2024/06/18 - 2024/06/18
38位(同エリア145件中)
さっくんさん
朝一にタシュケント空港へ向かいウルゲンチへ。そこから今回最難関のトルクメニスタンの国境を越え、途中クフナ・ウルゲンチの廃墟と化した都市遺跡を散策し、そこからひたすら悪路を南へ走ります。車窓は徐々に渇いていき、私の大好きな世界観へと変わりました。即ち砂漠。カラクム砂漠です。そしてついに目的地タルヴァザ。人呼んで地獄の門に到着しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
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眠い目を擦りながらウズベキスタン航空の朝一の便に乗ってウルゲンチを目指します。
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私は往復は致し方無いとして、現地へ入ったら極力移動は陸路で派です。何故かと言うと空路は早くて便利ですが、なんか旅が途切れてしまう様な気がするのです。陸路を時間をかけながら、変わりゆく風景を感じる時も、旅の醍醐味と感じるからです。でも今回はそんな事を言っていられません。不幸中の幸い窓側の席をゲットできたので、空から風景を眺めましょう。
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それでは離陸します。今回は日にちが少ないので割愛しましたが、タシュケントとウルゲンチの間には、サマルカンドとブハラと言うウズベキスタンを旅する上でマストな訪問地があります。以下に9年前の旅行記を挙げておきます。ご参照ください。
サマルカンド
https://4travel.jp/travelogue/11763189
ブハラ
https://4travel.jp/travelogue/11763307 -
眼下は砂漠に入った筈と窓を除けば、あらビックリ!淡々と水を湛えた湖が。ダム湖でしょうか?航路的にアムダリヤ水系だと思われます。
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眼下にはキジルクム砂漠。それを貫くはアムダリヤ川。9年に訪れた時はブハラから車で丸一日かけてキジルクム砂漠を踏破し、アムダリヤ川を渡ってヒヴァに到着しました。今では鉄道も開通し、空路もあるので陸路キジルクム砂漠を超える旅人は少数派でしょうか?
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大地に緑が多くなると、やがて耕作地が現れ、そして民家の数が増えていきます。その風景の移り変わりがウルゲンチが近くなった事を教えてくれます。
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鉄道駅にも及ばない、可愛らしい空港、ウルゲンチに到着しました。
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今回の旅の最難関は多分此処、トルクメニスタンの国境越えです。中央アジアの北朝鮮と呼ばれる独裁国家、現在中央アジアの4か国は全てノーヴィザとなりましたが、トルクメニスタンだけはヴィザが必要。しかも招聘状が必要だったりとややこしいです。手続きが面倒なのは必然でしょう。
しかしそれ以上の厄介者が現れました。白人の団体です。自分達がルーズな並び方していたのがいけないのに、彼等のガイドに我々はグループなのだからお前は後ろに並べ!と無下に追い払われました。
グループ?ちゃんちゃら笑わせます。一人じゃ何も出来ない烏合の衆が、数の暴力奮いやがって…それにして奴等はいつでも自分達こそ偉いと勘違いしています。同じく厄介な某国の団体は、常識外れで困り者ですが未だ我慢できます。
(この場合、一番いけないのはガイドの発言です。一人一人は普通の人間で、普通に会話出来る人間なのですが、集団になると豹変します。集団で纏まって移動したいからバスの入り口を遮って、地元の人を妨害し、自分達を優先させたり、行動に目に余る箇所多々ありました。) -
ウズベキスタンの出国を済ませ、なんとかトルクメニスタンの入国審査です。とにかく導線が解り辛く先行していた白人団体も右往左往しています。そんな時背後から私の腕を掴む者がいます。
「待たせたな!」
トルクメニスタン側のガイドさんが、審査場に凸してくれたのです。私は彼をスネークと呼ぶ事にしました。そしてスネークは名前通り腕利きです。あっという間に私を導き、事は完了しました。
入国審査は、先ず招聘状等の書類提出とPCR検査。そして料金の支払い、パスポートの提出、ハンコを押して貰って受領。荷物検査の順ですが、導線が解り辛く、提出と受領の二つの窓口を一人が兼任している等人員不足も問題です。更に一つ一つのプロセスに数多くの書類操作が必要で、処理している係員を見ていると同情さえ感じました。兎に角スネークがいなかったら大苦戦は必至です。
良いセンスだ!スネーク!
