2025/07/17 - 2025/07/19
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しにあの旅人さん
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更新記録 2025/08/21:誤字訂正
歌舞伎、「君の名は」、ゴジラ。
♫有楽町で会いました。
「君の名は」に「 」をつけました。「君の名はゴジラ」にしたくない。
フランク永井の「有楽町で会いましょう」は1957年(昭和32年)です。私は11才、かろうじて記憶に残っています。
この歌に郷愁を感じる世代むけの旅日記です。
一書に曰く、
「ゴジラ、君の名は?」
「はっ、松井ですが。なにか?」
って、話ではないですね。
ここは、映画の話ですか。
最近は、映画も観なくなったなあ。
「君の名は」って、これ踏み絵。
「君の名は」で、連想するモノで、年令がわかる。
若い人は、絶対アニメ。
「岸惠子?誰?」って言うのが、今の日本です。
佐田啓二っていうのは、中井貴一のお父さんで、、、とか言うと、中井貴一が既に、おじさんで、お若い人には、うけてない。
というわけで、理解できる人に理解してもらえばいいや。
本当は、分かる人多いんだぞ。なんたってベビーブーマー、団塊の世代だぞ。絶対多数!民主主義ばんざい!
By妻
投稿日:2025/08/07
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
森田座跡
▲▼▲▼
7月の暑い朝、朝も早よから東銀座のホテルを出ました。
一書に曰く、
ほんと、朝も早よからですわ。
歩いている人は、通勤ですよ。その通勤の人波をぶった切って、無理矢理に森田座さがし。
迷惑だよねぇ。いかにも田舎から出てきましたって爺さんと、婆さんが、スムーズな流れを邪魔します。
何年か前の、二十四時間たたかえますかぁの時代なら、「ちぇっ」っていわれますよ。あの頃の人は、とげとげでしたね。
さて、本日のサラリーマン、おとなしい。本音は、言いたかったかもしれませんけど、相手が唐草模様の風呂敷包みしょって、こうもり傘持ってる感じの爺さんだものねえ。
白目だけで、行っちゃいました。
やれやれ。
By妻森田座跡、駐車場なし by しにあの旅人さん森田座跡 名所・史跡
-
やってきました。森田座跡。
東京都中央区銀座6丁目14
ここに歌舞伎江戸三座の一つ森田座があったそうです。万治3年(1660年)創設ですから、江戸開府からだいぶたって、もうちょっとで元禄。すこし生活に余裕ができて江戸っ子は「さあ、今日は芝居見物~」と繰り出したのでしょうな。 -
パネルにあった絵。
中央の櫓が建っているところでしょうね。
この櫓が幕府公認の芝居小屋の象徴でした。
川に面している!
当時の江戸は水路が縦横無尽に張り巡らされていたそうですが、こんな大きな運河がこのあたりにあったんだ。
現在の新橋演舞場に隣接する高速道路は、運河あとに作ったらしい。
森田座跡から首都高まで直線で250mくらいあります。
川に面して河岸があって、広い道路の向こうに劇場正面。ということは森田座入り口は今の新橋演舞場あたりだったことになります。
すごい大きな劇場だったんだ!
