2024/06/19 - 2024/06/19
30位(同エリア145件中)
さっくんさん
砂漠で夜明けや夕焼けを見る事が私の至福の時。だから今朝は至福の瞬間でした。朝焼けを見終え、行き来た道を引き返し、再びウズベキスタンに戻りました。その足でヒヴァへ向かいました。15年前に訪れた事があるこの街で、私は二人の少女と出逢い、写真をせがまれ、あっという間に彼女達の撮影会になってしまいました。彼女達に写真を渡したい!私の尋ね人の願いは叶うのでしょうか?
15年前の少女との出逢いは此方から
https://4travel.jp/travelogue/11763315
- 旅行の満足度
- 4.5
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夜明け前に起床、抜き足、差し足、忍び足、ユルタを抜け出し、目星をつけていた砂丘の上に。夕刻は人で溢れた砂丘の上も、今は単独。今日の初登頂!
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地獄の門が煌々と光を放っています。
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東の空が白み始めました。ビンゴです。方角もバッチリです。さぁ、始まります!
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イチオシ
脳裏にボンゾのドラムが響きます。大音量で私の大好きな楽曲が流れます。
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All I see turns to brown
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As the sun burns the ground
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And my eyes fill with sand
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As I scan this wasted land
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イチオシ
Trying to find, trying to find where I’ve been
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嗚呼、嗚呼…大好きな楽曲を脳裏に奏でながら、またとない夜明けを眺め続ける。至福のひと時。
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そうこうしていると、一人の旅人が砂丘を登ってきました。白人だけど、馬が合いそう。互いにテンプレな挨拶を交わし、出身国を尋ね合う、ごくありふれた旅の一コマ。
でも彼は俯いて口籠ります。そしてか細い声で「オーストリアの近く」と言います。
「オーストリアの近くはいっぱい国があって解らないじゃないか!」と私が言えば、彼は消え入りそうな声で
「セ、セルビア」と言いました。 -
私は彼の心の傷に触れてしまった気がしました。ユーゴ紛争時、セルビアはNATO諸国に悪のレッテルを貼られたばかりか、爆撃を受け、フルボッコにされました。彼はきっと旅のこんな一コマでNATO諸国の連中に心無い言葉をかけられたのでしょう。確かに、ユーゴ紛争のセルビアが行った悪行の数々は、許される事ではありません。が、その事と、彼とは全く関係が無い事です。
「ベオグラードのシタデルの、スタンブル門に続く道、綺麗だったな。素敵な国じゃないか!」
私が言うと、彼は驚いた表情で
「知ってるの?来た事あるんだ!ありがとう!」
と明るい表情に戻りました。彼は私にシャッターを委ねると、おどけたポーズを作り、ありがとうと、手を振りながら、砂丘を下っていきました。私は心の中で、彼にエールを送りました。
「自分の国に誇りを持て!国と人との区別もつかず、減らず口叩く様な連中には、中指立てれば良いんだぜ!」っと。 -
砂丘を降りて、地獄の門に迫ります。
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強烈な陽射しと地獄の門が発する熱気が絡み合います。
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イチオシ
空は朝陽が燃えてます。
大地は地獄の門が燃えてます。
その光景を前にして私の心は萌えてます。 -
地獄の門で朝焼けを見る。またひとつ夢を叶える事が出来ました。素敵な朝をありがとう!さぁユルタに戻りましょう。スネークが客人が消息不明だと慌てだしたら大変です。
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隠れていても、私の目はごまかせませんよ!死の大地の様に映る砂漠ですが、目を凝らせば様々な生き物が暮らしています。特に早朝は動物の足跡がその証拠を示してくれます。只気を付けてください。サソリは勿論の事、植物もまた、砂漠に生えるものは猛毒を持つ事が多いのです。何故なら砂漠は獲物が少ないので、一撃必殺を求められるからです。植物にしたって生きるチャンスが乏しい世界で食べられてしまっては種の存続に関わります。どんなに喉が渇いても、むやみやたらと植物の実を食べる事の無い様に…。
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万感の想いでユルタを後にします。素晴らしい朝をありがとう!