スネークのお陰で楽々クリアした私ですが、白人御一行は未だ右往左往し、私を蔑ろにしたガイドは取りまとめるのに必死な形相です。数の暴力が、このシチュエーションでは自分達の首を絞めます。
「あ~ら皆様ま~だお並びの様ですね。持つべきは優秀なガイドですね!それではアディオ~ス アミーゴォ!」 -
暫く走るとタシャウズの街を通り過ぎます。由緒ある街だそうですが、純白のビルがボコボコと建ち並び中央アジアの街並みとしては異様な風景です。首都のアシガバードの噂は聞いていましたが、地方都市であるタシャウズもこの様な風景である事は驚きでした。
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街の目抜き通りには純白のゲートが。
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更に街の出口には更に大きなゲートが!とカメラを向けた瞬間、スネークに制止されました。こうした街の出入り口には警察の検問があるのだそうです。警察の立哨ポイントをスルーした時、スネークの今だ!の掛け声と共に撮影。皆様もゲートにはご注意ください。
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道中にはこうしたゲートに関わらず、至る所で警察がチェックしています。実際何回かスネークも停車を求められチェックされていましたが、私がパスポート提示を求められる事はありませんでした。
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また、こうした国アルアルなのですが、ガイドが実は監視役を務めていると言う噂があります。私が感じたところはスネークはとても良い人物でしたが、キルギス担当のガイドさんは、きっとスネークは監視役だよ!なんて言っていました。まぁ普通に旅をしている限り、問題が起きる事は無いだろうと思いますが、特殊な国なので政治的な事、国に否定的な事は喋らない方が無難でしょう。
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さてクフナ・ウルゲンチに到着しました。観光する前に腹ごしらえです。安心の透明のスープです(笑)
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またまたマントゥですねぇ。いつも通り餃子とヨーグルトを別々に食べる私。その姿を不思議そうに見つめるスネーク。多分彼の目には、餃子のタレを、餃子につけずに飲んでしまう変な外国人の様に写っていると思います。
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素朴なデザートがつきました。こうしたものの方が美味しかったりするんですよ!食べ物は見た目じゃ解らない。
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クフナ・ウルゲンチに到着しました。クフナとは古いと言う意味。ウズベキスタン側でタシュケントから飛行機で到着したウルゲンチ空港のウルゲンチが現ウルゲンチとなります。これは砂漠で生きる為の生命線であったアムダリヤ川の流れが変わった事により、旧ウルゲンチ即ち此処クフナ・ウルゲンチが人の暮らすのに難い場所となってしまった為、街ごと移動せざる得なかったからです。
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ナジム・アッディン・アル・クブラ廟。つまりお墓ですね。
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そして対面に建つのもまた廟です。スルタン・アリ廟です。生前二人は仲が良かったのでしょうか?