森田座跡のパネルは劇場裏口。
森田座を作ったのは森田勘弥、のち改名して守田勘弥。歌舞伎役者守田勘弥のご先祖です。
坂東玉三郎が14代守田勘弥の養子ですが、名跡は継がないんですかね。 -
新富座跡
▲▼▲▼
東京都中央区新富2丁目5-10
森田座跡から中央区役所前を通ってやってきました。8時半くらいですが、すでに猛暑。がんばる。。
森田座は天保14年(1843年)に幕府の命令で浅草に移りました。
江戸の火事予防のため、当時の江戸郊外つまり田舎の浅草に芝居小屋を集めました。幕府が横暴だというのは筋違い。
歌舞伎の劇場は非常に大きな建物で、これに火がつくと燃え上がって手がつけられない。類焼を防ぐために田舎に集めちゃえ。燃えても隣も芝居小屋。お金があるからすぐ再建できるだろう、という理屈です。
段ボール箱に新聞紙を入れて火をつけると、箱は勢いよく燃え上がります。あれと同じで、中ががらんどうの芝居小屋は巨大な段ボール箱です。周囲のはッつァん、くまさんの長屋はたまったものではない。
森田座は明治5年(1872年)にここに移って、新富座と改名しました。座元はずっと森田(守田)勘弥。
大正12年(1923年)の関東大震災で焼失するまで歌舞伎興行の中心的劇場だったそうです。新富座跡、駐車場なし by しにあの旅人さん新富座跡 名所・史跡
-
パネルの錦絵。
男性は洋装和装混在で、明治初期の雰囲気です。羽織袴に帽子、着物で手提げ袋みたいなモノをもっている。
女性に洋装はいませんね。 -
周囲はどこにでもある都心の風景で、かつての面影はありません。
と思ったら、 -
パネルの道路の向こうに古そうな建物発見。
-
外壁銅版張りです。
「井筒屋」って書いてある。
現在はギャラリーだそうです。
https://www.thedesignlabo.co.jp/izutsuya
↑のHPによると、新富座の甘味処でした。
関東大震災や大戦による火災も生き延びました。
銅板張りの外装は看板建築というそうです。震災後火災対策として普及したそうです。
看板建築は、pedaruさんのブログで初めて知りました。
詳しくはこちら、
「ここにもあった明治村?いや、大正村?昭和村かな? 江戸東京たてもの園 ④ 小平市」
https://4travel.jp/travelogue/11972699
新富座跡からつぎの目的地「江戸歌舞伎発祥の地」への移動途中、もう1軒古い建物に出会いました。 -
大野屋
▲▼▲
由緒ありげな建物。 -
右から「大野屋」
東京都中央区新富2丁目2-1 -
舞踏足袋の専門店です。
-
「御用承り處」
處が旧字で奥ゆかしい。 -
舞踏足袋とはこういうものらしい。
歌舞伎の役者は、ここでオーダーメイドで足袋を作るそうです。
私の母は長唄をやっていました。お師匠さんの公演の時、その他大勢の端っこで長唄をうなっていました。国立劇場の舞台に上がったこともあると言っていました。
By妻によると、母の遺品のなかに、このような足袋があったそうです。
一書に曰く、
呉服屋さんさえ見かけることが少なくなった今日この頃、足袋専門店です。
特別な顧客を抱えているから成り立っているのでしょう。
by夫の母は、子どものころから長唄を習っていました。
by妻が、まだ結婚してすぐのころ、遊びに行きましたら、カレンダーに、印がつけられて、国立と、書いてありました。
お出かけですか?くにたちは、遠いですね。なんて話しかけたら、「あら、くにたちではなくって、こくりつよぉ。」だって。
こくりつ劇場に行くんだと。
しかも観劇ではなくって、出演するんだと。
長いこと習っていましたからね。子どもが育って、よそのおっさんになったから、また始めたそうです。
姑は、五枚こはぜの足袋をはいていました。
足袋は、こはぜというもので、足首のうしろを留めるのですが、普通は四枚こはぜです。今のソックス丈ですね。
五枚こはぜですと、ショートブーツみたいに、足首の上まで包みます。
