2025/04/26 - 2025/04/26
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kojikojiさん
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「頤和園」の見学を終えると夕食の時間で、昨晩行った「金鼎軒」の隣にあった「全聚徳」という北京ダックの有名店に向かいます。ここの王府井店には以前来たことがありました。日中関係が悪いときには「日本人と犬は入店禁止。」とした店でもありますが、今はそんな雰囲気は感じられません。美味しい料理を食べた後はオプションで申し込んだ「京劇」を観に行きます。前に行った「湖広会館」という劇場は伝統的な建物で素晴らしく、テーブル席でお茶とお菓子を楽しみながら観劇できました。今回は前門建国飯店というホテルの中にある「前門建国飯店劇場」でしたが、ここも伝統のある劇場だと知りました。演目は「八仙過海」というものでした。これは事前にガイドさんからも教えてもらっていました。これは道教の仙人の中でも代表的な八仙で、李鉄拐(りてっかい)、漢鐘離(かんしょうり)、呂洞賓(ろどうひん)、藍采和(らんさいわ)、韓湘子(かんしょうし)、何仙姑(かせんこ)、張果老(ちょうかろう)と曹国舅(そうこっきゅう)の8人です。いずれも民間人から仙人になった人たちで、それぞれ老、若、男、女、富、権力、貧乏、低い身分を代表しています。彼らが西王母の誕生祝いの帰りに酒に酔った八仙が海の中の仙女をからかったところ仙女は怒って海を荒らして八仙に戦いを挑みます。八仙は各自の持ち物で戦い、やっと海を渡ることができたという物語です。ベトナムを旅した際に八仙の像を見て調べていたので物語のあらましが分かっていて良かったです。劇場のステージ脇には中国語と英語のテロップも流れるのですが、ステージと両方見るのは難しいように思えました。劇の終了後は迎えのバスが来てホテルまで送ってくれるのでらくちんでした。そのまま妻を連れて隣のショッピングセンターを見に行き、帰りにセブンイレブンでお土産も買い求めました。唯一探していた?羊肉という羊肉のしゃぶしゃぶ用のタレが見つけられなかったのは残念です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
「頤和園」の見学の後は昨晩行った「金鼎軒」の隣の「全聚徳」で北京ダックの夕食になります。日中の関係が悪かったときはこの店は日本人と犬は入ってはダメという張り紙を出していて有名になりました。現在は日本人の団体さんウェルカムに変わったようです。
全聚徳 (前門店) 中華
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店の表には変なゆるキャラの人形が置かれていましたが、我が家にとってはこちらが懐かしい昔からの変わらないダックです。
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21年経ってもやっていることは同じです。カメラマンもモデルさんもすっかり歳を取りましたがダックは変わらない姿です。こちらは王府井店なので帽子の文字の位置が違います。
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王府井店にはガラス張りのダック専用の厨房があって、窯の中でローストしていく鴨と周囲に吊られたダックの姿を見ることが出来ました。
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北京では「不到長城非好漢、不吃烤鴨真遺憾(長城を見ずしては亭主関白に非ず、北京ダックを食さないのは遺憾の極み)」という言葉があるそうです。
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出来上がった北京ダックが届きました。ところがテーブルの皆さんは手を出しません。尋ねると食べたことがないというので全員分を巻いてあげました。自分たちの分であれば手を使えますが、箸だけで全部巻くのはちょっと大変でした。
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ダックを巻いていたので他の料理の写真を撮っている暇がありませんでした。スタンダードな北京料理が並びましたが、どれも美味しかったです。以前来たときにサイドメニューでとても安い料理がありました。それは鴨の肝臓の冷菜でしたが、それってフォアグラ?それと鴨の骨で出汁をとった白湯スープが美味しかったのを覚えています。残念でしたがそのメニューはありませんでした。
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21年振りに懐かしい店で食事が出来ました。2人で中国を旅していても食べられる料理の種類が限られてしまうので、そういった面ではこういうツアーはありがたいです。
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昨晩行った「金鼎軒」とは隣どうしの人気店です。この日はまだ早いのでライトアップしていませんでした。
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ホテルへ戻る前にオプションの「京劇」を申し込んだ人だけがバスを降りました。ここは「前門建国飯店」というホテルの中にある「前門建国飯店劇場」です。
前門建国飯店 劇場・ホール・ショー
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ホテルのロビーのインテリアは京劇をイメージしたものになっています。劇場はその奥にありました。
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「梨園劇場」といった方が分かりやすい名前です。以前に行った「湖広会館」もここから近いようです。「湖広会館」は本当に古い建物の中にある劇場でとても雰囲気が良かったのを覚えています。
湖広会館:https://4travel.jp/travelogue/10359127梨園劇場 劇場・ホール・ショー
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劇場の入り口の左側にはガラスケースが並び、舞台衣装や小道具が並んでいます。京劇の舞台衣装(服や頭に被るものや靴)は中国の封建社会をベースにして、人物の身分や地位、年齢などの特徴を表しています。使われる色彩において黄、赤、緑、白、黒を「上五色(正五色)」、紫、青、ピンク、薄緑、茶を「下五色(副色)」と言います。