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クフナ・ウルゲンチはアムダリヤ川沿岸に、10世紀から14世紀に渡り繁栄した、中央アジア最大級の都市でした。12~13世紀初頭までホラズム・シャー朝の下最盛期を迎えますが、モンゴルの侵略により壊滅的な被害を受けるも、復興を遂げます。しかしアムダリヤ川の流れが変わってしまった事により街は放棄される事となりました。
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因みに上記二つの遺跡と、これ以降の遺跡群はかなり離れた位置にあり、車が無いと移動が大変なので、個人旅行で訪れる場合は注意してください。
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テュラベク・ハヌム廟。ドームは痛々しく破損されたままですが、内部の保存状態はクフナ・ウルゲンチで一番良いです。1370年建造、内部装飾はペルシャの様式で、この様式に於いて中央アジアで最初に用いられた廟なのだそうです。
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遺跡は時の流れに侵されながら痛み続ける痛々しい外観ですが、これ迄サマルカンド、ブハラ、ヒヴァと綺麗に整備された遺産を見る事が殆どだったので、逆に新鮮に感じてしまいます。
サマルカンドに一つ荒れるがままに残された廟があります。 -
しかし内部に入ると復元はされているのでしょうが、息を飲む程の装飾を見る事が出来ます。
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此方は入り口のホールの天井です。大振りですがムカルナスが形成されています。
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クトゥルグ・ティムールのミナレット。中央アジアで一番高いミナレットです。1011年建造とされています。入り口が相当高い部分にあるので、「どうやって入るんだ?」となりますが、往時は横にモスクが併設されていて、そのモスクから繋がっていたので高い部分に入り口があるのだそうです。
因みに、このミナレットをグルグル回っている人がいました。私は入り口を探しているのかな?と思っていたのですが、どうやら「此処を何回周ると願いが叶う。」と言う、こうした物件に有りがちな謂れがある様です。 -
スルタン・テケシュ廟が見えてきました。ホラズム・シャー朝のハーン、ムハンマド2世の父親の廟との事
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ミナレットの存在が半端無いです。権力者達の虚栄心がミナレットをより高く作らせる源になりましたが、シルクロード交易の旅をする隊商達が道を迷わない為の砂漠の灯台の役割も果たしました。
砂漠は本当に迷います。東西南北、只々砂が広がるのみ。見通しが良過ぎて方向感覚をまるっきり奪ってしまうのです。そんな砂漠を旅する隊商にとって、ミナレットが見えてきた時、どれだけ安心できたでしょう。 -
スルタン・テケシュ廟の正面に来ました。ミナレットを残せば、この遺跡に残されたのは廟建築のみ。人々の暮らしの後は残されていません。でもこれはこの遺跡に限りません。ヨルダンのペトラも然り、ピラミッドだってそうです。世界中にこんな現象を見かけます。
当時の人々達が過酷な日常より、死後の世界は美しくあって欲しい。亡くなってしまった愛しき人が死後の世界でも幸せであって欲しい。こうした遺跡群を見ていると、それはそんな彼等の儚い想いを見ている様で、私の胸も切なくなります。 -
今から6~700年前、確実に此処に人の営みがありました。確実に人々の願いが此処にありました。今は只、彼等の夢の跡が残されています・風が通り過ぎていきます。
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イル・アルスラン廟。イル・アルスランはホラズム・シャー朝の王でクフナ・ウルゲンチで最古の廟だそうです。クフナ・ウルゲンチの建築は角錐状のドームが印象的で、ウズベキスタンでは殆ど見られない様式です。ホラズム・シャー朝の時に流行した様式で、モンゴルの襲来で中央アジア世界がリセットされた時、失われていった様式なのかもしれません。
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廟内に入ると、屋外の強烈な日差しが遮られると共に音も遮られ、時空をも超えてしまう様な錯覚に陥ります。此処に眠る者に平安あれ。
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クフナ・ウルゲンチに残された遺跡は多くはありません。然しながらウズベキスタンの歴史的都市が観光地化する事で、ややもすると過剰な修復が行われている感を拭えない一方、こうした当時のままの姿を今に残す遺跡があっても良いのではないかと思います。今はもう形に残されていない、人々が暮らした姿は、サマルカンドやヒヴァで見てきた光景をだぶらせながら想像してみれば良い事です。私は遺跡見学に必要な能力は、想像力だと思っています。