足に動きがあるときに、着物の裾から肌が見えるのが、防げるのです。
日本舞踊家とかが、これをお使いになります。
しかも、姑は、足に合わせた足袋だと言っておりましたから、きっと注文したのでしょう。
一度貸してくれそうになったけど、「やっぱり、、、」やめられました。
私の大根足に踏みにじられたくなかったのかしらね。
By妻 -
「登録有形文化財 第13-0323号」
調べてみました。
「大野屋總本店店舗」で「国指定文化財等データベース」にありました。
★
大正13年頃建築、昭和30年頃改修
木造2階建、瓦葺き、建築面積27平米
解説文
角地に北面して建つ。木造二階建、切妻造桟瓦葺で、重厚な甍棟を積む。一階は店舗とし、二階で足袋製造を行う。上下階とも軒が高く、二階は出桁造とする。外壁は簓子下見板張で二階窓に手摺を設ける。震災直後に建てられた、当地に残る数少ない戦前の町家建築。
★
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00009908
2階で今も足袋を作っているようです。
その世界では有名なお店らしい。
震災で新富座と共に焼けましたが、すぐ再建され、当時の雰囲気を残している建物です。 -
「江戸歌舞伎発祥之地」にやって来ました。
東京都中央区京橋3丁目4
首都高をくぐれば銀座通りです。
碑文を書き起こします。改行位置は原文に従いました。原文に濁点はないようです。
★
寛永元年二月十五日元
祖猿若中村勘三郎中
橋南地と言える此地に猿
若中村座の芝居櫓を上く
これ江戸歌舞伎の濫觴
也慈に史跡を按し斯石
を鎮め国劇歌舞伎発祥
の地として永く記念す
昭和三十二年七月建立
江戸歌舞伎旧史保存會
★
寛永元年は1624年です。
市村座:寛永11年/1634年。
山村座:寛永19年/1642年。
森田座:万治3年/1660年。
ですから、たしかに江戸の最初の歌舞伎劇場
9時になりました。暑くて、1時間歩いたら限界。
石碑の向こう側は小さな公園で、ベンチもありました。木陰が涼しい。銀座表通りには公園が1カ所もないようです。
ここで休んで元気をとりもどして、とりあえずホテルに戻り午後に備えます。
1時間でまわれるところに、歌舞伎の過去の記憶がかたまってます。
その近くに歌舞伎座と新橋演舞場が建てられたのは、偶然ではないみたいです。江戸歌舞伎発祥之碑、車はやめた方がいい。 by しにあの旅人さん江戸歌舞伎発祥の地 名所・史跡
-
数寄屋橋公園。
数寄屋橋公園 公園・植物園
-
数寄屋橋の碑。
東京都中央区銀座5丁目1
一書に曰く
数寄屋橋は1958年(昭和33年)に取り壊されたそうです。
デートの待ち合わせ場所でしたね。
渋谷のハチ公前と、ここが有名でした。
ここで合流して、映画見るんじゃないですかね。あの頃のデートは。
我が家に寄宿していた叔母は、「風と共に去りぬ」を、ボーイフレンドと見てから田舎に帰ったのがばれて、祖母にも母にも締めあげられてました。
私に洋服を買ってあげるとか言って、ボーイフレンドとデートしていたのは、その前だったか、あとだったか。幼い私はダシに使われました。
By妻。
君の名は
▲▼▲▼
ラジオドラマ「君の名は」は菊田一夫の代表作。その舞台が数寄屋橋でした。
「君の名は」は1952年(昭和27年)4月から54年(昭和29年)4月まで、2年間放送されました。
By夫6才です。まったく覚えておりません。
毎週木曜日夜8時30分から30分、もう寝てたんじゃないかな。当時のよい子は早寝でした。
「放送時間になると銭湯の女湯が空になる」と言われておりましたが、ウソかホントか不明だそうです。
祖母と母がラジオの前でそわそわしていた記憶はありません。
一書に曰く、
我が家でも「君の名は」をラジオで聞いた覚えはないのです。
あの頃の日本人は忙しかったんじゃないかな。
洗濯機はないし、冷蔵庫は、氷を入れるのだし。電子レンジ、電気釜なし。
主婦は大変でしたよね。
