀後半-6世紀初頭に作られました。<br />内容はおおまかに、東博の鉄剣は、雄略天皇から臣下の典曹人ムリテに下された。<br />さきたまの場合は、杖刀人オワケに下された。<br />典曹人は文官で、杖刀人は親衛隊長のようなものだそうです。<br />ヤマトの支配はすでにこの時代、熊本から埼玉まで行き渡っていたという有力な根拠になっています。<br /><br />雄略天皇のまわりには地方出身の豪族がいっぱいいたことになります。<br />雄略さんが酒ならの生一本、ムリテくんは馬刺し、オワケ君は焼きマンジュウかコンニャクを持ち寄って、ポトラック・パーティをした、とは古事記に書いてありません。<br /><br />ムリテ、オワケはヤマト標準語をしゃべったでしょうが、二人がお国言葉で話したら通じたでしょうかね。<br />16世紀、津軽為信が豊臣秀吉に謁見した時、秀吉は為信の言うことがほとんど分からなかった、という話をどこかで読みました。司馬遼太郎だったかな。<br />鹿児島県人と青森県人がそれぞれお国言葉で話したら、話は通じないそうです。<br />5世紀ではどうだろう。<br /><br />一書に曰く、<br />「だ埼玉」と、自虐ネタで栄えている北関東辺りが、意外や意外、中央政権に近かったということらしいのですが、千葉や神奈川の立場はどうなるのでしょうね。<br />県民ナントカって、テレビ番組じゃないんだから、競争してどうする。<br />でも、千葉からも、かっこいい刀出てこい!<br />By妻<br />

    73.5cmの鉄剣の両側に、こういうような文字が金象嵌で、115文字彫られていました。
    肝心の「獲加多支鹵大王」は撮影し忘れ。

    こちらは江田船山古墳の銀錯銘大刀(ぎんさくめいたち)とちがって、訓読だけでほぼ意味が分かります。
    乎獲居(おわけ)さんからの系図がほとんどで、えらい一族なんだぞと言っています。製作の苦労話はなし。

    2振の鉄剣はほぼ同じ時代、5世紀後半-6世紀初頭に作られました。
    内容はおおまかに、東博の鉄剣は、雄略天皇から臣下の典曹人ムリテに下された。
    さきたまの場合は、杖刀人オワケに下された。
    典曹人は文官で、杖刀人は親衛隊長のようなものだそうです。
    ヤマトの支配はすでにこの時代、熊本から埼玉まで行き渡っていたという有力な根拠になっています。

    雄略天皇のまわりには地方出身の豪族がいっぱいいたことになります。
    雄略さんが酒ならの生一本、ムリテくんは馬刺し、オワケ君は焼きマンジュウかコンニャクを持ち寄って、ポトラック・パーティをした、とは古事記に書いてありません。

    ムリテ、オワケはヤマト標準語をしゃべったでしょうが、二人がお国言葉で話したら通じたでしょうかね。
    16世紀、津軽為信が豊臣秀吉に謁見した時、秀吉は為信の言うことがほとんど分からなかった、という話をどこかで読みました。司馬遼太郎だったかな。
    鹿児島県人と青森県人がそれぞれお国言葉で話したら、話は通じないそうです。
    5世紀ではどうだろう。

    一書に曰く、
    「だ埼玉」と、自虐ネタで栄えている北関東辺りが、意外や意外、中央政権に近かったということらしいのですが、千葉や神奈川の立場はどうなるのでしょうね。
    県民ナントカって、テレビ番組じゃないんだから、競争してどうする。
    でも、千葉からも、かっこいい刀出てこい!
    By妻

