2025/04/25 - 2025/04/25
560位(同エリア5325件中)
kojikojiさん
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この旅行記スケジュールを元に
1日目は何の観光もありませんでしたが、2日目はいよいよ北京の観光が始まります。朝食はホテル1階にある「禾興記」というレストランでしたが、宿泊客の数に比べて席が少ないので人で溢れています。ちょっと涼しかったけど表のテーブルにいた地元の家族のテーブルに混ぜてもらいました。席取りように置いたパーカーを妻に着られてしまって散々でした。21年前は国慶節の休みに来てしまって、どこへ行っても混んでいる印象の北京でしたが、一番の難点は練炭などを使いだす季節でもあり、町中がくすんだ様な印象がありました。妻は粉塵や煤煙で鼻をやられて帰国後も1カ月ほど鼻炎に悩まされていました。ところが2度目の北京の空は美しく晴れ渡り、とても同じ都市とは思えないほどでした。この日の観光は「天安門広場」と「故宮博物院」からスタートしました。午前8時前にホテルを出発して立った2か所で昼過ぎまでは時間の掛け過ぎと思っていましたが、その理由はすぐに分かりました。まず「天安門広場」からかなり離れた場所でバスを降りて長い列に並びます。広場が見える辺りでセキュリティチェックを受けます。そこまでで1時間以上かかります。広場に入ると自由に見学できますが、地下トンネルを通って「故宮博物院」側に移ると再び混雑が始まり、再び30分近く列に並んでセキュリティチェックを行い「紫禁城」の中に入ります。広大な城内の宮殿と博物館を見学を終え、「景山公園」側に出ると午後1時になっていました。国慶節の時もすごい人でしたが、オーバーツーリズム状態の北京はもっとすごかったです。外国人の姿も多かったのですが、習近平政権が国内旅行を奨励していることもあって、国内の旅行社も多かったです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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朝食はホテルの1階にある「禾興記」というレストランでした。ホテルの規模に対して座席の数が圧倒的に少ないので混雑しています。
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店内の席は埋まっているので表のテラスの席に座っていた男性にお願いして2人分座らせてもらいます。その後彼の家族で席は埋まりました。
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料理を持ったお皿は三峡下りに続いてホラン千秋のお弁当のような色合いになってしまいました。席に置いておいたフード付きのパーカーは妻が着てしまったのでシャツ1枚で寒かったです。
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「北京共享際5L飯店」は検索してみると「トレーダーズ 北京」「 北京國貿飯店」などいくつかの名前が出てきます。最近のホテルの経営はどんどん変わっていくのが常のようです。
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京都のタクシーの運転手さんが新しいホテルがどんどんできるので名前を覚えるのが大変だけど、古いホテルの名前が変わるのも困ると言っていたのを思い出します。
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ホテルの脇には「中国国際貿易センター」のビルがいくつもそびえています。このビルは「台北101」を真似たビルだとガイドさんが教えてくれました。
国貿商城 散歩・街歩き
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それにしても21年前は高層ビルなど無く下町の風情の残る胡同が広がる北京だったのでその変化には目を見張ります。その時は胡同をより感じたくて故石橋胡同の「竹園寶館」と地安門西大街の「侶松園賓館」という四合院のお屋敷ホテルに滞在しました。
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北京から地方へ列車の旅をしたことはありませんが、妻と大連から旅順、大連から瀋陽、長春、哈爾濱を周り、最後は夜行寝台で大連へ戻った旅が懐かしいです。
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上海から蘇州へ行った際は1等車で、紺のベルベットに白いレースのカバーの付いたソファのような座席で、帰りは怖いもの見たさに3等車にしたら薄暗い車両の板の座席に超満員という世界でした。その差が50円ほどというのが20世紀最後の中国の姿でした。
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その当時の中国を紹介した雑誌に「盲流」とあったのを非常に強く覚えています。見開きに広州火車站の前の広場を埋め尽くす人の写真に真っ赤な文字で「盲流」と書かれてありました。1950年代から発生していた農村から都市への盲目的な人口の流入のことで、行く当てもなくただ大都市へ出てくるという現象でもあったようです。それがたった10数年で大きく変わりました。
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北京の町でもウーバーのような配達業は盛んなようで、いろいろな色の箱を積んだ電動自転車が走り回っています。その横を伝統的な鳥籠を持って茶館か公園に行く人の姿も見えます。