叔母は、夕食のあと、伝線したストッキングを、コップにかぶせて、特別な編み針で、カチカチなおしておりました。
母は、家族のセーターを編んでいました。
衣類が、お高かったのです。
少なくとも我が家では、ラジオを聞く暇なんてなかったと思います。
ま、叔母の場合、他人の恋愛どころではなかったのでしょうけれど。
By妻
ほぼ同じ時期のラジオドラマ「笛吹童子」(1953年)は覚えております。だから我が家にラジオがなかったわけではありません。
「君の名は」は子ども向けではないと、祖母や母がよい子に聞かせなかったのかな。
1954年に大ヒットした歌謡曲「お富さん」は「子どもは歌ってはいけません」と言われたのを覚えています。
7月初めの「徹子の部屋」に出てきた由紀さおりが同じことを言っていました。1946年生まれ、同い年です。
一書に曰く、
小学校の時、今週の目標 というのがありまして、「ハンカチ、ちり紙、つめきり」とか「給食を残さない」「あいさつは、大きな声で」とか。
そういうなかに、「お富さんを歌わない」というのがありました。
何故いけなかったのでしょう。
その頃のわたしたちは、いきな黒塀~というくろべいを、黒平という名前だと思っていたレベルだったのにね。
By妻数寄屋橋の碑 名所・史跡
-
ラジオドラマがあまりにヒットしたので、菊田一夫が自分で小説化し、1954年に出版されました。写真は1991年の新装版(河出書房新社)
ラジオとは内容がかなり違うみたいです。ウイキペディアによると、当時はラジオドラマも生放送で、放送された録音がNHKにもほとんど残ってないそうです。
私は数寄屋橋の上を行ったり来たりするストーリーかと思っていました。今回ちゃんと読んだら、東京はもちろん、佐渡の相川、三重県鳥羽、北海道美幌、長崎県雲仙岳と、日本中を駆け巡っております。
ラジオだからできた。冒頭ナレーターが「ここは北海道美幌の牧場」とかいえばいいだけです。
小説の内容は松竹の映画に近いようです。第1部1953年(昭和28年)9月、2部53年12月、3部54年4月。
3部合計3000万人の観客が入った、空前の大ヒットでした。
昭和29年(1954年)の日本の総人口は8,800万人ちょっとです。各部1000万として、赤ちゃんも含めて8人に1人以上が見ています。
現代とちがって、日本人のほとんどがその日その日をなんとか生きていた時代です。
主演は岸惠子、佐田啓二。
小説では真知子は詩人で、ピアノを弾きます。弾き語りで自分の歌を口ずさむエピソードがあります。(第2巻P190)
真知子がシンガー・ソング・ライターというのは知りませんでした。
それが映画の主題歌「君の名は」です。
織井茂子が歌い、現在でもテレビの懐メロで歌われます。
もちろん作詞は菊田一夫 -
数寄屋橋のシーンは5回出てきました。
いずれもここぞという名場面。 -
★
数寄屋橋
此処に
ありき
菊田一夫
★
日本のラジオドラマ、映画史上に残る名作でした。
菊田がその舞台、数寄屋橋に寄せる思いが伝わってきます。
この数寄屋橋の碑は、実質的には「君の名は」の碑と言ってもいい。もう68年前に取り壊された橋の名前がまだ残っているのは、「君の名は」の舞台だったからと言っても間違いではないでしょう。
数寄屋橋々畔
▲▼▲▼▲▼
有名なのは冒頭の、主人公真知子と春樹が再会を誓うシーン。
小説では「数寄屋橋々畔(きょうはん)」となっています。
橋畔などという見慣れない漢字に昭和のかほりを感じます。
橋のたもとです。
「君の名は?」はここで出てきます。日本の映画で最も有名なセリフの一つでしょう。
昭和20年5月24日の東京大空襲の夜、降り注ぐ焼夷弾による大火災を、見知らぬ2人が助け合いながら生き延びました。翌朝、半年のち11月24日の夜8時に再会を約束して別れる場面。
★
何のためらいもなく自然に二人は手を握り交わして別れようとしたが、
「あ、そうだ、肝心なことを」
青年は、焼夷弾の油煙ですすけてしまった顔をほころばせて、
「君の名は?・・・」
