2024/06/24 - 2024/06/25
59位(同エリア277件中)
さっくんさん
最終日はカザフスタンのアルマトイを観光しました。何とか十日間で中央アジア5か国を走り抜ける事が出来ました。アルマトイ・セントラル・モスクから始まって街の中心を歩きました。昼食でラグマンを食べた後は、メデオ・スケートリンクを訪れ、ロープウエイに乗り、最後にカザフスタン国立中央博物館を訪れました。
- 旅行の満足度
- 5.0
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この旅最後の朝食です。なんとカプチーノがありました。中央アジアはチャイの文化。東西文化の交わる地、らしくコク・チャイ(緑茶)とカラ・チャイを選ぶ事が出来ます。それに比べ珈琲は貧弱です。アメリカンが飲めれば良い方、ホテルの朝食会場に珈琲が無かったり、別料金だったりさえします。
テュルク系な人達だからせめてトルコ珈琲があればとも思いましたが、本家トルコでもチャイが主流で、トルコ珈琲を良く飲む地域は、本家トルコより、ヴァルカン半島のイスラーム諸国の方が高かった気がします。 -
アルマトイのセントラル・モスクを訪れました。中央アジアの伝統様式で建てられた訳では無い、新しいモスクですが、正面に構えるとアイヴァンによりドームが隠れてしまうのは、ちゃっかり伝統様式を取り入れている様です。
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以前メインドームは花飾りの付いたセラミックタイルで装飾されていたものを、現在の金メッキに変更されたと言います。私的にはセラミックタイルの方が好みでした。
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門が開いていたので、こっそり内部を覗かせて頂きました。
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斜めに引いて、ドームを含む、全体像を撮影しました。
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続いてパンフィロフ公園にやってきました。アルマトイの中心にあるアルマトイを象徴する公園です。キルギスにもあった様に、名前の通り、ソ連ゆかりの公園です。中央アジアは結局はこうなってしまうのです。
それは此処に暮らす人々が遊牧民だった故、都市遺産を多く残さなかったと言う事が理由にあると思います。アルマトイの歴史を紐解いても、古くから存在はするものの、大きな王朝の重要な都市となるケースは少なかった様です。
これに比べ、アレキサンダー大王の歴史があった、タジキスタンのホジャンドや、様々な王朝の首都が置かれたウズベキスタンの諸都市は、独自の歴史遺産を多く保持し、ソ連ゆかりの銅像や史跡が残されていたとしても、観光客は最早誰も振り向きもせず、素通りしてしまいます。
しかしそうした資産に乏しい街になると、こうしたソ連の残骸にスポットライトを当てざる得ないのでしょう。 -
但し、カザフスタンは、そんな立ち位置を変えようとしています。1997年、ソ連が整備し、ソ連色が強く、ロシア人も多く暮らす此処アルマトイから首都機能をヌルスルタンへ移しました。勿論公言はしていませんが、アルマトイがキルギスや中国に近かった事や、先に述べた様にロシアの影響が強い街だった事を嫌ったからだと言う説が濃厚です。因みに新首都ヌルスルタン(旧アスタナ)の都市設計は日本の黒川紀章氏が行いました。
24年4月、ロシアの下院議員がカザフスタンはウクライナの次の犠牲者となる。(つまりロシアはウクライナの次にカザフスタンへ侵攻する。)と公言しました。この時代に戦争を起こす事を公言するとは、本当常軌を逸した国です。戦争を起こすと公言する様な国は一日も早く、世界地図から消えて欲しいです。(決してロシアばかりでは無く)
こんな言葉を公言されては、カザフスタンもロシア離れどころの問題ではありませんね。私はカザフスタンを支持します。 -
ソ連の戦争に駆り出され、亡くなった犠牲者の慰霊碑です。道の両脇にいっぱいあります。どんな国でも戦死した兵士を英雄と呼びます。そりゃそうです。権力者にとって見れば、自分の欲望の為の将棋の駒となって戦って死んでくれた訳ですから。私は国の為に死ぬ気なんてサラサラ無いし、どんな大義名分囁かれても、戦死なんて犬死としか思えません。
私にとっては戦争もテロも全く同じ事。政治家が行うテロが戦争だと定義しています。絶対関わりたく無い事。日本がそんな事侵す、若しくは巻き込まれる事になったらいち早く日本を離脱します。私は今度のウクライナ紛争で、最大の勝利者は、ロシアであれウクライナであれ、さっさと国を見限って他国に移動した人だと思っています。人間は国の駒では決してありません。
