2025/11/30 - 2025/11/30
796位(同エリア1082件中)
ともっそさん
「後でする~」「今、しなさい」という幼い頃の親とのやりとりを思い出しました。
訪れた後すぐに旅行記をあげなかったため、記憶の退化と共に、その写真がいったいどの古墳だったのか・・・それはもう記憶のかなた。
それもまたロマンということで。
本日の古墳は、纒向遺跡。
邪馬台国東遺跡説の最有力地とされている地なのです。
これは行かねばなるまいて。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
大神神社と反対側にある、桜井市立埋蔵文化財センターへ。
入館料200円。こぢんまりしていますが、見どころたっぷり。
この小さな顔の土偶がコロンとしていて可愛い。 -
剥抜式木棺墓(はくばつしきもっかんぼ)。
古墳時代の埋葬方法の一つで、木棺を地面に直接埋めるのではなく、地面を掘って棺を置き、周囲の土を剥ぎ取って埋め戻す、というもの。
奈良県桜井市周辺の箸墓古墳やホケノ山古墳などで多く確認されているそうです。 -
仮面ではないか、と言われているもの。
もしそうだったなら、儀式などに使われたのでしょうか。
しかし、平坦すぎて、顔につけたら痛かろう。 -
纏向遺跡出土の犬の骨。
骨の特徴から、体高約48センチ、体長約58センチ、1歳半以上の若いメスと考えられているそうです。
橿原考古学研究所附属博物館にあった犬の骨は、一度解体されて埋めなおされたものでしたが、それとは異なるようです。 -
木製仮面。
この手の仮面を見ると、アチョー、という言葉が浮かぶ。 -
弥生~古墳時代に伝わった桃は、中国から渡来した品種で、果肉は硬く酸味が強い。現代の白桃のような甘みとジューシーさはなかったそうです。
そのため、主に儀礼や薬用として使われ、食用としてはあまり一般的ではなかった可能性が高いのだそうです。
イザナミ、イザナギの話では、魔よけの象徴として描かれていました。酸っぱさ(=刺激)がそこにも関係していたのでしょうか。 -
円筒埴輪。
埴輪ってつい、人形や動物、器財と思いがちだけれど、実は埴輪の基本は円筒らしい。 -
小さな突起や小玉(子)が1つまたは複数くっついているから、子持。
意味や用途は、確実な裏付けを持つ学説はないのだとか。
ナマコのような形ですね。 -
このサイズでこの丸みを作り出す技術がすごい。
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どの装飾品も美しい。
特に下段中央寄りの黄色い石のものが、鮮やか。 -
馬埴輪の首。
その後ろの鶏?も可愛い。 -
茅原大墓古墳の盾持人埴輪。
平成22年に出土したもので、顔には赤い顔料が塗られていました。
頭にかぶっているのは、冑だろう、とのこと。
だめだ、笑ってるように見えてしまう。 -
埴輪。かなり寸胴系。
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コロンとして、お人形遊びの靴のよう。
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粘土を型に押し込んで「タイル状」「板状」に焼いた仏像。
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螺髪。
壊れて土中に埋もれて出土したものでしょうか。それとも、もともと螺髪はこうやって1つ1つ作られていて、それが出土した? -
文化財センターを後にします。
大神神社の大鳥居が見えます。
この鳥居は昭和59年、昭和天皇ご親拝記念&御在位60年を奉祝して建立されました。
高さ32.2メートル、柱間23メートルの大鳥居。
耐久年数はなんと、1,300年らしい! -
みむろ最中。
お昼には早く、でも朝食を抜いているので休憩。
梅昆布茶もついてくる。 -
近くから見ると、偉容!
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三輪だけに、露店にもおそうめんが見られます。
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日本最古の神社、大神神社。
古事記によると、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだそうです。 -
拝殿。
国重要文化財。
1664年、徳川家綱公により再建されました。
大神神社のご神体は三輪山なので、本殿がありません。
その山へ登拝する方が、とてもたくさんいらっしゃいました。
もともと禁足地という神聖な場所。
そのため、私語は控え、写真撮影禁止、飲食も禁止です。 -
狭井神社への参道で薬業関係者奉納の薬木・薬草が植えられています。
狭井神社は三輪の神様の荒魂をまつる神社で、力強いご神威から病気平癒の神様として信仰が篤いのです。
ご参拝の際は、鎮魂詞を3度唱えます。
「狭井大神(さゐのおほかみ) 荒魂(あらみたま)守給(まもりたま)へ 導給(みちびきたま)へ」 -
この鳩は、飾り瓦。
布袋さんはよく見かけますが、鳩は初めて! -
おそらく、狸。
動物園以外で初めて見ました。
シュッとした輪郭の顔なんですねぇ。 -
遠くに、大神神社の鳥居。
なかなか、遠くまで歩いてきました。 -
単線だと、のどかに見えてしまう。
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ちょっとジブリの世界。
渡らないでください、との看板がありましたが、柵はない。 -
トンボが止まりました。
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線路に対して垂直に、生垣が続きます。
とても静かです。 -
サネカズラ(多分だけど)の小さな赤い実。
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ここまでくると、水がとてもきれい。
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見えてきました。
本日最初の古墳。
遠目にもわかりやすいので、道に不案内でも絶大な安心感。