「・・・・・」
真知子はふと口ごもった。相手の心に何のこだわりもないのが判っていながら、
「必ずくるわ・・・決して、死なないわ・・・必ず生きのびて、11月24日の晩、8時ね・・・そのときは、きっと此処へ来ますから・・・あなたも、いらっしてね」
警戒したわけではなかった。そのほうがロマンティックであるような気もした。
「そうだな、その方がいいかもしれない・・・その代わり、必ず来て下さいよ」
「ええ、きっと・・・あなたもね」
と、そう言って、もう一度二人が堅く手を握り合ったとき、真知子はなぜか、相手の名も聞かず我が名も答えずに別れてしまうのが悲しかった。
★
(第1巻P11-12)
菊田が真知子に名乗らせなかった理由も分からないでもない。
まだ戦争は終わっていなくて、あと半年生きていられる保証はないのです。
映画を見た人は「そうだったわ」と思ったのではないか。わずか7年前の出来事でした。
焼夷弾
▲▼▲
母から空襲の話を聞いたことがあります。
横浜で、18才だったそうです。夜。バラバラと焼夷弾が落ちてきます。
その1本が、近くを逃げ惑う人を直撃しました。その人は一瞬で炎に包まれました。
焼夷弾は落ちても爆発はしません。中に詰まっているナントカいうアブラのようなモノが、空気と触れると燃え上がるのです。水をかけても消えません。
空襲のあと、焼夷弾の燃え殻からまだ燃えている何やらをかい出して、ご飯を炊いている人がいたと、祖母が言っていました。
私は子どものころ、その燃え殻を見たことがあります。六角形のさびた鉄の筒で、長さ1mくらい。穴が開いていました。
東京郊外日吉の田舎でした。B29は爆撃のあと残った爆弾を捨てていったそうです。じゃなければ何もないあんな田舎に燃え殻が残っていたはずがないのです。
ラジオ、映画がヒットしたのは、空襲の恐怖を実際に知っている人々の共感を得たからでしょう。
戦後まだ7年です。東京都内に戦争で破壊された廃墟がまだ残っていました。
私も子供心に覚えています。 -
ゴジラ
▲▼▲
日比谷のゴジラ像。
グーグルさんにも載っています。
東京都千代田区有楽町1丁目3-2
“GODZILLA SQUARE”って正式地名かね。ゴジラ像 名所・史跡
-
身長3メートルくらい。
コモドトカゲが立ち上がったみたい。
一書に曰く、
日比谷界隈 変わりました。
というか、初めて来たのと同じ。
きょろきょろしちゃいます。
だって、前に来たのって、五十年くらい前ですもんね。
外国にいた空白期間があったとはいえ、まるで見たことない街ですわ。所々、知ってる所があるのが、むしろ悲しいくらい。
ゴジラがね、いましたよ。ガオー。
これでは、恋人の待ち合わせスポットには、なれないんじゃないかしら。
あっ、なれるみたい。
そうぉ、待ち合わせてるわねえ。ふーん。
ロマンティックとは、言えないけれど。
恋は盲目なのかしら?
叔母に聞いてみたいけれど、叔母は、もう、天国に旅立ってしまいました。
あっちの世界で、あのときのボーイフレンドに出会えたかしらね。
By妻 -
このゴジラさんは、シン・ゴジラとか。最近のゴジラ映画に出演したそうです。
私たちが探したのはこの子ではなく、由緒正しい初代ゴジラ。
有楽町を睥睨しておりましたが、シン・ゴジラに追われて、このあたりのどこかに押し込められたと聞いています。
日比谷シャンテとか。
探し回りましたが、結局わからず。
諦めてホテルに帰って調べたら、東京ミッドタウンというショッピングモールらしい。
東京都千代田区有楽町1丁目1-2
翌朝、電話しました。
「そちらに初代ゴジラの銅像があるとききましたが、間違いありませんか?」
受付のお嬢さん、一瞬絶句。
「しばらくお待ちください、お調べします」
あまり多い質問ではないらしい。
しばらくして。
「たしかにこちらにございます。4階の映画館前のフロアーです。」
「だれでも見られますか?」
「はい、ご覧いただけます」
礼儀正しいお嬢さんでした。 -
いた!