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さて、いよいよ本日の目的地、地獄の門があるタルヴァザに向けて出発です。
しかし、流石地獄の門へ続く道、この道程こそ地獄そのものだったのです。 -
写真では解り辛いのですが、もう路面が只事ではありません。もう道路の至る所に小型地雷が爆発して出来た小さなクレーター状の陥没が至る所にあるのです。高速で走って、こんなところに突っ込んだら、ハンドルを取られて一巻のオシマイです。
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な訳で、車は蛇行を繰り返し、路肩に半輪乗せて走る方が未だ安定走行出来ると言う状況、これなら未だダートの方が走りやすいです。スネークに同情しつつ、スネークのハンドルさばきに旅の安全を預けます。
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アフリカの支援についての報告で見た事を思い出しました。中国がアスファルトで大規模に道路を作る一方、日本はダートの道の作り方を教えて一部の人から嘲笑されました。でも日本は、現地の人が作れない、メンテナンス出来ない道を作るより、現地の人に作り方、メンテナンスの重要性を教え、現地の人でも作れる道を提供したのです。どちらが本当の支援の形か?賢明な方ならすぐ答えが出る筈です。
実際に走って、メンテナンスが出来ない舗装された道より、メンテナンスが整ったダートの道の方がよっぽど走りやすいと身をもって理解出来ました。 -
行く手に純白のモスクが見えてきました。ドームはキンキラキンです。明らかに他の中央アジア諸国のモスクと趣きが異なります。
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首都アシガバードは独裁者である大統領の好みによって、すべての建物が純白で、走る車も白じゃなければならないと聞きますが、このモスクは人口もそう多く無かろう周囲に家屋も疎らな街道沿いのモスクです。そんなところにこんな豪勢なモスクを建造するなら、このアスファルト、なんとかした方が良いのでは無いかと思ってしまいますが、こんな事話して実はスネークがスパイだとマズいので、グッと言葉を飲み込みました。
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モスクを越したところで一服しました。一服は大事です。ウズベキスタンの国境からタルヴァザは大地はフラットですが、道路が全くフラットではございません。なので移動にとても時間がかかります。個人旅行の場合、移動の計画を立てる時、距離以上の時間がかかる事を想定してください。
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仕切り直して出発です。
トルクメニスタン。中央アジアで唯一頑なにヴィザが必要な国。しかも招聘状とか、ガイド同伴の強制とか…。それもその筈中央アジアの北朝鮮と呼ばれる程の独裁国家なのです。 -
国の歴史は勿論他の中央アジアと一緒です。6世紀にはテュルク系の遊牧民族が、7世紀にはイスラームが到達しています。遊牧民族としての性格は強く、現在でも国民の殆どが馬に乗れると言います。只、他の中央アジア諸国も同様ですが、現在ユルタに定住している人はいないとの事です。
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9世紀にはタジキスタン編で紹介したペルシャ系のサーマーン朝、そしてそのサーマーン朝がテュルク系のカラ・ハーン朝に倒され、その後セルジュク朝、カズナ朝、そして先程登場したホラズム・シャー朝。そしてモンゴルの来襲~ティムール朝となります。その後もヒヴァ・ハーン国、ブハラ・ハーン国・サファビー朝と中央アジアの歴史上のスター大集合と言った有様です。勿論その後のソ連の吸収も一緒です。
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トルクメニスタンがおかしな事になるのは、ソ連が解体し独立が叶った事から始まります。大統領がとんでもない独裁制を敷いたのです。中央アジアで唯一社会主義体制を維持していながら、ロシアの介入を嫌って永世中立国となっています。
しかし永世中立を貫くには、それなりのものが必要とされますが、それがあるのです。豊富な天然ガスを初めとする豊富なエネルギー資源です。此処が北朝鮮とは決定的に違う事です。 -
そんな訳で大統領のやりたい放題。大統領の好みの色が白だったから、街は純白の大理石で統一。走る車も白一色。自分が好きだからメロンの日を制定。自分が禁煙したら国民も禁煙(私はいっぱい吸ってしまった…ゴメン、スネーク、チクらないでくれ!)
