2025/04/25 - 2025/04/25
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2025/04/25
この旅行記スケジュールを元に
「故宮博物院」の宮殿を歩きながら見学する途中で博物館にも立ち寄りました。「故宮博物院」は1924年に北洋軍閥の1人である馮玉祥が愛新覚羅溥儀を紫禁城から退去させ、1925年10月に宮殿内で清朝が持っていた美術品などを一般公開したのが始まりです。その後に満洲に駐留していた日本軍が華北地方に軍を派遣してきたため、蔣介石の国民政府は博物院の所蔵品を戦火から守るべく重要文物を南方へ疎開させました。さらに1937年に日本軍が南京に向けて進軍してきたために所蔵品は再び運び出されて80箱が四川省の巴県に、9,331箱が楽山に、約7,287箱が峨眉の計3カ所に避難させられました。楽山と峨眉を旅した時はそのことを思い出しましたし、タイの北部山岳地帯を旅した際にメーサロン(美斯樂)で台湾に逃れた本隊と分断されてビルマへと移動した人たちの子孫の茶畑に行ったこともありました。第2次世界大戦後になると運び出された所蔵品は重慶を経て再び南京の北平に戻されましたが、国共内戦が激化するにつれて中華民国政府の形勢が不利になったため、1948年の秋より国立北平故宮博物院から第一級の所蔵品を精選し、第1陣として772箱の文物、1949年1月には第2陣として3,502箱の文物、同月に第3陣として1,251箱の文物が台湾に運び出されました。現在の北京にある「故宮博物院」では台湾に渡らなかった文物の一部が展示されています。ここには21年前にも来ていて、古い写真を見比べるとその当時と同じものが並んでいました。その中に「金地彩団寿盅」という茶碗があるのですが、以前に台湾で買ったものによく似ています。ずっと家にあるのは同じものではないかと思っているのですが、見れば見るほどよく似ています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
「故宮博物院」の中にはいくつかもの博物館があり、今回はそのうちの1つだけを見学しました。収蔵品の数はホームページを見ると1,863,404点あるので一生かけても全部見ることは出来ないでしょう。さらに台北の「故宮博物院」にも何度行っても見切れたという満足感は感じられません。
故宮博物院 城・宮殿
-
「清代萬寿慶典展」では皇帝の誕生日である「無量寿節」、皇后の誕生日の「千秋節」、皇太后の誕生日「賢寿節」などを祝う様子が描かれた絵画が並んでいます。
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旧正月と冬至と無量寿節は清朝宮廷の三大祭と呼ばれていました。皇帝の誕生日には皇子や廷臣たちが盛大に祝賀しました。特に60歳、70歳、80歳の誕生日には祝賀はさらに盛大でした。今回の北京旅行は妻の古希を祝う旅でもあったので皇帝のようにパビリオンでも建ててやろうかと思いました。
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実際はパビリオンは建てませんでしたが、この後の英国一周クルーズと南部の旅3週間でかなりの散財があり、家が傾きそうになりました。
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ここからは宮廷のおめでたい品々が展示されています。
「紫檀木框嵌霊芝挿屏」乾隆時代 -
中央に霊芝を嵌め込み、周囲を紫檀で屏風に仕立てています。
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左「乾隆帝青玉”猶日孜孜”」乾隆45年(1780年)
この璽は「古希天子之宝」とされる福璽で、この2つの璽は皇帝が高齢にもかかわらず仕事に怠情でないことを表しています。
右「乾隆帝碧玉”自強不息”」乾隆55年(1790年)
この璽は「八正毛年之誠」の福璽で、皇帝がさらに高齢にもかかわらず自立していることを表しています。 -
「乾隆帝青玉”八微耄念之宝”」乾隆55年(1790年)