  • 東博に戻ります。<br />背後のスクリーンに投影されているのは、太刀の銀象嵌。<br />

    東博に戻ります。
    背後のスクリーンに投影されているのは、太刀の銀象嵌。

  • 太刀右側の馬が、

    太刀右側の馬が、

  • これ。<br />太刀の馬は小さいし、暗いし、とても見にくいのです。<br />これでよくわかる。<br />

    これ。
    太刀の馬は小さいし、暗いし、とても見にくいのです。
    これでよくわかる。

  • 右側の魚が、

    右側の魚が、

  • これ。

    これ。

  • 鳥は、しっぽの付け根がぼやけていると思ったら、

    鳥は、しっぽの付け根がぼやけていると思ったら、

  • 一部欠けていたのです。

    一部欠けていたのです。

  • 一書に曰く、<br />ここ、本当に素敵でした。<br />展示ケースの後ろの壁が、スクリーンになっていて、落ち着いた色合いにコーディネートされながらも、学術的にも丁寧に、刀の細部が映し出されます。<br />専門家ではない私には、本物の刀を見ても、その価値を、しかと見極めることができないのですが、後ろのスクリーンによって、細緻な美しさ、それを可能にする高度な技術を教えられました。<br />座るソファはあるし、ここ絶対お勧めです。<br />By妻<br /><br />古代人の名前<br />▲▲▲▲▲▲<br /><br />古代人の名前、ファーストネームがでてきました。<br />「ムリテ」は熊本の豪族。「イタワ」は職人さん。<br />「ヲワケ」「タカリ」「テヨカリ」「タカヒ(ハ)シ」「タサキ」「ハテヒ」は埼玉の豪族。「ワケ」は尊称でしょう。<br />この時代、名前は3音節が多かったみたい。<br /><br />そういえば、8世紀に群馬の上野三碑の一つ、多胡碑を建てたのは「ヒツジ」さんでした。<br />「羊」という字ですが、めえめえの羊ではなく、音に漢字をあてただけでしょう。<br />山上碑の黒売刀自さんも、刀自は「主婦」に該当する尊称ですから、本名は「くろめ」さんです。<br />古代人の本当の名前はわかっているのが少ない。<br />厩戸皇子だって、うまれたときに「うまやど」ちゃん、とよばれたはずはなく、なんかカワイイ3音節の呼び名があったはずです。<br /><br />「ムリテ」や「ヲワケ」の同時代人雄略天皇の歌、「籠もよ み籠持ち・・・」の最後で、娘さんに名を教えろと言っています。この「名」は生まれながらのファーストネームです。おそらくこれも3音節だったはず。<br /><br />そういえば、今でも日本人の名前は3音節が多い。<br /><br />一書に曰く<br />古代人の名前が出てきて、しかも苗字ではなく、名前だと、by夫は興奮しております。<br />現代に生きる私たちには当たり前のことなのですが、ナンのタレベエという姓名がはっきりするのは、意外と近世になってからなのです。<br />例えば、紫式部、清少納言が、本名ではないことは、よく知られていますが、本名は、藤原のナニ子なのかわからないのですね。<br />言わなかった。隠していた。<br />日常生活、プライベートでは名前を呼びあっていたけれど、公的文章には公的呼称を用いたのか。<br />いずれにしても、固有の名前は、わからない場合が多いのです。<br /><br />「籠もよ み籠もち、、、」の話は、by夫は、名前が非常にプライベートで、秘匿されるものだからこそ、そのプライベートに踏み込みたい。だからプロポーズになると考えています。<br />私は、名前の中に、どこの生まれで、だれの保護下になるのか、どこの権力の中にいるのかがわかるからこその「名のらさね」なんだと思うのです。公的な、どこの家のどういう地位にある人間かも含めて、さらにプライベートもあったでしょうけど。<br />言ってみれば、お見合いみたいな。<br />街で、おにいちゃんが、かわいいおねえちゃんをひっかけるのとは、違うと思ったのですけれど。<br /><br />こうやって、ならべると、by夫の考えのほうが、より愛に忠実ですわね。<br />わたしは、家格とか、財産とか、、、打算的だわ。<br /><br />日本にもヨーロッパにも、名前を隠し、名前を知られたら、負けてしまうという話があります。<br />両方とも、そんなに大した名前ではないんですがね。<br />なんで、そんなおとぎ話ができたんだか。<br />名前は、その家の歴史を背負ってしまうからでしょうか。<br /><br />という隠された名前が、この刀に刻まれております。<br />どんな人達だったのか。<br />どんな生涯を送ったのか。<br />幸せだったか。<br />愛する人はいたのか。<br />思いは、しばし、はるか古代へと、真夏の昼の夢となりました。<br />By妻<br />