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北京市民にとってシェアサイクルは一般的な交通手段となっているようで、美団単車(Meituan Bike)、哈羅単車(Hellobike)、青桔単車(DIDI BIKE)など、さまざまなブランドがありました。観光客が使いやすいのはこの青い自転車で、AliPayで利用することが出来るようです。
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バスは懐かしい「琉璃厰(るりしょう)」の近くを通りました。「琉璃厰」という名は明清代に琉璃瓦を焼く工場があったことに由来します。清代の康熙11年開業の「栄宝斎」を始めとした筆・墨・硯・紙の文房四宝や印章、書画骨董を販売する店が立ち並んでいます。
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昔は池袋西武に「栄宝斎」が入っていました。現在はまだ7階に「北京同仁堂」が残っていますが、この先の改装工事でどうなってしまうのでしょう。特に漢方薬を服用しているわけではないのですが、この店で配布している「チャイナビュー」という冊子を十数年欠かさず貰っているので心配です。
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このエリアには高級な骨とう品店が並びますが、植物園の先にある「北京古玩城」という巨大なビルが1棟丸ごと古美術店が入っているところも面白かったです。街並みを眺めていると過去の旅のいろいろなパーツが思い出されてきます。
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シェアサイクルはどうしても利用が偏ってどこかに集中してしまうようです。このように芸術的に積み上げて配置し直す姿を何度も見掛けました。レンタル料は30分で1.5元らしいのですが採算が合うのでしょうか?
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バスは「天安門広場」からかなり離れたところで停車して、そこから歩くことになります。最初は意味が分からなかったのですが、進むにつれて、帽子を被った中国のツアーの人の列などが見え始めてきます。広場の近くまで着くと個人客と団体客の列に分かれます。
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団体ツアーはここから延々と列に並びます。大体30分くらいは並んでいたと思います。トラピックスやクラブツーリズムなどの旗が何本もたなびいています。
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行列の意味はここまで来て分かるのですが、1人1人荷物検査をしています。この位置からこのセキュリティを通過するまでさらに30分近くかかりました。
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ようやく「正陽門」が近くに見えてきました。「天安門広場」の南に位置する北京の城門で、明の永楽帝は北平に国都を定め、1419年の永楽17年に元大都の南城の壁を南方向に800メートル移動しました。元々は北京城壁の中央にあった麗正門は現在の正陽門のところになります。さらに南側に「正陽門箭楼」という門があり、「前門大街」へと繋がっていきます。
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「中国銭幣博物館」の建物は修復工事中のようでした。「天安門広場」の南西側に位置し、旧保商銀行の建物を改装して作られました。旧北洋保商銀行と旧中央銀行北平支店の2つの建物は文化財保護建築にも指定されています。中国の貨幣の4000年の発展の全貌を展示しています。
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広場に入っても「毛主席紀念堂」はさらに中国の観光客で長い列が出来ていました。ようやく広場に入って解放されたような気になります。
天安門広場 広場・公園
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「人民英雄紀念碑」の表面には毛沢東による揮毫の金文字で「人民英雄永垂不朽(人民の英雄は永遠に不滅だ)」と書かれてあります。
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「人民大会堂」が左手に見えます。中華人民共和国の建国10周年を記念した建設事業である十大建築の1つで、ボランティアの手によって1958年から1959年にかけてわずか10ヶ月で建造されました。内部は全人代や特別の行事がない限り見学ができるようです。
人民大会堂 現代・近代建築
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三峡下りの旅で10元札の裏側の風景を見ることが出来て、1元と5元と10元と20元をコンプリートして、再び100元札の裏側の人民大会堂に来ることが出来舞いs田。残りは50元札のチベットの拉薩のポタラ宮を残すだけとなりました。