ちっちゃ! -
まわりを歩いているお嬢さんたちより小さい。
-
かの有名な初代ゴジラです。
-
ゴジラ第1作は1954年(昭和29年)
By夫8才。これは鮮明に覚えています。
場所まで覚えている。武蔵小山商店街入り口のいまはなき映画館。
一書に曰く、
あの頃の夏も暑かったです。
ふつうの家にはクーラーなどありません。
それで、納涼ナントカといって怪談映画の看板が町中にあふれました。
あんなに映画館があったのですね。
怖くて怖くて、看板の近くに行くと、目をつぶって走り抜けるのですが、もう、良いだろうと、目を開けると、看板のモロ正面だったり。
あの頃の夏は、暑くて怖くてつらかったです。
By妻 -
怖かったですよ。
この顔思い出すと、夜なんか一人でトイレに行けなかった。
ところがそれから70年余。いつのころかゴジラは正義の味方になり、近ごろのお子さんはぬいぐるみを抱いて寝るのだそうです。
「ゴジラ映画」という映画のジャンルが成立し、今や日本を代表する大スターです。
歌舞伎は世界に冠たる日本の芝居。
映画はゴジラ。
ゴジラも歌舞伎の名跡同様次々に襲名され、当代は29代目。
でもその当代ゴジラに追われて、先代は東宝シネマズのロビーに押し込められました。 -
可哀想にだれも見てくれません。
-
まわりを駈け回って写真をとるのは私だけ。
-
哀しくはないよ、日本映画に燦然と輝いたスターじゃないか!
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この旅行記へのコメント (8)
-
- 前日光さん 2025/09/20 22:46:08
- 知ってますよ!
- こんばんは、しにあさん&by妻さん
昨日やっと例の随筆集第5号を完全に印刷屋さんに渡せました。
校正は3校までやりました。
実は印刷屋さんが体調不良で、無理をさせてしまいました(-"-)
彼に何かあったら、わたしのせいかもと思うと気が気ではありません。
さて、フランク永井の「有楽町で会いましょう」、リアルタイムで聞いていました。
大学生となり、「有楽町」に行ったときは、ああ、ここなんだぁと思い、感慨深かったです。
「君の名は」、岸恵子(私が美人と思う人のひとりです!)、真知子巻き、ええ、ええ、知っていますとも!
ちなみに、私の同級生には「真知子」という名前の人が多かったですよ。
「君の名は」の歌は、母親がよく歌っていました。
ついでに「愛染かつら」なんていうのも。「高石かつえ」っていうヒロインの名前もよく聞いていました。
でも子どもの頃、ゴジラには興味がなくて。
画像としては知っていますが、どうもああいう怪獣系とか好きではなかったみたいです。
あとどこかに「お富さん」の話もありましたね。
私の伯母が「富」という名前だったので、「お富さん」は嫌だと言っていました。
あのフレーズのせいでしょうね。
「粋な黒塀 見越しの松に婀娜な姿の洗い髪、死んだはずだよ おとみさん。。。」
たぶんここが全国の「お富さん」に嫌われたんじゃないでしょうか?
ちなみに私はこの歌を歌っていた春日八郎氏が、子どもの頃も今も大好きです。
正確に言うと、あの張りのある歌声が好きですね。
彼の歌う「長崎の人」は今でもいいなぁと思います。
本当は長崎とは縁もゆかりもない会津坂下の人なんですがね。
おっと、まぁ、上記のようにこの手の話にはついてゆけますので、昭和30年代ごろの話題でしたら、たぶんkumminngさんやmistralさんよりも語れると思いまする(^_-)-☆
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2025/09/22 22:42:59
- Re: 知ってますよ!