    一書に曰く、
    ここ、本当に素敵でした。
    展示ケースの後ろの壁が、スクリーンになっていて、落ち着いた色合いにコーディネートされながらも、学術的にも丁寧に、刀の細部が映し出されます。
    専門家ではない私には、本物の刀を見ても、その価値を、しかと見極めることができないのですが、後ろのスクリーンによって、細緻な美しさ、それを可能にする高度な技術を教えられました。
    座るソファはあるし、ここ絶対お勧めです。
    By妻

    古代人の名前
    ▲▲▲▲▲▲

    古代人の名前、ファーストネームがでてきました。
    「ムリテ」は熊本の豪族。「イタワ」は職人さん。
    「ヲワケ」「タカリ」「テヨカリ」「タカヒ(ハ)シ」「タサキ」「ハテヒ」は埼玉の豪族。「ワケ」は尊称でしょう。
    この時代、名前は3音節が多かったみたい。

    そういえば、8世紀に群馬の上野三碑の一つ、多胡碑を建てたのは「ヒツジ」さんでした。
    「羊」という字ですが、めえめえの羊ではなく、音に漢字をあてただけでしょう。
    山上碑の黒売刀自さんも、刀自は「主婦」に該当する尊称ですから、本名は「くろめ」さんです。
    古代人の本当の名前はわかっているのが少ない。
    厩戸皇子だって、うまれたときに「うまやど」ちゃん、とよばれたはずはなく、なんかカワイイ3音節の呼び名があったはずです。

    「ムリテ」や「ヲワケ」の同時代人雄略天皇の歌、「籠もよ み籠持ち・・・」の最後で、娘さんに名を教えろと言っています。この「名」は生まれながらのファーストネームです。おそらくこれも3音節だったはず。

    そういえば、今でも日本人の名前は3音節が多い。

    一書に曰く
    古代人の名前が出てきて、しかも苗字ではなく、名前だと、by夫は興奮しております。
    現代に生きる私たちには当たり前のことなのですが、ナンのタレベエという姓名がはっきりするのは、意外と近世になってからなのです。
    例えば、紫式部、清少納言が、本名ではないことは、よく知られていますが、本名は、藤原のナニ子なのかわからないのですね。
    言わなかった。隠していた。
    日常生活、プライベートでは名前を呼びあっていたけれど、公的文章には公的呼称を用いたのか。
    いずれにしても、固有の名前は、わからない場合が多いのです。

    「籠もよ み籠もち、、、」の話は、by夫は、名前が非常にプライベートで、秘匿されるものだからこそ、そのプライベートに踏み込みたい。だからプロポーズになると考えています。
    私は、名前の中に、どこの生まれで、だれの保護下になるのか、どこの権力の中にいるのかがわかるからこその「名のらさね」なんだと思うのです。公的な、どこの家のどういう地位にある人間かも含めて、さらにプライベートもあったでしょうけど。
    言ってみれば、お見合いみたいな。
    街で、おにいちゃんが、かわいいおねえちゃんをひっかけるのとは、違うと思ったのですけれど。

    こうやって、ならべると、by夫の考えのほうが、より愛に忠実ですわね。
    わたしは、家格とか、財産とか、、、打算的だわ。

    日本にもヨーロッパにも、名前を隠し、名前を知られたら、負けてしまうという話があります。
    両方とも、そんなに大した名前ではないんですがね。
    なんで、そんなおとぎ話ができたんだか。
    名前は、その家の歴史を背負ってしまうからでしょうか。

    という隠された名前が、この刀に刻まれております。
    どんな人達だったのか。
    どんな生涯を送ったのか。
    幸せだったか。
    愛する人はいたのか。
    思いは、しばし、はるか古代へと、真夏の昼の夢となりました。
    By妻

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