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進行方向に「天安門」が見えてきました。「紫禁城(故宮博物院)」の第一門で、国章にも描かれるなど中華人民共和国の象徴の1つとされています。
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この天安門という名称は「天上の平和の門」という意味にも取れますが、満洲語の名称は「天命を受けて安定した(平和な)国を治める」の意味があり、それを省略した形が「天安門」と考えられているようです。
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現在の天安門は築320年の門は老朽化のため、秘密裏に1969年12月15日から20日間で完全に解体され、1970年4月7日に現在の門に変えられたようです。外観デザインは従来のものを踏襲しましたが、台座は鉄筋コンクリート造のようです。
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スターバックスカラーのパラソルの下に立つ警備兵は中国の軍隊でもエリートなのだとガイドさんが教えてくれました。そう言えば21年前に「故宮博物院」に来たときには中にスターバックスがありました。よくこんなところに店を出したなと驚いていたら、しばらくして撤去されたとニュースで知りました。
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「華表(かひょう)」は中国の伝統建築様式に用いられる「標柱」で、きめの粗い白玉を彫り上げたものです。方形の台座は「蓮華座」あるいは「須弥座」と呼び、上面には龍の図案が彫刻された「蟠龍柱」が立ち、その上には「蟠龍盤」とともに流雲紋が飾られています。上端の側面には雲板という「誹謗木」(天子の過ちを人民に書かせる札)を模したものがあり、石柱上には円形をした「承露盤」があり、天球と地上に対応しています。柱上には天に向かって吠えるポーズを取った神獣が蹲踞しており、これを「朝天吼」あるいは「望天?」といいます。
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毛沢東の肖像画は高さ6メートル、幅4.6メートル、重さ1.5トンの巨大なもので、手書きの肖像画としてはアジア最大のものです。最初に毛沢東の肖像画を描いたのは、1950年当時の画家だった周令釗(しゅう・れいしょう)という人物だそうです。それ以後は周令釗の愛弟子たちが代々引き継いでいるようです。楼上に掲げられた毛沢東の肖像画は太陽と風雨にさらされて傷みやすく、過去にも汚損された重大事件もあることから、何枚も予備が用意されているそうです。
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ガイドさんが交代で皆さんの記念写真を撮ってくれました。21年前にもここで写真を撮った記憶が蘇ります。
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「故宮博物院」へは長安街の地下をトンネルで渡ります。12車線もある長安街を横断歩道で渡らせたら大変なことになりそうです。
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12車線分のトンネルなのでかなりの長さがあります。
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「天安門」側に出ました。前回に来たときも10月の国慶節だということでものすごく混んでいたのを思い出します。
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「華表(かひょう)」の近くまでやってきましたが、じっくり見ている時間はありません。何気なく「天安門広場」建てられていますが、これは500年余の歴史を持つものです。
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現在は地図上の一番下にいますが、見学しながら一番上の北側へ抜ける見学コースです。
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今回で2度目の「故宮博物院」ですが、なんとなくワクワクしてきます。
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妻は黒い傘を持った警備員がイケメンだと喜んでいました。
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「天安門」には5つの通路をうがった城壁があり、右側の通路から城内に入ります。だんだんと映画「ラストエンペラー」の場面が頭の中に蘇ってきます。三峡クルーズの船内では「末代皇帝」という題名で部屋のモニターでも放映されていました。
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中国では陰陽の考え方から奇数が陽数、偶数が陰数と考えられていて、9は奇数で一番大きい数字なので皇帝を表す数字と言われています。「故宮博物館」の部屋の数も9,999部屋と言われています。実際は1973年の調査で8,704部屋だったらしいのですが。「天安門」についている大きな丸い鋲は縦に9個、横に9個になっています。