- 随筆集編集ご苦労様でした。
前日光さんに全力投球してもらって、随筆集筆者さんがうらやましい。
同世代の、時代の雰囲気を共有している4トラベラーがいて、うれしいかぎりです。
岸惠子にはパリで会ったことがあります。狭い日本人社会ですから、知り合いが間に何人か入ると、つながってしまうのです。
たしかもう50に近かったはずですが、きれいでした。あのしゃがれ声は映画のとおりでした。
ノートルダムのあるシテ島のとなり、サン・ルイ島に岸惠子はアパルトマンをもっていました。By妻が初めてパリに来たとき、その近くのホテルをとったのを覚えています。
ゴジラ映画は好き嫌いがあるようです。By妻はキライ派、kummingさんは大好きだそうです。
「お富さん」が嫌われた理由、かなり信憑性のある話を発見しました。10月はじめに「勝手にフェスティバル上野編」を始めます。そのときにぶち上げる予定です。
春日八郎は歌舞伎の「お富与三郎」を知らないで、あの歌を歌ったそうです。
長調の明るい歌です。お妾さんのお芝居には本来合わないのです。
急に涼しくなってきました。
今夜はクーラなしで寝ることにします。明け方は20度きるらしく、タオルケットじゃなくて布団がいるかも。
気温の変化についていくのが大変です。
-
- pedaruさん 2025/08/09 07:18:50
- 思い出の共有はうれしい
- しにあの旅人さん おはようございます。
私の東京下町旅行記は銀座周辺を残すのみとなっておりますが、しにあさんが旅行記に投稿することで、私の影が薄くなりました、薄くなったのは頭髪だけではないと気付きました。
暑さが内場になったら銀座を自転車で回ってみるつもりです。
君の名は、の舞台数寄屋橋、私は辛うじて記憶しております。橋のコンクリートの欄干に持たれると、下は川ならぬどぶで、しかも水量が足りません、対岸には確か朝日新聞社の建物がありました。とあいまいな記憶ですが。
銅板で囲われた看板建築があるのですね、ぜひこんど見学したいと思います。
有楽町で逢いましょう、一世を風靡したフランク永井の歌ですね。東京にいた兄二人と上京した中学生?の私は、「有楽町で逢いましょう」の声かけで西銀座デパートの近くで会いました。当時銀座には安く食べさせる「モーリ」というレストランで食事をした記憶があります。
君の名は の解説には感心しました、知らないことが沢山ありました、この名解説を念頭に銀座を訪れたいと思います。まだゴジラの像も知らないし、行ってみる価値ありですね。
pedaru
- しにあの旅人さん からの返信 2025/08/09 12:01:36
- Re: 思い出の共有はうれしい
- 銀座自転車旅行記楽しみにしております。
7月の初めでは猛烈な暑さでした。銀座は木陰のないところでした。くれぐれも暑さ対策お忘れなく。
震災後銀座通りを幅108mに拡大するという計画もあったみたいです。実現していれば半分は公園で、世界でもっとも緑の多い大通りになったはずなのに、残念。
数寄屋橋は私は行ったことはありません。数寄屋橋どころか、有楽町界隈など不良の集まるところで、よい子が行くところではないと教わっていたような気がします。
小田急線沿線に住んでいたので、直近の盛り場は新宿ですが、高校を出るまで本屋の紀伊國屋以外行ったことはありません。
あっ、東口の浄水場近くのナントカ大学には、入試の模擬試験で行きました。両方とも今はありません。
周りを見まわしても、同級生のBy妻を含め、みなさん似たようなモノだったと思います。のんびりした時代でした。
こういうブログだと、通じるのはpedaruさん、ねんきん老人さん、横浜臨海公園さんくらいですかね。前日光さんもぎりぎりOKかも。
Mistralさん、kummingさんは、まだ生まれていないでしょうね。
- kummingさん からの返信 2025/08/09 15:57:54
- 2次情報かも?な思い出の共有
- しにあさん、横レスで、おじゃましますm(._.)m
日比谷ミッドタウン、前のシンゴジラ、気がつかなんだ(;o;)たぶん地下道からミッドタウンに入ったからか⁈ 日比谷のTOHOシネマズは、映画「コンクラーベ」を見る見ない、で学友と相談した場所、ですが、初代がいるのは東京ミッドタウンとな!
ゴジラは大好き♪ 子どもの頃から、映画館で観ていました。3歳上の兄が、必ず連れて行ってくれてました。夢の中で、目の前にゴジラの足が「どっシン!」と地面に下りるのをみました(←夢、ですよっ)親になってからは、子どもたちに全作見せ、ゴジラのフィギュア、ウルトラマン、怪獣のフィギュアも多数買い与えましたww
シンゴジラ、近年映画館で観た数少ない映画の1つ、ゴジラ映画というより、当世の日本政府の政治のありよう、有識者会議、とか、政治家の駆け引きとか、そーゆー内容が、さもありなん!なリアリティで描かれていた、と記憶しています(笑)
そういう見方をしてしまうほど、歳を重ねた⁈ って事かもしれませんね。
8歳上の姉がいるので、その頃の情報も知っているようないないような、フランク永井、有楽町で会いましょう♪ 大ヒットしたかはともかく、曲は存じ上げております。「君の名は」で思い起こすのは、アニメ版かな~、眞知子マキ、ってスカーフの巻き方が流行ったんでしたっけ?佐田啓二さんが中井貴一氏の父上とは承知!お富さん、笛吹童子は⁇ わかりません。
新宿厚生年金近く、渋谷松濤入口付近、下北沢と世田谷代田の中間あたり、に住んだ事あり。あとは四ツ谷、井の頭沿線、娘関係で、淵野辺、町田、田園都市線界隈、とか出没してたかも? ミーハーなので、浅草には縁がなかった模様(-。-;晩年、新橋、銀座界隈、にはよく行き、大井町とか最近初めて行きました。
東京は奥深いので、まだまだ未踏の地多し。
前日光さんもmistralさんも、4trの大先輩ですが、実年齢は?