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衣装の背後には「梅蘭芳(メイ・ランファン)」の若い頃の写真が飾られています。清末から中華民国、中華人民共和国にかけての京劇俳優で、女形で名高く「四大名旦」の1人とされます。中国では「梅、尚、程、荀」の「四大名旦」という女形の流派がありますが、梅蘭芳は「梅派」(めいぱい)の創始者で「四大名旦」のトップを極めた実力者でした。
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祖父・梅巧玲(メイ・チアオリン)が清の同治帝・光緒帝の時代に、京劇を形作った13人の重要な立役者の1人で、伯父の梅雨田(ユーテン)、父の梅竹芬(ツウフン)も京劇の役者という一家に生まれました。しかし梅蘭芳が生まれる前に祖父は亡くなり父親は4歳の時に亡くなるなど、役者としての道は決して平坦ではありませんでした。
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1937年8月に上海を占領した日本軍は梅蘭芳に「皇道楽土」を宣伝させようとしますが梅蘭芳はそれを拒み、夜のうちに家族を連れて香港に移りました。1941年12月には香港も日本軍に占領されると、梅蘭芳は上海に戻り髭を伸ばします。髭を伸ばすと舞台に上がれず、自ら役者人生を絶つことを決断したわけです。軍は執拗に舞台に上がらせようとしましたが、チフスのワクチンを自ら注射して40度以上の熱を出してまで出演を断念させました。戦争中は軍部に抵抗しましが、関東大震災の時には興行の利益をすべて寄付するほど日本には親しみを感じていたそうです。
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劇場はシアタータイプになっており、客席前方がテーブル席で後方が通常の椅子の座席となっていました。テーブル席では中国伝統芸能である京劇を中国茶を飲んでお菓子を食べながら鑑賞することが出来るので、ガイドさんに追加料金で席が変われないか問い合わせていましたが手配できなかったようです。
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ステージの上では開演前に役者さんが「臉譜(れんぷ)」をしています。これは京劇における隈取のようなものです。元々は仮面劇に由来するもので、色には赤、白、黒、黄色、緑などがあり、豪傑役や道化役あるいは動物役が顔に施します。
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関羽や項羽などの豪傑や孫悟空のような動物はほぼ顔の前面を覆い、道化は顔の真ん中のみに「臉譜」を施します。以前台北の旅で行った「台北戯棚(Taipei EYE)」でも見たことがありました。
台北戯棚:https://4travel.jp/travelogue/10765610 -
額の中心から鼻すじにかけて徐々に狭まる逆三角形、それに繋がる細くなった線が両小鼻からほうれい線に沿って広がる黒い色。鼻は白く、白い左右の額には「壽」の字を変形させた眉が描かれています。跳ね上がる魚が向かい合って「八」の字のようにみえる黒い目元まわり。鼻梁の両目頭の間にも皺のように「寿」の吉祥文が入っています。
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長寿の「寿」と末広がりの「八」、「魚」 は「余」と同音で吉祥の意味合いばかりですが、もの悲しさを感じさせる「哭臉」という泣き顔です。これは項羽の悲劇を彷彿とさせます。
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中国映画「さらば、わが愛 覇王別姫」で、段小楼に施されている項羽の「臉譜」は髭をつけていない姿だったことを思い出しました。西楚覇王の項羽が纏う鎧「覇王靠」です。黒色の生地に金色の刺繍が施されており、腹部の下を覆う部分には黄色の房飾りがびっしりとついています。
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家に帰ったら久し振りに「さらば、わが愛 覇王別姫」を観てみようと思いました。まだステージは始まっていませんが、久し振りの「京劇」に魅了されていきます。
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この日の演目は「八仙過海」でした。「京劇」で見るのは初めてですが、八仙人についてはベトナムを旅した時に出会い、いろいろ調べたことがありました。
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八仙(はっせん)は道教の仙人のなかでも代表的な存在で、中華社会のいかなる階層の人にも受け入れられて厚い信仰を得ています。日本における七福神のようなものというと分かりやすいです。
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八仙のメンバーは時代によって異なっていましたが、明の時代に呉元泰が2巻56話の「八仙東遊記」を書いた後は、李鉄拐(りてっかい)、漢鍾離(かんしょうり)、呂洞賓(りょどうひん)、藍采和(らんさいか)、韓湘子(かんしょう)、何仙姑(かせんこ)、張果老(ちょうかろう)、曹国舅(そうこっきゅう)に固定化されます。
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「張果老(ちょうかろう)」は「魚鼓」という楽器の一種を持っています。仙人たちはそれぞれアトリビュートや三昧のように神通力を発揮する法器を所持しています。恒州の条山にこもり、近隣には数百歳と自称し、白い驢馬に乗って1日に数千里を移動しました。休むときに驢馬を紙のように折り畳んで箱にしまい、乗る時には水を吹きかけて元に戻したという伝承があります。
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「何仙姑(かせんこ)」は八仙中唯一の女仙で、14歳の頃に夢に神人が現れ「雲母の粉を食べれば身体が軽くなって不死となるだろう」と言われました。その後渓谷で李鉄拐と藍采和に出会い、仙人になる秘訣を教わります。それからはいつも山谷を行き来し、その姿はまるで飛んでいるかのようだったと伝わります。彼女の持ち物は蓮の花です。