ロシアが悪いのは勿論の事ですが、国から逃亡しようとする人を逮捕する様な人権侵害を行うウクライナ政府も私は否定します。 -
この先の建物は教えて貰う前に私が答えました。
「あれって旧共産党本部ですよね(笑)」
ビンゴです。一目見れば解りますね。ええ、解りやすい。今では政府機関が再利用しているみたいですが、縁起が悪そうです。まぁ頑丈さだけはお墨付きだと思いますが、ちゃんと大島てるはチェックしましたか?いわく付き物件では無いですか? -
28人の戦士の像だそうです。ナチスの進撃を28人の戦士達が命をかけて守ったのだそうです。勿論犠牲になった人々には哀悼の意を送りたいですが…。
イギリスのウォータールーには、ワーテルローの戦いでナポレオンを撃退した戦勝記念碑があり、フランスでは凱旋門が聳え立ち…本当に人間って戦争が好きなんだなぁと、本当に嫌な気持ちになります。
そろそろ、戦いを、戦死する事を、英雄視する事をやめませんか?「永遠のゼロ」が大ヒットする中で、本当の神風の生き残りが、嘆いた言葉が忘れられません。
「真実はこんな美しいものでは無かった。只々残酷な事だった。美談で終わらせないで欲しい。」
どうして政治家は戦死者を英雄視するのでしょうか?当然です。馬鹿な一般人に美談を与える事で騙し、満足させ、自分達に非難の矛先が向かうのを避ける為です。政治家の言う詭弁等ロマンス詐欺と同程度です。ゆめゆめ騙されない様に。
私は戦死者をやすっぽいお涙頂戴の美談にして終わらせてしまう事は、戦死者に失礼であるばかりか、同じ過ちを繰り返しかねない事と思っています。
戦争関連の記念碑なんて、もうコリゴリです。鉄人28号の銅像に置き換えませんか? -
公園内に立つゼンコフ教会です。見るからのロシア正教会です。驚く事に木造だそうです。釘を一つも使わず建てられ、耐震性能も良く、大地震をも乗り越えたと言います。
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カザフスタンはイスラームを信仰するテュルク系遊牧民主体の国ですが、ソ連時代にアルマトイが整備された影響で、多くのロシア人が暮らしています。彼等が信仰するのは大抵ロシア正教ですから、正教会の教会が建てられるのは道理です。ウクライナ紛争を嫌ってアルマトイに避難しているロシア人も多いでしょうから、猶更需要が高まっているかもしれません。
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ロシア正教とは正教会のロシア支部であり、独立した一派ではありません。カソリックはヴァチカンに本部があり、其処を中心に組織が広がりますが、対してビザンティン帝国と繋がりが深かった東方正教会は、ビザンティン帝国の崩壊後、それぞれの国毎に分かれて運営される運びとなりました。様々な国に正教会がありますが、教義自体は同じものです。因みにアルメニア正教、シリア正教、エチオピア正教、コプト教等は独立した宗派であり、東方正教会とは別グループとなります。ややこしいですが…。
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続いて中央バザールにやって来ました!何という事でしょう、またまたやらかしてしまいました。休館日だそうです。ついていないなぁ…いや、自分の下調べ不足です。
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なんかバザールとは思えないソ連臭漂う無骨な外観。
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読む事の出来ないキリル文字を恨めし気に眺めながら…。でも本体はお休みですが、周囲の屋台はオープンしている様なので覗きに向かいます。
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乾物でしょうか?それを中心にメインの建物の裏通りにびっしりと屋台が軒を広げ、商売に勤しんでいます。
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世界には様々な国があり、様々な思想があり、様々な文化があって、時にぶつかり合って、とても平和とは言えない隔たりもありますが、バザールの活気とか暖かみは世界何処へ行っても変わらない共通項だと思います。
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バザールはオープンなのが良いです。活気がダイレクトに伝わってきます。ショーウインドーとかで仕切られてしまうと、其処でシャットアウトされてしまいます。排他的と言うか、入り辛いと言うか…それならAmazonで良いやってなってしまいます。