乾隆帝の80歳の誕生日を記念して篆刻は古代所の「商書」より引用されました。「古稀天子之宝」と「八徴耄念之宝」は共に乾隆帝の印章で、「古稀天子之宝」印は帝の70歳、「八徴耄念之宝」は80歳の誕生日に製作されました。乾隆帝70歳の誕生日にあたって、大臣彭元瑞は唐詩の一節「人生七十年古来稀なり」をとって皇帝への祝詞の中に加えました。乾隆帝はこれを殊のほか喜び、すぐに命じて印章に刻ませ、また別に「古稀説」の一文を著してその印章の四方に彫刻させました。10年後の80歳の誕生日には「八徴耄念之宝」印を作らせ、同時に「八徴耄念之宝記」をしるして印章の四方に刻ませました。宝記の中で乾隆帝は「自分こそが中国歴代の皇帝のうちでもっとも永く治世にあたり、年齢も最高で、功績も最大であった未曾有の天子である」と記しています。 -
「乾隆帝白玉”五福五代堂古希天子宝”」
清代乾隆帝の著名な玉璽の1つです。1780年の乾隆45年に乾隆帝70歳の誕生日に、唐代の詩人杜甫の詩「人生七十古来稀」の意をもって、「古稀天子之宝」が彫られました。 -
この後に乾隆帝は自らを「古稀天子」と称しました。1784年の乾隆49年に乾隆帝は玄孫(やしゃご)を得、五世代が一堂に会することとなります。乾隆帝はこれを古来稀に見る盛事として非常に喜びました。そこで紫禁城東路の寧寿宮後方にある景福宮の「五福堂」の扁額を「五福五代堂」と改め、併せて「五福五代堂記」の一文を記しました。
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「乾隆帝御制碧玉”八微耄念之宝”」乾隆55年(1790年)
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「崇慶皇太后青玉徽号冊」乾隆36年(1771年)
重慶皇太后の80歳の誕生日に乾隆帝は母に「崇慶慈宣康恵敦和裕寿純禧恭□安?皇太后」という称号を贈り、玉書に刻ませました。享年86歳で崩御すると「孝聖慈宣康恵敦和誠徽仁穆敬天光聖憲皇后」の諡号を贈られ、雍正帝の泰陵の東北の泰東陵に葬られました。 -
「長寿三尊-銅鎏金無量寿佛坐像」清時代
チベット仏教では菩薩の姿で表される阿弥陀如来(無量寿仏)が信仰を集めました。昨年ネパールのパタン王宮の博物館ででヒンドゥー教の神とチベット仏教の仏について学んだことが思い出されます。
パタン王宮博物館:https://4travel.jp/travelogue/11946984 -
「長寿三尊-銅鎏金尊?佛母坐像」清時代
仏陀の母は頭に冠をかぶって3つの側面と8本の腕を持ち、仏陀、弓、矢、宝瓶などを持っています。 -
「長寿三尊-銅鎏金白度母坐像」清時代
ホワイトタラはチベット仏教の神々の中で最も美しく、両手両足と額にも目を持つことから「7つの目の仏母」としても知られています。タラは観音菩薩の化身であり、衆生を苦しみの海から救う責任があります。 -
「青花万寿字笔筒」清時代
100以上の書体の違う寿の文字が美しい文字で書かれています。 -
「碧玉蝠寿桃式洗」乾隆年製
碧の玉を桃の形に彫り上げ、中にはさらに蝙蝠が1対彫られています。「蝙蝠(コウモリ)」の中国語の発音が「偏福(へんぷく)」(福が偏ってくる)と似ているため、コウモリに対し福を招く象徴として捉えていました。 -
「青玉松鶴延年挿屏」乾隆年製
硯屏とは硯の前に立てる衝立状の道具であり、風塵を防ぐとされています。 -
「翡翠双県硯」清時代
手前の3枚の翡翠の硯です。この上で墨を擦るのは恐ろしい気がします。玉の肌で墨が擦れるのか、力を入れたら割れてしまうような気がします。 -
「青玉双鶴耄架」清時代
緑の翡翠の青の中に白が混ざっています。 2羽の鶴は竹の枝の上に背中を背にして横たわっており、1羽の鶴の口は如意、1羽の鶴の口は桃の枝を咥え、桃の枝には花と2つの桃の果実が見えます。鶴の体と顔には線彫りが施されています。誕生日を祝うおめでたい筆架です。 -
「青玉五老□山子」乾隆年製
乾隆帝の詩が刻まれており、かつては景福宮に保管されていました。乾隆帝はこの景福宮を「五福五代殿」と名付けたのは先の白玉璽で紹介した通りです。 -
「青玉仙山霊芝山子」乾隆年製
こちらも乾隆帝の詩が刻まれていて「五福五代殿」に納められていました。 -
「青玉□桃□鶴」清時代
先ほどの筆架と同じおめでたい題材の青玉です。 -
「白玉仙人捧寿山子」清時代
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上段:「掐糸琺瑯万寿無疆高足盤」清時代
下段:「画琺瑯花果瓜蝶高足盤」乾隆年製 -
「粉彩花弁蝠寿高足盤」乾隆年製