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芭蕉扇を持つ「漢鍾離(かんしょうり)」の姿は頭に2つのあげまきを結い、太った腹を晒したものとして描かれます。芭蕉扇は死者の魂をよみがえらせることができるといいます。
前に立つ「李鉄拐(りてっかい)」はボロボロの服を着て足の不自由な物乞いの姿をしています。太上老君に崋山で逢うことになり、魂を遊離させますが弟子に7日立っても戻らなければ体を焼くように伝えます。弟子は6日目に母の危篤を知らされ、体を焼いてしまいます。7日目に戻ると体が焼かれていたので、近くにあった物乞いの死体を借りて蘇りました。 -
笛を持つ男性は「韓湘子(かんしょうし)」で、唐代の文豪の韓愈の甥の韓老成の子で、子供の頃から韓愈に養われていました。韓愈の子弟たちが学問に励む一方、彼は酒ばかり呑む放蕩者で、突然行方不明になったかと思うと、ぼろを身につけて帰ってきます。韓愈が学問をするようにすすめると「私が学んでいることはあなたのものとは違います」と言い、盆に土を盛り牡丹を植えるとすぐに花が咲きました。花びらに「雲は秦嶺に横たわりて家いずくにかある。雪は藍関を擁して馬進まず」と書かれてあります。その年に憲宗の怒りに触れた韓愈は潮州へ流され、その途中大雪に遭いますが、そこに韓湘子が現れて花びらに書かれていた一句が的中したと言います。韓愈が地名を尋ねてみるとそこは藍関でした。
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「呂洞賓(りょどうひん)」は出世を目指し、科挙を2回受けましたが落第してしまいます。長安の酒場で雲房と名乗る一人の道士(鍾離権)に出逢い、修行の誘いを受けますが、出世の夢が捨て切れずにこれを断ります。鍾離権が黄粱を炊いている間に呂洞賓はうたた寝をして夢を見ます。科挙に及第して出世し、良家の娘と結婚してたくさんの子供をもうけます。そうして40年が過ぎますが、ある時重罪に問われて家財を没収され、家族は離れ離れとなり左遷されてしまいます。そこで目が覚めますが、まだ黄粱は炊けていませんでした。俗世の儚さを悟り、鍾離権に弟子入りを求め、十の試練をこなした呂洞賓は晴れて鍾離権の弟子となり仙人になります。
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左に立つ「藍采和(らんさいか)」は必ず花籠を盛った姿をしています。いつも破れた藍色の長衫に三寸幅ほどの黒い木の皮を腰帯代わりに巻いて、腰には墨で汚れた板をぶら下げていました。片足には穴の空いた靴を履き、もう片足は素足で、夏は上着の下に綿入れを重ね、猛暑の中遊びまわっても汗をかかず、冬には服を脱いで単衣になり雪の中を遊びまわっても吐く息は白くならず、雪の中で寝ても体から湯気が出ていたといいます。
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「曹国舅(そうこっきゅう)」は北宋建国の元勲である曹彬の五男の曹玘の子で、仁宗の皇后の弟であるため、北宋建国の元勲曹彬の五男の曹玘の子。仁宗の皇后の弟でカスタネットに似た雲陽板という楽器が法器です。弟の曹景植が姉の皇后の権力を笠に着て悪事を働くのを見かねて山中に隠遁し修行をし始めました。それを見た呂洞賓と漢鍾離がやってきて「何の修行をしているのか」と尋ねます。道の修行だと言うと「その道はどこにあるのか」と笑いながら訊かれると、黙って天を指した。「その天はどこにあるのか」と畳み掛けられると自分の心を指しました。2人は大いに笑って「心はすなわち天、天はすなわち道である。お前は既に道が何であるかを知っている」と言い、神仙の仲間に加えたといいます。
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まずは八仙人たちが西王母の誕生祝いの宴から五彩の雲に乗って地上に戻ってきたところから物語が始まります。
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8人の仙人たちは「西王母」の誕生祝いの「蟠桃会(ばんとうえ)」で珍宝を献じ、歌い踊って喜ばせます。
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この時点で全員が酒を飲んで酔っ払っています。
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さらに誕生祝ではたくさんの桃を食べ、鳳凰の心臓や龍の肝臓も食べたとセリフが続きます。
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桃の宴ではたくさんの酒を飲んで、全員がすっかり上機嫌です。セリフは舞台の横に吊られたモニターに中国語と英語のテロップが出ますが、読んでいる余裕はありません。
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「呂洞賓、早くこっちにこい!」「分かった、ここにいる。」なんて酔っ払いのセリフが続きます。
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こんな晴れた日は美しい景色でも眺めたいと話が弾んでいきます。
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「八仙東遊記」の後半に八仙人が揃って出かけて冒険する「八仙過海」の話があります。 物語では八仙人が東海の蓬莱山を訪れるため、「呂洞賓」が「李鉄拐」の杖を船にし、それに乗って出掛けます。
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彼らは酒を飲んだり歌を唄ったりしてにぎやかに航行して行きました。
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「何仙姑(かせんこ)」は蓮の花を持って歌います。
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「漢鍾離(かんしょうり)」と「呂洞賓(りょどうひん)」はすっかり酔っています。男性の役の1つ老生(ラオション)は帝王や文官など善良な中高年の男性の役です。付けひげを着け、このひげの色(黒・灰色・白)で年齢を表わします。