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何かおやつの様なものを発見しました。なんでしょう?おやつ大好きなので気になってしかたないけれど、昼食前なので諦めました。
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ソ連臭漂うビルに、落書きでは済ませたくない巨大なアートが描かれていました。ソ連時代なら描かれていてもプロバガンダでしょうから、独立後に描かれたものでしょう。足場を組んで描いたのでしょうか?素敵です。
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朝訪れたセントラル・モスクがチラリと見えました。ガイドを受けながら街を歩いていると、自分の意志で動いていないので、ふと何処を歩いているか解らなくなります。不覚です。
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昼食を摂りに向かいます。
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この店の自慢は実演でしょうか?ガラス越しに調理している姿を眺められます。注文したのは…勿論ラグメンです。コックさんが炎を上げてトッピングする野菜炒めを炒めてくれています。
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さて此処で多くの日本人が勘違いしている事柄を指摘さしあげたいと存じます。
さて、ラーメンの発祥は何処でしょう?
はい、中国です。正解です!それは間違いありません。
では麺の発祥は何処でしょう?
解る方いらっしゃいますか? -
では、解答を差し上げます。麺の発祥はメソポタミア、現在のイラクやイラン即ち西アジアです。それをテュルク系の遊牧民が西アジアに持ち込みました。それがラグマンであり、ウイグル迄到達した時ラグメンに変化しました。これは訛りの様なもので同じ料理です。そしてラグメンは更に東に旅をし、其処で大きく姿を変えます。それこそラーメンです。
つまり、ラーメンの先祖にあたる食べ物、それこそ中央アジアの国民食ラグマンなのです。 -
ラグマンの麺はラーメンと言うよりうどんです。そのうどんにぶっかける野菜炒めにあたる部分は地域によりバリエーションが豊富です。ウイグルの中国よりでは中華色が濃厚になりますし、ウズベキスタンや西部ではトマトを多用したり、スープスパ状に汁が多いものもあります。
日本では中々食べられるレストランはまだまだ少ないですが、作り方は簡単なので、自分で作ればよいのです。うどんを茹でて、好みの野菜炒めをぶっかけるだけ。現地でさえさまざまなバリエーションがあるのですから、レシピに拘らず自分好みで良いのです。さぁ、召し上がれ! -
食後は素朴なデザートで締めました。
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お腹が満たされたら、さあ何処へ向かいましょう?
え?スケートリンクへ行くのですか?
下調べ不足の私は、頭の中に沢山の?が浮かんでいます。
そんなに歴史的なスケートリンクなのでしょうか?この季節で大丈夫なのでしょうか? -
メデオ・スケートリンクに到着しました。早速何故かロープウェーに搭乗します。
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ロープウェーはグングン高度を上げていきます。
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眼下にスケートリンクが見えてきました。天山山脈の麓と言う事もあって、氷の質が良い事で有名で数々の記録が生まれたスケートリンクだそうです。
…って、スケートリンク、そんなの関係ねぇ!ってな如く、無慈悲にロープウェーは速度を落とす事無くスケートリンクを通り過ぎ、果てしなく山を登っていきます。 -
晴れていたら最高なシチュエーションだと思いますが、私はどうやら山に嫌われている様で、私が高度を上げると必ず天気が崩れます。
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真下を見ると足が竦みます。
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漸くゴールが見えてきました。
いったい何があるのでしょう? -
え?乗り換えるのですか?いったい何処に向かうのですか?
