2024/06/17 - 2024/06/17
19位(同エリア136件中)
さっくんさん
タジキスタン二日目は、ホジャンドの核心とも言える街の中心のレギスタン広場。そして郊外に建つソビエト統治時代に建てられた宮殿を訪れ、昼食後は行き来た道を引き返し再びウズベキスタンに戻りました。まるで振り出しに戻る様に…。
- 旅行の満足度
- 5.0
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寝起き一番、ホジャンドの街並みを一望しました。
ホジャンドの皆様、おはようございます! -
朝起きて先ずやるべき事は朝食を摂る事です。
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!良く見たら、ゆで卵の上に乗せられてるのはイクラではありませんか?なんて豪華な!確かにゆで卵もイクラも卵です。子子丼ですね。
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朝食後、シルダリヤ川迄散歩しました。中央アジアを滔々と流れるこの大河を眺めながら、昨日最後に考えた事を思い返しました。
タジク人達はその昔、中央アジアの中央即ち現在のウズベキスタン、ブハラからサマルカンドに及ぶ地域を支配し、中央アジアにペルシャの文化を定着させました。しかし現在は、その歴史を誇りに思いながらも山深きこの地域で暮らしています。 -
自分の国の歴史が、現在暮らしている場所とは遠く離れた場所で紡がれてきた…。島国の中で太古の昔から同じ大地で歴史を紡いでこられた日本人にとってはとても想像の難い事です。
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しかし中央アジアに限らず、世界中の大陸に暮らす民族は、時の流れと共に興隆を繰り返し、移動を繰り返し、現在の姿になったのです。
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そんな興隆と移動の中で、彼等はその名残を様々な地で残しています。そんな名残を辿るのも旅の醍醐味の一つです。
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再びイスマイル・サマーニに逢いに来ました。彼は此処から遠く離れたウズベキスタンのブハラに眠っています。彼の墓はモンゴルの来襲をも生き延び、今も尚ブハラに残っています。彼の墓はタジクの人々が其処で暮らした名残であり、誇りでもあるのです。
またタジク人の残した名残は建築物に限る事無く、現代のブハラやサマルカンドの人々の話す言葉の中にも見つける事が出来ます。
イスマイル・サマーニ廟
https://4travel.jp/travelogue/11763307 -
車に乗って街の中心、レギスタン広場へ向かいます。レギスタン広場と言えばサマルカンドのものが特に有名ですが、「砂の広場」と言う意味を持ちます。他にあるかは解りませんが、レギスタン広場と言う名前があれば、それはその街の歴史的な中心と考えて良いでしょう。
サマルカンドの旅行記
https://4travel.jp/travelogue/11763189 -
レギスタン広場に到着しました。正にホジェンドの中心でした。広場を囲む様にモスク、霊廟、マドラサそしてバザール。そしてその一辺はマルシュルートカ(乗り合いバス)の起点となっていました。昔は馬車が詰めていたに違いあいません。
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真っ先に向かったのはシェイフ・ムスリヒディン・モスク。ジュマ・モスクと表記される事があります。ジュマとはイスラームの礼拝日、金曜日を指し、この名前を持つモスクはその街のグランド・モスクと言う事になります。ウズベキスタンのタシュケントやヒヴァにもあります。
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背は高くないものの、印象に残る形のミナレット。
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中央奥にミフラーブ。ミフラーブとはマッカの方角を示す窪みで、ムスリムはこの方角に向かって礼拝します。即ちこの方角にマッカがあると言う事です。
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モスクからレギスタン広場方面を眺めました。大きく開いている門がバザールの入り口です。
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回廊部分の庇を支える木製の柱は最下部でギュッと窄む、中央アジア独特の意匠です。
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モスクの隣にはシェイフ・ムスリヒディンの霊廟が建ちます。
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更にその奥にはシェイフ・ムスリヒディン・マドラサ。残念ながらタジキスタンでは現在マドラサは機能しておらず、此処も建物のみが残るだけです。モスク、霊廟、マドラサ、この三つの建築を併せてシェイフ・ムスリヒディン・コンプレックスと呼びます。
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霊廟とマドラサを併せて撮影しました。
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レギスタン広場に出て、シェイフ・ムスリヒディン・コンプレックスを纏めて眺めました。
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パンジャンペ・バザールを見学します。パンジャンペとは木曜日を指します。昔、このバザールが曜日市だった頃の名残でしょう。中央アジア随一の規模を誇るバザールだそうです。