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「碰釘子」という諺があります。字義は釘にぶつかるという意味ですが、比喩として“行き詰まる事”を意味します。釘は板の間の小釘ではなく門扉に打たれた金色の乳金物のことです。かつて中国の衙門や官僚の邸宅の大門はこの「門釘」が打たれ、平民は常にこの場所に束縛され、門から進むことができず、事が処理できず、所謂門前払いを喰うことから”行き詰まる”の比喩となったと言われます。
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「天安門」の内側にも「華表」が一対あります。一説には門外のものが天子の外出を見守り、門内のものは天子の帰還を見守るといいます。その姿は同じようでした。
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「天安門」の延長線上の北側にあるのが「端門」です。「天安門」と「午門」の間に位置し、明時代や清時代には皇帝の儀礼用品を保管していた場所であり、中国古代の朝堂儀礼空間の序列における重要な構成部分となります。
故宮博物院 城・宮殿
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中国瑠璃瓦は中国の代表的な建物に使用されている白土の瓦に、透明なガラス釉薬を施して焼成した瓦です。ガラス釉薬を使うところから瑠璃瓦と呼ばれております。
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「端門」を越えるとその奥に「午門」が見えてきます。紫禁城の名は天帝(創造主)が住んでいる星とされる北極星を紫微星、北極星の周辺を回る星座の辺りを紫微垣と呼んだのに由来します。また紫禁城は世界の中心を地上に具現した領域であり、天帝に代って地上を治める皇帝の住む宮殿として建設されました。そのため「天子は南面す」の言葉通り、北に皇帝の宮殿が置かれています。
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「午門」は紫禁城の南門にあたり、この門の名称は紫禁城からして午(うま)の方角、つまり南の方角にある事から名付けられました。この門の特徴はコの字型に両翼がせり出した独特の形をしていることで、この「午門」に囲まれた広場では官吏や宦官が午前4時に皇帝を遥拝することになっていました。百叩きの刑などの刑の執行も行われた。
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映画「ラストエンペラー」で生母の死を知った溥儀が外に出ようとして陳凱歌の演じる門番に止められたり、溥儀に紫禁城から追放された宦官達が居たのもこの場所でした。
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そんな広場は現在では「故宮博物院」に入るセキュリティの場所になっていて、長い列が出来ています。早朝から列に並んでばかりでだんだんうんざりしてきました。
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三峡下りで行った「荊州」では漢時代の貸衣装とメイクが流行っていましたが、ここでは清時代の貸衣装に被りものとメイクが流行っているようです。かなり暑いので自分の洋服の上に貸衣装を着ているので気の毒なほどです。来ている人の多くは40代後半から70代の女性なので後ろ姿にとどめておきます。
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子供用の貸衣装もあるようで、可愛らしい女の子が衣装を着ていました。お母さんに断りを入れて写真を撮らせていただきました。
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映画「ラストエンペラー」では宦官たちの横領を疑った皇帝の溥儀が、「改革のために財の管理を調査する!」と宣言した途端に宝物殿に火を付けられ、隠蔽工作に怒った溥儀は宦官全員を城から追放するという場面で使われた場所です。自分の切り落とされた男根を持って紫禁城から追い出される宦官たちを、皇后らと一緒に眺めていたシーンを思い出します。宦官が切り落とされた男根を大切にするのは自分が亡くなったときに一緒に棺に入れるためです。そうしないと来世に困るからです。
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ようやく「午門」を通過します。 多分通路は違いますが、映画「ラスト・エンペラー」では溥儀が城外に出ようと「Open the door !」と門扉を叩くシーンとなったところです。
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通路の先には「太和門」が見えてきました。
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通路に置かれた朱塗りの長い棒は中側から門を閉めるための閂(かんぬき)です。
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「故宮」とは「古い宮殿、昔の宮殿」という意味で、紫禁城のほとんどの部屋が「故宮博物院」に吸収されて博物館として扱われています。「孔廟」「岱廟」と並ぶ中国三大宮廷建築の1つとも言われています。
孔廟:https://4travel.jp/travelogue/10357866
岱廟:https://4travel.jp/travelogue/10358146 -
