2025/02/10 - 2025/02/10
16位(同エリア2027件中)
旅猫さん
二月の飛び石連休は、体調が芳しくなく、旅は中止となった。とは言え、休暇は取れていたし、天気も良かったので、平日の10日だけ、出掛けることにした。向かったのは、都内唯一の日本遺産登録の地である桑都八王子である。そこは、かつて司馬遼太郎氏も『街道をゆく』で訪れた場所。今回は、氏が思いを馳せた千人同心の残り香を探す旅とした。
(2025.02.11 投稿)
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JR特急 JRローカル 徒歩
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急な思い付きで出掛けたので、地図を忘れてしまった。しかも、少々遅くなってしまったので、八王子駅へは特急で向かうことにし、新宿駅を10時に出る『あずさ13号』に乗車した。
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30分余りで八王子駅に到着。まずは、南口にある『桑都日本遺産センター 八王子博物館』に立ち寄り、情報収集を行う。千人同心や史跡に関する資料があるか尋ねたところ、奥から、通常は配布していない教育委員会作成の冊子を十種類ほど提供してくれた。色々尋ねたので、相当の歴史好きと思われたようだ。
桑都の日本遺産についてはここで by 旅猫さん桑都日本遺産センター 八王子博物館 美術館・博物館
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館内には、八王子の歴史が簡単に紹介されていたが、展示自体は大したことは無かった。その中で、滝山城跡と八王子城跡の立体模型がなかなか興味深かった。
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地図を忘れてしまったので、いただいた資料を参考に散策する。とりあえず、北口に出ると、『八王子桑都千景』の下げ幕がずらりと並んでいる。この二月から来月末までの間、八王子市では、甲州街道を中心に江戸情緒溢れる景観を創出する事業を展開するそうである。令和2年に、都内で唯一日本遺産に登録されたため、今、非常に鼻息が荒いようだ。
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最初に目に付いたのは、真新しい石碑である。『お帰りなさい Dr.肥沼』と刻まれている。碑文を読むと、第二次世界大戦後、ドイツにおいてチフスなどの伝染病対策に当たった八王子市中町出身の医師肥沼信次の活躍を伝えるものであった。自身もチフスに罹患し、現地で亡くなったそうだ。
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肥沼信次が生まれた中町は、多摩地域唯一の花街である。一度は失われそうになったものの、少し盛り返し、現在でも20人ほどの芸妓がいるそうである。それでも、最盛期の一割ほどだそうだ。見番からは、三味や太鼓の音が聴こえていた。江戸時代から織物の街として栄えた八王子の歴史の一旦を、今に伝えている。
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すぐ近くには、『桑都テラス』と言う施設もあった。令和4年に出来た新しい施設で、演芸場や飲食店などの店舗が入った複合施設だそうだ。この日は、残念ながら定休日であった。外観は、黒塀が印象的な花街に合わせているようだ。
日本遺産散策の休憩場所 by 旅猫さん桑都テラス 名所・史跡
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前を通る道で、ご当地マンホールを見つけた。図柄は、都の無形文化財に指定されている『八王子車人形』である。
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中町を歩いていると、石柱が立っていた。この辺りが、八王子花街の中心であったのだろう。
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路地を入れば、黒塀が多く残っている。中町界隈には、柳も多く、かつての花街の風情を僅かに感じることが出来る。
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その一角で、醸造所を見つけた。『東京八王子醸造所』とあり、何と酒蔵であった。調べてみると、令和になってから誕生した、都内十番目の酒蔵だそうだ。料亭の建物を間借りしている小さな醸造所である。定休日だったが、営業しそうな雰囲気であった。しかし、次回訪れることにする。
令和生まれの醸造所です。 by 旅猫さん東京八王子酒造 専門店