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立派な大人になるんだぞ!っと。
私の様に育っちゃいけないぜ! -
4WDはやっぱり砂漠を走ってナンボです。砂漠を走ってこそサマになると言うものです。
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砂漠を走っている間は気持ち良い~♪
直に地獄のアスファルトがやって来ます。 -
道無き道を進むのが良い。
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イチオシ
なんか凄いデジャブ感。15年前、キジルクム砂漠でこんな事あって、やっぱり写真を写しました。今度はカラクム砂漠で再会出来ました。次は食卓で出逢う事になるでしょう。
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それまでいっぱい食べて、健康に育つんだよ!
アディオ~ス、アミ~ゴ! -
小さな、小さな、地獄の門が、無数に口を開けているかの様な、荒み切ったアスファルトを、スネークは神業の様なハンドリングで擦り抜けていきます。
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私を地獄の門迄導いてくれた、スネークの愛車。
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まるでサスペンションの限界を試すかの様なレベルのアスファルト。
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漸くこのモスクの所迄戻って来ました。見た事がある風景に辿り着けると安心します。昔の隊商さん達はもっと、もっと安心したでしょう。モスクのミナレットは砂漠の灯台です。
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走りに走って、戻って来ました。何やら純白の団地群が!整然と建ち並ぶその姿は圧巻なのだけれど、人の営みの匂いがしません。本当に人が暮らしているのでしょうか?それとも入居前?
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タシャウズの街に到着しました。何やら純白の巨大なユルタが登場しました。なんかスケールを間違えてると感じる程でかいです。
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純白+黄金のドームがこの国の定番です。然しながら本当に人影がありません。それでいて街にはクラシック風のゆったりとしていながら荘厳な旋律の音楽が流されているのです。正直不気味です。
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昼食の為、立ち寄ったビルの前に興味深いものが置かれていました。何でしょう?このロボット?操縦出来るみたいです。でも恥ずかしくて、スネークに言い出せ無かった…。この旅最大の心残り(笑)
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中に入れば、私の童心を擽り捲るスペースが!スタスタとレストランに向かうスネークを、指を咥えつつ何度も振り返りながら、スネークを追う私。然しながら人っ子一人いません。。外を人が歩いていないのが暑さ故なら、屋内で出逢ってもおかしくない筈です。
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二階のレストランは此処が中央アジアである事を忘れてしまう程お洒落で清潔、勿論トイレも東京にあるものと変わらないレベルです。勿論お客様は我々のみです。
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容器もなんかお洒落。
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何から何までレベルが他の中央アジア諸国より数段高いです。そしてウエイトレスさんも清潔なユニフォームで、キビキビ動いて真面目そうで、絶対日本人好みの顔立ち。清楚でチョッピリ初々しい。完璧なオジサン・キラーです。
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メインも言う事無しです。こうしたソースがかけられた肉料理、中央アジアで初めて味わいましたし、味付けも最高でした。何もかも最高です!
でも、日本人が北朝鮮に悪イメージを持つ様に、中央アジアでもトルクメニスタンにネガティブな人々も存在します。彼等は言います。
「そりゃ、海外から来た旅人には良いものしか見せませんよ。美しい街並み、美しい女性、美味しい料理…。」
タシャウズ…ウズベキスタンから訪れる旅人が必ず通る街です。あの純白の街並みは、そうした対外に見せる見栄なのでしょうか?旅人が訪れるだろう、このレストランの美しいウエイトレスさん達も、北朝鮮で言う喜び組みたいな存在なのでしょうか?そう言えばボーイさんもいたのに一切近づいてきませんでした。旅人の性別で使い分けてる?何分異様な程見当たらない住人の異様さに、そんな黒い噂に惑わされます。
いや、いや、詮索するはやめにしましょう。地獄の門もとても素敵な体験でしたし、此処の料理も、ウエイトレスさんの接客にも、十分満足しました。それで。良いじゃないですか! -
さてそれでは国境越えです。スネークと此処でお別れです。入国審査時の絶妙なタイミングでのサポート、的確なハンドリング。本当に素敵なドライバーでした。
「良いセンスだ!」
ボスは二人はいらない、蛇は一人で良い!
