2024/11/30 - 2024/11/30
18位(同エリア1074件中)
旅猫さん
大和路の旅の二日目は、今回の旅の一番の目的である『山辺道』を歩く。『山辺道』は、狭義の日本と言う国における最古の官道であり、現存する最古の道でもある。起点は、崇神天皇の王宮があった三輪山の麓で、武器庫があったとされる現在の石上神社辺りまで続いている。当時の奈良盆地は、現在の諏訪盆地のような状況で、中心には大きな湖ないし池、又は湿地帯があったと考えられるため、主要な集落や道は、山裾に造られていたのである。今回は、古代の奈良盆地を思い浮かべながら、山辺道を北から南へと歩いてみることにする。
(2024.12.27投稿)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回の旅では、二泊とも朝食付きである。安かったからである。この宿の食事処は、なかなか洒落た佇まいであった。
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とは言え、内容は普通のビジネスホテルと変わらない。
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ただ、三輪そうめんがあったのは良かった。
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部屋へ戻ると、壁に何やら映り出ている。昨夜はまったく気付かなかったのだが、照明装置に情報投影機能が付いていたのだ。
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この部屋は、以前は『紫陽花』と言う名の部屋で、当時は和室だったのであろう。仕切り戸の硝子は、昭和の意匠で、なかなか良い。
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近鉄奈良駅へ向かったのだが、予定より早く着いてしまい、7時44分発の三宮行快速急行に乗車。二つ目の大和西大寺駅で下車。ここで、8時6分発の天理行急行を待てば良かったのだが、先に出る7時55分発の梶原神宮前行急行に乗ってしまったのが間違いであった。
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途中の平端駅で降りたまでは良かったのだが、向かいに停まっていた普通電車に疑いもせずに乗り込んでしまった。発車してから、案内放送の停車駅に天理駅が出て来ない事に気付き、二つ目の結崎駅で飛び降りた。そして、平端駅へ戻り、8時28分発の天理行に乗り換えた。まさか、路線が違うとは知らなかった。
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それでも、実質的には10分ほどの遅れで天理駅に到着。駅前からタクシーに乗り、山辺道の北の起点である石上神宮を目指す。初めての天理市であったが、道沿いは天理教の宗教施設ばかりで驚いた。15分ほど走り、石上神宮の鳥居前に着いた。
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鳥居を潜り、参道を進むと、鶏がたくさん歩いている。色とりどりで、種類も違うそうである。綺麗な羽をした鶏がいたのでカメラを向けると、片足を挙げ、決めの姿勢を取ってくれた。
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さらに進むと、立派な楼門が見えて来た。鎌倉時代の文保2年(1318)に建立されたもので、重要文化財に指定されている。
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国宝の拝殿で参拝。布留の地にお邪魔する挨拶と、これからの旅の無事などを祈願する。石上神宮は、伊勢神宮と並び、最古の神宮号を持つ古社であり、古代の豪族物部氏の総氏神でもある。そもそも、拝殿や本殿などと言う建物は無く、磐座のある高庭と言う禁足地が神聖な場所として崇められていたのである。それは、ヤマト王権成立前、古代出雲族が治めていた頃であっただろう。
石上神宮拝殿 名所・史跡
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楼門の向かいには、摂社がいくつか鎮座している。その一つ、草薙剣の荒魂である出雲建雄神を祀る出雲建雄神社の前には、国宝の拝殿が建つ。保延3年(1137)の建立で、かつては、西の日光と呼ばれた内山永久寺の鎮守であった住吉社の拝殿であったそうだ。摂社に参拝する人は多いが、この地味な国宝に目を向ける人はいなかった。
地味ですが国宝です。 by 旅猫さん石上神宮摂社 出雲建雄神社拝殿 寺・神社・教会
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参拝後、いよいよ山辺道を歩き始める。道は、石上神宮の参道から分かれていた。ここから、南の大神神社まで、約11km、3時間足らずの道のりだが、色々観ながらのんびり歩くので、5,6時間を予定している。
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歩き始めてすぐは、石上神宮の境内を通る。石上神宮周辺は、古代には『布留』と呼ばれ、そこに生える杉は『神杉』と呼ばれていた。柿本人麻呂は、「石上布留の神杉神びにし吾やさらさら恋に遭いにける」と詠んでいる。しかし、崇神朝の頃は、ここに、物部氏が護るヤマト王権の武器庫があったようなので、ずいぶんと様相が違っていたのだろう。