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この役柄は元々の体形が必要だと分かります。
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「韓湘子(かんしょうし)」は法器の笛を吹き始めました。
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海の上を航行しながら8人が楽しそうです。
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「張果老(ちょうかろう)」の表情が最高です。
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やはり女性の姿が艶やかです。京劇においても女形が存在しますが、昔は「伝男不伝女」といって女は嫁ぐので自分の家の妙技を盗むのではないかと恐れ、女性が参加することは禁じられていました。現在ではその役を主に女優が演じています。
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五彩の雲に囲まれて八仙人は海を渡っていきます。
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舞台の右手には古典楽器を奏でる演奏者がいらっしゃいます。銅鑼(どら)、司鼓、京二胡、中阮、京胡、月琴、堂鼓などの楽器が用いられるそうです。
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場面は変わって海中の世界になります。
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海中には海に住む生き物が化身した妖精たちが住んでいます。
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海中の世界を表すために登場人物は基本的に水色の衣装を着て波を表しています。
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海中の「紫霞宮」には数多くの洞窟があり、海の仙人の「金魚仙子」が登場しました。
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「金魚仙子」は海に住む者らしく魚のうろこ状の模様のある上着を着ています。
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これは「長絹舞」というもので、文字通り長いシルクの布を華麗に操ります。これで海の水を自由に操るということを表現していることが分かります。
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この場面が素晴らしく連写モードに変えて写真を撮りました。座席の最後列の5列くらいは空席だったのでシャッター音も気になりませんでした。写真撮影はフラッシュを使わなければOKなのは確認してあります。
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多分素人が腕をいくら回してもこんな風にはならないと思います。
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肩に掛けた布を腕を伸ばして布が生きているように動いているのが不思議です。
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このシーンには拍手喝采でした。
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「金魚仙子」の配下の2人もやってきました。そして海の上を行く8人が酒を飲み歌を唄い、海の水を濁らせていると報告します。
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海の上では八仙人の宴会が続いているようです。
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「藍采和(らんさいか)」は法器の花籠をもって優美に舞います。
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ほとんど大宴会状態です。
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そこへ海中から「金魚仙子」たちが現れます。
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そして「なぜ海を汚すのか」と詰め寄ります。」
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ここで問答が始まります。
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「金魚仙子」の怒りは収まりません。
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「藍采和」の花籠が「金魚仙子」の手に渡ります。
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剣を持った「金魚仙子」が仙人たちに挑みます。
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「漢鍾離(かんしょうり)」が相手を務めます。
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見事な立ち回りです。
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「藍采和」は花籠を取り戻そうとします。
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なかなか取り返せません。
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波にもまれながら何とか取り戻しました。