この皿は口が開いており、胴が浅くてやや外側に傾いた高台が特徴です。皿の中央には赤い円の中に「寿」の文字が描かれ、その周囲には色鮮やかで繁栄を象徴する牡丹と蓮の模様が円状に描かれています。皿の縁には5匹のコウモリが翼を広げて飛び立つ様子が描かれ、「五福寿」を象徴し、より優雅で豪華な雰囲気を醸し出しています。高台の外壁には芭蕉の葉文様と首飾り文様が描かれ、高台の内側には横篆書で「清乾隆年作」の6文字が記されています。五福寿文様は康熙帝の磁器に初めて登場し、清朝末期まで広く愛用されました。古代の人々は、幸福、長寿、健康、徳、そして終生を「五福」としていました。 -
奥:「掐糸琺瑯勾蓬嵌石奶茶壷」清時代
前:「銀累糸奶茶碗」清時代 -
「紅地描金寿字蓋碗」と「紅蝠団寿皿」、「粉彩金寿羹」のセットです。ここでも中央に寿と五匹の蝙蝠が描かれたおめでたい画題になっています。
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曾祖母が生まれた時に造ってくれたお喰い初め用の蓋付きの茶碗と湯呑みを思い出します。それと結婚式の時にフォーシーズンホテルに持ち込みで使わせてもらった睦揃えもありました。妻の喜寿には骨壺でも誂えてあげようかしら。
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博物館に並んでいる食器を見ていても皇帝の家族への想いのようなものが感じられました。遠く北京の空に京都の曽祖母の思いを改めて感じました。
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お喰い初めと結婚式が同じ誂えの食器だったので京都の叔父に同じ赤絵と染付の骨壺を造れないか尋ねたことがありますが、あまり早く造るものではないのと派手過ぎると窘められました。
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光緒年製の「黄地紅雲蝠寿字羹匙」2本と同治年製の「黄地粉彩万寿無疆碗」
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「黄地粉彩金万寿無疆盤」光緒年製
見込み中央に大きく寿を置き、卍文と雲錦文を散らし、丸で囲った萬寿無疆の4文字が書かれてあります。「萬壽無疆(ばんじゅむきょう)」はいつまでも長生きすることを願った言葉です。「詩経」に由来する言葉で、地方の農事を歌った詩の最後に「萬壽(バンジュ)疆(かぎり)無(な)けん。一族の長寿を祖霊に願う。」とあります。 -
「黄地藍蝠金寿無疆盤」同治年製
見込みの中央に大きく寿を置き、合計7つの寿と5匹の蝙蝠、桃の枝と吉祥紋で埋め尽くされています。 -
清時代の鉢と皿と共に中国では「筷子(くあぃつ)」と呼ばれる箸やフォークのような「叉」が並んでいます。中国では家族や来客に自分の箸で大皿から取り分けるのが親愛の情の表現とされてきました。このため日本よりも長めの箸が使われるとされますが、宮廷では使い道は違ったのかもしれません。
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「青花雲鶴団寿礫」清時代
シンプルな青華の見込みには大小の寿が掛かれ、外側には雲の蔓が描かれているようです。これは実際に使うには料理を盛りやすいと思います。 -
「斗彩万寿碗」康熙年製
素焼きした素地に青花を施し釉薬をかけて1300度で焼成し、その後に彩色を施して800度程度で焼き上げています。これも素晴らしい出来上がりです。 -
「青花釉里紅四桃茶壺」康熙年製
と茶碗が数種類並んでいます。 -
「青花釉里紅四桃茶壺」は文字通り輪繋ぎの文様に染付を施し、蓋の摘みには釉里紅という釉薬を使っています。
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「金地藍彩団寿盅」康熙年製
この茶碗は21年前に来たときも並べられていました。ここで観た後に台湾へ旅行したのですが、台北の骨董品店でよく似た茶碗を買い求める機会がありました。 -
多分後年の倣古品だと思いますが、本金を使い、高台の見込みには大清康熙年製と書かれてあります。よくあるなんちゃって景徳鎮みたいなものとは違うので長年愛用しています。
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「黄釉紅蝠寿小杯」光緒年製