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しばらく歩くと、水面に樹々を映し込んだ池が現れた。その池は、かつてここにあった内山永久寺の浄土庭園の跡だそうだ。池の畔には、宗房と号していた頃の芭蕉が詠んだ「うち山や とざましらずの 花ざかり」の句碑が建っていた。往時は、桜に包まれ、とても美しかったようである。
内山永久寺跡 名所・史跡
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近くに、『菅御所跡』と刻まれた石碑が建っていた。内山永久寺は、かつて後醍醐天皇が一時的に身を隠したことがあるようだ。
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近くに、かつての内山永久寺の伽藍を描いた名所図会の写しがあった。見れば、現存する池を中心に堂宇が建ち並び、巨大な寺院であったことが分かる。壮麗を極めた堂宇や仏像などは、明治の廃仏毀釈による破壊と略奪に晒され、完全に姿を消してしまった。寺の宝物は散逸してしまったが、一部は後に保護され、今は国宝や重要文化財に指定されている。宝物の中には、海外へ流出し、その後失われてしまったものもあるそうだ。明治期は、多くの国の宝が二束三文で売り払われてしまった暗黒の時代である。
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内山永久寺跡を過ぎると、道は未舗装となった。山辺道は、未舗装の山の中の道が結構あり、薄暗く寂しい。
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道の途中には、そこかしこに歌碑が建っている。文武両道の武将として名の知れる十市遠忠の歌碑もあった。
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山道が下り始めると、石畳となった。激坂と呼ばれる急な坂を下ると、園原集落に入った。
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山間の長閑な集落で、道端では冬桜が咲いていた。
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歩いていると、かなり摩耗したお地蔵さんが佇んでいた。歩き旅では、出会うお地蔵さんや神様には必ず挨拶をする。
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少し歩くと、乙木町に入った。その入口に夜都岐神社と言う小さな社があった。元は春日神社と呼ばれていたそうで、春日四神を祀っている。拝殿は茅葺の質素な佇まいで趣がある。神職の方はおらず、御朱印は自身で押すようになっていた。
夜都伎神社 寺・神社・教会
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乙木町は、なかなか趣のある街並みであった。瓦を載せた立派な塀に囲まれた家が多く、崩れかけた土塀のある家もあった。
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立派な門構えと蔵のある大きな屋敷もある。この集落は、鉄道からも主要幹線道路からも離れていながら、かなりの規模の集落を形成している。古代から開けた場所であったのだろう。今も道は狭く、車社会とは無縁とも言える。個人的には、このような街こそが、人の暮らす街だと感じる。
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山辺道を歩いていると、そこかしこで柑橘類を見かける。ちょうど実を付ける季節なので、黄色い艶やかな実がたくさん生っている。
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乙木集落を抜けると、西側が大きく開け、眺めが綺麗であった。さらに進むと、竹之内環濠集落に出た。自衛のため集落の周りに濠を巡らしたもので、室町期頃から現れたものだそうだ。現在でも、僅かながらその姿を観ることが出来る。
竹之内環濠集落 名所・史跡
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その先にも、開けた場所があった。菜の花畑のようである。遠くに奈良盆地が見え、その奥に、二神山や金剛葛城山系の山並みが見えている。
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ふと足元を見ると、変わった意匠のマンホールがある。よく見ると、かなり細かい図柄である。調べてみると、三角縁神獣鏡を模したものだそうである。古墳の多い桜井市らしさが出ていて良いと思う。
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それにしても、古墳が多い。古墳だらけと言ってよい。畑の中にある小高い丘のようなものも、普通に古墳なのである。この辺りは、初期ヤマト王権に関する古墳が多いそうである。
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その先にも、よく見てもそれとは思えない姿の古墳があった。波多子塚古墳と呼ばれる前方後方墳である。後世の改変が大きいようだが、何とか姿を保っている。奈良盆地の古墳は、その多くが残っているが、関東平野の古墳は、大規模な開発によりその多くが姿を消してしまったので、ある意味素晴らしい光景である。