ありがとう、スネーク!
先ずはトルクメニスタンの出国審査、今回はローカルな人ばかりでホッとします。私は中央アジアで大好きな、そして尊敬する習慣があります。女性や子供が困っていると、見ず知らずの人同士が一斉に助けに入るのです。
大きな荷物と共に国境を超える女性達。それを手助けする居合わせた男達。日本男児負けていられません。即参戦です! -
然しながら、続く入国審査時に、今度は中央アジアで一番醜いと思うシーンに出くわす事となるのです。この人達並ぶと言う単語を理解出来ません。先程の子供優先を逆手に取って、子供を利用して割り込み放題の母親達、ブーイングするオッサン達、宥めようとブースを出てしまう審査員。これでは全く事が進みません。先程見せてくれた、見知らぬ者同士の神業的連携プレイは何処へ行ってしまったのでしょう?
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ヒヴァの内城イチャン・カラに到着すると、先ずはホテルへチェックインとの事。
え?イチャン・カラの中なのですか?任せっきりでこれはサプライズ過ぎます。更にムハンマド・ラヒム・ハーン・マドラサに入っていくじゃないですか!
それより先ずは荷物を… -
何ですと?
此処がホテルになったのですか?有名なマドラサでは無いですか!
勿論15年前はホテルでは、ありませんでした。浦島太郎状態の私ですが、嬉し過ぎます。
注)実際のホテルの入口は裏口となります。 -
ホテル名はFeruzkhan ホテル。チェックインを済ませ、中庭に出ました。ヒヴァの他のマドラサ同様、中庭の東西南北、四方面にアイヴァン(前門)を持つ、ペルシャ様式のマドラサです。
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中庭を囲む回廊は小さな部屋が連なり、往時は学生達の寄宿舎、現在は客室になっています。
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イチオシ
中庭には、ベッドの上に卓袱台を置いた様な、ウズベキスタン式食卓があり、寛ぐ事が可能です。
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部屋は、決して広くはありませんが、マドラサに寄宿する学生の雰囲気を楽しめます。
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トイレにもマドラサ風の装飾が施され、なんとバスタブ付きです。
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小物置きです。ライトアップが可能です。
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ホテルに荷物を置いたら、早速観光といきたいところですが、私はこの街でやらねばならぬ事がありました。
それは…尋ね人。 -
15年前、私はこの街で二人の美少女と出逢いました。彼女達は私に写真をせがみます。当時のウズベキスタンでは、写真を写して欲しいと頼まれる事は珍しく無く、老若男女、数多くの写真を写してあげました。只写真を写すだけでは無く、当然会話も膨らむので、旅人としても、現地の人々と触れ合える楽しいひと時でした。
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しかし、その二人組は特別でした。グラビア撮影は、カメラマンが必死にモデルを盛り上げますが、この二人組は、何とかして、日本からやって来たオッサンを捕まえて離してくれません。お陰で大量の写真を写す羽目になりました。
当時のヒヴァの記事
https://4travel.jp/travelogue/11763315 -
せっかく写してあげたのですから、写真を渡してあげたい。でも当時は現地で現像し、即日渡すと言う術はありませんでした。未だ子供なので連絡先も聞き出せませんでした。結局願いは叶わないまま15年の月日が過ぎ去ってしまいました。
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そしてこの度、中央アジアを旅する事となり、ヒヴァの再訪が叶った時、私は写真を現像しバックパックに詰めました。
「絶対見つけてみせる!絶対渡してみせる!」
しかし、もう15年前の話です。もう多分彼女達は結婚している年頃でしょう。十年一昔、あれからヒヴァの街もリノベーションが進み、多くの住人が移動したと聞きます。幾らヒヴァが小さな街とは言え、無理難題だとは理解しています。
でも、やらない前から諦める訳にはいきません。 -
覚悟が決まったら聞き込み開始です!先ずは現場です!忘れもしません。昨日の事の様に覚えています。脳裏には太陽に吠えろ!のテーマが流れています。いや、金田一風にいこうかな?