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少し歩くと、『蔵人舞姫』と言う店があった。かの『信州舞姫』を醸す酒蔵の直営店である。17時からの営業なので、ここも前を通るだけとした。今日、お酒はお預けである。
蔵人舞姫 グルメ・レストラン
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一旦、中央線の線路を渡り、南側へ移動する。立ち寄ったのは、本立寺。この寺には、八王子千人同心を率いた千人頭の一家であった原家の菩提寺である。千人頭は十家あり、それぞれ同心百人を統率していたそうだ。千人頭には、武田氏の遺臣が任じられ、原家もまた、武田の遺臣である。その墓所は、綺麗に整備されていた。
本立寺 寺・神社・教会
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すぐ隣の法連寺にも、千人同心所縁の人物が眠っていた。組頭であった並木以寧である。医業を行う側ら、寺小屋も経営し、書道の弟子は五百人以上もいたそうだ。弟子たちにより建立された墓は、牛が横たわる特徴的なものであった。
法蓮寺 寺・神社・教会
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続いて、観音寺を拝観。この寺の山門は、千人頭中村家の屋敷門を移築したと云われているそうだ。墓地には、千人同心秋山家の墓もあった。秋山家は蘭方医でもあり、その石碑も建てられていた。
観音寺 寺・神社・教会
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そこからしばらく北西へ歩くと、念仏院と言う寺がある。その境内に、八日市宿の名主や千人同心らの寄付により造られた時の鐘があった。鐘楼自体は八王子の空襲で焼けてしまったとあるが、鐘が当時のものなのかは分からない。
時の鐘 名所・史跡
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南大通りを信松院の方へ歩いて行くと、途中に白い建物が見えて来た。旧八王子郷土博物館であった。令和3年に閉館してしまったが、新たに『歴史・郷土ミュージアム』が、八王子医療刑務所跡に出来るそうだ。
八王子市郷土資料館 美術館・博物館
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信松院に着いた。この寺は、武田信玄の娘松姫の菩提寺である。武田氏滅亡の際、八王子に逃れ、この地で没したそうである。
信松院 寺・神社・教会
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境内奥の墓地に、松姫の墓もあった。八王子千人同心には、武田氏遺臣が多かったため、松姫は彼らの心の支えとなっていたそうだ。
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参拝後、境内にあった『金照庵』と言う喫茶があったので、そこで昼食とした。店内に入ると、なかなか落ち着いた感じである。食事はカレーしかないようだったので、ビーフカレーを注文。ところが、肉は少なめで、ほとんど野菜であった。
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再び中央線を渡り、北側を歩く。線路からすぐの場所にあった産千代稲荷神社は、かつて、大久保長安の屋敷内にあったものだそうだ。長安も武田氏旧臣で、江戸幕府では、八王子周辺の代官頭を務めていた。八王子宿の整備や浅川の治水などに尽力し、八王子発展の基礎を築いたと言える。境内には、陣屋跡の碑や井戸が残されていた。
産千代稲荷神社 寺・神社・教会
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そこから甲州街道を目指して北へと向かう。途中、ビルや新しい建物が建ち並ぶ中に、時が止まったような民家があった。庭には柑橘の実がなり、そこだけが潤いに包まれているようであった。
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そのすぐ先には、銭湯もあった。八王子の中心部にも、まだ銭湯が残っているとは思わなかった。14時から営業するようで、すでに地元の方が三人待っていた。
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甲州街道に出ると、斜向かいに蔵造りの商家があった。明治時代に建てられたもので、加島屋と言う現役の荒物屋である。
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少し東へ歩くと、八王子繊維貿易館と言う建物がある。四百年以上の歴史があると云う八王子の織物の拠点である。館内には、多摩織工芸館や織物製品を販売する『べネック』などが入っていた。
