2024/06/03 - 2024/06/03
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この旅行記のスケジュール
2024/06/03
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小諸駅
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電車での移動
田中駅
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旧北國街道を歩きます
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万貫岩公園
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白鳥神社
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媒地蔵尊
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海野宿資料館
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海野宿本陣跡
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住吉神社
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千曲川
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大屋駅
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この旅行記スケジュールを元に
朝から晴れ渡り、前日の雨が嘘のようなお天気です。
かつては北国街道の宿場町として栄えた海野宿は、長野県東部の東御(とうみ)市にあり、今も伝統的な街並みが保存されています。
東御(とうみ)市は、平成16年(2004年)4月1日に東部町と北御牧村が合併して誕生した新しい市です。
東京から新幹線で長野へ向かうと、信濃国に入って軽井沢、上田、長野と続いていますが、軽井沢からしなの鉄道に乗り換えると、軽井沢と上田の真ん中あたりに小諸があります。そして小諸市と上田市に挟まれているのが東御市です。
正直なところ、ぜんぜん知らなくて「とうみ」と読めませんでした。
旅のきっかけは、目黒にある長泉院付属現代彫刻美術館を訪問した際に、その所蔵作品の一部を東御市に貸し出しているということから、東御市のことを知りました。よろしければ、その時の記録もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11883395
ところが、東御市に貸し出している彫刻は東御中央公園に野外展示されており、最寄駅であるしなの鉄道の田中駅からはかなり離れています。本数の少ないバスかタクシーを使うしかないので、訪問は断念しました。
今回、しなの鉄道田中駅から大屋駅までの約4kmを歩いて散策しました。
この間に、北國街道の宿場町として栄えた海野宿が残されていて、昭和62年(1987年)に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
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しなの鉄道に乗って小諸駅から田中駅へ移動しました。
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全国にいる「田中」さんはぜひ訪問しましょう。
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田中駅。改札は北側にあります。
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田中駅の観光案内所。海野宿のパンフレットがいろいろありました。
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駅前広場の胡桃。
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駅前の道祖神。
田中宿は旧北國街道の宿場町で、これから向かう海野宿よりも栄えていたそうですが、寛保2年(1742年)8月の大洪水(小諸城が被害を受けた洪水)により、ほとんど壊滅してしまったそうです。 -
駅前の交差点から旧北國街道を歩きます。
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旧北國街道を歩いています。
かつて養蚕を行っていた造りで、気抜きの櫓があります。 -
縣村田中町役場跡。
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しなの鉄道の電車が通過しました。
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東御市立田中小学校。
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旧北國街道を離れて、海野宿への遊歩道みたいな道を歩きます。
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しなの鉄道の線路脇を歩きます。
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海野宿への遊歩道みたいな道を歩いています。
日陰がなく、夏のようにに暑かったです。 -
旧北國街道に合流して、踏切を渡ります。
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東御市のマンホール蓋。海野宿をデザインしています。
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万貫岩公園。「北国街道 海野宿」と刻まれています。
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万貫石。 1貫が3.75kgだから、37.5トン。
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白鳥神社の鳥居です。
田中駅からここまで約1.6km。 -
祓い橋。
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狛犬(阿形)。
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狛犬(吽形)。厳めしい顔つきです。
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樹高30mのケヤキ、樹齢700年以上の御神木です。東御市指定天然記念物。
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手水鉢。
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土俵。東御市は雷電為右衛門の出身地です。
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海野宿の東端に位置する白鳥(しらとり)神社は、中世の豪族・海野氏の氏神でした。
治承5年(1181年)6月、平家討伐の旗揚げをした木曽次郎源義仲は、白鳥神社前に広がる「白鳥河原」において挙兵しました。 -