とはいえ、こういう場所では遠近感が狂いやすく、見えているのに全然近づかない、という接近錯視がおこります。なかなかたどり着けなくて、半ばやけくそに、蜃気楼か!と思いました。 -
箸墓古墳。
宮内省は、倭迹迹日百襲姫命(孝霊天皇皇女)として定めました。
日本書紀によると、倭迹迹日百襲姫命が夫・大物主神の正体が蛇であることを知って驚き、箸を陰部に刺して自害したことから「箸墓」と呼ばれるようになった・・・・・・・そうです。 -
拝所へは、この細い道を通っていきます。
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前方後円墳の、このカーブが好きなのです。
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前方後円墳です。
全長280メートルで、全国第11位の規模。
日本最古級の巨大前方後円墳で、後の古墳文化のモデルになりました。
古墳時代の始まりを示す画期的な遺構で、ヤマト王権成立の証拠とされています。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓と規模が近く、卑弥呼の墓説が有力視されています。
倭迹迹日百襲姫命=卑弥呼という説はありますが、確定ではなく。
おお、ロマン。 -
古墳に青空が、なんと似合うことでしょう。
古墳を眺めながら食事をしていらしゃるグループに遭遇。気持ちいいですよね、こんな日に外で食べるのは。 -
こうやって離れて横から見ると、前方後円墳っぽさがわかりますね。
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道路を挟んだ向かいにある三輪山本でにゅうめんを食べようと思ったけど、非常な混雑で諦めました。
ところで、こちらに「白龍」という名のおそうめんが販売されているのですが、これがまあ、美味しいのなんのって。まず、茹でた後に流水でギューギュー洗っても切れない!つまり、コシがすごい。そして、少し時間がたっても、麺と麺がくっつかない。
来客時にお出しするのに最適ですが、私は自分が食べたい。 -
どうして水の音は、こうも耳に心地よいのでしょうか。
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ホケノ山古墳。
道を歩いていたら、突然現れました。
被葬者は不明。 -
ホケノ山古墳にのぼってみました。
桜井市観光協会公式サイトに書かれていた「墳丘の上には自由に登れますので卑弥呼の里の素晴らしい景観をお楽しみください」の記述通り、確かに反対側の景色はずっと遠くまで見渡すことのできる素晴らしい景観でした。 -
見晴らしがいい。(この写真は、今ひとつ)
でも、マムシに注意、との看板を発見。
どう注意したらいいのかわからないので、すぐに撤退。 -
茅原大墓古墳。
帆立貝式前方後円墳。三段になっているのは、4世紀末(古墳時代中期初頭)の首長クラスの古墳で多く見られる、権威を象徴する形式です。
桜井市立埋蔵文化財センターで見た盾持人埴輪は、この古墳から出土しました。 -
この角度だと、三段になっているのがよくわかります。
学術的根拠はありませんが、倭佐保姫(垂仁天皇の后)のお墓であるという地元伝承があるそうです。
日本書紀では兄の反乱に巻き込まれて悲劇的な最期を迎えたとされています。 -
恐らく。ツヅロ塚古墳。
現在は周囲に石垣で囲まれ、果樹園として利用されています。
古墳時代後期のものではとされていますが、不明。 -
正面から見ると、わさっ、もしゃっ、という感じ。
気づかずに通り過ぎてしまいそうな外観です。
発掘調査は行われていないため、もしかしたら、今もまだ被葬者が眠っているかもしれませんね。 -
ゴツッとした実の表面。柚子でしょうか。
茶色と緑が混ざる晩秋の景色の中に、ぽつぽつと灯る控えめな差し色。 -
人も車も通りません。
お天気もよく、古墳日和といえましょう。 -
たしか、茶ノ木塚古墳だったような。
畑の中に、こんもりと現れる。 -
2017~2018年にかけて、桜井市教育委員会による発掘で重要な発見が。
コブシ大の石が少量出土 し、上段のみに葺石があった可能性。
埴輪や木製品が多数発見されました。
被葬者は不明。 -
おそらく、北口塚古墳。
未調査の古墳。
でも纒向地域は、3世紀~4世紀にかけて大規模な集落と古墳群が成立した場所で、盛り土のようなものが人工的、など諸々の情報の結果、古墳、と判断されたりするそうです。 -
纒向石塚古墳。
遠景すぎた・・・。
纒向遺跡は、邪馬台国東遺跡説の最有力地!
墳丘の上部が戦時中に削られていますが、もともとは前方後円墳なのです。ただ、前方後円墳が誕生したばかりの“最古級”タイプのため、形がまだ洗練されていません。 -
勝山古墳。
纒向石塚古墳から歩いて行くと、まずこう見えます。 -
でも、正面に来ると、こんな感じ。
纒向勝山古墳の周辺は「水田+ため池+低湿地」が組み合わさったエリアで、
冬~初春にかけて水がかなり減る、または完全に干上がることも珍しくないのだとか。
初期ヤマト政権中枢”を構成する重要古墳のひとつで、こちらも前方後円墳。
前方後円墳が成立して間もない頃の王墓、だそうです。 -
日本全国に古墳は約19万基。
文化庁まとめの古墳数ランキング一位は、兵庫県の18,707基。
奈良はなんと、八位。
中央集権国家が成立していなかったから、地方豪族の勢力が大きかった・・・ということかな。 -
八塚古墳。
これはもう、もじゃもじゃ、って感じですが、これだって古墳。
纒向~箸中~巻野内エリアは、日本でもトップレベルに古墳が密集している地域なのです。よって、調査が済んでいなくても古墳として扱われることもあるそうで。
なるほど、だからこの・・・なんていうか、ボーボーなのね。
国指定史跡は文化財保護法により 「保存」が最優先。調査すると元の姿には戻せないので、”決定的な理由”がないと調査はされないのだそうです。
土を掘ったりしなくても細部まで見通せる技術が、私が存在しない未来のいつかに生まれるのでしょう。いいなぁ。 -
纏向駅。
纒向遺跡や古墳群の玄関口・・・つまり、邪馬台国かもしれない地の最寄り駅ってことでは!?
次はどこの古墳を訪ねよう。
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