これって…もしかしてスキー場ですか?
スキー場らしいのですが、傾斜が上級過ぎます。脇には凄い谷があり、踏み外したら帰ってこれそうもありません。超上級者コースです。 -
なんか涼しい、いや寒い、こんな天気だから?と思ったら、脇に残雪が集められていました。
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再びロープウェーを乗り継ぎます。今度登場した車両に同乗したのはなんとサウジアラビアから観光に来たご家族一行でした。私はスマホの待ち受けを、預言者のモスクとアッサローム・アレイコム(貴方に平安あれ!と言う語彙の日常の挨拶)と言う文言を入れているので、即意気投合。昨年のサウジの旅の話で盛り上がりました。
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嗚呼下界から頂上には未だ残雪が残ってる!と遠くに眺めていた山が、もう目の前に迫っています。とんでもない所迄登ってきてしまいました。
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遂にロープウェーの終点までやってきました。酷暑の下界から行先の事考えずにやって来てしまったので、((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル超寒いです!
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それもその筈、標高3200mなのだそうです。富士山の9合目と言ったところでしょうか?そこら中に残雪が残っています。残念ながらガスってしまっているので視界が聞きませんが、看板を見る限り、晴れたら絶景のパノラマが広がっていたのでしょう。
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ロープウェーで登って来た人々は、余りに寒いのか展望台に寄り添って佇み続けていますが、折角此処迄登って来たのですから、ちょっぴり周囲を散策します。
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大型のバックパックを背負った登山家の一団が通り過ぎていきました。ちょっと歩くと足が重い。ごくごく初期の高山病の症状でしょうか?この格好では高山病になる前に、低体温症であの世往きです。長くはいられません。
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でも空気は薄いけど美味しいです。でも夏に差し掛かった中央アジアで寒い思いをする等これっぽっちも考えませんでした。でも、思わぬ雪景色に心の中は、はしゃいでしまっている私がいます。
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残雪と靄に包まれた峰が幻想的です。登山をしない私にとって、3千mを越したのは、クスコとラサに次いで人生3回目です。
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こんな景色を見せられてしまうと、登山が出来れば楽しいだろうなとつくづく思います。日本の山でも、かなりの高度迄ロープウエー等で気軽に登れる山があるそうですが、そこから一歩でも外れればプロでも一歩間違えば命を落とす危険地帯。そそっかしい私には無理な世界。この景色で満足致しましょう。
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YouTubeとかで凄いなぁと見ていた景色が目の前にあります。中央アジア、シルクロードと言うと砂漠や大平原を想像してしまいますが、こんな景色もあるのですね。思えばキルギスの事ですが、玄奘三蔵も天山山脈の4千mもの峠を越して旅を続けたのですものね…。脳内で理解するだけでは無く、実際にこんな高度迄体験出来て感動です。
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ロープ乗り場まで戻って来ました。全くの夏向けの服装なので、滞在出来る時間は限られています。さぁ下界に戻りましょう。
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一つ目の乗り継ぎ駅へ降りてきました。うひゃ~あんなところから降りてきたのですねぇ~。
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いや~なんか私が高度を下げると靄が晴れて来るのですが…気のせいですかね?山に嫌われているのですかね?
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ヤクを発見しました。高山に暮らす牛です。肉は市場に出る事は非常に稀で貴重だと言われます。そんな事聞いてしまうと食べたくなってしまうじゃないですか!