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先ずは現場近くの15年以上働いていそうな貫禄ある土産物屋のオバチャンです。噂にゴシップ…こう言う捜査はオバチャンが最強です。そして今、彼女達はスマホを手に入れました。鬼に金棒です。案の定食いつきは予想以上でした。
「15年前の美少女を探せ!」
の狼煙は上がり、アチラコチラの土産物屋に瞬く間に伝わりました。恐るべし、オバチャン・ネットワーク。
そして、一人の女性が電話を聞きつけ駆け付けました。 -
顔立ちとか、目の色、チャーミングな振る舞い…一瞬心臓が止まるかと思いましたが、嗚呼でも残念。年齢的に合致しませんでした。振り出しに戻ります。しかしガイドさん、地元のガイドさん、そして警察官迄巻き込んでの大捜査の末に、
「駱駝がいるマドラサの近くに、この子達の親戚がいる。」
と言う情報を得たのです。 -
駱駝と言えば…確かにあったなぁ…でも、あれから15年、生きているのかな?いや、この際その駱駝の生死は問題ではありません。観光駱駝がいた場所です。私は記憶を辿り駱駝がいるマドラサを探しました。なんか本当に推理小説みたいな展開になってきました!
-
そして私は見つけました。駱駝は代替わりしていました。そして其処は、なぁんだ。私の泊まってるマドラサじゃないですか!私がキョロキョロしていると
「あら~貴方!」
って見た事ある様なオバチャンに声をかけられました。
私が怪訝な顔をしていると
「今朝荷物を運ぶの手伝ってくれてありがとう!」
との事、世間って結構狭いものです。そしてそのオバチャンに確かめれば、どうやらビンゴ!
こうなれば、最早パワー・プレイです。
仲間と手分けしてお土産屋さんのオバチャン片っ端に聞き込み開始です! -
そしてなんと、親戚は思った以上に早く見つかりました。ガイドさんが見つけてくれました。親戚のオバチャンは目絵を細めながら写真を見つめながら話してくれました。
彼女達はミレニアム生まれの当時9歳、現在24歳になった事。
実は二人の女の子はイチャン・カラに住んでいた訳では無かった事。親戚のオバチャンの家に遊びに来ていて、偶然私と出逢った事。
だからイチャン・カラのオバチャン・ネットワークを駆使しても身元が解らない筈でした。
当時のヒヴァの人々はデジタル・デバイスは誰も持ってなく、だから写真は結婚式等特別な日に撮影して貰うだけだったらしいのです。だからデジカメを必ず持っている観光客に声をかけて写真を撮って貰っては、写った自分をチェックして楽しんでいたのだそうです。
道理で、当時良く写真をねだられたのです。 -
今ではヒヴァでも誰でもスマホを持つ時代になりました。最早観光客に声をかけて写真をねだる人も子供もいなくなりました。これはこれでちょっと寂しくも思います。
彼女達に渡して欲しい。と私は写真を彼女達の親戚のオバチャンに託しました。
当時は特別な日でしか写真を写せない時代だったから、そんな時代のスナップ写真は、とても貴重な品です。本当にありがとう!と、とても感謝して頂けました。 -
本当に不可能だと思っていた願いが叶いました。彼女達がイチャン・カラの子供では無かったので、再開こそ叶いませんでしたが、彼女の親戚に出逢えた事により、彼女達の写真を託す事が叶い、そして彼女達の現在を知る事が出来ました。二人とももう結婚されており、赤ちゃんも無事生まれたとの事。
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そして彼女達の結婚式の写真を見せて頂きました。純白のドレスに包まれた彼女達。一人の子なんて、そのまんま大きくなったんじゃないかと思う程15年前の面影を残してます。なんか目頭が熱くなりました。
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15年の月日が経ち、無邪気な子供達は立派な女性に、母親に、育っていました。私はと言えば…劣化しただけです(笑)それはともかく、無理だと思う事も、やってみる事です。そして私の想いに、全力で協力してくれたヒヴァのオバチャンを初め、一同に本当感謝しています。そして二組の家族に。いつまでも、お幸せに!!