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折り返し、甲州街道を西へと歩いて行く。すると、小澤酒造場と言う看板が目に留まった。気になったので入ってみると、かつてこの場所にああった酒蔵の販売所であった。市街地化により良質な水の確保が出来ず、現在は、本家である『澤乃井』を醸す小澤酒造で醸しているそうだ。せっかくなので、三本購入すると、ちょっとしたお土産をいただいた。
八王子の酒蔵の伝統を伝えています。 by 旅猫さん小澤酒造場 専門店
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甲州街道沿いには、古くからある商店がまだ残っている。とは言え、周囲の建物は取り壊され、宿場らしい間口が狭く、奥の長い造りがむき出しになっている。ビルに囲まれ、風前の灯火と言った感じである。
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看板建築の店の奥には、住居である木造家屋が残っている。なかなか立派な造りであるが、再開発が進み、いつ取り壊されてもおかしくない。ビルばかりになり、冷たい街ばかりになって行く。空は狭くなり、息苦しい世の中が広がる。
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その先にも、ビルに挟まれた風情のある店があった。こんにゃくの製造卸を営む『中村屋』である。持ち帰り用のあんみつやところてんも購入できるそうだ。
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その先は、かつてアーケード街だったようだ。以前からある店の前には残っているが、建て替えが進み、所々に残るのみである。その中に、『富士屋』と言う食事処があり、お昼はここで食べればよかったと後悔した。
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さらに歩くと、甲州街道と陣馬街道の追分に出た。そこから西八王子駅の方へ少し歩くと、興岳寺と言う寺がある。そこは、千人頭石坂家の墓があり、その中に、幕末の千人頭石坂弥次右衛門の墓もあった。彼は、日光勤番の急死により、急遽日光へ向かったが、戦わずに新政府軍に日光を明け渡したことから、その責任を問われ、自刃している。今は、東照宮などを戦火から救った人物として称えられている。墓前には、日光市から贈られた香台が置かれていた。
興岳寺 寺・神社・教会
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甲州街道を渡り、追分へと戻る。その道端には、大きな道標が立っていた。『左 甲州道中高尾山道 右 あんげ道』と刻まれている。『あんげ道』とは、陣馬街道の名である『案下道』のことである。道標は、空襲で四つに折れ、一部は行方不明となってしまったそうだ。現在のものは、残っていた二段目と四段目を利用し、復元したものだそうだ。
追分道標 名所・史跡
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現在の追分は、交通量がとても多く、歩道橋のみで歩行者に優しくない。高齢者や体の不自由な人への配慮の無い、車優先社会の典型的な姿となっている。渋滞対策と言うが、都市の中心部への車の進入を制限し、人に優しい街を造るのが本来の姿だと思う。
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追分から陣馬街道沿いに少し歩くと、大きな石碑が見えてくる。『八王子千人同心屋敷跡記念碑』である。千人同心は、八王子宿の西側に屋敷を構え、現在の千人町の名はこれに由来する。
八王子千人同心屋敷跡記念碑 名所・史跡
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その千人町の一角に、宗格院と言う寺がある。山門の脇に、巨大な石碑が立っていた。千人同心の事蹟を刻んだ碑で、昭和16年に造られたものである。境内には、大久保石見守長安が、浅川の氾濫を防ぐために築いた『石見土手』の石垣の一部が残っているそうだが、場所が分からなかった。また、千人同心組頭松本斗機蔵の墓などもあった。
宗格院 寺・神社・教会
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宗格院の前を走る道沿いは、馬場横丁と呼ばれ、八王子千人同心が鍛錬を行った馬場へと続く道だったそうだ。その道を歩いてくと、西八王子駅に出た。時間的にちょうど良いので、今回はこれでお仕舞いとした。地図を忘れたり、休みの場所があったりしたので、少々心残りとなったので、近いうちに、また訪れてみたい。
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この旅行記へのコメント (4)