紫禁城は「瀋陽」にあるもう1つの故宮と合わせて「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」という名称でユネスコから文化遺産に登録されています。「瀋陽」へも旧満州を訪ねる旅で妻と2人で行きました。
瀋陽故宮:https://4travel.jp/travelogue/10505618 -
21年振りに戻ってきた「故宮博物院」の景観に感無量の思いが湧き上がります。妻と最初に旅した中国の地が北京で、それ以降は2人でいろいろな所を周りました。格安なツアーの利用も多かったですが、2人だけの旅も珍道中の連続で楽しいものでした。
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「太和門」は外朝の正門にあたり、明時代の名称は「皇極門」といいました。紫禁城を居城とした明朝の歴代皇帝はここで政務を執りました。
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中国の明から清時代の宮殿や寺院建物の屋根には数種類の動物の形をした装飾が付けられました。通常陶製で「脊獣」「走獣」などと呼ばれています。大棟と4つの隅棟を五脊とし、そこを装飾する小像(神獣)を指して六獣と言い、併せて五脊六獣と総称します。
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先頭には「仙人騎鳳」、その後ろに「走獣」、一番後ろは「傍吻」と呼ばれるものです。先頭の鳳凰に乗った仙人は10の数に含めません。なぜ鳳凰に跨った仙人が先頭に居るのかと言うと、戦で逃げ場を失った??王が突然現れた鳳凰に助けられたという、災いが福に転じた縁起の故事から来ています。「走獣」の種類は「天馬と海馬」天にも海にも、世界全体に威厳と徳が及んでいる象徴。「狻猊」古代の本によると獅子と同じような猛獣であり、また龍生九子の1人でもある虎も豹も食うという百獣の王。「押?」海の獣で雲を起こして雨を降らせるという、火事から守ってくれる神。「獬豸」角が1本で神羊とも呼ばれ、勇猛で公正である象徴。「斗牛」伝説の生き物で角を持つ小さな龍。雲を起こして雨を降らせ、鎮火と防災の守り神。「行什」人の姿をしたサルの顔を持つ羽の生えた獣。
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日本では鴟尾(しび)とも言いますが、屋根の大棟に「鴟吻(しふん)」が見られます。その2匹の金色の大吻の尾は巻き上がり、背中には宝剣があります、建物を火災から守る神獣と言われています。
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「内金水河」は護城河ともいい、紫禁城をぐるりと囲む幅52メートルの堀のことです。この部分だけが実際に川のような姿になり「内金水?」と呼ばれる橋が架かっています。太和門広場の前にある5つの白い大理石のアーチ橋の総称でもあります。
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明王朝の永楽時代に建設された金水橋は清王朝の1690年の康熙帝29年に再建されました。中央の橋は「玉魯?」と呼ばれ、皇帝だけが渡ることが出来ます。「玉魯?」の両側の橋は「王公?」と呼ばれ、一族の皇子のみが渡ることが出来ました。 東端と西端は「勾配?」で、3年生以上務めた役人が使用しました。
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2004年に初めて来る前に浅田次郎の「蒼穹の昴」は読んでいました。その後の2010年に日中共同制作でテレビドラマ化されたものは面白くて全部観ていました。
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舞台は1886年の光緒12年から1899年の光緒25年までの清朝末期で、李春雲(春児)は糞拾いによって生計を立てていましたが、貧しい家族のために自ら浄身(去勢)して宦官となって西太后の下に出仕します。一方で春児の義兄で同郷の梁文秀(史了)は光緒12年の科挙を首席(状元)で合格し、翰林院で九品官人法の官僚階級を上り始めます。
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春児は西太后の寵を得てその側近として仕え、一方の文秀は皇帝を支える変法派若手官僚の中心となり敵味方に分かれてしまった2人の物語です。春児は架空の人物でえすが、総管太監だった張蘭徳の逸話を取り入れています。張蘭徳の屋敷が「頤和園」にあるということは、後にガイドさんから教えてもらいました。
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「太和門」の両側にいる青銅の獅子の像です。向かって左側は左前脚で子供をあやしている雌です。口を開いた阿形で表されています。
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右側は右前脚で玉を掴んだ雄の獅子で吽形をしています。これらはこの建物の格式の高さを表しています。玉取獅子の繍珠は雌雄の獅子が戯れるうちに毛が珠になり、その中から児獅子が生まれるとされたことが由来です。
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門の中央には九間で3段の階段「龍陛(りゅうへい)」があります。中央の雲海と五本爪の龍の彫刻の上を皇帝が輿に乗ったまま上がりました。