幟には真田の家紋と海野の家紋が描かれています。
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くじら池。
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池の鯉。
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池の中にあるのは、くじら石。
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石灯籠。
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池の畔は樹叢になっています。
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白鳥神社の拝殿です。
建久2年(1191年)、海野幸氏(うんのゆきうじ)が造営しました。海野幸氏は木曽義仲の嫡男・清水冠者義高の側近として鎌倉に入り、後に源頼朝に仕えました。鎌倉武士の弓馬四天王として名を挙げています。 -
狛犬(阿形)。
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狛犬(吽形)。
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御祭神は日本武尊、相殿に海野広道公、また海野氏・真田氏の祖とされる貞元親王と善淵王を合祀しています。
現在は、本海野地区の鎮守となっています。 -
拝殿の脇に大黒様と恵比寿様が祀られていました。
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本殿に向かって左側に信司稲荷神社。
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信司稲荷神社。
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社の中に大きな額がありました。
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信司稲荷神社。
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本殿に向かって右側に新海宮。
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新海宮の覆屋。
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新海宮。覆屋でよく見えませんが、全体に彫刻が施されています。
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道祖神。
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海野宿は寛永2年(1625年)北國街道の宿駅として出来ました。
旧北國街道は、参勤交代による江戸との交通、善光寺への参詣客や佐渡で採れた金銀の輸送、罪人の連行など多くの人や物が行き交い、大変賑わいました。
現在も街道に沿って90棟余の民家が並び、宿場時代の建物が55棟も残っています。 -
明治に入ると宿場町としての機能はな くなりましたが、富国強兵の政策に合わせ養蚕の村へ変化しました。昭和62年(1987年)に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
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旧地蔵寺跡の山門。
元禄4年にこの地へ移転再建しましたが、昭和26年に焼失し、間もなく廃寺となってしまいました。 -
馬頭観音などが祀られています。
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媒地蔵尊。
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媒(なかだち)地蔵尊。
言い伝えでは、昔々、加賀の国のお殿様に年頃の娘がおりましたが、なかなか良縁に恵まれませんでした。ある時、縁結びのお地蔵さんが海野にあると聞いて、参勤交代の道中にお参りしたところ、娘は立派な男性とめぐりあい、結婚することができたそうです。 -
媒地蔵尊。縁結びのお地蔵様として今もお祀りされています。
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海野宿ふれあいセンター。この敷地に媒地蔵尊がいます。
海野格子が見事な建物です。街興しのイベントが行われたりするようです。 -
明治時代に入り宿場の機能が失われると、旅籠の広い部屋を利用して養蚕が行われるようになりました。養蚕をするには、火を焚いて室内を保温したのですが、その煙出し用の小屋根(気抜きの櫓)が取り付けられました。
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袖卯建(そでうだつ)。
卯建には火災の延焼 を食い止める役割があります。
屋根の上に乗った防火壁状の構築物が本来の卯建で、江戸時代の「本卯建」とされます。本卯建は高価なため、卯建を付けられない人を「うだつが上がらない」と揶揄したようです。 -
青い空に柳が映えますね。道路は水路により歩道 と車道が分けられています。
水路は元々、街道の中央を流れており、当時のままの姿で残っています。宿場では馬の水飲み場としても利用されていました。 -
海野格子の家。
「海野格子」と呼ばれているのは、上下通しの2本と少し上部が開いている2本の桟を組み合わせた造りです。 -
海野格子。縦の格子の長さが2本ごとに変化しています。
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この建物は寛政年間(1790年頃)に建てられた旅籠屋造りで、現在は海野宿資料館となっています。
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養蚕御視察記念碑。
昭和天皇のお母様・貞明皇后は昭和24年6月に諏訪湖畔の片倉館、岡谷座繰生糸協同組合や岡谷の製糸工場などの視察を行いましたが、6月19日には養蚕奨励のため、海野も視察されました。懐古園にも立ち寄られています。 -
小林一茶の句碑。
夕過乃 臼の 谺(こだま)の寒哉
文化9年11月、海野宿に宿泊しました。 -
資料館の神棚。もちろん白鳥神社のお札を祀っています。
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合羽の語源はポルトガル語の「カパ(capa)」です。15世紀の後半、日本に伝わり、合羽の文字を当てました。江戸中期頃に木綿製の合羽が広まり、元禄年間(1688~1704年)には、防水加工がされた紙製の合羽も道中着に使われました。
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庶民の雨具だった被り笠と蓑(みの)。
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琵琶。
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月琴。
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茶釜。
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江戸時代の享保雛。