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さらに歩いて行くと、道端に石碑のようなものがあった。史跡説明版を読むと、舟渡地蔵とある。昔、池堀りの際に見つかった二体の地蔵が刻まれたものだそうである。寺に運ぼうとしたところ、村人たちの腰や膝が悪くなり、この場所から動かせなかったそうである。ここにそのまま祀ったところ、村人たちの痛みが治ったことから、腰痛にご利益があるそうだ。
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その先に、萱生環濠集落があった。風情のある街並みが残っている。
萱生環濠集落 名所・史跡
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集落のすぐ西側に、小高い場所がある。西山塚古墳である。古墳時代後期の築造と推定される前方後円墳である。継体天皇の皇后であった手白香皇女の陵ではないかと言う説もあるそうだが、宮内庁が別の場所を比定しているため、この古墳は半ば放置されている。
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菅生の集落は、落ち着いた風情がある。山辺道は、最古の官道として保存されているためか、どこも道幅が狭く、車にはほとんど出会わない。
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集落の先に、五社神社が鎮座している。由緒などは定かでない社で、明治の神社整理で一度は他の神社に合祀されていたそうだ。
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その五社神社の前から山辺道を外れ、継体天皇の皇后手白香皇女の衾田陵に立ち寄る。畑の中の未舗装の道を進むと、柿の畑が広がっていた。ちょうど葉が色付き、何とも言えず美しい。
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しばらく歩くと、突然、陵墓らしい拝所が現れた。ある意味、こんな場所に立派な拝所があるのは不思議である。ここは、手白香皇女の衾田陵とされているが、西殿塚古墳と呼ばれるこの古墳の築造年代とは大きくずれているため、実際には誰が被葬者かはわからない。しっかり調査してほしいものである。
衾田陵 名所・史跡
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山辺道へ戻り歩いて行くと、道は念佛寺と言う寺の墓地の中を通る。その墓地の中に小高い場所があったが、これも古墳の前方部分である。燈籠山古墳と呼ばれ、朱色に塗られた埴製枕が出土したことで知られている。墓地や果樹園となり、大きく改変されているが、それなりの規模の古墳である。しかし、正式な発掘調査がされていないため、詳細は分からない。
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そのすぐ南側には、中山大塚古墳がある。この古墳は、前方後円墳が築かれ始めた頃のものと考えられているそうだが、戦国時代に山城として利用され、後に大和神社のお旅所となったことなどにより、墳丘は、築造時の姿ではないそうである。
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ふと視線を感じたので振り返ると、猫がこちらを窺っている。
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近寄ると、三匹いる。旅先で猫に出会うのは吉兆。しばらく、猫たちと過ごすことにする。
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山辺道のすぐ脇なので、人に慣れているようだ。一匹は姿を隠してしまったが、他の二匹は逃げもせず、寛いでいる。
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猫たちのしぐさを観ているのは飽きない。
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楽しい時を過ごし、散策を再開する。道は、長閑な景色の中を進む。
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柿本人麻呂の万葉歌碑の向かいに、休憩所があったので、そこでお昼とした。伸びやかな景色を眺めながら、しばし寛ぐ。後から来た人たちは、先を急ぐように通り過ぎていく。こちらは、史跡や景色を愛でながら、のんびりと歩いている。
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休憩後、しばらく歩くと、長岳寺に出た。四季の美しさで知られる寺なので、立ち寄ることにする。中へ入ると、すぐ左手に、旧地蔵院がある。その庭は、小さいながらも手入れが行き届き、なかなか風情があった。
長岳寺 寺・神社・教会
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境内は、この季節紅葉で彩られる。