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バザールに来るならやっぱり朝が一番です。人々の熱気が伝わってきます。
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中央アジアのバザールは外周では果物が売られている事が多いような気がします。
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二階に上がるとレギスタン広場からシェイフ・ムスリヒディン・コンプレックスが良く見渡せます。
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そしてバザール全体も良く見渡せます。
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バザールの花はナンです。お店の人に
「これナンですか?」と聞いてみてください
「ナンですよ!」
とシュールな展開になる事間違いなしです。イースト菌を使わず作るイスラーム圏全般で食べられる平たいパンです。日本で言えばご飯です。ムスリムにとって無くてはならないものですが、中央アジアのナンはとても美味しく、イースト菌を使わないので小麦本来の味を楽しめます。 -
勿論八百屋さんも負けていません。中央アジアのトマトは強烈な日差しを受けて育つのでとても甘くて美味しいです。
と褒めたたえたのですが、なんと種は日本産が大人気で、直接は入手し難いので物凄く迂回ルートで中央アジアに届くのだそうです。
私が美味しいと絶賛した中央アジアのトマトは、なんと日本が丁寧に作った種と中央アジアの強烈な日差しのコラボレーションだったのです! -
バザールの賑わいを眺めていると、自然に脳裏に久保田早紀さんの「異邦人」が流れます。サブタイトルに「シルクロードのテーマ」とつけられている様に、意図的にシルクロードを意識して制作された事は明らかですが、歌詞は勿論、編曲、アレンジ迄とても完成度が高く、心に残る一曲です。特に二番目の歌詞がお気に入りです。
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先程「八百屋さん」と言うフレーズを使いましたが、今や日本では死語となりつつあります。駄菓子屋も無くなりました。CDショップも青息吐息です。本屋もめっきり減りました。レンタルショップでさえ数を減らしています。新聞やテレビもいずれ無くなるでしょう。
世の中が急激に変わりつつあります。なんかバザールの風景を眺めていると、初めて訪れた異国でありながら、懐かしき光景に出逢った気になります。 -
ちなみにバザールの語源はペルシャにあります。ペルシャ起源の物事は数多くあります。パラダイスと言う言葉のルーツもペルシャ語です。
ペルシャは当時のアジアでは憧れの的でした。ムガル帝国の皇帝はペルシャ人の妻を娶りました。タージマハルで有名なムムターズ・マハルもペルシャ人。タージマハールを代表とするムガル建築も、ペルシャ様式とインドの建築を融合させたものなのです。 -
中央アジアのバザールに現在残っているのは販売に特化された場所であり、中心部は屋根で覆われているものの、現代的なものが殆どですが、本場のイランやトルコでは歴史的な天蓋に覆われている事が多いです。
また、バザールは販売する店舗だけでは無く、交易に訪れる隊商達が宿泊し、商談をする為のキャラバン・サライ。隊商達が疲れを癒すハンマーム等が集結する、巨大な商業施設でした。因みにアラブ世界以西ではバザールをスークと呼び、キャラバン・サライはフンドックと呼びます。 -
バザールで有名な場所と言えば、トルコのグラン・バザールやイランのイスファハーンのバザール、ドバイの数々のスークがありますが、現在では観光色が強くなり、現地の人々は我々同様、ショッピング・モールを利用する事が多くなっています。これも時の流れでしょうか?
でもタジキスタンの此処パンジャンペ・バザールはまだまだ100%ローカル仕様です。 -
バザールの外周をのんびり散策して路地を曲がると、シシャリクの屋台が出す煙の向こうにシェイフ・ムスリヒディン・マドラサのドームが見えてきました。レギスタン広場にも、すぐそばです。
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第二次世界大戦の戦勝記念碑だそうです。なんかチリチリします。当時此処はソビエト。日本の敗戦が決まった瞬間、裏切って、多くの日本人を抑留しておいて戦勝だなんて良く言えたものだな…。熱血ガイド君に悪いので、言葉には出しませんが、ギュッと拳を握ります。
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小ぶりではありますがバラでしょうか?そう言えばタジク人のルーツ、ペルシャのシーラーズもバラが名産でした。バラの奥にはシェイフ・ムスリヒディン・モスク。
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街の中心から車に乗って郊外の小高い丘に築かれた瀟洒な宮殿にやってきました。その名もアーボブ文化宮殿。ロシア、サンクトペテルブルグのペテルゴフ宮殿を模して造られたと言います。
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先述した通り、ずばりソ連時代の遺産なので、建築も展示もソ連時代のもの、館内は館のガイドさんがガイドしてくれるも、コルホーズの解説とかがメインとなります。これ迄永続的に弱小国家を巻き込み不幸に突き落としてきた米ロの近代政治が死ぬ程嫌いな私にとって…嗚呼なんかきな臭い匂いがします。
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此処でグッと堪えて自分を振り返ります。自分がイスラームの旅を始めたきっかけは?