でも、どうしてそんな無茶苦茶な社会で、国民が騒がないのでしょう?それは上記の通り国が豊かだからです。ふと思います。日本だってそんなに変わらなくないですか?安全と清潔と食べられなくならないくらいの一定の収入。それと引き換えに政治家達はやりたい放題。他の国だったら暴動クラスの出来事だって、日本国民は必死に我慢しています。安定した生活は、獣から牙を奪ってしまうのです。
只、これには異論もありました。海外向けには豊かな面しか見せないが、国民は強いられているだけだと、トルクメニスタンにネガティブなキルギスのガイドさんは言っていました。私の目には…何とも言えないです。
兎に角、ソ連が解体して独立時、こんな独裁者が成立したばっかりに、豊富な資源をバックに、砂漠の中に純白の街並みが出来上がり、国連総会で世界中から承認されている世界で唯一の永世中立国(スイスやオーストリアはそうでは無い。)それでいて報道の自由度ワースト1と言う世にも珍しい国が出来上がったのです。 -
只、私は独裁国家と言うだけで、その国を否定はしません。独裁政治が悲惨な結果を生んだ事実は多いですが、独裁=悪ではありません。独裁=悪と言う構図は民主主義の押し売りをしたいアメリカの常套句ですが、そんなアメリカも自分に都合の良い独裁政治家は庇護しており、二枚舌にすぎません。
こうした砂漠の遊牧民等の他民族、他部族からなる国家にはカリスマ性のあるリーダーが必然です。砂漠の環境下、生き残る為に流暢に話し合いしている余裕なんか無いから、絶大な神とリーダーが必要だった。だから砂漠の中で、ユダヤ教やイスラームと言う一神教(啓典宗教)が生まれたと私は考えています。
これを証明する様にこうした砂漠の他部族からなる国では、サウジアラビア、UAE、ヨルダン、モロッコ…首長制や王制を取っている国々が、民主主義を取り入れた国々より堅実な成長を遂げています。政治には適した環境と言うものがあるのです。それを無視して、民主主義を押し付けて上手くいった例などあるでしょうか?イラク、アフガン、リビア…どこも悲惨な結果しか残していません。
民主主義は決して万能ではありません。
それでは民主主義とはそれ程良いものなのですか?
それとも貴方は「民意」が社会に反映される瞬間を見た事でもあるのですか? -
悪路に揺られ態勢を整えるのに必死になっているうちに車窓の風景はどんどん渇いていき、やがて草一本生えない大地へと変わっていきました。私の大好きな世界観、カラクム砂漠に入ったのです。
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エジプト、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、モーリタニア、マリ…サハラ砂漠。中国、ゴビ、タクラマカン。ウズベキスタン…キジルクムそして此処カラクムが私の地図に組み込まれました。
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嗚呼もうこの悪路からスネークを解放してあげてください!と体が悲鳴をあげる頃、スネークは本道を離れ道なき道に入っていきます。即ちそれはゴール目前だと言う事です。
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前世は砂漠で生きていたのでしょうか?砂漠を見ると心が落ち着きます。地獄の門を見る前に、この世界観にうっとりします。想像以上です。
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そして遂に、
ジャ~~ン!
到着です! -
強烈な直射日光!
暑い!