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本堂の前からの眺めが一番綺麗だと言うので観てみたが、少々くすんだ感じで、色合いはあまり綺麗ではなかった。
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境内の高台に、古墳の石棺を利用したという大石棺仏なるものがあった。長岳寺は車で訪れることが出来るので、境内は混み合っていたが、さすがにここまで来る人はほとんどいなかった。
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境内の奥に鐘楼があった。寸志で撞けると言うので、無病息災を祈願して撞かせていただいた。あまり慣れていないので、少々音が小さくなってしまった。だが、鐘の音と言うのは心地よい。
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本堂の前に広がる放生池越しに、本堂を眺める。こちら側からは、ちょうど陽が当たり、紅葉も鮮やかである。その本堂では、大地獄絵が公開されていた。なお本堂の左手に見えている鐘楼門は、平安時代創建当時の建物であり、重要文化財に指定されている。
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拝観後、門前にあった洋食屋の店先で休憩。喉が渇いたので、生麦酒にからあげを付けて小休止。
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再び歩き始めると、すぐに大きな古墳が見えて来た。行燈山古墳である。4世紀中葉の築造とされ、ヤマト王権初期の大王の墳墓とみなされているが、被葬者は特定されていない。宮内庁により、崇神天皇陵に比定されているが、崇神天皇の実在が確定していないので、行燈山古墳と呼ぶのが妥当だろう。
崇神天皇陵 名所・史跡
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行燈山古墳のすぐ東側に櫛山古墳がある。よくある池と森が織り成す風景のようだが、古墳と周豪なのである。
櫛山古墳 名所・史跡
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その先の小さな集落で、また猫に出会った。こちらは飼い猫らしく、首輪が付けられていた。
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その先に、また大きな古墳が見えて来た。渋谷向山古墳と呼ばれ、宮内庁により、景行天皇の山邊道上陵とされているが、実際の被葬者は分かっていない。
景行天皇陵 名所・史跡
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開けた場所に出た。遠くには、大和三山の耳成山と畝傍山が見えている。雲の隙間から陽が差し込み、その風景は、まさに『まほろば』である。
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そして、道は長閑な里山の景色の中に続いて行く。思い描いていた山辺道らしい風景が広がり、歩くのも楽しい。
山の辺の道 名所・史跡
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今は、田や畑が広がる里山の風情であるが、山辺道が造られた当時は、人も少なく、田や畑も無く、芒などが広がっていたのではないだろうか。
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さらに進むと、神籬遺跡と言う標識があった。道は逸れるが、20mほどなので立ち寄ってみる。そこは、蜜柑畑の中にあった。神籬(ひもろぎ)とは、古代の神祭りの施設で、神霊が降臨する依代のことだと考えられているそうだ。今は、小さな石碑のような石が立っているだけであった。
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再び道を逸れ、東の山裾に鎮座する穴師坐兵主神社へ向かう。その途中、景行天皇の纏向日代宮伝承地があった。景行天皇は実在したかどうか疑わしい天皇であるが、纏向遺跡の一部であり、初期ヤマト王権の発症の地ではないかと考えられているようだ。
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その伝承地のすぐ先に、相撲神社が鎮座している。日本最初の天覧相撲が行われた場所とされ、勝者である野見宿禰が祭神とされている。
相撲神社 寺・神社・教会
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さらに奥へ進むと、穴師坐兵主神社の拝殿が見えて来た。歴史のある社のようだが、詳しい由緒などはわからないようだ。御朱印をいただこうと社務所を探したが、廃墟となっていた。近くに神職の自宅があると書いてあったが、どこにあるか分からなかった。
穴師坐兵主神社 名所・史跡
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神社の近くで、たわわに実った蜜柑の木があった。