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宮殿には近づけないので左手の門からさらに奥に向かいます。
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「貞度門」を通って「大和殿」に向かいます。
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「前三殿」は北に向かって一列に並ぶ「太和殿」「中和殿」「保和殿」の総称で、紫禁城の中心的建造物で外朝三殿ともいいます。その一番南側にある「大和殿」が見えてきました。
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紫禁城は明の第3代皇帝の永楽帝の命令で建造されました。木材は現在の浙江省、江西祥、湖南省、湖北省、四川省から、漢白玉(大理石)は河北省から数年がかりで運搬されました。地面には8000万枚の磚(せん)という焼成レンガが敷き詰められました。深さ1.5メートル(縦横に13層)まで敷き詰められているようですが、これは皇帝の暗殺のために穴を掘ったりできないようにしたのだそうです。
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「太和殿」は明代の名称は「皇極殿」でした。紫禁城の中軸線上にあって外朝の三大殿の正殿にあたります。紫禁城を居城とした明と清両王朝の歴代皇帝の即位式や万寿節(皇帝の誕生日)、結婚、それに元旦や冬至などを祝う時と重要な朝会、筵宴、出征、そして皇帝の葬儀など宮廷の重大な式典を行った最も重要な建物です。
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式典が行われるときには太和殿前の広場に官吏たちがずらりと並び、全員で三跪九叩頭の礼を行いました。また、太和殿は現存する中国最大の木造建築で、高さ35メートル、幅約63メートル、奥行き約33メートルもあり、3段の大きな台座の上に建っているので、数ある紫禁城の建物の中で最も大きく見えます。
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真正面から「大和殿」と対峙します。ベルナルド・ベルトルッチは自分にとって影響を与えた映画を何本も撮った映画監督で「暗殺の森」「1900年」「ラストタンゴ・イン・パリ」「シェルタリング・スカイ」などはそのロケ地を訪ねて旅したこともあります。そして「ラストエンペラー」はその音楽と共に印象に残るシーンがいくつもあります。
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その中でも妻と旅した旧満州の旧大和賓館に泊まりながら旅した「偽満皇宮博物院」は映画のシーンが数多く重なり、非常に強い思い出となりました。
偽満皇宮博物院:https://4travel.jp/travelogue/10505677 -
脊獣は隅棟に並んでいますが建物毎に奇数の1,3,5,7体とあり、最大で10体となります。この数は建物のヒエラルキーを表しており、数が多いほど貴い建物ということになります。この「太和殿」が10体であり、これが最大かつ唯一の例となっています。
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昔の写真と見比べても観光客の数は驚くほど増えています。中国内陸部の人たちも裕福になって国内旅行が出来るようになったのだと感じます。
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ここでも記念写真を撮っていただきます。何気なくたっていますが、この道路は誰も通ることができない「御道」と呼ばれる皇帝だけが通ることのできる道の上です。
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「龍陛(りゅうへい)」は長さ16メートル、幅3メートル、厚さ1.7メートルで重量は200トン以上にもなります。最大の物は「保和殿」の北側の物のようです。この石彫りには九匹の龍が海や雲の中で宝珠を追いかける様子や、五つの浮山が刻まれています。これは皇帝が天宮で暮らしていることを象徴しています。彫刻する前は1つの大きな石で、この巨大な石は北京の南西郊外の房山の大石窪村から運ばれました。
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運搬のルートには500メートルごとに井戸があったそうで、これが運搬のための鍵になります。冬が来ると先遣部隊は井戸から水をくんで道路に撒き、路面を平らに凍結させることにより労働者や馬は氷の上で石を引きずることが出来ました。この方法を使っても一番大きな石は2万人以上の労働者と2,000頭以上の馬が動員され、1日にわずか3キロ程度しか進むことができませんでした。1か月ほどの過酷な旅の末についに紫禁城に到着しました。
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「太和殿」の前にあるこの青銅製の香炉は儀式の時に必ず使うもので、白檀などの枝を焚いていたそうです。
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「日晷(にっき)」と呼ばれる日時計です。皇帝は時をも管理するという権力の象徴です。これはインドのジャイプールのジャンタルマンタルの驚異的な天体観測機能を見た後では象徴的なものに思えてしまいます。イスタンブールのトプカプ宮殿の庭にも日時計があったことを考えると権力者の考えることは同じようです。