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不動明王の木像。手前には制多迦童子像、矜羯羅童子像
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石油ランプ。
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囲炉裏。
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天井の様子。
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玄関のすぐ東側には厩(うまや)があります。
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復興の鐘。
令和元年10月12日の台風第19号による豪雨災害で千曲川の堤防が決壊し、海野宿への主要な道路が 閉ざされました。令和4年3月1日に再開通しましたが、災害を忘れないために造られた鐘です。 -
様々な日用品。
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裏庭には、風呂場・味噌部屋・白壁の土蔵・地下の桑屋・養蚕関係の展示室などがありました。
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袖卯建。
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気抜きの櫓がついた建物。
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卯建には鯱が乗っています。
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蔵造りの建物、気抜きがあります。
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蔵。
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寛政10年(1798年)、宿振興のため旅籠屋一軒につき2人の飯盛女(遊女)が許されました。かつては出格子の中に遊女がいて、客引きを行っていたことでしょう。
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海野宿玩具館。
江戸後期に建てられた二階造りの建物です。日本各地から集められた玩具が展示されています。時間の関係で立ち寄りませんでした。 -
海野宿本陣跡。
現在は本陣の建物はなく、問屋門のみが残っています。
戌の満水により本陣を置くことになった海野宿では、問屋を務めていた藤田家が本陣を務めることになりました。藤田家は藤原鎌足の後裔から派生した一族のさらに後裔とされる家です。 -
海野宿の中でも一際、目を引く立派な門。
門が開かれ、沿道から中庭が見えました。 -
馬の塩舐め石。
馬を休ませるために、塩を舐めさせる物です。 -
これは何でしょう。
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本卯建のある建物。
屋根の上には気抜きの櫓、屋根の左右に本卯建が上がっています。 -
御蔵小路とありますが、不明です。
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うんのわ。
築約100年の建物を改修した交流施設で、御休み処・観光案内所として営業しています。フランス語で「une noix」と標記しているようです。 -
大きな屋根の建物。屋根は金属に葺き替えられていますが、かつてはこの屋根裏で養蚕が行われていたと思われます。
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この辺りから、現代の家が多くなりました。
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海野一族の菩提寺である興善寺へ行けると案内が出ていました。
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この路地を北へ進むのですが、700mほど離れていたので諦めました。
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海野宿の西端です。
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海野宿を外れても養蚕の名残があります。
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こちらも気抜きのある大きな家。
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住吉神社。
寛永8年(1631年)、千曲川の洪水で流された下深井村の氏子らにより大阪住吉神社から分霊を得て創建しました。 -
境内の姫石。ただの石に見えますが、穴が貫通しているのが名前の由来らしいです。
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住吉神社の社殿。
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ここまで続いてきた道路の中央に水路がある造りは、この先で終わっています。
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千曲川が見えました。前日の雨がごうごうと流れています。川沿いを歩いて来ましたが、道路からは見えていませんでした。
甲武信ヶ岳の長野県側斜面を源とし、長野県においては千曲川、新潟県へ入ると信濃川と呼ばれます。 -
ここから上田市です。
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上田市のマンホール蓋は、旧上田市のシンボルマーク・六花紋(ろっかもん)と市の花・ツツジをデザインしています。。
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大屋駅に着きました。
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明治21年(1888年)、官設鉄道信越線が上田~軽井沢間に開通したときには、両駅間に田中・小諸・御代田の各駅が開業しました。明治26年(1893年)に軽井沢~横川間が開通して、信越本線は全通しました。
大屋駅は、明治29年(1896年)に開業しました。 -
大屋停車場碑。
明治になり諏訪地域においても養蚕が盛んになりました。当初は生産した生糸を八王子まで人馬で運んでいました。
信越本線の開通により田中駅を利用するようになりましたが、より近い場所に駅の建設を請願し、明治29年(1896年)に大屋駅が開業しました。
この石碑には日本初の請願駅としての経緯を刻んでいます。 -
大屋駅の構内です。
本年(2024年)2月26日、大屋郵便局が駅舎内に移転して大屋駅郵便局となりました。
駅業務も郵便局が受託しています。 -
しなの鉄道に乗って長野駅へ向かいます。
これからが仕事です。ずいぶん長い寄り道になってしまいました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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