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穴師坐兵主神社を後にして、再び山辺道を歩いて行く。そして、30分ほどで檜原神社に着いた。この社は、大神神社の摂社だそうだ。天照大神が伊勢神宮に鎮座する前に祀られていた社で、元伊勢とも呼ばれている。拝殿や本殿は無く、特徴的な三ツ鳥居を通して参拝する形式である。かつて、神が山や岩に宿るとされていた頃の祭祀の姿を僅かに残している。
檜原神社 寺・神社・教会
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参拝客で賑わう境内を出ると、すぐに鄙びた道となる。歩いている人も結構いるのだが、やはり車で施設だけを巡る人の方が圧倒的に多いことが良く分かる。便利な社会ではあるが、やはり、その土地の歴史を踏まえ、その土地を線や面で感じることは大切だと思う。
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石畳の細い道を辿ると、玄賓庵と言う寺があった。奈良時代から平安時代に掛け、時の天皇の信任を得ていた玄賓と言う僧に所縁の寺だそうだ。三輪山の西麓にひっそりと佇み、なかなか風情のある寺であった。
玄賓庵 寺・神社・教会
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しばらく歩いて行くと、八大竜王 辯財天と言う標識があった。まだ時間があるので、立ち寄ってみる。岩坪下池の畔を回り込むと、岩坪上池との間に社があった。そこから上池を眺めると、奥に鳥居が見える。龗神神社の水上祠だそうだ。山辺道から外れているので、とても静かであった。
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そして、大神神社の北に佇む摂社の狭井神社に参拝する。この社は、三輪神の荒魂を祀っている。参拝客は多いが、どこか凛とした空気感がある。
狭井神社 寺・神社・教会
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拝殿の裏手に、薬井戸と呼ばれる御神水が湧いている。『狭井』とは、神聖な井戸と言う意味で、この井戸のことのようだ。
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狭井神社から大神神社へと向かう。その途中に、少彦名神を祀る磐座神社が鎮座していた。三輪山には、辺津磐座と呼ばれる磐座が点在し、これもその一つだそうだ。社殿は無く、その磐座そのものが信仰の対象となっている。整備はされているが、古の信仰の名残を感じる。
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そして、この日の旅の終着地である大神神社に着いた。大神神社と言う名は、明治になってからのもので、かつては大神大物主神社と呼ばれていたそうだ。三輪山を御神体とし、かつては、三ツ鳥居を通して参拝する形式であったが、今は拝殿が建てられている。
大神神社 寺・神社・教会
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境内に、御神木である『巳の神杉』が立っている。その幹に洞があり、白い蛇が出入りすることから、『巳の神杉』と呼ばれているそうだ。蛇は、祭神である大物主大神の化身とされている。
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ヤマト王権成立前、奈良盆地には、古代出雲族が暮らしていた。その出雲族が神として崇めていたのが、三輪山である。その三輪山に祀られているのが、出雲の神である大物主大神である。古代出雲族の連合体がヤマト王権となったのか、外部から侵入した征服者により樹立されたのがヤマト王権なのかは、未だにわかっていない。司馬遼太郎氏は、崇神朝による征服説を説いている。
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古代史に思いを馳せながら参拝を済ませた。もう少しゆっくりしていたかったのだが、すでに16時前でかなり陽が暮れて来たので、宿へ向かうことにする。参道を歩いて行くと、ちょうど桜井駅行のバスが来ていたので、飛び乗ってしまった。朝から6時間以上歩いていたので、三輪駅へ向かう元気が無かったのである。
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やや渋滞に巻き込まれたものの、乗り換えなしで桜井駅前に辿り着けた。宿は、すぐそばの『ホテルルートイン桜井駅前』である。土曜日と言うことで、宿泊料金は一万円近くしたが、部屋も広く、綺麗であった。
大和路散策の拠点として便利な立地 by 旅猫さんホテルルートイン桜井駅前 宿・ホテル
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17時になり、夕飯を求めて外に出る。ところが、駅前に食事が出来そうな場所がほとんどない。駅の反対側に出てみると、シャッター街の中に、一軒だけ開いている店があったので、迷わずそこに入る。『なかむら』と言う小料理屋であった。
お酒と料理が美味しい小料理屋 by 旅猫さん創作・小料理 なかむら グルメ・レストラン
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まずは、地元三輪の今西酒造が醸す『三諸杉 特別純米 辛口 切辛』をいただく。酒は、洒落た酒器に注がれた。
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お通しは、冷製茶碗蒸である。これが何とも言えず美味しかった。