ジャンタルマンタル:https://4travel.jp/travelogue/11888902 -
月台の上には日時計と対を成すように「嘉良」が置かれてあります。「嘉良」は古代中国の標準的な計量器で、漢の王莽(おうもう)の円筒計量器の大きさを模倣し、唐の太宗の四角計器の図柄を参考にしています。1744年の乾隆9年に青銅で造られ金メッキが施されています。乾隆帝自らの名が刻まれ、計量が標準化され、天下が統一されたという権力の象徴です。新莽嘉量こと「嘉量」は現在は台湾の国立故宮博物院に収められ展示されています。ここに置かれてあるはずの計量器も他の場所に移されていました。
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「大和殿」の周辺はやはり人気があるのでものすごい人で囲まれています。
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待っていても近づけないので中国の人のように厚かましく近くまで分け入っていきます。以前来たときは正面の扉は閉まっていたので中を覗くのは初めてのことです。
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ラストエンペラーでは3歳にも満たない幼い溥儀が、皇帝に即位をしたシーンが撮影された場所です。少年の溥儀が紫禁城から追い出される乳母の輿を追いかけたシーンもここでした。
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映画のエンディングで平民となった溥儀が故宮に観光に訪れ、そこで出会った男の子に宝座の後ろに隠してあったコオロギを見せるという場面が印象的でした。
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落雷による失火が多かった紫禁城では消火のための銅甕も防火設備の1つです。
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その金メッキは掻き落とされてしまっていて無残な姿になっています。
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ようやく北の彼方に「景山公園」の「綺望楼」が見えてきました。21年前に初めて北京に来たときは「景山公園」に最初に行き、公園内の花文字の「国慶」の文字を見て初めて中国の大型連休に来てしまったことに気が付きました。
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中心線に並ぶ宮殿の周りは非常に混んでいますが、そこを外れた建物は博物館になっていない限りどこも閑散としています。これくらいの観光客の中で「故宮博物院」の宮殿を見学するのはもう無理なことでしょうね。
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「中和殿」は残念ながら工事用の囲いで覆われていました。「中和殿」は「太和殿」の北側にあり、式典が「太和殿」で行われる直前に皇帝が大臣らから祝辞を受け、一旦休憩した場所です。この「中和殿」は数ある紫禁城にある建物の中で唯一、正方形の形をしているのが特徴です。
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「保和殿」は式典が「太和殿」で行われる直前に皇帝が更衣をした場所でした。清朝の時代は毎年正月にモンゴルやウイグルの王侯を招いての宴会も行われ、乾隆帝以降は皇帝臨席の下で官吏採用試験である文科挙の最終試験である殿試が行われた場所でもあります。
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「皇建有極」は古くは「君主が中正な政治を行う」「大いに中正なあり方を確立する」といった読み方がされました。
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「北海公園」の瓊華島内にそびえるチベット仏教の白塔山(万寿山)の白塔が見えました。この近くにある「倣膳飯荘」へ船で渡ったことを思い出しました。この時の旅では北京の有名なレストランをかたっぱしから巡る旅でもありました。
倣膳飯荘:https://4travel.jp/travelogue/10358346 -
ここまで来る途中に陶磁器などの並ぶ博物館には入りましたが、東側にある「九龍壁」にも故宮の後宮部分には全く入りませんでした。ここまで来るのにかなり時間が掛かっているので仕方ないかと諦めます。
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「景山公園」もだいぶ近くなってきました。続いて「後三宮」の見学に移ります。「乾清宮」「交泰殿」「坤寧宮」の総称で、内廷の中軸線にあって、内廷の中心的建造物群になります。現在は清朝時代のままの宮廷の姿を陳列しています。
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「乾清門」内廷の正門になります。宮殿の造りで内部には孔子を祀った一室があり、紫禁城を居城とした清朝の歴代皇帝はここで「御門の政」(日常の政務を執る事)を行いました。
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ここにも一対の獅子の像が置かれています。獅子の爪があまりに鋭くて児獅子を殺してしまいそうに見えます。