私よりお若いはずだと思われます^ ^
ブログに関係ない横レス、長々とすみませんm(._.)m
- しにあの旅人さん からの返信 2025/08/10 10:36:56
- Re: 思い出の共有はうれしい
- 東京ミッドタウンの初代ゴジラは、みなさん見向きもしませんでした。ご
自分の観る映画に夢中で、70年前の映画の銅像など興味ないのはしょうがない。
近ごろ人気のない二宮尊徳の銅像と同じです。
お子さんにゴジラを推奨したのですね。ゴジラは子どもの私には恐怖だったのですが、世の中変わりました。
「君の名は」でググると、全部アニメが出てきます。「君の名は 菊田」でやっと目的にたどり着きます。
アニメは「君の名は。」と必ず「。」が着くのですが、理由が分かりません。監督が前作に敬意を表して、区別するためにつけたのかと思ったのですが、そうでもないみたい。「。」があってもなくても必ずアニメです。
「真知子巻き」はご存知でしたか。北海道ロケのとき余りの寒さで撮影の合間に、岸惠子が私物のショールを巻いていたところ、監督が「それでいこう!」と言ったとか。映画と同時に一世を風靡したそうです。
母がそんな格好をしていたような気もします。北海道生まれです。現地人の格好かもしれません。
1000万人が観たことになっています。ほとんどは女性のはず。当時の人口8,800万人の半分4,400万、10才以下除くとざっと3,500万人、そのうち1,000万人が観たというのはすごい話です。
ただし母と祖母が観たかどうかは不明。
今回いろいろ調べて、東京は観光しがいがあるのが分かりました。とにかく、なんでもある。
奈良飛鳥だと平安時代以降は新しくてつまらないと思っていましたが、そうでもないみたい。
浅草はやっと玄関までたどり着きました。上野や新宿も行ってみたい。
記憶にのこる50年前と比べるだけで楽しい。
- mistralさん からの返信 2025/09/09 15:08:48
- Re: 思い出の共有はうれしい
- しにあの旅人さん
こちらの掲示板で、女性方の年齢が話題になっていたことを初めて知りました。
kummingさんまで!加わってました。
「有楽町で逢いましょう」などの懐メロが流行っていた時代には、mistralはまだ生まれてなかった、と仰って頂いたら、そんな気にもなってしまいました。
実家ではあまりラジオを聞いたりする事がなく、幼少時の私はそんなことに興味もなかったので、知らないと言えば確かに知らない話題でした。
ところが!何時ごろ流行っていた歌だったのか調べましたら、その時にはとっくに生まれていて、すでに育ったおりましたので、ご報告致します(笑)
皆さまと同窓会など開催しましたら、きっとさぞかし楽しいことだろうと想像しております。
mistral
- しにあの旅人さん からの返信 2025/09/09 19:37:13
- Re: 思い出の共有はうれしい
- ご婦人方のトシの話はタブーなのは知っておりますが、ついつい話の勢いで。大変失礼しました。
しかしこの時代でもう生まれておられたとは。文章の感じでもっとお若い方だと思っていました。
昭和の記憶を共有できるというのはうれしいかぎりです。
つい最近「お富さん」がなぜ小学校で禁止されたか、手がかりをつかみました。そのうちブログをUPします。
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