記事書いてても泣けてきます。 -
ヒヴァの最大の目的を達成して、観光を開始です。先ず訪れたのはクフナ・アルク。クフナとは古いを指しますので旧宮殿と言う事になります。ヒヴァ・ハーン国王の謁見の間です。右が王、中央が首相、左が来客用の扉です。
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タジキスタンでも見た最下部でギュッと窄む独特の柱が印象的です。
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息を飲む様な文様。イスラームは偶像を描けない分、芸術家は紋様に美意識を凝縮させました。
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謁見の間、内部。
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幾何学性とシンメトリーはイスラーム美学の重要な要素。でいて方苦しくならず、威圧的にならないのが素敵です。
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此方はユルタを建てる土台です。国家を形成し、定住化したウズベク人ですが、もとはと言えば遊牧民。大きな宮殿は冬は寒過ぎます。冬になると暖を求めて結局ユルタで生活するのだそうです。折角壮大な宮殿を建てておきながら、その宮殿内にユルタを建てるのは、我々から見るとシュールに映ります。
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街中で見かけた、二連の可愛らしいテラス。
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ジュマ・モスクを訪れました。訳せば金曜モスク。金曜日はムスリムの集団礼拝日。この名前を持つモスクは、その街のグランド・モスクの意味を持ちます。
屋内には数多くの中央アジア式柱が屋根を支えています。これまで見てきただろうペルシャ様式のドームを持ったモスクと雰囲気が違い驚く人もいるかもしれません。 -
この違いは、モスクが作られた年代の違いや、技術伝達の違いから来るものです。イスラームは集団礼拝をするので、少しでも多くの信者を屋内に収容出来る建物が求められます。
ですが、ドーム建築が未だ発達していなかった頃は、屋根は数多くの柱で支える必要があったのです。この様な様式のモスクの典型例はスペインに残るメスキータがあります。柱が多い欠点を、そのデザインで芸術性へと昇華しています。 -
西のクフナ・アルクの次は東のタシュ・ハウリ宮殿(新宮殿)のハーレムを見学しました。
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美しい天井の装飾。
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此方の紋様も、クフナ・アルクに負けていません。
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タシュ・ハウリ宮殿のハーレム。
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ハーレム内部
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ハーレムにて。
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宮殿を後にして自由に散策します。散策しながら、尋ね人に協力して頂いたオバチャン方に、発見の報告と感謝を伝えて周りました。
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そんなひと時はとても心暖まる素敵な時間でした。彼女達が店を開くメインストリートは、旅人が滞在中何往復もする道。一度お礼を言ったからじゃ終わらない。再び顔を合わせると、声を掛け合ったり、手を振ったり…。
見るべきものを見て、食事と買い物を済ませたら、通り過ぎていく、一般的な観光客より、一歩踏み込んで、ヒヴァの人々に溶け込めたかな?そんな気持ちになれました。 -
あっという間に陽が暮れていきます。ずっと観光をしていたら、もっと周れていたのかもしれません。でも私は観光する以上に楽しく、胸躍る時を過ごせたと思います。写真とは言え、15年ぶりに彼女達に出逢えたのですから。
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それにもう一つ、本来今日は只の移動日な設定です。ですから当初私の尋ね人も、明日一日しか無いヒヴァ滞在を全て使ってもやり遂げるつもりでした。
しかし、スネークの驚異的ハンドリングと的確な出国審査サポートにより、大きな時間が生まれ、初日にして、初志を貫徹する事が叶いました。
スネーク、本当にありがとう! -
猛暑のヒヴァは危険な為、日没後、観光客が溢れ返ります。いったい何処からこんなに沸いたのでしょう?
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ライトアップが始まりました。とても雰囲気があって、驚きました。15年前は、何処の場末のラブホ街か?と疑う程、センスが無かった様に感じます。
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15年前と比べ、圧倒的に観光客は増えました。ヒヴァの人々は富み、誰もがスマホを持ちました。以前の様なデジカメを媒介とした触れ合いの機会は、壊滅的に減りました。しかし今回私が持ち込んだ紙媒体の写真が、ヒヴァの人々と私を繋いでくれました。もし、この写真が無かったら、私は、15年経って、綺麗にはなったけど、素っ気無くなったなと感じていたかもしれません。
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今、社会も、旅も、恐るべきスピードでストレス・フリーになっていきます。家族旅行や恋人との旅、それならそれらは、ウエルカムだと思います。が、一人旅ならどうでしょう?
