2010/10/26 - 2010/10/27
46位(同エリア136件中)
さっくんさん
西安を訪れて一年、シルクロードのど真ん中ウズベキスタンを訪れて更に、その道中である部分を旅したいと思いました。こうして蘭州からカシュガルへの旅が始まりました。
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一年半の時を経て中国に戻ってきました。西安を訪れて尚更強まったシルクロードの旅。今回は蘭州から旅を始めカシュガルを目指します。
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蘭州と言えば黄河です。
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ロープウェイに乗って白塔山公園に登ります。
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白塔山公園に到着です。
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チンギス・ハンへの使者だった僧がこの地で亡くなり、その僧を弔う為建てられた寺院だそうです。
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白塔山公園の仏塔を見上げました。
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黄河を見下ろしました。
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西域の蘭州には数多くの回族が暮らしています。
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そんな回族の作る牛肉麺は蘭州ラーメンの名で日本でも流行しました。
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蘭州で一番歴史のある黄河に架かる橋、中山橋です。
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白塔山を見上げます。
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橋の中央から黄河を望めば、思わず脳裏に万里の河が流れます。
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川辺に美しいモスクがありました。
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遠く遠く何処までも遠く、流れる河で…
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西遊記の三蔵法師も、リアル玄奘三蔵も、この道を往きました。
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イスラームの隊商もこの道を往来しました。
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マルコ・ポーロも通った事でしょう。
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汚い写真すみません。中国のトイレはまるで流しソーメン形式です。誰だって自分のモノを見られても、人のモノは見たくないので上流の奪い合いです。因みに大都市の若者以外はトイレと言う単語も通用しません。廁と筆談すれば教えてくれます。
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金曜モスクでしょうか?
イスラームでは、その街の中心的モスクをそう呼びます。 -
蘭州最後に訪れたのは五泉山公園です。
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漢の時代に匈奴討伐で名を上げた武将霍去病所縁の地です。
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水不足に悩んだ霍去病が鞭を五回打つと五つの泉が沸いたと言う伝説が公園の名の謂れとなっています。
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チベット仏教の寺院もありました。
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当時の中国は大気汚染が深刻で例え晴れていてもどんより霧に包まれているかの様な空模様でした。
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そろそろ駅に向かわないと!
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絶対これって怪しい店ですよね?
良い子は入っちゃダメですよね? -
砂鍋と言う料理を頂きました。一人鍋です。感動の味でした。日本にも無いかなぁ?
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さて、予め預けておいた荷物をピックアップしようとして、自分のオッチョコチョイさに恥ずかしくなる事が起きました。中国の列車は非常に長い連結なので駅も非常に長いです。ですから手荷物預かり所も複数あります。でも、そのどれもが似た様な造りで、半券見ても判別がつきません。
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多分此処だろうと思ったところに無くて、管理人のオバチャンにあっちの預かり所じゃね!って言われてあっちに行っても見つからない。再び出戻ると、今度はオバチャンが付き添ってくれました。
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結局、私が向かった「あっち」に行く途中にも預かり所が存在し、其処に私の荷物はありました。オバチャンお騒がせしてごめんなさい。おっかなそうだけど、本当は優しい中華のオバチャンに感謝です。
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無事、嘉峪関に向けて出発です。
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朝食は牛肉麺です。
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最初の途中下車は嘉峪関です。
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万里の長城最西端に当たる関所です。
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つまり当時はこの関所から西に出れば中国出国です。
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西方から訪れたイスラームの隊商は、やっと此処まで辿り着けたかと安堵の溜め息をこぼし、方や西方を目指す中国の商人達は、この先を憂い溜め息をこぼしたのかもしれません。
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でも玄奘は密出国者のWANTED な身なので関所は通れなかったのでは無いでしょうか?(嘉峪関は明m代の関所なので、玄奘の唐代の国境の関は当然違う場所になります。)
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関所を過ぎれば、荒野に点在する狼煙火台が頼りですが、それすら近づく事は危険でした。
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時には乞食僧の様に説法をしてお恵みを貰いながら旅を続けたと言います。
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熱心な仏教徒は時に危険を省みず玄奘の旅を支えました。
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過酷な大自然の猛威と唐の追撃をかわしながら、僅かながらも暖かい仏教徒の支援を受けつつ西へ西へと玄奘の旅は続きます。
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そんな辛く厳しい道程はなんとトルファン迄続く事となります。
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関の城壁から何処までも続く万里の長城を眺めます。
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これが北京の向こう迄ずっと続いていると思うと凄い事だと思います。
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この太古に各国が築いた長城を一つに纏めて統一したからこそ、現代のひとつの中国の概念があります。やはり始皇帝は偉人です。
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なんで嘉峪関はこんなに立派に作られたのでしょう?
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それは当時西から大きな軍勢の来襲の危機が迫っていた為です。過去にチンギス・ハーンの来襲を経験しているので彼等の危機感は大きなものだった事でしょう。
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実際、現在のウズベキタンに起こったティムール朝のティムールはチンギス・ハーンの再来を自称し、事実急激に領土を広げ、一気に中央アジア一帯を制覇し、西はハンガリー付近迄領土とすると、反転し明を目指したのでした。
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明は嘉峪関の守りを固め、ティムール軍を迎え撃ったのですが、侵攻途上でティムールが病没した事で、
戦いには至りませんでした。 -
遠くに連なるは祁連山脈です。
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懸壁長城に登ります。でもモヤって先が読めません。
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何が何だか解らなくなりました。
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上昇していく雲と私の脚力の勝負となりました。
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う~む。負けてなるものか!
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やった!勝った!
ゴールはもうチョイ! -
天辺に到着!
雲さん参ったか! -
勝ち誇って下界に広がる大雲海を眺めました。
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良い眺めやなぁ~。
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有頂天になっていると、何やら下方で字の如く雲往きが怪しくなってきました。
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あっという間に雲に追いつかれてしまいました。
暗中模索の下山になりました。
最後までご覧になってくださり、ありがとうございました。
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