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肴には、ちくわの磯部揚げを頼んだが、これが、これまで見たことも無い姿で出て来た。青のりもたっぷりと掛かり、美味しかった。
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続いて、奈良市の今西清兵衛商店が醸す『春鹿 純米超辛口 生原酒仕込第壱號』を注文。『春鹿』は何度も呑んでいるが、これは切れがあり、なかなか美味しかった。
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ハムカツが出て来た。これもまた、よくあるハムカツとは違い、個性的な姿であった。地元のハムを使っているそうである。
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さらに、塩鯖焼きが登場。つやつやぱりぱりの皮が美しく、久しぶりに、鯖らしい鯖に出会った感じである。大きさも脂の乗りも申し分なく、満足であった。しかも、骨抜きされていて、とても食べ易かった。
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三杯目には、昨夜も呑んだ『篠峯』をいただく。今夜は、『純米無濾過生原酒』である。原酒であるが、17度と呑みやすい。旨味も程よく、これは美味しかった。
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お酒も料理も美味しいので、追加する。まずは、たこ酢を注文。量は少なめだったが、酢味噌が掛けてあり、お酒にぴったりであった。
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お酒は、『三諸杉 純米 無濾過生原酒 初しぼり』とした。今年の新酒である。これも美味しいが、無濾過生原酒ばかりだと少々重い。
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最後に頼んだのは、せせりの塩焼きである。せせりは串焼きで食べることが多く、そのままの形で出て来たのは初めてであった。そして、これも塩加減がちょうどよく、肴にぴったりであった。この店は、最近旅で出会った店の中で、一番気に入った。新宿にあれば、週に二、三度は立ち寄ってしまいそうである。それにしても、今日は良く歩いた。
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この旅行記へのコメント (10)
-
- ポテのお散歩さん 2024/12/30 19:38:56
- 悠久の道
- 旅猫さん こんばんは。
石上神宮は行きたいと思っていますが神社の詳しい事は知らず
知っているのは 鶏が放し飼いされている神社というくらいです(^-^;
山の辺の道は古墳が多いのですね。
それも聖徳太子以前の時代の天皇のお名前が出て来てビックリです。
宇佐神宮に行った時に、あまりにも知識が無かったので
つい最近 たまたま見つけたイラスト付きの日本史のブログを見つけて
少しづつ読んでいます(^_^;)
それからデスクトップに神武天皇からの天皇系図を貼りました。
今日、旅猫さんの旅行記を拝見して、さっそく役に立ちました♪
三角縁神獣鏡は、『魏志』倭人伝に
卑弥呼は「親魏倭王」の称号とともに多数の銅鏡を賜ったとされて
その銅鏡が「三角縁神獣鏡」だという所を読んだばかりです。
イラストがお写真のマンホールと似ていました(^^)
西山塚古墳が継体天皇の皇后の御陵という所は、天皇系図で26代天皇というのも
わかりました。
歴史的に深い知識があれば、奈良の地を歩くと その時代に思いを馳せて
もっと楽しくなるでしょうね。
神話の世界に近い時代の事ですが、奈良の景色はそれほど変わっているとは
思えないので、日本人にとって大切な場所だと思います。
今年もあと一日を残すのみですね。
いつも旅行記を見て下さり、コメントを寄せて頂き ありがとうございます。
来年も宜しくお願いします。
良いお年をお迎えくださいね(*^-^*)
ポテ
- 旅猫さん からの返信 2024/12/30 21:44:15
- RE: 悠久の道
- ポテさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
石上神宮は、やはり鶏が有名なのですね。
ぱっと見ただけでも二十羽くらいいました。
種類もバラバラです。
山辺道は、古墳だらけでした。
日本で最も古い道のひとつなので、古代の息吹をそこかしこに感じます。
古代の天皇については、実在がかなり怪しいですが、宮内庁がめぼしい古墳を陵墓に比定しているので、考古学的な調査が出来ないのが玉に瑕です。
今のところ、実在が確定しているのは、26代継体天皇以降です。
なので、今回出会った天皇陵は、実際には誰が埋葬されているのかはわかりません。
それにしても、デスクトップに天皇の系図とはびっくりです。
卑弥呼については、さらに謎が多いですね。
今回は立ち寄りませんでしたけど、山辺道のすぐ近くに、纏向遺跡があります。
卑弥呼の宮殿跡ではないかと云われていますが、どうなのか。
西山塚古墳も、一応、継体天皇の皇后の御陵とされていますが、考古学調査では、別の古墳が本物だとされています。
古代史は、謎だらけですが、そこが面白いと言えますね。
その点、奈良は歴史好き、古代史好きには素晴らしい場所でしょう。