9・11のテロが発生し、世間が一斉にイスラームを叩いた時、旅人として自分は、自分の目で確かめてから答えを出したい。そうしてイスラームにテーマを絞って旅を始めました。それが今じゃどうでしょう?
自分の偏見、先入観、そうしたものを乗り越える力を与えてくれる。だから旅は良い。 -
人は自分が産まれる国を選んで生まれてくる事が出来ません。自分が産まれた国、それが自分の世界観になります。コルホーズで働いていた殆どの人が、それが正解だと、そしてそれが自分の生きる道と信じて日々頑張っていたと思います。
資本主義こそ正解だと妄信している我々と何ら変わりは無いのです。そうしたシステムを作り失敗に終わらせた責任者達はともかく、コルホーズで働いていた人々をとやかく言うのは筋違いでしょう。 -
「では、敵とはなんだ?時間には関与しない絶対的な敵とは?」
「そんな敵は地球上には存在しない。何故なら敵はいつも同じ人間だからだ。相対的な敵でしかない。」
これは私が尊敬しているゲーム監督が作ったゲーム中のセリフです。
人間は神では無いから絶対的正義は存在しない。人は常に相対的正義に基づいて動くしかない。政治家が語る正義とは、大義名分でしか無い。
ゆめゆめ自分の考えた正義が絶対的な正義だとはき違えてはならないのです。 -
館内の装飾は美しく、館のガイドさんの英語は美しかったです。
ソ連が中央アジアで強制的且つ集中的に綿花栽培を行ってきた為、独立後も産業の多様性に欠け、経済を弱体化させ、そしてウラル海の消失と言う20世紀最大級の環境破壊が起きた…。
それが私の認識でした。しかし現地で今も尚肯定的に捉えられている事に驚き、そして興味深く館内を歩きました。 -
でも、遂に我慢ならぬ展開が待っていました。スターリンについての賞賛があった時です。
「彼は人を殺し過ぎました。私は同意できません!」
私は思わず言葉を遮り、反論してしまいました。
勿論スターリンにも政治家として賞賛されるべき事はあるかもしれません。であるならばヒトラーもまた賞賛されるべきです。彼は政治家としては超優秀です。でも、人として決してやっていはいけない事をしたのです。スターリンも同じです。
私の中ではヒトラーもスターリンもポルポトもミロシェビッチもジョージ・ブッシュも皆同列の人間の屑なのです。 -
場に緊張してしまいました。館のガイドさんが唾を飲みこみ、冷静に言葉を探そうとしているところを熱血ガイド君が
「さぁ、次の展示へいきましょう。」 -
熱血ガイド君は単に熱血なだけではなく、時にクールな本当に素晴らしい男でした。それに比べ私は未だ大人になりきれませんでした。
-
こうして、熱血ガイド君の巧みな助太刀でアウェイの宮殿拝観は無事終わり館のガイドさんとも握手で終わる事が出来ました。
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早くもタジキスタン最後の食事となりました。熱血ガイド君と熱く語りながら昼食を楽しみました。
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また、ヨーグルト入ってる…。いやヨーグルトは大好きなのですが、別々に食べたいです。勿論おもいっきり砂糖入れて(笑)
でも、油や肉を沢山食べる中央アジア料理だから腸を整える為にも、ヨーグルトの接種は必需なんだと思います。だからスイートとしてだけでは無く、あらゆる手法で食事に取り入れているのだと思います。
中央アジアで多用される油は、日本の油と違い、日本人には合わない事が多い様です。それに比べ、中央アジアの料理は日本人の口に良く合います。だからついつい食べ過ぎて、結果お腹を壊す人が出るのです。
付け合わせやヨーグルトを良く食べて、腸を整えてください。整腸剤や下痢止めも必須です。ええ、私の事です(笑) -
食事も基本お任せで頼んでおいたのですが、何故かこの旅水餃子に当たります。なにかつけたいところですが、つけるものはヨーグルトです。そのヨーグルトには塩を入れます。
考えた挙句、熱血ガイド君の不思議そうな視線を他所に別々に食べる私でした。 -
シルダリヤ川にさよならを!
ありがとう、ホジェンド。タジク人の誇りを学ばせて貰ったよ!