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- jijidarumaさん 2025/02/15 01:33:22
- 千人同心の絵
- 旅猫さん、
今晩は。珍しく三多摩の八王子の記述なので、面白く拝見しました。
高校の大先輩である「医師肥沼信次氏」が献身された事は、かつて4Traに投稿したこともあります。
昭和30年代半ば、高校時代の同期生には八王子出身者は多かったですね。今も同期会の幹事を彼等が仕切っていることが多い。当時の町の力を感じます。
私にとって父方のご先祖様は武田家の滅亡で、西多摩郡日の出町に土着したそうで、森田将監という方が一族のお寺を建立し、今もその寺は残っています。
その流れの第14代に幕末期に狩野派画家として門弟数百人を擁したという森田五水(ごすい)がおり、私が70代の頃、その事績を調べたことがありました。
森田五水筆塚碑などわざわざ見に行き、日の出町史・文化財編、八王子市文化財の冊子を参考に纏めたことがありました。
興味深かったのは、あきるの市指定有形文化財(建造物)の大悲願寺楼門(仁王門)の五水作の天井画(天女)を見学したり、八王子市文化財の冊子を求め、五水作の*天然理心流師範増田蔵六肖像画、千人同心組頭三木家十一代愛之助栄攄肖像画(九代幸光、妻津弥、十代茂尭、妻屋與、十一代栄攄の三代5名)の作品を見たものです。
*天然理心流は新選組の近藤勇がよく知られています。
増田蔵六は戸吹村 (現・八王子市戸吹町)の千人同心坂本家に生まれ、千人町の組頭増田家の養子となった。天然理心流二代目近藤三助方昌に入門し、三助の亡き後、初代近藤内蔵之助の高弟小幡万兵衛から三術(剣術、柔術、棒術)の指南免許を受け、多くの門弟を指南した。天然理心流の実質的な継承者である。八王子千人同心窪田組の組頭でもあった。
それではまた。
jijidaruma
- 旅猫さん からの返信 2025/02/15 14:23:15
- RE: 千人同心の絵
- jijidarumaさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
jijidarumaさんの御先祖様は、武田の旧臣でしたか。
千人同心とはならず、土着されたようですね。
郷土の歴史を調べたりするのは、面白いですよね。
とは言え、私は時間が無いので、表面をなぞるだけですが。
あきるの市の大悲願寺楼門の天井画ですか。
どんな土地でも、歴史的なものはどこかに残っているものですね。
増田蔵六は、天然理心流の師範だったのですね。
お墓があるので立ち寄ろうと思っていたのですが、地図を忘れたため、通り過ぎてしまいました。。。
旅猫
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- ポテのお散歩さん 2025/02/12 22:22:26
- 八王子宿
- 旅猫さん こんばんは。
八王子は甲州街道の宿場町だったのですね。
花街があるのは、相当栄えた大きな宿場町だったのかなと感じます。
昭和の頃だったら、もう少し古い町並みが残っていたかも知れませんね。
同心達は、日光東照宮を守るのも大切な役目だったようですが
八王子から日光は遠いですね。
江戸から日光に直接向かった方が近いかも。
大変な役割を背負っていた方々だったのですね。
私が知らなかっただけかも知れませんが、もう少し歴史に名を刻んでも
良い働きだったのではと思いました(*^-^*)
ポテ
- 旅猫さん からの返信 2025/02/13 07:35:36
- RE: 八王子宿
- ポテさん、おはようございます。
いつもありがとうございます。
八王子宿は、日本橋から六番目の宿場でした。
その規模は大きく、八王子十五宿と呼ばれるほど東西に長い宿場町でした。
江戸の頃から、養蚕業と織物業が盛んで、とても栄えていたそうです。
そのため、200人もの芸妓を抱える花街も出来ていました。
戦後まで、八王子宿として繁盛していたようです。
高度経済背長期後は、市街地化が進み、現在、都内最大の市になっています。
おかげで、古い町並みはほとんど残っていません。
平成の頃は、多くの大学が移転しあっため、学生の街として賑わいました。
八王子千人同心は、そもそもは戦の際の戦力として配置されていましたが、平和な世の中となったため、日光勤番(火の番)が主要な務めとなったそうです。
交代制で、当時は徒歩しかないので、大変だったようです。
最後の日光勤番は、前任の急死で急遽日光へ向かった千人頭石坂弥次右衛門です。
運悪く、西軍が日光に迫っていた時です。
彼は、日光東照宮をはじめとする寺社が戦火に巻き込まれるのを惜しみ、無血で日光を明け渡しましたが、避難され自刃しています。
後世、日光を戦火から守った人物として、称えられています。
彼のおかげで、世界遺産日光を私たちは観ることが出来るわけですね。
地元八王子では、彼らの顕彰碑や事績碑が建てられていますが、ほとんどの人は彼らの活躍を知らないでしょう。
旅猫
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