京都と違って、大都市ではないので、今でも古代の香りが漂っています。
今年も旅行記を読んでいただきありがとうございました。
来年もまたよろしくお願いいたします。
それでは、良いお年をお迎えください。
旅猫
-
- pedaruさん 2024/12/29 15:14:03
- 山の辺の道
- 旅猫さん こんにちは だいぶ押し迫ってまいりました。
山野辺の道を歩く と聞くと大和、里山などのイメージが浮かび、
同時に前日光さんも浮かんできました。
コメント欄にはすでに、前日光さんがいました。このところご無沙汰してましたので
気恥ずかしさもあり、まともに視線を合わせられません(笑)。ネットではどっち道無理ですが。
人けのないみち、場所によっては舗装もしてない土の道、舗装といっても、とうじの
敷石道だったりしてイメージどおりの道でした。ところどころに道祖神などの石仏があったり、由緒ありそうなお寺があったり、みかんが生っている木があったり、猫もいていい旅してるなぁ、と言う感想です。
いつものようにお酒も満足いくプログラム、あたかも昭和初期の作家が旅しているような雰囲気です。
良い年をお迎えください。
pedaru
- 旅猫さん からの返信 2024/12/29 16:41:40
- RE: 山の辺の道
- pedaruさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
古代と言えば、私も前日光さんが浮かんできます。
初めて山辺道を歩きましたが、結構風情があり、車とはほとんど無縁でした。
途中、集落がいくつも現れ、その間は自然豊かな道で、古墳が点在していました。
鉄道や幹線道路から離れているのに、結構人が住んでいるので、やはり古代から住みやすい場所だったことがわかりますね。
景色も、まさに『まほろば』と言った感じで良かったです。
桜井駅前で見つけた小料理屋は、なかなか良かったです。
お酒の種類は少ないものの、料理は美味しかったです。
近くにあったら通います(笑)
今年ももうすぐ終わりですね。
今年も旅行記を読んでいただきありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
旅猫
-
- 前日光さん 2024/12/29 11:09:34
- 山の辺の道!(^^)!
- こんにちは、旅猫さん
今年も残り少なくなりましたね!
いつもご訪問やコメント等いただきまして、ありがとうございます。
さて山の辺の道ですが、私は二度ほどこの道をあるいたことがあります。
最初は昭和55年のことで、まだ自転車で巡ることができました。
今は道が荒れていて自転車は無理かなぁと、二度目に歩いて思いました。
で、継体天皇については私も福井の「岡太神社」で「継体天皇潜龍の碑」という石碑を見て、彼は越前の人だったんだと再認識しました。
詳しく書きたいのですが、実はこれから娘たち一行が来るので、お正月が終わってからコメントしますね。
では、良いお年をお迎えください(^^)/~~~
前日光
- 旅猫さん からの返信 2024/12/29 16:35:48
- RE: 山の辺の道!(^^)!
- 前日光さん、こんにちは。
こちらこそ、今年も旅行記を読んでいただき、ありがとうございます。
前日光さんは、二度歩かれていましたか。
自転車で回れると言うのは、驚きです。
今は、歩行者しか通れない場所があるようですね。
まあ、MTBなら行けそうですが。
継体天皇については、まだわからないことが多く、越前出身という説が昔からありますね。
ぜひ、前日光さんの詳しい越前のお話を教えてください。
そうそう、少し前に西近江を旅した際、継体天皇に関する史跡がいくつかありました。
今は、近江高島出身という説が有力のようです。
胞衣塚や父親の陵墓が安曇川町にあるとされるからのようです。
もうすぐ今年も終わりですね。
良いお年をお迎えください。
旅猫
- 前日光さん からの返信 2025/01/06 23:53:24
- RE: RE: 山の辺の道!(^^)!
- 旅猫さん、こんばんは
今年もよろしくお願いいたします<m(__)m>
年末年始にかけて、娘及び孫姫たちと那須に行ったりして、
疲れてしまい、なかなか返信できませんでした。
さて山の辺の道ですが、私は昭和55年(1980年)の8月に、ここを自転車で走破しました。
まだ二十代の頃です。
そのころは自転車でも、なんとか走れたのです。
今思うと、よく走れたものだと思いますが。
二度目がそれから30年ぐらい経ってからですが、その時は道が荒れてしまって
自転車は無理でした。
「卑弥呼庵」という休憩処で、スイカをいただき美味しかったことは印象に強く残っています。
→ 継体天皇については、まだわからないことが多く、越前出身という説が昔からありますね。
> ぜひ、前日光さんの詳しい越前のお話を教えてください。
→私も司馬さんの「街道をゆく」を読んで継体天皇には興味がありました。
越前の「岡太神社」に行った時に、たまたま「継体天皇潜龍之碑」を見つけたのですが、
その辺については、昔の旅行記に載せてあります。
よろしかったら、ご覧ください。
↓
https://4travel.jp/travelogue/11045001
> そうそう、少し前に西近江を旅した際、継体天皇に関する史跡がいくつかありました。
> 今は、近江高島出身という説が有力のようです。
> 胞衣塚や父親の陵墓が安曇川町にあるとされるからのようです。
→西近江も興味深いところです。
私は「在原郷」も訪ねてみたいのですが。
旅猫さんの旅行記にありましたよね?