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今の日本の一人旅なら、多分一日に一度も言葉を発する事無く旅出来ると思います。機械式チェックインのホテルに泊り、スイカで異動し、グーグルで道案内、食券制のレストランで食事を済ませれば良いのです。でも、それで楽しいのでしょうか?
私は以前、ひとしきり国内を旅していた事があります。でも、ある瞬間、ストレス・フリーが故の孤独感を強烈に感じてしまい、以降旅していません。 -
見るべきものを見る事は、旅の重要な要素です。でも私は、それにもう一声かけたいのです。旅ならストレスがあって当たり前。どうなるか解らない、だから地元の人に尋ね、怒り、笑い合って、旅を進めていく様な…。だからストレスがいっぱいありそうな、第3カ国を私は良く旅先に選ぶのかもしれません。
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とは言え、今回は所定の日数で見るべきものを見る為、殆どストレス・フリーのお任せの旅です。だからこそ、人探しと言う不特定要素が、ヒヴァのオバチャン達との接触を不可欠なものとし、結果彼女達との連携に繋がったのだと思います。今回、少女達の消息が判明した事は第一の喜びですが、ヒヴァのオバチャン達との触れ合いもまた、私の旅の宝です。
ヒヴァのオバチャン達、愛してるゼ! -
素敵な気持ちで、素敵なライトアップの中散策していると、大好きなフレーズが口から溢れます。
-
She’s got a smile that it seems to me
Reminds me of childhood memories
Where everything was as fresh as the bright blue sky -
イチオシ
Now and then, when I see her face
She takes me away to that special place
And if I stared too long, I’d probably break down and cry -
さて、心を満たしたら、お腹も満たしにいきましょう。
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なんて素敵なレストランが出来たのでしょう。屋上からイスラーム・ホッジャのミナレットとジュマ・モスクのミナレットのライトアップを眺める事が出来ます。
Ayvon レストラン
99G6+7Q,Xiva,Xorazm,Viloyati,ウズベキスタン -
イチオシ
今日はオーバーランして沈んでしまいましたが、この位置なら、夕陽も綺麗そうです。明日はチョッピリ早目に来よう!
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勿論料理も美味しいし、店内もピカピカです。
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メインはやっぱりシシャリクです。
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夕食を楽しんでいる内に夜もすっかり更けました。
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イチャン・カラの外周を歩きながら、城壁のライトアップを楽しみました。
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地獄の門で朝陽を拝み、15年ぶりの再会に涙を流し、大きなイベントが続いた今日一日を噛み締めながら…。
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早朝夜明けから、深夜迄、本当に充実した一日となりました。
特に尋ね人を探し当てられた事は感動しました。でもこれはヒヴァだからこそ叶った願いだったとも思います。
1イチャン・カラと言うこじんまりとした内城の中と言う環境下であった事。(結局イチャン・カラ外の子供でしたが…。)
2メインストリートに並ぶお土産屋さんの屋台の店主さん達が皆仲良しで強いネットワークを持っているのを知っていたので、聞き込み捜査の対象が絞れていた事。
3そしてヒヴァの人々が非常に強力的でフレンドリーだった事。
こんなヒヴァの性格が私の願いを叶えてくれました。他の街ではこうはいかなかったと思います。でも、これ迄私は多くの旅で、多くの笑顔を頂いてきました。それは私の写真の大きな宝です。でも、その多くの笑顔を頂いた国の多くが、未だスマホさえ手に入れられない人々が多い国でもあります。
中々難しい課題ではありますが、そんな素敵な笑顔を頂いた人々に、あと一枚でも当時の笑顔をプレゼント出来たらと思います。
最後迄ご覧になって下さり、ありがとうございました。
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