そして更に下から熱気が凄い!オーブンの上にいるみたい。とても長居は出来ない。煙草を咥えたら自然発火しそうだ。そう言えばウズベキスタンの空路はライターを持ち込ず取り上げられちゃったから試してみよっか?(やってないよ!) -
しかしまた、一体全体どうしてこんな大穴が出来上がったのでしょうか?勿論自然に出来た訳ではありません。先程述べたトルクメニスタンが天然ガスを豊富に埋蔵していると言う事が当然関わってきます。
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1971年ソ連の技術者が、油田調査の為この地を訪れ調査を開始しましたが、事故が発生。洞窟状になった地下の天盤が崩落、大穴が開いた状態になってしまいました。大穴からは引火性のある毒ガスがもうもうと噴出を続けました。
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周囲の環境を守る為、科学者達はガスを引火し燃やし尽くす手段を取りました。
結果がこの通りです。半世紀経った今尚炎が上がり続けています。 -
この願ずにして起こった災難が、今ではこの国随一の観光スポットとなっているのは皮肉な事です。只、天然ガスの採掘に悪影響を与えるかもしれないと言う観点から、トルクメニスタン政府はあまり地獄の門を喜ばしく思ってはいない様で、これ迄何回か鎮火させようとしており、今でもその手段を模索中とも言われています。また、年々漸く?炎の勢いも衰えてきていると言います。成程写真と昔のものを照らし合わせると、若干弱くなっている様に感じます。
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この様な観点から、行きたい!と思っている旅人さんは、なるべく早いうちに訪れた方が良い物件である事は間違い無いと思います。
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そしてもうひとつ助言があるとすれば、必ず一泊してください。昼間の地獄の門も良いですが、地獄の門は陽が落ちてからが本番です。そして忘れて欲しくないのが夜明けです。地獄の門の背後に、まるで此処から地獄の門と朝陽のコラボを見てください!と言っているかの様な、展望台の様な小高い砂丘があります。是非朝陽を堪能ください。私の写真は次回紹介したいと思います。
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振り返れば360度荒野が広がります。
素晴らしい! -
さて、長距離ドライブの疲れを癒す為、ホテルにチェックインを済ませましょう。おっと違いました。今宵はテント泊です。と思いきやユルタでした。トルクメニスタンは遊牧民族。ユルタは彼等の伝統スタイルですからユルタ泊も乙なものです。
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地獄の門背後の小高い砂丘の中腹に、ユルタ村がありました。今日一泊は此処でお世話になります。
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此方は食堂塔。食事は此処で摂ります。この棟だけなんとエアコン完備です。
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夕食です。こうしたシチュエーションで食べると美味しいんだよなぁ~!
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此方が今宵の寝床。
十分です。 -
そして外観。
遥か東はモンゴルから西の此処カラクム砂漠迄、遊牧民族が駆け抜けた、歴史の証明です。 -
砂丘を登って、ユルタ村を見下ろしました。
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砂丘の向こうに陽が沈みました。
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暮れ泥む空に枯れ草が風に靡く。
ちょっと物悲しい砂漠の一コマも好き。 -
孤独だなぁ~。
でも、それが良い。
それで良い。
旅は…独りに限る…。 -
空の蒼が増していきます。一日が終わろうとしています。ですが、地獄の門はこれからです。なんと言っても、地獄ですから。
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駱駝の子供が繋がれていました。チョット杭に近く繋がれて可哀想。ずっと鳴いていました。
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地獄の門は夜、開きます。闇夜に煌々と燃える炎は妖しささえ感じます。
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地獄の門は大き過ぎて、近づき過ぎると全体を写せず、離れ過ぎると角度的に炎が入らないので写すのが一苦労です。
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こんな時ドローンがあれば有効なのでしょうが、トルクメニスタンは入国時、攻撃用ドローンの持ち込みを特別に警戒しているので、持ち込みの敷居は高い様に感じます。
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地獄の門はすり鉢状に緩く傾斜した底に当たる部分に開いているので、ちょっと離れるとこんな感じに。
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更に後方に、小高い砂丘があります。登って見下ろせばこんな感じ。因みに調べて見れば、陽が昇るのは、此処から丁度地獄の門を眺めた向こう側。まるで朝陽を拝めろと言わんばかりの展望台。後は自分が寝坊しない事。
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この光景をしっかり脳裏に焼き付けましょう。
うっかり近づけば焼け焦げましょう。 -
地獄の門は永久には存続しないでしょう。それどころか、トルクメニスタンにとっては厄災でもあるので、解決法が編み出されたら、ある日突然消されてしまってもおかしくありません。
でも、地獄の門は私の心の中で、燃え続ける事でしょう。人的要因による、望まれぬ出生であるとは言え、大自然の生み出した驚異的光景である事は間違い無いでしょう。 -
ユルタに戻りました。さて、明日は寝坊しません様に。おやすみなさい。
最後迄ご覧になって下さり、ありがとうございました。
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