このシルダリヤ川ともう一つ、パミール高原を発するアムダリヤ川、この二つの川は中央アジア、特にウズベキスタンにとって本当に重要な河川となります。地図を見れば一目瞭然ですが、二つの川は、まるでウズベキスタンを南北から包み込む様に流れ、アラル海に注ぎます。
そして、中央アジアで興った王朝の首都は、その数多くがシルダリヤ川とアムダリヤ川に包み込まれた地域に置かれる事になります。この地域はキジルクム砂漠を含む乾燥帯に位置しています。しかし二つの大河とその川から生じる地下水系が、幾つものオアシスを形成し、人々が暮らす都市を形成する事を可能にしました。
何故中央アジアでウズベキスタンに歴史的都市が集中するのか?それは、現在のウズベキスタンの地で、テュルク系遊牧民がペルシャ系のタジク人と融合し、彼等の持つ文化を吸収し、定住化したと言う文化的側面も重要ですが、それを可能にしたのは、こうした自然環境的側面もあったのです。
ウズベキスタンではティムールを建国の父と呼びますが、ならばシルダリヤ川とアムダリヤ川は、ウズベキスタンの建国の母と呼ぶべきでしょう。 -
宮殿で思い知りましたが、中央アジア諸国は今もばりばりロシア圏の世界観です。それは意識しておいた方が良いでしょう。
例えばウクライナ紛争。彼等は一般的に、積極的には応援しないが、ロシアに賛同的な考えを持っています。討論したくないのならば話題にしない方が良いでしょう。
いやいや、一番心配しなければならないのは、自分自身でしょう。忌憚無く物言う性格ですし、アメリカもロシアも…大国の政治が大嫌いな人ですから(苦笑) -
渇いた山道を下り、両脇に控えていた山並みが終わる頃、ウズベキスタンとの国境に到着しました。熱血ガイド君とも此処でお別れです。本当にお世話になりました。熱い握手で、誇り高き若きガイド君とお別れしました。再び楽勝過ぎる国境を越えて、ウズベキスタンのガイドさんのピックアップを受け、タシュケントにとんぼ返りです。
タジキスタンの第二の都市、ホジャンド。またの名をアレキサンドリア・エスハテ(最果てのアレキサンドリア)の響きも素敵でした。
シェイフ・ムスリヒディン・コンプレックスとパンジャンペ・バザールに挟まれたレギスタン広場、シルダリヤ川とそれを渡るロープウェイ、そしてアーボブ宮殿…etc。思った以上の歴史と見所があり、想像以上に楽しめました。
タシュケントから半日で行けるエクスカーションとして、是非訪れて欲しい街だと思います。 -
無事ウズベキスタンに戻ってきました。途中シルダリヤ川支流を利用した大きなダムがありました。山岳国であるキルギスとタジキスタンを除けば、中央アジア諸国は基本乾燥帯で水は深刻な問題に繋がります。
タジキスタンがダムを建設した事で、下流に位置するウズベキスタンと政治問題に繋がりました。国家間を跨ぐ大河では屡々起こる政治紛争で、エチオピアがナイル川にダムを建設した事で、エジプトと政治的緊張状態に陥った事は記憶に新しいです。 -
ウズベキスタン・ホテルへ戻ってきました。一昨日は使い方が解らなかった無骨な空調機も合点がいき、快適な室温を保てています。
タジキスタン、たった一日の滞在でしたが、熱血ガイド君のお陰もあって、旅する前は朧気だった国の姿が、今はざっと語れるくらいは覚えられました。次訪れる機会があれば、より奥のパミール高原迄足を進めたいと思います。タジキスタンは国の93%が山岳地帯。その山岳地帯を体験せずにタジキスタンを堪能したとは言えないでしょう。 -
この写真付きメニューのKFCが非常に気になったのですが、外したら怖いのでやめておきました(笑)
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透明なスープです。これなら間違いなくヨーグルトは入っていません(笑)
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シシャリクの3点セット。つくね状のものは初めて食べました。
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さて、先に中央アジアはタジキスタンを除き、全てテュルク系の民族だと書きました。ならばソ連崩壊後、何故一国に纏まる事が出来なかったのでしょう。
これ迄中央アジアには幾つもの王朝が興亡を繰り返してきましたが、多くが遊牧民族のこの地域の一般市民は、元々国に帰属すると言う意識は薄かったのだそうです。ですからソ連が侵攻し、彼等に国籍を尋ねると、彼等は国では無く、所属する宗教、暮らしている都市と部族名を答えたと言います。