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「黄地粉彩五蝠捧寿字茶碗」同治年製
蝙蝠が動物では無くて文様の一部として縦横の文様に組み込まれています。 -
「紅彩詩句蓋碗」清時代
御製詩
佳茗頭綱貢 澆詩必月團
竹爐添活火 石銚沸驚湍
魚蟹眼徐揚 旗槍影細攢
一甌清興足 春盎避清寒
とあるので清の嘉慶年製の碗だと思います。 -
「黄地粉彩万寿無疆茶碗」清時代
先の皿と同じようなデザインです。25年ほど前に上海へ行ったときに「友誼商店(ゆうぎしょうてん)」という国営の百貨店に行ったことがありました。 -
1951年5月に北京、天津、上海、広州、瀋陽の5都市に当時希少な高品質商品を特別に供給していました。そこには骨董品店も入っており、国営の百貨店なら間違いないであろうと購入したことがありました。
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松の絵があまりに美しくて気に入ったので買ったのがこの鉢でした。清の光緒年製ならそれほど昔ではないだろうと思い、「骨董品蝋印」もあるので安心できました。ダメもとで値引きを試みると意外にOKでした。
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その差額でこの大皿を貰ってきました。小さい欠けがあったからだと思います。京都の伯母に頼んで金継ぎしてもらったらかえって高くついてしまいました。さらにこの皿を見た瑞古で同じものを写して数十万円で売っていました。
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「彫漆飛龍宴盒」乾隆年製
堆朱(ついしゅ)は彫漆の一種で、素地の表面に漆を塗り重ねて層を作り、文様をレリーフ状に表す技法を指します。中国では黒漆の層に文様を彫り表したものを「剔黒」、朱漆の層のものを「剔紅」といい、中国漆器を代表する技法とされます。 -
「松棚果罩」清時代
これは果物を盛るための器だそうです。如意宝珠を持って絡み合う龍たちが邪魔で果物を撮るときにケガをしてしまいそうです。 -
「黄地三彩蝠寿八宝扳沿盤」乾隆年製
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「黒地彩漆描金蓮鶴寿字攢盒」乾隆年製
塗りの器自体が寿の文字の形で、全面に鶴が舞い寿の文字が書体違いで書かれています。 -
「画琺瑯桃式九子攢盒」乾隆年製
攢盒は漢字文化圏でお祝いの時食べるお菓子などの小さい食べ物を乗せる器です。攢と全は同じ発音なので、全盒とも呼ばれています。 -
蓋を見ると桃の形をしていることが分かります。さらに太湖石の中に桃を持った人物が描かれています。明代の役人の呉承恩が著した「西遊記」にも桃が登場します。孫悟空は強い霊力を得ようと天界に赴き、桃園の管理を天界の支配者である天帝から任ぜられます。この園になる桃の実は仙果とも呼ばれ不老長寿の効能があるとされていました。悟空は隙を見て仙果を食い荒らし、そのいくつかを盗んで下界に逃亡します。逃げた時にこれをいくつか落としてしまい、それが地上の桃の祖先となったという伝説があります。
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「紅漆描金桃式攢盒」乾隆年製
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ここからは「珍品コレクション」が始まります。
「掐糸琺瑯□」乾隆年製
掐糸琺瑯(こうし ほうろう)はクロワゾネや有線七宝に相当する中国の技法です。立体的な鳳凰の姿が美しいです。中国では紀元前に作られた「詩経」に「鳳凰は梧桐にあらざれば栖(す)まず」と記されていますが、ここでは何にとまっているのか分かりませんでした。 -
「紫檀嵌松石玉料石榴盆景」乾隆年製
紫檀の鉢には御製詩が書かれ、植えられた木の枝には宝石の花が咲いています。 -
「青玉嵌石如意」清時代
如意は清朝に置いてもっとも重要な吉兆の象徴でした。あらゆる祝祭の際には皇子や皇后に如意を献上しました。中でも9個セットの「九九如意」はもっとも重要な贈り物でした。 -
如意(にょい)は僧が読経や説法の際などに手に持つ道具で、孫の手のような形状をしており、笏と同様に権威や威儀を正すために用いられるようになりました。