また新しい年が始まってしまいました。
今年は災害などのない穏やかな年になってほしいものです。
フェイクが流行っていて、何が真実なのか分からない時代になってしまいました。
いろいろ注意深く物事を見つめていかなかければと思っています。
でも気の持ちようで、人生はより良いものになっていくと、個人的には思いますが。
前日光
- 旅猫さん からの返信 2025/01/07 07:22:57
- RE: RE: RE: 山の辺の道!(^^)!
- 前日光さん、おはようございます。
こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。
こちらは、大晦日からインフルエンザに罹り、年越しそばも初詣も無い年末年始でした。
山辺道は、今でも自転車で旅をする人たちがいるようですね。
でも、道が細いし、歩いている人が多いので、なかなか難しいような気がします。
私が歩いた時は、自転車は一度も見かけませんでした。
『卑弥呼庵』は、今でもありますね。
庭まで入りましたが、中には入りませんでした。
岡太神社も訪れてみたいです。
あの誇張された継体天皇の像は、よく写真で見ています。
西近江は、昨年の三月に旅をしました。
在原業平が隠棲したという在原郷は、風情のある里山でした。
ただ、以前は茅葺の里として名が知れていましたが、今はほとんどありません。
今年は、穏やかな年であって欲しいものですね。
何事も、流れてくる情報だけにとらわれず、自分で見つめ、考えて行く姿勢が必要だと思います。
旅もまた、然り。
良い旅を続けていきたいものです。
旅猫
-
- ryujiさん 2024/12/28 12:16:22
- 山の辺の道・散策を楽しく拝見で~す♡
- こんにちは、旅猫さん。 ご無沙汰しておりました。お元気でお過ごしの事、もう今年も少なくなってしまいましたね。
タイトルの旅行記を見せて頂きました。 いい~ですね、山の辺の道は大好きな場所です。歴史好きの小生は4・5回程は行きました。 この地は日本の古墳時代の宝庫ですね、旅猫さんの旅行記に納得と新たな思い入れに浸った次第です。
甚だ僭越ながら、小生の薀蓄とやらを述べさせて下さいね。 崇神天皇陵・景行天皇陵も素敵でしたが、旅行記で述べられた手白香皇女(継体天皇の皇后・仁賢天皇の娘・欽明天皇の母)について述べさせて下さい。
天皇系図において、万世一系と言われています。 小生はこの時点で父系での系図が途絶えてしまった?。 武烈天皇死後、継体天皇が皇位を継いだのはご承知の通りです。(簒奪?・大伴金村による擁立?)彼は応神天皇の6世の孫と言われておりますが、これは甚だ疑わしい限りです。 小生は、天皇系図の始まりは(はっきり言える)継体天皇からだと思っています。 よって皇后である手白香皇女の位置付けは、とても重要と考えております。この2人から誕生した欽明天皇こそが、日本の歴史誕生と言えるではないでしょうか。
好き勝手を申し上げました、お許しください。 これも旅猫さんの旅行記が素敵だったからこそ。 そんなことで改めてご容赦を。
ryuji
- 旅猫さん からの返信 2024/12/29 09:32:29
- RE: 山の辺の道・散策を楽しく拝見で~す?
- ryujiさん、こんにちは。
こちらこそ、ご無沙汰しております。
ryujiさんも、山辺道がお好きなのですね。
私は初めて歩きましたが、一度で気に入りました。
確かに、古墳だらけですね。
道も車がほとんど通らないので、歩きやすかったです。
古代に思いを馳せながらの散策は楽しかった。
個人的には、私もryujiさんと同様に、継体天皇が現在の天皇家の始まりだと思っています。
それ以前は、存在しなかったか、繋がりが無いと思っています。
継体天皇に関する史跡が、西近江に多いことにも興味があります。
すべての古墳を発掘し、古代史の解明を進めてほしいものです。
旅猫
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