つまり彼等にとって国より宗教や部族の方が重要なのです。これらは中東等でも同様です。 -
それを、ソ連統治時代、現代西洋的観点から、ソ連の上から目線により分類が行われ、人為的に四つの国に分けられました。この広大な中央アジアを統治するのに、区分けが必要だった事は理解出来ます。
しかし他方でそれは、同じ民族を4分割する事で権力が集中し、強国化する事を防ぐ手法でもありました。その手法はヨーロッパ諸国がアフリカ等の植民支配時に行ってきた手法と同様です。
また、元々カザフよりの民族カラカルパク人を、ウズベキスタンに編入する等の手法は、異民族をひとつの国に纏める事で、国の運営を困難にさせ、結果宗主国に反発出来ない様にする為に取られた手法であり、これもヨーロッパ諸国のアフリカの植民地運営の常套手段でした。
国の意識さえ薄い遊牧民の土地に、いらぬ国境線を引いて、いらぬ感情を巻き起こし、そしてそれは紛争へと繋がっていく…。それを理由に待ってました!とばかりに、再び大国が介入する。これまで、中東やアフリカで何度もそんな胸糞悪いニュースを見てきました。
今年の元旦、旧ソ連の一つの非承認国家、ナゴルノ・カラバフが消滅しました。中央アジア諸国と共に独立したコーカサスの国々。アルメニアとアゼルバイジャン間の民族分布と国境線に於ける紛争の末出来た国でした。
大国の思惑で引かれた国境線に、多くの人々の生死が弄ばされる。本当に、本当に、罪深い事だと思います。今のところ、不幸中の幸い、中央アジアでは未だ大きな紛争には至ってはいませんが、(キルギスとタジキスタンの間で死傷者を含む小競り合いは発生しています。)中央アジアが二の舞にならぬ事を切に願います。
ナゴルノ・カラバフの旅行記
https://4travel.jp/travelogue/11269277 -
ウズベキスタンを旅する上で、知っておくと良いと思う事をひとつあげようと思います。ウズベキスタンと言えばティムール朝のサマルカンド!と言うイメージありませんか?そしてブハラもヒヴァも同じく青いドームで世界観が統一されているから、みんな一緒だなぁ!とか…。
でも、実際はその三都市、ぜ~んぶ違う国だったのです!
サマルカンドは勿論ティムール朝の遺産が残ります。しかしティムール朝は一代であっという間に滅び、その後ウズベキスタンは東はコーカンド・ハーン国、ブハラを首都としたブハラ・ハーン国、ヒヴァを首都とするヒヴァ・ハーン国に分かれます。
つまりサマルカンド、ブハラ、ヒヴァの三都市を周ると、それぞれ違った国の遺産を観光する事となります。世界観は一緒の青いドームでも、そこに彫られた紋様は三都市でかなり趣が変わります。喋る言葉も微妙に変わります。そんな変化も楽しんでみてください。 -
勿論それはスカーフや衣装の紋様にも反映されるのでお土産としても良いのですが、残念ながら、ウズベキスタンの典型的なお土産屋さんの商品棚には中央アジアのチャンポン状態です。
例えば帽子を探しても、キルギスの民族帽や、柄が映えて受けの良いアフガニスタンの民族帽等がゴチャ混ぜで売られている事が殆どです。綺麗だな!と思って買って良く調べたら、訪れた事も無い遠く離れた場所の帽子だったりしてガッカリなんて事も起こります。
もし、こだわりのお土産を求める場合は、事前にしっかりチェックして、どのハーン国の柄が欲しいのか?どの民族の柄に興味があるのか?それをハッキリさせて、お土産屋さんでは無く、専門店でしっかり自分の希望を伝えて品定めをして欲しいです。
売る側にしたって、自分の民族の、自分の出身の柄を求められれば嬉しいでしょうし、やっぱり折角訪れた場所ですから、その土地の本物が欲しいですよね。 -
ホテル・ウズベキスタンの目の前の、ティムール広場でトワイライト・タイムを楽しみました。
太古から東西の文化を繋いだシルクロード。そこを行きかった隊商達、マルコポーロはヴェネチアを発し東を目指し、玄奘三蔵は天竺を目指し西へ向かった。
野望を胸にこの道を東西に駆け抜けた者もいた。古くはアレキサンダー大王、ジンギス・ハーンに、今私の目の前に立つティムール。時の流れと共に覇者は消え、そして次の覇者が現れた
。様々な勢力が興隆を繰り返し、そして現在の姿も、きっとその歴史の瞬間を切り取ったに過ぎないのであろう。
トワイライト・タイム。一日で一番時の流れを感じる時間に、中央アジアの歴史を脳裏に浮かべながら、物思いに耽りました。
最後までご覧になってくださり、ありがとうございました。
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