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「如意」とは「思いのまま」の意味もあり、本来は孫の手の様に背中を掻く道具で、意の如く(思いのままに)痒い所に届くので、如意と呼ばれました。
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「斗彩□宝□螭耳撇口瓶」乾隆年製
胴には青花で山水図とそこに遊ぶ唐子が描かれ、耳は螭吻(ちふん)という龍生九子の1つの姿をしています。 -
「霽藍描金万寿象耳瓶」乾隆年製
胴には金文字で50種類の寿の文字が書かれています。裏表で百の寿で「百寿」になります。黒字に金歳で吉祥紋が描かれ、耳は象の形をしています。 -
「粉彩胡蝶撇口瓶」光緒年製
リアルに描かれた種類の違う蝶が便の周りを舞っています。これとほぼ同じ「粉彩百蝶紋瓶」清光緒年製の瓶は台北の「故宮博物院」に収蔵されています。 -
「碧玉龍耳簋式炉」明時代
皇子や大臣が贈る皇帝の誕生日の贈り物は新しく造られた宝物だけではなく様々な骨董品も含まれていました。 -
「白玉鏤雕蝠寿圓挿屏」清時代
紫檀の枠に蝙蝠の白玉が縁取り。寿の文字の周りには雲錦模様が埋めてあります。 -
「黄玉雕仙鶴捧桃寿星」乾隆年製
寿老人が桃を手に持ち、鶴を従えているというおめでたいモチーフです。寿老人は七福神の1人ですが、道教における南極星の精でもあり、福徳をもたらす福禄寿と同一視されることもあります。 -
「崇慶皇太后八旬万寿詩文冊)乾隆36年(1771年)
乾隆帝の母である崇慶皇太后の80歳の誕生日を祝い、蔡新ら政治家が自筆の詩やエッセイを披露しました。(複製品) -
「康熙倣成化款五彩鶴寿葫芦瓶」康熙年製
葫芦は中国語で瓢箪を表し、瓶の形を意味しています。明の成化年製の瓶を清の康熙年に倣ったもののようです。 -
「粉彩九桃天球瓶」乾隆年製
これも同じ時代に造られたものを台北の「故宮博物院」で観たことがあります。じっくり見ていくとそんなことにも気が付きます。「上海博物館」にも雍正年製の同じような瓶がありました。 -
もっとも写真で残しておいたので後から確認できることでもあります。肉眼でも観ていますが、ファインダー越しに見たものの方が記憶に残ったりします。台北では「粉彩蟠桃天球瓶」清乾隆年製とキャプションになっていました。
国立故宮博物院:https://4travel.jp/travelogue/11820536 -
「鳥金釉五彩蝠寿棒槌瓶」康熙年製
棒槌は洗濯用の叩き棒のことです。 -
美しい玉の「佩」が並んでいます。
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「佩」は腰に付けるかざりの玉のことです。さすがに清王朝の物は見事な玉を加工してあります。以前西安を旅した際に何を血迷ったか碧玉の円筒形のネックレスを買ったことがあります。もちろん妻へのプレゼントでしたが、後に行った大連で宿泊していた「大連賓館」の博物館の係員からえらく褒められたので悪いもので葉はなかったようです。
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「紫檀嵌螺鈿迎寿図海棠式攢盒」乾隆年製
紫檀で造られた蓋付の攢盒にいろいろな色の半貴石を彫刻したものを象嵌するという気の遠くなりそうな超絶技巧です。 -
「檀香百宝嵌海星添□盒」乾隆年製
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白檀の盒の中には一流の学者王傑の書いた「十全の副書」が納められています。
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「掐?琺瑯花蝶寿字圓盒」乾隆年製
縁の吉祥紐は「万字不断」といわれ、万物の究極的なつながりのシンボルとされます。寿と連続することで終わり無い吉祥を表しているのだと分かります。 -
「紫檀嵌石骨桃式盒」清時代
桃や桃の葉は骨を形に彫刻して、色を染めたものを象嵌しています。一見して高蒔絵のようにも見えます。長年欲しいと思っている広島の金城一国斎の作品を思い出しました。 -
最後に乾隆帝が掛かれたという寿の文字の額が無造作に掛けられていました。混雑した展示室の中をガイドさんの説明を?シーバーで聴きながら写真を撮りましたが、何度も音が途切れて迷子になりそうでした。
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