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今にも動きそうに見えたのはアンジェリーナ・ジョリーの「トゥームレイダー」に出てきた獅子だったかに似ていたからかもしれません。
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振り返って南側に建つ「保和殿」を背後から眺めてみます。この階段の中央部が「大石彫」という「雲龍階石」の中でも一番大きなものです。
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ようやく紫禁城の後宮が近くなってきたことはこの壁面の瑠璃タイルで分かります。時計の博物館である「鐘錶館」や「珍宝館」には今回も入れないようです。
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この辺りの銅甕に金メッキはいい状態で残されています。ベンガラの壁の色と瑠璃瓦の組み合わせがとても美しいです。
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「乾清宮」は清朝の雍正帝以前は紫禁城を居城とした明と清両王朝の歴代皇帝の寝宮でしたが清朝の雍正帝以降の清朝歴代皇帝の寝宮は養心殿へと移り、皇帝が大臣を召見したり上奏文の処理をしたり日常の政務を執る場所と筵宴を行う場所となった他、皇帝が崩御した際にその棺を一旦安置する場所ともなりました。
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「御花園(ぎょかえん)」は紫禁城最大の花園で、楼閣がある他にも堆秀山という山があり、紫禁城を居城とした明朝と清両王朝の歴代皇帝が后妃達と遊楽をした場所でもあります。
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4月ということもあり「海棠」の淡紅色の花がきれいでした。この花には思い入れがあります。35年ほど前に初めてパリのルーブル美術館に行った際に地下のショップで版画のレプリカを何枚か買ったことがありました。それは博物館で所蔵している版を使って複製したものでした。その中に海棠の花と小鳥が描かれたものがあり、現在も4月頃になると飾っています。
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この翌日に行った「八達嶺長城」ではお土産屋で古い花鳥画を見つけてしまい、何枚も買ってしまったのはここで「海棠」の花を見てルーブル美術館を思い出したからかもしれません。
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地面を見ると石畳の間に小石を使った一種のモザイクがありました。古代ローマやギリシャのカラフルなモザイクとは違った美しさを感じます。
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園内には「堆秀山」という山があり、これは太湖石の築山になっていて、重陽節にはここで観月をしたそうです。江南の庭園で美しい太湖石を見てきましたが、これほど巨大なものは初めて見ました。
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瑠璃瓦で造られた小屋組みがあまりにもきれいです。通常は材木で作る肘木や垂木が全て瑠璃タイルで再現されています。
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「順貞門」「承光門」を通過して出口に向かいます。後宮の宮殿にはどこにも立ち寄らないようです。以前見ているところなので諦めもつきますが、数々の見どころがあるので残念な気もします。
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「神武門」の向こうに「景山公園」が見えてきました。
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以前は「景山公園」の向こう側から昇って、こちら側に降りて、この「神武門」から「故宮博物院」の中に入りました。現在はこちら側は出口だけになって一方通行のようです。
景山公園 広場・公園
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3時間以上一度も座らずによく頑張りました。最近はオステオパシー整体に通っているせいか足腰の具合がよくなってきたようです。
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ほとんど南側から北側へ中心線の宮殿だけを見学しただけでしたが、ガイドさんの説明もあって、知らなかったことも学べました。
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さすがに疲れたようです。カメラを向けても笑顔はありません。
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この辺りは中国の観光バスや巡回バスの停車場になっているので輪rうぇわれのツアーバスは停車することが出来ません。これからまだしばらく歩くことになります。
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