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水色の衣装のおじさんたちが海の水に見えてくるのが不思議です。
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「金魚仙子」に再び取り戻されます。
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この辺りからアクロバット的な動きが出てきます。
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波に吹き飛ばされました。
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取り返せませんが期目のポーズで場面が変わります。
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「韓湘子(かんしょうし)」は「金魚仙子」の配下の鯱の化身と戦います。
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「呂洞賓(りょどうひん)」は芭蕉扇で波を抑えます。
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「金魚仙子」が両手に槍を持って現れました。
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「何仙姑(かせんこ)」が法器の蓮の花で応戦します。
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「張果老(ちょうかろう)」はポンと押されただけで後ろに倒れ込んで、それを「漢鍾離(かんしょうり)」が支えます。
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続いて「李鉄拐(りてっかい)」も一撃でやられてしまいます。
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「李鉄拐」は乞食の衣装で足も悪い設定なので、このような棒を使って歩いています。
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足を支える棒を持ちながら身軽なのに驚きます。京劇の「丑」という道化のような役柄のようです。
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ここで新たな登場人物が現れます。
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「金魚仙子」と戦い始めたので八仙人側の人物たちのようです。
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ここでもアクロバティックなアクションで、だんだん雑技団ぽくなってきました。
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双方が槍を両手に持って戦い始めます。
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周囲から投げられた槍が宙を舞います。
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それを槍を使ったり足で見事に打ち返します。ものすごい連続技です。
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そして決めのポーズです。本来は決めのポーズには拍手や「好(ハオ)!」という掛け声をかけて俳優を応援するのですが観客はほとんど外国人なので拍手が鳴るだけです。
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4対1で戦っているので本当に見事でした。
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フィナーレは全員が入り乱れての戦いになりますが、ここはもう曲芸のようでした。
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この辺は外国人向けの演出のように思えました。
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最後に「漢鍾離(かんしょうり)」と「金魚仙子」の配下と戦います。
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最期の決めポーズ。「好!好!」
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そして東海での戦いは終わりました。「金魚仙子」とのわだかまりは解消されました。
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八仙人は東海を去っていきます。ここで8人が力を合わせて戦うことからことから「八仙過海 、各顕神通」という「おのおのが自分の得意分野で全力を尽くす」ということわざが生まれます。
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大体のストーリーを知っていたので写真を撮っていてもポイントが分かって良かったです。劇場からは迎えに来たバスに乗ってホテルに戻りました。
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部屋には戻らずに妻を連れて隣のショッピングモール「国貿商場(チャイナワールド)」に向かいました。
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広大なモールなので昨晩行って良かったところを案内して、最後に地下のセブンイレブンでお土産などを買い求めました。
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クルーズ船の中にも必ずのようにあるレゴブロックの人形です。いつ見ても良く出来ていると思います。部屋に戻って檸檬堂で最後の夜を過ごします。
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