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ロッジが集まる所迄降りてきました。あと一度ロープウエーを乗り継ぎ下界へ戻ります。スケートリンクと聞いて、この地へ来ましたが、一番下界はスケートリンク、その上はスキー場、夏は高原でのピクニックから本格的な登山迄楽しめる場所となっている様です。
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私は高山登山なんて出来る技術はありませんし、歴史的な物件ばかり追い求めているので、こう言う機会でしか残雪の残る高山なんかお目にかかる機会がありません。とても新鮮で素敵な体験でした。
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観光用のユルタが見えました。
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思えば初日、タジキスタン、ホジャンドで思いがけずロープウェーに乗って始まった今回の旅、そして此処アルマトイでも思いがけずロープウェーに乗って旅が終わろうとしています。
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漸く下界に降り立ちました。振り向けば遥か向こうに残雪残る峰が小さく聳えています。長尺のロープウエーを二度乗り継ぐ、本格的なロープウエーと3200mの世界を楽しめました。
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旅の締めは国立中央博物館です。館内は撮影禁止だと思ったので写真撮影は控えましたが、たっぷり時間を取って、これまで見てきた復習を済ませました。
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最後の晩餐はやっぱりシシャリクです。お腹を壊していたので温存していましたが、此処迄来れば、後は帰国するだけです。ガッツリ中央アジアの肉を喰らって帰ります。ユルタ泊あり、日を跨いだ移動あり、何とか十日間で中央アジア5か国を走り抜けました!お腹も心も満腹です!
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仁川国際空港上空迄戻って来ました。旅立つ前は幾許かの不安はありました。こんな短期間で大急ぎで5か国周って満足できるのか?とか、そもそもウズベキスタン以外の国の見所とは?とか、かなり失礼な不安さえありました。
しかし実際旅して見れば、毎日興奮の連続でした。各国に「後、あそこも見たかったなぁ!」と思える物件が出来ました。それはこの旅が楽しかったからでこその事。
旅に出る前は、ウズベキスタン以外は朧げな姿しか理解していなかった国々。今ではそれぞれの国の立ち位置が明確に見えてきたと思います。 -
ウズベキスタン・ブルーがインスタ映えで有名になった事で、私を乗せたアシアナ航空の機内には日本人の姿も数多くなりました。それはこれから益々増加していく事と思います。早い旅人ではリピーターとなる方も多いのでは無いかと思います。
そんな旅人さんに、是非一歩前へ足を延ばして周辺の~スタン国に赴いては如何でしょうか?美味しい料理(旅)に、味変が加わる事は間違いありません。
歴史的な古都を巡りたい、そんな旅人さんが中央アジアへ訪れるなら、ウズベキスタンの一択でしょう。それは嘗てペルシャ系の定住民タジク人の王朝、サーマン朝をテュルク系のカラ・ハン朝が打破し、サマルカンドやブハラを奪取した事で、ペルシャ系の定住文化や建築技術がテュルク系遊牧民に伝わり、彼等が定住化した事、そしてその地域がアムダリヤ川とシルダリヤ川、二つの大河に包まれる様な地形にあり、地下水系からオアシス都市を構築し易い地形であった事。こうした文化的背景と環境的背景が重なった事から生まれた、奇跡的な出来事でした。
勿論定住化しなかった遊牧民の国々もそれぞれ魅力があります。ソ連時代にソ連に依って分けられた国々ではありますが、砂漠に暮らす遊牧民の国トルクメニスタンは砂漠の荒涼とした景観に圧倒され、草原に生きた遊牧民の国、カザフスタンには雄大な光景が広がり、山岳に暮らすキルギスでは麗しい高原の風景が広がります。そして同じく山岳に暮らすタジク人の暮らすタジキスタンでは、中央アジアで唯一ペルシャ系の彼等の由緒ある世界観を楽しむ事が出来るでしょう。
即ち、ウズベキスタンを中心とし、他のどの国に訪れたとしても、全く異なった魅力を付け加える事が出来るのです。是非是非一歩足を踏み入れてみてください。
今回も素晴らしい旅になりました。最後までご覧になってくださり、ありがとうございます。
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